SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第12話 勝利と敗北(後編)

 西暦2023年1月1日、浮遊城第4層。

 

『キエッキエエェエエエエッ!!』

 

 ボスが放つその音量に、辺りの広葉樹が微かにわなないた。

 イベントボスの出現時間は確かきっかり1時間。目の前にいる化け兎がシステム上のメタ目線まで考えているとは思えないが、まるで「お前達には負けない」とでも言わんばかりだった。

 

「……く、ンのヤロ……ッ」

「だ、ダメよ。1人じゃ……全員で行かないと……!!」

 

 俺と女は情報交換を終えているはずだったが、独断で動こうとするのを彼女が止めた。ただし、情報共有不足の解消でもないその『止めた理由』については、俺とはまったく見解の異なるものだった。

 俺は声を押さえて反論を浴びせる。

 

「全員でだァ? できるかボケッ! ここにいる40人はギルドでも何でもねぇ。みんな自分のために戦ってる!」

「っ……で、でも……助けあわないと!!」

 

 つい声を荒らげてしまったが、さすがに女の反論も単調になってきた。

 それは、認めざるを得ないからだろう。確かに今回のレアアイテムとやらは直接命を助けるものではないのかも知れない。だが、もしかしたら本当に助けるものかも知れない。

 理由はこれで十分である。

 極端に言えばこの際、レアアイテムをただコルに変換するだけでも間接的には自分の命を『死』から遠ざけていると言えるのだから。

 

「無理だ。理由まで聞くか? 『個人の生存率』を上げるためだ。くだらないコーセツを垂れたいなら場所を間違えたな。教会なら《はじまりの街》にもあったぜ」

 

 そう唾棄(だき)し、俺はすぐに立ち去ろうとした。

 こいつの所見(しょけん)もわかる。つまり、このリスクの高い狩りはどこかで見切りをつけるか、もしくは全員で協力しないと死人が出る可能性が高いと言いたいのだろう。だからこそ、いま冷静な人間が成すべきことをせねば、と。

 しかし、土台それは非現実的な話。

 口八丁での誤魔化しは利かない。自分だけは特別で死なない、大災害にあっても自分だけは助かる、何て言うように、窮地(きゅうち)に立たされた生き物の思考回路など大抵単純だ。おまけに人は集団にいると自分が強くなったと誤認する。チンピラが集団行動しているのもこの催眠効果が大きいだろう。

 正直ここにいるプレイヤーは、同じギルドの誰かでさえそのアイテムを手にすることをよしとしないはずだ。

 人は唯一、死者を悲しみ弔悼(ちょうとう)する生き物だが、ゆえに他のどの動物よりも死を遠ざけようとする。

 これは必然。だと言うのに、この女は現状を見ようとしない。いつまでたっても現実を受け入れようとしない。

 

「(甘ちゃんがッ、カンベンしてくれ……)」

 

 またこれだ。いつも見捨てきれない、甘ったれた自分。そのまま立ち去る簡単なことが実行できない。

 とっくに理解しているのに。

 俺の方こそ間抜けたことに、理屈を理解してくれない彼女にイライラしつつ、しつこいように振り向いていた。

 

「もっと人のそーいうトコ見ろよ! あんまユメばっか見てると、いつかそのキレイごとにぶっ殺されるぞ!?」

「……いいえできるわ。言ったでしょう、諦めないって」

「お、おいッ!?」

 

 その結果はあらゆる意味で予想外だった。

 (きびす)を返して逃げ去るならよし。しかしそれどころか、言うやいなや、彼女は制止も振り切って戦場のど真ん中へ走り出したではないか。

 俺はその背中を目で追いながら、一向にその行動原理を理解できなかった。

 なぜ、このゲームにおいて他人にそこまでできるのだろうか。

 目を見ればわかる。協力しあえるメンバーを集いに行くのだろう。何があの人間をここまで駆り立てるのだろうか。

 もしくは足元を(すく)われているだけで、俺には何かが見えていない? 見落としている?

