ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe-   作:江藤えそら

6 / 10
今回は書きたいところだったので早かったです。
Episode Cは次話で終わりです。


Episode C-4:深淵は深淵を呼ぶ

「俺は国際連合"アーカム調査団"のエージェント、堂本秀雄だ。ヨロシクな。これからいよいよこの島で起きている怪異の”核心”に向かうぞ」

 まるで動画配信者のように、堂本さんは気軽な口調で自己紹介とこれから行うことを告げた。

『”アーカム調査団”…? この期に及んで何の冗談だ?』

 呆れたような鳴山さんの言葉がスマホの向こうから聞こえる。そんなことを言われれば誰だってそういう感想を抱くだろう。だが、堂本さんはいつものようなヘラヘラした表情を見せることなく真面目な顔のまま続けた。

「ま、なんだそりゃ?って感じだろうな。時間がねえからかいつまんで説明するぞ。アーカム調査団ってのは戦前に国連の中に秘密裏に設立された調査機関だ。調査対象は”ダゴン秘密教団”と呼ばれる特定宗教。どうもこの島で幅を利かせてる宗教連中がそのダゴン秘密教団の関連組織らしいことは分かった。さっきボウズを連れ込もうと玄関先に現れた奴もそのメンバーだ。俺がぶちのめしてやったがな」

 堂本さんはスマホとは別にタブレットの画面を開きながらそう話す。この調査団でのことすら信じがたい非日常に溢れていたのに、堂本さんの話はさらにそれを上回っている。

『この島で活動する宗教組織にそのような名称の団体は無かったはずだが』

「そりゃバカ正直にダゴン秘密教団だなんて名乗らねえよ。奴らは様々な組織を名乗り、あの手この手で信者を増やす。その目的は教団に精神と肉体を捧げる生贄を集めることだ」

 堂本さんは小説か映画の設定のような話をスラスラと話す。この統合調査団に入ってから薄っすらと感じ続けていた嫌な予感がいよいよ結実しつつあるのを感じる。

『…言いたいことは山ほどあるが、仮にその言葉が真実として、何故初めから私にその話をしなかった』

「日本政府やアンタらが何をどこまで知ってるか分からなかったからだ。国の上層部に教団が入り込んでる可能性すらあり得る。最も、俺が調査団に入れたのも政府内の仲間にちょいと手を加えてもらったからだけどな。ちなみにコイツ―――”パトリック・フローレンス”もアーカム調査団のエージェントだ。コイツの場合は金欲しさに雇われただけだがな」

 そう言って堂本さんは運転手の男性を小突く。小突かれた男性はそこそこ流暢な日本語で「パットです、ヨロシクね」とバックミラー越しに軽く手を振ってきた。

 しかし、国の上層部に教団とか、陰謀論者が唱えるような事実が本当にあり得るのか。統合調査団に入る前の僕がその話を聞いていたら、確実に堂本さんを狂人扱いしていただろう。でも今となってはその言葉を頭ごなしに否定もできない。一体おかしいのは僕なのか、堂本さん達なのか、どっちなのだろう?

 

『そのような荒唐無稽な言葉を俄かには信じられない…と言いたいところだが、確かに調査団に入る前後の君の経歴と言動に不自然なものがあったのは事実だ。毎晩のように見知らぬ人物とやり取りをしていたようだったしな』

「そこまでお見通しかよ。流石は公安サマのボスだ」

 軽快な口調とは裏腹に、堂本さんは苦虫を嚙み潰したような顔で懐から取り出したタバコを咥え、火をつけた。

「オー…狭いとこでタバコダメよヒデオ」

「いいだろ一本ぐらい……どうせしばらく吸えなくなるんだ」

 文句を言うパトリックさんをものともせず堂本さんは深く息をつき、白煙を吐き出した。

「あの……僕が連れて来られた理由をそろそろ…」

 数秒の沈黙に場が支配されたところで、僕は恐る恐るながら口を出すことにした。ここで話されていることは僕の住む世界とはスケールが違いすぎる。どう考えても今この場に僕がいていいはずがない。

