SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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お気に入り1000件……とても嬉しいです。夢にまで見た数字です。なんとしても完結させ、皆様の期待を裏切らぬよう尽力いたします。


第十一章 《圏内事件》
第79話 犯罪者の唸り


 西暦2024年4月22日、浮遊城第60層。

 

 日も落ちて夜。59層のフロアボスである、地面を掘るもぐらのような姿をした《ジ・アニファスモーラン》が討伐された。

 現在時刻は午後9時50分。討伐から2時間以上が経過した今となっては、討伐隊に参加した者だけが得られるひとときの優先権はない。60層の主街区はあっという間に下層ゾーンの観光客で賑わっていた。

 俺達レジクレも活動中である。競争相手に先を越される前に主要箇所の下見をさせておいたのだ。

 これにより、主街区から得られるあらかたの汎用アイテム、武器や素材、または宿屋、鍛冶屋などの位置情報と値段までは把握できたことになる。ただでさえ遅い時間に腹を空かせたまま――立ち食いは言及しないので、しているメンバーもいるだろうが――2時間走り回って集めた情報だ。

 夜10時まで強要し続けるのは酷だったろうが、本討伐戦が完了する時間をプレイヤー側で調整することは難しい。攻略組の中では街の下見を明日に見送るパターンもあるだろう。

 ところでソロプレイヤーと言えば、ボスの討伐戦にキリトを含むソロプレイヤーが1人も参加していないことには驚いた。もちろんローテーションなのでそういう日もあるだろうが、ソロを貫く人間というのはレアな物なら武器であれ、消耗品アイテムであれ、とにかく所有欲が強い。特に理由がなければ休む意味もない。

 と言うことは、キリトにも何かしらフロアボス戦に参加しなかった理由があったのかもしれない。

 だがなんと、ヒースクリフすら上回るスパルタ性とカリスマ性を発揮する《攻略の鬼》、閃光アスナさえ参加していなかったのだ。

 不真面目な攻略組が2、3日サボるだけならまだしも、実質トップギルドの双璧を成すその右腕というポジションが、部下に一声すらかけずトンズラするものなのだろうか。

 

「んがぁ~つかれた。みんなもそろったな、おつかれさん」

「お疲れー」

「大変だったよぉ。マップに印とコメントは載せといたから」

「サンキュー。明日からこの層でも装備調達するかもしれないから、みんなも目通しておけよ。……うし、ノルマ達成だ、今日は帰ろう」

 

 ややぐったりとした元気のなさで、メンバー4人がため息をつく。

 迷宮区へ侵入し、内部のマッピングを開始してから今の今まで約12時間以上。どう考えても労働基準法とやらの指定勤務時間を大幅に越えた強制労働だ。少々夜遅くまで仕事を与えてしまったものの、これもゲームを楽しんでいるのだと諦めてもらうしかあるまい。

 と、それぞれ60層の《転移門》から先週購入したばかりのギルドホームがある49層主街区(ラミレンス)へ向かおうとするところへ、真横から我がギルドメンバーとは対照的なソプラノのかかった声が降り注がれた。

 

「ヨ! 信頼とスピードがモットーなオレっちに会えるとは幸運だナ! 最新情報をたんまりゲットしたんだが、興味はないカネ?」

 

 声の主は《鼠》と名高いアルゴだった。「変わった喋り方だよねぇ」とはジェミルの談だが、彼もクセのある喋り方をしているので人のことは言えないと思った今日この頃。

 ヒスイは「アルゴ久しぶり」などと言って挨拶をしているが、そこは親しき仲にも礼儀あり。これは彼女の声が『仕事』で来ている時のそれだったからに他ならない。

 と言うわけで、俺もその流儀に合わせた声調で話を切り返す。

 

「モットーは『売れるものは何でも売る』だろ。まったく、コロコロ変えやがって。……それで? 最新つっても俺らはもう前線街の情報を自前でそろえちまってるんだけど、それを踏まえてなんかあるのか?」