 ……いいや、断じて違う。

 こんなことを繰り返せばあの女は間違いなく近い内に死ぬ。人を信じ、最善の理想にすがり、可能性に殺されるのだ。

 だが、それこそ俺には知ったことではないはずだ。俺のスタンスはいつだって自分の安全を最優先にした利率重視の近道。外野から難癖をつけるあの女は、俺にとってただ勘に(さわ)るムカつく奴でしかないのだから。

 

「ッ……!?」

 

 だというのに、しこりが消えない。気を散らすと(みじ)めな自分を自覚してしまいそうになる。

 俺の視線を釘付けにするモノ。おそらくそれは『強さ』。

 超人的な、という意味ではなく、とても曖昧(あいまい)でもっと芯の部分の話だ。

 だからだろう。目の前で揺れるセミロングの黒髪を、追いかけたいという欲求が湧くのは。凛とした意思を持つ者が(つい)えぬよう、可能な限りの手を尽くしたいと(たぎ)るのは。

 

「(わか……らない……!!)」

 

 意識せず下唇を()んでいた。

 女が消えゆく未来を拒絶する男の本能、あるいはシンプルに一目惚だろうれか。

 いや、それは否定できる。

 確かにポテンシャルは秘めている。目は大きく、体もスリムで無駄が無い。男を相手に媚びる様子も気負う様子も感じられず、少しだけ厳しいその目つきも、彼女の魅力を引き出しこそすれ損なうことはないはずだ。

 しかし、アスナやキリトに対してはこんな保護欲にも似た感情は湧いてこなかった。このゲームにおいて、彼らは強くてこの女は弱いからか。

 それも否。なぜならこの女がいつ何時も1人だからだ。

 1人。ソロ。

 そう、俺に《ビーター》と言ってのけたこの女こそ、元βテスターなのだ。この女は間違いなく強く、慣れるほどに剣を振っている。盾を右手に、剣を左手に持つ姿がこれほど似合う女もそうはいまい。

 そんな女戦士が、ソロプレイヤーかつβテスターであるはずの彼女が、他のビギナーのために声を張り上げている。なんの個人的利益も生み出さないというのに。

 

「聞いてッ! 聞こえる人はみんな聞いて! ボスは音でもこっちの位置を掴む! その時は耳が揺れてるのよ! あと着地後は一瞬だけ無敵時間があるわ! みんなで《スイッチ》をするしかない! 助けあわないと倒せないっ!!」

 

 戸惑う俺を置き去りに女が叫んでいる。自分が暴き、そして俺から得た情報を他のプレイヤーへ与えるという、無私無欲な行動を繰り返していた。

 普段の俺なら激怒したはずだ。「もっと手持ちの情報を大事にしろ」と。「もっと自分のメリットになることだけを選んで行動してくれ」と。これではまるで、俺が我執(がしゅう)に取りつかれた矮小(わいしょう)な亡者のようではないか。

 それなのに俺は今の、この決定的に差を突き付けられた現状を何とも思っていない。彼女の行動に怒りが湧いてこない。

 どころか、これで良いとさえ思っている。

 

「……くっそ、何だよッ、ちくしょう!」

 

 ツバを飛ばしながらも、俺は鬱陶(うっとう)しい雪を踏みつけ、ボスではなく女の元へ走っていた。

 だが、俺の行動はあの女を肯定したからではなく、ソロではどうしてもヒートヘイズラビットを狩ることができないから。

 ただそれだけだ。

 だから……、

 

「聞こえてんだろ! 理解した奴は手伝ってくれ!」

 

 だから、俺も叫ぶ。

 やって見せろ。ガラにもないことをやっているのだ、代わりに証明して見せろ。

 ただし上手くいかなかなければ俺はもうこの考えを止めない。他人を見下し、自分を慰撫(いぶ)し、人間らしく利己的にこの腐った世界を生き続けてみせる。

 これは俺の証明でもあり、主張でもあるのだ。

 

「っ!? ……あはっ! ありがと!!」

 

 あの女が初めて笑った。

 ――笑いやがった。卑怯だろこんな時に。

 だが悪い気はしない。むしろ例えようのない激しい高揚感が身を包んだ。だからこそ、俺はもっと大きな声で力を与えることができそうなのだ。

 

「話はわかった! 指示貰えるか?」

「く、クライン!?」

「おい、マジでこの人達を信じるのか!?」

 

 俺が再びボスに斬りかかっていると、目の端で『クライン』と呼ばれている例の赤バンダナと、そのギルド集団が女に話しかけているのが見えた。

 メンバーはまだ少し納得していない様子だったが、リーダーが一喝して黙らせ、さらにその5秒後に別の2人ペアも協力を申し出た。

 

「(他は……さすがにいねぇかッ)」

 

 しかし9人も、瞬く間に協力を申し出てきた。これで俺と女を入れて11人の暫定パーティができ上がったことになる。実際にこの目で見ても、そして望んでいた結果だとしても、すぐには目の前の光景が信じられなかった。

