SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第十三章 クォーターポイント The 2nd Stage
リコレクションロード4 レッドの残照


 西暦2024年10月17日、浮遊城第74層。

 

 「ねぇ、キミ可愛いね。どこの子?」と誘われたのは4日も前のことだった。

 相手は20代の女性だろう。清んだ色の茶髪でお団子のように髪が左サイドで纏められている。手足も女性にしては長いようで、目線は僕よりわずかに高い。

 自信の表れなのか、整った表情とスラッとした等身からは気品が漂っていた。

 ――綺麗なひとだなぁ……。

 なんて思うのも、はっきり言ってドストライクだからである。

 僕は内気なこともあるせいからか、昔から惹かれる女性は強気でリードするような人に寄る傾向がある。ジェイドには絶対言わないけど、ヒスイさんもその1人だ。

 多少、目の回りのメイクが濃い気もしたが、僕は慌てて女性に対して返事をしていた。

 

「ぼ、ぼぼ僕はルガトリオです。所属はレジストクレスト……」

 

 なんてばか正直に答えて気づいたが、考えてみれば名乗られる前に名乗るのもまた間抜けな対応だ。いくら相手が好みな女性だったとしても、やはり名前や所属ギルドは立派な情報で、やたらと言いふらしていいものでもない。

 しかし女性にとっては初々しい――自分で言うのもなんだけど――反応がお気に召したのか、気分を良くしたようだ。

 

「へぇ~!? レジクレって言ったら、あの有名な《暗黒剣》がいるギルドだよね!? うわ、私みたいな成り損ないが偉そうにごめんね……」

「いえいえそんなことないですよ! ……その……あなたも、強そうですし……」

「え、ホント!? うわぁレジクレの人に言われるとチョッと嬉しいかも。……今は1人なの? ホームはこの辺?」

 

 女性は矢継ぎ早に聞いてくる。

 こう聞いていると、ジェイドもかなり有名になったものだと痛感する。

 初めは新しいユニークスキル使いの登場に沸いた世間だったが、そこは前例があったことや、かの悪名高いPoHも《氷結剣》というユニークスキルを使用したこともあって、混乱というほどまでの騒ぎにはならなかった。

 むしろ今までKoB団長のヒースクリフさんだけが独占していたそれに対し、新たな使い手が登場するという事実こそが、まだ見ぬ力に夢見てプレイヤーを奮い立たせたとも言える。

 そして何より、1人締めしていたジェイドが誰からも責められなかったのは、《ラフコフ殲滅戦線》において彼が類い稀なる功績を生み出したことが大きいかもしれない。

 そう、心どのこかで感謝しているのだ。殺人現場に遭う、あるいは実際にそのターゲットになってしまう危険性が限りなく低下した事実。これがもたらす精神的な平穏は、言葉にでにないほどの価値があった。

 たかだかスキル1つを内緒にしていただけで、彼を指弾できるはずもない。

 

「(それにしても……なぁ……)」

 

 ふと記憶から呼び戻される。

 50層の《アルゲード》でふらふらしていたら、女性に逆ナン(?)されるなんて夢にも思わなかったのだ。4日前のアレは、たまたまギルドから休暇をもらっていた僕には大変なサプライズである。

 しかし名前を聞いた僕は、彼女への対応を一変させることになる。

 「私はミランダ・リファニーよ。ミランダって呼んで!」という彼女には、「僕の方こそルガでいいですよ」とだけ返して、その日は攻略指南を受けたいという彼女と、次に会う日を決めるだけで別れた。

 それから何度も彼女から連絡が来て、その度に僕はお誘いに喜んで乗っていた。時には教えてもらってばかりだからと、豪華な食事まで奢ってもらったことがある。

 

「ミランダさん……か……」

「ようルガ、彼女さんとは順調(・・)に行ってんのか。4日たつけどどうよ?」

「もうジェイドったら、茶化すのはやめてよ~」

 

 僕はからかうジェイドに釘を刺しておく。

 すると横からひょっこりジェミルまで現れてきた。

 

「でもルガぁ……これ最初で最後のチャンスだよぉ? どうせならイロンナ経験しなくちゃぁ」

「も、もう! そんなことしてる場合じゃないんだからさ! あと最初で最後ってどういう意味さぁ!?」

 

 わかって言っている彼らにはふてくされるしかない。

 それと本日のヒスイさんとアリーシャさんは買い出しの日のようだ。新鮮な肉が安く手に入るからと言って、午前中から姿が見えない。

 まったく、のっぴきならない事態だと言うのに、彼らの呑気っぷりにはため息が出そうになる。彼女と一緒にデートまがいのようなことをしている僕の身にもなってほしいものだ。

 ――まあ、半分以上は喜んで引き受けたけど……。

 

「待ちに待ったフィールドデートの日だろ? おっと、服は気合い入れて行けよ。そのスニーカーみたいな靴も論外だ。ああ、あとヒスイやアリーシャもすぐ帰ってくるってさ。アドバイス聞いてみたら?」

