SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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カルマレスロード4 死をもって、成就とする

 西暦2024年8月4日、浮遊城第61層。(最前線68層)

 

 雨水に濡れた街通りには、若干ばかりの静寂が訪れていた。

 1人の女性が剣を抜き、もう1人の首筋につきつけているのだから当然か。その姿は恋慕(れんぼ)のこじれにしてはいささか度が過ぎ、のどかな街並みに対しては違和感もあった。

 私はそれでもカジュアルに語り出す。

 

「アリーシャの頭の中には疑問が渦巻いているだろう。なぜ自分だけをここへ誘ったのか、そして私が生きているのか……」

「あり得ない……そうよ、あんたは死んだはず。シュミット君から聞いたの……あんたは昨日の夜中に毒殺されていた!! ……け、今朝! 元GAのメンバーが後を追うように確認しに行って……私も見に行ってみんなで確かめたもん! おかしいじゃないっ!!」

「なに、ふたを開けると簡単な話だ。偽装したまでさ、《圏内事件》と同じだよ」

「ぎ、そう……?」

 

 アリーシャの構えが僅かに緩んだ。私の言葉の意味を探っているのだろう。

 言葉遊びをしているのか、それとも全てが事実で、新たな偽装手段を確立しているのか。そう考えているのだろう。そしてそれらはどれも正しいようで、どれも正しくはない。

 

「話が進まんな。HPゲージの隣を見てくれたまえ。不気味な笑顔が鼻につく棺桶のシルエット……見覚えがあるはずだ。これが何を意味するかわかるな?」

「あ……これっ!!」

 

 いちいち反応が単純なアリーシャを見ていると昔を思い出してしまいそうになる。

 こうして先手を取る側に立ってみると、3ヶ月前にキリト君やジェイド君に負かされた私から、自分がいくばか(たくま)しくなったような気さえする。

 だが今の私は『ユリウス』だ。グリムロックではない。

 仕事を果たさなくては。

 

「……私は昨日、ある男を殺す算段を取らされた」

「……な、にを……っ」

「その男は、人が(あや)め合う惨状に嘆き、自らを危険にさらそうとも巨悪に立ち向かう勇気を持っていた。……しかし彼の存在は見せしめにしかならなかった。きっとすぐに最前線にも噂は広がってくるだろう。かねてよりラフコフとの和平交渉を進めていた男が、ある夜から突然名前すら遺さず消息を絶った、とね」

「あ、あんた……あんたまさか……ッ!!」

 

 さしものアリーシャも、その信じられない残虐性に勘づいたようだ。

 

「私とてギルドの方針までは変えられない。だとしたら、彼の死に意味を持たせてやるのが人情だとは思わんかね? 交渉に応じる条件は1つ……《ネームチェンジ・クエスト》で名を『グリムロック』に変え、それを66層フィールドにある毒沼付近で私に確かめさせること。青年は簡単に騙されて従ったよ」

「く……うゥっ!!」

 

 アリーシャは私のコートの襟首を乱暴に掴むと、ガシャンッ! と金属音を鳴らして、雨で濡れた地面に私を押し倒した。彼女自身が常に意識していた美貌(びぼう)も歪み、オーラは怒りに震えている。

 ここが《圏内》でなければ今頃どうなっていたことやら。

 ヨルコらが実行した《圏内事件》は、言わば合法的な死の偽装工作であり、そのトリックはハッピーエンドになるよう一生懸命仕組まれていた。対して私がやったことは小粋(こいき)(ひね)りも何もない。

 

「殺したのね……その人を、あんたはなぶり殺しにしたッ!! 結果グリムロックは死んで! あんたが『ユリウス』になって生き続けた!!」

「ご名答だが、満点はあげられないな。どうせ目的はわからんのだろう」

「……くっ、そ人間……ッ!!」

「何とでも言え。だが答えは聞いてもらう」

「いいえ、もう何も喋らなくていいわ。このまま引き裂いて、他の人間にしてきたことと同じ目に遭わせてやる!!」

 

 私を拘束するアリーシャの目は本気だった。いったい何が変えたのだろうか。彼女は最初、ゲームについてろくな知識もなかったと聞く。何をするにも手当たり次第で、どこに行くにも手探りで、日々を生きるのも効率が悪かった。

 数々のプレイヤーと一戦を交えていく中で、一種の人格が形成されていた。

 それが《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のアリーシャだ。

 その女は人を騙すことに生き甲斐を覚え、裏切ることに価値を見いだされていた。そして天職にも近い才覚は遺憾(いかん)なく発揮され、《黄金林檎》もその荒波に呑み込まれ破滅の道へ進むことになる。

 しかし結果的に彼女は別の道から……ジェイドという、まだ少年のような男から救いの手を差し向けられ、それにしがみついて生き方を変えたらしい。

 人を助けて回る人生へ。

 耳障りのいい話だ。誰かが妄想を膨らませて作り上げた虚構の美談にすら聞こえる。だというのに、それが現実となっている。だからこそ、《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》のアリーシャはここまで本気になれるのだろう。

 私は心を押し殺し、甲冑の下敷きになったまま反論した。

 

「……なるほど、それもいいな。では具体的にどうする。君が何と言おうと《アンチクリミナルコード有効圏内》で私は殺せない」

「簡単よ、圏外まで引きずり出してやる!」

「おお怖い。そして実に愚かだ。君がすべきは可能な限り情報を抜き取ることで、私へ怒りの丈をぶつけることではない。考えても見ろ、これほどの安全圏でメンバーと交渉できる立場がどれだけ貴重なのかを」

