ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe-   作:江藤えそら

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今回は試験的に投稿時間をずらしました。
閲覧数が最も伸びるのがどの時間帯なのか手探りで試しています。


Episode G-5: 破滅の呼び声

 私が確かな死の予感と共に”落とし子”を目前に捉えた時、それは確かに起きた。まるで時間が止まったかのようにその場が静まり返り、私は伏せていた顔を持ち上げた。僅か5mほど先にまで迫っている落とし子達と私達の間に一人の人物が立っていた。その人物は綺麗に仕立て上げられたスーツ姿の男性で、私に背を向けて落とし子と向かい合っていた。まるで電流が走ったかのように硬直する落とし子の目前で、彼はこちらに振り返った。

「―――言ったはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 その柔らかな口調は確かに私の記憶の中に真新しく残るものだった。そしてその顔も、表情も、確かに私のよく知るものだった。その台詞さえ、つい数日前に依諏間警察署で聞いたものなのだ。

 

「鳴山……さん」

 明らかに動揺した由良さんの言葉が、その男性の正体を物語っていた。由良さんと私と、与崎さん。この場にいるのは、この前警察署で「死なれては困る」と告げられたまさにその三人だった。しかしこの場に鳴山さんという思わぬ存在が現れたことで、私にはもう一つの不安が生じた。それは、”顔見知りの人物が唐突に現れる”という状況を既に一度私は経験しており、その際に出会った人物―――戸村さんが()()()()()()()になっていた過去が嫌でも連想されてしまうということだった。その戸村さんも、堂本先生も、パトリックさんも亡くなってしまった。次は私達の番に違いない。

「な、鳴山警視正……何故あなたがここに…」

「”依諏間島統合調査団”―――実に愉快なドリームチームだったよ」

 恐怖に身構える私たちをよそに、鳴山さんはにっこりと私達に微笑んだ。

「諸君は真実に手を伸ばす権利がある。ただ混沌に身を投ずべし」

「鳴山さん…? 一体何の話ですか?」

 困惑する私達をよそに、鳴山さんは言葉を紡ぐ。

「深淵ならざる者達の好奇が征くところ、実に滑稽洒脱の数々であった。故に汝ら、未だ死するべからざるものなり」

「………?」

 鳴山さんの口調は、冷静な彼の物腰からは想像が及ばぬほど大仰で小難しいものになっていた。私は彼の姿が、まるで逆光を浴びた影のように黒ずんでいることに気付いた。このうす暗い倉庫において光の当たり方など全く変わっていないのに、である。見る見るうちに彼の姿は黒く染まり、彼がかけている眼鏡だけが光を反射して怪しく光っていた。

「アンタ……本当に鳴山さんなの?」

 由良さんが後ずさりしながら恐る恐る尋ねた。

「怖るる莫れ―――()()()()()()。私は全て見ていた。人も、深淵に連なるものどもも」

 鳴山さんの声は、まるで幾千の人間が同時にそれを話しているかのように老若男女の声が多数に重なって聞こえた。その中には獣の呻くような声や肉塊が引き裂かれるような音すら混じっていた。しかし、その中でやはり一番大きな要素を占めているのは鳴山さん自身の声に他ならなかった。

 

 しばらく硬直していた落とし子が、己を奮い立たせるかのように再び動き出した。オーボエを濁らせたような低い獣声と共に触手をこちらに伸ばす。まさに今、死が訪れよう―――という時に鳴山さんの肉体は大きく変形していった。その肉体は服を破りながら数倍に膨れ上がり、頭部は巨大な一本の触手のような長く円錐形の肉の突起に置き換わった。鳴山さんの顔はその突起に埋もれて消え、代わりに顔があった場所は何かに抉られたように溝が開き、虚空を中に映し出していた。どこからともなく触手に覆われた肉塊が二体、フルートを携えて現れた。そのフルートから吹き出される音は実に不快かつ冒涜的で、音だけで私達の視界を歪ませるに十分だった。

 この世のものとは思えぬ怪物へと変貌を遂げた鳴山さんはその亀裂のような顔面から叫び声をあげた。それは脇に立つフルート吹きが奏でるものよりも数倍聞くに堪えぬ音階と音圧を宿していた。その声を耳にした落とし子は萎縮して触手を自らの身体に収め、その場にへばりついて丸く丸く縮こまっていった。丸い水玉と化した落とし子の身体はやがてプツプツと気泡を発し、スライムのように床面に溶け広がっていった。落とし子の死体を踏み躙り、なおも鳴山さんであった化け物はその後ろに控える落とし子の肉体を引っ掴み、真っ二つに引き千切った。