「うん……でも……勝手に割って入ってきちゃダメだよ」

「んなブスイなことしねーよ。ほら、今日の昼メシもご一緒だろ?」

「ルガもぉ、早く女の子に慣れないとねぇ~」

「も、もーう! そんなんじゃないって! あとジェミルにだけは言われたくないよ!」

「が~んっ!?」

 

 なんて押し問答をしている内に約束の時間が迫ってきたので、僕は逃げるようにギルドホームを飛び出すのだった。

 

 

 

 そして本日10月17日、午後12時。僕はミランダさんと2人で会っていた。

 階層は59層。主街区の名は《ダナク》。

 低い背の草が辺り一面に生い茂り、その辺で放牧でもしていそうなほど田舎町を思わせる主街区だ。

 

「攻略組のレジクレ所属なら低すぎたかな? ごめんね。60層後半でも行けるんだけど、大事をとってここにしたのよ」

「いえ、いいですよ。僕も簡単な層の方が落ち着いて話せますし……」

「にひっ、嬉しいこと言ってくれるね。……ね、私ってほら、まだ最前線までは行けないじゃない? だからギルドのリーダーさんの話も聞かせてよ。ユニークスキルがどうやって知れ渡ったかとか聞きたいな~……ダメかな?」

「ダメじゃあ……ないですけど……」

 

 もちろん、あれやこれやと隅々まで教えるわけにはいかないが。

 僕らは適当な食事処に入ってから軽く雑談をし、フィールドに出て狩りをする頃にはすっかり話し込んでいた。改めて感じるが、ミランダさんは間違いなく聞き上手だ。

 現在時刻は午後1時。やっぱりこういう日は時間が気になる。

 

「へぇ、じゃあジェイドさんのギルドにいる女の子が、ラフコフを倒すのに必要な情報をゲットしたってことだったのね? だから洞窟にいるってわかったんだ」

「……まあ、おおむねそうです。そしたらジェイドが洞窟の中で僕を守ってくれて。……しかも、あのPoHと戦って追い詰めたんです。あの大犯罪者PoHとですよ? すごく格好よかったですし、本当にあと少しのところでした」

「よく見てるんだね。さっきから何度も名前だしてる」

「あっ、や……これは違っ……」

 

 必死に取り繕うとしたら、ミランダさんは余計に僕のことを笑った。きっと全部承知の上でからかったのだろう。

 

「……もう……」

「にひひっ、ごめんごめん。……あ、せっかくだしあの森に行っていいかな? 私、実は調味料の元も取りに来てるのよ」

「ああ、ハチミツですよね。僕もここのは大好きなんです」

 

 僕はまたも彼女の話に流されるように、植生された人工林が乱立するエリアへ侵入していた。

 ここから先は周りからの視線が途切れるエリアだ。平坦の続く他エリアと違って視界も適度に悪くなる。例えば誰かが隠れていたとして、それでもスキルで捜査しなければそうそう見つけられないだろう。

 シーザーさんの報告した通り。そして全てが作戦通りだった。

 

「……あの、どこまで歩くんですか?」

「……ごめんね……」

 

 彼女が低いトーンで謝罪をした直後。

 僕はジャキッ、と後ろから剣を突きつけられていた。

 

「手ェ挙げな。下手なことすんじゃねぇぞ」

「……き、君達は……ッ!?」

「へへっ……よくやったミランダ。おいガキ、やめときな。俺らは攻略組に対抗できる武器がある。あんまり面倒をかけさせるな」

「そうそう、おまけに3対1だ。なぁに殺しはしねぇさ。ただちょっと持ち金全部置いてって欲しいのと、あんたのギルドについて情報が知りたい」

 

 ――そう来たか。

 なんて、他人事のように僕は考えていた。

 ガラの悪そうなおじさん風の代表者は、親切なことに聞く手間も省いてくれて、敵の数は3人で確定。シーザーさんに聞いた数と一致していることから、どうやら2ヶ月前の当時から相手の数は変化していないらしい。

 おそらく、これなら一瞬だろう。

 

「知ってどうするの……そんな情報」

「高く売れる先があるんでね。それを教えてやる義理があるか?」

「ごめんなさいルガ君。危害を加えたくないの、大人しく従って」

「……僕は……そうだね。君らみたいな卑怯者には、絶対に言わないよ!!」

 

 そう言い放つと、僕は後ろから「舐めンなやクソガキ!」という罵声と共に思いっきり斬りつけられた。

 次に挟み込むように2人目が僕の腕に刺突剣(エストック)を突き刺すが、《対阻害(アンチデバフ)》スキルが《麻痺》化を阻止。僕は転がるようにして戦線を離脱する。

 が、逃げようとしたその先にはミランダさんが。

 僕が彼女に掴みかかろうとすると、彼女もまた片手剣で対応し僕を斬り捨てた。

 一連の流れで僕のHPは半分を割りきっていた。思ったよりも減っている。準攻略組というのはうそぶいたわけではないようだ。

 

「ごめんなさい、ルガ君! お願いだから逃げないで!」

「謝るのはこっちです……ジェイド! みんなオレンジにしたよ!」

「えっ?」

 

 ミランダさんが何かを言いかける直前……、

 

「ぐァああああっ!?」

 