「チッチッチ、甘すぎるヨン! まァあんまし嬉しそうに言うと不謹慎になるガ、今日の目玉は《圏内事件》についてダ」

「《圏内事件》? また物騒な造語ね……どういうこと?」

 

 首をかしげるヒスイ対し、アルゴはさらっと「1万コル」とだけ言い、小顔に沿った小さな両手を差し出してきた。可愛らしい仕草と相変わらずのヒゲペイントではあったが、金の亡者たる獰猛的(もうきんてき)な金銭欲が双眸(そうぼう)の奥でメラメラと炎を巻き上げているのだから台無しである。

 ――スポイルっつんだっけ?

 ともかく、俺の注意を引いたのはそのネーミングセンスよりもまずは設定価格だった。

 高すぎる。プレイヤーやボス、あるいはクエストや時事的な情報の平均相場よりも倍近い金額だ。能動的に依頼した捜査でもあるまいし。

 がしかし、彼女に限らず情報屋にとって信用の喪失は死活問題である。よもや軽い金欠といった理由で不条理な値段をつけるはずはない。

 すなわちこの懸案について、彼女は値段に釣り合う労力を割いたということなのだろう。あるいは同等の危険を伴ったのか、いずれにせよ金額が張るからこそ逆に興味は尽きない。

 

「たっかぁ。アンタ女の身で危なっかしいことまで調べてるわけ? 仲間もいないのに、アタシには無理だわ~」

「まぁ値段設定につべこべ言うつもりはないけど、またヤバい橋わたってんのか? 質より量で攻めるタイプのアルゴにしちゃあ……」

「やけにじょーぜつだナ! か弱いオレっちが心配カ!?」

「ち、ちげーよバカ!」

「…………」

「…………」

 

 浮気現場の言い訳シーンのような空気になってしまったのだが、この女は余計なことしか言えないのだろうか。話しているとリーダーとしての威厳がなくなってしまう。

 

「(もう2度と心配しねぇからな! ……)……ほらよ、1万だ」

「毎度アリー! でだ。件の事件についてだガ、少々説明が長くなル」

 

 前置きもそこそこに、アルゴはつい数時間前に起きた恐るべき事件の全貌(ぜんぼう)を語った。

 

 曰く、ことの顛末(てんまつ)は遡ること3時間半前。57層の主街区《マーテン》のレストラン街にて、1つの悲鳴が上がったことに端を発する。

 野次馬が集まったその場には、腹を貫通(ピアース)属性のショートスピアで貫通された壁戦士(タンカー)が、協会近くの塔にロープで吊り下げられていたらしい。

 そして彼は、ロープに吊るされた状態で徐々に貫通継続ダメージを受け続け、とうとう体のパーツをポリゴンデータに変えて消滅した。フルプレートアーマーで体中をガチガチに固めたタンカーですら死に追いやったのだ。

 曰く、《圏内》で唯一プレイヤーにダメージを与える方法である《デュエル》システムは作動していなかったようだ。少なくとも、多くの観衆がデュエル終了後に現れる大型ウィンドウを見ていないらしい。

 しかも塔近辺を《通せんぼ(ボックス)》していたことから、犯人が徒歩で逃げられた可能性は低い。その場にいた1人は塔の内部に人影を見たそうだが、転移エフェクトの発生はなかった。

 曰く、そのタンカーは以前交際していた彼女と食事に来ていて、人の多さから一時的にはぐれてしまっていたらしい。

 そうして、2度と再開することはなかった。

 傷心した交際女性は、現場に居合わせた攻略組の2人が保護。現在は適当に見繕った宿に泊まっていて、彼女から話を聞いた2人は《圏内》での殺害方法を特定中だそうだ。

 

「へえ、目撃者アリ……塔には人影……でも転移エフェクトはナシと。これだけ聞くとミステリーだな。ほぼ幽霊じゃん。つか、わざわざ《圏内》でこれを……?」

「演出だろうナ。『目撃者がいた』んじゃなくて、『目撃者を作る』ことが目的という意見もアル。……ア、話に出てきた攻略組2人組の情報も聞いとくカ? 追加で5千取るが、おまけでオレっちの考察もつけてやるゾ?」