 これだけの光景を目にして、私も由良さんも与崎さんも何故己が正気を保っているのか分からなかった。しかし私達はやがて一つの結論に辿り着く―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだという結論に。これから見せる真実に耐えられる程度の気力は残しておかなければならぬ。ただその好奇心が私達を生かしているのだ。

 

「私をこう記した者がいる。その名を聞くも悍ましき這い寄る混沌―――”ニャルラトテップ”」

 既に化け物になっているはずの鳴山さんの方から、その声は聞こえた。

「今ぞ見届けよ、この惑星に眠れる”真”を」

 そして、その声と共に私達の視界は突如として真っ白な閃光に包まれた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 視界が元に戻ると、私は2億5000万年前の地球にいた。すぐにここが2億5000万年前の地球と気付けたのは、ついこの前に見た”2億5000万年前の地球の中を描いた夢の世界”と全く同様の光景が広がっていたからだ。即ち隕石の如く飛来した何かが溶岩流を巻き起こして地上を洗い、ウミユリ状の生物やジラサウルス達を虐殺していく光景である。しかし、今までの夢と違うのは、この夢に由良さんと与崎さんもいること、そして私は意識を失うような状態には陥っていなかったはずであるというだ。私達は眠っているわけでもない覚醒状態にも関わらず、明晰夢の世界に誘い込まれてしまったのだ。

「この光景―――何度も夢で見たやつだ」

「私も…私も見ました! しかし何故私の夢にあなた達が…?」

「―――夢が一つに交わった。邪神を通じて精神が交差したんだ」

 混乱する二人に言い聞かせるように、私は久方ぶりに口を開いた。私にはこの状況の意味がなんとなく分かっていた。彼女らも私と同じように何度も夢を見ていた。私が夢の中で水元君に声をかけられていたように、由良さんも、与崎さんも、邪神への誘いを彼から受け続けていたのだろう。

「ということは―――君もいるんだよね? 水元君」

 私がそう呼ぶと、案の定、瞬きと共に目前に水元君は現れた。

「せっかく現実にも出現できたというのに……”這い寄る混沌”が余計なことをするせいでまた夢の世界に逆戻りです。どうやら奴はよほどこの光景を皆さんに見せたかったらしい」

 水元君は参ったと言わんばかりにため息をつき、そう言った。

「這い寄る混沌……鳴山警視正のことですか…? まさか彼も戸村さんのように邪神の…」

「違いますよ。レベルが全く違う。彼のことは僕だって言い伝えくらいにしか知りません。知ろうとすると人間だろうとそうでなかろうとみんな破滅する。だから彼の話はもうやめましょう」

 水元君は鳴山さんから話題を逸らす。どうやら本当に彼の話はしたくないらしい。

「それよりも―――あれがなんだか分かりますか?」

 そう告げて彼が見つめる先には、先日の夢で見た山頂があった。そこに鎮座する影に昨夜、私は恐れおののいた。しかし今となってはその影も見慣れたものと化してしまった。

「あれが、邪神―――君達深きものが崇める神、”大いなるクトゥルー”」

 そうでしょう、と言わんばかりに私は水元君の顔を見た。何しろ私はたったさっきあの石造都市で全く同じ姿を見たのだ。湖の中から現れて幾千もの人間達を喰らっていた化け物の神。あれこそが邪神に間違いないのだ。

「ええ。あなた達人間から見れば”邪神”なのでしょうね。そして、ほら。あれはこの地球に10億年住まう者。人類よりも真に”地球人”と呼ぶべき者達です。僕達は彼らを”古のもの”と呼びます」

