SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第91話 最後の意地

 西暦2024年8月6日、浮遊城第53層。(最前線68層)

 

 現在時刻は2時55分。いよいよだ。

 

「(結局、俺の読みは正しかったわけか……)」

 

 悪の権化を()つ、という意味では推測の的中は願ったり叶ったりだが、同時にどこか間違っていて欲しいと一縷(いちる)懸けていたのかもしれない。貴重な時間を割いた《ラフコフ討伐隊》からの信頼はガタ落ちするが、それでもグリムロックが死なずにすんだのだから。

 しかし悲しいことに、なんの捻りもなくストレートに、俺の読みは正しかった。

 彼は自分の死による『PoHの出し抜き』に見事成功し、おめおめとアリーシャのストレージに証拠を渡してしまったのだ。

 8月6日の、時刻は午前2時16分。

 グリムロック死亡。

 これでもかと作戦を練り上げておいて、討伐隊をさらに1時間も待機させてしまうのは本意なかったが、各隊のリーダー格がアリーシャに送られてきた《録音結晶》を聞いた時、俺への評価はガラリと変貌(へんぼう)した。

 その扱いたるや、まるで英雄だ。四方から発せられる称賛の声は5分も続いていたが、俺はそれを複雑な気持ちで聞き届けた。

 それでも、マイナーな鍛冶屋であるグリムロックに対し、思うところのない討伐隊は一様にして高揚していた。

 ラフコフへ致命傷を与えられる最初で最後のチャンス。1度謀反(むほん)を起こしたアリーシャですら欠片も見出だせなかった希望。その孤独な抵抗を正確に解読した上で、これだけの行動を起こした勇気に、討伐隊の全員から敬意を示された。

 彼女の覚悟と、仲間に引き入れた俺へ。最愛の人と《離婚》してまでアリーシャと《結婚》し、ラフコフに植え付けられた恐怖に打ち勝ったことへ。

 作戦の(かなめ)は《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》にあると誰もが認め、同時に俺も腹を据える。今は事実だけでも享受しようと。

 

「因縁への終止符かな。ジェイド君、きみの健闘に期待する」

「よくやってくれたよ。DDAからも代表して感謝を送りたい」

「ら、らしくねェな。それに部隊の指揮……つーか、そのシンガリもあんたらに投げっぱだ。俺らもこっからはただのコマさ」

「適材適所というやつだ。さあ向かおう! 全員気を引き絞めろよ! 部隊の再確認を済ませろ!! これより我が隊は59層主街区へ移動し、一気に敵を殲滅(せんめつ)する!!」

『オォオオオオオオオオオっ!!』

 

 大部隊の移動が開始された。

 長い待機時間や、53層から逃げた59層への移動時間の間に戦意は遠退いたかと思ったが、とんでもない。むしろ勇む多くの足取りは、熟練の戦士以外の何者でもなかった。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 午前3時。決戦の時。

 前哨(ぜんしょう)を任されたフロントアタッカーが、59層の洞窟で奴らラフコフの反応を多数捉えた。

 道中の雑談は鳴りを潜め、早打つ心拍と手に汗握るプレッシャーが全隊員を襲う。ここからは加害者への境界だ。だがそれでも、ターニングポイントを超えた俺達は(むしば)む緊張感と罪悪感を振り切らなくてはならなかった。

 直後、決戦の号令が鳴り響く。

 

「一気に攻め込め!! 人殺しに慈悲はいらないッ!!」

『うォおおおおおっ!!』

 

 ビリビリと振動する空気に共鳴するように、心が激動していた。

 この時をいったいどれだけ待っただろうか。毎度のように先手を取られては、何の罪もないプレイヤーが犠牲になって苦渋を()めさせられてきた。奴らはいつもそうだ。そのくせ沈む前の船からネズミが逃げるように、あと一歩のところで確かな消息は常に掴めないでいた。

 しかしそれもここまでにする。悪は、絶つ。

 そう決意した直後……、

 

「イィ~ツ、ショウタァイムッ!!」

「戦闘開始ィっ!!」

『オオォオオオオオオオッ!!』

 

 後ろの方角から声が聞こえた。

 声というよりは、激しい雄叫びが。

 

「なにっ!?」

「バカな……後ろに回り込まれた!? いつッ!?」

「知るかよ! 指揮系統はもっと前だぞ!!」

「読まれてたんだ! 全員挟み撃ちに備えろォっ!!」

「(まさか……ッ!?)」

 

 一気に緊張感が充満した。

 奇襲側はラフコフのメンツで間違いない。ここに討伐隊が踏み込んでくる情報を、どこかで入手できたということか。

 十数個にも及ぶ《毒煙玉》が無尽蔵に投げ込まれ、部隊は戦々恐々としていた。

 全身から嫌な汗が流れる。敵を倒すことよりも、全てが終わったあとスパイ疑惑で責任が押し寄せてくるのでは、という場違いな恐怖がせり上がってきた。判断力が散乱して鈍る。

 それでも、脳が電撃を浴びたように思考が加速された。

 考えが嫌でも(まと)まる。体に染み付いたクセが勝手に戦闘体勢を整えると、《解毒結晶》を弾けさせてから覚悟を決めた。

 

