ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe- 作:江藤えそら
次はもっと早く出します。
扉を開けてはいけない。音を立ててもいけない。一切の気配を生み出してはいけない。頭で状況を理解するよりも先に僕の本能がそう告げた。今までに出会ったことも見たこともない、しかしその顔を見た瞬間に脳内に電撃のような何かが走った。その男がただの唐突な来訪者でないことは明白だった。
男は覗き穴越しにこちらを覗き返しているわけではなく、ぼうっと扉を見つめているようだった。もう一度、チャイムが鳴った。僕は息を押し殺し、僅かな動揺も表に出さぬよう努めながらその来訪者の次なる動きに備えた。やがて、男は表情を一切変えず、瞬きすらしないままにくるりと扉に背を向け、去っていった。
僕は安堵のため息をつく間もなく、キッチンの包丁を拾い上げると扉とは反対側にある自室の窓へ近付く。覚悟を決してカーテンをめくるが、そこには誰もいない。クローゼットの中も、トイレも、風呂場も、ベッドの下までも確認した。誰もいない。至極当然の結果だったにも関わらず、僕の胸中から恐怖と不安は消えなかった。あの男を見た時に感じた感覚は今日大林さんの話を聞いている時に感じたものと似ていた。間違いなくあの男は
結局、僕はいつも通り次の出勤までの時間を過ごした。いつもと違うのは、窓の鍵もカーテンもドアの鍵も全て締め切り、包丁を肌身離さず所持していたということだ。夜、就寝する際にすら布にくるんだ包丁を枕元に置く始末だった。ほんの僅かな油断が僕の人生をそのまま破滅に向かわせてしまいそうな、そんな予感がしていた。あの破滅からの使者が僕に何をもたらそうとしていたのか、それを想像するだけで悪寒が止まらない。
眠るのが怖い。またあの夢を見るのではないか。そして、その夢を見るたびに僕は後戻りできない深淵に一歩ずつ足を踏み入れているのではないかという悪い予想が頭から離れなかった。
しかし、何事もなく朝は訪れた。あの不気味な夢を見ることもなく、僕は薄い眠りから目覚めて警察署に向かう。家の扉を開ける際にも、僅かな物音も立てないように慎重になっていた。しかし朝日の差すアパートの廊下は日頃目にするそれと何ら変わりはなかった。
昨日目にしたあの不気味な人物について鳴山さんにどう報告しようかと頭を悩ませながらいつものように会議室に入ると、鳴山さんはスーツ姿の女性と口論をしているようだった。
「このような調査に何の意味があるんですか! 我々は巨大生物の調査を実施しろとお話ししましたよね? 宗教がどうとか、石板がどうとか、どうでもいいことに人員と予算を割かないで頂けますか!」
「調査については割り当てられた予算と人員の範囲内で行っています。巨大生物に関する言い伝えや宗教などの裏事情が分かればその生物の所在や出現場所などが絞れる可能性もあるはずです」
イライラした様子で声を荒げる女性に対し、鳴山さんは冷静に受け答えをしていた。
「おや、おはよう水元君。本日は少々賑やかな来客が来られていてね。朝っぱらからすまないね」
そんな会話に楔を刺すかのように、僕を見つけた鳴山さんは大きな声で僕に挨拶をかけてきた。女性は僕の方を振り向くと鋭い目つきで顔をジロジロと見つめてきた。その人は30代半ばくらいに見える顔立ちをしていて、美人ではあるのだがいかにも神経質そうな額にしわの寄った表情が些か印象を損ねているように思えた。
「あ、おはようございます…。えっと、水元祐也です」
「貴方が
僕と鳴山さんの目の前で平然とそんな悪態をついた後、彼女は戸惑う僕の目の前まで歩み寄った。
「内閣官房所属の
「与崎…さん。よろしくお願いします」
