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「誰かって? 勿論、余だぞ!」
「気持ち悪ぃな。てめぇローマ出身じゃねぇだろ」
神父は奏者ではない。故に思いっきり顔を顰めて毒を吐く。
其処は、あまりにも現代的な空間だった。
普通こういう場面ならば、真っ白とか真っ黒な空間を想像するのだろうが、しかしながら現実は全くとしてそんな神秘的な場面ではなかった。
一室だ。何処かの町に建てられた一軒家のリビングそのものだ。
現代的建造物の中でしかない空間に置かれた、某人をダメにする系のソファに寝そべりながら、良い笑顔で神父を歓迎するは―――かつて魔神と呼ばれた最古にしてい最強の悪魔である。
魔神のラプラス。全知全能のラプラス。
神々が幾億という長い時間を費やして尚も倒す事が出来なかった、唯一にして絶対の存在。『地獄の公爵』と呼ばれる、悪魔跋扈する地獄においても特別秀でた力を持った悪魔達の統率者にして悪魔の王。
そんな彼女―――悪魔には性別というものは存在しないのだが―――は、まるで自宅で寛ぐ人間の様に寛いでいた。
「こうして再び会えて余は嬉しいんだけどなー。悪態ついてるけど実は嬉しかったりすんじゃないのー?」
長い黒髪の女の姿をした神は、悪戯を思い描いた子供の様にニヤニヤとしていた。
バニルの様なタキシード服ではなく、パーカーを着ている。見た目だけで言えばパーカー一枚だ。
パーカーの前部分にデカデカとI know everything, so I can do anything.と書かれている、それはもう滅茶苦茶にダサいパーカーを着てソファに身を沈めている。
なんかもう、全体的に予想を裏切っている。誰のとは言わないが。
「あぁ、嬉しいとも。殺したい相手が目の前に居るからな、それはもう涙を流すくらいに嬉しいねクソ野郎」
「相変わらず口が悪いな。まぁまぁ、そう怒らず焦らず。立ち話もなんだし、座ると良い。どうせこの空間じゃ余を殺す事は出来ないよ、暴れる事も出来ない。お前だけじゃなく、余もね」
「そこで俺だけじゃないのが気持ち悪い。テメェは何がしたいんだ? 腹の探り合いでもしたいのか? それともクソみたいにつまらん問答か?」
朗らかに笑いながら座る様に促す元魔神を警戒しながらも、神父は癪ながら促されるままにソファへと座り込んだ。
そして流れる様に煙草を吸い出す。例え神の御前であろうと、この男は堂々と副流煙を撒き散らすのだ。
流石はアクシズ教徒。異教の主神に対しては何処までも無礼である。
まぁ、この神父に関しては元から神を見下してるからなのだが。
「んー、惜しい。非常に惜しいな。余は単にお前と話したいってだけだぞ、至極単純に」
「それが理解出来ねぇんだよ。あれか、君のお陰で神様になれたよありがとねとか嫌味でも言いたいのか」
「まさか。そこも含めて色々と話したいんだよ、腹を割って話し合おうってやつ」
「……」
神父は目を鋭くし、睨み続ける。
それが答えだと理解したのか、ラプラスは困った様な顔を浮かべた。
「すごい疑われ様だな。信用がないのは当然だと自覚しているが、そこまで隠されないと流石の余も傷付くぞ?」
「おう、存分に傷付け」
「そこは慰めの言葉が欲しかったぞ、余」
「やる訳ねぇだろ間抜け」
ばっさりと斬り捨てられる全知全能の女神。
神父は相変わらず鋭い目つきのままである。ソファに身を沈める事もなく、ただ腰を下ろして強く警戒を続けている。
妥当も妥当、というか当然である。そう易々と警戒を解く事なぞ出来る訳もなし、相手が宿敵であるならば尚更だ。
神父としては、向こうも同じ様に自分を宿敵として見ているのではないかと疑っていたのだが、どうもそんな気配が欠片もない。
しかし、それこそ不自然だ。だからこそ、神父は一切として警戒を解かない。暴力も殺傷も不可能なこの空間に在ろうとも。
「本当に神父らしからぬ言動だぞ、お前。曲がりなりにも神父なのにそれはどうなのかなって余は思う」
「黙れ没落野郎」
「寧ろ繰り上がったのだが?」
「唯一無二の能力失った癖に何をほざいてんだ?」
「ぐっ…それは確かに」
痛い所を突かれたのか、苦しそうにするラプラスを見て神父は確信に至る。
もうこの女には、『存在するありとあらゆる全てを認識する』という強力無比な能力は無いのだと。
彼女が絶対にして無敵であった所以―――全知の力。この世界に存在した瞬間、それは一切の例外無く彼女の認識の内となる。