「ハハッ、俺らはタンテイじゃねぇっつ〜の。保身が終わりゃ関わることもねえよ。……まあ強いていえば、そのまま続けて広めといてくれってぐらいさ」

「それは商売だから言われなくてもやるガ……」

「よし、じゃあみんな帰るぞ~! ……おっと、今日はリズに預けといた防具をまとめて取りに行くんだっけか。なあヒスイ、今あいつに連絡とれるか?」

 

 情報屋への興味を完全に失うと、ヒスイは「ちょっと待って」とだけ言ってウィンドウを操作する。すぐに返事が来たらしく、夜中の10時を回ってしまったがどうやらリズは今からの来店にも目をつぶってくれるらしい。やはり1ヵ月前の事件以来、俺達に貸しがあるというのは大きい。

 俺は危なっかしい事件の情報について、アルゴに礼と忠告を餞別(せんべつ)してから、まずは48層主街区である《リンダース》へと向かった。

 《転移門》からおなじみのテレポート。すると、踏み心地と色の変わった石畳に舞い降りるや否や、暗い空間から認識し辛い景色よりも先に、激しい声による応酬が耳朶(じだ)を打った。それもほんの目と鼻の先である。

 

「アンタは警察じゃないだろう! KoBの副長とこそこそ動いてるみたいだが、情報を独占する権利はないぞ!」

 

 転移した瞬間これである。水路ある綺麗でのどかな街だというのに、景観を損なう怒鳴り声。どうやら、と前置きするまでもなく、見るからにプレイヤーが喧嘩中のようだ。

 しかし驚いたことに、怒鳴っている人物も怒鳴られている人物も俺のよく知るものだったのだ。

 

「(お、珍しい組み合わせ。……でもないか。黒ずくめはいつだってこれだ……)」

 

 聖龍連合(DDA)のタンカー隊の小隊長シュミットと、《黒の剣士》キリト。両者共に有名人である。

 発言者の内容はとりあえず脇に置き、俺は溜め息を呑み込んでまずその中心まで歩きながら切り出した。

 

「おいおい、穏やかじゃないな。やるなら裏路地でどうぞ」

「部外者は黙って……なっ、お前達は!?」

 

 仮にも小隊長に任命される男は、俺ではなくヒスイとアリーシャを見て固まっていた。誰もが認める最大手のDDAだったが、やはり女性という希少価値の前にはたじろいでしまうらしい。

 いずれにせよ愉快な気分にはならないが、気になるのは特にアリーシャに対して意味深な目線を送っていることだろうか。彼らの過去に何かあったのだろうか。

 とにかく、俺は1歩前に出ると目線を遮りつつ喧嘩の理由を訪ねてみた。

 すると、彼は思いのほかすんなりと説明してくれた。

 どうもタイムリーなことに、アルゴが持ってきた《圏内事件》について、キリトがおせっかいをしていることがシュミットには気にくわなかったらしい。それで怒鳴るほど怒り狂う理由までは話さなかったが、自白しないことが関係を如実に物語っている。

 助ける義理はないものの、仲間が見ている手前、放っておくのも格好がつかない。

 という消極的な理由を原動力に、俺は再び口を開いた。

 

「事情はわかった。……つってもどうよ? 俺にはキリトの代わりに情報を独占したいとしか聞こえねーぞ。だよな?」

 

 俺が振り向いて聞くと、レジクレの面々が口を揃えて同意した。あまりこうして数の優位性を利用したくはないが、キリトが同様にされているのだから目をつぶる。

 果たしてシュミットは、彼の率いる7人のギルドメンバーに(なだ)める形で立ち去っていった。

 「あまりコソコソと嗅ぎ回らないことだ!」などと言っていたが、それが負け惜しみであることは誰の目にも明らかである。

 その場には静寂が残る。それを最初に破ったのはキリトだった。

 

