ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe-   作:江藤えそら

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前回の投稿からあっさり半年経ちました。もっとペースを上げられるよう頑張ります。


Episode C:深海、そして深淵からの使者
Episode C-1:古よりきたるもの


 この光景が夢の中のそれであるという事実を、僕は不気味なまでに冷静に認識していた。目前には、地球上のどこでも見受けられないであろう不規則ながらも直線的で平滑な図形で構成された大理石の森が広がっていた。それが明らかに自然由来ではなく人工的に形成されたものであることに疑いの余地はないが、しかしてその形状と構造に既知の如何なる人類文明をも連想できない気持ち悪さに悪寒を覚えた。僕が今、夢の中で立っているこの世界は一体どこなのだろうか。

 ()()が聞こえる。その意味不明な発音の連続を何故呪文と認識できたのか、それすら僕には分からなかった。ただ奇怪で不連続な言語が幾重にも折り重なって合唱を形作っていた。この腹の底から冷え切るようなどす黒い合唱の主は一体どこにいるのだろうか。そんな思考をよそに僕の足は前へ前へと進み、大理石の巨大な森をかき分けていく。僕の向かう先に一体何があるのか。そこで僕は何をするのか。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 ()()()()の夢を見た。目覚ましアラームを雑に止め、僕は最低限の身だしなみを整える。すっかり寝不足が定着し、頭が働かない。が、やるべきことはある。

 この薄気味悪い夢を見始めたのが依諏間島統合調査団としての活動を開始したあたりであることに、僕は偶然でなく必然を感じずにはいられなかった。僕は何か知ってはいけないものを知ろうとしているのではないか。僕だけでなく、()()もまた。

 

 僕が居住するアパートから依諏間警察署は自転車で15分ほどの距離にある。まるで学校に通うかのように自然に自転車を駐輪場に置くと、僕は警察署のドアをくぐりロビー横の階段を上がる。時刻は8:27。202会議室の扉をノックし、中の返事を待たずに扉を開けた。

「おはよう、水元君。少し眠そうに見えるがよく眠れているか?」

 僕を出迎えたのは眼鏡をかけた中年の男性―――依諏間島統合調査団総指揮、公安の鳴山穂鉄(なるやま ほてつ)警視正だった。僕がこの調査団に迎えられてから一か月、彼は僕の指揮役として直々に指示を与える立場にある。

「おはようございます…。すみません、少し夜更かしをしました。調査には支障無いです」

 僕は瞼をぱちぱちと開け閉めさせながら答えた。警視庁公安部の課長などという肩書を持つ鳴山さんを目の前にすると、一か月経った今でも慣れることのない緊張に襲われる。

「調査団での活動には慣れたかな? 今日は少し遠いところまで外回りをしてもらう。署の前に大型車両が止めてあっただろう、あれに乗って待っていなさい」

「はぁ…はい、分かりました…」

 緊張があっても、僕の口から出てくるのは気の抜けた返事だけだった。未だにこの不思議な状況に実感が湧かない。ただの学生で一般人の僕が何故このような調査団に同行することになったのか、今でも納得できていない。

 

 事の発端は、あまりに唐突な出来事だった。自宅から通信制の大学で教育を受けていた僕の下に、突然依諏間警察署から電話がかかってきたのだ。警察の世話になるようなことは一切していないため酷く不安を覚えたが、聞いてみればとある調査に協力してほしいという依頼の電話だった。ずっとこの島に住んでおり、この島に詳しい生粋の島民の協力が必要であると。その条件に当てはまるものはいくらでもいるだろうに、何故僕に白羽の矢が立ったのか分からなかった。しかし、後日郵送されてきた案内書に記載されていた報酬額は、バイト程度では到底稼げないであろう程の巨額だった。ますます僕は不審がったものの、発信元が正真正銘の警察署である以上、詐欺の類を疑おうにも疑いようがなかった。

 