「うるさい! フィールドに出たらッ……今度こそあんたを!!」

「やれやれ、呆れたよ。何の手札もなくのこのこ君の前に現れたとでも? さて、私の視界の右上には《ハラスメントコード》が点滅しているのだが、君はそんなに《黒鉄宮》にぶちこまれたいのかね」

「ッ……くっ!?」

 

 アリーシャがのし掛かっていた体勢から勢いよく飛びずさった。

 私は余裕をもって起き上がり、話術で彼女を追い詰める。

 

「トラブルメーカー気質は相変わらずだな、時間を大切にしたまえ。それに見ろ、おかげでお気に入りのコートに泥がついてしまった」

「……なんで……アタシに……」

「やっとその質問がきたか、では教えてやろう。……『グリムロック』が死ねば、彼を知るプレイヤーの心に隙が生まれる。ああ、死んでしまったか、あんな奴でも仲間だったのに、死ぬなんて可哀想だ……とね。ここで私の目標が4人に絞られていることに気づくだろう」

 

 メッセージの届かない《黒鉄宮》にいるクレイヴは除外される。

 すなわち……、

 

「アタシとヨルコ、そしてシュミットさんとカインズさん……」

「イエス。恋文(こいぶみ)がグリムロックから届いても応じないだろう? ……少々ひけらかしすぎたか。まあ当然、私は警戒されて君に会えなかった。これが事前に『ユリウス』になっておいた理由だよ」

「心の隙を作らせて……アタシに接触するためだけに……?」

「私は改名することでラフコフへの依存性をPoHに示し、同時にギルド内での信頼を高めた。一石二鳥だろう? この時間が貴重だと言ったのはそういう意味さ。……まったく、そろそろ信じてほしいものだ。これでも決定打がほしいと言うなら、証拠にこんなものをプレゼントしよう」

 

 私がコートのポケットから《永久保存トリンケット》を取りだし、さらにその中からしわくちゃの小さなメモ用紙を掴んで見せた。紙アイテムへは基本的にタイプキーで打ち込むものが多く、フォントすら自由自在に変えられることから、紙を粗末に扱っても文字が読めなくなることは少ない。

 そしてアリーシャは(いぶか)しみながらも文面に目を通した。

 短い文だ。読みきるのにそんなに時間はかからなかった。

 

「なっ!? これって!?」

 

 今度は彼女が目を見開いた。

 それは、陳腐(ちんぷ)な言葉では表しきれないほど衝撃を与える一文だっただろう。再三に渡ってメモに目を走らせるが、私への偏見が少しでも薄れるのを祈るばかりである。

 そんな折りにさらに追撃する。

 

「私に協力してくれる気になったかな? ちなみに、その紙の《耐久値(デュラビリティ)》は消滅寸前にしておいてある。あまりヒラヒラと持ち歩かれたくはないのでな。あと1分ぐらいしか持たないから大切に扱えよ」

「……ふさげ、ないで……こんなもの! ぜったいウソに決まってる!!」

「決まってはいない。嘘かもしれないというだけだ」

「くっ、バカにしてッ!」

「しかし『本当かも』しれない。だから君はこう思っただろう……」

 

 一拍、溜めて。

 私にとっては全てが綱渡り。

 1枚1枚の切り札、ジョーカーのカードを最高のタイミングかつ最大の効果を発揮できるように見極めて切る。

 

「信じてみよう、と。1度確かめてから改めて私を消そうと。チラッと考えたはずだ。それを否定しても、心の底ではもうとっくに認めている」

「そんな……わけ、ない……そんなはずないわ!」

「いいやそれは嘘だッ! 過去に《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に加入して、その後PoHを裏切り組織を脱却したアリーシャだからこそわかるはず!!」

「ぅ……く……それ、は……」

 

 嘘をつく時は半分を真実で固め、もう半分の嘘を自分で信じて騙される必要がある。ここでアリーシャが一瞬たじろいだのは、彼女に言い訳しきれない古傷があったからだろう。同じ目線に立った者だけが抉ることのできる傷が。

 引けば終わり。臆せば失敗。それを知るがゆえに、私は真意を覆うようにまくしたて、感情すらも塗り潰した。

 

「……アリーシャ、君はまだ子供だ。一時(いっとき)の衝動的な行動で失敗したかもしれない。絶大な可能性を無為に流したのかもしれない。しかし、だとしたら!! ……私に賭けてくれ。代わりにやり遂げてやる。試してみる価値があると思うなら……明日この層の10番サブストリートにある喫茶店に入れ。時間は17時。1人で来ることは当然、この事を誰にも話さないようにしたまえよ。さもなくば、せっかくのチャンスをみすみす逃すことになるだろう」

「……アタシ、は……あ! 待っ……ッ」

 

 私は無言のまま素早い動作で《転移結晶》を取り出すと、ボイスコマンドを注入。青いクリスタルが白く発光し、私を別の街へと(いざな)った。

 しばらく転移先の街で待ったが、アリーシャは追っては来ないようだ。

 成功しさえすれば絶対性を秘めた逃げ専用技、《カウントレスジャンプ》を前提にクリスタルを買い込んでいたのだ。しかも『圏外から村へ逃げる直前にダメージを与えて押さえ込む阻止方法』は、すでに私が圏内にいるので使えない。