彼女に頭を下げながら、僕は与崎という名から連想された人物の顔を思い返していた。そんな名前の大臣をニュースで見た気がする。こんな珍しい苗字がそう多くいるとも思えないし、関わりがあると思って間違いないのではないだろうか。だが、流石に今初めて顔を合わせた相手にそんなパーソナルなことを尋ねるわけにもいかなかった。
「…では鳴山警視正。14時より有識者会議の方、よろしくお願いします」
僕がいる前で細々とした話をするのはまずいと思ったのか、与崎さんは鳴山さんに向けてそれだけ言うと足早に会議室を後にした。
「このように、我々の仕事はお偉いさんからもあまり評価されているとは言い難い。早いところ何かしらの明確な成果をあげなくてはならない」
鳴山さんはコホンと咳払いしたのちにそう告げた。
「とはいえ、日々見つかるのは俄かに信じがたい遺物や怪しげな宗教団体、精神病患者といった一見無関係そうに見える事象ばかりだ。彼女らが求める”巨大生物の痕跡”にはまだ近付けそうもない。困ったものだな」
「その……政府には巨大生物が存在するという確信があるんでしょうか?」
聞くならこのタイミングしかない。そう感じた僕は一昨日に発掘現場で抱いた疑問を鳴山さんにぶつけてみた。彼が政府の動きや狙いをどこまで知っているかは分からないが、聞いてみる価値はあるだろう。
「どうかな。私は政治家でも官僚でもないからな、政府が何を考えているのかは分からない。だが、彼女があれだけ巨大生物の痕跡という成果に拘るのは何かしら理由があるのだろうな」
しかし、僕が期待していたよりもその答えは漠然としたものだった。
「ところで水野君。他にも何か言いたげな顔をしているが、何かあったのかな?」
「……」
鳴山さんは僕の考えていることをすぐに見透かす。僕が彼に伝えるかどうか悩んでいること―――それは間違いなく昨日の異様な来訪者だ。鳴山さんに隠し事はできないし念のため伝えておくに越したことはないだろう。
「不気味な男の訪問…か。確かに不審ではあるな」
鳴山さんに信じてもらえるか不安だったが、彼の反応は僕に対して同情的なものだった。
「何故かは分かりませんが…。僕にはその男が間違いで僕の家に来たのではなく、何か確信をもって訪れたように思えました」
ドア越しに見たあの男の目を今でも覚えている。あの目は、確かに僕を見据えていた。何かしらの確信をもって僕を見据えていたのだ。
「鳴山さんには何かありませんでしたか?」
「いや、私には何もなかったな。依諏間市内のホテルに宿泊しているが、特に来客もない。先ほどの賑やかな監査官殿を除けばね」
僕の緊張を解すためか、鳴山さんは冗談めいた言い回しを付け加えた。あの不自然な来客は僕だけを狙ったものなのだろうか。だとしたら……。
「気のせいだ…と唾棄するには状況が状況だからな。今夜、公安の捜査官を数名君の住居近くに張り込ませてもよろしいかな? その男を尾行すれば何か手掛かりが得られる可能性もあるからな」
鳴山さんは大胆な提案を僕に告げた。まるで刑事ドラマのようだが、それをする権限が彼にはある。
「それは…大丈夫ですけど…。なんか、勘違いとかだったらすみません」
「いやいや、君は特殊な訓練を受けたわけでもない民間人だ。調査団員の中では最も安全に配慮されなければならない。―――ちなみに、その来訪者には心当たりはないのかね?」
鳴山さんは椅子に深く座りながらそう問いかけてきた。心当たりと呼ぶには心許ないが、思い当たることが無いわけではない。僕は昨日病院で聞いた大林さんの言動を記憶の限り正確に鳴山さんに伝えた。
「石板を見たのでしたら間もなく”深きものども”とも遭遇することになりましょう。奴らと口をきいてはいけません、ただじっと目を伏せて通り過ぎるのを待つのです。あのエラの張った醜い魚人どもは我々の精神を邪神の餌として捧げようとあの手この手で篭絡を試みます」
