SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第一章 雷動の二ヶ月
第1話 序章~ソードアートオンライン~


 西暦2022年11月6日、浮遊城第1層。

 

 

「ヒャッハー!! これよコレェ!!」

 

 イノシシ型モンスターの鼻面に鉄塊を押し込みながら、世紀末的な叫びをあげた俺は、硝子のフレークを浴びると剣を払って満足げに空を仰いでいた。

 気持ちいい。生物の命を絶つという、ある種の背徳的な危うさと非現実感が一気に押し寄せる。

 

「(やべ、声出てた……)」

 

 ここがオンライン世界であることを思い出し、慌てて辺りを見渡す。

 ……よし、幸いフィールドには誰もいない。

 

「う〜し次だ……」

 

 今度は小さくつぶやく。

 最大級のVRMMO。ソードアート・オンラインこと《SAO》の世界へダイブしてから4時間半。

 正確には最大級ではなく『最大』であるSAOの造り出すバーチャル空間は、誇張ではなく本当に広かった。

 ゲーム業界が到達した新しい境地、完全仮想現実。

 VRMMOなんて、学のない俺からすると横文字の意味はさっぱりだが、つまりコントローラーではなく、実際に脳が発する電気的な信号をマシンが読み取り、疑似人体であるアバターを動かして攻略を進める次世代ゲームだそうだ。

 《ナーヴギア》なる流線型ヘッドギアを頭に被り、それが意識を遮断すると、自室のベッドの上にいようと広大な世界へ飛び出すことができてしまう。

 もちろん家具が壊れないよう、筋肉へ伝わる信号素子もすべて延髄部でキャンセルされヘッドギアが回収してくれる。『本体』は寝たまま、『プレイヤー』は暴れたい放題という寸法である。

 本日午後1時、正式サービス開始。

 その直後から1万人ものプレイヤーが同じフィールドで楽しんでいた。

 同時に、これが初経験でないプレイヤーもいる。

 諸事情からその1人に該当する俺も、すでにある程度操作に慣れ始め、早速自称プロゲーマーの名に恥じないレベル上げを繰り返しているところである。

 

「オラオラどうしたァっ!!」

 

 バシュウ! と、また音を立て、目の前にいたイノシシ型モンスター《クレイジー・ボア》が四散する。

 繰り返すが人はいない。ボリュームもちょっと抑えた。

 倒した相手は荒野を徘徊して草木や虫を探す食欲旺盛な個体だが、奴らとて主街区からいくばくも離れない位置に棲息する、いわゆる雑魚Mobである。

 もっとも、ドでかい円柱形フィールド100層からなる《浮遊城アインクラッド》の最初期の相手と言えど、これでもまだほとんどのプレイヤーが留まるアインクラッド第1層、《はじまりの街》周辺の非攻撃(ノンアクティブ)、《フレイジー・ボア》よりは好戦的と言えよう。こちらに攻撃意思がなくても、視界に入り次第突進してくるからである。

 そう、前述の通りゲーム内は広い。同じ第1層でも安全地域に設定された街は《はじまりの街》だけではなく、オプション兵装の売買が盛んな《トールバーナ》と呼ばれる街の周りでレベル上げをしているのだ。

 体躯も1.5倍ほどに膨れ上がり、原種に比べて角も長ければ得物を追う距離も長い獰猛(どうもう)さを併せ持つが、同骨格のモーション違いのせいか最終的に彼らの技は緩急をつけた突進に行きつく。俺が原種をスルーしてここで定点狩りしている理由である。

 特に欲しいアクセサリアイテムがあるわけではないが、SAOにおけるレベル5ぐらいまでは思考停止してここで狩りまくっていた方が効率もいい。

 

「(っと……思ったより体力ヤベーな)」

 

 先の戦闘で視界に赤みがかかってしまった。ふと自分のHPゲージに目をやると、その先端部分は早くも2割を切って危険域(レッドゾーン)にまで減っている。当たり所によってはもう1撃でゲームオーバーだろう。

 もっとも、このリアリティ、グラフィックを以てしても所詮はゲーム。死に戻り(デスルーラ)して《はじまりの街》の特定ポイントからやり直せばいいだけなのだ。

 が、ここまで歩いてくる時間だってバカにならない。さっさと回復するが吉か。

 

「(んん~……?)」

 

 慣れきった手つきで指を振り、メニュー画面である《メインメニュー・ウィンドウ》を開いていた俺だったが、目の前に同じモンスターが湧出(POP)するのが見えた。

 無論、今の俺のレベルは3であり、頑張れば1でも倒せる《クレイジー・ボア》は特段脅威ではない。こちらも1発KO状態ではあるが、ここSAOでは既存の2DスクロールRPGとは少々勝手が異なる。