 元より重要なのは計画である。

 復讐計画の第3段階、『アリーシャを仲間に引き込む』こと。これも今まで通り順調に進んでいると見ていい。何にせよ結果は翌日わかる。

 

「失望させないでくれよアリーシャ」

 

 私は誰にも聞こえないように呟き、沈み行く夕日を見送るのだった。

 

 

 

 翌日、8月5日。

 私は《記録結晶(メモリー・クリスタル)》を持って61層主街区(セルムブルグ)の喫茶店へ訪れていた。

 美味しそうにカップを傾けているのは永久的常連客、つまりNPCだけだ。なにせここは目を疑うような高級店が建ち並ぶ層であり、喉を潤すことが目的ならコルの消費に敏感なユーザーにおあつらえ向きなものが他層にいくらでもある。

 よって、その場には私とアリーシャだけがプレイヤーとして来店していた。

 

「やあアリーシャ、また会えて嬉しいよ。コーヒーは私のおごりだ」

「……昨日に比べれば真摯(しんし)な振る舞いじゃない。でもアタシは、まだあんたを信じてないわ」

 

 悠長にコーヒーをたしなむ私が気に入らないのか、アリーシャの声にはトゲがあった。手で着席を催促してみたが結果は変わらず。

 それでも私は余裕を崩さなかった。

 

「それは素晴らしい心がけだ。あんな紙切れ1枚で信用されても困る。だから疑うのは結構だが、しかし今日でその考えも終わりだ。君とて元ラフコフの正規員だったろう。それなら私の気持ちに気づくはず。……考える時間は十分与えたつもりだ。ところで《転移結晶》は持っていないかね?」

「……予備は持ってないわ」

「じゃあこれで失礼するよ。また会おう」

「ま、待って! ……持ってるわ」

「いくつ持ち込んできた」

「2つ……よ……」

「女性は嘘をつく時あえて相手の目を見る場合が多い。……まったく、バレバレなんだよ。どうせ約束を破ってジェイド君にだけは伝えたのだろう? いやいやアリーシャのことだ、君のギルド全員に伝えた可能性もあるな。まあそこまでは想定内だ。だが、これ以上戯言を連ねるつもりなら君に話すことはない」

「……くっ……13個、持ってきてるわ……」

 

 これは驚きだ。推測するしかないが、ジェイド君がメンバーを適当にだまくらかしたか、あるいは周知させているのならギルド内の結晶全てをかき集めたのだろう。それと買える範囲なら結晶を買い足したかもしれない。その本気加減には脱帽するしかない。

 私が用意した《転移結晶》の数が9個であることから、《カウントレスジャンプ》での脱出法は彼女には効かないと見ていい。いずれ限界転移数の差から追い付かれるだけだ。

 もっとも、私はもう逃げ隠れするつもりはなかった。

 今日この時この場が決着の瞬間である。

 

「最低2つは使って場所を変える。クリスタルを用意しろ」

「……わかったわ。あんたが身の安全を確保するならそれでいい。ただし、転移先に《圏外村》を指定したら、その時点でこっちもあんたの話を聞かずに取っ捕まえるわよ」

「構わんさ。元よりこんなものはただの儀式であって、本気で対策してきた君らの前からすんなり逃げきれるとは思っていない。そもそも君が同行するならギルド内の人間に位置が知れ渡るだろう? なら私が場所を誤魔化せることにはならない」

「……ふん、時間が惜しいわ。さっさと行きましょう」

 

 アリーシャもようやく決心がついたようで、私の指示に黙々と従った。

 私と彼女が転移で行き着いた場所は22層のしがない村。低層ゆえに面積だけはやたらと広いが、モンスターもいなければ人口すらほんの20人強に留まる過疎地帯だ。ここならよもや通行人にたまたま聞かれるといった事態も発生しないだろう。

 私はそれでも用心深く辺りを見回してから会話を始めた。

 

「さてここからが本題だ。私がこの日を選んだのは昨日の夜がラフコフの定例報告会だったからで、その際に面白いことをしてきた」

「それは……なに……?」

「これか、見ての通り《メモリー・クリスタル》だ。これが本日のプレゼント。……前回のメモ用紙にはたかだか『ラフコフの潜伏アジトの位置』を載せただけだったからね。昨日は隙を見てこっそり本場を撮影してきたのだ。バレてはいないと思うが、私がいくら気を付けてもリーダーにはそのうち不審な行動に勘づかれるかもしれないな。私はここ数日で動きすぎた」

「……うそ……この写真って、昨日紙に書いてあった場所と同じじゃないッ? 写ってるメンバーの顔触れにも見覚えがあるわ。……あなた……グリムロックさんは、本当にこの情報をアタシに渡すためだけに今までッ!?」

 

 パーシャル的な側面から憶測することしかできなかったアリーシャは、ここにきてその全貌(ぜんぼう)を知ることとなった。

 やっと、ここまで来た。決断してからもう何年もたったような気がする。

 私がすべての物的価値を投じて掴んだ情報。これで得られる……いや、勝ち取らなければならないものは1つ。計画の第3段階、彼女の心からの助力。他の全てを捨ててでも私に協力する意思。

 キリト君やジェイド君が背中を後押ししてくれた『復讐計画』。

 《ラフィン・コフィン殲滅作戦》が、ようやく最終段階に入った。

 

