ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe- 作:江藤えそら
Episode G-1:それでも私は地を這う
◆◆◆
気が付くと私は広々とした草原に立っていた。遠くには森が鬱蒼と生い茂り、その上にはどこまでも青い空が広がっている。絵に描いたような大自然の光景の中に、私達人類の存在を匂わせるものは一切存在しなかった。代わりに、黒い肌を携えた巨大な爬虫類が眼前を闊歩していた。身長はゆうに20mはあるだろうか、私が知っている地上動物とは比較にならない大きさだった。私はその爬虫類を視界に入れるなり、思わず悲鳴を上げて後ずさりした。
「―――大丈夫、あなたは実体を持ってここに存在しているわけではありません。僕達の身体が彼らと干渉することはない。すり抜けるだけです」
その声に反応して横を向くと、水元君が私の横に座っていた。水元君は無事だったのか。そこまで考えが及んだのち、私は自らが置かれていた状況を思い出した。私はヘリに乗っていて、依諏間島の近くで核爆発のような光が起こって、ヘリは吹き飛ばされて…。
「―――私、死んだの?」
最初に思いついた予感はそれだった。夢と呼ぶにはあまりにも明晰な意識に、先ほどまでとは全く異なる謎の光景。この状況を説明する方法を、私はそれしか思いつかなかった。
「精神がこの場所に辿り着いたということは、
「……?」
そう話す彼は、私が知っている水元君とは別人のようだった。私が署で会った水元君は大人しく、何かに怯えているような不安げな表情をしていた。今の彼にはそれが無い。まるでこれまで怯えていたものの全てを知り、受け入れているかのようだ。
「僕にもこの時空の存在についてはよく分かっていません。ただ、近しいタイミングで近しい狂気を覗き込んだ際に精神が時空を超えて交わることは稀に起こるようです」
そう話している間に、私の視界には別の生物が現れた。それは巨大なウミユリのような生き物で、樽のような寸胴に翼と触手が生え、胴体のてっぺんにはヒトデのような五芒星の頭部があった。あまりにグロテスクな姿に私は本能的に吐き気を覚えた。さらに不気味だったのは、その生き物が何か道具のような物を器用に触手で操り、黒い爬虫類とコンタクトを取っているように見えたことだ。あのような化け物が文明的と思える活動を行っている事実がさらに私の肝を冷やしたのだった。
「…あれは、何?」
「あれは
え? と私は素っ頓狂な声を出した。彼が何を言っているのか理解しようとしたが、分からなかった。そして、そのウミユリ状生物の形状に見覚えがあることを私は思い出した。よく見れば、その横を歩く巨大な爬虫類もそうだ。あれは島で見つかった化石の生き物たちだ。私は2億5000万年前の地球に迷い込んだというのか。
「どうやら精神が交わったのは僕とあなただけではなく、
「何を…言っているの? 私は、島のみんなはどうなったの? あの黒い怪物は?」
「落ち着いてください。あなたはそう長くないうちに目を覚まします。―――これはちょっと特殊な夢に過ぎませんから」
夢、とはっきり口にしてもらえたことで私は少し冷静になれた気がした。それにしては意識が明朗過ぎる違和感は未だ拭えないものの、夢だと思えばあり得ない状況の数々にも納得がいく。じゃあ今目の前にいる水元君も、爬虫類も、ウミユリ状生物も、全部私の妄想に過ぎないのだろうか?