 水元君が眼下を指差す。そこでは、溶岩が通り過ぎた後の焼け野原と化した大地でいくつかの種類の生物たちが熾烈な戦争を繰り広げていた。例のウミユリ状の生物は不定形で玉虫色の不気味な粘液の塊を引き連れていた。その生物は身体から気泡のように目玉を出現させては消し、時たま巨大な口を開けて目前の敵―――地平線を覆い尽くすほどの数で襲い来る”落とし子達”―――を迎え撃った。ウミユリ状生物達も触手に何か武器のようなアーティファクトを構え、光線や薬液で戦っているように見えた。そして、彼らに引き連れられてジラサウルス達も猛然と落とし子達に襲い掛かった。驚くべきことにジラサウルス達は背鰭を青く発光し、高温で白く光る息を吐きだしていた。それを浴びた生き残りの草木が一瞬で発火して灰になったことを見るに、相当な高温であることが分かる。人知を超えた生物達の血で血を洗う戦争は、見る見るうちに激化の一途を辿っていた。恐るべき化け物たちのオンパレードとそれらの殺し合いを目撃した私達は確かに途轍もない恐怖を感じていたが、自我が崩壊するほどのショックは受けていなかった。これも”這い寄る混沌”と呼ばれた鳴山さんの魔術か何かによるものなのかもしれない。

 

「ここは……地獄か…」

 由良さんがひきつった顔で呟いた。この赤々とした戦場を表現するにはその言葉が最も適切であったように思えた。そして、この場に存在する生命体の全てが人間を遥かに上回る能力或いは文明を持つことは明白だった。これらの生命体と共存し、あまつさえ存在すら知る由もなく生きていたという一点において、我々は実に幸福な時代を生きていたと言えるだろう―――邪神が復活した今この瞬間をもってその幸福は永遠に失われたわけだが。

「これが、今地球で起きようとしていることです。あなた達人間は今見ている彼らほどの抵抗はできません。神に従う方が身のためです」

 水元君は真剣なまなざしで私達に降伏を迫った。

「従うって、喰われるだけでしょう! 今この瞬間も、私達は…」

「ですから、何度も申し上げているではありませんか。これは肉体という枷を捨てて神と真に一つになる儀式です。捕食されたように見える人間達とも、今僕ははっきりと意思疎通ができる」

 与崎さんが声を張り上げて抵抗すると、水元君はあくまでもそう述べて正当化を図る。一度は彼の甘言に従いそうになっていた私も、今この地獄のような戦場を目にしたことでやはり邪神に首を垂れることが如何に破滅的な結末をもたらすかを予感するに至った。

「水元君。この夢はあなたのために用意された舞台じゃないの。黙っていてくれない?」

 私は冷静に、確かな意思を持って彼に告げた。何故、這い寄る混沌がこの夢の世界に私達を招き入れたのか。その答えが眼下に現れようとしていたのだ。少なくとも水元君がこの場において招かれざる客であることは確かだった。

 

 地上では、壮絶な殺し合いがなおも繰り広げられていた。落とし子達は千切られても焼かれても粘液状の肉体をまるで地面に溶け込ませるように広げ、しばらく経ってから再び染み出るように湧き出してくる。恐らく彼らの生命力の源は魔力であり、その根源は紛れもなくあの山頂に鎮座する邪神そのものに違いなかった。

「あれは……?」

 そんな地獄の焼け野原を、一体のジラサウルスがぽつりと突き進んでいった。自らにまとわりつく落とし子達を懸命に振り払い、邪神の待つクレーターの山頂へと確かに歩みを進めていった。他の仲間達が。ウミユリ状生物達でさえ次々に滅ぼされ打ち倒されていく中、彼だけはなんとかもがき続けていた。そこまでして彼を突き動かすものは、単純明快な”怒り”だった。同胞を殺戮し地上を恣にせんとする邪神への、底知れぬ怒りに他ならなかった。人間でなくとも、表情が読めずとも、落とし子に振り下ろされる腕の力強さ、止まることなく邪神に向けて繰り出される歩みが、その怒りを私達に確かに伝えていたのだ。

 邪神が鎮座する山麓にまで差し掛かると、もう彼に追いすがる落とし子はその姿を消していた。クレーターの熱がその肌を焼き、肌は黒く焦げ付いていった。肌目は焼死体のように水分を失ってざらつき、やがて粗削りされた岩のように鋭利な刺と突起に覆われていった。青く輝く背鰭は彼の怒りに応じて炎のように鋭く高く伸び上がっていった。

 笑い声が聞こえる。これまでに一度も聞いたこともない冒涜的で耳障りな声なのに、その笑い声が”這い寄る混沌”のものであるとすぐに理解できたのは何故なのだろうか。這い寄る混沌はこの光景をこそ心待ちにしていたのだ。他にない至上の快楽をこの地獄に、たった一匹の爬虫類に見出したのだ。