「(今は考えるな……こいつらを、殺せッ!!)」

 

 目の前の人間が凶刃に(たお)れ、分厚い金属防具と共に粉々に割れた。80人規模の乱戦では誰が誰と戦っているのかもわからない。

 怖い、怖い、と全身の細胞が叫ぶ。原始的な恐怖に筋肉が萎縮(いしゅく)した。

 しかし怒号に惑乱する直前で、戦場の渦中にいる俺はある経験を思い出した。……いや、改めて思い知らされた。

 腹部の中心に突き刺さった大剣を抜き、ミンストレルという男を破壊した現象を。奪ったレイピアでアバターの心臓を貫き、タイゾウという男を絶命させた事実を。

 俺は、元より殺人者だ。何を今さら。(てい)よく綺麗事で片付けようとしてもそうはいかない。言い訳するな。悲しくても、辛くても、苦しくても、目だけは逸らすな。俺はもう……、

 

「(殺せるだろォがッ!!)」

 

 呆然と、そして漠然としていた俺は、大剣に全ての意識を集約させた。

 そして混沌とした斬撃の中でカズの叫び声を拾う。彼はすぐ近くで助けを求めるように叫んでいた

 冷静に、精密に、一分の誤差もなく刃を操作する。

 振るった鉄塊は死にかけていたレッド連中の、しかも弱点部位へクリティカルヒット。

 ゴリッ!! と、首から上が吹き飛び、それでも直進をやめなかった。

 殺したプレイヤーは本当に敵だったのか、もしかしたら味方だったかもしれない。それに、敵だとしても嫌々殺しをさせられていたら? 弱味を握って感情を制御するのはPoHの得意技であり、その気になれば本来の人間性すら塗り替えることだってできるはず。

 そういったもろもろの心配を、くず箱へ投げるように全部捨てた。

 激しい金属音が直進した大剣がダガーを受け止める。

 

「て、めェは……!! うオォオ!? 懐かしいじゃねえかァ!!」

 

 俺の目の前にいた奴はジョニー・ブラックだった。

 ナイフ、ダガーを腕の延長のように扱い、殺人行為へ一切の躊躇(ためら)いがない人物。実際プレイヤーを殺せるその技術よりも、『殺しへの乖離した抵抗感』の方がよっぽど不気味で危険である。

 だがカズに手は出させない。俺の親友には指一本触れさせない。

 彼は元々こういう血生臭いところにいるべき人間ではなかったが、それでも勇敢な決断が参戦を後押しした。

 いいだろう、仲間の決意は尊重する。その上で失わない。

 そのためなら俺は、人殺しにでも成り下がってやる!

 

「ジェえイドぉオオッ!!」

「ルガは早く下がってろっ!!」

 

 ナイフを至近で投げる。そう予測した直後、思考をトレースでもされたかのように予測違わず攻撃してきた。

 それをシミュレート通りに左手の籠手で遮ると、今度は右手に持った大剣は横一門に振り抜く。

 大剣はしゃがんで(かわ)され、反撃に視界の外からダガーが迫ってきていた。

 それすら、俺の知覚領域は察知する。これがジョニーという男と戦ってきた経験則だと、視認しなくとも体が覚えている。

 ショルダーにストックされていたピックを投げつけると、奴がバックステップで引いてお互いに距離を作った。

 やはり一筋縄ではいかない。

 

「人殺しの剣はよォ!! やっぱ年季が違うなァッ!?」

 

 ジョニーが叫んでいた。深い心の傷を(えぐ)るように。

 それでも、彼の主張は事実とは異なる。俺も自分なりに罪の背負い方というものを学んだ。

 

「(だからッ……)……今日で最後にしてやるッ!!」

 

 大剣の腹を向けダガーを防御。そのまま胸ぐらを掴んでジョニーを壁へ叩きつけた。

 左手に鈍痛が走る。手首をダガーで刺されたらしい。

 追い討ちが失敗し、奴は俺の拘束から離脱。と同時に緑に輝くナイフを投げつけられた。

 

「(く……そッ!?)」

 

 毒だ、と考える前に反射的に(かわ)す。しかしその隙を利用され、今度は低下段攻撃が炸裂して目の前に光芒(こうぼう)が舞った。

 やってくれる。だがやられっぱなしにはさせない。

 その顔面に膝蹴りを見舞うと、また咄嗟(とっさ)に距離を作った。

 互角……なのだろうか。殺した者同士考えることは同様なのかもしれない。人を殺したから張り合えると。だから人に向けても剣が鈍らないのだと。

 俺とこいつは……、

 

「どォおおルイだろうがよオオッ!!」

 

 実に楽しそうに、そう断言された。

 しかし面と言われてはっきりした。

 

「一緒にスンじゃねェよゴミがァッ!!」

 

 胸を張って否定の文句で言い返せる。憎悪に満ちた……いや、狂気に任せてチープな衝動に逆らおうともしないナイフと、激しい鍔競り合いから剣を伝って改めて感じた。

 俺とこいつの『殺し』への意識の向け方は180度異なっている。どこも一緒ではないし、何も似ていないのだと。究極的な選択はいつだって複雑だ。

 よかった、こんな奴とはやっぱり違うと。ある意味、安心感を腹に落とすことができた。

 遠慮がなくなると、押されているのに勝機が見えた気がした。

 とそこで、大音量と共に俺の後ろから援護が入る。

 