「悪いな気を使わせちゃって。助かったよ」

「いいさ。それより、シュミットってあのDDAの小心者だろ? あんな理不尽なことを言う奴じゃなかったぞ」

「それ思った~。討伐戦で見かける時は、あんなねちっこい人じゃなかったのにね。それが今日はいきなり……何かあったの?」

「それは俺もわからないんだ。ウラミを買った覚えもない」

 

 キリトも皮肉ではなく本気でそう思っているようだ。

 確かにDDA全体の評判はともかく、そのタンカー隊の隊長を務めるシュミット自身に悪い噂は聞かない。

 強い生存本能に従い全身を重厚な鎧で包む彼は、その性格の現れなのか攻撃的な姿勢をあまりとらない。にも関わらず、情報の独占をしようとしたり、所有物を無条件で渡すよう恐喝したりと、本日はガラにもなくヒートアップしていたご様子だ。

 

「《圏内事件》の話は聞いてるか? ……そうか。ちょうどその話で、証拠物件としてタンカーに刺さってた《ショートスピア》を俺が拝借してたんだよ。それを渡せと言ってきてな。……機会があれば、むしろ俺の方から聞きたいぐらいさ」

「ってことは、そのタンカーの元交際女の保護をしたって攻略組の2人は……」

「ああ、それは俺だ。本題に戻るけど、武器はプレイヤーメイドだったから、渡す前に銘が『グリムロック』であることを教えてやったんだ。そしたらあいつが血相を変えて……あ、ちなみにこれがその槍。固有名は《ギルティソーン》」

 

 そう言ってウィンドウを開いたキリトの両手に赤黒いスピアが顕現された。ダメージ認定の入る先端部分の穂先には逆棘がびっしり生えているが、ここまではよく見る特徴だ。継続的にダメージを与えられる武器は、同時にその武器が敵にヒットし続けられるような工夫が施されているものである。

 次に目がいったのは全体の色。本件のカテゴリの中では珍しく、全体を通して同一色のものでの統一性が見られる。グリップや柄の部分にもぶつぶつとした突起物があり、やはり実用的な武器とは思えない。レア度もパラメータもたいしたことはないだろう。

 《ギルティソーン》。見る限りでは決して最前線でも通用するような一級品のスピアではない。しかしこれが《圏内》という絶対的に安全の保証された空間で、プレイヤーの命を奪ったのだ。俺はそれを念頭に置きつつ、若干腫れ物でも触るようにその槍に触れた。

 

「銘が『グリムロック』……だったんだよな?」

「ああそうだけど、まさかそいつを知ってるのか?」

「いや知らん。けど、そもそも鍛冶屋が貫通武器を滅多に作らないから、そこが気になったんだ。まったく、どこの田舎者だよこんなの作りやがって」

 

 貫通属性武器が作成されない理由は簡単だ。

 この武器は、プレイヤーに対して使う時に最大の真価を発揮する武器だからである。

 穂先の特徴である逆棘のオプション。これは体に刺さった場合、引き抜くのに相当な筋力値が要求されることを意味する。しかし日々重装備での戦闘を強いられるタンカーが引き抜けないほどではない。だというのに《圏内事件》は成立した。

 そこにはもう1つ、引き抜けなかった大きな要因がある。

 それが『仮想の体を動かすための明瞭な脳信号』だ。

 早い話、抜く気がなければいかなる筋力値すら役にたたない。人が恐怖し、パニックに陥り、慌てふためく信号すらナーヴギアはキャッチするのだ。命令意思が混沌とするほど、『武器を引き抜く意思』が感知されなくなる可能性はある。これがプレイヤーに有効的であると言われるゆえんである。

 対してモンスターは指定の基準に従い行動を出力するので、恐怖を感じる段取りを踏まない。ワンステップ、つまり『武器を引き抜ける筋力値』が備わっていれば、それだけで追加ダメージを回避できる。

