ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe- 作:江藤えそら
「お疲れさん。まだやってんの?」
時刻はもうすぐ深夜に差し掛かろうという頃の依諏間警察署。私が堂本先生から託されたデータの整理をしていると、ボサボサの髪をした女性が入ってきた。確か調査団に加えられた由良さんという医者の人だ。顔と名前は知っているが、ほとんど話したことはない。
「お疲れ様です。…もう少し、気になることがありますので」
変わり者と聞いていたので、私は少し警戒してよそよそしい態度を取ってしまった。由良さんはそんな私の肩に腕をかけ、気安くこう言った。
「敬語なんか使うなって。あんたタメでしょ? 私、仕事とか環境のせいでタメの女子と関わることなんかほとんどなかったからさ、新鮮なワケよ。仲良くしようぜ」
「…仲良くするのはいいけど、仕事の邪魔はしないでね」
やけに馴れ馴れしい態度を取る由良さんに、私は心の中でため息をつきながらそう返した。ちょっと距離感が合わない人だ。
「名前は知ってるよ、萩本奏音…で合ってるよね? 確か堂本んとこの研究生でしょ?」
「ご名答。それで、私に何か用?」
「いや、何調べてんのかなって。ほら、私らってお互いの調査状況とか全然把握してないじゃん? とはいえ別に聞くことも禁じられてないわけだし、今のうちにいろいろ知っとこうかなって」
由良さんはそう言いながら机の上に置いてある化石の写真を何枚か手に取っていた。統合調査団のメンバーである以上ここの資料を見ることに制限は課せられないものの、由良さんのような人に見られるのは少し不安だ。医者とはいえ、普段どんな調査をしているのかも知らないし…。
「見るのは構わないけど、見たら元に戻してよ」
「ちゃんと戻すよ。これ何?」
由良さんは印刷された写真の一枚をつまみ上げた。そこには、私たちのチームが調査している化石が大きく映っていた。
「…それはこの島の地層で見つかった生物の化石。どんな生き物かって言うと―――」
ウミユリ状の生物やジラサウルスなど、島内で発見された化石について私は一通り話した。話しているうちに、水元くんにも最近この化石についての話をしたことが思い起こされた。彼は興味と恐怖を同時に浮かべているような表情をしていた。私には彼が何かとても複雑な感情や背景を抱えているようにも見えた。確かにこれら化石や発掘物の中には、見ているだけで気がおかしくなりそうな不気味なものもたくさんある。水元くん、変な気を起こさないといいけど。
「失礼。萩本さんは……まだいたか。良かった」
そんな話をしていると、この部屋の扉が慌ただしく開かれた。ノックもせずに入ってきた戸村さんは私の顔を見るなり小箱を私の目の前に置いた。
「お疲れ様です、戸村さん…。そんなに急いで、どうしたんですか?」
「君宛に届け物だ。送り主は堂本教授だ」
「堂本先生が?」
戸村さんは鬼気迫る顔で端的に言うべきことだけを伝えた。堂本さんが直接ではなくこんな形で私に物を送るなんて前代未聞だ。しかも私の自宅ではなく警察署宛で戸村さんがそれを直接渡しに来たことからもただならぬ事情が窺える。
「悪いが中身は私の方で一度検めた。USBメモリだったが、パスコードロックがかかっていて開くことはできなかった。さらに、この手帳が同封されていた。何か心当たりはないか?」
戸村さんが突き出した手帳をパラパラとめくる。それには、堂本さんが記した依諏間島での調査内容が記載されていた。手帳の最後には、人類の8倍の遺伝子情報を持つ生物の遺伝子配列が何かを問う記載があった。私はその問題に見覚えがあった。
「これ…堂本先生が今の大学に赴任した時に私の研究室に所属するメンバーに出した問題です」
その問題には、人類の8倍の遺伝子情報を持つ生物に関する様々な仮定が記されていた。それらの情報を複合し、遺伝子配列を決定することで答えが導かれる。問題設定が突飛すぎたこともあり、これを解けたのは私だけだった。