 という叫び声が響いていた。

 声に反応し、咄嗟(とっさ)にしまいかけていた片手剣を抜こうとしたミランダさんは、両脇からヒスイさんとアリーシャさんに抱え込まれる。同時に、両足を斬り飛ばされた男とは別の男がジェミルによって両目にナイフを投げつけられていた。

 2本とも命中。情けない悲鳴の1秒後には、ズパンッ! と3人目もまた両足を失ってしまった。

 いかなる耐久値(デュラビリティ)であれ、超スピードでそれを削り取る唯一無二の力。ユニークスキル、《暗黒剣》。

 

「ホイいっちょ上がりっと」

「ば、バカな……ッ!? 誘われたッ!?」

「ルガ君……これはいったい、どういうことなの!?」

「騙してごめん……でもおあいこです。返すようですが、逃げないでくださいね。ヒスイさんもアリーシャさんも同性ですのでコードの抵抗も使えません。……どうしても逃げようとするなら……」

「く、ぅ……!?」

 

 両手用棍棒を揺らして見せつけると、どうやら言わんとすることは伝わったようだ。

 僕はため息をついてから本題に入った。

 

「『ミランダ・リファニー』は元から僕らの標的でした。この作戦も当時から考えていたものです。ご存知の通り、ラフコフを裏切ったシーザーさんは片っ端から元の仲間や、パイプを持った『予備軍』の情報を明かしてくれました。プレイヤー名、組織ぐるみならその構成人数からスタイル、潜伏場所、恐喝諸々の手段……ようは全部です」

「本場とやり合った俺から言うと、あんたらはまだまだ甘いよ。あのクズ共の足元にも及ばねェ」

「……そん、なっ……!?」

 

 あくまで気楽に、どこか陽気に、敵の脅威を冷静に語る。悪を絶った英雄として、初めて名が売れたジェイドの横暴な性格にギャップを感じたのか、ミランダさんは戸惑うように視線を這わせた。

 お世辞にも褒められない普段の口調や態度を見るに、こちらの方がむしろ彼にとっては自然体なのだが、僕も今だけは良心を捨てて1歩踏み出した。

 

「気の毒だけど彼の言う通りですよ。だから名乗られた瞬間から、僕はミランダさんを捕まえなくてはならなかったんです。……じゃあ始めよっか。情報を高く売れると言っていたその『売却先』について、詳しく教えてくれませんかミランダさん」

「……おぅし、聞き取り調査開始といくか。おいジェミル、このバカ共押さえとけ」

「了解ぃ」

 

 ジェイドが本格的に割り込むと、それでもミランダさんは毅然(きぜん)と振る舞っていた。

 

「……知らないわ……」

「よし、まずは1本だ」

 

 言うやいなや、地に伏せるミランダさんの仲間の腕を、いきなり肩口から斬り落としていた。

 「があああああああっ!!」と叫ぶその男には一瞥(いちべつ)もくれず、さらに枯れ枝を喉まで突っ込んで黙らせると、ヤクザのような顔をしながらジェイドは続ける。

 

「答えろ」

「ま、待って! なにを……キリサメを殺す気!?」

「なにって、まだ腕を斬っただけだ。糸目のお友達はキリサメ君か? なかなか台本通りのいい声出してくれるじゃねぇか。んで、残念なことにもう2回の攻撃でこのキリサメ君のHPが消し飛んじゃうわけだけど、わかるよな? 次はもう片方の腕で、最後がお待ちかねの首だ」

「ひ、ひやだぁ……助けて……くれ……!!」

「……くっ……狂ってる……ッ」

「演出にはこだわる方でね。まあなんとでも言え。質問に戻るが、相手はPoHだな?」

「……ええ、そうよ。……言ったでしょ、だから……っ」

 

 ミランダさんは助けを乞うが、まだそれだけでは釈放できない。

 ジェイドはさらに質問を続けた。

 

「今の潜伏場所を言え。層だけじゃない、細かい位置も」

「…………」

「……手早く済ませようぜ?」

「……知ら、ないわ……私は……」

「があああああああアアアアアアアアアっ!?」

 

 ズンッ、と鈍い音が届く。

 さらに男の腕が斬り落とされていた。

 もうここまで来たらダルマだ。彼にはもう頭と足しか残っていない。

 僕は猛烈な吐き気と嫌悪感に(さいな)まれつつも、作戦続行のためそれらに耐えた。

 

「待って! いえ、待ってください! 本当に……知らないんです。信じてください。……ヒック……お願いよ……私は知らないのよっ……キリサメを殺さないでぇ……」

「……ジェイド……」

「……ああ、やっぱ……何回やってもこうだよな」

 

 ジェイドは酷くしわがれた声でそう吐き捨てた。

 僕らはこんなことをもう2ヶ月以上何度も続けている。ラフコフの正規メンバーが実質的に解散したあの8月6日から今日に至るまでずっと、欠かさずだ。

 そしてその理由もはっきりしている。

 

「……え? ぇ……あの……?」

「悪いな脅して。実際殺すつもりはないよ。けど……あんたらの本音を聞きたかった」

 

 言いつつジェイドが『キリサメ』と呼ばれた男性に回復ポーションを飲ませてやると、改めてミランダさんに向き直っていた。

 