 ジラサウルスはなおも邪神に向けて足を進めるが、その足取りはどんどん重くなっていった。しかしその瞳はなおも憎き邪神を見据えていた。私が知るどのような怒りよりも大きい怒りと憎悪がその瞳の中で燃えていた。しかしその身体は遂に力尽き、山体に伏せた。山頂に立つ邪神はその口元の触手を動かし、何かを唱えているようだった。直後、山麓の大地がざっくりと割れて溶岩を湛えた地割れが姿を現した。地割れはジラサウルスに向けて山麓を駆け上がっていった。

 

「冒涜の意志は饗宴の標! 汝、さらなる混沌を(もたら)すべし」

 ”這い寄る混沌”の上機嫌そうな声と共にジラサウルスの身体は青白い光に包まれた。その光が明るさを増し、いよいよ太陽と見まごうほどに輝いた頃、到達した地割れが彼の身体を飲み込んだ。寸前、彼は再び立ち上がった。そして、この世の全ての絶望と憤怒を凝縮したかのような巨大な咆哮が天を割った。その目は何をも恐れていなかった。目前の邪神も、自らに力を与えようとしている”混沌”でさえ、その怒りの前には考慮に値しなかった。

 その瞳に眠るものは、最早ジラサウルスの一個体としての怒りに収まってはいなかった。愚かにも自らを蹂躙し、支配下に置かんとする邪神への地球そのものの怒りがこのジラサウルスただ一体に集約されているのだ。果たしてそこまでを這い寄る混沌が想定していたのかは分からないが、確かにそれは起きている。地割れがその身を飲み込み、その姿が消える瞬間までジラサウルスは邪神を見据え、睨み続けていた。そしてこの時をもって邪神の視界から敵対的な存在は一切が消え去った。今後続く戦争の果てに彼らは地上をほとんど―――或いは全て制圧したのだろう。そしてその後、どういうわけかは分からないが恒久の地上統治を放棄して海底で眠りに就いた。2億5000万年後に再び星辰が正される時まで。

 そして神の力を得たジラサウルスもまた、復讐を果たすその時まで2億5000万年の長い眠りに就くこととなった。

 

「これが―――2億5000万年前に起きた”P-T境界”の真実……」

 私がそう呟いた以外、誰も言葉を発しようとはしなかった。水元君でさえ、食い入るようにこの光景を見つめていた。

 

 私達はこの宇宙に眠る大宇宙の真理を何も知らない。宇宙から訪れた邪神の圧倒的な力に恐怖し、絶望し、そして孤独に死んでいく。私達は何も分からないまま、自分たちが何者であるかすらも分からないうちに消えて無に還る。

 しかしあの小さな獣は違う。眼前に待ち受ける邪神が宇宙であるならば、今まさに死を迎えようとしている小さなジラサウルスは地球、大地の権化のように思えた。あまりに広大で空虚な大宇宙にとって考慮にすら値しない小さな黒い影が、しかし自らを喰らいつくそうとする大宇宙に牙を剝いているのだ。宇宙からの侵略者に蹂躙された大地の怒りは現世と万物の理すらも超えようとしている。正気ではない。たかだかいち惑星の意思が宇宙に叛逆しようなどと!

 

 ―――その叛逆の答えは2億5000万年経った今、明らかになろうとしている。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 真っ白な閃光と共に私達は現実世界に引き戻された。耳には相変わらずけたたましい"這い寄る混沌"の笑い声が響いているが、目前にはもはやその姿はなかった。いつの間にか倉庫の天井は吹き飛び、私たちの周囲に瓦礫となって積み上げられていた。周囲を見渡せば、ルルイエの暗黒都市と薄暗い太平洋の大海原が視界には収められていた。そして、邪神は私達から1里もない程の距離にまで近接しつつあった。その巨体は悠然と私達の目前にまで迫り、私たちの前方の視界をほぼ埋め尽くしていた。

 しかし、そのような絶望的な存在が目の鼻の先にまで迫っている状況でさえ、私達の関心は他にあった。私達の目の前に私達自身の影が降り、周囲は青い光に満ちていた。それは、私達の真後ろに青く輝く何かが存在していることを如実に示していた。由良さんが背後を向き、それに続いて私も後ろを見た。水平線の間際に位置する遠くの水面が、青い光とともに激しく湯気を放って沸騰していた。邪神がこちらに進んでいたのは、私達を捕食するためではない。初めからあの光の主を迎え撃つためだったのだ。