 まずは説明会に来てほしいとのことで、調査開始から一週間前に一度警察署を訪れ、説明会に出席した。僕一人しかいない異様な説明会ではあったが。今度本土から派遣される警察官の調査活動ために島の地形や文化、建物などについて適宜説明してほしいという内容だった。調査の内容に関して口外しない旨も説明され、契約書のようなものも書かされた。どうして僕なのか、と問い返したが要領を得た回答は得られなかった。ある程度しっかり受け答えでき、かつ余計な先入観も抱きにくい年齢層の人物を戸籍から洗い出したと言っていたが、それだけで僕一人が選ばれたというのは俄かに信じがたい話だった。

 

 しかし、結局僕は大金の欲に抗えず調査協力を受諾した。よく分からない企業などであれば踏み込まなかっただろうが、警察というれっきとした国家組織が声をかけてきたのだから、少なくとも報酬に関しては正当に支払われることを期待していいだろう。いろいろと気になることはあるが、国家レベルの調査となるとこちらに話せないことも多いのだろう、と都合のいい解釈をして僕は一週間後、再びこの警察署に足を踏み入れたのである。

 

 それから一か月が経った。僕は今でもこの依諏間島統合調査団の一員として活動している。

 

 揺れる車両の中で、僕はぼんやりと車窓の外に広がる海を眺めていた。あまり眠れていないのに、不思議と眠気に支配されることはなかった。車両は海岸を進み、この島のどこかへと向かっている。この島で20年生きている僕には大抵の場所に土地勘はあるが、それでも今向かっている場所は島の中でも相当な辺境だ。一体、この調査団は何を調査しようとしているのだろうか。

 

 車両が目的地に到着すると、物々しい警察官たちに紛れて僕は車両を降りた。ここは島の最南端に位置する高地だ。海から切り立った急峻な崖の上、海抜数百mにも及ぶここは島の他の場所とは違い、赤茶けた土と幾層にも積み重なった地層が見られる。しかし建物という建物はなく、人が訪れる用事など到底考えられない場所だ。こんな場所で何を調べるのだろう?

「水元君か。ご苦労」

 不意にかけられた言葉に僕は振り返る。鳴山さんの直属の部下で統合調査団のサブリーダー的な立ち位置にいる公安の戸村握人(とむら あくと)警部だ。既に土埃が少し付着したコートを風に靡かせながら、彼は近くに設営された即席の調査キャンプを指差した。

「本日はこの場所での調査に同行してもらうが、なにぶん危ない場所だ。指示があるまで調査本部で待機すること」

「おはようございます、戸村さん。はい、了解しました…」

 この調査団で僕が命じられている最大の掟は、調査への疑問を口に出さないことだ。ただ言われたことに答え、言われたことをする。いろいろ気になることはあれど、僕は調査本部と呼ばれた場所へと歩く。周囲には見張りの警察官の他に、白衣や作業着を着た男女がせわしなく物を運んだり会話したりしている。

 

「よう、ボウズ。朝っぱらからこんなトコまで大変だな」

 鉄パイプの柱に貼られたテントの下には机と椅子が置かれ、そこには色付き眼鏡をかけた中年男性が座っていた。手元のタブレットを弄りながら僕に声をかけてきた彼は調査団員の一人、地質学・古生物学者の堂本秀雄(どうもと ひでお)さんだ。彼とはこの一か月ほとんど行動を共にすることはなかったが、最初に挨拶をした時以来やけにフランクに絡んでくる傾向がある。少し苦手な人、というのが正直なところだ。

「…おはようございます。あの、僕は何をすれば」

「まあ座れよ。まずは俺とお喋りだ」

 堂本さんに言われるがまま、僕は荷物を机に置いて椅子に座った。風が強く、下手に口を開けていると土埃が入ってきそうだ。

「この一か月間どんなコトしてたんだ? 町の案内とか文化の紹介とかか? 戸村は優しくしてくれたか?」

「え? えぇ、まぁ…」

 一気に質問攻めにされ、僕はその勢いに気圧されておどおどと返事をするばかりだった。確かにこの一か月間で僕がしたことは、警察官への聞き込みへの同行と、街の状況や島内の学校などの案内がメインだった。正直、なんでこんなことのために僕を雇ったのか分からなかった。