 具体的には、『順番に攻撃してされて』の繰り返しではなく、(かわ)せるなら敵の攻撃をいくら躱してもいいのだ。

 従来なら物理的に勝てない敵でも、攻撃を100%(かわ)し、自分の攻撃を延々と当て続ければ相当なレベル差を埋めることもできてしまう。それが容易だとは言わないが、理屈の上では現段階であらゆるボスにも勝てる可能性を秘めているのである。

 察しもつくだろう。

 そう、この極限状態で俺は戦いたくなったのだ。

 何せ俺は『主人公』のようなものなのだから。絶対勝てる状態で一方的に敵を倒し続ける作業も飽きてきたところだし、世に溢れるいかなる物語の主要キャラクターとて、いつもピンチな状態で勝利を掴むもの。

 カッコつけて剣を納める姿も、セットアップステージで俺が綿密(めんみつ)にパラメータを設定したこの『超格好いいアバター』に限ってはよく似合っているし、ヒロイックなイメージキャラへの勝手な自己投影さえ済ませてしまえば、ユーザこそ主人公という没入感もあながちオツなものである。

 

「(やっべ、身震いしてきた……)」

 

 おそらく次の瞬間には颯爽(さっそう)と舞う騎士の様に敵を葬るだろう自分の姿を脳内で描き、愚かにも自身に陶酔(とうすい)する。

 みなが主役となれるこの世界に、どこか感謝を捧げたくもなる。

 再び剣を体の正中線に構えた。

 もちろん、自惚れは差し置いて、俺だってきちんと費用対効果の計算はしている。バカ高校所属の皮算用でも勝てる自信が湧いてくるのは、おそらく俺が元《βテスター》だからだろう。

 αテストをスタンドアローンな環境で終えた運営スタッフが、体験版的な意味でアインクラッド第10層まで解放した大規模通信テストのことである。

 『テスター』の名の通り、3ヶ月前に俺はこのゲームを手にして1ヶ月間に渡りプレイしている。今日もほんの10分ほどで勘を取り戻し、今では完全にアバターの動かし方を心得ている状態だ。

 好きではないが、元々リアル世界でスポーツもそれなりにできた。身長も後ろから数えた方がはるかに早かった俺は、今の高視点に違和感もない。

 まったく、スポーツマン兼プログラマー兼高身長の両親のDNAには感謝感激だ。強いて問題を挙げるとすれば、息子が骨と皮だけのもやし廃人になっていることぐらいだろうか。

 ――ま〜いい。ハナっからデキ損ないなんて見向きもされないし、奴らの期待は姉ちゃんが応えてくれる。

 

「(さってやるか……)」

 

 余計なことを思い出して若干冷めてしまったものの、気合いを入れ直して敵を見据える。

 リポップしたイノシシかぶれも、こちらの存在に気付く。2、3度前足を踏み鳴らすと、猪突猛進もかくやと言ったスピードで近づいてきたが、俺はまだ動かない。

 見極める。その間にもどんどん距離は縮まり、攻撃圏内(アグロレンジ)まであとほんの数メートル。

 そして、角が届こうと言うところまで近づき……、

 

「今ッ!」

 

 ブオゥッ! と、風邪を切る音だけが後ろに流れる。思うだけのつもりが、緊張していたのか声にでてしまった。とても恥ずかしい。

 でも誰も見てないし、と内心付け足し地面を転がると、とにかく回避はばっちり成功したようだ。

 

「(ウッヒョおおおお!!)」

 

 また興奮。起き上がりざまにダッシュで死角に入り、旋回しようとするその横っ腹にビンタの要領で剣を当てまくる。

 しかし、重心がメチャクチャだったためか全て弱ヒット判定。こういうシビアなところも本ソフトが手抜きを排し、徹底的にこだわった結果なのだろう。

 するとしばらくされるがままだったモンスターは、振り向き様に反撃モーションを加えて脚をブン回してきた。

 予備動作で既に反撃を予想していた俺はバックステップでその脚をギリギリ回避し、今度こそ重撃を叩きこまんと、右手に持つ剣を右肩に掛けてしっかりと構えた。

 剣が光を帯びる。

 ゴウッ!! と、発光した俺の剣が《クレイジー・ボア》の脳天を突き破ると、まだ半分以上もあったHPがレッドゾーンまでいき……そしてゼロになった。ついでにパシャアッ、とずいぶん間抜けな音と共にフレークの破片となってボアは消滅した。

 

「しゃあァオラー!! らっくしょォッ!!」

 