 

「来た、遂に来た――――大戸島(わたしたち)の神様」

 由良さんがぽつりと呟いた瞬間、その光は真っ白な閃光となって私達の視界を白に染め上げた。

「伏せて!!」

 私が由良さんや与崎さん、その他僅かに生き残った大戸島の人々に向けてそう叫ぶことができたのは、つい数日前に依諏間島で同じような状況を目撃したからであった。白い光の後に訪れるのは、凄まじい衝撃波。私達は悲鳴を上げながら床に伏せた、倉庫の重い石壁が私達の背を守っていたからこそ私達はこの衝撃波の影響をさほど受けずに済んだのだろう。およそ1分間吹き荒れた衝撃波による暴風は、邪神の足元を闊歩していた深きものや落とし子達を空へ巻き上げ、一部の落とし子は風圧だけで身体をバラバラに引き千切られていた。一方の邪神はというと、太平洋を臨むルルイエの坂の途中で立ち止まり、眼前に立つ敵を見据えていた。

 

 爆心地から、2億5000万年前の夢の世界で邪神が落着した際に見たものよりもさらに巨大なキノコ雲が、赤々とした光を纏いながら天空に向かって膨張していった。そして、未だ赤く輝くその根元に一つの影が立っているのが見えた。あまりにも巨大なキノコ雲に比べてその影は一見すると小さく見えた。しかし、深紅の炎の柱の前に立つ影はくっきりと己の存在を世界に示し、見るものに本能的な恐怖を与えるに相違ない。

 足音と共に大地が揺れる。その影が一歩進むたびに煮えたぎる海から上体が露わとなり、それは真っすぐこの暗黒都市ルルイエに進みつつあった。依諏間島では漆黒の闇の中、遂に見ることが叶わなかった巨神の真の姿がそこにはあった。

 真っ黒に焼け焦げた焼死体のようにも、溶岩がそのまま冷えたような荒々しい岩肌のようにも見える肌も、青々と煌めく炎のような背鰭も、怒りと絶望に満ちた形相も、2億5000万年前と何一つ変わっていなかった。気が遠くなるほどの時間が気が遠くなるほどの力を彼に与えたことを除けば、本当に何も変わってなどいないのだ。

 

 しかし私には、この恐るべき巨神がどうしようもなく哀れな存在に思えてならなかった。”這い寄る混沌”の玩具となり、仲間達もとうの昔に死に絶えた世界で、自らは死ぬことさえ許されずただ悠久の時を生きながらえる―――それが一体どれほどの苦痛であるか、そのような運命を背負わされたことがどれほどの絶望か、たかだか100年足らずしか生きられない私達人間には永遠に理解できる日は来ないだろう。彼はペルム紀末期の滅びの日に、邪神の膝元で死するべきだったのだ。ただ運命に魅入られたがゆえに終わりなき苦痛を今も繰り返している。今更邪神を滅ぼしたとて、もうこの地球に彼の仲間はいない。彼が生前の平穏を取り戻すことは永遠にないのだ。

 だが、それを知ってもなおその目には些かの迷いも悔いも無かった。例え呪われた運命であろうと、神々の戯れに供された傀儡であろうと、そんなことは彼にとって些末な事実に過ぎなかった。ただ2億5000万年の間耐え続けた屈辱と復讐心だけがその身体を動かし続けていた。全ては目前に復活を遂げた大いなる邪神を、その肉片一つすら現世に残さず滅するため。愚かにも地球に戦いを挑んだ大宇宙の侵略者に、考え得る最大の苦悶と絶望をもってその報いを受けさせるため。

 

 天を引き裂くような怒りの咆哮がこの空間を埋め尽くす。世界が終わる。全てが滅びる。最早その怒りからは何物も逃れられはしない。神でさえ、逃げられる手段など無い。ましてや人類如きにその怒りを逃れる術があるなど想像することすら烏滸がましい。

 そこに立つのは、現世において途方もなく小さな惑星から発された、現世で最も大きな怒り。生きながらにして神へと到達した獣―――ゴジラ(God-Zilla)だった。

 

 