大林さんは確かにそう言っていた。その”深きものども”が昨日の来訪者だとしたら、彼の予言が現実になったということになる。まさか、狂人の戯言と唾棄されていた彼の言動に信憑性が生じるなどということがあって良いのか。戸惑いつつも僕はその旨を鳴山さんに打ち明けた。
「なるほど、”深きものども”…か。大林氏の発言については戸村君から簡単に報告があったが、詳細まではまだ目を通せていなかったものでね。…それで、君はその大林氏という人物の助言に従ってその不審者をやり過ごしたわけだね」
「意識したわけではありませんが…結果的にそうなりました」
昨夜の不審者に対し口をきかずに去るのを待つ、という意味では意図せず大林さんの忠告に従ったことになる。
「それで、その”深きものども”というのはどういう連中なのかね? 他に何か語っていたかね」
「僕達の精神を邪神の餌として捧げるとか…そんなことを仰っていました」
妖怪が生気を吸い取ると口伝されるのと似たニュアンスの話なのだろうか、大林さんは精神を邪神の生贄にすると話していた。果たして彼の発言はどこまで真実でどこから虚構なのか。無論、全て虚構であることに越したことはない。
「仕方ないといえばないが、抽象的な言い方だな。何か対策などは聞いていないか?」
「対策……。その…首相と自衛隊の統合…なんとかに連絡しなさい、と」
専門的な用語についてはうろ覚えだが、はっきりと覚えているのはその発言をしたあたりから明らかに大林さんが異常な興奮を見せていたことだ。ともすれば本当に政府高官ともやり取りができる鳴山さんに軽率にこんな話をすべきではないのかもしれないが、大林さんの発言を正直に伝えるならこう告げるしかない。
「つまり、少なくとも大林氏から見て国家存亡レベルの危機が起きているということだな」
鳴山さんは腕を組んで大真面目な顔でそう答えた。まさか、真に受けているわけではないだろうが。
鳴山さんが続けて何かを言おうとした矢先、部屋の扉が慌ただしくノックされた。鳴山さんは一度僕の方を向き、扉の方に向き直って「何かね」と答えた。
「鳴山警視正。摩周市長が到着されました」
恐らくは公安警察官だろう、扉の向こうからそう告げた。摩周市長という大物の名が当然のように告げられた事実に僕は少し驚いた。依諏間市にはずっと住んでいるが、市長の存在をこんなに身近に感じたことはなかった。
「もうそんな時間か。水元君は席を……いや、このままここにいなさい」
鳴山さんは一瞬思考を逡巡させた後、僕にそう言った。
「まさか…僕も同席するんですか?」
◆◆◆
「その子は民間人ですか? 何故ここに?」
先ほど僕が言った問いと全く同じことをこの部屋に現れた摩周市長にも言われた。僕自身、何故ここに同席させられているのか全く分からない。僕のような立場の人間がいていい会談じゃないはずだ。とりあえず縮こまって申し訳なさそうに一礼をすることしか僕にはできなかった。
「こう見えても彼は依諏間島統合調査団のメンバーです。この会談には当事者の一人として同席頂きます。事前に連絡が無かったことはお詫び申し上げますが、何卒ご理解いただきたい」
鳴山さんは対面に座る摩周市長にそう告げた。市長は怪訝そうな顔をしながらもそれ以上追求することはなかった。ポスターや画面の向こうでしか見たことのない顔が目の前で動作している姿を見るのは不思議な気分だ。
「…まあ、調査官というのであれば構いませんが。早速本題に入りましょうか。あなた方から調査の対象として伺っておりました不穏な宗教組織の活動について、初動以降何も進展の通達がありません。市民からは自衛隊の艦艇や公安捜査員などの目撃情報が多数寄せられており、強い不安を感じていらっしゃる方も多い。あなた方が我々依諏間市に相談もなく何かしらの大規模調査をしていることは明白です」