 孤独をいいことに思わず快哉(かいさい)を叫んでしまう。

 アバターの運動限界量はおろか、上位技ではゲームの重力までも一時的に無視できてしまう、独特のアタックアシストシステム。

 これが魔法の廃止されたこのゲームにおける必殺技、《ソードスキル》だ。

 ちなみに今のは《片手用武器》専用ソードスキル、初級単発垂直斬り《バーチカル》。多くの武器で共通使用されている技でもある。

 空間認識、運動神経、反射神経など個々のセンスが勝敗を左右する、つまりある意味では究極のアクションゲームでもある本作では、こうしたアシストシステムをいかに活かすかが肝要となる。

 そのまま破砕した敵を忘れ去り、「そろそろレベルアップしてもいいのになぁ」などと思いながら振り向くと……、

 

「うをぅっ!?」

 

 真後ろにもう1匹同じのが待ち構えていて、しかも既に攻撃モーションに入っていた。

 この時、アバターが寸分狂いなく反応したのは運も味方したのだろう。俺は反射的に手をかざすと、跳び箱の要領で窮地を掻い潜った……否、飛び越えた。

 

「(ッぶねーな、不意打ちかァ!? いいどきょーだ!!)」

 

 改まるとわざと大降りに剣を構え、キザッたらしくモンスターと対峙する俺。先ほどから完全にイタイ人間である。

 しかし、ヒーローたる俺に負のイメージは許されない。リアルでは底辺校と揶揄(やゆ)される負け組高校にしか入れなかった俺も、このSAOの世界ではもれなく勇者となった。

 であれば当然、優雅に凛々(りり)しく格好良く、この獣を……、

 

「殺ォすっ!!」

 

 すでに優雅さから欠如している俺がまたも叫ぶと、相手もブルルッと威嚇し突進してくる。

 しかし、集中力の増した俺もニヤけ顔を引っ込めるとその攻撃を軽々と避けきった。

 そして両肩を交互に突き出すように敵の腕を躱すと、たちまち相手の隙を見つけだしていた。

 短く息を吐いて力を込める。

 斬り上げでヒット&アウェイ、そのまま連続ステップでさらに距離を空ける。テンションも高まり、無意味に片手バック転を挟みながら高笑いまでしてみた。

 ……非常に快感である。

 ニアデス状態から始まった連戦。だが、高揚した脳からはアドレナリンか何かが分泌されているのだろう。相手の動きがゆっくりはっきり見える。視野が狭くなって《クレイジー・ボア》以外のものが背景を含め青く見えなくなっていくと、同時に音も遠ざかった。

 そう自覚した直後、俺は全力で疾駆(しっく)する。

 バーチャルリアリティが再現する猛烈な向かい風を浴び、同時にこのリニアな加速感と剣との一体感は何にも変えられないのだと思い知らされた。

 そのまま突進を続けると、とうとう相手さえ青いベールに包まれ、チカチカした光だけが視界に広がった。

 だが俺は確信している。俺の剣は奴に突き刺さる、と。

 なぜなら俺は……俺はっ!

 

「俺しゅじんこぉおおぉお、おぶぇッふぇ!?」

 

 ガッチィイイインっ!! と、壁に激突した。

 より正確に表現すると、イノシシが突如消滅し、破壊不能オブジェクトである壁に剣を突き立てて、派手なエフェクトを音といい光といいブチまけつつも1ミリも刺さらずに止まり、その(つか)の先が突進中だった俺の横腹を深々と(えぐ)ったのだ。

 ――はて、荒野の真ん中に壁なんてあっただろうか。

 

「ぐはっ」

 

 と、石畳に四つん這いになってからとりあえず血を吐く真似をしてみる。

 ベータ版では何度か体験したが、体を包み込んだ青白いライトエフェクトは転移の際のものだ。せっかく狩りを楽しんでいたのに、俺はG M(ゲームマスター)の手によって座標をイジられたようである。

 

「(ったく、いいところでよぉ〜……)」

 

 とはいえ、事前アナウンスなしの強制転移とはお行儀がなっていない。まさか正式リリース直後にサーバメンテナンスでもするのだろうか。

 しかし低姿勢のままふと頭を上げると、そこにはプレイヤーと思しき女の子が「ひっ」と息を詰まらせスカートを押さえながら飛び退いていた。

 推測するに、突然股下に接近してきた俺のことを『下着を覗こうとする不埒者』とでも認識したのだろう。

 思い思いに作成できるビジュアルチャットサービス、つまりキャラをカスタマイズ可能であることをいいことに異性アバターを満喫するユーザが多いとは聞いていたが、まこと他人事ながら俺はその自然な対応から、「ネカマじゃないな」と率直に感じた。

 そして誓って言おう、見えなかったと。

 

「(つーかこのゲーム、システム的に見えないんじゃなかったっけ。……あれ、見えたっけ)」

 