「キリトか!? さっきのは!?」

 

 キリトはキリトで別のプレイヤーと戦っていたはずだ。

 とは言え、ここへ援護に来られた時点でこれもまた結果は見えている。

 

「殺したさ!! やらなきゃ死ぬ!!」

「今度は初代ビーター様っ!! 大盤振る舞いだぜ!!」

「こいつは俺がやるから! ジェイドは作戦通りPoHを逃がすなよ!!」

 

 キリトはジョニーとの戦闘を引き受けるという。確かに作戦上はそうするべきなのだろう。俺達は作戦を進める際に、会議でとあることを決めていた。

 それはすなわち、『誰がPoHを殺すか』だ。

 奴は笑顔で人を殺せるような男でもある。一瞬でも躊躇(ちゅうちょ)すればレベル差やステータス差など簡単に覆されるし、そもそも前線並みのレベルを保持する彼にはその差とやらがない。

 では殺すことを躊躇しない人間とは誰か。その可能性を持つ者とは。

 決まっている。殺しの経験があって、それでも《攻略組》をしている奴だけだ。さらに可能なら、個人的に恨みを持った人物が好ましい。

 だから俺は挙手をした。殺したことがある者は、という質問に。その時、手の挙がった数は全体の1割にも満たない4人だけだった。実力者のみを厳選して作ったレイド48人パーティで、4人。隠れて挙げなかった者もいたのかもしれない。

 それでも、これらのプレイヤーこそ勝敗の鍵を握ると期待された。

 

「わ、わかった! ここは頼んだぞ!!」

 

 俺はその期待に応えなくてはならない。

 希少な1人である俺は、罪人をしっかり殺してくれるだろう、というあまりにも人として悲しく、突き抜けるほど憐憫(れんびん)に満ちた期待に応えなくてはならないのだ。

 

「(くそ、くそっ!! ……)……2度とゴメンだぞッ!!」

 

 俺は放心状態のカズを近くで器用に援護していたジェミルに任せると、単身戦場を直進した。

 弾ける火花と怒声。タンカーの多いこちらの部隊は防戦一方になりがちになっているが、それでも反撃の一撃はレベルの差もあって重い。1人、また1人と、ラフコフに限らず魂を乗せた電子アバターが散っていった。

 カシャーンッ、カシャーンッ、と。次々と無機質な音が連続する。

 その(むな)しい断末魔をいちいち拾い上げていると泣きそうになる。人間同士でこんなことをして、心臓に穴でもあけられた気分だった。

 しかし、今はそれを怒りと闘志へ。この事態を引き起こした張本人PoHへ向けさせ、最優先に爆発させなくてはならない。

 純粋な殺意を。人を殺せる力を。

 

「PoHゥッ!!」

 

 俺は気づけば最前線で叫んでいた。

 うねった壁のようにいたプレイヤーの集団が(ひら)けている。

 目の前でまた男が割れ、その先にいた黒ポンチョのオレンジプレイヤーは飄々(ひょうひょう)としていた。

 

「呼んだか、同士サンよォ」

「うる……せェ……ッ」

 

 また光の残滓(ざんし)が舞っている。今目の前で殺されたのは確かDDAのメンバーだ。殺しを経験したことがあると言った、つまり『PoHへトドメを刺せるだろう』仲間の1人。

 出撃前にリンドと相談していたのを見た。彼はその重役に恐怖していたが、総隊長も一緒に最前線で付き合うと言われ、自分を無理矢理納得させていた。

 だが返り討ちにあったのだろう。リンド自身はギルドの部下が強制介入してなんとか後衛への退却に間に合ったようだが、死んでしまった男はもう助けようがない。

 PoHと……もう1人、隣に(たたず)む男によって殺された。

 

「てめェら……頼むから、武器捨てて……投降しろッ……!!」

「腰抜けは揃って無駄口を叩くな」

「ジェイドさん……できれば殺したくない。どうか立ち去ってほしい……」

 

 2人目はシーザーだ。

 シーザー・オルダート。レッドギルドのビーストテイマー。

 こいつらの実力はいやというほど知っているし、思い出すだけで頭痛がする。立ち並び、押し寄せてきた《ラフコフ討伐隊》を、わずか数人の部下と2人の指揮者が押し返したのだ。わざわざ確認するまでもなく、史上最悪の人間の敵である。

 

「シーザー……まだこんなことを。クソ野郎の言いなりに!!」

「……ぼくの選んだ生き方です」

「てめェは!! なんッも選んじゃいねェよっ!!」

 

 言うやいなや俺が斬り込むと、パーティ部隊もそれに追随する。それはSAL(ソル)のアギンとフリデリックだった。腐れ縁か、彼らにもよく助けてもらっている。

 そして人間同士の愚かな激突が起きた。

 その火蓋を切った男を、この世から消すために。

 