 なにせこれはイベント参加者の4分の1が、名も知らない一介の女の声に命を託すと言っているのだ。

 もちろん、いざとなったら逃げても誰にも文句は言われない立場だ。それに他人を利用しておいてLA(ラストアタック)だけを取りにいくなんてことをしたら、周りのプレイヤーから今後マークされるのも明らかである。ならばそれを避け、なおボスを倒す手段を合理的に導き出した結果、言わば『取引』をしている意味合いも強いのかも知れない。

 もっとも、理由が何であれ乗りかかった船である。

 そして共闘を宣言した9人が女との会話を終わらせると、こちらへ向かってくるのに合わせて俺も少しボスから離れる。タゲ取りを他の有象無象に任せると、改めて振り向いた。

 

「クラインってのか? 俺はジェイド、しばらく共闘頼む」

「おうよジェイド! 他の連中だって助け合ってるわけじゃない。早いとこオレ達で流れを作ろう」

 

 普段コミュ障の俺は相手が1人で、さらに弱者だと認めなければ饒舌(じょうぜつ)に話しかける何てことはできなかったはずだが、気分が昂っているこの時は狼狽(うろた)えずにそれをこなした。

 

「んで肝心の作戦なんだけど……」

「待て、だいたいわかってる。俺が着地直後だろ?」

「お、おうそうだ。つうわけで、先に風林火山で切り込むぜ!」

 

 敵の特徴から、上への回避に限定させるためにはある程度の人数で囲う必要がある。当然それを安全に担えるのは7人ギルドのこいつらだけ。

 次に着地したら発生する行動遅延(ディレイ)中の攻撃。ただこれは『透過能力』によって回避させる陽動用の手順であり、この攻撃役は1人でも2人でも関係ない。しかしダメージ量を考えるなら後続の人数を増やすのが最良の手段。

 すでに情報を共有している人なら風林火山、俺、最後に2人組という攻撃順番は誰でも予想できた。

 それと《風林火山》とは恐らくクラインとやらの持つギルドのことだろう。非常に悔しいことに、赤バンダナこそ趣味が悪いもののギルド名には感動するセンスがある。

 ――格好良い、よな?

 

「ジェイド準備はいいな!」

「ぅをっと……おういいぜ! そういや2人、名前は?」

「アギン、こっちがフリデリックだ」

「そうか、忘れるまで覚えとくわ。んじゃ《スイッチ》頼むぜ……しゃあッ!!」

 

 ヘイズラビットの長い滞空時間を利用し、イケメン2人組と手短に言葉を交わしてから敵に斬りかかる。

 未だに事情を把握しきれていない奴が首を捻るが、同じミスの繰り返しでないことを教えてやらなければならない。

 

「くお!? ……らァあああッ!!」

 

 着地直後の『不意打ち後ろ蹴り』を気合で回避し、そしてボスも透過の技で俺の剣を回避した。

 だがこれで終わりではない。

 

「今だっ、スイッチ!!」

『うおぉおおおッ!』

 

 2人の曲刀(シミター)円月輪(チャクラム)が光り、そして突き刺さる。

 透過能力の先をいく。

 『キエェエエッ!!』という絶叫に、今度こそ周りからもどよめきが聞こえた。

 半ば諦めかけていた奴もいたようだったが、ここにきて初めてヘイズラビットのHPが肉眼でわかる勢いで減ったのだ。それを見て意識が変わり始めているのがわかる。

 

「うっしゃあ! 決まったぜ!!」

「やれる……これなら勝てるぞッ!」

 

 『士気』こそ見えない真のシステム外スキルなのかも知れない。

 そして、女が作りだしたこの一瞬は間違いなく戦いの転機となった。

 動いては斬り、斬っては動く。そんな流動的な戦法を15分に渡り続けていると……、

 

「単発でいい! 躱させたら引け!」

「パターンが読めたぞ、さんざんナメてくれたじゃねぇか化け兎!」

「次の《ハイジャンプ》来るぞ!」

 

 信じられないことに、いつのまにかプレイヤー達の怒号がひっきりなしに飛び交っていた。

 俺達の見せた連携技を見て、ようやく周りの連中も多段攻撃を仕掛けなければイベントボス、ヘイズラビットに攻撃が届かないと悟り始めたのだ。

 1人、また1人、果ては4、5人のギルドと次々に参戦を申し出てきている。

 

「そこ、囲んで! 次のアタックは風林火山! 全方位を警戒して……スイッチ今!」

 

