SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第86話 人の生き方とは(前編)

 西暦2024年4月23日、浮遊城第19層。(最前線60層)

 

 鬱蒼(うっそう)と生えた木々の隙間を()うように、乾いた金属音が幾度となく通り抜けた。

 月明かりだけが光源となった夜間では視界も悪く、うっすらと張った不気味な(きり)がより原始的な恐怖心を(あお)っている。

 そんなフィールドで鳴り響く音。

 何度も何度も、様子を(うかが)うようなものから、獲物を食らう気迫のものまで。まるで生き物のように変化する。

 それは命のありかを左右させる、決戦の音だった。

 

「ハァ……ハァ……やるなァオイ! 前より強くなってんじゃねェかよ!!」

 

 何かしら消耗アイテムを採取できそうなほど巨大な木を背に、額の汗を手の甲で(ぬぐ)いながら俺は毒づいていた。

 

「ゼィ……当然です! どうしたんですジェイドさん……ハァ……奇警な顔が台無しですよ! ぼくの知るあなたはこんなものではないはずだ!!」

「キケイぃ!? ハァ……知るかよボケッ!!」

 

 言った直後、シーザーの《使い魔》であるダスクワイバーンが攻めてきた。

 牽制ではない。これも確実に食らいに(・・・・)きている。だが俺もカバーポジションから迷いなく飛び出すと、息をするようにその火炎ブレスを回避し、連動するようにダッシュで距離を詰めたシーザーに対応していた。

 バギィイイッ!! という嫌な音が充満する。

 連携を先読みされたシーザーに焦りはない。

 連携を先読みした俺に満足感もない。

 前屈みのまま敵を睨み付け、まるで示し合わせたかのように同じ力で押し合い、反作用したエネルギーをお互いバックステップに回す。

 ここで《暗黒剣》を再発動。シーザーの目に鋭い警戒心が差した。

 彼我の差は4メートル。俺は冷却期間(クーリングタイム)の終了した《フォ・トリステス》を解放し、ホリゾンブルーに光る衝撃波をお見舞いする。

 直進する長距離用スキルをダスクワイバーンが回避。しかしその後ろにいたシーザーの右肘を掠めた。

 絶望的な目をして右腕を確認するシーザー。しかしヒット時の浅さとシーザー本人のレベルの高さからディレクトはなし。ホッとしたような表情を浮かべる。

 その顔へ容赦のない突きを一閃。

 だが、またしても頬を掠るだけで直撃はしなかった。

 

「まったく、エグいことをッ……ゼフィ!!」

『クルギャアア!!』

 

 俺は小さく(うめ)いてしまう。ダスクワイバーンが左足に噛みつき、動きが制限されたのだ。

 その隙を逃すまいと鬼の形相で突撃するシーザー。たった1秒で激突された俺は、右の肩に奴の刀を突き刺されたまま大木(たいぼく)に縫い付けられた。

 反動と激痛。

 声の代わりに音になり損ねた空気の塊を吐き出した俺は、敵のチーム戦法に追い詰められつつあることを悟っていた。

 

「ぐッ……ちくしょう……!!」

「くくっ、いい眺めです。拮抗して見えるのも、あなたがどうにか食らいついているだけですしね」

 

 左手だけで刀を握ると、残る右手で俺の左手をがっしりと掴んでいた。

 嗜虐的な双眸(そうぼう)が至近距離で俺を射抜く。

 左足がダスクワイバーンに噛みつかれていることと《ガイアパージ》を片手で持ち上げられないことをいいことに、シーザーは武器をグリグリ押し込んで弄んでいた。

 掛け値なしで首の皮一枚。それが現状だった。

 お互いのHPはようやく半分を下回ったと言ったところだろうが、開幕から数えて俺がシーザーのそれを逆転したことは1度としてない。

 

「ぼくがミンストレルさんを崇めるワケって、なんだかわかります……?」

「なんの……ことだッ」

 

 俺は2ヶ所から襲う毒のような継続ダメージに焦りながらなんとか答えた。

 対するシーザーはイライラするほど落ち着いている。

 

「人の生き方、それは根元的な欲求や指針で決まる。なんともまあ、彼はそれが凄かった」

「へ……また、回りクドいなてめェは……」

「フフっ。情報屋が、戦闘力を持たないまま……想像できますか? 彼の素性を目の当たりにした時、感じたのは懐疑心だけではなかった。……圧倒的な羨望です。殺す力なくして人を殺す! それも、PoHに必要とされたからという、純粋な動機で! ……なのに、その行く末を……あなたは潰した! 奪ったんです、可能性を!!」

