西暦2024年4月23日、浮遊城第19層。(最前線60層)
呆然とした脱力感。シーザーに勝利しながら実質的に上がっていない戦果を、俺は悔しさと共に呑み込むしかなかった。
それとはまた違った方向性なのだろうが、隣のクレイヴもやりきれない感情を吐き捨てる。
「ああ、終わった……最後まで……ヌカ喜びさせやがって……俺の生活……くそったれッ! 野郎のせいで!!」
「クレイヴ……『窓口』を請け負ったあんたに言う資格はねェよ。グリセルダを殺した連中なんかと手を組みやがって」
「うるせェ……事情も知らねーで……」
「ッ……!!」
そこまで聞いた瞬間、目の前の男の矮小な愚痴に対し、俺はクレイヴの胸ぐらを掴んだ。
「事情? 知らないさ。なァおい、人殺せる事情ってなんだ!? あんたらのリーダーに申し訳たたねぇんじゃねぇのか!? どうなってんだよテメーらマジでッ!!」
途方もないイラつき。その吐き溜めが、たまたま近くにいたプレイヤーに定まっている。
それでも……いや、だからこそクレイヴは叫び返して来た。
「あァあァうぜーウゼェ! うぜェンだよお前!! 知ったかぶッて善人ヅラすンな! どうなったかって!? 俺だってなァ! まさかっ、グリセルダさんが死ぬとは思わなかったんだ! だってあの2人はガチ夫婦だぜ!? このデスゲームん中で! それをッ……こ、殺すなんて! 予想できるかよ!!」
「…………」
「……俺にも罪悪感ぐれぇある。けど、どのツラ下げて謝りに行けるよ!? ヨルコやカインズに面と向かって、ラフコフに教えてゴメンナサイってか!? こっちの道に片足突っ込んじまった以上、もう仕方ねェだろ! だいたい悪いのは俺に教えたアリーシャだ! それとも、リーダー殺しを依頼したグリムロックさんか!? 実際に首を
クレイヴは涙ぐみながらそう吐露し、そして微かに
確かに『窓口』はあくまで入り口で、手を汚しているわけではない。なにかの拍子で仲間の意地汚さを見聞きしてしまうこともある。そういう時、正義を
学校での昼休みに、携帯ゲームで遊びふけるクラスメイトを見かけた時。未成年の友達が路地裏でタバコを吸っていた時。高校部活の飲み会でお酒が振る舞われた時。
そんな時、しっかり注意し止めることができる人間が果たして何人いるだろうか。
少なくとも、俺には無理だった。根元がいて、あくまで自分もそれに巻き込まれた一種の被害者なのだという気持ちは、少なからず理解できる。
それを踏まえて、言い放った。
「ざッけんなよ弱虫が。となりにどうしようもねェクズがいても、あんたが染まらなきゃいい話だろうが! のまれてどうすんだよ。誘惑に負けて! さっきアリーシャの前でなんつった? ワルぶってる自分カッケェとか、そんな程度だろ! 言い訳すんなッ……あんたが! ソレを選んだんだろうがッ!!」
「ぐっ……う……ッ!?」
取り上げるのではなく、ゲームを他の場所でやるよう誘導する。殴って聞かせるのではなく、未成年の喫煙者と縁を切ればいい。悪ノリするのではなく、自分がその日酒に手を伸ばさなければいい。
周りを変える力がなくとも、自分のことだけは言い訳できない。
誰でもない、クレイヴは自分に負けて『窓口』へと成り下がったのだ。
「これからしばらくゴク暮らしだ。……せめて死ぬほど反省してこいよ」
これが俺からクレイヴに言える最後の言葉だった。
数分後、ほとんど抵抗されることもなく、両足が戻ったクレイヴは俺に縄を引かれながら3区画先のフロアに到達した。
ラフコフとの衝突もあっただろうフィールド。そこでは俺とクレイヴ以外に10人ものプレイヤーが円を作るように陣取っていた。
左からそれぞれカズ、ジェミル、ヒスイ、アリーシャ。奥の方にはヨルコ、カインズ、シュミット。右側にはキリトとアスナ……そして背の高い見知らぬ男の姿まであった。
「うそっ……クレイヴ?」
「ホントだ……なんでここに……」
やはり生きていたヨルコとカインズが縛られたクレイヴに反応するが、今はその疑問に答える時間はない。
「ジェイド……無事でよかったわ。でも、その……シーザーさんは?」
「……逃げられた、すまん。……それよりこれはどういう状況だ? 流れ切って悪いんだけど、説明してほしい」
DDAのくせに肝っ玉の小さいシュミットが、今さら怯えた表情をしているのも察しはつく。ヒスイを含む全レジクレメンバーが抜刀しているのも、つい数分前までここにラフコフの幹部3人がいたことから納得できるだろう。