 なんてことをつらつら考えながら女(?)をスルーして周りを見渡すと、そこには信じられない人数のプレイヤーが集っていた。

 ざっと見渡しても端の景色が見えない。5千人はいるだろうか。場所もフィールドではなく、光沢を放つ尖塔(せんとう)と大規模な建築物がそこかしこに見える。

 確かここは主街区である《はじまりの街》の一角であった記憶がある。ついでに伝えておくと、先ほどから中央に備え付けられたでかい鐘がリーン、ゴーン、と繰り返し鳴っていてまことにウルサイ。

 しかも、この瞬間も青白い光が出現する度に、そこに新たなプレイヤーが立っているではないか。告知なしの強制転移は継続中というわけか。

 さらによ~く、よ~~く見渡すと、俺の周りにいた10人程のプレイヤーが奇行と奇声を重複(ちょうふく)発動させて登場した俺を、まるで変態を見るような目で見ていた。

 

『…………』

「(ん、ンだよ……こっち見んなよチクショウ共め! ……ちくしょう、どもめ……)」

 

 超恥ずかしい。

 心の中で弱々しく悪態をつきながらコソコソと隠れるように端っこを移動して逃げると、ようやく落ち着けて状況を整理する。

 まず理解できたことは、今この電子界に展開される新ジャンルゲームは、何らかのトラブルの末にログアウト不能状態にあるということ。

 そして2つ目は、ここがアインクラッド第1層《はじまりの街》にある、無駄にエリア面積を圧迫していた中央広場だということだ。

 ちなみに、まだゲームを楽しむ気でいた俺がなぜ1つ目に気づいたのかというと、集められたプレイヤーが口々に「ログアウトさせろ!」と叫んでいたからである。きちんと金を出した遊具のせいで現実世界に返られないなんて前代未聞もいいところなので、これは納得の怒声である。

 2つ目に気付くのが遅れた理由は、人があまりにも多すぎたからだ。プロなら鐘の音で気付いてもよかったはずだが迂闊(うかつ)だった。

 

「(にしてもなんだァ、これは。マジでログアウトできねぇし……)」

 

 念のために自分でもメインメニューから『Log Out』ボタンが消滅していることを確認すると、流石の俺も事態の異常性に頭を抱えざるを得なかった。

 親族の誰かが《ナーヴギア》の電源を切るか、何であればダイレクトにコンセントを抜くなりブレイカーを落とすなりすれば解決する話ではある。

 しかし、問題は自発的な解除ができない点だ。体の各筋肉への運動信号を頭蓋骨の後ろでカットしてしまうため、プレイヤー自身は現実へ干渉できないのである。

 つまり、俺達は今、自力脱出不能の牢に閉じ込められた状態に等しい。

 情報サイトのリンクページやCMで大体的に宣伝しておいて初日でこれでは、俺は間抜けにもβテスターに選ばれ優先購入権があったにも関わらず我慢しきれず徹夜し、高い金を払い、不良品を買わされてしまった廃人ではないか。

 ……極めて的を射た事実だが。

 

「(集中アクセスの不具合かなんかだわな。グラ良すぎるし、1万人いてもラグらないようサバの容量使いすぎたんだろ。ま、しゃあねぇ。こうなったら和義(カズ)でも探すか……あ、コッチじゃ『ルガトリオ』だっけ)」

 

 初回ロットがたった1万本という、生産数に難のあるゲームの中にもどうやら奇跡的に知り合いがいたようで、そいつの名前が『井上 和義(いのうえ かずよし)』こと『ルガトリオ』だ。

 ドヤ顔で達観した気になって騒ぎを眺めるのにも飽きてきた俺は、立ち上がってからフレンド登録すら後回しにしていた――何気に酷いことしている――旧友をしぶしぶ捜しだす。

 そして最初の1歩で捜索は終了した。

 何も記録的な速さで彼を見つけたのではない。ただ、事態が旧友の捜索どころではなくなっただけである。

 原因は空の色の変化。すでに夕暮れ時だったため、あと数十分もすれば仮想太陽の沈む闇が空を染めることは予想できたが、現在空を覆う色は紅。血も滴るようなダーククリムゾンだった。

 空が、血の色に染まっていた。

 

「(って、血ぃい……!?)」

 

 比喩ではない大量の血液の(したた)り。

 警戒心を掻き立てるけたたましいアラート音。

 きっちり格子状に並んだアルファベットのアナウンスメッセージパネルの隙間から、本当に血のような液体がドバドバ溢れ、その液体がやがて全長20メートルほどの巨人を作っていたのだ。