「お前、さっきの話聞いてなかったのか? お前が”あの夢”を見てるからだよ。俺達の調べじゃあその夢は”邪神”との精神融合の兆候を示す症状だ。――ダゴン秘密教団が崇める”ご神体”だよ」

「え? 邪神?」

『……本気で言っているのか?』

 僕と鳴山さんは同時にそんなリアクションをした。まさかそんなはずはあるまい、と想像した言葉が実際に相手の口から飛び出してくるようなことがずっと続いている。だが、僕の記憶が正しければ彼も――大林さんも”邪神”というワードを発していた。大林さんと何のかかわりもないはずの堂本さんから同じ言葉が出てくるということは、その言葉が決して荒唐無稽な妄想ではないことの証左ではないのか。

「ああ、大真面目だ。それこそ俺達アーカム調査団が追い求める最終目標―――といってもその実態はほとんどが謎に包まれてるがな。もしこの島で奴の片鱗でも掴めたら俺達はヒーローだな」

「生きて帰れたらネ」

 堂本さんの言葉に対するパトリックさんのどこか冷めた言い回しに僕は背筋が凍るのを感じた。僕達はもう、命の保障すらない領域に到達しているのだと思い知らされた。

 

「おっと、積もる話はこの辺にしとこう。―――見えてきたぞ」

 唐突に発せられた堂本さんの言葉を受けてフロントガラスの先を見ると、夜の浜辺に僅かに篝火のようなものが見えた。あれが”教団”? 島に長く住んでいるが、その光景をおかしなものだと思ったことはなかった。

 浜辺に近付くにつれて車は徐々にスピードを落とし、浜から200mほど離れたところで停車した。

「見ろ、ボウズ。何か夢で見たものと共通点はあるか?」

 そう言って堂本さんは僕に双眼鏡を手渡した。気は進まなかったが嫌と言い出す勇気もなく、僕は恐る恐るそれを覗き込んだ。

 

 ひゅっ、とシャックリのような声が咄嗟に出た。浜辺に集まっている人間は皆顔つきが似ていて、それが昨日の夜に僕の家を訪れた不審な来訪者にそっくりだったのだ。皆一様に目の位置は左右に開き、鮫肌で吹き出物にまみれ、目は膨らんでいて常にこちらを睨みつけているような―――。

 彼らは暗い中で小舟を取り囲んでいた。小舟には布袋を被せられた人間が座っており、その小舟を数人がかりで少しずつ沖合に向けて押していた。

 

「ひ、人をボートで…海に流そうとしてます……」

 僕はひとまず目にしたものを正直に伝えた。堂本さんの問いかけの答えにはなっていなかったが、第一報告としてまずは状況を伝える必要性を感じた。

「人を…ボート…」

 堂本さんが手元の手帳を素早くパラパラとめくる音が聞こえた。何かこれまでに得た情報と照らし合わせようとしているのか。

『あと5分少々で公安の捜査官が4名ほどそちらに着くが、待機させておいた方がよいかな?』

 堂本さんのスマホ越しに聞こえる鳴山さんの問いかけに、堂本さんは「ああ。俺達の車が見えるとこで待機させてろ」と返した。

 

 そんな会話や音を聞きながらなおも双眼鏡を覗いていた僕は、その異様な集団の横に、まるで墓標のように細長い石が点々と屹立していることに気付いた。何か表面に書いてあるようだが、暗く、遠い中では……。

「あっ、ああぁっ!!」

 気付くと僕は無意識に大声を出していた。見えないはずの石の上の文字が、見えた。いや、見えたのではない。()()()()()()()()()()()()()()()のだ。そこに何が書いてあるかが。そして、その文字は―――。