「お前、まだこの調査団が何調べてるか知らないだろ? 知りたいか?」

 唐突に堂本さんはずっと僕が気にしてきたことを言葉にした。どくり、と心臓が脈打つのを感じた。彼は僕の知らない何かを知っている。しかしそれは同時に知ってはいけないことへの誘惑にも思えた。

「…それは僕が知ってもいいことなのでしょうか」

「大丈夫だ。誓約書は書いたんだろ? この調査団以外の奴に漏れなければ問題はない」

 そう言って堂本さんは僕の耳に顔を寄せた。

 

「―――この島には、”誰も見たことのない巨大生物”がいるんだよ」

「……はい?」

 間の抜けた声が出た。それほどに、彼の発した言葉に現実味がなかったからだ。

「はっ、本当に何も知らされてなかったんだな。まあそれもそうか。お前はただの一般人だ。でもよ、お前少しは気にならなかったのか? この調査団が何してるか知らないままずっと仕事してたのか?」

「そりゃあ、気になりましたけど…なんとなく聞いてはいけないような気がして」

 僕がバツが悪そうにそう応えると、堂本さんは呆れたように笑った。

「お前、そんなんだと詐欺とかすぐ引っかかるぞ? 国の招集だからって安全だと思うのは頭がお花畑すぎるな。今更かもしれんがコイツは相当危険な調査だぞ」

 堂本さんの話している内容は本来とても深刻なはずだが、彼の飄々とした態度がそれを感じさせなかった。

「…そう、なんですか?」

 僕が訝し気に問うと、彼はニヤリと笑いながら両手首をくっつけ、手錠をかけられるような仕草をした。

「ああ。鳴山のゴキゲンを損ねたらすぐコレだぞ。国が気に入らねえと思えば公安なんて冤罪でっちあげてでも逮捕してくる連中だからな」

「随分好き勝手言っているようだが、偏見を刷り込むのはその辺にしてもらえるか?」

 威圧的な声とともにテントの中に戸村さんが入ってくると、堂本さんは肩をすくめて黙った。

「さて、水元君。我々もそろそろ腹の内を明かさなければいけない段階になった。今彼が言った通り、我々の目的は依諏間島に潜む可能性のある巨大生物の有無を確認することだ。今行っている地質調査もその痕跡を探るものとなる」

 戸村さんは椅子の一つに腰かけると丁寧な物腰で僕に告げた。にわかに信じがたい言葉の数々に僕はリアクションを取ることすら億劫になっていた。

 

「まず、これまで明確に説明できていなかったことは詫びよう。なにぶん公にすると社会に大幅な混乱をもたらす恐れがあるのでね。誓約書を書いてもらったとはいえ、ギリギリまで打ち明けるのは控えていた」

 戸村さんは僕に神妙な目でそう告げると、続けざまに堂本さんの方に向き直る。

「それで、先日の化石について何か分かったか」

 堂本はため息とともにタブレットを指でなぞり、情報を確認しているようだった。

「今朝までのサンプル数は13だが、同一の生物かどうかは分からん。だいぶ古い層からもまちまち見つかってるが、一番多いのはP-T境界層直前のペルム紀末期の層だな。カスト状の骨格化石はなく石板に写り込んだモールド状の化石しか見つかってねえことから恐らくは骨格を持たない軟体生物だ。共通しているのは多数の触手と長い胴体。稀に翼のような薄い膜状組織の影が張り付いたやつもある」

「…つまり、現在発見されている生物との一致は見られないということか?」

「ああ、そうだな。分かりやすく言うならコイツは”デケえウミユリみたいな何か”だ。学会に持ち込んでいいか? 大発見もんだぜ」

 最後の言葉は冗談なのだろう、堂本さんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。しかしその一方でタブレットを持つ手が微かに震えているようにも見えた。彼自身、学者としてこれまでの常識を覆すような発見がされたことに驚いているのかもしれない。

「あー、それとよ…もういっこ面白えモンが見つかったんだ。これはクチで言っても伝わりそうにねえから実物見せてやるよ、来な」

 そう言って堂本さんは立ち上がり、発掘現場へと僕達を案内した。

 

