ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe- 作:江藤えそら
ゴジラ-0.0を見てきた勢いで書き上げました。
Episode GVC-1 狂い裂く青閃
◆◆◆
僕の眼前で黒き神が海を割って現れた。
今や我らの神と黒き神はこのルルイエで最後の決戦に臨もうとしている。二つの巨大な力が衝突しようとしている大海原とルルイエを、僕は魂となって上空から眺めていた。僕が霊体のような形で存在できているのはひとえに我らの神の魔力によるもの。万が一にも我らの神が敗北、あるいは劣勢に追い込まれるようなことがあれば、僕の精神は消え、本当の意味で僕は死ぬ。しかし、その前に神と同一化すれば、僕の自我が消える代わりに精神は生き延びる。
「何を躊躇っているのだ?」
僕のすぐ横から声がした。そこにいたのは、同じく精神体となった戸村さんだった。しかし死して間もないからか僕のように肉体の像は存在せず、虚空から声だけが聞こえる。
「さっさと神と完全同化すればよいものを、何故外に留まっている? 私は先に行くぞ。今しがたちょうど肉体も失ったところだ」
「…何故でしょうね。僕にも分かりません。ただ、あの人達ともう少しだけ話していたい……そんな魔が刺してしまったんです」
歯切れの悪い回答を返すことしかできなかった。僕は何度も萩本さん達の夢の中に現れ、彼女達を同胞に引き込もうと画策した。しかし彼女達は未だにそれを拒み、まだ肉体をもって抵抗を続けている。僕は彼女達に嘘を付いている。実際には僕はまだ神と完全には同化していない。いわば、"同化保留"というような状態だ。いずれにせよ、神の力が弱まれば既に肉体的に死んでいる僕は消えるだけだ。
「愚か者め。まさか人間に絆されたか?」
「――そんなに人間が嫌いなんですか? あなたは僕と違って純人間だったのに」
神の元へ向かっていく霊魂に向け、僕はそう言った。戸村さんは肉体的には人間だったが、精神は既に後に引けぬほど神に近付いている。もはや僕の同胞……深きもの達と同じように精神体として存在し、邪神と同化することすら可能となった。一方で、明確にその道を拒んだパトリックさんの精神は肉体の死と共に消えた。彼は"人"として死ぬことを選んだのだ。
「ああ。私は人間がたまらなく憎い。だから今は肉体から解放されてとても清々しい気分だ。ようやく私は神と、同胞達と一つになれる。むしろ何故君がそうしないのか不思議だ。中途半端に人間として生きたせいで、人間に情が湧いたのか?」
「……」
その問いに即座にNOと答えることはできなかった。ただ、人間に絆されたとか、情が湧いたとか、そういう表現は正しくないように思えた。人間に情があるのではない、人間に対しても深きものに対しても、僕は強く思い入れることができないのだ。幼少期の記憶もなければ学生時代の記憶もほとんどなく、気付けば大学生として生きていた僕に、「自身が何者か」などという問いはあまりに高尚で難解だった。この身体に流れる血は確かに僕の出自を示していたし、実際僕はそれに従って死後は萩本さん達を"こちら側"に誘おうとしていた。
しかし、今となってはそれも方便に過ぎなかったのだと思う。僕は、
邪神に取り込まれれば、僕の自我は消える。仮に精神が死なずに済んだとしても、自我が無ければ死んでいるのと変わらない。僕にはそれがたまらなく惜しい。"怖い"のではなく、"惜しい"という感覚なのだ。けれど、こんなことを考えてしまうのも、きっと人間に毒され過ぎたせいなのだろうと思える。
「……まあいい、どうせ君は神と同化しなければ消えるだけの運命だ。君に選択肢はない。私は先に行っているぞ。全ては神の御心のままに」
「戸村さん、短い間ですけどお世話になりました。統合調査団の活動、不謹慎かもしれないですけど……楽しかったです。本当に、楽しかったんです」
僕がそう告げたが、それに対する答えは返ってこなかった。戸村さんはもう邪神と同化したらしい。僕はこれからどうするべきなのだろうか。本当に僕に選択肢は無いのだろうか?