 同ジャンルで効果的と言われるのは投擲用ピックが挙げられる。

 与えられるダメージには期待できないものの、ヒット判定が起これば対処しようとするのがモンスターというもの。ワンパターンやループ行動を検出しない限りいちいちピックを引き抜こうとするので、それ自体がダメージ以上にスタンにも似た隙を生むメリットがあるからだ。

 以上のことから、手数を増やすためのオプション兵装ではなく、主武装にすることを前提にした貫通属性武器は、対プレイヤー用装備であると言い切れる。

 ゆえに流通も極端に少なく、ちょっとやそっと主街区近辺を洗っただけでは、プレイヤーメイドの貫通(ピアース)属性武器は出てこないはずである。

 

「(ぶっちゃけ死んじまった奴はどうにもならん。けど、それをコイツの前で言うのはタブーなんだよなぁ……)……しゃあねえ、俺の方でもなんかつかんだら知らせるよ。キリトも、よければ知ってるコトとか教えてくれないか?」

「ああ、せっかくだしな」

 

 こうして俺達は、アルゴから聞かされた以上に詳しく事件の詳細を知った。

 まず判明したことは、この《圏内事件》の手口を追う攻略組2人というのが、キリトとアスナであるということ。

 彼らの心中を問いただす気はないが、59層のフロアボス戦にキリトやアスナの姿が見られなかったことに説明もついた。

 次に判明したことは、被害者の名前と、さらに被害者と行動を共にしていた女性の名前だ。

 殺害されたタンカーは『カインズ』と言うらしい。そしてかつての交際相手の名は『ヨルコ』。2人とも中層を主戦場にするプレイヤーで、普段から行動を共にしているのではなく、その日はたまたま食事のために外出していたらしい。

 

「カインズに、ヨルコ……か。ルガやジェミルは聞いたことあるか?」

「ううん、まったく」

「ないねぇ。たぶん聞く機会すらなかったんじゃないかなぁ」

 

 収穫なし。などと思いつつ、たいした期待はしていないが。

 次に判明したことは、カインズなるプレイヤーの完全なる死。どうやら人伝に聞いただけではなく、キリトらはスキンヘッド褐色肌で巨漢商人のエギルを連れて、自分の目で確認しに行ったらしい。するとやはり《はじまりの街》の《黒鉄宮》に安置された《生命の碑》には、カインズのネームに横のラインが引かれていたのだ。彼は間違いなく現実でも死んでいる。

 最後に明日、被害者の連れである貴重な参考人ヨルコと再び会って、さらなる事情聴取をするらしい。犯人の心当たり、狙われた動機、それが現在でなくとも、過去に想起させることが起きたのか否か。推察するにも、情報がなければ話にならない。

 現段階であれこれ考えても、先入観しか生まないだろう。

 

「おけ、りょーかい。ま〜あれだ……聞いたからには協力するつもりだけど、あんまし期待するなよ」

「ああサンキューな。こっちも明日までは前進できそうにないよ」

 

 お礼代わりに、キリトには最前線の街についてあらかたの情報を教えてやった。俺だけ一方的に何かを聞き続けることがフェアではないと思えたからだ。

 それからお互いはすぐに別れた。

 少し時間がかかってしまったので、急いでリズの元へ行かなければならない。

 と言うわけで、急ぎ足にリンダースを横断したはいいものの、俺達一行がリズの立ち上げた《リズベット武具店》に到着する頃には、約束してあった時間を20分ほどオーバーしてからだった。

 扉の向こうに人気がない。さすがに遅すぎたのだろうか。不可抗力とは言え、連絡もなしに遅れてしまったのだ。攻略組からすれば夜間帯に活動することも許容範囲だが、彼女にとってはすでに就寝中でもおかしくはない時間である。

 ドアノブに手をかけるも、案の上それは開かなかった。

 どうも《フレンドのみ開錠可》設定にしているらしい。実際にフレンド登録を済ませているヒスイに頼むと、すぐに解錠音が聞こえる。

 あまりドアノブと触れている時間が短すぎるとシステムは認識してくれないが、ゆっくり1秒ほど握っているとロックが解除されるのだ。

 