「それを君宛のメモリに同封したと言うことは、堂本教授が何か意味を持たせたということではないのか?」
「ひょっとすると、この問題の答えがメモリのパスワードなのかも。試してみます」
「アンタ向けの暗号ってワケ? あの嫌味なオッサンも案外洒落たことすんのね」
由良さんの言葉には特に反応せずに問題の答えである遺伝子配列をアルファベットで打ち込んでいく。最後の文字と共にエンターキーを打つと、ロックは解除されメモリへのアクセスが可能となった。
「開きました!」
「…公安として中身は検めさせてもらう。開いてくれないか」
戸村さんは穏やかに、しかし一歩も引かぬという意思を持って渡しにそう命じた。私は嫌な予感を感じつつも、恐る恐るメモリの中に入っていたフォルダを開く。そこには、堂本先生と天文学者、宗教学者など様々な専門家が繰り広げたやり取りが保存されていた。メール形式のものもあれば、途中から危険と判断されたのか手書きの書類でやりとりしたものをオフラインのファイルに転記したものも見られた。
「う〜ん? なんだこれ……雑学とオカルトのごった煮?」
由良さんが首を傾げながら呟く。それら内容は非常に高度で専門的であるだけでなく、古生物や地質学の範疇に囚われず天文学や宗教学、医学、薬学など広範に渡っていた。理解できる内容のものもあればその次に全く分からないものが現れ…という風な文章が延々と続いていた。
「これは……ちょっとこの場で理解するには重過ぎますね。何故堂本先生が私宛にこんなものを」
調査結果を共有したいのなら仕事中にいつでもできたはず。それにこの内容は、普段私と堂本先生が研究している分野とは全く違うものばかりだ。先生は私がいない時に一人でこんな研究をしていたのだろうか?
「その堂本教授だが、二時間ほど前に外出と言って署を出て以降連絡がつかない」
「えっ…?」
戸村さんの思わぬ報告に思わず私は両手を口に当てて絶句してしまった。今日の調査中は特に問題なくいつも通りに振舞っていたはずだ。午後になってから「別件がある」と私をこの部屋に置いて立ち去った先生だったが、まさか署からも消えてしまったなんて。私は胸中に広がる嫌な予感を隠すことができなかった。
「彼がタバコなどで外出するのは珍しくなかったからな、油断していた。ちょうど今日の夜にこれが君の元に届くよう調整していたことと関係がなければ良いが。引き続き連絡は試みている」
「あのオッサンがわけわかんない事すんのは今に始まったことじゃないでしょ? ほっときなよ」
由良さんはパソコンに表示されるデータを眺めながらぶっきらぼうにそう言った。
「ほっとけないでしょ。堂本先生は普通の人が知っちゃいけないことをたくさん知ってるんだよ? それこそ変な宗教とかに拉致でもされてたら…」
以前、戸村さんや鳴山さんから聞かされた”特定宗教”。詳細までは教えてくれなかったが、この島の謎にひと山噛んでいるだろう、という話は堂本さんから聞いたことがある。一度空想を繰り広げると悪い方法にどんどんと膨らんでいってしまう。一応、私も個人の携帯から堂本先生にメッセージを飛ばしてみたが、返信が来る可能性は限りなく低いだろう。
「…! はい、戸村」
そんな会話が繰り広げられる中、戸村さんの携帯電話―――恐らくは仕事用のものだろう―――が鳴り響いた。電話の向こうの人物が誰なのかは分からなかったが、戸村さんの目が大きく見開かれたところから推測するに、良いニュースではなさそうだ。
「ほんとに拉致られた?」
「縁起でもないこと言わないでよ!」
「そりゃあ私だって冗談であってほしいよ」
相変わらず空気の読めない由良さんのコメントに、思わず強めの言葉で返してしまった。しかし、現状ではそれを全否定もできないのが事実だ。
「すまない。私は外出する。堂本さんから鳴山さんに連絡があったそうだ。南東の浜辺に向かっているらしい。細かいことは分からないが、すぐに急行しろと鳴山さんから要請が入った」