あとは残りの
アスナから背中にレイピアを突きつけられた怪しい男。革製の服を着て目深に帽子をかぶった男の正体と状況を、俺はこの耳で聞かなくてはならない。
「ジェイドもある程度予想はついているでしょうけどね。……彼の名前はグリムロック。……実は、彼は……」
ヒスイはその場の全員が静粛にするのを待ち、
曰く、ヨルコとカインズの目的は、やはり犯人と目星をつけていたシュミットをここへ
曰く、予想した通り、イカれたレッドプレイヤーたるラフコフの連中は、《圏内事件》で1人も動揺を見せなかった。よって、懺悔しに来たのはその手助けをしたシュミット1人。
ラフコフ三幹部の襲来と、キリトやカズ達が救援に駆けつけたタイミングはほとんど一緒だったらしい。少し遅れたのはヒスイとアリーシャのみ。このことから、彼らは無理に獲物を殺そうとせず、珍しいことに潔く立ち去ったそうだ。
曰く、ヨルコとカインズが結果的に騙すような形をとってしまったことを、キリト達全員に謝っている時だった。
木陰からグリムロックが現れた。
それも背中にぴったりとアスナのレイピアを突きつけられた状態で。
キリトらもグリムロックが妻の殺害依頼をしたと気づいたらしい。そしてそれは真実で、おまけにヒスイ達は証拠隠滅のための『仲間殺し計画』までシーザーから直接聞いている。
曰く、グリムロックは初めのうちは密かに隠れていたそうだ。「私にはことの
だが、そうしたハッタリはすぐに見抜かれた。そこには淑女ヨルコの機転を利かした探偵然とする活躍があったらしいが、詳しい手順の説明は本題ではないので俺が止めている。
そして先ほど、とうとうグリムロックが白状した。
自分が妻であるグリセルダを殺すよう、『窓口』を通してラフコフへ依頼したことを。真相を暴かれるのを
俺もようやく聞ける。
グリムロックがなぜ、唯一無二の女を殺したのか。
「……クレイヴまで揃って賑やかですね。これだけ多くのプレイヤーに気にかけてもらったんです。彼女もきっと喜んでいるでしょう」
ヒスイの説明が終わってから舞い降りた静寂を、グリムロックが破っていた。
その言葉に誰もが耳を傾けたが、耐えられなかったのか震えながらヨルコが聞く。
「あなたは本当に……グリセルダさんを……?」
「……ええ、依頼しました。今の『窓口』であるクレイヴはなく、その時のプレイヤーは見知らぬ男だったけれどね。……なにもかも、遠い昔の話のようだ……」
その独白にヨルコは、カインズは、シュミットは、アリーシャは、そしてクレイヴですら困惑していた。かつて仲間だったからこそ、頭の中はよりグチャグチャになっているだろう。
誰1人として見抜けなかった『妻を裏切る動機』が明かされるなか、前者3人に至ってはクレイヴが『窓口』にいることすら初めて聞かされたはずなのだから。そのショックの大きさは、簡単に推し量れるものではない。
それらが織り混ざり、静かに明かされた。
「いつかはこうなる気がしたよ。すべてが白昼の下に晒され、謂われなき非難を浴びせられるような気がね……」
「いわれなき? 気がしていた、ですって!? ……その程度のッ! 簡単な気持ちだったの!? あの大金の方が、あなたには魅力的だとでも!?」
「いや、ヨルコ……たぶんこいつ、金に興味ねェだろうよ」
涙混じりに叫び散らしたヨルコを、俺はゆっくりなだめるように声で抑えた。
その気持ちをトレースしたのか、グリムロックが切らさないように続ける。
「勘のいい子供が多いようだな。……ジェイド君と言ったか? フン……ほら、これだよ。確認してくれていい。指輪を換金した時の金はこれで全部だ。金貨1枚だって減っちゃいない」
「えっ……?」
唐突に指を振ったグリムロックが《メインウィンドウ》のストレージから取り出した布袋には、はち切れんばかりの最高級金貨が詰まっていた。
再現度の高い本バーチャルリアリティ内では、落下時の音の鈍さでさえ金貨量が果てしないものだと判別できる。見たところ数十万はあるだろうか。売値でこの値段と言うことは、買おうとすればさらにその数倍は堅い。指輪はそれほどのレアアイテムだったのだ。
だが思った通りグリムロックは「使っていない」と言った。
「じゃあ、どうして……?」