 ゴジラの咆哮に呼応するようにルルイエの主・クトゥルーはその翼を全開に広げ、島全土を揺るがすほどの唸り声を上げた。ルルイエの丘の上からゴジラを見下ろす邪神は、さながら2億5000万年前に山頂から彼を見下ろした時と同じ光景を見ていたことだろう。

 

「来た―――遂に来た! 大戸島(私達)の神様、呉璽羅(ゴジラ)が!」

 邪神の足元で瓦礫の陰に隠れる私達は最早地虫程度の存在ですらなかった。そんな中で由良さんだけが無邪気にはしゃいでいた。何故、彼女がゴジラの到来を喜ぶことができるのか、私には分からない。ゴジラの到来によって目前の邪神の興味がそちらに向くという意義はあるかもしれない。しかし、ゴジラは私達の救世主などではない。彼はただ怒りのままに、全身全霊でクトゥルーを地獄に叩き落そうとしているのだ。私たち人間など認知すらしていない。

 むしろこれは、人類の滅びが確実に迫っていることを私達に示す災厄なのだ。大いなる力と力の衝突を前にして、私達人類は跪くことさえ許されない。ただ恐怖と絶望のままに蹂躙されるだけなのだ。

 

「美しい……。全部、全部滅びるんだ。私達の神が、全てを滅ぼしてくれるんだ!」

 由良さんは大きく目を見開いて、虚空に向かって叫んだ。私は理解した。何故、彼女が邪神を前にしてもしばらく正気を保てていたのか。それは”這い寄る混沌”のテコ入れなどではなく、彼女自身が()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。大戸島で会ったお爺さんも、ゴジラによる滅びを当然のものとして受け入れていた。魚人間―――深きもの達が邪神を信奉していたのと同じように、大戸島の人達もゴジラを心の奥底で信奉していたのだ。ゴジラの実在を信じていなかったはずの彼らは、実のところずっと昔からこの”滅びの日”を心の奥底で待ち望んでいた。そう刷り込まれて生きてきたのだろう。

 

『この子は一緒に死線を潜り抜けたダチなんだ、こんなとこでエサになんてさせるかよ!』

『堂本やみんなの分まで生きろよ!! 生きて真実を持ち帰るんだろ!!』

 

 だが、それと同時に、彼女が”人として”私を励ました言葉も同時に脳裏に蘇った。由良さんはまだ、人と神の狭間で揺れているのだ。

 

「黙りなさい! アレが、救いの神なものですか! 依諏間島の罪なき人々を虐殺したアレが、救いの神だなんて、そんな戯言は―――」

 与崎さんが怒りの言葉を吐きながら満身創痍の身体で由良さんに掴みかかる。私の脳裏に、つい先ほど見た戸村さんとパトリックさんの最期がフラッシュバックした。このままではまた、二人とも死んでしまう。もう、同じ結末を繰り返させてはいけない。私は二人の頭を両脇に抱えて地面に伏せさせた。その直後、衝撃波に吹き飛ばされてきた瓦礫が私達の真上を通り過ぎた。

「っ……!」

 たった今間一髪で死を回避したという恐怖が―――少なくとも与崎さんについては―――彼女の精神を正気に戻した。由良さんは涙を流しながら壊れたように笑っていた。だが、私は諦めない。どれだけ絶望的な状況であろうと、どれだけ弱く愚かな存在であろうと、人間として前に進まなければいけない。もがききらなければいけない。

 

 私達の視界が暗黒に支配された。私達の頭上を、邪神の巨体が通過していた。邪神の足が私達を踏み潰さないことを神に―――いったいどの神に祈ればよいのだろう?―――祈った。邪神は既に足を地面から完全に離していた。巨大な翼を広げてルルイエの高台から海に向けて滑空していたのだ。その巨体はゴジラに向かって突撃する。同時に、邪神が引き連れた落とし子や深きものどもも海に潜り、怒りの巨神に向けて突撃を開始した。

 

 ―――今まさに始まろうとしているのだ。神と神の頂上戦争。地球の命運と支配権を賭けた最初で最後の大戦争が。

 

《Episode G: 完》




今回でEpisode Gは完結し、次話から最終部であるEpisode GVCに突入します。
来週は情報のまとめとしてEpisode G終了時点での登場人物や設定のまとめを投稿し、そこから若干時間を空けて最終部の投稿に移りたいと思います。
完結まで残り少しです。何卒最後まで宜しくお願い致します。
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