「俺の見込み違いだったかァっ!? ンな程度の男かよ!!」

「あなたに! ぼくの何がっ!」

「いつも人の裏かいてきたてめェが! ゴミ溜めに落ちたままでよォッ!!」

「……ッ……!?」

 

 爆音の中で、攻勢に出る俺にシーザーは次第に黙りこくっていった。いい加減に気づけ、いい加減騙されるな、いいように使われているだけなのに。

 先ほどDDAの男を殺したのはPoHだった。もしかしたら今日、シーザーは1人も殺していないのかもしれない。

 なんであれば確かめてもいい。

 

「今日テメェは何人殺したよ、えェっ!!」

「く……ッ!?」

「トドメはさしたか!? 『優秀』なだけで合ってない! ホントは気付いてんだろ、黙ってないで何とか言えよッ!!」

「耳を貸すなオルダートッ!!」

 

 大剣に圧倒されるシーザーはひどく(もろ)かった。あまりに予想通りで笑えてくる。シュールなギャグでもやっているのかと。もう何度目かもわからないほど剣を交えて気づいた。激突して飛散する、怨念にも近い感情の集合体がダイレクトに伝わってくる。

 やっぱりか、と。こいつはそういう男なのだ。

 非常に感化されやすく、そのくせ1度決めたことはそうそう曲げようとしない。愚直で、頭が切れ、付き合いがヘタで、面倒で、手のかかる超クソガキ。すでに俺なんて奥の奥まで見透かされているだろうが、同様に彼を間近で見続けてきた。

 

「もう、わかってンだよ!! おいシーザァッ!!」

「見苦しいな、ジェイドォ!!」

「ぐ……あァっ!?」

 

 攻撃が直撃した瞬間、俺は悲鳴に近い声をあげていた。

 パキキキッ、という高い音がした。なんと左足にPoHの《友切包丁(メイトチョッパー)》がヒットした瞬間、膝と足首の間接部分がバッドステータスの《氷結(フリーズ)》状態になっていたのだ。

 このデバフは《麻痺(パラライズ)》と違って解毒法がなく、事前対策もできない。ただしデバフ継続時間は麻痺より格段に短く、剣で氷を『割れ』ば即座に復帰できる。薬はいらないが割るのに多少なりとも時間を取られる。

 がしかし、問題は対応策ではない。

 あり得ないのだ。今までPoHの技にはなかったし、そもそも一撃フリーズは一部の上級モンスターにのみ使用を許された専売特許である。メイトチョッパーは間違いなく超低確率ドロップの《魔剣》だが、こうした附随(ふずい)効果は聞いたことがない。そのウリはあくまで凄まじいまでの切断力と貫通力にあったはず。

 しかし、現に俺はデバフに(おか)された。

 

「ジェイド気を付けろ! PoHは《氷結剣》という特殊なソードスキルを使う!!」

「公開リストにはありません! たぶん《ユニークスキル》です!!」

「く、そ……先に言えっての……!!」

 

 ユニークスキル。システムに規定されている呼ばれ方ではないものの、ヒースクリフが50層のボス攻略戦で言わずと知れた《神聖剣》を披露(ひろう)して以来、巷で(ささや)かれる憧れのステータス。

 それを、あの犯罪者が使いこなしている。

 俺はヒースクリフに《黒鉄宮》で言われたことを思い出していた。すなわち、俺とは違い本物の犯罪者はもっと冷たいと。そんな皮肉がここで具現と化している。

 

「とっておきのスパイスだ。味わえよ」

「……けっ……」

 

 ――だったら!!

 

「《暗黒剣》、解放(リリース)!!」

 

 直後、バリィイイイイッ、という崩壊音が零度の固形物を粉々にしていた。

 黒い(もや)を纏った《ガイアパージ》が氷を粉砕し、その光景にはさしものPoHすら驚愕に目を剥く。

 

「て、めェ……一瞬でフリーズを。そのスキルは……ッ」

「ジェイド……? おい、なんだよそれっ……!!」

「まさか、ジェイドさんもっ……!?」

 

 ユニークスキルには同じユニークスキルを。

 俺はPoHに漆黒に燃える大剣を向けて言い放った。

 

「味比べだな、クズ野郎ッ!!」

 

 戦闘再開。途端にPoHの部下の1人が巨大なランスを携えて突撃してきた。

 直前まで引き付け、腰溜めに刺突されるランス。それを……、

 

「ゼァアアアッ!!」

 

 歪む形相のまま左下から斜めに大剣を振り抜くと、ゴバァアアア!! という、一際(ひときわ)輝く派手なライトエフェクトと共に1撃でランスが半ばからへし折れた。修復不可能判定を受けたランスが空中で飛散する。

 

「な、あァっ!?」

「嘘だろっ!? 《武器破壊(アームブラスト)》か!?」

「いとも簡単に……っ」

 

 討伐隊ですら、その性能に驚きの声を発した。

 耐久値を全損させる、という能力を帯びた攻撃法は本来存在しない。狙ってできればかなりのアドバンテージだが、この現象が起こるのは『武器の構造上脆い部分へ、的確な方向から強烈な瞬間火力が加えられた場合』のみである。すでに常識化している。