◆◆◆
私達が伏せている場所を取り囲むように建っている岩壁の残骸には、お誂え向きに海の方を覗ける穴が開いていた。その穴越しに、たった今私たちを飛び越えて滑空していく邪神と、その向こうに立ちはだかるゴジラの姿が見えた。邪神の滑空によって押し出された空気が暴風となって私達の身体を押し包む。私達には必死に岩壁にしがみつきその場を保つことしかできなかった。
視界の奥から自らに向けて飛来する邪神を前に、ゴジラは泰然自若と身構えていた。未だ赤々と光るキノコ雲をバックに、ゴジラは次の攻撃に移るべく動き出す。既にその肉体は浅海部に到達し、足元を除いて全身が海上に露出していた。
ゴジラの巨大な尾の先端部が強烈な青い光を蓄える。尾の先端を囲うように稲妻が走り、その光と稲妻は重低音を響かせながら尾の根元へ達し、そのまま背中を駆け上がっていく。炎のように天高く突き上げられた背鰭は、光がそこを通過すると呼応するように輝かしく煌めき、稲妻を纏う。やがて光がゴジラの頭部に到達すると大きく口が開かれ、喉奥から青色超巨星を思わせる青白い光が満ち、次の瞬間―――――青い閃光が筋となって空に渡された。
「!!」
咄嗟に地に伏せていなければ、私達の目は即座に焼かれていただろう。戦時中、原子爆弾の直撃を受けた人々を除けば……これほどの近距離で核爆発を目にした人間などいない。あまりに冒涜的で、残虐な光が幾多の化け物達とルルイエの岩肌を一瞬で焼き尽くした。私達は岩壁の"日陰"になることで辛うじてその閃光から焼かれることを防いでいた。そして、その閃光の中心から伸びる熱線の本体は、青白い筋となって真っ直ぐにクトゥルーの肉体を貫いた。
ゼリーのような反液状の肉体には身体を縦に貫くように風穴が空き、続けて光の筋を中心として円筒形に大爆発が起きた。熱線に貫かれたクトゥルーの肉体は四散し、一つ一つが数万トンの肉塊となってドボドボと海に落下した。その後、再び凄まじい爆風がルルイエを覆い、辺りを瓦礫が包んだ。
誰かの悲鳴が響く。このあまりに心許ない瓦礫の壁の中で、私達はただ身を伏せて自らの頭上に瓦礫が降り注がないことを祈ることしかできない。まさに神の武力同士がこの地球上で衝突している。我々人間に生きる術など無いのかもしれない。運悪く瓦礫の隙間から爆風を身に浴びた誰かが、金切り声と共に遥か高空に吹き飛ばされていった。そんな姿を目の当たりにしても、誰も不幸な犠牲者に意識を払うことはできなかった。ただ僅かに残った生を掴んで離さぬよう、必死に床に這いつくばることしかできない。かく言う私の身体にも細かい石ころが何度も当たり、手足や脇腹に激痛が走っている。それでも声一つ上げることができない。やがて爆風が勢いを弱めると、今度は爆心地に向けて風が吹き戻っていった。私はやっとの思いで顔を上げ、瓦礫の隙間から爆心地たるゴジラの方角を目にした。最初に発生したキノコ雲の残骸がまだ背後に残っている中、さらに新しいキノコ雲がゴジラの真上に出現し、赤々と高空に広がりつつある。そしてゴジラの前方の海は煮えたぎり、夥しい数の海洋生物と"深きものども"の死体、そしてその残骸が浮かび上がっていた。
「し、死んだ…?」
与崎さんが煮えたぎる海を見つめて恐る恐る呟く。その言葉には、恐るべき邪神がこの一撃で完全に死したという結果に対する期待が込められていた。しかし、すぐにその淡い期待は裏切られることとなる。クトゥルーが落下した海面下から、すぐにその肉体を形成していた肉塊が突き出てきたのだ。それら肉塊はムクムクと粘土のように同種の肉体と融合し、あっという間に元の体積を復活させた。