「ごもっとも。そして、功を奏した……」

「なんで……こんなことしたのよ!! この情報のためにいったいいくつ命を奪ってきたの!? これで正当化されると思ってるわけっ!? こんな……あなただけの立場しか考えてない、身勝手な復讐より……他にもっと方法があったはずよ!」

 

 承知の上だ。その上で断言する。

 

「ああ、ただの復讐さ!! 目的のために人を殺した! 他のことなど知ったことではない!! ……いいかよく聞け。それらすべては、覆ることのない過去の行いだ。……もう遅い。私の覚悟が作戦をここまで進めた。あとは!! ……あとは、この結果を使い、いかな奇跡を呼び込めるかだ。違うか?」

「でも……だって! ……だ、だいたい、クリスタルで撮影なんてすればPoHは絶対にすぐ気づくわ! もしかしたら、その『報告会議』っていうのを部下に監視させてるかもしれないし……それに同意の上なら、ギルドマスターは《約定のスクロール》を使ってメンバーの位置情報まで割り出せるのよ!? あなたの動向をチェックしてる人がいないとも限らない! あなたは本当に、今すぐにでも……ッ!!」

「承知しているとも。2ヶ月かけて工作したつもりだったがな。……PoHは自他共に認める天才だ。おそらく私の媚売り作戦なんて、息をするように見抜いてくるだろう。遅くとも明後日、早ければ明日にでも証拠を掴まれるかもしれない。そうなれば私の居場所などなくなるさ」

「そんな……ッ」

 

 アリーシャは優しい。優しすぎる。

 もっと罵ってくれればよかったのに。蔑んでくれれば、怒ってくれれば、無関心でいればよかったのに。なのに、ここに来て私を慈しむように、こんな悲しみに満ちた顔を向けるのだ。

 私がこの計画を決意してから、いったい何人のプレイヤーが人生を滅茶苦茶にされたと思っているのか。いったい何人のプレイヤーがこの世を去ったと思っているのか。

 その数、30人はくだらない。

 3人は私に全財産を奪われ、4人は人に知られたくもないプライベートを暴露され、7人は弱味を盾に悪行を強いられ、12人がアイテムの不正トレードに騙され、2人は私自身に手を下されて死に、6人がラフコフへの生け贄として差し出された。そして、その犠牲者と結びつきのある者を含めれば数えることさえできない。複数回被害に遭ったプレイヤーを含め、その全員の顔と名前を覚えている。たくさんの人が私の個人的な復讐に踊らされたのだ。

 決して、断じて、許されることではない。

 『死には死を』という、違法的で狂的なアジテージョンに突き動かされた業。私はそれを背負って惨めに生きるか、業に焼かれて(いさぎ)く死ぬ他ない。

 私は……、

 

「私は、こんなところで……死ぬ気はない。死地を探しているのではない。だから、ここを死に場所にさせないでくれ。最後の頼みを聞いてほしいんだ!」

 

 優しい嘘を。

 あるいは、最期の頼みを。

 

「……その前に1つ聞きたい。君は……アリーシャはまだジェイド君のことが好きかね?」

「っ……そ、それは……」

 

 誰が誰を好いているかぐらい、大人には予想がつく。

 ジェイド君がヒスイさんを、キリト君がアスナさんを愛していることも。逆も然り、見ればわかる。

 洞察力というほどでもない。私とて既婚者で、その手の経験は積んできたキャリアもある。ただ、1番近くにいた妻の気持ち1つ察してやれなかった、とびきりの愚か者だったというだけだ。

 だからもう、間違えない。

 アリーシャは辛い想いをしていると思う。そしてさらに過酷な頼みを彼女にしなければならないだろう。

 同じ代償を払う覚悟がある。私は今でもユウコを愛しているのに、それでもこの復讐計画を完遂させなければならない。心を捨てなければ。

 

「アタシは……まだ、彼が好き……」

「……だと思ったよ。しかし今回ばかりはその気持ちを忘れることだ。それを踏まえた上で私と――」

 

 心の雑音を振りきって、私はアリーシャに頼んだ。

 切り札を切っては新たな切り札を。

 これが、私の計画。その最終形。

 

「……それがあなたの頼みなのね。これが……どう逆転に繋がるのかはわからないけど、打開策になるなら。……グリムロックさん、あなたの全てを信じます」

「ああ、ありがとう……本当に……ありがとう」

「……グリムロックさん……」

「私は……これで失礼するよ。もうこの事は誰に話してくれてもいい」

 

 そんな素っ気ない言葉で私はその場を去った。

 復讐計画の第3段階が終了。いよいよ最終段階へ突入だ。

 その後、運命の時間まで、私は9時間かけて最後の仕掛けに走り回るのだった。

 

 

 

 その日の深夜だった。

 組織から緊急集合がかけられた。どうやら《攻略組》側から裏切り者が出て、誰かが『密告者』としてラフコフのアジトを教えたことを、さらに『密告者』としてPoHに伝えてしまったらしい。《圏内》で活動している者だろう。

 まったく厄介なことだ。もし私がアリーシャに密告したことが本当に運よく誰にもバレず、そして《攻略組》が組織した《ラフコフ討伐隊》がそのままストレートにアジトへ奇襲を仕掛けていれば、何の損害も損失もなく綺麗に悪を掃除できたというのに。

 だが。

 

「(内通者か、あるいは……まあ、甘くはなかったが……)」

 

 おおかた予想通りだ。最上級の作戦は文字通り希望に満ちた未来だったが、私にとっては『プランB』である。まだまだ本命の『プランA』があるので、そちらに集中すればいい。