「え、堂本先生が!?」
「南東の浜辺? そんな場所に何が」
「問答は後だ。君達は本日は帰宅しなさい。明日は鳴山さんから連絡があるまで宿泊場所で待機。業務の有無に関しても追って沙汰する。では」
私達に有無を言わせる間も与えず、戸村さんは部屋を後にした。少し経って、外から車が慌ただしく発進していく音も聞こえた。
「だ、そうだけどどうする?」
戸村さんが去ると、由良さんは私の顔を見てそう尋ねてきた。そう尋ねるということは、彼女は戸村さんの指示に従う気がないのだろう。
「どうするって、帰れと言われたら帰るしかないでしょ」
「ほんとに? これから思いっきり状況が動きそうって時に? アンタの先生がとんでもないことに巻き込まれてるかもしんないよ」
「そう言ったって、ここに残ったところで私達にできることなんてないでしょ」
「あるじゃん、アンタの先生が残した宿題が」
そう言って由良さんはパソコンの画面をトントンと叩く。
「わざわざ手渡しじゃなくて郵送でこんなモンを送るってこと自体に何か意味があるんでしょ。たぶん堂本が浜辺に行った理由もこれを読み解けば分かるんじゃない?」
「読み取れば…って簡単に言うけど、相当大変だよこれ」
「どれくらいあれば解析できる?」
由良さんの問いかけに、私は「3日……4日くらいあれば」と返した。スクロールした限りでもかなりの量がある。余裕を見て丸々4日は解読に費やさざるを得ないだろう。
「じゃあ2人でやれば2日じゃん」
「簡単に言わないでよ。どっちにしろこの場で片付けられるような量じゃないし、今ここに残ってやっても意味ないって」
でもさあ、とゴネる由良さんに背を向けて私は自分の白衣を脱ぎ、綺麗に畳んだ。戸村さんもああ言っていることだし、変に逆らって怒られる方が面倒だ。今日は疲れたし、もう帰ろう。
そう思って部屋の扉を開けると、深夜であるにも関わらず非常に多くの人々が署内を慌ただしく行き交っていた。スーツ姿の人もいれば、迷彩服姿の人もいる。自衛官だろうか。
「…なにこれ? 何が起きてるの?」
「なんか凄いことになってる?」
私の後ろから廊下を覗き込んだ由良さんがそう言った。彼女が言う凄いことになっているのは間違いないだろうが、具体的に何が起きたというのだろう。
「萩本君に由良君。まだいたのか」
横から声をかけられて振り向くと、廊下に鳴山さんが立っていた。背後には数人の部下を引き連れており、何か任務の最中であることが窺える。
「鳴山さん、何が起きてるんですか…?」
「私と共に会議室に来なさい。そこで説明する。堂本君から送付されたメモリとパソコンも忘れずに持参するように」
「でも、戸村さんからは宿泊場所で待機しろと言われましたが…」
「その命令は撤回しよう。はっきり言うが、今の状況で宿に帰るのはむしろ危険だ」
「ええ……?」
困惑する私をよそに鳴山さんは部下と共に会議室の方へと去ってしまった。宿に帰るのは危険、というのは一体どういう意味なのだろうか。
「ほらね、帰らなくて正解だったじゃん。腹括るしかないよ」
「………」
妙に楽観的な由良さんの言い草に呆れつつ、私は荷物をまとめて会議室へと赴いた。
会議室にはお偉い方と思われる人々がズラリと並んでいて、映画やドラマで見るような会議風景のようだった。その中には自衛官と思われる迷彩服の人物も数多く存在した。私と由良さんは戸惑いながらも鳴山さんに誘導されて隣に座った。
「失礼、与崎情報官。現状について、この二人にも分かるようにかいつまんでご説明頂けますか?」
「…お二人は民間人に見えますが。調査員なのですか?」
そう返した女性はギロリと私たちの方を見た。如何にも怖そうで近付きたくない雰囲気を感じる。「そうです」と鳴山さんが返すと、与崎さんと呼ばれた女性は話し始めた。
「一時間ほど前、海保の巡視船が本島沖合にて海水温の上昇を確認。その後、連絡が途絶えています」
「え……?」