そして、再び背鰭を青く発光させたゴジラも異変に気が付いた。邪神の命を受けルルイエを出撃した暗黒星ゾスの落とし子達が、熱線に焼かれ大量の犠牲を生みつつもなおも突進を止めることなく大挙してゴジラの身体によじ登り、ゴジラを埋め尽くそうと融合を始めたのだ。ゴジラは依諏間島で見せたようにその巨腕で落とし子達を容易く引き千切り、海に叩き落とす。しかし落とし子達の進行速度はゴジラの挙動速度を大幅に上回っていた。あっという間にゴジラの肉体は落とし子達の粘液質の肉体に覆われ、尾の先端部を除けば口の先に至るまで覆われ尽くしていた。そして、その間に邪神本体が肉体の修復を終えて再度の進撃を開始しようとしていた。
粘液質の肉塊に覆われたまま、ゴジラの全身が胎動する。肉塊の中から突き出た尾の先端が先ほどと同じように電撃を帯び青く光る。しかし、今回はその光は背を駆け上がるのではなく、身体の奥底へと沈み込んで手足の末端まで到達した。まるで全身が生きた電灯と化したように、粘液質の肉塊に覆われた巨躯が余すことなく青色に輝く。
そして、再び青閃が大理石を焼く。ゴジラ自身の肉体を爆心地として、熱線とはまた異なる核爆発が、まとわりつく肉塊達を余すことなく焦げた残骸へと変えた。それら残骸が吹き飛んだ後には、身体の各所からひび割れのように青い光を漏れさせたゴジラの姿が現れた。そのひび割れも、見る見るうちに自己修繕され元の黒い岩肌へと回復していく。
そうしてゴジラが次の敵を見据えるべくルルイエの方角を振り向いた時、既に肉体の回復を終えた邪神は海から全身を露にし、ゴジラの目前にまで迫っていた。
「ハハ………行ける…! 勝てるよ、ゴジラ!」
由良さんが壊れたように……いや、実際に壊れているのだろう。笑いながらそう言い放った。
「勝って…どうするの…? このままじゃ全員死ぬ。ゴジラかクトゥルーか、どっちかに全員殺されるんだよ!」
私は感情を爆発させながら叫んだ。しかしこの叫びにも何の意味もない。叫んで助けが来るならいくらでも叫ぶが、この絶海の島に助けなどいない。先ほどこの島に狂信者達を呼び寄せていたワープホールのような扉も、どこにも見当たらない。この島から流れる手段など何もない。それでも、ただ自暴自棄になって死ぬのは嫌だ。パトリックさんが最期まで足掻き続けたように、私も最期まで足掻きたい。彼に託されたスマートフォンをポケットの中で握りしめ、私は何かこの状況を挽回するヒントがないか立ち上がって辺りを見回した。その答えは思わぬところから現れた。
「萩本さん。あなた達がこの島から脱出することは不可能です。ただ、今この場を生き残る方法なら一つ、思い浮かぶことがある」
それは、私の目前に唐突に浮かび上がってきた水元君の幻影だった。幻影とはいえ、邪神の干渉が最大限に強化されたことで、この場にいる全員がその幻影を認識することができているようだった。最早、このホログラムのような彼が現れるという超常現象には誰も驚くことが無くなってしまった。
「今更、何をさせようって言うの?」
私は敵意と共に彼に言い放つが、彼はバツが悪そうに少し俯いた後、顔を上げて続きを言った。
「僕達の神…クトゥルーはこの場にいる人間を見逃さない。けれど、ゴジラは違います。少なくとも、今この瞬間は……人間を明確な標的としているわけではない。クトゥルーとその眷属が滅びれば、ゴジラは去るでしょう。あなた達が生き残ることを最優先に考えるのなら、ゴジラに勝ってもらうしかありません」
「……あなた、自分が何を言っているのか分かっているんですか?」
与崎さんが驚きと共に言った。私も同じ心持ちだった。まさか水元君がゴジラの勝利を期待するような発言をするなど。これまでの彼の言動とはまるで違う。