そして、全てを識るが故に全てを為す。全知を以て全能へ至った。
だが、今やそれは存在しない。何故ならばそれは―――彼女が悪魔であったが故のものだからだ。
「お前に撃たれて、余の悪魔としての側面は完全に殺されたよ。IFすら含めて殺されるとは思っていなかったが、そのお陰で余は神格に全てを移し替える事が出来たのだよ」
ラプラスの悪魔―――現代において否定された論理の中にのみ実在した、物理的な世界の超越的存在。
悪魔の力は悪魔であるからこそのもの。悪魔でなくなったのならば、もはや能力は扱えない。
悪魔ラプラスとしての力は、神父から放たれた弾丸によって殺された。IFの世界軸すらも含めて、確実にあの時殺されたのだ。
だが、だからこそ。殺されたからこそ、ラプラスは神格としての自分に全てを移す事が可能となったのだ。
IF―――もしもの世界軸を握り潰されたが故に、自己同一体のパラドックスが起きる事はない。
悪魔としての全てが殺され、代わりに神としての存在を確立させた結果が今なのだ。
「あの死に体でよくやる。くたばって欲しかったんだがな」
「実際くたばる寸前だったぞ。余もかなり焦った」
「惜しいな、クソが。最後までやっておくべきだった」
「分かってはいるけど実際に言われ続けると心に来るな。言うて余殆ど何もしてなくない?」
「カルラ。ポール。クラレント。ラック。カプル。アリヤ。アントル。ネガ。カナタ。イリス。カティ。オウル」
「それは?」
「テメェの所為で死んだ俺の教え子だ」
「誠に申し訳ございません」
「謝罪なんざ求めてねぇよ。神にも悪魔にもな」
たかが殺し切れなかった、それだけで憎悪には行き着かない。
忘れてはならない。魔神ラプラスの召喚によって、王都は壊滅寸前にまで追い詰められていたのだと。
その被害は決して尋常ではなかった。もはや見る影もない程に、街はその全てが燃やし尽くされ、壊され尽くされた。
そんな状況で死者は出なかった、なんて都合の良い現実はない。神父の教え子達の多くが、儚い命を散らせていったのだ。
特にイリス、カティ、カナタの三人は―――まだ10歳になったばかりの子供だった。
「容姿も、性格も、特徴も、得意も、不得意も、好物も、何もかも覚えてる。あれから結構経ったが、思った以上に忘れる事はなくてな。だからこそ―――この憎悪も滾ったままだ。テメェが生きてると聞いた時は、わりと嬉しかった。またこの手で殺し切れるってな」
「うっ……反論のしようもない、反論をするつもりもない。そればかりは、確かに余の過失だ」
「テメェがどれだけ態度を変えていようが、信仰を集めていようが、何であろうが、俺が果たすべき事に変更はない。今度こそ確実にお前を殺す、それだけを果たす」
瞳の奥で憎悪の炎を揺らし、眼光で女神を貫く。
気圧される。女神となった筈のラプラスですら、神父の憎悪には呑み込まそうになっていた。
つい口角が上がる。
そうだ、この感覚だ。あの時の自分を撃ち抜いた、身を焼き尽くされる様な憎悪の眼。
これまで誰一人として、そんな眼を向けてくる事は無かった。神々ですら、恐怖の視線を向けてくるばかりでしかなかった。
そんな己に、ここまで強い憎悪を向ける唯一の男。
それが―――この神父だ。
会話してみたかった。しっかりと顔を合わせてみたかった。女神となってから、こうして言葉を交わす事を密かな楽しみとしていたのだ。
憎悪の目とは別に、神父の憎悪とは別に、ラプラスは感謝しているのだから。
彼のお陰で―――もうこれ以上、知りたくもない事を識る事は無くなったのだから。
まぁ、それはそれとして。
「まぁ、今のお前は明らかに家でぐーたらしてるだらしない女以外の何者でもないがな」
神父は容赦なく言い放った。
女神となって自分の空間を創り出してから、気にしている事をズバッと言い放ちやがった。
これには、さしもの全知全能の女神も吐血せん勢いである。
「ぐはっ…! 言ったな!? 今の余が最も気にしている事を平然と!」
「気にしてるなら治してみろよ。全知全能の女神サマなんだろ」
「いや…このソファから抜け出せなくて」
「ハッ」
「鼻で笑われた……!?」
「どうせ暴れられねぇんだろ。なら存分に罵倒させてもらうとするさ、ニート野郎」
凶悪な笑みを浮かべ、神父は口を開いて舌を回す。
例え物理が無理でも、言葉による暴力でも平然と相手を叩きのめす。精神的な攻めも得意な不真面目な神父であった。