「俺達はもうずっと繰り返しる。……ま、最初はこんなスマートじゃなかったんだぜ? ルガも相手がカワイソーで見てられない、ってな。……けど、どんなにイヤでも、やめるわけにはいかなかった」

「……な、なぜ……?」

「表向きは『ラフコフ完全解体』のためだ。戦いがあった8月6日、あの場にラフコフメンバーの1から10まで全部がいたかっつーと、そうじゃなかった。情報集めに行ってた奴、レベリングをしていた奴、中には一般人に混ざる内通者もいたんだ。名前は確か『サイ』だったか……」

「…………」

「週1ペースで2、3人……時には合同で8人集団も捕まえて、この2ヵ月ちょいで約30人。あんた達みたいな間接的な連中を含めてな。……けど、それも今日で終わりだ」

 

 今日で終わり。

 これはつまり、シーザーさんの持っている情報で捕まえられるレッドプレイヤー予備軍を、限界数まで捕まえきったことを意味する。

 計30人近くにまで上る残党狩りはようやく終了。PoH以外のラフコフ構成員60名余り、正真正銘の全戦力がこれで消滅したわけだ。

 世界最大のレッドギルド消滅。おかげで勢い付いていた他のオレンジギルドも成りを潜めている。300人近い数か、あるいはそれ以上のプレイヤーが蔓延(まんえん)していたはずだが、一気に縮小したことで活動しているオレンジ集団は、きっと全層で集計しても50人にも満たないだろう。

 心臓に悪い悪質な恐喝や騙し合いは、もうやらなくていい。そう考えるだけで、僕のムカムカした気持ちは少しずつ落ち着いていった。

 

「今日で、終わり……?」

「ええ。PoHがあれから新しい繋がりを作っていなければ、あなた達が最後だったの。そしてあなたもPoHの居場所を知らなかった。……でもね、これはこれで十分な収穫なのよ」

「そうそう。知らなかったってことは、一緒に行動してないってことでしょ? つまり、以前パイプを持たせたどのオレンジギルドの中からも、ジョニーやザザに変わって『幹部』に位置する人を選ばなかったってことなのよ。これは大きいわ。まったくの新人をラフコフに起用するにしても、いきなり本人が普段どこで何をしているのかまでは教えない。……つまり?」

「あっ! 彼はまだ……1人ってこと……?」

「ふふん、そういうことよ」

 

 答えに行き着いたミランダさんに、アリーシャさんが自慢げに言う。

 そう、PoHはまだ1人だ。今も孤独に生きている。

 言うまでもなく、事情に詳しいシーザーさんが裏切った以上、マーキングしておいた『予備軍』に手を出さず、新規メンバーを雇用していたという可能性も十分にあり得る。それなら解体が完了したとは言い切れないが、少なくとも信頼し合える仲間を得られていないのは確かだ。

 彼は恐怖による湾曲しきった(いびつ)な支配体制のツケを払っていると言える。

 

「よっぽど連続で裏切り者が出たのが効いてるな。ザマァ見ろってんだ。……ともあれ、これで終わった。ミランダ達3人を《軍》に引き渡すぞ」

「うん……」

 

 引っ捕らえられたミランダさんに僕に言えるのはこれだけだった。

 

「さようなら、ミランダさん……」

 

 囮捜査の役はこれで解任。

 この日、『ラフコフ完全解体』が終幕した。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 その日の夜。場所は《はじまりの街》の《黒鉄宮》前。

 僕達は《軍》では比較的なじみの深い、細かいシワのよった中年の男性に出向かわれていた。

 

「よ、クロムのおっさん。元気してたか?」

「先週ぶりだの。……シーザー・オルダートは面会室に待機させておるで」

「おお、仕事が早いな。助かるぜ」

「そら昼過ぎにミランダの嬢ちゃんをヒスイさんから引き取ったのはわしだからな。シーザー・オルダートにも大体の事情は話しておいたぞ」

「サンキュー。なら遠慮なく上がらせてもらうか」

「お邪魔します……」

 

 ちなみにここにいるのは僕とジェイドだけである。

 『ラフコフ完全解体』が一段落ついたということで攻略組全体にその事を知らせ、それをシーザーさんにも伝えるために僕達はここにいる。

 《黒鉄宮》に閉じ込められたことのあるジェイドだからか、案内もなしにてくてく歩いていると、ものの1分で面会室に着いた。扉を開くと、使い魔のいないビーストテイマーが静かに座っていた。

 

「……よお、シーザー」

「こんばんはシーザーさん」

「先週ぶりですねお2人さん。ミランダさん方が捕まったと聞いた時点で、もうここへは来てくれないものかと思っていましたが」

 

 大きなガラスを挟んで彼は不適に笑う。

 シーザーさんはレッドギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》においても中核に存在していたプレイヤーだ。その重責がある限り、2ヵ月以上たった今も彼はここから出られない。

 それでも、僕らは今日までの協力に感謝はしていた。

 