「どういう風の吹き回しなの、水元君……何を企んでいるの?」
そう言われると水元君は苦笑いと共にこう答えた。
「僕だって心変わりくらいしますよ。
「……?」
予想だにしない言葉が返ってきたことに、私を含む誰もが言葉を失った。
「いえ……今は問答をしている時間はありません。言いたいことがいろいろあるのは分かりますが、一旦僕の話を落ち着いて聞いてください。このままではゴジラは敗北します。いえ、敗北するというよりは……
「勝利できない…? どういうこと?」
彼に対して浮かんだ数々の疑問や疑惑は、彼自身の言葉によって遮られた。そういったものよりも私の関心を引くものがその言葉には秘められていた。
「我らが神クトゥルーは、星辰の一致によって耐えず母星ゾスから魔力の供給を受けています。その魔力が絶えぬ限り、どれだけの力をもってクトゥルーの肉体を破壊しようとも、無限に再生することが可能なのです」
そう言って水元君は真上に向けて指を立てた。その指の先を視線でなぞり、私は思わず短く悲鳴を上げた。ルルイエの上空には、満月の十倍ほども大きく一つの惑星が浮かび上がっていた。背後の星団から淡い光を受けて黒いシルエットとして浮かぶその惑星は、真っ直ぐに地球の上空に鎮座していた。その星の周囲は、ブラックホールが周囲の光に対して及ぼすような円形の歪みに覆われていた。
「今、クトゥルーの魔術によって、このルルイエの上空においてのみ、ゾスと地球との間にある空間が大幅に縮んでいます。上空から注ぐ魔力はまずルルイエに滞留し、そこからクトゥルー自身に供給されています。しかし、その供給のルートをどこかで断てば、再生と供給のスパイラルは中断される」
水元君は早口で次々にそんなことを話していった。
「クトゥルーの精神と半同化状態になることで、そこまでは探ることができました。そして、その具体的な方法については」
「この島……ルルイエを先に壊せってことね」
水元君の言葉を遮るようにその声を発したのは、先ほどまで壊れたように笑っていた由良さんだった。
「あのバケモノが速攻でこの島を飛び立った理由が分かったよ。アイツはゴジラにこの島を壊して欲しくないんだ。だから島から離れて、戦場を海に移した」
由良さんがそう言うと、水元君はそれに補足を与えた。
「ええ。その通りです。我らが神クトゥルーは、ゴジラにルルイエが破壊されることを恐れている。ルルイエは太古の昔、クトゥルーが最初に飛来した際にその眷属達が真っ先に建てた都市。ルルイエはいわば"ゾスから送られた生の魔力"を"クトゥルーの身体に合った魔力"に変換する変圧器のようなものです。ルルイエが壊れれば、ゾスからの魔力はクトゥルーに吸収されることなく漂うことしかできない」
邪神と同化することによって得た知識を、水元君は惜しげもなく私達に伝えた。彼の言葉が本当ならば、邪神はルルイエを決戦の場から外そうとしていることになる。そしてその仮説は、戦いが始まってからの邪神の動きと矛盾は無い。
凄まじい衝撃音が鳴り響く。互いに肉体が触れ合う距離にまで近接した邪神と巨神は、真っ向から四つに組んで肉弾戦に突入しつつあった。クトゥルーが両腕と無数の触腕をもってゴジラの両腕に掴みかかるが、体格に劣るはずのゴジラは容易く邪神の腕を根元から引きちぎり、海に叩き落とす。返す刀でそのまま邪神の腹に両腕を突っ込み、左右に肉体を引き裂いた。ゴジラの咆哮と共に、またも邪神の身体はバラバラの肉片へと姿を変える。しかし残った頭はゴジラの頭上から降りかかり、ゴジラの頭部と背鰭に喰らいつく。千切れた肉片はゴジラの身体を這い上がり、まだクトゥルー自身の肉体を完全に形成できていないまま巨大な翼を生やし始めた。