「…順番が前後してしまったが、つい先月この島で『巨大生物を見た』という通報があった。その前後、この島で不可解な事件がいくつか発生した。…例えば、この島と属島の大戸島で警察官が1名行方不明になった、とかな。それでいろいろあって本当にそんな生物がいるのか調査が必要になったというわけだ」

 発掘現場までの道中、戸村さんが僕に事のあらましを説明してくれた。が、どうも自分の中で話が繋がらない部分ばかりだ。巨大生物の通報とその後の事件の因果関係も分からないし、何故巨大生物の捜索が必要と判断されたのかも。恐らく戸村さんは情報を取捨選択してぼかしながら僕に伝えているのだろう。

「仮にそんな生物がいたとして……先日までの街頭調査って、この巨大生物調査に関係あったんですか…? それに、『巨大生物を見た』っていう通報をすんなり受け入れてるのも…なんていうか不思議だなと…」

「ハハハ、いいぞボウズ。その調子で気になるトコはどんどん詰めてけ」

 堂本さんが笑うのとは対照的に、戸村さんの顔は厳しいままだった。

「この一か月間君や街の人に聞き込みをしていたのは、この島に広がっている特定宗教で祀られている神体と、その巨大生物の証言上の姿が一致していたためだ。…調査を初めて最初にヒアリングしただろう? 外国人たちが行っている儀式について」

「え? ああ……」

 僕は思い出す。この調査団に加わって最初に問われたこと、それは島に広がっている新興宗教についてだ。この島は昔から日本人より外国人が多く、彼らが海辺で何か儀式のようなことを行っているらしいことは子供の頃からうっすら知っていた。しかし日本人より外国人の方が宗教意識が強いであろうことは半ば常識として認識していたし、そこに違和感を覚えたことはなかった。小中学校の頃の同級生にも外国出身の子が結構な数いたが、あまりそう言った宗教じみた話をすることもなかった。

 この一か月間で警察官の聞き込み調査をしている間も、僕と同じような証言をする人ばかりだった。かつての同級生にばったり出会って驚かれることもあった(警察官と一緒にいるのだから無理もない)。しかし不思議だったのは、そういう宗教を信仰しているであろう人には全く出会わなかったことだ。確かに何かしらを信仰している人が結構な数いるらしいという認識は昔からあったのだが。

 

「…それで、宗教がらみの聞き取りをしてたんですか。そのご神体ってどんな姿なんですか?」

 一度謎が解けだすと歯止めが利かず、気になっていることは全て聞いてしまうことにした。が、戸村さんは険しい顔のまま首を横に振った。

「あくまでも信憑性の低い複数の証言があるだけだ。情報の確度が上がる前に伝えるのは先入観や誤解の元になる。だが一つ私が推測しているのは、このデカいウミユリとやらとは恐らく違う姿だということだ」

「そうですか……。ちょっと質問変わりますけど、何故化石の調査を…? 目撃証言があるってことは、その巨大生物は今生きた状態でいるんですよね?」

「もちろん海自に海中ソナー探索もさせている。そちらが本命の調査だ。島内の探索も陸自の別動隊が行っている。ただ、存在の確固たる証拠が掴めるまではことを公にできない、つまり住民の避難もさせられないし、駆除などの対応もできない。証拠もなしに未知の生物がいますなどと言えば混乱をもたらすだけだからな。そこで依諏間島統合調査団が組織されたというわけだ。我々の任務は自衛隊による調査が行われている間、主に学術調査、そして宗教組織と巨大生物の因果関係の洗い出しを行うことだ。彼らが何か事情を知っている可能性もあるしな」

 調査隊結成時に自衛官も同席していたのはそういうことだったのか、と僕は得心した。しかし、目撃証言だけでそこまで大掛かりなことをするという点についてはやはり違和感が残る。まるで、日本政府は最初から巨大生物の存在を確信していたようだ。

 