「ミランダ・リファニーを捕まえれたのはこのチビッ子のおかげだ。あと隠さず教えてくれたシーザーもな」

「おだてても何も出ませんよ」

「そうだよ……僕もただ、獲物としてしか見られてなかったのに……」

「それでもだよ。時にシーザーよ、そろそろシャバの空気を吸いたくねぇか?」

「えっ……?」

 

 この発言については、シーザーさんだけでなく僕も驚いていた。

 シャバの空気を吸う。つまり《黒鉄宮》から出たくはないかと、そう聞いたのだろうか。だとしてもジェイドにそんな権限はないはず。

 

「ジェイド……残念だけどそれは無理だよ……」

「クロムのおっさんも同じことを言うだろうな。……けど、当時誰もが無理だと思ったアリーシャの釈放は、投獄からたった1ヵ月で成された。だったら何も不可能じゃねぇだろ? これでもあいつの時はDDAやらKoBやらに強く批判されたんだぜ。……可愛い女の子だから助けるのかってな、ハハハッ……」

「…………」

「…………」

 

 ジェイドはあえてカラ元気を見せつつ、笑い顔を引っ込めてから続けた。

 

「俺は救える奴だけ地道に声をかけるだけだ。まあ正直、シーザーの釈放を提案した日から、俺んとこに脅迫メッセが届いたりしてるけどな。でもラフコフをブッつぶしたのは俺だ。さすがに野次馬も面と向かって文句は言ってこなかった。……んで、そっから俺は《ラフコフ殲滅戦》に参加したメンバーに条件を伝えた」

「条件? シーザーさんを釈放する条件のこと?」

「ああ。その1つは釈放の可能性を本人に絶対に伝えないこと。2つ目は、それを踏まえた上で犯罪者捕獲への助言をさせ、その情報をもとにラフコフを完全に解体させることだ」

「あっ! だから今日までずっと!?」

「そんなことを話していたのですか……」

 

 完全に初耳である。脅迫メッセージが届いていたことも脇に置いておけない事案だったが、それよりもジェイドの強引なギルド方針がこうして決まっていたことに驚きを隠せない。

 メンバーが乗り気でないのに押しきったということは、おそらくこの事はヒスイさんすら知らなかったのだろう。先ほど意味ありげに「表向きは解体だ」などと言ったのはこういう意味だったのか。

 

「2ヶ月もかかっちまったけど、今日……条件を達成したことを立会人に伝えた。あいつらすっげぇ器用な表情作ってたぜ? まさか達成するとは思わなかったってな」

「ジェイド……さん……」

「マジで助かったぜシーザー。あんたは間違いなく、心の底から変われたんだ。……これでようやく決着。だろう!? 後ろで聞き耳たててる奴ら!!」

「え……?」

 

 僕とシーザーさんが驚いて部屋の入口を振り向くと、反対側からドアノブが回されて扉がゆっくりと開いた。

 そこにはDDAのトップ、リンドさんを始めとした《ラフコフ殲滅戦線》に参加した数人のプレイヤーが立っていた。隣にはかのヒースクリフさんまでいる。

 その表情はジェイドの言った通り、一様にして微妙なものだったが。

 

「……フンッ、この物好きが……」

「まあそう言ってやるな、エルバート。確かに多くの友が犠牲になったし、彼の肩を持つ気は知れんがな。……ただ、約束は約束だ。見届けさせてもらったよ。ジェイド、あんたの決意は本物だった。ここから出してそいつの面倒を見ると言うのなら、俺達はあんたの意見を尊重する。だろう? KoBのみなさん」

「無論、1度交わした約束を反故にはしないさ。ジェイド君、KoBもシーザー氏の釈放に賛同しよう」

 

 DDA副官でもあるエルバートさんはまだ納得がいっていないようだったが、巨大ギルドを纏めるリンドさんやヒースクリフさん、それらに所属するメンバーですらジェイドの行いを認めていた。

 これはまさに、彼の努力が報われた瞬間だった。

 

「ジェイドさん。……ぼくのために、こんなことを……何て礼を言えば……」

「へっ、ようやく人間らしいツラ見せたな。けど今すぐじゃねぇぞ? 釈放されてからもしばらくは監視がつくだろうさ。なんせPoHが恨みツラミを持って襲ってくるかもしれないしな。自由になれんのは……まあもうちょい先だ」

「……ええ。十分ですよ。本当に……ありがとうございます」

 

 この日、近日中にシーザーさんが釈放されることが決定された。

 それはジェイドが関わった人間の更正において、3度目の快挙となるのだった。

 

 

 

 

 ミランダさん達3人が《はじまりの街》の《黒鉄宮》に投獄されてから、つまりシーザーさんと話し合いで決着をつけた記念すべき日から翌日。

 若干湿度が高いものの、本日は文句なしの晴れ模様。74層の迷宮区を探索するレジクレの足取りにも元気があった。

 ちなみに、この4日間でなかなか攻略に集中できなかったレジクレだったが、アルゴさんが感謝を込めて情報をサービス提供してくれている。本層の迷宮区も相当深い部分までマッピングされていたので、この付近にフロアボスの部屋があることは間違いないだろう。

 

「経験則だとこの辺だよねぇ。ボス部屋見つからないかなぁ……」

「そうね~。でもアタシの見立てだと、見つかるのは明日ぐらいになると思うんだけど」

「あ、ねぇあれ見て! プレイヤーが何人か集まってないかしら?」

 

