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過ちというものは、誰であろうと犯してしまうものだ。
それが恣意的なものであれ、無意識なものであれ、何であろうと過ちというものに変わりはなく、そしてそれが消え去る事はない。
人も、怪物も、悪魔も、天使も―――或いは神すらも例外ではない。
この世に存在するありとあらゆる全ての生命には、過ちがある。それは誰にも消す事の出来ない絶対的なものであり、死して漸く過ちというものは忘れ去られる。
あらゆるものを救うは死。最期には神すらも死に迎えられる。
死の騎士は言った。「生死は、鶏の卵さ。とにかく、最後には神も連れて行かねばならん」と。
神ですら死からは逃れられないのだ。神ですら己に刻まれた過ち、罪を清算する事は死以外では不可能なのだ。
故に―――単なるモンスター如きでは、逃げられる訳もない。
「暗き死には安らぎを。安らぎの果てに旅立ちを。我等は祈り、赦しを請い、憐憫を捨て、彼が主の下へ辿り着く末を見送るのだ」
「なんっ、なんだっ! 何なんだ、これは!?」
「されど私は身を焼くだろう。復讐の業火で身を焼き尽くし、血肉が塵となって尚も呪詛と化して君を殺すだろう」
「ぐっ―――がァァァァァァァァァッッッッッッッッッッッッッッッ!???!!!!?????!!!!!!??????!!!!!!???!!!!!!??????!!!!????!!!」
ハンスの過ちは、ただ一つだった。
神父の目の前で、知人を喰らった事。神父が何度も会話して、笑い合った事すらある人間を目の前で殺した事だった。
それは、偶然というよりは必然だったのかもしれない。
シスターを案内し、昼食を取ってから何気ない日が経った時、主神たるアクアからこんな事を言われたのだ。
『なんか、温泉の水が濁ってるみたいなの。入った人達が皆揃って体調を崩してるみたいで…調べてみたら、やっぱり毒が入ってたわ。それについてもっと調査したいから、協力してほしいの!』
温泉に毒が入っているという事。神父は今日で二度も温泉に入ったが、そんな事はなかった。
だが、あのアクア様がアルカンレティアや自分の信徒に関する事で嘘を吐く事はないと思い、神父は面倒くさそうながらも協力する事としたのだ。
様々な場所で聞き込みを続け、そしてこの小さな温泉―――先日、神父がシスターにオススメした場所へと訪れたのだ。
だが、そこには死体だけがあり、駆け寄る暇もなく、突如として現れた男―――ハンスによって、それは喰われた。
それこそが過ちだった。それこそが、大罪に他ならなかったのだ。
「焚べよ、焚べよ」
黒翼が羽撃く。
床が抉れる程の脚力で以て、神父は一直線に飛躍する。
まるで弾丸だ。
それ以外に、一瞬にして距離を殺して顔面へと膝蹴りを叩き込んだ神父を形容出来る言葉はなかった。
「我が友を殺めた者を炉に焚べよ。我が友を喰らった者に死を焚べよ。貴様の生を、貴様の命を、貴様の魂を、貴様が持ち得る一切合切全てを悉く薪として焚べよ。不義なる者に絶望あれ、善無き者に破滅あれ」
それは亡き者への鎮魂歌。しかし同時に、魔法の詠唱でもある。
それは、名も無き魔法。だが、我々の多くはそれを知っている。それに最も近いものを知っている。
『洗礼詠唱』。主の教えに基づき、迷えし魂をあるべき座へと還らせるもの。人ならざる存在にこそ絶大なる効果を与える、魔術を忌み嫌う組織において取得を許される唯一の魔術。
ただ力づくに周囲を浄化する力。信仰というルールを押し付ける摂理の鍵そのもの。
これは、それに最も近いもの。
ただ己が独白を鎮魂の歌詞とし、それを詠唱として代理させて魔法へと昇華させただけの代物だ。
「友よ、聞いているか。友よ、見ているか。今から聞かせてみせよう、
炎が猛る。光が猛る。
歩み寄る。一歩ずつ、確実に歩み寄る。
右手のガバメントが脳天を捉え、左手のSAAが魂を捉える。
逃れる事など出来はしない。抗う事など意味を為さない。今のハンスに出来るのは―――ただ、似合わぬ祈りを込めるだけだ。
「洗礼名インベル。アクシズ教アクセル支部神父。あぁ、お前は名乗らなくていいぞ。ハンスだろ? デッドリーポイズンスライムのハンスだ。そうだろ? そうだ、そうに違いない。間違いない。間違える筈がない」
「くっ…! テメェ、さっきから調子に乗ってんじゃ」
バァンッッ!!!!