「水元君は逃げられたの? あの島から。もしそうなら大戸島に来て。私はそこにいるから。あなたにも、他の人にも伝えなきゃいけないことがたくさんあるの」
私は早口に、興奮気味に水元君の袖を掴んでそう言った。もし目の前にいる彼が私の夢、妄想に過ぎないのだとしても、これだけは伝えておかなければならない気がした。再びみんなで合流して今後のことを考えなければ。依諏間島が、下手をすれば日本が、とんでもないことになってしまうかもしれないのだ。
だが、水元君は少しばつが悪そうに俯いて、独り言を呟くかのようにこう言った。
「――ごめんなさい、僕はあなたのところへ行くことはできません。僕はあなたよりも少しだけ深淵に近づき過ぎてしまった」
「何それ……どういうこと?」
私が問いかけると、水元君は私の目をじぃっと見た。その目は、心なしか私が知っている水元君の目よりも大きく感じられた。
「ですが、ご心配なく。またきっと会えます。
彼の目から瞼が引っ込み、その顔は鱗に覆われて暗緑色に染まっていった。首元には亀裂が入り、赤黒い鰓が覗き見えていた。もはやその姿は水元君とは全くかけ離れたものになってしまったのに、くぐもった声は僅かに彼の印象を残していた。水元君が怪物と化したショックに私は悲鳴を上げ、その場に卒倒した。視界が暗転し、魚でも人でもない何かが私の顔を上から覗き込み、聞き慣れない言葉を呟く姿を最後に私の意識は再び断ち切られた。
『”
◆◆◆
視界が取り戻されると、灰色の天井とクルクル回転する天井扇がまず目に入った。顔を下に向けると、服はそのままで床に敷かれた白い布団に寝かせられていることが分かった。
「おはよ」
そのぶっきらぼうな声の主が由良さんであることはすぐに分かった。急いで飛び起きようと上半身を起こした私は、直後に背中に走った激痛に声を上げた。
「変に動かない方がいいよ。アンタ今、背骨の棘突起にヒビが入ってるから」
目の前には、確かに椅子に座って私を見下ろしている由良さんがいた。頭も痛い。が、とりあえず自分が生きているらしいことは確信が持てた。
「…あの、えっと」
「まずは深呼吸。私が知ってる範囲で一個一個説明するから落ち着いて聞いて」
何から聞けばよいか分からずにどもる私に、由良さんは冷静なアドバイスをくれた。私は言われるがままに深呼吸し、胸に手を当てて心臓の鼓動を抑えながら由良さんの言葉を待った。
「今は午後12時半。私らが乗っていたヘリが不時着してからおよそ11時間が経過。ヘリは依諏間島での爆発の衝撃波を受けて制御を失い、この大戸島に胴体着陸した。すぐに島の人達が私達を見つけ出して診療所に運び込んだ。私にしてみれば人生で一番激しい帰省だね」
私は振り回される機体の中で真っ先に頭を打って気を失っていたらしい。胴体着陸する瞬間は全く見た記憶がない。私は床の上に直に置かれた布団に寝かされていたようで、すぐ横のベッドには他の人が寝かされていた。
「ごめんね、ベッドが二つしかなかったから怪我が酷い人を優先させた。…残念だけど、乗組員のうち二名は着陸前に機体から振り落とされて亡くなった」
「……!」
先ほどまで近くにいて、生きて動いている瞬間を見ていた人が死んだと告げられたことに私は戦慄した。死をこれほどまでに身近に感じたことはなかった。
「与崎さんは?」
「そこにいるよ。パパが手は尽くしたけど、肋骨が砕けて結構マズい状況だから今は触れないであげて」
立ち上がって部屋の奥を見ると、確かに包帯を上半身いっぱいに巻かれた与崎さんが寝ていた。包帯の一部からは血が滲んでおり、傷の生々しさが伝わってくる。
「――依諏間島は? あの黒い怪物は?」
自分とヘリに乗っていたみんなの安否がある程度分かったところで、続けて私が気になったのはその二つだった。11時間も経ってこの島が無事なのは何故なのかというのも気になる。あの怪物はまだ依諏間島にいるのだろうか。
由良さんはその答えを告げる代わりに診療所の閉じられたカーテンを一気に開けた。この診療所自体が小高い丘の上にあるようで、この窓からは広々とした太平洋を一望できた。しかしそんな大洋よりも私の目を引くのは、その奥に鎮座する依諏間島の姿だった。遠目で見る限り島の詳細は分からないが、島から巨大な黒煙が天高く伸びていることは容易に確認できた。
「島は―――焼き尽くされた。そして、