ゴジラは先ほどのように口を閉じて全身を青く発光するが、その光は先ほどよりも暗く、爆発は起こらない。ゴジラ自身がまだ爆発を起こすに足るエネルギーを蓄積するに至っていないことが理解できた。そしてゴジラを内に取り込んだままクトゥルーの翼は大きく羽ばたく。もはやルルイエにも吹き飛ばされるほどの瓦礫は残っていなかったが、またもや私達は廃墟の影に忍び込んでその風圧に耐える他なかった。
やがてゴジラと共にクトゥルーの全身が宙に舞い上がる。ゴジラはその怪力で手と尾の届く範囲で肉片を引き剥がそうと試みるが、死角から次々に纏わりつく肉片を排除できずにいた。彼らの姿は高く高く空へと昇り、暗黒星ゾスのシルエットの中に浮かぶ小さな点になりつつあった。
「…由良さん、与崎さん。生存者たちを相対的に安全な場所へ誘導お願いします。崖上のここよりは崖下の方が爆発などの影響は受けにくいはず」
私が頭で何かを思うよりも先に、その言葉が私自身の口から放たれていた。
「貴方は……どこに行くのですか?」
与崎さんは至極当然の問いかけを私に投げかけた。そこで私は我に帰る。しかし、もうここまで言ったのでは後戻りはできない。
「私はルルイエの中心に向かいます。ここは超文明都市。何かゴジラの注意を引きつける物体でも見つかれば、ルルイエを壊してもらえるかもしれない。水元君は何か心当たりは?」
「…残念ながら僕が得た知識の中には、さっき言った以上のものはありませんでした。ルルイエ内のアーティファクトについては、クトゥルーよりもその眷属が管理していたようですから。行って確かめるしかありませんね」
水元君の言葉に、「やっぱりそうなるよね」と私はため息をついた。怖くないはずがないのだが、不思議とこれまでよりは気持ちが軽い。"這い寄る混沌"による精神操作を受けているというのもあるかもしれないが、それとは別の要因があるようにも思える。
「いけません! 仮にそういうものがあったとして、貴方がこの都市ごとゴジラに焼かれるだけですよ! どうしてもと言うなら私が行きます」
与崎さんがそう言って前に進み出る。彼女もこのような状況なのに正義感が強い人だ。
「足が悪いあなたにこそ任せられませんよ。私が適任です。それに、貴方にはもっと大事な役割を任せたいんです」
そう言って私は懐から一つのスマートフォンを取り出した。先程からバイブレーションと共に途切れ途切れの音声を鳴らしていた、パトリックさんから託されたスマートフォンだ。
『(こちらアーカム! アーカム! パット、応答しろ! お前の座標情報が狂ってる! 南太平洋にいることになってるぞ! イスマ島で、この数日間で何が起きた!? Dr.ドーモトは!? 頼むから応答してくれ!)』
途切れ途切れの英語の音声はそんなことをしきりに叫んでいた。どういうわけか、依諏間島や大戸島で完全に遮断されていた電波がこのタイミングで復活しているのだ。あるいはこれすら"這い寄る混沌"の悪戯なのかもしれない。
「彼らに助けを仰げば、もしかするとこの悪夢の島から脱出できるかもしれません。ただ、助けに来た人達も巻き込んでしまう可能性もあります。助けを呼ぶか、呼ばないかはあなた達の判断にお任せします」
そう言って有無を言わさず与崎さんにスマートフォンを押しつけた。決断を丸投げしたという自覚はある。この恐るべき神の存在が世界に知られたら、この世界は天変地異どころではない騒ぎになる可能性もある。そんな大事な決断を人に投げるのは愚かなことなのだろう。けれど、私には即決できなかった。即座に動かなければいけない状況で即決できないのなら、私が即座にできることを代わりにやるべきだ。そう思っての決断だった。
「由良さん……この人達と与崎さんのこと、頼むね」