轟音が小さな部屋で木霊し、
「ぐがァァァァァァァァァッッッッッッッッッ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」
絶叫が鳴り渡る。
鮮血はない。人の形など仮の姿、スライムであるハンスにはそもそもとして血など通ってはいないのだから。
だが、激痛は迸った。それまで決して味わった事のない、確かな傷みというものがハンスの体に、そして魂に刻まれた。
吹き飛んだ片腕が、人の形を保つ事なく浄化されて消え失せた。
「誰が喋って良いと言った? 誰がその汚い口を開いて良いと言った? それ以上、聞くに耐えない雑音を発するな。耳が腐る」
「がっ、ぐぅ…!!!」
「いいか、決して喋るな。俺は今からお前に幾つか質問をするが、ただ首を振って答えろ。それ以外の事をしてみろ、俺は即座にお前の魂を撃ち抜く。肉体ではなく魂だ、再生する暇など
「っ…!」
口内へと突き付けられる銃口。
浄化魔法の刻印が刻まれたそれは、少しずつハンスの体を内側からじわじわと苦しめる。小さな炎で炙る様に。
閉口する以外の選択肢など、ある訳がなかった。
「そうだ、それでいい。正直に答えれば俺も手間が省ける。まず1つ目の質問だ、お前が此処の爺を殺したのか?」
首を横に振る。違うらしい。
「なら、爺を殺したのは女か? 刀を持ったシスターだったか?」
首を縦に振る。正解だ。
凡その目星がついた。
「その女は魔王軍か?」
首を縦に振る。正解だ。
「その女はエリス教か?」
首を横に振る。違うらしい。
「そうか。なら、お前に聞く事はもうない。後は簡単な推察で十分だ。よく正直に答えてくれた―――これ以上、生かす理由も無くなった」
「!?」
「生かす訳がないだろ。お前は死ぬ、此処で死ぬ。祈る間を与える事なく、造作もなく死ぬんだ。俺はお前を撃つ、撃っていいんだ。俺はお前を撃っていい。お前を殺していいのは俺だけだ」
指に力を込めて、引き金へ。
「主には祈りを。同志には祝福を。死者には沈黙を」
「っっっ!!!」
手足を動かした瞬間、乾いた音が劈く。
右手が吹き飛んだ。呆気なく、造作もなく、消し飛んだ。
「私は牙。或いは爪。或いは手足。或いは道具。
神の意のまま御心のまま、昏き魂に救済と破滅を為すだけの刃物に過ぎない」
「――――――!!!!!!!」
右足が消し飛んだ。
ピシッ…と、魂に亀裂が入っていく。
「所詮は死の一兵卒。闇夜に紛れ、穢れを以て神託を告げる」
「ッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
声にならない声で吠えても、それを理解する者など誰も居ない。
SAAが、それを掻き消す。平和を創る銃が、悪逆無道たる怪物を苦しめる。
左足が消し飛んだ。
「群れる事なき異端、孤独に這う無礼者。されど我が身、我が心を主に捧げし者なり」
「生きとし生ける者に施しを」
「無様に死せる者には嘲笑を」
「女神アクアの名に誓い、不義なる者に鉄槌を―――」
バァン――――――。
薬莢が落ちて、硝煙が部屋を包む。
物言わぬ屍になる事もなく、魂を撃ち抜かれた男は……その全てが崩れ落ちて、死んでいった。
「……」
「神父さん…」
「…帰るぞ。原因は消えた。源水を直接浄化すれば、それで問題は解決だ」
「…そうね。けど、その前に…あたしからも、死んでしまったあの子に」
「アクア様から直々にとなれば、彼も報われましょう」