「ゴジ…ラ?」
そういえば、ヘリに乗っている時にも由良さんがその言葉を意味深に呟いていたのを思い出した。その言葉は一体なんなのだろうか。
「あの黒い怪物は―――この大戸島に昔から伝わる神様なんだよ。もちろん、この目で見たのは初めてだけど」
「神様……?」
「美恵、誰か起きたのか?」
その言葉と共に白衣を着た中年か初老くらいの男性が入ってきた。由良さんは彼が自身の父親であり、大戸島唯一の医者であることを教えてくれた。
「大変だったよ。依諏間島で爆発が起きて、ヘリが落ちてきて…。残念ながら死者も出てしまった。しかも悪いことに、大規模な電波障害に襲われているのか本土との連絡が一切つかない」
「え…?」
本土との連絡遮断。それは、この場で最も憂慮すべき異常事態と言えるだろう。あれほどの怪物が現れたにも関わらず、それを本土に知らせる手段がなければ国家の対応も期待できない。いや、与崎さんをはじめ自衛隊や公安にも相当な被害が出ている。流石に国が何も対応しないことは無いとは思いたいが…。
「ご遺体については島の者達と協議して、悪くなる前に火葬することにした。いろいろ問題になるかもしれんが、やむを得ない。あとは負傷者の治療だが、これも私1人では人手が足りず…」
「病み上がりの私がパパと一緒に手当に駆けずり回ってたってワケ。私がほぼ無傷でヘリから出てこれたのが不幸中の幸いだったね」
本土と連絡がつかないという異常事態にも関わらず、彼らはそこまで動揺している様子はなかった。離島の人達はこういう状況に慣れているのだろうか。
「…それで、あの黒い怪物―――ゴジラ…でしたっけ?―――そいつはどこに? まだ近くにいるんですよね?」
私はいちばん気になっていたことを問いかけた。思い出しただけでも全身の震えが止まらない。警察署の映像でも肉眼でもハッキリと姿が見えたわけではなかったが、この世の絶望をを凝縮したような黒いシルエットは人々の心を恐怖のどん底に叩き落とすには十分だった。
「ゴジラは依諏間島を焼き尽くした後、海底に戻った……。70年前と同じだ。今度こそ世界は焼き尽くされるかもしれない。娘が助かったのは不幸中の幸いだったが、とてつもない数の人が犠牲になっただろう。そしてこれからも…」
「せ、世界……? それはどういう?」
「…詳しいことは大戸神社の神主さんに聞くといい。あの方はゴジラの伝承には誰よりも詳しいからね」
お父様が発した不穏な言葉に私は思わず身を乗り出したが、大事なところははぐらかされてしまった感じがする。神主さんがいるというのなら、後でその人に話を聞きに行こう。それにしても、そのゴジラとかいう怪物が今まさにこの島に現れる可能性だって充分にあると思うと全く落ち着かない。今はただ、それが起きないことを神様に祈ることしかできない。…この島の人にとっての神様はゴジラらしいが。
「ところで、ずっと眠っていてお腹も空いただろう? 診療所の隣が私達の家だから、みんなでご飯にしよう。妻が君の分も用意してくれているはずだ」
「ママのご飯美味しいよー」
様々な不安はありつつも、ありがたい申し出であることは間違いない。私は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「少々賑やかな先客はいるが、容赦してほしい」
「…?」
やや意味深な言葉に頭を傾げながら、私達は隣の家に上がった。
「デリシャス! 本当に助かりましたヨ、センセー」
家に上がるや否や、大きな声が私達を迎えた。居間に上がると、大柄で髭を生やし、右腕に包帯を巻いた黒人男性が左手でフライドチキンを頬張っていた。テーブルに置いてあるビールの空きジョッキは5つほどもあった。
「やれやれ、病み上がりが無茶をしちゃいかんよ」
由良さんのお父様は彼にそう告げると、私の方に振り返って軽く紹介をした。
「彼は今朝、ボートでこの島に流れ着いた生存者だ。名前は…」
「パトリック、デス! あれ? キミ、見たことある」
私はその人の顔を見て思い出した。堂本先生が警察署を去る時に稀に運転手をしていた外国人のお兄さんだ。堂本先生は自分で運転をする時もあればこのお兄さんを伴っていることもあって、どういう人か尋ねても教えてくれなかった。
「あなた…堂本先生の付き人の方…?」
「えっ、あのオッサンに召使いとかいたの?」
「Oh!