 私は冷静に対処していた。

 

「リーダー、何やらメンバーが集められているようですが、これはどういった召集で?」

「どこほっつき歩いていやがったユリウス。……フン、まあいい。てめェらを呼んだのは他でもない。どっかのおバカさんが裏切ってアジトを晒しやがった。おかげで向こうじゃ討伐隊なんてものが結成されていたらしい。昨日まで使っていたアジトは当然放棄、今日からは59層の迷宮区10階へ移動だ。すでに大半を転移させてある。《攻略組》の討伐隊はもう攻め込んでくることはないだろうが、一応警戒はしておけ。残った俺達もすぐに59層へ移動だ」

「……そうですか、わかりました。では私は先に」

「待ちなユリウス」

 

 呼び止められた一瞬、冗談なしに心臓が止まるかと思った。

 私を低いトーンで呼び止めたPoHはフードで両目を伏せたままゆっくりと近づいてくる。

 足取りには視察を、首の傾きから欺瞞(ぎまん)を、息づかいからは敵意を。はっきりと感じた。間違いなく気圧された。

 

「ユリウス……てめェは一旦45層の圏外村へ飛べ。俺が後で追う」

「……なにか……特別な話でも……?」

「ああ、そうだな。……特別な話がある」

「…………」

 

 ――早くても明日、か。

 まったくもってのんびりした心構えだった。同時に今の今まで9時間もかけた対策をしていなければ、全てが水の泡になったわけか。

 第1段階は『ラフコフに加盟する』こと。

 第2段階は『ラフコフでの階位を上位ランクまで引き上げる』こと。

 第3段階は『アリーシャを仲間に引き入れる』こと。

 そして最終段階、『PoHを出し抜く』作戦はこの瞬間からスタートである。

 

「……了解しました。ではそこでお待ちしております」

「おっと、それもWait。先にお前のストレージを見せな」

「ッ……!?」

 

 ――そんなっ、ストレージを、ここで?

 ――まさか。まさかっ……そんなことが。

 ――こいつには全てお見通しなのか。私の(たくら)みは無意味だとでも?

 ダメだ、もう終わった。計画の最終段階は始まる前に終わりだ。

 中身を覗かれたらその瞬間に私の首が跳ねられるだろう。復讐なんてもってのほかだ。せっかく個人的な呼び出しにも対応できていたというのに、その全てが台無しになる。

 

「……どうした、見せられないのか」

「(くっ、ここで断ろうものなら……)……いえ、単純に不思議だったんです。目利きにかなう所持品は持ち合わせていないもので。……では可視化させるのでお待ちを」

 

 こうなったら賭けだ。最後の細工を試みるしかない。

 私は手が震えないように何とか尽力しながら、メインメニューのトップにあるストレージ・タブをタップし、現在有効化されているストレージの種類のみがわかるページで指を止めていた。ここまでなら《所持アイテム一覧》の一歩手前だ。

 するとPoHは……、

 

「……共通タブはここのだけか」

「はい。登録してあるフレンドも正規員のものと、あとは次の獲物だけです」

「……オゥケー、確認した。先に行ってろ」

 

 賭けに、勝った。

 内心で息を吐く。顔面がひきつかなかったのは我ながら驚異的な集中力である。

 バクバクと鳴る心臓を叱りつけ、私はなんとか震えを抑えきった。

 比喩ではなく本当に運任せだった。

 1つの可能性は彼がストレージの中身、つまり格納ボックスにどんなアイテムが存在するかの確認。

 2つ目は、私がギルドメンバー以外と《共通アイテムストレージ》を作っていたり、許可のない人間と《フレンド登録》をしていないかの確認。

 PoHは「ストレージの中身を見せろ」ではなく、「ストレージを見せろ」と言った。だからこそ私は後者だろうと賭け、事実彼はそれを確認するだけに留まった。アイテム一覧は覗かれていない。作戦は続行だ。

 

「はい……では……」

「ああ、楽しみにしてるぜ」

 

 私はクリスタルを取り出して逃げるように転移した。体全体を青白い光が包み込み、次に視界が開けるとそこは先ほどまでとは別の村だった。

 問題はない。ここも9時間かけて仕掛けをしておいたポイントの1つだ。すでに万全の体勢を整えてある。

 後戻りはできまい。元よりターニングポイントなどとうの昔に過ぎている。覚悟を据え、やれるだけのことをすればいい。

 

「(……いるな。用心深くも監視役が……1人か、それとも2人か……)」

 

 気配は感じるが場所も正確な人数もわからない。

 それからゆうに3分は経過した。浮き足だったラフコフの部下達も、そろそろ落ち着きを取り戻して安全圏へ移動している頃だろうが、やはり先ほどまでのPоHも大勢の部下の前で面倒ごとを増やしたくはなかったのだろう。

 そこへ、新たな転移反応が起きた。

 

「よォ、待たせたなユリウス」

「……いえ、それよりも……」

「All right、隔離した理由だろう? ラフコフ内の影響力を上げ、行動の幅を広げられるようになって3日。……よもやその瞬間から、こうも活発にやりたい放題してくれるとは思わなかったぜ。理由を聞こうか」

「……言っている意味が、わかりかねますが……」

「NonNon言い逃れはなしだ。メンバーの前じゃあ統率に影響をきたす。だから貴様をここへ呼んだ」

 