摩周市長は本題に入るや否や語気を強めた。僕は調査団員という立場上昨日までの調査の内容はある程度知っているが、依諏間市にはほとんど何も知らされていないということが分かった。確かに昨日の大林さんが語っていたような話をこういう立場の人にしてしまうと、下手をすれば依諏間市内が大混乱に陥りかねないというのは理解できる。しかし、隠蔽し続けた先に取り返しのつかない事件に発展してしまうというのも同時に想像がつく。
「改めて、あなた方はこの島で何をどこまで調査しているのかこの場で明言頂きたい。さもなくば依諏間市としては国を提訴することも辞さない」
摩周市長の語調や表情からは張り詰めたものを感じる。所謂修羅場というものを実感し、僕は自分が詰められているわけでもないのに冷や汗が止まらなくなった。
「島内に存在する不穏な宗教組織については概ね把握しております。依諏間市内に本部を置く特定宗教法人です。彼らは半世紀以上前からこの島で活動を行っているようですが、ここ数年で急速に信者数を増やしており、最近では夜半に騒音加害などを生じ軽犯罪法違反で指導を行った事例があります」
そんな摩周市長に対し、鳴山さんはあくまでも淡々と調査結果を返す。しかし、その答えを聞いても市長の表情が和らぐことはなかった。
「それが成果ですか? 軽犯罪法違反の宗教団体のために自衛隊を動員するとはずいぶんと大仰な対応ですな。そのような説明で我々が納得するとお考えでしょうか」
「あなたもご存じの通り自衛隊は直接依諏間島統合調査団の指揮下にいるわけではありません。自衛隊の行動については政府の方からご説明があるはずです。ちょうど本署内にはこの調査団の監督役を務める内閣官房の与崎情報官もいらっしゃいます。あくまでも我々は政府の要請に従い不穏宗教団体の監視と調査を実施しているに過ぎません」
「この期に及んで知らぬ存ぜぬですか。国のお偉いさんは皆そうだ。遠く離れた離島の市民の不安など微塵も気に留めていない。国が何を企んでいるのか、我々も本腰を入れて調査する必要があるようですな。せめて与崎さんから良いお答えを聞けることを願いますよ。ま、願ったところで無駄でしょうが」
これ以上話すことはないと言わんばかりに市長は立ち上がる。
「もう席を立たれるのですか、市長。我々も依諏間市民の不安を取り除くべく活動を行っているということは重ねて申し上げておきます」
「あなたと話していても埒が明かないことが分かりましたからね。国家による恣意的な宗教弾圧は思想の自由を保障した憲法に違反する重大な事案です。これ以上この島に深入りするなら我々も手段を選びませんよ、鳴山警視正殿。一刻も早く胡散臭い調査団ごと本土に帰りなさい。手遅れになる前に」
そうして部下と共に部屋の扉へと進み出る。…と、扉に手をかける直前で市長は僕の方を向いた。
「キミ。
そんな捨てセリフと共に、市長は去った。一瞬でも明確に自分に向けて言葉を向けられた事実に僕はますます緊張が高まるのを感じていた。彼は何故、この場にいただけの僕が依諏間島民だと分かったのだろう。まさかいち市民の顔まで把握しているわけではないだろう。そもそも、初対面で僕のことを「この子は民間人なのか」などと聞いていたのだから。
◆◆◆
「貴方が水元君? 堂本教授の研究室で助手をしている院生の
昼休憩後、人手が足りてない堂本さんチームの資料整理を命じられた僕は、萩本さんという女性と共同で作業をすることになった。威圧感や癖のある人物が多い調査団の中にあって、彼女は清楚で落ち着いた雰囲気を感じる。
「はい、よろしくお願いします…。と言っても僕、堂本さんの研究のこと何も分からないですけど…」
僕は調査団の活動が始まってから1ヶ月、堂本さんの仕事には全く関わっていない。一昨日の作業場で急に石板を見せられたところから一気に巻き込まれたような印象だ。そんな僕に資料整理など務まるのか不安だったり。