「……は……ハハハ……ぶははははははッ!!」

 

 このバカの言いたいことはわかった。恨みを増幅させた理由が、前回の戦いでこてんぱんにされたことだけではないことも、ミンスがいかな策略家だったのかも、全て。

 しかしそれを聞いた俺は、思わず笑ってしまっていた。

 

「……何がおかしい?」

「動機つーからどんなことかと思えば……人生を台無しだァ? 行く末を潰したッ!? ハッ、笑わせんなよ。高説タレてる奴が、人に依存すんのかッ! 手を汚さない犯罪に感動しましたァ!? 悪モノごっこもタイガイにしろ!!」

「黙れ黙れぇ!!」

 

 整った顔を歪ませてシーザーは刀を一段と強く食い込ませた。

 

「これが、ぼくの生き方だ……」

「それを『生き方』とは言わねぇんだよ、この三流ッ!!」

 

 俺は右手の剣を地面に突き刺し、残りの全てのパワーを右足の蹴りに回した。ゼロ距離という環境の悪さからは信じられないベクトルが腹に込められ、足蹴(あしげ)にされたシーザーがたまらず下がる。

 続いて左手が太ももに取り付けたショルダーのピックを根こそぎ引き抜き、赤いライトエフェクトで彩られた。

 《投剣》専用ソードスキル、初級基本下手(したて)投げ《アンダーシュート》。

 すっかりお家芸となったコスパ最悪の大雑把な攻撃。しかしその集団流れ星のような攻撃がダスクワイバーンを襲い、複数の被弾箇所をAIが検知したのか《使い魔》はこれまでにない派手な鳴き声を放っていた。

 

「くっ……よくも!!」

 

 シーザーが数瞬《使い魔》に気を取られていたことにより、技後硬直(ポストモーション)中の反撃はない。俺は怒りに任せつつ斬りかかってくる相手の右腕を狙って剣を動かした。

 先ほど浅かったとはいえ、《暗黒剣》のソードスキルが右肘辺りに被弾したことと、その特性を思い出したのか慌てて下がる。

 とそこで、彼は初めて《暗黒剣》の見えざる力に得心しているようだった。

 

「なるほど……ぼくは今、無意識に回避を優先した。……それが人に対する《暗黒剣》の力というわけですか……」

 

 彼の言う通りだった。

 《暗黒剣》はユニットの部位と武器の耐久値(デュラビリティ)を大幅に削り取るユニークスキルである。それはIDやアカウントを参照した、いわばバックグラウンドで記憶される個別パラメータであって、外面からの目視判別はできない。

 よって、指定パターンの中でしか動けないモンスターは自分の危機を感知できない。ゆえにディレクトさせやすく、対するプレイヤーは『欠損(ディレクト)』というシステム的ペナルティの重さを知るがゆえに、常に慎重になってしまう。

 瞬間火力、攻撃速度、命中率、連続攻撃持続時間、そういったいわゆるスタンダードでダイレクトな力ではない(・・・・)

 攻撃の制限。行動の抑止力。

 それが《暗黒剣》のもたらすプレイヤーへの真のアドバンテージだった。

 

「ま、地味だけどよ。それでこそ、ってモンだろう……?」

 

 それでこそ、俺の使うスキルに相応しい。

 確かに数の差で不利に立たされている。ビーストテイマーは自分のレベルアップと同時に、《使い魔》を成長させ育てなければならないが、だからこそ戦闘の時は強い仲間となるからだ。

 しかし戦況はどうだろうか。勝負の行方は終わってみるまでわからない。そして、戦いはまだ終わってなどいない。

 

「いいでしょう! ぜひ苦しんでから死に、あの世で後悔でもしていればいい!!」

「フラグ乱立だな、ズボシ野郎!」

「ひっくり返せますか!? やれるものなら、やってみろ!!」

 

 互いに限界まで振りかぶった獲物が激突し、ガギンッ!! という金属音が鳴ってから、再び唾競り合いが始まった。

 両者共に引く気はない。道を譲る意味も、妥協も、全部置いてきた。

 あるのは勝利への渇望(かつぼう)。知力や体力、精神力や闘争心、戦略、殺意、その他あらゆる運すら含む、人と人との殺し合い。

 これが《デュエル》という形式上の争いでは表現できない真の闘技場。

 