 仲間の目が届かなくなった途端、今度こそ彼にも容赦はなかった。

 もう、偽らなくてもいいのだ。

 

「……それなら、今さらですよね。とぼけるのはやめよう。リーダー……いや、凶悪犯罪者PoH。種明かしをしようじゃないか。しかし目的は単純で、アジトの位置をこうして移動させることにある」

「Amazing。どんどん聞かせてくれよ」

「……ラフコフに加盟してから、確かに私はお前たちにあらゆるものを捧げてきた。……だが、それはあくまでガス抜き用で、致命的なものではない。お前たちが言う『メインディッシュ』とやらのコントロールをしたのも……」

「テメェというわけだ。機会が合わなかったのも道理だな……同時に階位を上げた一因になった。それで、カミングアウトは終わりか?」

「いいや、まだだ」

 

 覚悟を決めて4ヶ月……否、ユウコを手にかけてしまってから9ヶ月にもおよぶ覚悟が、たったこれだけのはずがない。

 私はあえて演技をしながら会話をし、可能な限り時間を稼いだ。

 

「言ったろう、今の攻略組、ないし《ラフコフ討伐隊》には猛烈な殺意が渦巻いている。和平を目指す交渉人を慈悲もなく抹殺したことは、私が広まるよう仕向けておいたからな。……そして彼らが攻め込んでくる直前になって、アジトの位置が59層の迷宮区に一気に移動している。全員分……となると、34人分だったか。転移結晶代はバカにならない損失だったろうし、おまけに数も限られる。もう1度全員が転移する余裕はないはずだ」

「同時にする必要もないな」

「それもネガティブだ。2度あることは3度ある。そして全員の移動が可能な残る手法はコリドーによる脱出ぐらいだが、極めて高い離脱率を誇るこれも所詮は消耗品。使い果たしたてしまうと、今度はあんた自身の『命綱』がなくなってしまう」

「…………」

 

 たった今、攻略組で編成されている《ラフコフ討伐隊》から逃れるために、こいつらは59層のアジトを放棄し、部下34人分の転移クリスタルを消費した。しかも次に全員で移動するには、PoH自身の究極の脱出手段であるコリドーを使うしかない。私はそう忠告しているのだ。

 PoHは無言で続きを催促した。

 

「ふむ……コリドーによる脱出とは芸のない手法だ。まったく、いくら確実性に秀でるとはいえ進歩のない。呆れるよ。……それで? 今度はどこに逃げる? 人気がない25層は君らもよく寄生している根城だ。それとも30層の岩石地帯かな? 去年の初夏にケイタなる男を殺したのがギルドの出発点だと聞く。さぞかし思い出深い場所だろう。……いや、40層という線もあるな。2ヵ月におよんだ下積みに、派手な《レッドギルド宣言》事件。ああ、これは濃厚だ。君は意外にも記念日を大事にしたがるから」

Stooop(ストォォォップ)、そこまでにしておけ。人は死の間際に知覚速度が上がるらしいが、それは真理だな。今日のお前はよく喋る」

 

 PoHはどこか楽しそうだった。

 ニタついた笑顔が網膜に張り付く。

 

「だが惜しいな、掛け値なしで惜しい。あと数時間凌げばお前の運命も変わっていたのかもな。裏でからかうのは自由だが、それでもお前は何もできない。予期せぬ革命? 都合のいい援護? よせよ、ナンセンスだ。今からお前を殺してそれまで。実につまらない。なんならコリドーの脱出先を教えてやろうか? 19層にある『誰かさんの墓』の前なんだなァ、これが」

「なっ!? それは……ッ!!」

 

 この、屑野郎は……。

 

「Oh、もっと喜べユリウス……いや、グリムロック。お前の妻の墓は次に俺が命綱(コリドー)を使うまで無事だぜェ? しかし次に使った時は大変だ。無惨に荒らされ、価値のない指輪(・・)も砕かれ、弔うものは跡形もなくなってしまう。まァもっとも、お前はそれを確認することも、誰かに知らせることもできないだろうがなァ」

「クッ……ソったれ。吐き気がする。途方のないクズ野郎だよ、君は。けれど……その驕りが破滅を招くのだ。とくと思い知れ犯罪者ッ!!」

 

 私は睨み付けていた状態から数歩脇へ移動し、木陰を乱暴に漁るとそこから黄色に光る結晶アイテムを取り出した。

 PoHがここに来る前に、どの角度からも光が漏れないよう事前に隠しておいた結晶だ。9時間かけて決戦の場に選ばれそうな《圏外村》全てに仕掛けておいたのはこれである。

 と同時に、私の最大の切り札でもある。

 

「見ろ! これがわかるか!? 《録音 結晶(レコーディング・クリスタル)》。ずっと物陰に配置しておいたのさ。私が近くにいればアイテムのオン、オフは可能だし、今の会話は全て記録されている。そして君は決定的なことを2つ話した! 1つは私がラフコフを裏切っている証拠! そしてもう1つは今のアジトの場所!!」

 

 そして本命(・・)は、奴がコリドーで逃げる先を。

 

「……ふ、フフフ。この《録音結晶》がある限り、私の謀反(むほん)には説得力が生まれる。現存するアジトの位置が攻略組に知れてみろ。すでに結晶を使い果たしたお前たちに、《ラフコフ討伐隊》から逃げきる時間はない! とんぼ返りでコリドーを使うか!? 今度はお前の『命綱』がなくなるだろう! そして数人をオトリに逃げてみろ、ギルドマスターに向けられる懐疑心が! 信用ならないトップへの疑いが、組織の自壊を促進させることになる! 遂にはラフコフの終わりだ!! もういい加減に……ッ」