 しばらくするとグロテスクな液体が人型を形成されていき、顔にあたる部分が黒く塗り潰された魔法使いのような姿になった。

 巨人じみた大きさのそれは……不吉な光を放つ怪しいそれは……それでも、どこか神々しさすら醸し出していた。

 そして次第に色も着き始め、フェイスマスク効果のある真っ黒な顔以外は完全に巨大な魔術師となった。

 

「(うへ~、シュミの悪い演出だなあ……?)」

 

 演出……なのだろうか。気味の悪い光景に自然と小さく吐露(とろ)しつつ、俺はもっと違う可能性について頭を巡らせていた。

 デキの悪い俺ですら本能で異常事態を警戒しているのだ。

 きっと周りの奴らも同様だろう。強制テレポートに、一向に来ない音声によるアナウンス。空に無数に浮かぶパネルの《Warning》と《system announce》の文字と、明らかにあらかじめ用意されていたのだろうイベント。極めつけはログアウトできないこの現状。

 どうしようもなく、嫌な予感がする。

 

『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ』

 

 そしてとうとう空中に浮く巨人が口を開いた。しかしGMなのかどうかは知るよしもないが、こともあろうに『私の世界』ときたものだ。

 とんだイカレ野郎か何かだろうか。他の人間も呆れかえっているではないか。

 

『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 発言にゲーム製作者本人の名前を聞き、民衆の中にどよめきが走った。

 茅場晶彦(かやばあきひこ)。彼は大手ゲームメーカー《アーガス》の開発ディレクターに位置する天才学者であり、《ナーヴギア》の開発をはじめフルダイブ研究に大いに貢献した量子物理学者である。

 そして同時に、知らない日本人はいないとまで言わせた知名度を誇る有名人だ。

 脇に毛が生えているかも怪しい年頃から、当時ベタベタの中小企業だったアーガスに、自分がデザインしたオリジナルゲームを持ち込んでバカ売れ。高校在籍中に開発した仮想体験感度分散処理プログラムが世界的に評価され、この時点で年収が数億円に上る。日本有数の大学に進学すると共に本社アーガスでは開発部長に就任され、市場の最前線を独占するほど巨大化したアーガスの正社員としても、革新的な技術を生み出し続ける。

 専門家によれば、その相乗効果がなければVRMMOの実現は20年以上遅れていただろう、などなど。彼に関する耳を疑うような武勇伝は後を絶たず、この界隈(かいわい)では伝説の名をほしいままにしている人物である。

 

「(ケッ、クセー奴だ。作った人間が誰とかどうでもいいっつーの!)」

 

 しかし、俺はゲーム本体にしか興味がない。

 それに民衆の予想通りの動揺に少し笑ってしまっていた。

 ヘソの曲がった俺は、例えば静まった教室で先生が何かを見ろと指を指してもそちらを向かず、自分以外の生徒が一斉に振り向くのを見てクスクスしているひねくれ者なのだ。

 よって、のんきにも周りの反応を面白がっていたわけだが、しかしそれは大馬鹿行為であったとすぐに知らされる。

 この時、彼の……茅場晶彦の言葉を一言一句逃してはいけなかった。記憶すら曖昧にさせた、あの衝撃の内容を。

 後に続いた言葉はこうだ。

 

 曰く、『ログアウト不能』はバクではなく、SAOソフト本来の仕様。

 曰く、外部の人間による回線切断は死に直結。警告を無視したゲーマーの親族の行動が200人以上のプレイヤーの命を奪い、同時多発的に起こった重大な監禁が証明されたことで日本政府はこれをテロ行為と断定。あらゆるチャンネルが緊急速報へ切り替わり、マスコミが懸命に対処法を繰り返し報道している。

 その間、現実(リアル)の体はオンラインからの切断が許される猶予内に病院、あるいはそれに準ずる延命用保護施設へ搬送され、現在は生命維持装置を取り付けられている最中である。

 曰く、殺害方法は《ナーヴギア》の発する高出力マイクロウェーブ、つまり電子レンジなどの発熱と同じ原理による脳の焼却。《ナーヴギア》の破壊や解体などの試みはもちろん、内蔵された非常用バッテリーにより、電源を一定時間落とすことでも必ず自動で作動する。

 曰く、この仮想世界での脱落もリアルの死に直結。今後、攻略過程でHPゲージが0になりゲームオーバーになった者は、《蘇生者の間》には送られず、代わりに脳を焼かれてあの世に送られる。

 ただし、ゲームをクリアさえすればプレイヤーは全員解放。クリア条件はアインクラッドを構成するステージの第100層目制覇。すなわち、100体の《フロアボス》討伐。

 

「なんだよ……それ……」

 