「これもまた危険よね……」

 

 ヒスイがそんなことをこぼすのもわかる。

 この《フレンドのみ解錠可》。言葉の通りだが、借りている宿やホームの扉を開けられるようにする設定。他にはギルドメンバーだったり、夫婦であったりと、設定にはレパートリーがある。

 そんなこんなで、果たして俺達は無事《リズベット武具店》の内部に本人の了承もなしに侵入できた。

 ――この言い方は犯罪者臭いか。

 

「リズ~? 来たわよ~?」

「明かりはついてるみたいだけど、どこ行ったのかしら?」

「いねーのかな? いや、こんな時間に外出するはずが……」

 

 いくらなんでも寝る時に自分以外のプレイヤーに解錠できる権利を与えた状態にしたままにするとは思えない。《誰それのみ開錠可》設定は、寝る前には必ずオフにするはずだ。

 しかし俺達は、一応設定をし忘れて寝てしまっていることを考慮し、こっそりとリズ宅を捜索していた。

 すると、そこへノレンをくぐって奥の通路から現れた人物が1人。

 

「……あ」

「え……?」

 

 事件が起きた。

 髪をタオルで拭きながら現れたのはリズだったのである。

 髪を、拭いている。

 二の腕から、正確には肩甲骨辺りから先はバスタオルによる保護が存在せず素肌が露出(ろしゅつ)していて、湯だった体の至るところから水滴がこぼれていた。太もも辺りから覗く健康的な両足も魅力的である。普段から活発的で髪の色をピンクに染めた女性に反比例して、その扇情的な姿はある種の神秘性で醸し出していた。

 完全に、パーフェクトなまでにお風呂上がりな……、

 

『うおぉおおあい!? 男子は見るなーっ!!』

 

 直後、ヒスイとアリーシャによって男性陣は武具店から叩き出されるのだった。

 

 

 

 場も一段落し、全員が落ち着いてから俺達は勧められた椅子に座っている。……というより、ただの無言が展開されている。

 大きめのテーブルを挟んで片側には俺とカズとジェミル。反対側にはヒスイとアリーシャとリズがそれぞれ一列になって向かい合っている。合コンよりは集団お見合いという表現が近いだろうか。

 非常に気まずい。ジェミルは所詮バーチャル世界と割りきっているのか動揺は薄かったが、過去に1度《結婚》というSAO特有の仲になったカズはそうはいかなかった。つい数分前の艶かしい姿を思い起こしているのか、その顔はゆでダコのように真っ赤に染まっている。

 俺についてもなるべく平静を装ったつもりだが、感情の起伏を過敏(かびん)に表現することもこの世界の特徴だ。おそらく隠しきれない照れが顔に出ていることだろう。

 

「いえ、あなたたちは悪くナイノヨ……メッセージの送信ボタンを押したと思い込んで、そのままウィンドウを閉じちゃったあたしがいけナイノヨ……」

 

 アイライトの消えたリズが魂を吐き出すようにボソボソと言う。生気を失って人形のようになってしまったその姿からは、痛々しい脱力感だけが伝わってきた。

 ちなみに誤解を招くといけないので一応報告するが、現在彼女はきちんとウェイトレス姿になっている。

 結論から言うと、リズも俺達が勝手に武具店に入ってしまうことを予想し、外で少し待つようメッセージを送っていた……いや、送ろうとしていたのだ。到着の遅れた俺達から連絡が来ないことから、せめて時間を有効活用させようと、お風呂に入りながらメッセージ文を作成していたそうだ。

 しかしシャワーの音がクリック音を相殺したのだと勘違いしたらしく、自分がタップミスをしていたことに気付けなかった。

 結果、彼女は気を抜いたままゆったりとお湯に浸かり、体を拭き、脱衣所から鼻唄(はなうた)混じりに出てきたのである。

 そして先ほどのサプライ……もとい、悲劇が起きてしまった。

 