 それをムチャクチャな剣の振り方で達成せしめた。

 高難度《システム外スキル》の強制施行。この時点で《魔剣》の性能を越えた《ユニークスキル》特有のおぞましい力が垣間見えたことだろう。

 

「黙っていてくれたオカゲだぜ。なァシーザー!」

「……それ、は……っ」

「ハッ、思春期には秘密の1つもあるってな。どォだおい、悔しいかPoH!!」

「……く……クックック。随分、楽しませンじゃねェかよ……!!」

 

 しかし今まで不足の事態に対応してきた犯罪者のトップだけはある。横目にシーザーを睨んだだけで、奴は即座に俺のスキルに対応し、驚嘆するほど部下を効率よく運用して対抗してきた。

 戦闘中にPoHの仲間が数人の部隊を押し返す。

 それでも、俺だけは逃げない。

 

「おいバカ! 死にかけてんぞ、一旦引けぇっ!!」

「ジェイドさん!! まずは回復を!!」

「うるせェ! こいつらぶん殴るまでやめられっかよッ!!」

 

 怖い。死ぬのが、怖い。

 ユニークスキルを持っていようが、そんなものは1つの攻撃手段にすぎない。この世界で死ななくなるわけではないのだ。

 だが……ここで引いたら……。

 ――ここまで来たら!!

 

「最後だろうが!! お前(・・)が決めろォッ!!」

「ッ……!?」

 

 無我夢中で突っ込んだ。シーザーに向けて、がむしゃらに叫んだ。

 3度目だ。

 人を救う、3度目の行為。心を救える最後のチャンス。

 度重なる攻撃を受けて俺は死にかけている。強大なプレッシャーに押し負け、大剣があらぬ方向へ吹き飛んでしまった。

 やはりこいつらは強い。実力など端から気合いでどうにかなるものでもなく、俺は2人からの猛攻撃に耐えきれないでいた。

 

「ジェイドぉっ!!」

「(ああクソっ……アギン、わかってる……けど、俺はッ!!)」

 

 人は生物の中で唯一、本能ではない区分で戦う。

 戦闘行為に理由を求める。剣を握るのにワケ(・・)を作りたがるのだ。

 肉親や仲間のため、恋人や自分のため、強さや栄誉のため、なんだっていい。だのにシーザーは俺を目標に定めて剣を握った。ということは、彼なりにそこに可能性を見いだしているということになる。

 苦労の先で何を得られるかは明白だ。好きな女の子に嫌がらせをして気を引こうとする小学生よりわかりやすい。

 本当に……本当に本当に、本物のバカばっかりだ。

 

「(助けてほしいならさァ……)」

 

 右からはシーザーと使い魔の《ダスクワイバーン》が。左からはこの惨状の元凶たるPoHが。

 それぞれ刀と大型ダガーをたぎらせて、迫り来る。この挟撃を止める術は俺にはない。

 スローになる意識が、その詳細をはっきりと感知した。

 ……それでも。

 

「(そう言えよッ!! ……)……シィザァアアっ!! 俺と来い(・・・・)ッ!!」

 

 瞬間。バギィイイッ!! と。あり得ないはずの金属音が響いていた。

 ある男の刀が、もう1人の大型ダガーを受け止めた音だった。

 

「あ……っ……!?」

「テメェ、オルダートォッ!!」

 

 ザクンッ、と中華包丁のような刃がシーザーを斬り裂く。それを見たダスクワイバーンは《フレイムブレス》の対象を、直前で俺からPoHへ。

 

「ああっ……ぼくはっ……ぼくはなんで……ッ」

「Shit!! どいつもこいつも役立たずがァッ!!」

 

 ダスクワイバーンによる魔法攻撃すら回避しPoHが使い魔を斬り伏せると、心頭した怒りを押さえつけるようにPoHはある物体を投げていた。

 連続して3つの破裂音が響く。

 

「く……ジェイドさん! これは撤退の……ぐァっ!?」

「シーザーッ!?」

 

 PoHがシーザーを蹴り飛ばすと、奴はさらにポーチの中から《閃光弾》を放り投げる。

 途端(とたん)に目をつぶったすぐ後に、《閃光弾》が炸裂する感触が伝わる。しかも俺が目を開けようとしたら、デバフ有効時間外に入る直前でさらなる《閃光弾》が光を放っていた。

 やられた。最悪のバッドステータス、《盲目(ブラインドネス)》だ。

 とりあえず結晶でHPを回復させつつも、多くのラフコフメンバーがすぐ隣を通りすぎる気配を感じた。討伐隊の何人かが何やら叫んでいるが、いろんな音が重なって内容まで聞き取れない。

 ほんの十数秒間の出来事。

 目を開けると、そこにはほんの何人かの敵が捕まっているだけで、残党はどこかへ行ってしまっていた。

 

「……コリドーで逃げたか……」

「ジェイド、さん……ぼくは……っ」

 

 シーザーは隣で震えていた。

 よもや組織の破滅までは想像していなかったのだろう。だが騙し騙し生きてきた無理ある生活には、いつか終焉(オワリ)が来る。

 過ちを犯した自分を、歪んだ目標を持ってしまった自分を、これからどうするのか。果たしてまともに人間として扱ってくれるのか。それとも、買いまくった恨みの精算をさせられるのか。