そう言ってパトリックと名乗った男性は少し曇った表情を見せた。
こうして由良さんのお母様も交えて食事がてら、パトリックさんがどうやって依諏間島からここまで辿り着いたのか、話を聞くことになった。由良さん達は医者の家系ということもあって全員英語が分かるというので、伝えやすいよう英語で話してもらうこととした。私も聞くだけなら問題なく理解する自信はあった。
パトリックさんは先に食事を終え、ビールの最後のひと口を飲み干すと、先ほどまでの元気な様子とは打って変わって神妙な面持ちで語り始めた。
「(詳細については組織のルールで教えられないが、俺とヒデオはある組織に所属していて、その活動でこの島にいる宗教勢力の活動内容を追っていたんだ。個人的な話をすると、元々海兵隊にいた俺はある時、幼少期に蒸発した家族が依諏間島にいるらしいという情報を得たんだ。それもこの組織に加わった理由のひとつだ。俺は消えた家族の行方を掴みたかった。…最終的には徒労に終わったがね)」
堂本先生が私の大学と依諏間島統合調査団以外の組織に所属しているなんて話は全く聞いたことがなかったが、それでもその話にそこまで疑いは抱かなかった。彼は常にミステリアスで、いつの間にかどこかにいってしまったり知らない人と話し込んでいたりするような人だったからだ。
「(それで俺達はヒデオの言う通り、その宗教勢力の儀式が行われているっていう海岸へ向かった。その道中で、ヒデオの調査仲間っていう若者を拾って連れて行ったんだ。名前は確か…ユーヤ・ミズモト)」
「水元君を!?」
彼の名前がパトリックさんの口から出てきた途端、私は意識を失っている間に見た夢の光景を思い出した。あれはただの夢。私の妄想に過ぎない…はずだが、本当にそうなのだろうかという思いも断ち切れない。まさか、彼がパトリックさんと一緒に行動していたなんて。彼が一体どうなったのか、嫌な予感を感じつつも私は知りたい気持ちを抑えられなかった。
「(そして案の定、そこでは儀式が行われていた。そして海から出てきたんだ……魚のような人のような姿をしたバケモノが。俺達の任務は儀式の詳細を追い、奴らが信仰している”邪神”の存在を暴くことだった。だが、まさかその邪神そのものに出会うとは思わなかったぜ)」
魚のようなバケモノ、という言葉に私は違和感を抱いた。黒い怪物…"ゴジラ"は確かに恐ろしい姿をしていたが、アレを見て魚という印象は抱かなかった。もしかすると、近くで見たら違う印象があるのかもしれないが。
「(ヒデオは完全にイカレちまってた。車で逃げようとしたが、その魚のバケモノの子分みたいなのに襲われて車をやられたんだ。俺は必死に走って砂浜から逃げた。ヒデオとユーヤにも逃げるように声はかけたが、自分のことに精一杯で連れて来る余裕はなかった)」
パトリックさんは左手で頭を抱えて苦しそうに自らに起きた信じがたい出来事について語った。信じがたい話ではあるが、彼が嘘を言っているような様子はない。それが本当だとしても、その状況ではパトリックさんを責めることはできないだろう。
「(それで俺は必死に走り続けて、海岸にモーターボートが止まっているのを見つけたんだ。誰かが乗り捨てたのか分からんが、幸いにも燃料は入っていたしキーも差しっぱなしだった。海兵隊でボートを操縦するのには慣れてたから、俺は無我夢中で北に向かってボートを走らせたんだ。何が起きても絶対に背後を振り向かないよう、心に決めて。そうしたら…)」
パトリックさんの声色はますます重くなり、身体は微かに震えはじめた。由良さんのお父様が彼の背中に手を置いてリラックスさせるが、お父様自身も額に冷や汗を浮かべていた。
「(地震が起きたんだ。海の上からでも分かるくらいの地震だぞ? しかも、明確に背後から振動していることさえ分かった。俺は背後に何があるのか、知りたい感情を抑えられなかった。ボートの速度を保ちながら、背後を振り向いた。依諏間島の南方の沖合に、山よりもデカくて黒いバケモノがいたんだ。俺からはかなり距離があったが、それでもハッキリ見えるくらいの大きさだった。自衛隊の艦が奴に砲撃とミサイルを浴びせていた。それを奴はものともせず、艦を持ち上げて真っ二つにへし折ったんだ。マジで世界の終わりだと思った…)」
そこまで話を聞いた時、やはり彼が最初に言っていた魚の怪物というものがゴジラとは異なる存在であるということが分かった。最初に彼は魚の怪物という私が知らない何かに遭遇していて、その後に海上でゴジラを見たのだ。
そしてゴジラに関する彼の証言は、ヘリで乗組員から聞いたものと一致していた。自衛隊の艦はゴジラに攻撃を加えたが、そんなものは意に介さずゴジラは素手で艦を二つにへし折ったのだ。まさに映画の世界の話だ。
だが、私にはもう一つ気になることがあった。私は拙い英語で辿々しく彼に尋ねた。
「(その黒い怪物に、タコのような怪物がまとわりついていませんでしたか?)」
パトリックさんは少し首を傾げた後、こう返した。
「(タコ? …いや、俺が見た感じはそんなものはいなかったな。もしくは、俺の位置からじゃ遠かったから見えなかっただけかもな。アンタはタコの化け物も見たのか?)」
「(…その黒い怪物と戦っているのを見ました。自衛隊が戦うよりも、前に)」
私達がまだ警察署にいた時に見た映像では、ゴジラは自らにまとわりつくタコのような生き物を引きちぎっていた。しかし、パトリックさんがゴジラを見た時にはすでにその姿はなかった。あのタコの怪物は一体何だったのだろうか?