「それでも……最後にモノを言うのは力なんですよ!!」

「ぐ、あッ!?」

 

 離れた直後瞬時に接触したシーザーが、俺の反応速度すら越えて連撃を繰り出した。

 しゃがんで力を溜めた状態でも、ましてやクラウチングスタートを決めたわけでもない。彼はごく普通の姿勢から爆発的な加速をしていた。

 これだ。奴の得意技、《ゼロスタート》。

 運動エネルギーゼロの状態からトップスピードに乗るまでの、言わばタイムラグを極端に少なく認識させることを言う。これにより、相手の予想を上回るスピードを得ることができるのだ。

 俊足(しゅんそく)を誇る《閃光》のアスナに敏捷値で劣るシーザーが、体感上の速度で彼女を超えることが実はできる。同じ原理で、筋肉の発達した熊が気迫に押されただけで狼に力負けすることも自然界ではある。

 その現象を故意に、実力で導く。

 力を決めるのは筋力値だけではない。速度を決めるのは敏捷値だけではない。

 言うなれば『ラフな加速』。助走期間なく初速を得る、プレイヤーにだけ通用するペテン師の移動術。それが《ゼロスタート》という名のシステム外スキルだった。

 

「うッめェ!? ぐ、速すぎんだろッ!!」

「切り札無しに仕掛けますか!!」

 

 後手に回り続けている最大の原因。

 またも背後に回られ、俺はダスクワイバーンに背を向けることを覚悟してシーザーに対応していた。

 しかし、やられてばかりではない。そこで俺の耳はガチチッ、という音を拾っていた。

 これは牙の擦りきれる音だ。回数は2。拾った音の方角から範囲を選定(せんてい)

 次にシーザーを確認。目線の先は俺の右後方。

 

「うっらァああアアアアアアッ!!」

「なにぃッ!?」

 

 地面を転がりながら背後の《フレイムブレス》を見ずに(・・・)回避した。

 視覚野を介さない、ようは物体を見ずに音だけでオブジェクトの位置とその種類を判別する汎用技術。システム外スキル《聴音》。

 俺の努力は、こんなところでも実を結んでいた。

 

「後ろに目ぇ、付いてるんですかッ!」

「さァてなアア!!」

 

 流れるように斬撃の応酬が再開された。

 負けているというのに、押されているというのに、心臓が高鳴る。

 研ぎ澄む刀が眼球スレスレを通りすぎていった。

 巨大な鉤爪が防具を掠めていく。

 敵のスキルが僅差で穿(うが)たれた。

 高熱の獄炎が一面を覆う。

 どれもこれも1歩間違えれば致命傷だ。俺はその確定的な敗北の道から、命からがら這い出ているにすぎない。しかし初めて、シーザーに焦りが見えた。

 彼の動きに迷いが見てとれる。なんとなく、俺に突きつけられた言葉の意味を手探りしているような感覚がある。

 

「なぜッ……ハァ……なぜ、当たらないんですッ!」

「ゼィ……ゼィ……」

 

 危険域(レッドゾーン)に突入した俺を、注意域(イエローゾーン)に入って間もないシーザーが追いかける。立場が逆転された、ある種の奇妙な光景が広がっていた。

 余裕のない闘犬は視野を狭める。そして狭められた視野の先からは現実問題、《見切り》が効果的に機能しやすくなる。

 目を持つモンスターまたはアバターの目線から攻撃軌道を推測するシステム外スキル、《見切り》。やはりこうしたプレイヤー依存の小技は、皮肉にもプレイヤーに対してこそよく効くのだ。

 叫ぶシーザーは実に読みやすい(・・・・・)

 

「ぜァアッ!!」

「ぐああああっ!?」

 

 とうとう鋭い邀撃(ようげき)が胴体に命中。ラッシュを仕掛けたシーザーがHPを減らしていた。

 余裕ができた戦士は心理戦すら同時に行う。

 

「わかるかシーザー! 勝てない理由が!!」

「まだッ、負けてなど……ッ」

「てめェが納得してねェからだよ!!」

「が、はッ!?」

 