「海自の護衛艦2隻が現在該当海域に直行していますが、非常に強い電波障害に見舞われ通信が安定していません。この状況は、70年前の海底火山発生時に類似しています」
「それって……島民が全滅したっていう…?」
私は自分の声が震えていくのを感じた。この島に来る前、島の歴史を調べた際に見つかったこの島最大の悲劇。それは、70年前の海底火山噴火。その状況に似ているという与崎さんの話に、否が応でも恐怖を感じずにはいられない。
与崎さんはそんな私の表情を冷徹に見据え、続けてこう言った。
「今日、70年前の悲劇が海底火山によるものではなく未知の"巨大不明生物"によるものであるという証拠がやっと掴めるかもしれません」
「巨大不明生物…?」
与崎さんが言い放った聞き慣れぬ単語を私は反芻した。
「ええ。70年前に大戸島の住民が述べた巨大生物の目撃情報―――当時の政府はその痕跡を血眼になって探しましたが、ついに証拠を見つけることはできませんでした。確たる証拠が無い以上、国民の混乱を防ぐには海底火山の噴火という見解を取らざるを得なかった」
与崎さんは徐々に身を前のめりにして、口調も早く強くなっていった。つい数分前まで露骨に私達に対して不快感を抱いていたはずなのに、そんなことは初めからなかったかのように揚々と語り続ける。
「時間が経つにつれて政府内にも巨大生物の存在を信じる者はいなくなっていきました。ごく一部の派閥だけが、秘密裏にこの島の近海を探索し続けていました。そんな折、島の近海で巨大生物が見られたという証言が得られ、私たちの苦労は遂に報われる時が来たのです」
与崎さんが語るこの島で過去に起きた事件の経緯は、私が事前に調べたものとは全く異なるものだった。明らかに創作物としか思えないような荒唐無稽な話すらも、この場において虚構と断じることはできない。
「その報を聞いた私と父はあらゆるコネと謀略を駆使して依諏間島統合調査団を結成しました。総理に働きかけて自衛隊をも動員させたのです。そして今、その成果が結集しつつある! やはり存在していたのです、この島の近海に巨大不明生物が!」
決してそれを嘘や冗談と言わせぬ与崎さんの圧に、私は黙り込むことしかできなかった。この人は、おそらく正気ではないのだろうと予感した。一方で横で聞いている由良さんはどこか澄ました顔をしていた。この状況が恐ろしくないのだろうか。
「与崎氏、冷静に。その言葉が本当ならこの島は今未曽有の危機に瀕していることとなります。もちろんここも危ういことになる。住民の避難誘導など市長に打診すべきでは?」
鳴山さんは冷静にそう呼びかけるが、対照的に与崎さんは冷静さを欠いているようだった。
「そんなことは分かっています。ただ、避難をさせるにもまずは確たる証拠が欲しい! 海底火山などと言わせぬような、巨大不明生物の確実な姿です! それさえあれば」
「与崎情報官。護衛艦『たかお』より通信です」
まるで与崎さんの言葉に返答するかのように、自衛官の1人がそう告げる。
『…信じられません! 全く信じ…ません! 前方…巨大…』
ノイズの激しく混じった音声が途切れ途切れに聞こえてくる。同時に、会議室に下されたスクリーンに信じられない光景が浮かび上がった。
驟雨に襲われた夜の海は激しく荒れ狂い、水面が縦に斜めに暴れ回っていた。所々乱れた画質の悪い映像の中、護衛艦のライトが照らした先に山のように巨大な怪物の姿があった。比較物のない海において、その身体はどこまで大きいのか想像もつかなかった。海面から半身を露わにした巨躯は、まるで焼死体のように黒くザラついていた。皮膚からは所々棘が隆起し、背中には炎のように鋭く高い背鰭が天に向かって伸びていた。大きく裂けた口からは牙が飛び出し、鋭い眼光を携えた眼は強い怒りを本能的に感じさせた。