きっと、パトリックさんもこんな気持ちだったからこそ、あそこまで勇気ある行動が取れたのだろう。"みんなのために命を賭ける"という自負がアドレナリンとなり、恐怖を薄めている。死ぬということがどういうことなのか、そんな思考は一切停止していた。今まで何かあるたびに脳裏をよぎってきた概念なのに、今はそれを考えないように脳が思考回路を切り替えていた。
「…ごめん。ゴジラを見て、私……ちょっと取り乱してたわ。昔から信奉していた神様が現れて、私も……正気を失いかけてた。本当にごめんなさい。……その上で」
そんな私の言葉を受けた由良さんは、まず私に頭を下げた。その後、真っ直ぐ私の頬を平手打ちした。
「死んでくるみたいなテンションのアンタを行かせるかよ!! 私らは軍人でも自衛官でもねえんだ、お国や世界のために命賭けてやる義理なんてねーよ!! さっさと誘導ライトでも見つけてここ戻って来い!!」
良かった、行くのまでは止めないでくれた。第一に私はそう思った。これ以上問答を繰り広げている時間は無い。私は小さく頷くと、瓦礫を押しのけて廃墟の外に身を踊らせた。
「常にゴジラ達の方見ときなよ!! いつまた爆風とか瓦礫とか飛んでくるか分かんねーから!」
由良さんの言葉を背に受けながら私はルルイエの坂を駆け下る。
ゴジラとの戦争に駆り出された落とし子や深きもの達はルルイエにはほとんど残っておらず、僅かに建物の影で震えている個体が目に映るのみであった。こうして見ると、水元君の言う通り、彼らと人間は大して変わらない。侵略もするし、戦争もするし、戦争に怯える人だっている。そして最後にはみんな仲良く怪物に踏み潰されるのだ。だが、似たようなものであったとしてもなぞる未来は違う。クトゥルーの勝利を願いながら震える彼らと、ゴジラの勝利を願いながら震える私達。最後に安堵のため息をつくのは片方だけだ。残酷だが、それが現実だ。
「仕方ありませんよ。少なくとも今は、侵略しているのはこっち側なので。あなたが気に病むことはありません」
私に着いて来る水元君はどこかあっけらかんとした口調でそう言った。これが私への気遣いなのか、深く考えていないだけなのか、私には分からない。けれど、なんだか今の彼は憑き物が落ちたように晴れやかな気がする。どちらかと言えば、今は彼自身の方が憑き物なのかもしれないけれど。
ふと、空が赤いことに私は気付く。原因は私達のほぼ真上にあった。暗黒星ゾスを背景に、クトゥルーは己に取り込んだゴジラと共に下方への落下を開始していた。自由落下ではない、限界まで下方へ加速度をつけた上で"投げ落とす"肚づもりなのだ。
みるみるうちに彼らの肉体は大気の断熱圧縮に起因する赤い光に包まれ、それは太陽のように眩く白い光へ変わる。それのみならず、音速を超えて落下する彼らの落下軌跡からは円錐型の圧力波が発生していた。
隕石の如き火球を身に纏いながら、両者は空中でなおも揉み合いを続けていた。ゴジラは背鰭を光らせながら口腔部から熱線を放ち、首を右に左に振り払って身体に纏うクトゥルーの肉体を焼き払う。クトゥルーはゴジラの死角となる下半身に向けて残った肉片を集め、その場で肉体を再生した。ゴジラが熱線を吐き終わると同時にクトゥルーはゴジラの身体から飛び立ち、海面すれすれに頭を起こして滑空する。対照的に、音速を遥かに凌駕する速度でゴジラの巨体は浅海に叩きつけられる。海はおろかその下に眠る地殻すら捲り上げられ、周囲に舞う。
凄まじい衝撃に足をもつれさせ、転倒した。膝の痛みに耐えながら私はなんとか瓦礫に手をついて立ち上がる。そして確信した。この戦いは、長くは続かない。早く、早くこの状況を打開しなくては。