「おい、着いたぞ」

 僕が次の質問を発する前に、堂本さんは岩肌にかけられたブルーシートをめくりあげた。そこには、直線的な模様が描かれた岩が鎮座していた。

 それを見た瞬間、僕は脳裏に既視感のようなものが浮かび上がったことに驚き、思わず頭を抱え込んだ。それは、僕があの()()()()の夢で見たものと似ている…似ているが、違う。()()()()ではない。文化が違う。文明が違う。これは僕が夢で見たものとは別の何かだ。ただ、似ている点があるとすれば、それは人間の手では到底作り得ない、人間の頭では到底浮かび上がらない造形だということだ。我々ではない知性が一体この石板に何を思い、何を刻み込んだのだ? 理解しがたく名状しがたい何かが確かに目の間の石に何かを刻んだ。我々とは完全に隔絶した()()()()()が、しかし我々と同じように文化と文明を刻んだのだ。

 

「水元君、どうした?」

「……?」

 戸村さんにかけられた声で僕は不意に我に返る。同時に、自分自身が数秒前まで何か強迫概念のようなものに苛まれ、自分でも自覚できないほど多数の思考を張り巡らせていたことを思い出した。ひどく気分が悪い。一体僕はどうしてしまったのだろう?

「すみません……なんとなく、怖くて」

 そう答えるほかにこの場面を手間なく切り抜けられる言葉が思いつかなかった。

「あぁ、俺も初めて見た時はゾッとしたよ。こいつがただの古代人の壁画とかなら俺もここまでおったまげることはなかったさ。それでも貴重な発見だがな。だが驚くべきことにこいつは放射線測定の結果、古生代ペルム紀…つまりさっきのウミユリ的な何かと同じくらいの時代の岩であることが分かった」

「………」

 その直線状の図象は、明らかにそれが自然ではなく人工的に形成されたものであることを物語っている。が、人類が文明を持ち始めたのはこの地層の時代よりもはるか後だ。

「まさかあのウミユリが文明を築いていたとでも言うのか」

「さあな。文明を築いていたのは別の何かかもしれねえし、コイツを持ち込んだのは宇宙人かもしれねえし、そもそもコイツ自体偶然生まれただけの自然物かも。最後のパターンが一番平和か」

「……厄介な発見がまた一つ増えたな」

 戸村さんは額に指を当ててため息をついた。

 

 

 

「…昔、研究仲間が南極で遭難してな」

 調査テントに戻るや否や、堂本さんは呟くようにそう切り出した。

「当時俺は既にそいつらの研究室からは離れていたんだが、南極基地から俺にメールを送ってきたんだ。”古代文明に関する手掛かりが見つかったかもしれない”ってな。南極にだぞ? 俺は間に受けていなかったんだが、それから間もなくそいつらの調査隊は行方不明になった」

「………」

 彼が何故唐突にこんな話をしだしたのか、なんとなく僕にも分かった。

「直ちに捜索隊が結成されたが、南極横断山脈のふもとで死にかけていた一人を拾った以外は誰も見つからなかった。そいつは論文のために調査に同行した大学院生だった。そいつ曰く、”夜間に暴風でテントが吹き飛び、隊は全滅した”と。数か月経って捜索は打ち切られ、隊は全滅判定を受けた。だが、なんとなく俺は引っかかってたんだ。それで、いろいろと準備して唯一生き残ったそいつが持ち帰った荷物をこっそり検める機会を作ることに成功した」

「それで?」

 あくまでも冷静に振舞っている戸村さんだったが、いつの間にかその身は前に乗り出していた。

 「中身はほとんど変わり映えのない探索用の道具やアメニティばかりだった。たった一枚の写真を除けばな」

 そう言って彼はタブレットの画面を僕達に見せた。そこには、一枚の石板を映した写真が写りこんでいた。

「なるほど……似ているな」

 戸村さんの言葉が示すとおり、その石板と先ほど僕達が見ていた石板に刻み込まれた紋様は似ていた。厳密に同一ではないが、同一の文明の下で作られたようなニュアンスはなんとなく感じられた。これが南極にあったという事実が何を意味するのか。