 ヒスイさんがそう言っているのが聞こえると、談笑していた僕とジェイドも視線をその方角へ向けた。

 すると確かに、そこには服装がバラバラな10人ほどのプレイヤーが立ち止まっている。ただでさえ最前線の危険域でライバルとナワバリ争いが起こらないのも稀有だったが、さらに彼らは珍しい組み合わせだった。

 

「あ~れ、なんだなんだ……キリトにアスナに《風林火山》? どんなメンツだよこれ」

「なんだか違和感があるね」

「おおう、誰かと思えばレジクレじゃないか。久々だな」

「あ、ヒスイー! 久しぶり~」

「アスナ~!」

 

 その場にいた全員が旧友との再開に表情を明るくする。

 会った途端に抱きつきあって喜ぶヒスイさんとアスナさんに無意識に意識がよりつつも、僕はなんとか邪念を振りきってキリト君に話しかけてみた。

 

「それにしても凄いメンバーだよね。何がどうしてこうなったの?」

「ああ、それは……」

 

 彼から聞いた話を纏めると、つまりはこういうことらしかった。

 曰く、昨日50層主街区(アルゲード)で商人のエギルさんと話し込んでいたら、ばったりアスナさんと遭遇。たまたま捕まえたS級――なほど美味しい――食材を《料理(クッキング)》スキルを完全習得(コンプリート)させたアスナさんに料理してもらった。

 そしてキリト君は食後に『頑なにギルドに加盟しない理由』をアスナさんに聞かれた。僕はすでに知っているけれど、誤魔化そうとしたキリト君は余計にも「仲間は邪魔になる」と言ってしまう。

 曰く、言われたことに腹をたてたのか、アスナさんはあれやこれやと理由をつけてキリト君に同行。本日早朝、KoBに所属する『クラディール』というプレイヤーから露骨な邪魔が入ったものの、そのままコンビを組んで狩りを続けていた。

 そうこうしているうちに3時を越えた時点で空腹に限界が来てしまい、この《安全地帯》で2人して食事をする運びとなった。そしてアスナさんが用意した料理を平らげ終わる頃になって、《風林火山》のギルドがこの休憩所へ訪れたのだ。

 キリト君から語られるそれをみんなが聞き終えると……、

 

「むふふ……アスナったら、結構ダイタンなことするようになったじゃない!」

「なっ、これは違うってば!? そんなつもりじゃ、わたしはこれっぽっちもまったく全然そんなんじゃないんだからね!」

「おい、イロイロ乱れてんぞ」

 

 学歴カーストから考えると相当格下に位置するはずのジェイドにすらそう指摘されると、頬を染めるアスナさんを中心にその場に微妙な空気が流れた。

 同時に一連の流れは意外でもある。《閃光》の他にも《攻略の鬼》なんて物々しいあだ名が付く彼女が、よもやこんなに動揺するなんて。僕はてっきり怒りだすかと思っていたのに。

 そんな内心を後押しするようにジェイドが続ける。

 

「でも言うほどか? アスナがギルドの護衛つけて歩いてないぐらいで」

「……えっ……?」

「だいたいオオゲサなんだッつーの。そりゃ自由に動きたい日ぐらいあるだろう。毎日ガードマンとか、俺なら息がつまっちまうぞ」

「アスナさんもぉ、驚くほどの事でもないとは思ったけどなぁ」

 

 ジェミルがそう続けたことで僕はあえて発言しなかったが、やはり僕とてそう感じてしまう。

 しかしそれを横で聞いていたアリーシャさんが軽くため息をつくと、こめかみに指をあてながら嘆くように言った。

 

「いやちょっと待ってあんた達、たぶんそういうんじゃないと思うのよ。……こりゃ責任もって脳筋共の感性鍛えた方がいいのかしら……?」

『えっ……?』

 

 アリーシャさんのセリフには僕達も首をかしげるしかない。しかし彼女の(うれ)いにヒスイさんまで悩ましそうにうなずいているのだから、世の中不思議である。

 なにはともあれ、一段落ついたところでふとキリト君がこんなことを口走った。

 

「ああ、そういやさっきここに《軍》の奴らが集団で来てたよ。パーティリーダーの名前は確か『コーバッツ』とか言ってたかな。うろ覚えだけど」

「え、《軍》!? ってあの、《はじまりの街》で偉そうにしてる軍よね!?」

 

 ヒスイさんの驚き方ももっともで、《軍》……正式ギルド名を《アインクラッド解放軍》とする彼ら一大組織は、初めてのクォーターポイントである25層フロアボス攻略戦において、多大な被害を被ってから失墜している。

 この辺りはもう知っての通りだ。前線から遠退き、攻略行為そのものに関与しなくなった彼らは、ギルド名に名前負けしている現状に猛烈な批判を浴びつつもなお、安心安全な範囲で組織強化しかしてこなかった。時には数にものを言わせて狩り場を独占し、フィールド一帯を占領したこともあるほどに。