「大丈夫、そこまで高い精度の作業は求めてないから。とりあえずここに入ってる画像の中で、君が見た石板とそれに類似する写真をこっちのフォルダに入れてもらえる? 分からないやつはそのままでいいから」
萩本さんはテキパキとパソコンの画面上で僕がすべき作業を指示する。フォルダには数千枚規模の写真があり、今日はこの作業だけで終わってしまいそうだ。AIなどに選別させるのは不安と判断されたのだろう。
「水元君は堂本さんと話した? 結構クセあるでしょあの人」
作業を始めて少し経つと、萩本さんが自身のパソコンに向かって作業をしながら話しかけてきた。昨日の由良さん然り、年上の女性と話したことがほとんどない僕は控えめな返事をすることしかできなかった。
「…まあ、そうかもしれないですね」
「ね。あの人、実はつい最近うちの大学に来た人でさ。元はミスカトニック大学ってとこで客員教授やってたらしいんだ。それが急にうちに来て、それですぐこの調査団が組織されて。なんかウラがありそうなんだよねえ」
萩本さんは背伸びしながら自身の考えを述べた。そういえば、一昨日の調査時に堂本さんは南極で研究仲間を失ったという話をしていた。その話がまさにミスカトニック大学という場所に所属していた頃の話なのかもしれない。
「しかもここの調査団の人達って意味深なことばかり言うくせに何も教えてくれないじゃない? 何のために研究してるか分からないとモチベも上がらないっつの」
「萩本さんは何故この調査団に加わったんですか? その、僕はお金でしたけど…」
気付けば僕は昨日由良さんにした質問と同じことを口走っていた。今さっき初めて会った人の個人的な話まで尋ねるのは失礼にあたるのではないか、と僕は口に出してから後悔したが、萩本さんは特に抵抗なく話してくれた。
「堂本さんから直接お呼びかかったからね。まあ一応研究室ではトップの評価は得てたし、君が言うようにお金もいいし、この研究の成果次第では特例として飛び級で博士号までくれるかもって言われて思わずね。今になって冷静に考えたら怪しさしかないんだけどね〜」
あはは、と萩本さんは屈託のない笑いを発した。少なくとも萩本さんという女性が、心の内を素直に打ち明けてくれるような信頼に足る人物であることは一連の会話で理解できた。
「…すみません、この写真ちょっと気になったんですけど……。これ、なんですか?」
そんな他愛無い会話をしながら作業を進めていると、奇怪な写真に出会った。それは、巨大な恐竜の化石に見えた、一緒に写り込んでいる動画や手と比較しても相当大きいことが伺える。頭骨には鋭い牙が並び、おそらく肉食生物であることが窺える。しかし、その骨格で1番異質なのは、背中に整然と並んだ鋭利な刃のような骨だ。ともするとステゴサウルスのような背鰭にも見えなくもないが、それにしてはあまりにも大きく鋭い。この生物は一体何なのだろう。一昨日に見たウミユリのような生き物とも全く異なる姿だ。
「ああ、これね。この島で見つかった化石なんだけど、世界でもつい最近になって発見されたペルム紀末期の半水棲爬虫類の化石だよ。学名はジラサウルス。まさかこれがこの島から出てくるなんてオドロキだね」
萩本さんは僕のパソコンを眺めてそう告げた。一昨日のウミユリのような生き物といい、この島に古代生物の化石が多数眠っていたなんて驚愕だ。
「恐竜ではないんですか?」
「恐竜っぽくは見えるんだけど、コイツが生きてた時代は中世代より前の古生代末期。恐竜よりも前の時代の生き物なワケ。しかもコイツには恐竜にはない驚愕の特徴があってね。肋骨らへんから高濃度のウラン235が見つかったんだ。この物質はウランの同位体で、天然にも少し存在はするんだけど、人工的には核分裂生成物として生じる」
「…?」