 そしてなぜ、自分は組織に反抗したのか。

 

「シーザー……その答えは、もうあんたが持ってる」

「ぼくが……持っている……?」

 

 うずくまっていると、直後にシーザーは何人もの討伐隊によって取り押さえられた。

 戦闘開始から13分と少し。午前3時14分、全面抗争一時終了。ボス攻略に比べあまりに短い時間で、人間同士の争いは終結した。

 そしてその場にいた討伐隊は、2桁以上も数を減らしているのだった。

 

 

 

 「点呼終わりました」という忙しそうな声と、「遅い、2分もたっている」という怒声でようやく意識が戻ってきた。

 アインクラッド最大のレッドギルド、なんて遠回しな言い方に意味はないのだろう。負の遺産、死の象徴、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》とのぶつかり合い。その前半戦(・・・)が終わっていた。

 

「捕らえた奴を前へ。……この5人だけか」

「はい、リンドさん。あとは、その……死んだか、それとも……逃げたか」

「ご苦労だった。……さて犯罪者諸君、聞きたいことがある」

 

 リンドは厳しい目を向けたまま、拘束された5人のオレンジプレイヤーへ質問を投げ掛ける。俺は彼らの隣でその姿を眺めていた。

 あご髭が濃いラフコフの1人が言う。

 

「転移先だろう。ハッ……言うかよ……」

「いいだろう、せいぜい牢獄で末永く暮らしていろ。次、隣の奴」

「言わねぇよ。言ったら減刑されるってのか……?」

「さぁな、知るか。次……聞かれたことにだけ答えろ」

 

 ラフコフの生き残りへラフコフが転移した先を問い正す行為は、儀式のように淡々と進められていった。

 誰も何も言おうとしない。奴らにとっても多くの仲間を失う痛恨事となったからか、今さら俺達に協力する気もないらしい。

 だが最後の人物。シーザーだけは違った。

 

「……19層……です」

「おいシーザーッ!!」

 

 ぐったりとうなだれたまま、それでも続ける。

 

「……19層の……南西地区エリア。《魔物の棲みか》の林道エリアです……」

「信じらんねェ! お前、お気に入りだっただろう!?」

「ラフコフ裏切んのかよっ!!」

 

 それは、この世で最も醜い内輪揉めだった。

 近くに立つカズは、死が間近に迫った恐怖と2桁にも(のぼ)る仲間の損失に、両目いっぱいに涙を溜めている。その脇で彼を支えるジェミルの表情もやはり冴えない。いつもにこやかにしていることが信じられないほどだ。

 アギンも、フリデリックも、キリトも、クラインも、およそ視界に入る人という人の怒りが()み出ていた。そこには感情を隠そうとする意識もない。

 しかしその嫌悪感も禁じ得まい。こちらとしては最後の情けをかけているというのに、目の前でお涙ちょうだい劇をされたところでシラけるなんてレベルではない。

 

「シーザー……といったか。確かに事実のようだ」

「じ、じつ……? 嘘ではありませんが、しかし……確かめようが、ないはずじゃあ……?」

「我々は元より転移先を知っている。君らを試しただけだ」

「ハァっ!? おまッ、俺達を騙したってのかッ!?」

「待て、知ってるってどういう意味だよ!?」

「黙れこの()れ者がッ。……さてジェイド、準備はいいな。戦えそうにない13人はここに置いて、捕らえたこいつらの移送をさせる。残った4パーティ分、つまり24人が追撃隊の全戦力だ。……やれると思うか?」

「…………」

 

 即答はできなかった。

 しかし……、

 

「やれるさ。終わりにしよう」

 

 俺はストレージを無造作に(あさ)った。

 アリーシャと《結婚》したことにより、俺のストレージ内はごちゃごちゃとしていた。ヒスイと共有しただけでは見られないアイテム名の物もちらほらとある。

 中でも際立つものがあった。アイテムレア度も最高ランクのクリスタル系アイテム。

 

「それ……まさかコリドーか……? マジかよ、ほんとに転移先を知って……ッ!?」

「ああ。たった今(・・・・)出口が決まった。てめェらの息の根を止めに行く。……あとシーザー。正直に答えてくれて嬉しかったよ。最後、よくPoHに逆らった。あんたのおかげでこの命が繋がった。だからまた……ゆっくり話そう」

 

 すぐに釈放とはいくまい、シーザーもやはり立派な犯罪者だ。

 だが俺はとても満足している。なぜなら、彼を改心させられたからだ。ミンストレルの時は道半ばにすらならなかったし、タイゾウも結局『ぶっ殺して解決しました』という、奴らと同じ手段をとってしまった。

 それがどうだろう、彼は俺に味方し、まんまと出し抜いてやった。シーザーはPoHではなく、この瞬間から俺についた。信じていた仲間に土壇場で寝返られる感覚を、あの途方のないクズもしっかりと味わったことだろう。

 そう考えるだけで、今までの(いきどお)りやら溜飲やらがほんの少し和らいだ。

 

「ッ……終わらせるぞ! コリドー、オープン!!」

 