「私はどうしても妻を殺さなくてはならなかった。彼女がまだ、私の『妻』である内に」
それは、夫だけが味わう
「グリムロックとグリセルダ……頭の文字が一緒だろう? これは偶然ではない。私と彼女はいつもオンラインゲームをする時にこの名前にしていた。そして、可能であれば常に夫婦だった」
「なぜならリアルで夫婦だったから……だろ?」
「えっ!? それって!?」
「…………」
グリムロックは否定しなかった。
それこそが最大の肯定だ。
「この世界での結婚はキツい。スレトージ共有に、スキルステータス見放題。みんな知っての通りさ。ましてや名前被りの夫婦なんて、『奇跡』はそう連発しないもんさ。……ああ、キリト達にも初めて言うんだったな。ヒスイは……そこの女は俺と結婚してる」
「ッ……~、ッ……!?」
「ええっ? お前ら結婚してたの!?」
わかりやすい反応をしたのはヒスイとキリト。アスナだけはどこか予想通りといった表情を浮かべていた。ちなみにグリムロックを除く全メンバーは戸惑いながらも一様にして『なぜそれを今ここで?』といった顔だ。
しかし、当事者たるグリムロックだけは気づく。
「ヒスイ……? ああ、
「……あんたらのスペルを知った時、『運が良かったから』つう線をすぐ捨てた。同時に、理由が金のはずもない。……どうせ、嫌気が指したからとかだろう? 離婚しようって言えない奥手さんがこじらせるとよくそうなる」
「ふ、フフフ……フハハハハハ……!!」
どこかのタガが外れたようにグリムロックが笑い出す。
だがそれがピタリと止まると、改めて彼は表情を改めた。
「生意気な子供にはわからないさ。おままごとで暮らしているのではないんだよ。妻である内に……『私の妻』である内に殺さなくてはならなかったのだ!」
瞳孔が開いたまま、狂ったマッドサイエンティストのように。それでもなお、理論的に。
「この喪失感がわかるかい!? いいや、わからないだろう! 偽りの世界で愛を押し付けあうガキには到底わかるまい。ゲームの創始者が狂気をあらわにしたあの日、恐怖に呑まれて塞ぎ混んたのは他でもない、私自身だった。彼女も初めは合わせてくれたさ。……しかし、変わってしまった! 優しくおしとやかなユウコが!! いったいどこにそんな才能を仕舞っていたのか。だが私の反対を押しきり、『《攻略組》の手助けをする』と言って聞かなかった。その日から、あろうことかフィールドで狩りをし、しばらくしてギルドを作り、仲間を集い、果てはその面倒を一手に見ながらみるみる成長して見せた! ……ギルドのメンバーには生活費を稼ぐため、などと言っていたが、彼女は《攻略組》を目指していたのだ! ……ヨルコ達も知っているだろう? 攻略中にGAから死者も出た。アリーシャを含みメンバーの入れ換えもあった。次は我が身だ。……本当は私も、わざわざ死地に向かいたくなかった。なのに彼女は、リーダーを降りなかった! ……その時すでに悟ったよ。『妻を殺すしかない』と。現実世界に帰って離婚を迫られるか、道中で共倒れするかの違いでしかないのだと」
「…………」
恐ろしい動機が明かされて、しかしそれにすぐ言い返す人間はいなかった。
それでも、キリトは隠しきれない怒りを喉から吐き出す。
「それだけ……たったそれだけの理由でグリセルダさんを殺したのか。彼女は本当に《攻略組》になって、そしてこの世界を終わらせていたかもしれないのに。あんたはくだらない理由で人殺しを!!」
「私は博愛主義者ではない。世界がどうなろうと、私にとってはユウコの存在の方が大切だったのだ。いわんや生き延びたとして、そこに生きる希望はない。この屈辱が想像つくかい? ……そうまでして、私はユウコと共に暮らしてはいけないのだよ……」
『…………』
「……ちょっと待て、終わりか? おいおい、笑わせんなよ」
俺は自然と口を割っていた。しかも、チープな動機とやらを本気で語る姿があまりの面白かったので、つい声のトーンが上がってしまっている。
陽気な声はヒスイまでも便乗させていた。
「ホントよね。愛を押し付けあうだなんて。さんざん侮辱されたから、ご立派な理由が聞けると思えば……単に
「なんだとっ……?」
「グリムロックさん、それは愛じゃない。あたしとジェイドがどんな経緯で《結婚》したと思う? 死ぬほどぶつかって、理解したからよ。いっぱい迷惑をかけたわ。ウソをついて、ケンカして、大きな借りを作りあった! ……けどね、全然苦にならないの。むしろ、それが必要だった!」