「なんだボウズ、どうした!」

「夢で見た!! 夢で見たやつです!! 石板が!!」

 興奮しすぎた僕の言葉は文章の体を成していなかった。「貸せ」と双眼鏡を僕の手から掴み取った堂本さんが同様に覗き込むが、「石板? どれだ? どこにある?」と戸惑うばかりだった。

「あるじゃないですか、浜辺にたくさん! 文字書いてあるんですよ」

 そう言いながらも、これは僕にしか見えていないものなのだ、と僕は予感していた。夢で見たからこそ見えるもの。あそこに書いてある文字列は―――。

 

「(おいヒデオ!! 海から何か来るぞ!)*1

 僕の思考を遮ったのは、パトリックさんの怒声だった。英語で何を言ったのかは分からなかったが、ただならぬ状況であることはその声色から読み取れた。

「(アーカム! アーカム聞こえるか! いよいよだ!)」

 堂本さんも車内の無線を握りしめ、英語で何かを叫ぶ。

「(ダメだ、さっきから支局が応答しない。このビーチに近付いた頃からだ)」

「(パットはここにいろ。奴らを映像に収める)」

「(ダメだヒデオ、危険すぎる! 島の連中に助けを求めるべきだ)」

「(市長はクロだ! 鳴山だってアテにはできない。俺達で記録するしかないんだ)」

 しきりに何かを言い争っている間に堂本さんは乱暴に助手席から降りて車の背後に回り、車の後部に雑多に置かれている荷物を漁り始める。

『………』

 いつしか鳴山さんとの通話もノイズ混じりとなって声が聞こえなくなっていた。僕は頭を抱えて後部座席に転がるように倒れ込んでいた。全ての状況が理解できない中で、あの時石板に浮かんだ文字だけを頭が理解しようとしていた。しかし、理解しようとするほどに視界は歪み、頭は割れそうに痛む。何かに呼ばれている。深淵が僕を呼んでいる。

 

 篝火と月明かりだけが照らす青黒い水面は、強風にあおられて激しく時化(しけ)ていた。そのような水面の一部がいっそう高く盛り上がった後、真っ二つに裂けた。その中から現れたのは、全身を鱗でおおわれた巨大な水棲生物だった。水棲生物と呼ぶほかに一言でその存在を形容する手段がない。腹部は白く、背中には隆起した刺のようなものが突き出ていた。首の左右には紛れもなく鰓があり、それが魚類に属する生物であることを物語っていた。しかし何より奇妙かつお恐ろしいのは、それがまるで人間のように二本の足で地に立っていることと、ピラルクかそれ以上に巨大な図体だったことだ。

 瞼のない目がぎょろりと浜辺を見渡し、鱗に覆われた魚のような顔から石臼を挽くような不気味な唸り声をあげた。こんな生き物が地球上に存在することも、それが目前で動いていることも全て恐ろしい悪夢のようだった。

 

 僕とパトリックさんがあまりの驚きに声を出せず車の中で息を潜めている中、堂本さんだけが車から離れ、ビデオカメラを構えながらその巨大生物の方に向かいつつあった。頭には軍用ヘルメットのようなものを被り、白衣の下には防弾チョッキのようなものが覗き見える。この車にそんなものが積んであったのだという事実でさえ今の僕にはどうでもよかった。