 右手の結晶が弾ける。暗い通路に開くコリドーによる白いサークルに、24人の猛者が侵入した。

 俺が最初に見た光景はアリーシャの背中だった。

 続いて荒れた大地と枯れかけた草木が飛び込む。マズい空気と棲息モンスターの種別から、とても歓迎される気分にはなれないフィールドだったが、俺はグリムロックによってこの場が決戦場だと知らされた時から待ち遠しかった。

 そして、その向こうにはラフコフが9人。

 

「もう……逃げらんねェぞ、PoH……」

 

 追い求めていたプレイヤー。出会うだけでなく、『逃げずに戦わせる』だけの戦場。

 やりたいだけやって煙のように退却できた今までとは違う。

 

「……Shit、やってくれたぜ。けどどうだよオイ、人数減ってんなァジェイド」

 

 PoHはあくまで減らず口を叩いていた。

 だがその声にすら力がない。

 

「アリーシャ……あとは俺らに任せろ。よくやった」

「うん……ジェイド、信じてたわ……」

「てっ、めェジェイド!! お前がやったんだろ! 絶対に殺すッ!! 必ずドロ噛ませて惨めにブチ殺してやるッ!!」

「図体ばっかでけェ害虫共がッ……こっちのセリフだジョニー・ブラックっ!!」

 

 俺が激動を吐き出すと、ラフコフ討伐隊の面々が武器を構えた。俺も強く柄を握り視線を諸悪の根元に見据える。

 24対9。絡め手もとれない圧倒的な戦力差。

 

「まったく、一応リーダーは俺なんだけどな。……さて、行くぞ! 戦闘開始ッ!!」

『ウォオオオオオオッ!!』

 

 全面戦争の後半戦。開始の鐘代わりとして、リンドの掛け声に呼応し6人4パーティ分の戦力がフィールドを疾駆(しっく)した。

 俺もその先頭付近で剣を構える。狙いは当然PoHだ。他の連中は仲間に任せる。

 だが。

 

「くっ!? ジョニーッ!! 邪魔すんなよ!!」

「これ以上はやらせねェっ!!」

 

 またしても俺の前に立ちはだかったのは奴の鋭いナイフだった。

 先に減速して振り抜いてしまったせいで威力の弱まった大剣をダガーで防ぎつつ、相手はそれでも叫び続ける。

 

「ヘッドを逃がせ!! くっ……全員!! ヘッドを逃がすことだけ考えろォッ!!」

「こいっつ!?」

 

 それが、こいつの選択だった。

 希代の大犯罪者PoHと最も長い時を重ね、常に謀略と戦乱の渦に身を投じてきた男の決断。自らを導き研鑽(けんさん)してきた崇拝者こそ、その存命こそを最優先に。

 PoHが「自分を生かせ」と嘆願したのではなく、仲間が「(かしら)を生かせ」と鼓舞ことには絶大な意味が生まれた。

 それを聞いたラフコフ残党の動きは早い。逆ピラミッドのような部隊編成を作成し、PoHを討伐隊から最も遠ざけたのだ。他人の傀儡化、精神把握術、悪意の煽動、それこそ火元を絶たなければ煙は消えない。だからこそ、PoHを捕まえられるか否かは俺達にとっても重要事項だった。

 逃がすわけには、いかない!

 

「追える奴、PoHを追え!! 絶対に逃がすなァ!!」

 

 ラフコフ討伐隊……いや、もはや『掃討隊』にも近い俺達の部隊は、8人の男に全力で行く手を阻まれていた。

 もう勝ち目はないというのに。

 それとも勝ち目がないからこそ、だろうか。

 誰1人としとして目標を見失わず、ただひたすら対象の遅延行動に移っていた。その集中力と団結力だけは見事なもので、追い詰められているはずの敵に感服すらする。

 何人かはラフコフの防衛戦を抜けられていたが、彼らが先に逃げ去ったPoHに追い付き、さらに捕獲できるかは五分五分だろう。

 残った掃討隊の方も、残党を捕らえるのに最低1分はかかる。

 

「待てよゴラァ! 誰もいかせねェ! 俺がてめェらまとめてブッ殺してやる!!」

「ったく、呆れた執着だよ君らは!!」

「リンド! 左から押さえ込め!!」

 

 俺とリンドによる左右からの挟み撃ち。

 別の掃討隊2人を誘導に使っただけはあって、誘い込まれたジョニーはモロに俺達の攻撃を受けていた。さらに俺の《暗黒剣》スキルの攻撃で片足まで欠損し、素早い身のこなしが嘘のように地に伏せる。

 それを皮切りに残党狩りは終息に向かっていった。

 《赤目のザザ》もキリトとヒースクリフの連携攻撃の前にとうとう崩れ、殺さず引っ捕らえることに成功している。結果だけ見れば戦争の後半戦はラフコフ側に1人の死者を出すだけに留まった。

 捕獲者が7人追加。正確な全勢力は不明だったが、戦闘初期の敵側は34人いた。21人が死亡し、これで前半戦と合わせて12人のラフコフメンバーを捕まえたことになる。

 あとはPoHだけだ。

 「全員逃がさないように縛り上げろ! PoHを追った仲間の連絡を待つ!」というリンドの命令がかかると、それぞれの隊員が指示に従って黙々と作業にはいる。

 そこでジョニーが苦し紛れに話しかけてきた。

 