 まだ俺の意識は麻痺していた。正常性バイアスというやつだろうか。間抜けにも、俺の頭は平日のバイトのシフトがどうとか、来週の日曜に不良仲間とハリウッド製の洋画を見に行く予定だとか、なんとも場違いな心配をしていたのだ。

 しかし、事態はそれほど浅膚(せんぷ)な様相を呈してはいなかった。

 

『それでは最後に……』

 

 聞きたくない。認めたくない。

 しかし巨大な魔法使い姿の茅場は続けた。

 

『このゲームが諸君にとって唯一の現実であるという証拠を見せよう……』

 

 あまりに現実味のない、しかし明確に本能的な死を意識させられるデスゲーム宣言。

 巨大な魔術師の説明中には、周囲の空中に同じぐらい巨大なモニターがいくつも投影されていた。

 リアル側の番組をリンクさせていただろう、衝撃的な映像。

 現実世界での遺族へのインタビュー、ヘルメット型ハード《ナーヴギア》を被ったまま顔面の穴という穴から血を流し、息を引き取った死体。立ち入り禁止の黄色いテープが張られたSAO開発メーカー本社。緊急ニュースへ切り替わりスーツを着た老人が当面の対策を国民に説明し続ける各番組。

 さらには、直前に失踪した茅場の捜索と同時進行でソフトのハッキングを試みているものの、データベースへの侵入は絶望的だという事実。

 茅場本人による、不退の決意表明。

 それらすべてが信じられないほどリアリティに溢れていて、いかに『向こう』が混迷しているかがダイレクトに伝わってきた。

 信じたくはないが自然に意識が認めている。鳥肌が立ち、歯がかみ合わず、呼吸が浅くなり、足が震える。頭が勝手に理解してしまう。

 

『諸君らのアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 

 奴はそう続けた。

 しかし俺を含め、茫然自失(ぼうぜんじしつ)で話を聞いていた他のプレイヤー達が操り人形のように全員アイテム欄を確認すると、そこには確かに手に入れた覚えの無いアイテムがあった。

 

「《手鏡》、って……うわぁっ!?」 

 

 タップして数秒たつと、俺の体が白い光に包まれた。ただでさえ何もかも理解できない状況で、視界が白で埋め尽くされることによって相当な恐怖と不安に駆られる。

 幸いにもこの現象は数秒で消えてなくなってくれた。

 いったい何がどうなったのか。

 

「(ハ、ハハ何だよ。今度は何なんだよ、オイ……)」

 

 近くにいた恰幅(かっぷく)のいいおっさんに「今のは?」と聞こうとして直前で手が止まる。そして稲妻に打たれたかのように思考が加速した。

 ――太ったおっさんだと?

 ――そんなバカな。仮想世界に来てまで太ったキャラ使う人間なんているのか?

 ――そもそもつい数十秒前に見渡した時、1人でもそんな人間はいたか。

 ――俺を含めどいつもこいつもモデル体型のような肉体に、イケメンか美女のアバターを操作していたはず……。

 

「……そういう……ことか」

 

 発音してみて初めて自分の声が過剰に(しわが)れていることに気付きながらも、手元に残る《手鏡》に自分の顔を映して俺は1人納得した。

 そこに映っていたのは『超格好いいアバター』でも何でもなく、『俺』そのものだったのだ。

 髪の色も藍色から黒に戻り、つい先ほどまでは逆立っていたはずなのに今は見受けられない。目元もほとんど隠れていて、常に人を睨み付けているような三白眼はお世辞にも穏やかとは言えなかった。細身でも充分にあった筋肉すらどこかへ失せている。

 あの天才学者、茅場晶彦のことだ。細かい技術なんて俺には想像も及ばないが、リアルの顔や体付きを再現する何らかの手段を持っているのだろう。脳とナーヴギアの通信に障害がないかを確かめる際に、退屈な接続テストやらのついでにキャリブレーションと呼ばれる身体検査も行ったのだが、もしかしたらそのデータを流用したのかもしれない。

 そして俺は考えた。

 驚き疲れて逆に冷静になっているのかもしれない俺は、今後混乱のさなかに起こるだろう現象を、脳みそを最大限活用させて考えた。

 このリソース有限のサバイバルゲームについて。

 

「(うちに帰れないってんならどうするっ? 助けを待つか……それが1番ケンメーだよな……くそっ! 《ナーヴギア》は取れるのか!? それまで何もしないで過ごす!? 1ヶ月だったらどうすんだッ!? 寝て待てってのかよッ!!)」

 