「(おい、何やってるんだ! 逃げるぞヒデオ!)」

 パトリックさんは英語で何かを叫ぶと同時に車のエンジンを入れた。ガクンと身体が傾くほどの急加速で車が動き出し、助手席のドアが乱暴に開かれる。

「(早く乗れ、ヒデオ!)」

 堂本さんは呆然とした目で一瞬こちらを見た後、車の正面方向に視線を向けてこう呟いた。

「もう、遅ぇよ」

 その言葉を聞いた直後、耳を引き裂きそうなほどの爆音と共に赤い光が正面に広がった。僕はフロントガラスの先を見て―――そこに広がる光景に絶句した。浜辺にいたのと同じ巨大な水棲生物が、車―――恐らくは僕達を追いかけて現れた公安捜査官の車だろう―――を軽々と持ち上げていた。その腕に貫かれた車からは爆炎が噴き出し、中に乗っていた人間は運転席から地面に叩きつけられるように転がり落ちた。怪物はもう片方の手でその人間の腕を掴み拾い上げ、躊躇なく口元へと運ぶ。凄まじい量の鮮血とピンク色の臓物が引きちぎられた肉体から零れ落ち、怪物に貪られていった。怪物はその()()()()()を浜辺にいる伴侶へと向けた。浜辺にいる方の怪物もまた小舟に載せられた生贄を食い貪りながら伴侶へと歩み寄っていく。

 

「”ダゴンとハイドラ”……Deep Ones(深きものども)の頭領……ついに、ついに見つけたぞ!」

 心なしか堂本さんの声色は恐怖よりも喜びに満ちているようにさえ感じられた。パトリックさんは思いきりアクセルを踏み込んだが、突如として車のエンジンはガクンと揺れて停止してしまった。正面の惨劇を覆い隠すようにエンジンルームから黒煙が噴き出す。

「(クソッ! 一体何が起こってやがる!?)」

 パトリックさんが後部座席から拳銃を取り出した直後、フロントガラスに腕が張り付いた。水かきと鱗に覆われた暗緑色の腕が、下方向からフロントガラスに張り付いた。一瞬遅れて、ギョロリとした目を携えた顔がぬるりと下から現れた。その顔は魚そのものだった。首の左右には鰓が口を広げ、背骨は魚の背びれのように隆起している。パトリックさんは悲鳴と共に拳銃を撃つ。破裂音と共にフロントガラスにはクモの巣のようなヒビが入る。フロントガラスに張り付いていた腕と顔に銃弾が食い込み、()()()()()は青黒い血液を吐き出しながら下へとずり落ちていった。

「逃げろ! 逃げろ!」

 パトリックさんは日本語で僕にそう促しながら、自らも動かなくなった車を出た。真っすぐに浜辺から走り去る彼の背中を見ながら、僕もゆっくりと後部座席から外に出る。――ゆっくりと? 何故僕は焦っていないのだろう。とてつもない恐怖と狂気が目前に広がっているはずなのに、銃撃された異形に対して僕が最初に抱いた情は憐憫だった。目前に現れた巨大な怪物に対して僕が最初に抱いた感覚は安心だった。何かおかしいとは思いつつ、それらの感情を真っ向から否定することもできなかった。釈然としない感情のまま、僕はパトリックさんを追うことはせず堂本さんの方へと歩みを進めた。

 

「ははは、見ろボウズ! 俺は正しかったんだ! こいつらは実在した! ボウズ? …誰だお前は!」

 不意に腹部に激痛が走る。腹から()()()が噴出している。銃を構えた堂本さんはこちらを見てあんぐりと口を開けていた。

「…お前、ボウズなのか? …ああ、そうか、そうだよな! なんでその可能性に気付かなかったんだ、俺は全くバカだ! 死ね」

 堂本さんは容赦なく発砲する。肩に、鳩尾に、そして眉間に、銃弾が食い込んでいるのに、僕の目は未だに正面の光景を映している。ダメージはちゃんとある。痛みもあるし、出血で意識が霞む。だが、僕は死んでいない。

 思えば僕は何者だったんだろう? この島でどのように生まれ、どのように育ったのかも分からない。何故一人で暮らしているのかも、両親とはいつどうやって別れたのか、それすら分からない。―――いや、僕は知っていたのだ。夢で、何度も見ていたはずだ。僕自身が生まれた故郷の光景を。そこに立ち並ぶ大理石の森を、そこで何度も唱えられた言葉を、僕は知っているはずだ。そう、今まさにそこの石板に書いてある言葉だ。

 

 

『”Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh(死せるクトゥルー ルルイエの館にて) wgah'nagl fhtagn(夢見るままに 待ちいたり)”』