「く……クック……クックックック……クハァっはっはァ!!」

 

 舞台は佳境(かきょう)へ入った。

 峠を越えた爆発的な感情の渦がひしめく。

 

「……な、何がおかしい……」

「いやァ小せぇ器を見ていると、あんまりにも(あわ)れでな。それよォ、その結晶アイテムつーのはどうやって攻略組の手に渡るんだ? まァ、どうせここから逃げるのだろう。逃げて、逃げて、無様に尻尾を振るだけ振って、命からがら逃げて……そして適当に目についた攻略組に手渡せば完了。けどな、現実はそれほど易しくねェんだよ。理解しているか、誰かに渡すまでが遠足(・・)ってなァ!!」

「ッ……ああ! 知っているともっ!!」

 

 私は叫ぶのと同時に真横へ飛びずさると、元いた場所をPoHのナイフが横切った。

 速い心拍を気にしながらも、建築物を盾に《録音結晶》をストレージにしまう。

 続いて腰のポーチから両手に1つずつ結晶アイテムを握りしめると、適当な圏内を指定して逃げ専用のシステム外スキル、《カウントレスジャンプ》を始めた。

 発動が遅い。喉が干上がっているのに、転移が死ぬほど遅く感じる。今この瞬間だけわざと転移がゆっくり進行しているかのようだ。

 そして転移が終わる直前……、

 

「ぐあッ!?」

 

 ズンッ、と首筋に1本のナイフ。

 先回りしていた協力者のものだろう。使われているナイフの種類から、おそらく投擲者(とうてきしゃ)はジョニー・ブラック。

 恐ろしい命中精度だ。私は彼の投げるナイフが首か心臓以外の場所に命中した瞬間を見たことがない。

 無論、ただでさえ被ダメージで中断される転移現象は弱点部位への直撃で達成され、おまけに私の体は痺れに侵されていた。

 

「ワーンッ、ダウーン!!」

「く……リカバリー!!」

 

 だが対策はしている。

 私はもう一方の手で握りしめていた《解毒結晶》にボイスコマンドを送り込んでいた。クリスタルがパリンッ、と割れると瞬時に体の痺れが希釈(きしゃく)され、私は自由になった上で《カウントレスジャンプ》による脱出を放棄。

 追っ手を行動不能にしてから確実に逃げきるプランへシフトしていた。

 

「オォウ! かっけェなメガネ親父!!」

「Wow、やるじゃねェかグリムロック。今ので打つ手なしかと思ったぜ」

「いつまでも! そうやって余裕をかましていろ! 私は勝つ!!」

 

 

 今度こそ私も全力疾走である。

 下見で訪れた時はもっと景観を楽しむ余裕すらあったが、ぶっつけ本番となってしまった私の視野は、冷静であろうとする心理とは裏腹に急速に狭まっていた。準備はしてあるが、それを利用できる立場にたたなければ意味がないからだ。

 PoHが加速して追い付かれそうになった直前、私はギリギリ直線道の角を飛び込むように曲がっていた。

 後を追う対象者へ罠が炸裂する。

 発動したのは宙吊りのトラップだ。9時間もあって、具体的な対策がレコーディング・クリスタルを木陰(こかげ)に置くだけに留まるはずがない。

 

「よしッ、これで!!」

「甘ェよ」

 

 PoHはまったく慌てることなく、足首に巻き付いたロープ付近へ大型ダガーを振り降ろしていた。

 友切包丁(メイトチョッパー)。超低確率ドロップのメインアーム。

 その切断力は私の想像を遥かに凌駕(りょうが)していた。ブチッ、という音と、信じられないスピードで全損するロープの耐久値(デュラビリティ)

 

「く、ぅ!? ……そ、そんなっ!?」

「さァてこれで終わりか!」

「く……まだまだぁっ!!」

 

 私は泥まみれになりながらも腰からダガーを引き抜き、ひたすら逃げながら次の建物カーブで『仕掛け糸』を自分で切った。

 何かのトラップが作動する機械音が聞こえる。

 進行方向から見て右側から大きな丸太が迫ってきていた。自身には命中しない。タイミングを合わせておいたからだ。命中するのは私を追って同じ場所を通過するだろう2人目のプレイヤー。

 ――これでも……ッ!!

 

「くらえぇええええっ!!」

「ッ……ぐゥ!?」

 

 空中に吊られた丸太がゴウッ!! と真横からPoHへ直撃。

 あとは反対側へ吹き飛ばされれば『足枷のトラップ』にハマって捕獲完了だ。鉄製のチェーンはロープと違って切断まで時間がかかるし、切断せず私を追おうとしても足枷系の罠は敏捷値を大幅に削り殺す。向来(きょうらい)使い古された戦法ではあったが、それこそが有効的である証なのだ。

 これで安全圏まで逃げられれば終わりだ。

 終わり、のはずだった。

 

「なッ……あァああっ!?」

 

 バキバキバキッ!! という、何かが裂けるような音が響いたのだ。

 丸太だ。丸太が縦一直線に割られている。

 《メイトチョッパー》が放つ単発ソードスキルは、鉄製のチェーンではなく木製の丸太を切断していだ。

 私の渾身の反抗が急減速し、大型ダガーが半分ほど食い込んだ時点で運動は停止した。直後に力を込めると、丸太は無数の木片となって粉砕。

 まさか人の胴ほどある丸太すら切断する切れ味とは。これが《魔剣》による荒業、これがトッププレイヤーによる力業。

 