「それ自体は羨望に値するよ。しかし、私にとってもこれは苦渋の決断だった」
「あなたのひがみは結構。じゃあユウコさんの気持ちはどう? あなたがみんなを引っ張らなくて幻滅したかしら? 消極的な姿勢にうんざり? ……うっざいのよ、そういうひねくれ者って。ユウコさんが死に際まで指輪を外さなかったのは、最後まであなたを信じたから! 愛の押し付けが聞いて呆れるわ! ユウコさんを愛さなかったのは! 誰でもない、あなた自身ってことでしょう!!」
「くっ……う、ぅ……!?」
雨のように非難が降りかかった。
しかし、ここでグリムロックはヒスイに対して即座に反論ができないでいる。これはつまり、言い返すだけの材料を持ち合わせていないからだ。
これが、妻が殺されてなお、半年も放置した理由。
彼が犯人でなくとも、グリセルダのために命を捧げてまで捜査に乗り出さなかったのではないだろうか。独占欲だけが支配する彼の心の中で、すでにグリセルダという女性は死んでいたのだ。
そこへ、ことを聞かされたシュミットがゆっくりと前へ。銀甲冑を鳴らし、トップギルドの一員らしい顔で近づいてきた。
「ジェイド、ヒスイさん、感謝するよ。1歩間違えればオレ達はみんな殺されていた。おまけに真相も暴けなかっただろう。この借りはいつか返させてもらう」
「期待せずに待っとくよ。あと、今はクレイヴもただの『元GAメンバー』じゃない。正真正銘ラフコフの『窓口』だ。こいつもあんたらに任せていいか?」
「ああ、引き受けよう。決して私刑にしたりしないと約束する」
俺の言いたいことは大体ヒスイが言ってくれたので不満はない。それ以上グリムロックにとやかく言わないようにした。
しかし、当の本人はそうではなかったらしい。
「……言われっぱなしでは、終われんな……」
その言葉には、
「て、めェッ!?」
ボフッ、と固形物が投げ込まれた。白い粉末が広範囲に広がって視界を覆う。
焦り、叱咤、警戒、怒号。入り交じった感情がせめぎ合う中で転移を示すライトエフェクトが見えた。
「《煙玉》!? ナメたマネを……ッ!!」
「転移する気だ! 逃がすな!!」
「村の名前は聞こえた! 付いてこい! 転移、ガレッシオ!!」
「みんなはここに残れ! 罠だった時のリカバリー頼むぞ! 奴は俺とキリトで追う! 転移、ガレッシオ!!」
腰のポーチから取り出したばかりの《転移結晶》が光を発し、その光が体全体を包む。
最古の城村《ガレッシオ》。確か30台層のどこかにあった《圏内》だ。当然オレンジでは立ち入ることのできないエリアであり、そこでは《デュエル》システムを利用しない限り、プレイヤー間ではいかなるダメージも発生しない。
だがどこの村に逃げ込もうが同じである。《
それに、剣で斬ればノックバックが発生する。レベル差があるほどその影響が現れることから、俺とキリトが2人がかりで《圏内》の外まで吹っ飛ばし続ければいずれ物理攻撃すら通せる。よもや逃げられることはあるまい。
果たしてグリムロックは逃げた村、つまり《ガレッシオ》の転移先から1歩も動かず佇んでいた。
「テメェこら、グリムロック! 墓にいたグリセルダが泣いてんぞ!!」
「……追ってきたのはキリト君とジェイド君だけか。言動からは気品や知性を感じないのだが、ちょうどいい。どうやらきみらは冴えるようだ」
「ケンカ売っといてよく言うぜこのヤロウ……」
逃げ出そうとしたこと、俺をバカにしたこと、あらゆる面で許しようがない。
それでいてグリムロックは続けた。
「提案がある。なにも聞かずに私を見逃してほしい。まだやるべきことがあるのだ」
「オネガイ聞いてほしけりゃ、牢屋ん中で訴訟でも起こすんだな。このインテリネクラが」
「……なにをする気か、それも聞けないのか?」
「おいキリト、構うこたねぇよ」
俺はキリトの意外な反応に思わず制止していた。
だが彼は奴の目をじっと見ている。俺もそれに習うと、損壊した家屋の大黒柱のような木材を踏んだまま、グリムロックが淡々と応えた。
「口に……出すと、やめたくなってしまう。私はこれから今までの人間ができなかったことをする。しかしここで、きみらに貸しを作る気はない。……ただ黙って私を見送ってくれればいい」
「……納得すると思うか?」