 

 

「クトゥルー?」

 僕が呟いた言葉を聞いた瞬間、次弾を込めようとしていた堂本さんの動きが止まった。次の瞬間、放り投げるように銃を捨てて代わりに懐の手帳を取り出し、バラバラとめくる。やがて彼はとあるページに辿り着き、狂気に上ずった声を上げた。

「クトゥルー!! 間違いねえ、こいつが」

 彼がその言葉を最後まで言い終わることはなかった。いつの間にか背後に忍び寄っていた”父なるダゴン”が、一気に堂本さんの全身を咥えこんだのである。口元から鮮血を溢れさせながらジタバタと藻掻く人体を咀嚼し、飲み込んだ。慣れ親しんだ恩人の死を、僕はひどく冷静な目でじぃっと見つめていた。今僕の胸の内にある感情は一体なんなのだろうか?

 

「―――言ったはずだ。自分の故郷がどこなのかを忘れるな、とな」

 ふと背後から聞こえてきた声に応じて振り向くと、摩周市長が立っていた。

「キミの故郷はこの島だ。この依諏間島だ。キミの身体に流れる血が一番それをよく分かっている」

 身体。その言葉を受けて僕は自分の手を見た。鱗に覆われた暗緑色の手だ。僕は深淵に覗かれていたのではない。深淵に足を引きずり込まれたのでもない、初めから、深淵そのものだったのだ。

「さあ、星辰の正される時だ。大いなる父母に祝福を。我らが神に崇敬を。2億5000万年の時を経て大地は今再び神の庭となる!」

 摩周市長は両手を広げそう叫ぶ。いつしか彼の身にも鱗が生え、目は肥大化して口も裂けていた。暖かい。ここが僕の故郷、依諏間島だ。皆が僕を受け入れ、迎え入れてくれている。そうだ、僕達には神様がいる。暗黒の星から生まれ出でた、巨大な神様が。

 僕は一歩進み出ると、摩周市長と大いなる父母に向けて膝をついた。市長は僕の頭をポンポンと撫で、「よくぞ帰ってきた」と優しく言葉を発した。そして、僕達が次へ行くべき場所を告げた。

「行こう、我らの祖先の魂が眠る完全都市"ルルイエ"へ」

 ルルイエ、その名を聞くのは初めてのはずなのに妙に懐かしい感じがした。市長の言うとおり、そこは僕達の()()()()なのだ。僕は瞬きのできなくなった瞳で浜辺を見渡す。海からは続々と同胞たちが這い出ては父母の元に頭を垂れた。元々浜辺にいた混血人たちもまた、同様に首を垂れる。そうだ。この島は昔からこのようにして安寧を得てきた。人間との混血で子を成し、増やすことで豊漁を人間に授けてきたのだ。鳴山さんや皆もいつかきっと分かってくれるだろう。僕達は相容れない存在ではない。必ずまた会える時が来る。必ず。

 

 

 次の瞬間、地獄の底から響くような轟音が周囲にこだまする。地が揺れる。水面が揺れる。数秒の後に再び轟音が鳴る。

「……何だ」

 生贄を喰らうのに夢中になっている父母をよそに、摩周市長は浜辺へと足を進める。その轟音は徐々に大きくなり、ついにはその衝撃で浜辺にいるもの達は皆尻餅を付いてしまう始末だった。海から這い出た同胞たちは皆立ち止まり、自分たちが出てきた海を見返した。

 

 月明かりに照らされ、風に煽られる水面。荒れ狂う海原に、突如として大量の気泡が浮かび上がる。次いで、真っ白な蒸気が。暗闇であるはずの海がうっすらと明るい。海が赤い。赤い光が海中から海を照らしている。茹で上がった魚たちの死骸が浮かぶ水面は、ますます激しく沸騰していく。

「………」

 摩周市長も、僕も、ただ茫然としてその光景を眺めていた。大いなる父母が食事を終えて海を見つめ出した頃、それは唐突に訪れた。

 