萩本さんが興奮気味に語った内容は僕にはほとんど理解できなかった。この生き物が何か特別な存在だということだけは理解できる。
「世界で見つかった化石も、この島で見つかった化石も、ウラン235が一定濃度で検出された点は一致してる。そして、実はこの時代の地層からは全体的に半減期の長い放射性物質が多く発見されてるの。ある研究者が言うには、ペルム紀末期には太陽活動の激化もしくは近隣で発生した超新星爆発やガンマ線バーストなどの要因で地球上の放射線濃度が急上昇し、そんな環境に適応するようにコイツが現れた。コイツは放射性物質の元を食って、体内で核分裂して生きていたんだってさ。荒唐無稽すぎて笑っちゃうでしょ」
ね、と同意を求めてくる萩本さんだったが、相変わらず僕には全く話の内容が理解できず、中途半端な相槌を打つことしかできなかった。だが、よくよく考えたら「ペルム紀」という言葉は堂本さんも言っていた。ちょうど、ウミユリのような化石を見つけた時も。
「…この恐竜みたいなやつと、一昨日堂本さん達が見つけた化石の生き物は同じ時代に同じ場所にいたということでしょうか?」
「そうなるね。被捕食関係だったのかとか詳しいことは分からないけどね。ただ、どっちの化石もペルム紀末期を境に全く見られなくなってる」
「そのタイミングで絶滅したってことですか?」
どんな生き物であれ、今この瞬間に姿が見られないということは絶滅したということに間違いないだろう。こんな身長10mは優に超えそうな生き物が今の時代に存在していないことに感謝しなければならない。
「そう。その境界こそがP-T境界ーーー古生代と中生代を分かつ、地球史上最大の大量絶滅。だけど、その大量絶滅の要因として未だに広く合意された理論は無い。一つ確かなのは、この絶滅が地球環境を根本から一層し、ジラサウルスやウミユリのような何かを含めて、地球上のほぼ全ての生命体を一掃したこと」
そこまで言うと萩本さんは自分の席にどっかりと座り直した。
「ね。地球史ってロマンあるでしょ?」
「ロマン…で済めばいいですけど…」
彼女が話した内容は遠く昔の話でしかなく、今の依諏間島には全く関係のないもののはずだ。しかし、この島で起きている怪異的な何かとそれが無関係には思えないのは気のせいだろうか。
◆◆◆
「お疲れ様。堂本さんが帰ってきたらよく頑張ってたって伝えとくよ。またね」
膨大な量の画像整理作業を終えて定時を迎えると、萩本さんは笑顔で手を振って見送ってくれた。午前中の鳴山さんとの件といい、今日も今日とて疲労感満載だ。僕は今日も最低限の食事だけ購入して真っ直ぐ家に帰った。
自分からお願いしたことだと分かっていても、公安の人が家の周りに張り込んでいるというのは落ち着かない気分だ。とはいえ、昨日のような不審な来訪者が来ない保証はない。そう言ったときに守ってくれる人がいるのはありがたい話だ。僕は帰宅するとすぐに家の鍵をかけ、できる限り窓の外を見ないようにして家事を済ませた。
一体、こんな恐怖と戦う日々がいつまで続くのだろう。僕が手を伸ばしてしまった深淵から離れられる日は来るのか。こんなことならやはり統合調査団になど加わらなければよかった。先日口座に振り込まれたお金は確かに今までの人生では考えられないほどの報酬額ではあったが、そんなもののために人生を棒に振るかもしれない仕事なんかに手を出すものではなかった。今までも何度も抱いてきた後悔にまたも苛まれながら、僕はいつもより異常に早い時間帯に布団に入った。安全が確保されているならもう寝てしまいたい。早く明日になってほしい。
そんな僕の思いとは裏腹に、それは起きた。
布団に入ってもしばらく意識を失えずゴロゴロしていた僕の耳に、玄関の外から物音が聞こえてきた。奴らが来たのか? しかし昨日とは違い、誰かの怒鳴り声のようなものが混ざっているようだ。外で何が起こっているというのだろう?