「で、これで終わりかな?」

「……ッ……!!」

 

 私は相手の声を聞き届ける間もなく、ほとんど鬱血(うっけつ)しそうなほどの力で付近に垂れさがる網糸を手元に引き付けた。

 ゴバァアッ!! と、凄まじい轟音が響く。本来は食用モンスターの捕獲時に使われる《狩猟用ネット》が連動して落下し、屋根の上からは無数の小型アイテム、一時ストレージを圧迫するほど溜め込んだ《デプス・アロー》、《毒煙玉》、《まきびし》などが降り注ぐ音だった。

 しかも(やじり)の形をした《デプス・アロー》に至っては、ヒット後しばらく引き抜くことのできない呪いがかかったレア投擲武器である。

 しかし、その対処は閃光のごときスピードだった。

 ほとんど反射的に前方へ低く飛び込んだPoHは、信じられないほど不安定な姿勢のまま《威嚇用破裂弾》とサブアームであるナイフを同時に投げ込み、恐るべき命中精度で空中の飛来物にぶつけた。

 戦局を決めた短い破裂音。

 結果、まだ大きな塊だった大半のアイテムは僅かに吹きすさんだ爆風で広範囲に散らばってしまい、辛うじてまばらに襲い掛かる凶器は、すでに標的を見失った地面へ無作為に突き刺さるだけだった。

 真っ黒なマントをはためかせ、ほとんど隣に男が着地。その口元は不敵に笑っていた。

 そうして屹立(きつりつ)する彼からは、余裕すら感じ取れた。

 

「……おいおいどうするよ。まだ無傷だぜ」

「かっ……な、ん……」

 

 思わず足から力が抜けた。最善を尽くした抵抗は、惜しくも何ともなくあっさりと終末を迎えた。それなりに出し惜しむことなく金と武器を投入したつもりだったが、まさか武器とも言えない安価なアイテムと瞬発力だけで完封されてしまうとは。単純に発想と技術が桁違いだ。

 壁に背を預け座り込んだまま、その死神を仰ぎ見た。そこにあったのは、人知を超えた力との対立に等しい虚しい脱力感だった。

 終わりだ。もう打つ手は、ない。

 

「やはりこの程度か。なにか言い残してェことはあるか、んん? 墓荒しの前に亡き妻へ伝えといてやるよ。旦那の悲劇もついでにな」

「ぐ……こんな、ことが……」

 

 自然と歯を食いしばる。こういう、人生の終わり方だったのだろう。

 元から。

 業無き人生などあり得ない。受けるべき罰だ。これで神に救いを乞うなどお門違いだ。

 

「だが……終わりではない! これで終わりではないぞPoH!! わ……私が、死んでもッ……ここで命を費やしたことは無駄ではない! 私の協力者が……いずれ、必ずや悪魔共のアジトを攻略組に伝えるだろう!! 悪が勝つことはないィッ!!」

「……そうか……後味が悪いと萎えるんだな。これからは幕引きのタイミングを見極めるとしよう。遠吠えご苦労、負け犬野郎!」

 

 ザンッ!! と。

 重く冷たい何かが首に命中した。

 追い詰められていた私に逃げ道はない。

 ――ああ、そうか。

 と、諦めに近い納得をしていた。

 視界がおかしい。空がぐるぐると回っている。地面が上に、周りのものが反転し、床を転がると、とうとう私の体全体が一瞬だけ目に映った。

 首を跳ねられたのだろう。

 首、あるいは胴の部位欠損(レギオンディレクト)は死を意味する。

 

「(ああ……ようやく終わった……)」

 

 悪夢が過ぎ去った。

 黒一色に染まる世界で、その中心に浮かぶのは『You are Dead』という赤い英文。これがゲームオーバーになった者の末路だ。

 最期はどうだったのだろうか。私としてはうまくやれたつもりだ。少なくとも、もしPoHやその側近らが勝利を確信していたら、私の勝ち(・・・・)なのは明らかである。

 その結果は天のみぞ知る。

 そして……、

 

「(……っ!!)」

 

 途切れ行く意識の中で、一瞬だけユウコが見えたような気がしたのだ。

 それはフラッシュバックのように(はかな)い刹那だったのかもしれない。走馬灯のような幻想だったのかもしれない。

 誰のものかも判別できない光の人影。

 だが、確かに見えた気がしたのだ。

 

「ユウコ……なのか……?」

『(……あなたを……)』

「ッ……!?」

 

 声が聞こえた。直接、彼女の暖かさを感じた。

 

『(赦します……)』

「……ああ……ありがとう。ありがとう……」

 

 間違いない、この優しい声はユウコだ。彼女が今ここにいる。

 私はこの数ヵ月間作ることのなかった笑顔を浮かべていた。

 伝えたいことがたくさんある。ギルドを引っ張り、こんな夫を支えてくれた感謝と……そして、期待を裏切り苦労と重責を押し付けた謝罪が、いっぱい。本当にいっぱい。こんな時間では伝えきれない。

 でも、いい。

 すれ違った分はこれから取り戻していけばいいのだ。

 

 ――今、そっちにいくよ……。

 

 私は自然と、穏やかな光の筋に導かれていった。

 

 

 

 


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