 ザクンッ!! と。斬られ、削られるのはまたしてもシーザー。

 スキル前の構え、攻撃前の意図、従者への命令、そうした準備段階で次なる動きを予測する《先読み》が発揮されていた。これも俺の得意とするシステム外スキルであり、浅はかな戦術こそ逆手にとりやすい。

 ドツボにハマっていたのは彼の方だった。

 

「迷ってバッカで……ブレねぇ奴に勝てッかよォ!!」

「ごァああああっ!?」

 

 輝かしいエフェクトが炸裂し、とうとう《暗黒剣》のソードスキルが命中。幸か不幸か切断されない胴体に直撃したことで、シーザーはディレクトステータスこそ課せられなかった。しかし彼の体力ゲージはゴソッ、と減っている。

 すかさず《使い魔》がヒールブレスを放つが、元より後衛タイプではないダスクワイバーンのサポートだ。中和しきれないダメージ量は確実に相手の体に刻まれていた。

 俺の《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルもその役割を果たす中、シーザーが口を開く。

 

「ハァ……ゼィ……迷っていたとして! ゼィ……鈍っていたとして!! 物理的に強ければ問題はない! ぼくはもう誰にも負けないっ!!」

「ハァ……ハタンしてるっての……ハァ……もう、いい加減に……」

「ごたくはいらないとあなたは言った! プライドを引き裂いた人間が目の前にいる! つまらない心理戦もここまでです。……やりましょうよ。これほどの好条件は今後来ない! ……だから! あと少しだけ(・・・・・・)戦いましょうッ!!」

 

 怒号と並列して、ジェスチャーによる《使い魔》への命令が下されていた。

 左の指を右胸から前方へ突き出す動作。これには見覚えがある。

 

「ラスットォオオオ!!」

「ッ……このっ、大バカ野郎がァ!!」

 

 ダスクワイバーンが最大級のブレス体制へ入る。同時にシーザーが突撃系二連続技の《カタナ》カテゴリ専用ソードスキルを構えた。射程を犠牲に上空へ攻撃できるタイプだ。

 ブレスの位置を左右どちらかへ振り、逆方向への回避を優先するだろう敵プレイヤーを、今度は上下方向に無理の利くソードスキルで制圧。これで逃げる敵を3次元的に捉えることができる。

 奴らが得意とする、最もスタンダードな連係プレー。

 それを俺は……、

 

「ふぅ……ッ!!」

 

 大剣の向きを直角へ……つまり、剣の『腹』を見せたまま全力で振り抜いた。

 ゴガッ!! という鈍い音が響くと、ドギツいビンタを食らったダスクワイバーンの顔が、本来の狙いとはまるで違う方向を向いていた。

 すなわち、シーザーがいる方向へ。

 

「な……あっ!?」

 

 火を吹くのが人間なら、反射的に技をキャンセルする。しかしこれが、短いスパンでの攻撃中に中断命令の存在しないビーストテイマーならではの弱点。

 《フレイムブレス》はキャンセルされることなく全力で放射された。

 

「がっ、アああァァああああ!?」

 

 灼熱地獄でのたうち回るシーザー。

 俺は無慈悲にも黒き(もや)を一段と漆黒に染め上げ、共鳴するような低いトーンのエフェクトを《ガイアパージ》に持たせていた。

 《暗黒剣》専用ソードスキル、十字回転軌道乖離重斬撃《クロワ・エグゼクション》。

 1撃目、水平斬りが直撃。ダスクワイバーンの片翼がもがれ、飛翔力を失う。

 2撃目、垂直斬りが直撃。シーザーの右肘がその半ばから完全に断たれた。

 反射的に武器を拾いに向かったが、硬直が解けた瞬間に彼を蹴り上げ、力なくうなだれたワイバーンのすぐ近くに叩きつけた。

 強敵として立ちはだかり、終始俺を苦しめ続けたシーザー達がとうとう地に伏せる。

 

「くあっ、く……そんな……ハァ……また、ぼくが……ッ!?」

『ギュル、ギュル……』

 

 戦いが拮抗しようと、両者が健闘を称えようと、勝者は常に1人しかいない。それが不動のルールだ。

 俺は呆然とする連中の前に立つと、静かに口を開いていた。

 

「あんたらの敗けだ。ウィンドウで確認した限りだと、こっちのメンバーも欠けていない。ヒスイ達もうまくやったみたいだな」

「……くっ……そ……」

 