そしてその直後、玄関のドアが激しく叩かれ、直後にチャイムが何度も乱暴に鳴らされた。僕は飛び起きると同時に枕元に置いてあった包丁を握り締めた。恐怖が身を撫でる。公安の人は何をやっているんだ? まさか、もう既に…。
「オイ開けろボウズ! 俺だ! 堂本だ!」
そんな僕の予想妄想を打ち破ったのはドアの向こうから放たれた、聞き慣れた声だった。その声に釣られて覗き穴に目を近づけると、苛立たし気に腕を組む堂本さんが正面に立っていた。
「さっさと開けろ! 開けねえとブチ破るぞ!」
ドアを叩く音、チャイムの音、怒鳴り声が交互に僕の頭にガンガンと響く。この強引さと乱暴さは堂本さんで間違いあるまい、僕はそう確信してゆっくりドアを開けた。
「こんばんは…なんですか、こんな時間に」
と、そこまで言って僕は目前に広がる光景の異常さに狼狽した。腕を組んで立つ堂本さんの後ろには男が一人倒れていた。うつ伏せにはなっているが、間違いなく昨日僕の家を訪れた不気味な来訪者だ。そして、さらにその背後の道路には大きなバンが停車していた。
「よし、生きてたな! 来い」
「ええっ!?」
そう言うが早いか堂本さんは僕の首根っこを掴んでバンに向かって引きずっていった。すごい力で抵抗できなかった。あっという間にバンに押し込まれると、乱暴に後部座席に座らされた。運転席には髭を生やした短髪の黒人男性が座っており、「ハロー!」と陽気に声をかけてきた。
「ちょっと、なんですかこれ!」
「よーし、パット。例の海岸まで飛ばせ! 時間がねえ」
「OK」
堂本さんが助手席に乗り込んだのを確認すると、パットと呼ばれた男性は荒い加速でバンを走らせ始めた。
「あの、だからこれって」
「一から説明するから黙れ」
夜道をバンが走り抜ける中、混乱する僕を堂本さんの威圧的な言葉が黙らせた。先ほどまでの大声とは異なり静かな威圧感がある。堂本さんは着信音が鳴り続けている自らのスマートフォンを起動し、通話を始めた。スマホの向こうからは鳴山さんの声が聞こえる。
『勝手なことをしてもらっては困る。水元君を家に帰しなさい』
「ゴチャゴチャうるせーよ。お前らが動かねーなら俺らで勝手にやるって言ったろ。お前ら公安もちゃんと尾行できてんなら一緒に来い。これから
公安が僕の家に張り込んでいたこともあって、堂本さんの動きも鳴山さんは把握しているようだった。そして、この行為が鳴山さんの許可を得ていない堂本さん達の独断専行であることも理解できた。
『君達が今から行こうとしている場所は危険が伴う。水元君の身を危険に晒すんじゃない』
「今が緊急事態なのはアンタも分かってんだろ。あいつらの儀式の信憑性を確かめるには”例の夢”を見てるこのボウズが絶対に必要だ。俺、ちゃんと言ったよな? 今夜逃したら次のチャンスはいつか分からねえって」
『それはそうだが、我々も国家組織である以上動ける範囲には制限がある』
「だから俺が独断で動いてやったんだろうが。感謝しろよ。今から奴らの儀式が行われるらしい海岸に行く」
詳細までは分からないが、今が逼迫した事態であることは理解できた。これから僕は何に巻き込まれ、何を見ることになるのだろうか。
バックミラーに映る自分の顔が見える。くっきりと頬骨が張り、見る影もないほどやつれている姿に恐怖を覚えた。少し見ない間にここまで変わってしまっていたとは。
僕がそんな恐怖を噛み締める間もなく、堂本さんは至って真面目な顔でこう告げた。
「改めて自己紹介しておこう。俺は国際連合"アーカム調査団"のエージェント、堂本秀雄だ。ヨロシクな。これからいよいよこの島で起きている怪異の核心に向かうぞ」
性別:女性
年齢:35
黒髪をショートカットにしたスーツ姿の女性。内閣官房の内閣情報調査室を取り纏める内閣情報官。父親は元経済産業大臣を務めた大物政治家であり、彼女自身も異例の若さで内閣情報官まで出世したエリート。依諏間島統合調査団の監督役として部下と共に来島、鳴山に調査結果の報告を求める。優秀だが神経質な性格。
性別:男性
年齢:57
依諏間市長。依諏間島統合調査団の島内での活動を認可しているものの、彼らの行動内容がほとんど知らされないため彼らに対し強い不信感を抱いており、調査の即刻中止と本土への帰還を鳴山に求める。
性別:女性
年齢:25
黒髪を後ろ結びにして白衣を着た若い女性。堂本の助手として統合調査団に加わった大学院生。博士課程を履修中だが、調査団の活動成果によっては飛び級で博士号を特例取得する可能性もある。自身の研究内容の話になると興奮して語り出してしまう癖はあるものの、基本的には清楚かつ快活な人物であり、水元も信頼している。