 それが今日はどういった手のひら返しだろうか。前回のクォーターポイントの通過日が5月中旬だったことから、彼らが前線に顔を出すのは実に1年と5ヶ月ぶりである。

 

「ほえ~そりゃまた。けど、よもや100人規模とかじゃないよな?」

「それはないでしょう。彼らの戦闘員は限られてるし、前線まで来られる人となると、たぶん5パーもいないだろうし」

「ええ、数は12人だったわ。たぶん上から順にレベルの高い人を2パーティ分連れてきたんだと思うけど、装備はそこそこ充実してたみたいよ」

「不気味な感じだねぇ。こんなところまで何しに来たんだろうぅ?」

 

 ジェミルが思いを馳せるようにボソボソと呟くと、それにはギルド《風林火山》の隊長でもあるクラインさんが答える。

 

「それがよ、あいつら図々しくもキリトに『ボス部屋までのマップデータを提供しろ』って抜かしてきたんだよ。しかも人のいいキリトはホイホイ渡しちまうし、やけに張り切ってた感じだったからあいつらひょっとして……」

「ち、ちょっとタンマだクライン。今ってボス部屋までマッピング完了してんの? 俺はてっきりアルゴから渡されたデータ情報が最新版だと思ってたぜ」

「見つけたのは俺とアスナだけどな。つい30分前に見つけたばかりだから、今朝の段階でのアルゴのデータは間違いなく最新だったはずだ。……ボスの見た目は、まあデーモンみたいな顔した巨大なミノタウロスってイメージだ。7メートルぐらいの。武器はでっかい大剣ぽいのが1本だったけど、特殊攻撃なしって線はないだろうな~」

「マジか。じゃあとっとと帰って、情報屋に売るなりしたら攻略会議開こうぜ。ようやく4分の3まで来たんだ、腕がなってしょうがない」

「そうしたいのは山々なんだが、クラインが言ったように《軍》の動向が気になるんだ。充実した装備にしっかりとした前衛と後衛の隊列……まさかとは思うけど、気が()いたらホントにボス戦すらやりかねない雰囲気だったんだよ」

「なんだそりゃ」

 

 僕も危うくジェイドと同じリアクションをとりそうになってしまった。

 いくら前線で通用する実力者揃いとは言え、わずか12人の討伐隊でフロアボスの討伐が成功した前例など過去にはない。長年攻略組をやっていれば、それがリスクマネジメントを踏まえた上で、取るべきでない行動と判断できるはず。

 なんの恥ずかしげもなく、彼らはキリト君にデータの提供を迫った。

 軍の現状からの打開策としての新しい政策。

 最精鋭の選りすぐりを12人連れ、とても効率がいいとは言えない集団マッピング。おまけにお家芸と化したファーミングスポットの独占目的ですらない。

 確かに、まるでフロアボス攻略を想定した流れである。

 嫌な予感はますます漂った。

 

「……ちっ、しゃーねぇ。じゃあキリトが決めろよ。帰ってボス部屋の情報バラまきに行くか、先に進んで軍の様子を見に行くかだ」

「俺は……そうだな、見に行った方がいいと思う……」

「じゃ、決まりだ。クラインはどうするよ」

「あったり前ェよ!」

 

 これだけでは何が当たり前かわからないはずなのに、クラインさんが言うと理解できてしまうのが彼らしい。

 という経緯のもと、僕らレジクレの5人と《風林火山》の6人、さらにキリト君とアスナさんの計13人は即席でこぼこチームを作って74層の迷宮区を前進していくのだった。

 ――ああ、人数多くて動き辛いよ……。

 

 

 

 あれから20分以上が経過した。

 なかなかハイレベルなモンスターである《リザードマンロード》の集団に囲まれた際の「え、その程度の戦力で僕らに挑んじゃうの?」的な空気もそれはそれで楽しかったが、わりとのんびり倒して歩いていたらこんな時間になってしまった。

 しかし情報通りならボス部屋までこのペースでも5分とかかるまい。

 そんな折り、僕はとりあえず仲間に話しかけていた。

 

「軍の人達見かけなかったね……」

「ゆっくり歩いてちゃんと探したからぁ、見逃したことはないと思うけどねぇ」

「あ、あれかもよ。先に帰って情報売り飛ばしたとか? もしそうなら、あいつら何もやってないのに今ごろガッポガッポだろうな」

「これはしてやられたかしらねぇ……」

 

 と、ヒスイさんが愚痴をこぼした直後。

 通路にか細い音がこだました。

 

「おい! いま悲鳴が聞こえなかったか!?」

「き、聞こえたぜ! なぁお前ェらも聞いたろ!?」

 

 キリト君、クラインさん、そしてそのギルドメンバーと続くように相づちを打つ。

 悲鳴が上がるという現象が起きた。ここでは元の発生源が誰か、という小さな疑問は無視できる。僕達が今考えるべき事はそれがなぜボス部屋の前で響いたかだ。

 それは誰もが考えないようにしていた、悪い予感が的中したことに他ならない。

 

「走るぞっ!!」

「アッホだろあいつらッ!!」

 