「(…その話も気になるが、一旦俺の体験を全て話すぞ。俺は恐怖で震えながら、乗っているボートが依諏間島から離れるのを待った。すると艦を沈めた黒いモンスターは海に潜って消えた。それから十分も経たないうちだった。…信じられないくらいの爆発が沖合で起きた。おそらく、奴が自衛隊の艦を壊した場所よりもう少し砂浜…俺やヒデオ達が元々いた砂浜に近い方角だったと思う。まるで太陽が一瞬空に現れたかと思うくらいの明るさだった。その場所からゆっくりキノコ雲が上がるのが見えて、その後に衝撃波が襲いかかってきた)」
それが、私達のヘリを胴体着陸に追いやったあの破滅的な爆発なのだろう。昨夜のことを思い返して私も身体をガクガクと震わせた。
「(とんでもない衝撃に俺は海に投げ出され、ボートはひっくり返った。"ああ、死んだな"って思ったよ。俺は荒れ狂う波の中で必死にもがいて、ひっくり返ったボートの腹にしがみついた。ボートはそのまま潮流に流されて、目が覚めたらこの島に流れ着いていた。奇跡だよ)」
こうしてパトリックさんは自身の身に起きた破滅的な、しかし奇跡的な事象について語り終えた。確かに依諏間島の周囲は海流が早く、距離と海流だけを考慮するなら一晩足らずで依諏間島から大戸島に流れ着く可能性はある。しかし場所を考慮すると、太平洋の大海原に小さく浮かぶ大戸島にピンポイントで流れ着いたというのは彼が言う通り奇跡に等しい。
「(信じられないこと、この世の終わりみたいなことの連続だった。今ここに生きてることすら信じられない。だから今だけは自分が生きてることを神に感謝してささやかな祝勝会をしてたんだ。もちろん悪い方の神じゃなくて俺が信じる神に、だぞ)」
そこまで話すと、自分の言えることは全て言ったとばかりにパトリックさんはどかりとソファーにもたれかかった。
「(…で、アンタが言っていたタコの怪物ってのが気になるな。そいつは黒い怪物に殺されたのか?)」
「(それは私にも分からない。けれど、魚の怪物と何か関係があるのかも)」
海産物様の姿形をしているということしか共通点はないが、私にはそう思えた。私にしてみれば魚の怪物というのも実際に見ていないし信じられない話ではあるが、あんな怪物が出てきた以上彼の話も事実と考えていいだろう。
しかし、彼の話が本当だとすると堂本先生と水元君が無事である確率は限りなく低いと言わざるを得ないだろう。私は肩をがっくりと落とした。堂本先生は日頃から何を考えているか分からない人ではあったが、だからこそ何が起きても泰然自若と構えているような、殺しても死なないような人だと思っていた。その堂本先生がまさかこんなにあっさりといなくなってしまうなんて。私達は既に人命など吹けば飛ぶような領域に足を踏み入れているのだと思い知った。
しかし水元君については―――やはり先ほどの夢が気になる。あれは単なる夢でないのだとしたら、彼はどうなってしまったのだろうか。
「……由良さん、魚やタコの怪物の方に何か思い当たることは?」
数秒間の沈黙ののち、私は由良さんにそう問いかけた。黒い怪物にはゴジラという名前があることがこの島の伝承から分かった。ならば、その魚のような怪物も何か伝承に残る情報があるのではないだろうか。
「…”魚人間”のこと? 確かに昔っから海に近付いたら出るよって言い伝えられてはいたけど、ゴジラみたいに神様としてまつられているわけじゃないし、あくまでも子供達が荒波に近付かないように大人たちが作った話だ―――って思ってたよ。昔はね」
由良さんは含みのある言い方でそう説明した。そして、おもむろに立ち上がって自分の物と思われるカバンを漁り、一枚の紙を取り出した。それには、鱗や鰓を持ちながら二足で歩行する悍ましい魚人の絵が描かれていた。
私はハッと息を呑む。それは、先ほど見た夢の中で、最後に水元君が変身した悍ましい姿に瓜二つだった。あの夢を見た時はまだこの魚人の姿は知らなかったはずなのに、何故。私は恐怖に慄いた。やはり、あの夢はただの夢ではなかった。私以外の意識がどこからか介在してきたに違いない。それこそ、水元君本人の意識が…?