 混乱が極まる。

 皆がみな大人しくして、そしてまったく何も起こらないという考え方のほうが不自然である。

 なにせ俺達はしばらく、こんなふざけた閉鎖空間で過ごさなければならなくなっているのだ。最低限の生活水準を確保するのだって人任せにできない。

 つまり人が文明的な生活を送る、あるいは生理的な欲求を満たすためだけに、他の人間と競争しなければならないということになる。

 よもや1万人全てがじっとするはずもないので、狩りそのものは再開されるだろう。《はじまりの街》周辺の雑魚はまず間違いなく早い段階で狩りつくされて消滅する。

 特に俺と同じ元βテスターの行動は要チェック。のんびり暮らしていただけのプレイヤーもいたから『例外なく』とは言わない――そもそもβテストは抽選式であり、コアゲーマーだけが当選するわけではない――が、基本こいつらは第10層の迷宮区までを攻略したことがある、あるいはそれを目撃したことがあるライバル連中だ。

 最終的にリソースの奪い合いは彼らとすることになるだろう。現にこれまでも、それを仮定して効率的な強化を進めていた。

 

『諸君はいま、『なぜ』と思っているだろう。なぜ《ソードアート・オンライン》および《ナーヴギア》開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか、と』

 

 両手を広げ、諭すように茅場晶彦は続けた。この場にいる全プレイヤーが(いだ)いた疑問だろう。

 しかし、狂気の演説は信じられないほど簡単に終わった。

 

『私の目的はすでに達せられている。この世界を作り出し、鑑賞するためにのみ私は《ソードアート・オンライン》を作った。……そして今、すべては達成せしめられた。以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。……プレイヤー諸君の、健闘を祈る』

 

 この言葉を最後に、巨人の亡霊は激しいノイズと共に姿を消した。同時に世界が元に戻る。空は夕焼けへ、広場からも自由に出られるようになり、システム的な束縛は鳴りを潜める。

 こんなエゴイズムは初めて見た。

 なにが鑑賞だ。

 なにが達成だ。

 中指を立てて思いつく限りの怨声(えんせい)を浴びせてやりたい気分である。

 こんな形で今まで通り攻略に戻れるハズが……、

 いや……違うか。元になんて戻っていない。たった今から、これはロールプレイングゲームから文字通りの死闘劇に姿を変えたのだ。

 サバイバル……。先に動かなければ自分が飢えて死ぬだけの、サバイバルゲームへ。

 

「ッ……!!」

 

 そう理解した瞬間、俺は走り出していた。

 脇目も振らずプレイヤーの横を過ぎ去る。もしかしたらNPCだったかもしれない。続いて酒屋を、鍛冶屋を、裁縫屋を、飲食店を、何の目的かもわからないままやたらと攅立(さんりゅう)している施設を過ぎ去った。

 俺は馬鹿で廃人だ。しかしゲーマーとして、そしてβテスターとしてやれることがある。

 ならば可能な限り考えて考えて考えて……そして行動しなくてはならない。この瞬間も走り続けて効率のいい拠点に場所を移したらそこで必要なアイテムを最短で最大数購入してフィールドに出てから敵を倒して強くなって経験値を稼いでまた強くなってそれから……、

 

「うっ……オぇっ……ェ……」

 

 ふと脱力して倒れ込み、NPCショップの壁に手をつくとそのまま吐きそうになった。

 しかしSAOの世界にそんなコマンドやアクションはない。ここは現実世界では、ないのだ。

 

「く……そ。おいマジか!? ……マジかよ、ちくしょう。ざっけんじゃねェぞッ!!」

 

 視界は涙で(かす)み、はるか後方では約1万人(・・・・)の囚人達がノドを潰さんばかりに叫んでいた。

 メンタル崩壊を起こしている奴もいるだろう。かく言う俺もその寸前である。自分勝手にやりたい放題しやがって、いきなりこんなのありかよ、そう叫びたくもなる。

 それでも俺はヨロヨロと《はじまりの街》東ゲートに辿り着く。がしかし、そこで危ういところで重大なことに気づいた。

 

「……ハァ……ハァ……そ、うだ……体力、やべぇ……」

 

 視界の左端に33/454という数字が見える。安全エリアでは視界がレッドアウトしないのでわかり辛かったとは言え、俺はこんな状態でモンスターのいるフィールドに出そうだったのだ。

 何が冷静に、だ。気が動転しすぎて初歩的なことすらできなくなっているではないか。

 

「んぐ……」

 

 そのまま俺は《回復ポーション》で体力を全快させ、無造作に空の水瓶(すいびょう)を投げ捨てると再び走り出した。

 美味しいとは言えないが、喉を液体で潤したおかげで今度はもう少し足がまともに動いてくれた。

 そして頭も同時にはたらき出すと懸命に思考する。

 自己強化する理由。それは生活水準を満たすためだけではない。

 言うまでもなく、敵が『モンスターのみ』から『モンスターまたはプレイヤー』に変わるからである。

 絶対に変わる。これは断言できる。

 明日になったらナーヴギアが取り外せるようになりました……なんてことになってくれていたら、それはそれでいい。万々歳だ。

 では、そうならなかったとしたら?