 立場の逆転したシーザーは(うめ)くことしかできなかった。

 しかし。

 名前も知らない大きな木に座ったまま背中を預け、首もとに剣を突きつけられているにも関わらず、それでもシーザーの目には闘志が宿っていた。無くなった右腕をいたわるように押さえながらも、この男は毅然(きぜん)としている。

 まったく、誰に似たのかは知らないが強情な奴だ。

 

「……なあシーザー、意地張んのいい加減やめようぜ。PoHに従ってんのもさ、あの戦いでミエ張っただけの口約束だろ。……これよ、ラフコフの拘束力っていうより、てめェ自身のくだらない自己暗示じゃねェか」

「……口約束も契約です。ぼくにもプライドがある」

「またお得意の契約か。ったく、さっきそのプライドってのが引き裂かれただのグダグダ抜かしてたじゃねぇかメンドくせぇ。ここいらでチャラにしてよ、いっぺん牢屋ん中で頭冷やしてこいや」

「……どうして……そこまでするのです。なぜ、ぼくに気をかける……」

 

 自分のことを棚に上げておいてよく言う。しかし理由はきちんとある。

 それは、どこかの誰かに似ているからだ。

 遅いか早いか。違いはそこしかない。

 

「……さァな。とにかく……っ!?」

 

 だが話を続けようとした俺は驚いていた。シーザーの顔が、笑っていた(・・・・・)のだ。

 ――追い詰められた人間が、なぜここで?

 しかしその疑問もすぐに理解してしまった。ブチッ、という何かが引きちぎれる音が聞こえたからだ。場所は後方数メートルほどの位置。

 音源は……クレイヴを縛り付けていたロープだ。

 

「なッ、これ……どうして、俺の手が自由に……?」

「今です! 逃げてくださいクレイヴさん!!」

「くッ!?」

 

 俺は反射的に駆け出していた。

 ダスクワイバーンを殴った時のように、《ガイアパージ》を横に寝かせたまま振り抜く。

 《テレポートクリスタル》を片手に転移コマンドを詠唱し終えたその直後、クリスタルを持った腕を叩き落とした。これにより、寸前で脱出を妨害。

 もう後はないはずだ。クレイヴの最後の抵抗は、これで終わった。

 だが……、

 

「ったく、ハァ……仕事増やしやがって……あ! しまッ!?」

「ロープに細工しておいたんですよ。またさよならです」

 

 今度はシーザーが《テレポートクリスタル》を発動していたのだ。

 もう遅い。彼は青白いライトエフェクトに包まれている。その穏やかな表情から、ポツポツと言葉が漏れていた。

 

「これも生き方です、ジェイドさん……ですがあなたの気持ちは……」

「ま、待てシーザー!!」

 

 とっさに投げつけた大剣が空を裂き、そんな言葉を最後に残してシーザーはどことも知れない街へ転移してしまった。

 逃げられた。あの状況で。

 間抜けにもあっさりと。

 

「やられた……くっそ!!」

 

 (わめ)いたところで時間は戻らない。

 それに俺は先ほど聞いていたはずだ。「あと少しだけ戦おう」と。これは勝とうが負けようが、それこそHPゲージが残っていようがいまいが、戦いの終わりが近いことを示していたのだ。

 捨てセリフである「ロープに細工」という部分も不可能ではない。

 彼が《暗黒剣》による部位欠損を過剰に恐れていたのは、『目に見えない内在パラメータ』で欠損の是非が決定されるからである。耐久値を参照するのは武器や防具、食材からアクセサリーまで例外ではない。

 そう、ゲームの世界だからこそ、不可能ではないのだ。

 『千切れかけたロープ』などというアイテムは存在しない。ロープは新品だろうが使い古しだろうが《アイテム詳細》ボタンをタップしなければ耐久値を確認できず、外見からでは読み取れる情報も少ない。もっとも、彼のアイテムを確認しなかった俺にも責任はあるが。

 

「(やられた。出し抜かれた……)」

 

 オレンジプレイヤーの生命線。退路の確保。

 コルの横領(おうりょう)隠蔽(いんぺい)以外でもクレイヴを利用するしたたかさ。どこまでも狡猾(こうかつ)にならなければ思いもつかない発想力。

 

「シーザー……」

 

 その場には、呆然と佇む2人のプレイヤーだけが取り残されていた。

 

 

 

 


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