「これね、依諏間島の病院にいた時に担当してた患者が描いてた絵なんだ。オリジナルの絵は警察署に置いてきたけど、予め
「(Oh! こいつは間違いねえ、俺が砂浜で見た魚人だ! 魚の怪物はまさにこいつをそのまま大きくしたような姿だった。確かヒデオはその怪物をダゴンとハイドラと呼んでいたな)」
その絵を覗き込むや否やパトリックさんが声を上げた。二人の間で何かが繋がったようだ。
「この絵を描いた患者は精神病患者でさ。どうやら依諏間島の特定宗教組織と関りがあったらしいんだよね~。んで、実はその魚人って言うのが最近この島にも来てた可能性があって」
「えっ、どういうこと!?」
私は再び身を乗り出す。一つ気になることができると芋づる式に何か事件が出てくるようだ。
「実は先週、この島の唯一の駐在さんが忽然と行方不明になっちゃって。みんなで探したけど全く見つからず。その駐在さん、失踪する直前に体調不良でうちの診療所にいたんだけど、パパが言うにはなんか様子がおかしかったらしいんだ」
「海に行きたいとしきりに言ったり、”みんな焼き殺される”と騒いだりね。元々変わり者ではあったけど、そんな言動をするほどじゃなかったから周囲の住民が怯えちゃってね。依諏間市経由で本土の警察に話して交代人員を派遣してもらうはずだったんだが、その矢先の夜間にその駐在さんは病院から抜け出してしまったんだ」
由良さんから話を引き継いでお父様がそう説明した。
「どこを探しても見つからないのでやむを得ず駐在さんの自宅を強制的に調べたが、まるで最初からそんな人いなかったかのように私物が何もなくてね。ただ、唯一手記が置いてあったんだ。そこには『魚人間に出会った』と書かれていて」
「……!」
一見何の突拍子もないように思えた話が唐突にこれまでの話と繋がった事実に、背筋が寒くなるのを私は感じていた。
「そうか……堂本先生が追っていた依諏間島の宗教組織。人を狂わせる魚人間。そして恐らくはタコの怪物も―――恐らくすべてが繋がっていたんだ。そしてそれとは別に、黒い神―――ゴジラもこの依諏間諸島に存在していた。両者は何らかの理由で争い、その過程で依諏間島は滅びた」
それは何の根拠もない私の妄想に過ぎなかった。にもかかわらず、この場にいる誰もがその突拍子もない意見に異論を唱えなかった。
「魚の怪物達とゴジラは全く別系統のバケモノで、だからこそ私達人類と三つ巴の争いになったってことね。―――私達、今まさに神話の真っただ中にいるってことだね。全然嬉しくないけど」
由良さんがため息交じりに呟く。
「堂本のオッサンが遺したメモリ、解析すれば魚の怪物周りのことがいろいろ分かるかもね。どっちみち私とパパは患者がいる以上ここから離れられないから、解析は私がやるよ。アンタは神主様に会ってきたら?」
「分かった。地質学とかの難しい話があったらあとで私がまとめて見るから、とりあえず分かるところだけ解析してもらえる?」
私は由良さんの言葉に頷きつつ、懐に大切にしまっていたメモリを由良さんに渡した。
「調査なら、俺も行くヨ。お世話になりマシタ」
日本語でそう言ってパトリックさんが立ち上がった。
「もう動いて大丈夫なんですか?」
「大丈夫、やっちまったのは腕だけダカラ」
それなら…と私は応じるしかなかった。初対面の男性と二人で行動するのは気まずいが、堂本先生のことなど詳しく知っている彼がいた方が調査として有益になるのは間違いない。
「二人とも、泊まるところもないだろう? 夜までにはここに帰っておいで」
「ありがとうございます」
由良さんのお父様のありがたいお言葉に頭を下げつつ、私はパトリックさんを伴って家を出た。まだ背中が痛むが、悠長に休んでいられる状況ではない。この島と依諏間島で何が起きているのか、今から世界と人類がどんな困難に直面するのか、それを明らかにするまでは安堵して眠ることもできないのだ。
それが人類の小さなあがきだったとしても、私達にできることは全てやっておかなければ。その思いが、私の足を自然に早めていた。
本話から新章に入ります。とはいえ三章くらいで完結するつもりではありますが。
相変わらず膨大な量の設定解説に時間を割いていられないので、不自然なくらいトントン拍子で話が進んでいきます。ご容赦ください。