そして、その巨大で筋肉質な腕にまとわりつく何かが続けて目に入った。それは幾本もの濡れた触手に覆われ、その中心に本体とも言える身体が存在した。大きいタコのような姿をしたそれは、しかしタコと呼ぶにはあまりにも異常な翼を背に持っていた。触手の中には比較的人間のものと近い形状をした2本の腕が姿を覗かせていたが、指の間に水掻きが張っていることが人類との乖離を感じさせた。
黒い怪物はその筋肉質な腕でタコのような怪物の身体を真っ二つに引き裂いた。ブチブチと粘液に覆われた身体が引き千切れ、腸のような臓器が滝のように海に流れ落ちて行った。しかし驚くべきことに、それら千切られた組織自体が別個に動いては合体し、まるでゼリーが溶け合うかのように再び融合して一個の個体として蠢いていたのだ。
それは、この世のどこにも存在しない、してはならない悪夢の光景だった。私達は、絶対に触れてはならない深淵に触れてしまったのだ。1秒でも早く何かしらの行動を取らねばならない異常事態にあって、この会議室にいるすべての人間は数秒間の絶句を避けられなかった。
「なんだ、あれは」
沈黙を破った誰かの声が、ある種刺激となって私たちを現実に引き戻した。我々は今何をしなければならないのか。それを考えなくてはならない。しかし私はこみ上げる恐怖からもたらされる過呼吸を自分で抑えるのに精一杯だった。
「官邸及び中央指揮所より連絡! 本時刻をもって『有害鳥獣駆除を目的とした災害派遣』が発令され、武器の限定的使用が許可されました」
と、自衛官の1人が声を上げる。しかし与崎さんはその言葉とは異なる意味の言葉を現場に伝えた。
「『たかお』には『超法規的措置としての防衛出動による無制限武器使用許可』と命令を訂正して下さい。もちろん官邸には内密に」
「与崎情報官! 武器使用の権限はあなたが定めるものではありません。官邸は災害派遣と」
「この化け物を見てもまだそんなことが言えるんですか!? これは非常事態です! 責任は私が負います。直ちに『たかお』に総力戦を命じて下さい!」
自衛隊指揮官らしき人物との口論が繰り広げられる中、私はあまりの恐怖と現実味の無い光景に少し意識が朦朧としかけていた。これは本当に現実なのだろうか?
「与崎情報官。後の指揮は私と自衛隊が引き継ぎます。警察署屋上にヘリがあります。この2人を連れて島外に退避して下さい」
混乱を極める会議室の中で、鳴山さんは冷静にそう告げた。この2人というのは、私と由良さんのことだ。
「何を言っているんですか! 私にはこの島で起きることの趨勢を見極める必要があります! それは父や祖父が尽力し成し得なかった目標であり」
「口論している時間は無い。あなた方にはここで死なれては困る。連れて行け」
鳴山さんが言うや否や、私達3人は鳴山さんの部下と思しき人物に腕を掴まれ、会議室から引きずり出された。どうすればいいから分からなかったこともあり私はほとんど抵抗らしい抵抗をしなかったが、与崎さんは激しく身体を振って抵抗していた。
「そんな! こんなことは許されません!」
「萩本君。そのメモリを守り通してくれ。そこに全ての真実が眠っている」
別れ際、鳴山さんは私にそう告げた。私は彼に答えを返す暇すら与えられなかった。代わりに、堂本さんから送られたメモリをチャック付きのケースにしまい、慎重に懐に忍ばせた。
私達が慌ただしく階段を駆け上がる中、市内には避難を促すサイレンが鳴り始めた。与崎さんはなおも抵抗していたが、公安の男性刑事に数人がかりで押さえつけられてはどうしようもない。
「…………」
一方、由良さんはぼうっと何かを考え込んでいるようで、私が何かを話しかけても一切答えてくれなかった。誰とも意思を疎通できない状況がますます私の不安を煽った。
ヘリコプターに乗るのは人生で初めての体験だったが、そんなことに目新しさを感じている余裕はなかった。押し込まれるようにシートに座らされてシートベルトを閉められると、数分も経たないうちにヘリの翼が激しく回転し始めた。私達以外に乗っているのはパイロットを含め自衛官数名だけだった。