「いいや、これは一種の宣言だ。もう決めたこと。だから、私は……わ、私は! きみらを押し退けてもこの意思を通す!!」
「けっ、ふるえてらァ。やれるもんならやってみ……なぁ!?」
グリムロックがポーチから取り出したのは隠し武器でもボスドロップアイテムでもない、またも《転移結晶》だった。それも、両手に
いくらなんでも多すぎる。流通元は増えているが、値段は高レートを維持しているはずだ。おいそれと買えるものではない。なぜこれほど所持しているのか。
「転移……」
「させっかよォ!!」
ゴガッ!! という小気味のいい音がしたが、吹っ飛ばされたグリムロックはやけに堂々としていた。まるで、すでに安全が確保されているかのように。
ようやく優位性を確保したと確信したのか、ニヤリと笑いつつゆっくり立ち上がってグリムロックが決定打を放った。
「くっ……無駄、だよジェイド君……《圏内》ではダメージが通らない。……そしてクリスタルの妨害条件は、『効果の起動中にダメージを受けること』で、ノックバックは無視できる。……さて、ガレッシオは《圏内》エリアではあるが、主街区ではないので周りに《転移門》がない。何度も転移したければ、こうしていくつものクリスタルを用意しなければならないわけだ。きみ達はどこまで付いてこられるかな?」
「ぐ、くっそ……ッ」
「いわば『追跡されない脱出手段』だ。グリーンカーソルなら主街区以外の村や街に飛び続けることで、捕まりようがなくなる。逃げ専用のシステム外スキルさ。……もっとも、一発芸であることは否定せんがね。……また合おう、探偵諸君。転移、プロアソート」
「待ちやがれ、グリムロックっ!!」
しかし、待てと言われて待つ犯罪者はいない。
しかも俺達に後を追う手段はない。あれだけの結晶を使って転移され続ければ、もう最後にどこの村に行ったかなどわからないからだ。
高価なクリスタルはそもそも入手の機会が限られてくるし、《転移結晶》の主な使用目的は『主街区に帰る』ためだ。主街区にさえ戻れば《転移門》を使ってどの層にも飛んで行ける。よって、一般プレイヤーが複数個持ち歩くメリットはほとんどない。
おまけにグリムロックは鍛冶屋。
ヒスイから聞かされていたはずだ。モンスタードロップの武器、レアアイテム、トレジャーボックス、そして《攻略組》たらしめる経験値リソース。そうしたものが手に入らない商人、鍛冶屋、情報屋は代わりに膨大な
護衛役を買うもよし、豪華な一軒家をこしらえるもよし、美味しい料理にありつくもよし……そして、市販されているアイテムを買い漁るもよし。
例えば《転移結晶》をしこたま買い溜めすることが、彼らにはできる。考えたものだ。
「こんな逃げられ方ありかよ……んだよ、シマらねぇな!」
俺は重要文化財にでも指定されていそうな遺跡を蹴り倒すと、唾を吐き捨てた。
だがキリトはそうは思わなかったらしい。
「そう荒れるなよ。グリムロックは無駄話に見せかけてヒントをくれたんだ」
「あァん? そりゃどういう意味だ」
「言ってたろ、『また会おう、探偵諸君』って。姿を暗ますだけじゃないってことさ。それとグリーンなら逃げられるってやつ……一応これも。一発芸だと前置きしてるのに説明してくれた。これで今後グリーンの共犯者を見かけた時は、晴れてこの対処方を常に意識できる。だからあいつはこれを俺達に教えておいたんだ」
「まさか……でも、なんでそんなことを……?」
「それは俺もわからない。意味深なだけだったりして。向こうは
「…………」
そこからの俺達に会話はなかった。キリトの強い眼差しに、発言を無意識に控えたのかもしれない。
《圏内事件》はこうして幕を下ろした。
しかしラフコフの幹部はもちろん、シーザーとグリムロックは逃している。戦いが終わっていない以上、ここで後ろ髪を引っ張られず退場できるのはヨルコ達だけだ。
漆黒の夜闇は、迫り来る危機を占ったのか。
現在攻略は難航の一途を辿っている。激化する戦いには順応性と確たる意思が求められるだろう。俺はまだマシである。なぜなら、グリムロックのように揺らいだ時は、頼れる仲間が正しく導いてくれるからだ。
ではキリトはどうだろうか。
彼はまだ1人で悩んでいる。1人でさ迷っている。
「(知ってるかキリト……あんたこそ、レジクレに入れる条件満たしてんだぜ?)」
俺と来い。
彼の背に投げかけたその言葉は、結局その日も届くことはなかった。