 あの女の命令も絶え間なく続いた。

 今や参加者のほとんどを巻き込んだ大人数パーティと化したプレイヤー達からは、戦闘開始時にあった戸惑いやぎこちなさも消えている。誰もが敵の能力を前に「撤退」の2文字を頭に浮かべたはずだが、果敢に斬りかかる戦士達の姿は今も迷宮区で奮闘を続けているだろう《ボス攻略隊》のそれだ。他人の利用や水面下の打算、または駆け引きといった無粋な真似をする連中もいない。

 

『らぁあぁあああッ!』

 

 四方八方から絶えることのない気合いと斬撃に晒され、ヘイズラビットのHPゲージ最終段がとうとう注意域(イエローゾーン)に突入した。

 囲まれ、跳び、着地直後にまた囲まれる。そしてヘイズラビットのプレイヤーへ与えるダメージ総量は明らかにこちらのポーションによる回復量を下回っている。

 しかも基本的には手順通りの攻撃パターンでダメージを与えているが、何もダメージソースはその3段攻撃だけではない。

 4足で走り回っている途中も乱戦中、しかも協力体制の元なら剣は十分その身を裂く。『透過能力』を使用する前も、実体を待たざるを得ない敵の攻撃中にカウンターとしてダメージを与えることができるからだ。

 最後に《ハイジャンプ》と名付けられた、囲まれた際の緊急脱出方法も奴の首を絞めている。

 当然、これも協力体制を維持して広範囲をカバーしなければならないわけだが、《ハイジャンプ》中の長い滞空時間は見た目が派手な分、やはり攻撃タイミングを俺達プレイヤーに与えてしまっているのだ。

 上昇中は無理にしても、加速度がいったんゼロになった後、つまり自由落下中は回避のしようがない。なぜならこの時に透過能力を使用してしまっては着地後のディレイを補うものが無くなり、本末転倒状態になってしまうからである。

 ということは、初見殺しの押し潰しを見破っている以上、落下中はむしろ攻撃のチャンスとなる。

 そう、例えば今のような時は。

 

「ふっ……ッ!!」

 

 息を止め、育て上げた筋力値にものを言わせ、俺は全力で踏み込むと空中に躍り出る。

 剣光は赤。構えは大上段。

 

「らァあああッ!」

 

 俺は一瞬ヘイズラビットの赤い目が見える。

 そしてザシュン!! と、モンスターに攻撃を命中させたサウンドエフェクトが鳴り響きボスの右耳を切り落とした。

 分断された耳はポリゴンデータとして散っていく。もしヘイズラビットがプレイヤーだったなら、そのHPゲージの下に《部位欠損アイコン》を明滅させていただろう。

 

『キエッキエェエエエッ』

 

 《両手剣》専用ソードスキル、空中回転斬り《レヴォルド・パクト》のクリティカルヒットにボスがまるで痛みを感じたかのように鳴く。さらにこの攻撃は図らずも架け橋を繋ぐことになった。

 目で見なければ敵の位置を探れないように、このゲームはどこまでもリアリティの溢れるゲームだ。そしてその原則はここでも例外なく機能し、ボスは耳を、ひいては音を失ったことで平衡感覚も同時に失う。結果、奴は着地時にバランスを大きく崩して転倒(タンブル)判定を受けていた。

 片側の視界外からの攻撃察知手段も失い、反撃と透過のタイミングすら失ったヘイズラビットはプレイヤーからの攻撃でとうとうそのHPバー最終段を真っ赤に染める。

 

『うおおぉおおおッ!!』

 

 ギルド《風林火山》のメンバーが、そしてその他大勢のプレイヤー達が無抵抗な巨大兎を攻撃する。

 だが何撃目かもわからないボスへの攻撃で次々と剣を突き立てていたプレイヤーの体がいきなり宙に浮き、後方に飛ばされているのが見えた。

 

「くっ……やっぱりかッ」

 

 アクロバットな動きを重視して設計されただろうこのボスは、今まで囲まれた時は《ハイジャンプ》を使用してきたはずだ。おそらくこの全方位同時攻撃は今まで敢えて使わなかったわけではないだろう。

 原因はボスの体力残量にある。モンスター、特にボスクラスとなるとHPが残り少なくなるにつれ攻撃や行動パターンを変えるケースが多いのである。

 俺が「やはり」と感じたのは、このまま素直に繰り返し攻撃に晒されるのを甘んじるとは思えなかったからである。

 