「写真しか見てねえからいつの時代の石板かは分からねえが、まあつまりアレだ。俺たちは突っ込んじゃいけねえ領域に首を突っ込んじまったらしいってコトだ」

「………」

 あの夢を見るようになってから、もう戻れないところまで足を踏み入れてしまった感覚はあった。それが今、確かな実感となって僕の胸に重くのしかかった。やはり報酬欲しさなどに釣られてこんな仕事に手を出すべきではなかった。だが、仮にこの調査と無縁だったとして死ぬまで平穏に暮らすことができていたのだろうか。こんなものが存在している島で、僕は何も知らずに生きていられたのだろうか。

 

 

「今日はいろんなことを知って疲れただろう。今日はもう上がって早めに休め。明日もあの場所で調査を継続する。朝出勤したらまず鳴山警視正に昨日の所感を報告してくれ。何か質問はあるか?」

 夕方、警察署に帰還すると戸村さんは僕にそう告げた。彼や堂本さん達は署に残って遅くまで情報を整理するようだ。

「…何故、僕をあの場所に連れて行ったんでしょうか?」

 僕はそう問いかけた。街頭調査であれば僕が参加する意義も理解できたが、今日の作業は堂本さんの話があった後は試料や書類の整理のような雑用ばかりだった。まるで、あの石板を僕に見せること自体が目的だったように思える。

「正直、私は反対だった。この調査団の背景もあらかた話すことになってしまったしな。一般人には可能な限り何も知らせない方が良いと思っていた。敢えて理由を告げるなら、それが鳴山さんの命令だったからだ。君をあの場所に連れて行き、教えられることを教えろと。そして、そもそも君をこの調査団に参加させたのもな…」

 それだけ告げると、戸村さんはもういいだろう、と言わんばかりに背後を向いて執務机へと戻っていった。お疲れ様です、と頭を下げて僕は帰路についた。ずっと、夢の光景と石板を見た際に頭の中を巡っていた思考とが混ざり合って僕の脳裏を支配していた。

 

 誰かが僕を見ている。そんな気がする。だが、この感覚に不思議と既視感を覚えていた。僕は()()()()()()()()()のだ。この島には、人類が知ってはいけない恐怖の真髄が眠っている。この島で生まれ育った僕は、本当にその恐怖とずっと無縁だったのだろうか?

 

 

 ―――今夜はすぐに眠れそうにもない。少し、海を見に行こう。海を見ていると、この不安な心も少しは落ち着いてくれる。そんな気がするのだ。

 




・注意
 一部のキャラクターには作者が個人的にクトゥルフ神話TRPGを遊ぶ際に作成したキャラクターから名前と見た目を一部参照しているものがあります。ただ、あくまでモチーフにしているだけであり元々のキャラクターには一切関係なく、それらのキャラクターが通過したシナリオの情報等も一切反映されておりません。

水元祐也(みずもと ゆうや)
性別:男性
年齢:20
 本作の視点キャラクター。依諏間島で生まれ育った青年。本土の大学に籍を置き、通信教育によって講義を受講している(現在は休学中)。依諏間島統合調査団のメンバーに抜擢され、本人も詳しい事情が分からないまま業務に勤しんでいる。

鳴山穂鉄(なるやま ほてつ)
性別:男性
年齢:58
 眼鏡をかけた中年男性。警視庁公安部公安第五課(非実在組織)課長。警視正。依諏間島統合調査団の実働部隊の総指揮として公安警察、自衛隊、学者などからなる調査団を管轄する。常に冷静沈着で、物腰が柔らかい。

戸村握人(とむら あくと)
性別:男性
年齢:36
 険しい目つきをした体格のいい男性。警視庁公安部公安第五課所属。警部。鳴山の直属の部下として依諏間島統合調査団のサブリーダーを務め、公安警察隊を統括する。生真面目で厳格な人物だが、一般人である水元には一定の配慮をしている。

堂本秀雄(どうもと ひでお)
性別:男性
年齢:49
 色付き眼鏡をかけ、スーツの上に白衣を着た中年男性。依諏間島統合調査団のメンバー。某有名大に所属する地質学・古生物学教授。誰に対しても飄々としており、権力や国家組織に対しては皮肉めいた態度を取る。かつて南極を調査していた研究仲間を失っている。

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