「大丈夫だリズ、俺らはもう忘れた。な? マッパは逆に色気ない」

「それはそれでヒドいわ……」

「わかった、じゃあ脳に焼き付けとく」

「そのまま焼き殺されたいのかしら?」

 

 うーむ、乙女心というものは扱いが難しい。ちなみに、マッパと表現したが下着だけは着用していた。

 

「ま、まあいいじゃねぇか!」

「よくない……」

「よくないかもしれないけど、過ぎたもんはしゃーない! それよか防具はピカピカにしといてくれたんだよな?」

「ええ、耐久値も全快させてあるわ。あと前借りたお金は本当に返さなくていいの?」

「んあー、いいってことよ、取り返せなかったワビだ。こっちは派手なトーナメントでバッチリかせいだからな」

「そのあとの攻略でも想像以上に貯まるの早くて、こっちのギルドホームは買えちゃったのよ。あとは貯蓄になるだけだし。……ところでリズ、今日のことなんだけど、《圏内事件》について何か聞いた?」

 

 ヒスイの問いにリズは首を横に振った。本日は仕事が(かさ)んでほとんど外出していないらしい。

 俺達はキリトから教わったことを含め、大体のあらすじをリズに話してやった。この事について金を取るつもりだったのではなく、単純に縁があるので注意したにすぎない。ましてや事件解明に乗り気でない俺に代わり、探偵まがいなことをさせるつもりもなかった。

 しかしリズは神妙そうに頷くと、さも当事者のような口ぶりで話し出した。

 

「カインズ……ヨルコ……どっかで聞いたことあるような……」

「リズも? あたしもどこかで聞いたような気がするのよね。特にカインズさん……昔どこかでその名前を呼んだ気がするのよ」

「ヒスイが? まぁ、たまに誰かと行動してたもんね。う~ん……あ、でも確か、この人達って昔は同じギルドにいたんじゃなかったかしら? あたしがまだ鍛冶屋として駆け出しだった頃に7、8人で来店してきたことがあったような……。リーダーが女性だったから珍しくて」

「へえ~、同じギルドでリーダーが女。……ケッコーしぼれるんじゃないか?」

「絞れるって何が……?」

「そりゃもちろん、犯人候補だよ」

『…………』

 

 空気の重量は確実に増した。

 ごく当然のことだが、簡単に言えば、俺は殺しの手がかりを同ギルドのメンバーから集めやすいと言っている。行動に移そうとしたその時点でかなりナイーブになりそうだ。

 俺の見立てだと、カインズなるタンクプレイヤーを直接殺したのはヨルコという女性ではないと思っている。しかし同時に、ヨルコという女性が重要参考人であるという揺るぎない確信を得ていた。

 それはキリトではなく、アルゴから知らされた情報の中に眠っている。

 

「いやそんな顔されても。……カインズが昔ギルドにいて、今は解散してるっつうなら、そこで起きたトラブルの可能性は高いだろ? そもそも男と夕飯食いに来たこのヨルコって女は相当うさんくさい」

「そ、そんなっ。会ってもないのに疑っても……っ」

「落ち着けよルガ。むしろキリトとアスナが真っ先に疑問に思わなかった方がフシギだよ」

「どうして……?」

 

 ヒスイの疑問に溜め息をつく。

 今回は偶然気が付いたが、俺だって進んで事件に片足を突っ込みたくはなかったからだ。

 もっともあの白黒コンビは、攻略では鬼に見えても情に訴えかけると非常に弱い八方美人である。予想するに、そのヨルコなる女がうまいこと被害者面をして、庇護欲掻き立てるような仕草でもしたのだろう。

 

「いいか、ヨルコは食事をしに《マーテン》に立ち寄ったんだ。あそこはウマいメシ屋も並んでるしな。……けど、メシつってるのに、カインズはフルアーマーで身を固めていた。これはおかしくないか? ファッションに鈍くても、それが常識外れなことぐらいわかるはずだ。俺だってヒスイとメシ食う時は服ぐらい選ぶ」

「う、ん……まあ、言われてみれば変ね……」

『…………』

 