『キエェエエエッ!』

「くっ……まだこんな技を……」

「んの野郎! 往生際がわりぃぜ!」

「慌てないで! 包囲して攻撃を止めてくれれば次はラストアタックになる! タンカーはいったん前へ!」

 

 だがボスの新しい攻撃は、女の的確な指示も重なり、討伐隊の猛攻をほんの少し止めたにすぎなかった。

 いずれにせよ、回避や軽業を捨てて自暴自棄となったボスなど、やはり戦意の高いプレイヤーを前には脅威ではない。そして命令通りタンク隊が役目を果たすと、今度こそ全方位攻撃後のディレイ時間をあらん限りのプレイヤーが武器を手に埋めていく。

 

「ヤアァアアアッ!」

 

 部隊の先頭にはあの女の姿も見える。

 ほんの20分程前は、俺と意見の食い違いで反発していた憎たらしい女が。

 脳裏に焼き付き、剣士として密かに私淑(ししゅく)していたアスナの動きに、勝るとも劣らないその剣技が見える。これが女性に出せるソードスキルなのかと本気で目を疑ってしまう。

 そしてその剣がボスの眉間に突き刺さるとついにヘイズラビットは決定的な瞬間を迎えた。

 

『キエッ、キエェェ……キ……』

 

 ボスの体が停止し不自然にその全身が膨らんでいく。次いでパリィン、とガラスを割った様な音。ボスの姿が1秒前の原型を思い出せない程の光りの破片になる音だ。

 こうしてイベント発生から39分。《ニューイヤー》の名を冠するイベントボスは完全に討伐を果たされた。

 

「……ハァ……ハァ……」

「……終わった……ね」

 

 大歓声が夜半(よわ)の大空に響いた。

 数人のプレイヤーと共に、神経をすり減らして疲れたその身を地面に座らせていると、俺の元にあの女が近づいてきて話しかけてくる。

 またこいつか、とも思ったが、この時ばかりは追い返す気にはなれなかった。

 それに俺はこの女に色々言わなくてはならないことがある。何せあれだけ大見得切って唱えた人間性を真っ向から証拠付きで破られたのだ。負けを認めるのが男らしさというものである。

 ボス討伐の余韻(よいん)に浸りながら、俺はしぶしぶ顔を向けた。

 

「……負けだよ……完敗だ。ちったぁ俺も考え方変えるよ……」

「……ふふっ、それはどーも。あ、そうだお礼言わなきゃね。あの時は一緒に声を出してくれて助かったわ。ううん、嬉しかった……かな」

「…………」

 

 本日2度目の笑顔。美人は笑っていれば大抵の失言は許されるなんて冗談のような風潮も聞くが、残念ながらそれは事実なのかもしれない。

 しかし彼女の笑った回数を数えている自分に気づくと、かぶりを振って自分に言い訳をした。決して下心があってその笑顔を見ているのではないと。

 俺の勝手な自問自答などつゆ知らず、彼女は会話を続けている。とは言え、女はおろかそもそも人との会話に慣れていない俺は、ペラペラと話せる人間の対象をかなり縮めていた。そしてこの女は対象外だ。

 ――つまり、何をしゃべればいいか教えてくれ。

 

「あ、そうそうレアアイテムなんだけど、あたしのところにドロップしたみたいよ。発動条件が2人いることを前提にしてるっぽいし、使い道ないと思うからお礼にあげよっか?」

「なッ……!?」

 

 その申し出にはさすがに反応せざるを得なかった。

 こいつは本当に聖人か何かだろうかと。

 

「まあ惜しいとは思うけどね。アイテム名なんて面白いぐらいあたしっぽい名前だし。でもあの時一緒に叫んでくれなかったら、誰もあたしの言葉に振り向かなかったと思うからさ」

「……はっ……名実共にあんたのもんだよ」

 

 アイテム名のくだりは無視して、俺は辛うじて小さい声で答えた。

 この女に遠慮したわけでも、ましてや格好付けたわけでもないが、これだけは本心だ。今回、俺はこの女に何も勝てなかった。ソロプレイヤーとして、そして1人の人間として。

 よって、お情けのように譲渡(じょうと)されるアイテムを素直に受け取ることだけはできない。これは俺に残された最後の、そしてくだらないプライドだった。

 

「……1つだけ聞きたい。俺に対策を聞いたよな? でも、見てりゃ1分で気づくようなことだ。どうして話しかけた……?」

 

 聞かれた女はキョトンとした表情を見せたが、思い至ったのかうっすらと口角を上げて切り返してきた。

 