 数日は問題ないかもしれない。数週間ほどからかなり危険だ。そして数ヶ月もすれば必ずプレイヤーはプレイヤーを攻撃しだす。大義や思想のない、むやみに暴れだすだけに終始する者だって現れるだろう。

 そしてそうなった場合、連中を『返り討ち』にする実力が無くてはならないのだ。

 楽観的な理想は結構。しかし赤の他人への信用なんて、命に比べればカスみたいなもの。

 誰もレベル上げをしない可能性……これはゼロだ。この状態が長引いた時、プレイヤー同士が争わない可能性……これもまたゼロだ。なら屁理屈をこねていないで強くなるしかない。そのために俺は走っている。

 さらにもう1つ、頭に浮かぶのはルガトリオこと和義のことだった。

 気付いていた。このままカズを見捨てて置き去りにしたらどんなことが起きるのかを。

 気付いていたのに、俺は醜悪(しゅうあく)にも中学以来の旧友を『費用対効果』の観点から見捨てた。テスターでないあいつを育てながら周りと競争するよりも、フライングに近い圧倒的な情報力を活かしてソロで活動する方が効率もいい、と。

 そして今では、オンラインサービスのリリース直後にフレンド登録をしなくて良かったとさえ思っている。

 最低だ。ゲス野郎だ。

 ――友を捨てた恥知らずの……、

 

「違う! ……あ、あいつだっ最低なのはかやばだッ! 俺じゃない!!」

 

 クスリでもしているのかと思わせるような独り言。やはり周りに人は見えなかったが、今回は体裁(ていさい)のことなんて考えていられなかった。

 もう、どうでもいいのだ。

 ヒョロイだけの、最早アバターとも言えない今の俺はヒーローでも勇者でもない。どこまでもリアルな『俺』そのもの。

 広場の男女もそうだ。初めは拮抗していた男女比もいざ正体を晒すと女性の割合は2割を切っていた。平均身長やスリムな体型、眉目秀麗な顔も当然崩壊。茅場のことだから、名前を含めて性別を偽っていたプレイヤーにも救済措置はあるのだろうが。

 

「ハっ、アハハハハハッ!! ちくしょうがっ。やってくれるぜ……くそッ!!」

 

 麻痺すらしてきた頭と体をなおも酷使し、狂ったような笑い声をあげていると、早くもモンスターとエンカウントした。

 Mobの名は《ウルフ》。時刻表示を見るといつの間にか18時半を回っていたため、夜行性の《ウルフ》が出現してもおかしくはない。

 しかし、俺はその本物と見紛うほどの目や牙の質量を今さらながらに意識し、βテストではおなじみだったはずのモンスターにさえ原始的な恐怖に見舞われていた。

 そして体が震え上がる最大の理由。

 

「(こいつに負けたら、死ぬ……死ぬのか……ッ!?)」

 

 心音が跳ね上がる。

 刻む回数のギアが上がる。

 ゲームオーバーと同時に本物の生命活動すら停止させられると言われても、現実味などすぐには湧いてこない。

 ソフトの仕様で『痛み』を感じないこの世界では、腕を噛まれようが顔を引っ掛かれようが、それらで発生する赤い受傷(じゅしょう)再現ポリゴンは、血液ではなく全てマシンが再現するただのエフェクト。コードに置換できるデジタルデータにすぎないからだ。

 それでも、いざ真偽を暴くためにそれと戦えと言われても……、

 

「いや、できるッ! 俺ならできる!!」

 

 不安を咆哮で吹き飛ばし、抜刀。そのまま下段から斬り上げると、飛びかかってきた《ウルフ》にとってカウンターとなる一撃がヒットした。

 

「あぁああぁァあああアああああッ!!」

 

 この機は逃さない。俺は横這いになった《ウルフ》めがけて、裏返った気合いと共に剣を叩きつけた。

 一撃、二撃、三撃……それからも延々と。戦闘に欠かせないソードスキルの存在など、脳内から綺麗さっぱり消し飛んでいた。

 

「あぁッ! アアっ! あぁあァアアアアアッ! 死ねぇ!! 死ねェええッ!!」

 

 とっくに《ウルフ》はその姿をドットの粗い光片に変え四散している。それでも俺は(かす)かに残るその残影を拭うように剣を振り続けた。

 何度も。何度も。何度も。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 荒い呼吸を繰り返して虚ろな目をするその時の俺に、生存本能以外のものはもう何も無かった。


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