 言われなくとも全員同時に走っていた。

 突然の酷使に筋肉が悲鳴を上げるも、それを無視して石畳を疾走する。道を知る先頭のアスナさんも僕らを引き離さんばかりのスピードだ。

 そしてボス部屋特有の場違いなまでに大きい扉が見えてくる。あの奥にキリト君が言っていた74層フロアボス、《ザ・グリームアイズ》がいるはずである。そしておそらく、《軍》の人達も。

 

「おい! 大丈夫か!?」

 

 大門の前で急停止。キリト君が叫ぶのと同時に僕もフロアの内部を覗くが、それはもう直視できるようなレベルの惨状ではなかった。

 エリアのあちこちで軍のプレイヤーが倒れている。ここに来るからには相当安全マージンを積んだはずである彼らが、誰1人例外なく戦意を剥ぎ取られるまでに。

 しかも、数が合わない。

 軍の集団は12人いたとアスナさんは言っていた。

 僕の目に映る範囲には10人しかいない。

 逃げたのか。逃げるにしても、2人だけ逃げるなんてことがあるのだろうか。普通戦闘を続けるなら全員回復し、続けないなら全員転移するはずである。援護要請という線も薄いだろう。1人2人ホームに帰ってもここから主街区までは距離がありすぎる。

 

「(どうしよう……どうしよう、助けないと……!!)」

 

 焦る気持ちだけが(はや)る。

 ボス部屋は半径100メートルほどのドーム状。格子状に並べられた蝋燭(ろうそく)のみが光源で、中央にはテカテカと脂ぎった(たくま)しすぎる筋肉が屹立(きつりつ)していた。

 青の悪魔、《ザ・グリームアイズ》。丸太のごとく太い右腕には、束ねた鉄筋パイプすら両断しそうな斬馬刀(ざんばとう)が握られ、青く膨れ上がった体躯(たいく)に蛇の頭をつけた尻尾があった。また頭には羊の角が生え、それはまるでギリシャ神話に登場するデーモンに例えられる。

 体格差による苦戦は必至の状態だった。しかし位置が悪く、軍のプレイヤーが部屋の奥で伏しているのに対し、フロアボスは部屋の中央を陣取っているのだ。これでは出口を目指そうにも、その前にいくらでも斬られてしまう。

 

「なぜクリスタルを使わない!! 出し惜しむな!!」

 

 とうとうキリト君が怒りも隠さずに叫んだ。

 だが帰ってきた言葉はさらなる絶望的なものだった。

 

「だめだ……! く、クリスタルが使えない!!」

 

 その場にいた全員が声を発せなかった。

 《結晶アイテム無効化エリア》。突発発生でなければジェミルが罠探索(インクイリィ)スキルで察知してくれるとはいえ、確かに僕も何度か遭遇したことのあるトラップだ。しかしどうだろうか、フロアボスと戦うこの空間がそれだったことはただの1度もなかったはずである。

 あり得ない、あり得ない、あり得ない。

 恐怖よりも戸惑いが先にたっていた。不意の一瞬、集中力の途切れ、連携ミス。いくら慎重な討伐であれ、あらゆる場面で大ダメージが重なってしまうことはままある。その度に《回復結晶(ヒーリング・クリスタル)》は人の命を数えきれないほど救ってきた。

 それが今回はできないと言う。であるのなら、足りない2人は転移したのではなく……、

 

「死んだ……のか……?」

「何を言うッ! 我々解放軍に撤退などない!! 全員、突撃ィ!!」

「ばっ!? バッカ野郎ッ!!」

 

 死にかけている仲間すらいるのに、後ろで叫ぶだけの部隊のリーダーらしき男性、つまりキリト君がいうところのコーバッツさんは無謀な突撃命令を出していた。

 あれでは死んでしまう。いま以上に、もっと死ぬ。

 

「じ、ジェイド! どうしよう!? 僕はどうしたら!?」

「くっ……」

 

 僕はたまらずすがってしまっていた。

 この究極的な判断をしたくない。考えもなしに「助けたい」などと言って、こちらから死者が発生でも出したら、いったいどう責任をとればいいのか。それが自分に帰属されることを怖れ、そのくせ軍の人達を切り捨てるという、攻略組にあるまじき非情な判断すら口に出したくはなかった。

 だから僕は、体裁を保つ暇もなく回答をジェイドにすがった。

 だというのに……、

 

「クライン! ギルドの連中にポーション持たせてあるか!?」

「あ、ああ、たくさん。けど……」

「じゃあ助ける気はあるか!? あるなら今だけでもいい! 俺の傘下に入れッ!!」

『っ……!?』

「お、お前ェまさか……!?」

 

 僕も本気で目を疑ってしまう。

 しかしジェイドの目は、それこそ本気だった。

 

「何する気だよジェイド!?」

「ここにいる奴全員に聞く! 助けたいと思うなら残れ!! 残った奴で俺がパーティ組んで、そのまま俺が指揮をとる!! ……ここで!!」

 

 はっきりと、そして確実に。

 

「ボスを倒しきるぞッ!!」

 

 軍の残り10人と寄せ集め13人による、前代未聞の討伐隊。

 レジクレにとって、ひいてはジェイドにとって、74層攻略戦はボス討伐の総指揮者になる初の舞台となるのだった。

 

 

 

 


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