 あっという間に手のひらを返して照れているヒスイを、両脇の女2人が冷ややかに見つめた。

 

「なんにしても、ギルドにいたなら残りのメンバーも知らんぷりは利かないだろう。でなくとも手がかりが少ないんだ、なら手は早く打った方が……おい。ちょ、何ニヤニヤ見てんだよリズ……」

「いやね、あんたさっきまでやる気がないとか言ってたくせに、ちゃっかり張り切ってると思って。やっぱり気になる? 素直じゃないわね~」

「ち、ちげーよバカ……」

 

 俺はプイ、と横を向くが、そこには笑いを堪えるカズの姿があるだけだった。

 そしてほぼ同時に全員が笑い出す。どうやらアルゴに言ったこととまったく同じ台詞を口に出してしまったことが、彼らの笑いの琴線(きんせん)に触れたらしい。

 笑われる俺はバツが悪そうに()ねるしかない。

 

「(ちくしょう、好き勝手笑いやがって……)」

「はぁ、笑った笑った。じゃああたしが覚えてそうなことなるべく教えておくわね。確かあの時、あたしの店に来た人はカインズさんとヨルコさんと……」

「よくもまぁ、客の名前なんて思い出せるな」

「な~に言ってるのよ。鍛冶屋もようは商業なんだから、記憶力は大事な武器よ? えっと、ちょっと待ってなさい、すぐ思い出すから。……あ、グリセ……ぐ、そう! グリセルダ! リーダーっぽい人をそのメンバーが『グリセルダ』って呼んでたのを覚えてるわ」

「ああーっ!!」

 

 そこへいきなりアリーシャが大声を出した。音量を調節してほしいレベルである。

 しかし突然どうしたというのだろう。『グリセルダ』だと、何かまずいことでもあるのだろうか。

 だが、その答えはすぐに判明した。

 彼女は思い出したくない思い出を探り当てたような顔をしたまま、こう言い放ったからだ。

 

「思い出したわ。やっと思い出した……そうよ、グリセルダは間違いなく8人ギルドのリーダーだったの。ギルドの名前は《黄金林檎》。ゴールデンアップルのイニシャルを取ってメンバーは『GA』と呼んでいたわ」

「え、何でそんなに詳しいわけ……?」

「言ったでしょ、思い出した(・・・・・)の。アタシがまだラフコフにいた時……そのギルドがターゲットにされたことがあったわ。誘導役だったから間違いない。ちょうど各パーティを転々としていた時期で、一緒にいた期間は短いけど、もしかしたらヨルコはアタシのことを覚えているかもしれないわね。ちなみに、DDAにいたさっきのシュミット君もGAの元メンバーよ」

「ほえ~。だからあいつ、アリーシャのことにらんでたのか」

「よく気づいたわね。……そしてもう1つ、ギルドが解散している理由も思い出したの……」

 

 アリーシャはここで長く溜める。

 その目は悲しみに満ちていた。

 

「ギルドリーダーが……殺されたからよ……」

「ッ……死んで、解散を……!?」

「違うだろルガ、『殺された』って。……でも、どういうことだ……?」

 

 俺も思わず声を出してしまった。

 ギルドリーダーが死んでいて、それによってギルドは解散を余儀なくされた。まるでハーフポイント戦でロムライルを失ったレジクレがあと少しで辿りそうだった運命そのものだ。

 リーダーが死に、ギルドが散った。

 残存員だけで再結成して《黄金林檎》が復活を果たす可能性というのは、実は極めて低い。曲がりなりにもプレイヤーの命を預かる組織の頭が死ぬということは、寸分違わずそういうことなのだ。

 それに今の言い方だと、フィールドに出てモンスターに死に追いやられたという意味ではなく、何者かによって殺害されたと言っているに等しい。

 その報復が《圏内事件》なのだろうか。

 しかし同時に確信もした。こんな偶然はあり得ない。

 

「(このギルドには何かある……)」

 

 止まっていた歯車が、ゆっくりと動き始めた。

 

 

 

 


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