 浜辺から数㎞沖合にある海面から閃光が現れた。太陽よりも明るいそれは一瞬、真夜中の依諏間島を真昼のように明るく照らし、すぐさま光の筋となって高空に伸びる。その光を浴びた瞬間、僕の全身はくまなく激痛に覆われた。銃弾などとは比較にもならないほどの激痛。そして、自分の身体を覆う鱗は炭化し、その炭がひび割れた隙間からは、まるで燃える木炭のように赤い光が漏れていた。悲鳴を上げようにも、炭化した喉では声を出すこともできなかった。

 数秒遅れて、想像を絶するほどの衝撃波がその場にいる全てのものを薙ぎ払った。浜辺から這いずり出た同胞達は紙切れのように吹き飛ばされ、炭化した身体は粉々に散らばっていく。建物も、車も、木々も、みな玩具のように軽く弄ばれ、遥か彼方へと飛び去っていく。僕は砂浜に這いつくばってなんとか爆風を逃れようとした。今はただの砂でさえ焼石の如き熱さを感じる。いや、最早全身が痛すぎて何が熱いのかも理解できない。

 僕はこの場に現れてから初めて、純然たる恐怖を感じていた。この島に眠る深淵は、一つではなかった。この島には、この世界には、我々でさえ知らない深淵が眠っていたのだ。

 

 目前には、摩周市長だったものの下半身だけが砂浜に突き刺さり、未だに何が起こったのかも理解できないまま立ち尽くしていた。炭化して吹き飛んだ上半身がどこに行ったのかも分からない。その先には、赤々と輝くキノコ雲が天高く伸びて行った。夕焼けのように赤く染まった世界で、僕はそのキノコ雲の根元に黒い影が立っていることに気付く。それが何かは分からない。しかし、それに目があり、僕の方を真っ直ぐに見つめていることは理解できた。この世の何よりも純粋で強い怒りが、その視線から発せられた。

 

 衝撃波が全てを薙いだ後、この場から音が消えた。とてもとても透き通った静寂の後に、再び地が揺らいだ。一歩、また一歩とそれはこちらに歩み寄る。一方で、大いなる父母は炭化した手足を自ら捥ぎ、浜辺を這いずっていた。突如、巨大な黒い腕が父を掴んだ。父は頭を振って抵抗しながら高く高く持ち上げられ、そして一縷の容赦も無く、握り潰された。母の声が聞こえる。自らを蝕む痛みに対する悲鳴。圧倒的な力に蹂躙されることへの絶望。その声を飲み込むように、巨大な足が母の頭上に降り注ぐ。僅かな肉片と青黒い血が付着した足には、大岩よりも巨大な爪が整然と並んでいた。僕はそれの全容を目の当たりにしようと首を上に向けようとしたが、その頃には僕の目は何も映していなかった。

 

 僕は何故、まだ生きているのだろう? 或いは僕はもう死んでいて、誰かが死した僕に永遠の悪夢を見せているのではないかとすら思う。いずれにせよ、今僕が思っていることと言えば、全てが早く終わってほしいということだった。この残酷で悲惨な肉体と精神に一刻も早く終わりが訪れることが、僕にとって最大の幸福であると言えた。

 

 薄れゆく僕の意識を、天を割るような絶叫が支配した。その絶叫は純粋な怒りによって発せられていながら、どこか泣いているような物悲しさも感じさせた。

*1
以下、「()」内は英語での会話。




Patrick Florence(パトリック・フローレンス)
性別:男性
年齢:34
 口髭を生やした短髪の黒人男性。カリフォルニア州出身。依諏間島在住でバーを経営している。堂本とコンビを組んで活動するアーカム調査団のエージェント。金に困って調査団の仕事を請け負った。堂本のような知識は無いが元海兵隊であり身体能力は高い。基本的に陽気だが冷徹で現実的な一面も時折覗かせる。
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