「ヘッ……ヘヘヘヘッ……ジェイドよぉ、俺を殺さねェのか。今やらないと後悔するぜ……必ず後悔する……」

「…………」

 

 答えは決まっている。

 

「ムカつくゲスを殺して解決……ってなァ、この世で1番チンプなせーぎだよ。あんたはこの先も生かし続ける。生きて……死ぬまで思いしれ……ッ!!」

「くっ、く……カッコいいねぇ。ったく……」

 

 それっきりだった。会話も、順調だった作戦も。

 PoHの追跡に入った討伐隊は30分もしてから本隊と合流した。

 迷宮区の中まで捜索し、一時は相当ギリギリまで追い込んだが、結局は見失ってしまったらしい。やはり19層の迷宮区を1度根城にしたことだけはあるようで、くまなく探すには捕らえた者だけでも《黒鉄宮》に送ってからにしかできそうにない。

 

「逃がした、のか……」

「やめようぜジェイド。まずは目上の戦果に満足しようや」

 

 納刀したクラインが、赤いバンダナの上から髪をガシガシと掻きつつ後ろから割って入った。

 

「クライン……でも……」

「お前ェが作り上げた作戦と部隊で、死に物狂いで掴み取った結果だ。いいか、よく見とけよ。これからジェイドつープレイヤーをバカにする奴は現れねぇ。この日起こした奇跡を、誰も忘れやしねぇってな」

「けどっ、俺……ッ……た、くさん……!!」

 

 死なせてしまった。仲間の数が初めとで全然合わない。つまりそれは、俺が立案した作戦で多くの攻略組がこの世を去ったということに他ならない。当初の『絶対安全』という太鼓判から逆算すると、この人数は殺したも同然だった。

 それに俺は、先の戦いの中で2人のプレイヤーのHPを文字通り消し飛ばしていた。

 体力バーの消滅、それは人を絶命足らしめる絶対のルール。1年9ヶ月も前から変わらない不動の摂理。

 このゲームに囚われて以来、俺はこれで4人ものプレイヤーを殺した殺人鬼となったのだ。

 

「今日だけで……何人っ! ……死んだよ!!」

「……ジェイド……おめぇ……」

「たぶん30人以上は死んだだろうさ」

「キ、リト……?」

 

 俺とクラインの間に、今度はキリトが黒いコートをなびかせて割り込んできた。

 しかし、その眼には(いつく)しみがあった。降りかかってきたものは、責め句ではなく(ねぎら)いの言葉だった。

 

「けど誰もジェイドを恨んじゃいないよ。……あんたを称えこそすれど、絶対に誰も恨みはしない。だってジェイドは英雄なんだぜ? 悪の根を滅ぼした勇敢な人間だ」

「キリト……」

「明日……て言うか、今日の朝か。もうすぐ夜が明けて……それで多くのプレイヤーが目覚めると、有志新聞のトップにこの戦いのことが載っているだろうさ。作戦会議の時、アルゴもまだ起きてたろ? そして記事を読んだ人は、きっとこんなことを言うんだと思う……」

 

 キリトはそこで1度言葉を区切ると、改めて澄んだ声を出す。

 

「ありがとうジェイドさん、ってな」

 

 そう言う彼は凄く嬉しそうだった。まるで自分のことのように笑っている。

 それを聞いていたクラインも、近くで見ていたアギンとフリデリックも、一緒に死線を潜った討伐隊のメンバーも、一様にして俺に目を向け各々意味ある表情をする。

 

「ありがとうジェイド。おつかれさん」

 

 キリトがそう締め(くく)ると、まばらだが歓声が聞こえた。

 「よくやったありがとう」、「あんたがいなきゃできなかったぜジェイド!」、「ラフコフを潰した勇者だ」、「名前は覚えた! 今度手合わせしようじゃん!」など。たくさんの言葉が心に流れ込んできた。

 死者も出て、泣く者も出たが。PoHを逃し、わだかまりも残ったが。

 それでも俺のしたことに意味はあった。

 

「ジェイドぉ、ボクはレジクレにいてぇ……ロムの意思を継いでくれたこのギルドにいてぇ……本当によかったよぉ……」

「僕も……君がリーダーでよかった。いつも助けてくれるヒーローがジェイドでよかった」

「ええ、まったくね。じゃあヒスイんとこ帰んなきゃ。アタシはできればこのままがいいけど」

 

 ジェミルが泣きそうに語り、カズが嬉しそうに呟き、アリーシャがいたずらっぽく笑う。

 並んだメンバーに、正直俺の心は踊った。

 

「ああ、帰ろうぜ。俺らの日常に……」

 

 この日、8月6日。夜明けと共にアインクラッド全域へラフコフ壊滅の知らせが周知された。人々はその戦果に歓喜し、訪れた安息に爛々(らんらん)と震え上がる。

 そして。

 

 

 悪を絶った英雄の名が。

 『ジェイド』という栄冠の象徴が、全世界に(とどろ)くのだった。

 

 

 

 


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