堂本先生は、戸村さんは、水元君は、一体どうなってしまうのだろう。この島は、一体どうなってしまうのだろう。そんな疑問に答えるものはなく、ヘリは空に浮かび上がる。私はただ頭を抱えて、これが夢であってほしいと祈ることしかできなかった。
「おい! アレだ、アレ!」
「おいパイロット、もっと離れろ!」
それでも、乗組員のそんな会話が聞こえてきてしまった私は、本能的に頭を上げて外を見てしまっていた。
上空からは依諏間島の全景が暗いながらも一望できた。島を挟んでほぼ反対側の海のさらに向こうに、ぼんやりと黒い影が見えたのだ。その影が一瞬爆炎に包まれて照らされる。さっきの映像で見たような詳細な姿は分からなかったが、映像越しではなく肉眼で見たことで、それが紛れもなく実在するものであることは嫌というほど理解できた。
「腕で艦を…へし折っています! 『たかお』が真っ二つに…」
「貸して! 私に見せなさい!」
双眼鏡を構えた乗組員が震える声で叫んだ。あの巨大な化け物が何をしているのかは肉眼では分からないが、その乗組員が告げた通りのことをしているのだろう。そんな乗組員から奪い取るように双眼鏡を取った与崎さんは、それを覗き込んで身体をガクガクと震わせていた。
「……
「…?」
ふと、由良さんが呟いた言葉の意味は私には分からなかった。しかし、それがあの怪物に関係していることはなんとなく理解できた。目を背けたくなるような化け物なのに、何故か私はそれから目を離すことができない。私もまた、狂気に呑まれてしまったのだろうか。
「……奴は?」
「……潜りました。海に」
双眼鏡を力無く下ろした与崎さんに私が問うと、彼女はそんな言葉を返した。ヘリは島から遠ざかり、冷たい風が外から吹き込んでくる。
「間もなく大戸島上空」
パイロットは冷静に私たちに現在位置を告げた。前方には、暗いが僅かに民家の光のある大戸島が見える。依諏間島が危機に瀕している今、大戸島も安全ではないはずだ。
「…? あれは……」
一度双眼鏡を下ろした与崎さんだったが、ヘリが大戸島の上空を通過しようという頃、その言葉と共に再びそれを覗き込んだ。あの黒い怪物がまだ何かをしようとしているのだろうか。
次の瞬間、私の視界は白一色に包まれた。まるで太陽が目の前に現れたかのように眩い閃光に視界が支配されたのだ。私と与崎さんはほぼ同時に悲鳴を上げた。
「降下! 降下ーっ! 大戸島に降りろ!」
乗組員の1人が咄嗟に叫ぶ。私が依諏間島の方角を見ると、島の近くから赤々と光るキノコ雲が天に向かって伸びていくのが見えた。高校生の頃に教科書で見た、核実験のキノコ雲にそっくりだった。そして、そこから生まれた衝撃波が依諏間島を薙いでいく様子も見えた。その衝撃波はあっという間にこちらに迫ってくる。本能的な恐怖に私は再び悲鳴を上げた。
あれを浴びたらヘリは落ちる。私は死ぬのだ。死にたくない。怖い。
「この島には、神様がいる」
ふと、由良さんがそう呟いた。
「でも、神様は私たちを助けてくれない。殺すだけ」
「だから私達は自分の力で生きるしかないんだよ」
由良さんの言葉の意味を理解できないまま、ヘリは激しく揺れ始めた。三半規管が掻き乱され、私たちの身体は激しく振り回された。強い衝撃と共に、私はふっと意識を喪失した。
この諸島は、この世界は、深海から来た二つの深淵に吞み込まれた。もう、私達に助かる術はないのだろう。それでも私は生きたいのだ。生きたいのに、その深淵に潜む真実を知りたいとも思ってしまう。それはあまりに傲慢なのだろうか。愚かなのだろうか。
《Episode C:完》
ちょっとテイストとしてはCよりもG寄りになってしまいましたが、一応話として区切りをつけるところまで進めたかったのでここまでをEpisode Cとしました。
ちょっと強引に話を進めた感じもありますし、内容としてもツッコミどころだらけとは思いますが、今作はこんな感じで突っ走りたいと思います。
次回からは新編Episode Gが始まりますので、楽しみにお待ちください。