「ははーん、そういうこと。『最悪の初対面だったのに』って? ふふっ……そうね。あなたが……アルゴと一緒にいたから、かな」

「はぁ? なんでアルゴが出てくるんだ?」

 

 唐突に言われ、素っ頓狂な声がでてしまった。

 彼女は構わず続ける。

 

「初めて会った日を覚えてるでしょう? あの後にね、あたしはアルゴに、あなたの容姿と『警戒すべし』ってこと、その理由をあらかた伝えたのよ」

「うげっ、アルゴの言ってた『悪いウワサ』ってあんたがソースかよ! ……まぁ、何も言えねーけど……」

「ふふっ。……だから驚かされたものよ。彼女の結論は違ったのか、それから何度もあなたとコンタクトを取っていた。逆効果だったみたいにね。それに、極め付けはその1週間後。……あなたは彼女の情報ミスをカバーするために、助け合いながら3人で2層攻略に参戦。見事ボス討伐に貢献しながら、当時の詐欺グループの命まで救ったって」

「あ〜……それは、なりゆきでな……」

「ううん、感動した。あたしの印象が間違ってたんだと確信した。ずっと言おうと思っていたのよ」

 

 そこまで言われるとむず痒い。狙ってあの結果になったわけではないからなおさらである。

 

「(まさかそんなところを評価してくれてたとはな〜。……んん、いや……ちょっと待てよ……?)」

 

 『3人で参戦』? と言ったのか。しかし、なぜ彼女がそれを知っている? 混乱を防ぐため、アルゴの情報誌ではそうした仔細(しさい)は省かれていたはず。であれば、その場にいた討伐隊しか知り得ないはずだ。

 だのに彼女は知っていた。

 

「……はっ、なーるほど。2層ボス部屋前で、やけに都合のいいアイテムが落ちてた(・・・・)わけだ。いいシュミとは言えねーぜ?」

「うっ、あなたホントにへんなトコで鋭いわね」

 

 ぼかしたところをつかれたからか、ギクリと肩を震わせた女はまた前髪を耳に上げながらそっぽを向いた。

 

「……その通りよ。何度も悩んで、でも討伐隊に志願できなくて……人にモノを言える立場じゃなかったわ。……だからせめて謝らせてよ。あの時はひっぱたいてごめんね。それこそ、1層のボスに挑まなかったあたしは、図星を言われたのが悔しくて手を出しちゃったの……」

「ああ。つっても、モノ覚え悪いんだ。3歩歩いたら忘れたよ」

「あははっ、何その自虐。もっと自信持てばいいのに」

「まあ、俺も学んだことはあったさ。……そうだな、今後はもうちっと英語を勉強しとくよ」

 

 そこまで話したところで、今度は別の人物が歩み寄ってきた。

 

「おうおう、お2人さん仲がよろしいこってぇ。こりゃ俺の的が外れたかぁ?」

「クラインだっけか。なんだよ、マトが外れたって」

 

 おっさん顔がおっさんのような台詞と共に俺達の間に割って入ってくるが、正直女と2人で会話なんて心がすり減るだけなのでクラインの登場は無駄ではない。

 現に俺にとっては立派な助け船となっている。

 

「いや、何つうかよ……ボス戦前にジェイドの目見た時、昔のダチのこと思い出してな。そいつも同じなんだが、オレぁお前さんを絶対ソロだと思ったんだ」

「(バレてたのかよ……)」

「んでもよ、そんな奴が……コンビでもなさそうな子のために声張り上げてるじゃねぇか。オレぁお前さんを見て協力を決めたようなもんだぜ?」

 

 キザったらしいことを言っているが、実際クラインの発言に間違いはない。俺とこの女は行動を共にしていないし、初めから友好的な体制をとっていたわけでもないのだから。

 どころか、険悪に近い間柄だったと言える。

 

「なるほどな。ま、知り合いってワケじゃない」

「あ、あはは……あっそれよりクラインさん。最初に協力してくれた人ですよね? おかげで助かりました。ありがとうございます」

「あ、あぁ……」

 

 両手を握られて顔を赤くするクライン。男とはげに悲しきも(くみ)し易い生き物だ。周りの数人も2人の姿をキツい目で見ていらっしゃるが、「嫉妬です」と張り紙されるよりわかりやすい。

 おそらくこの美人ソードマンは今日を境に知名度を上げ、ギルドないし何人かの集団に声をかけられる運命だろう。あのアスナも今や同じような状態だと聞いたが、思えばボス攻略に参加していないとは言え、まだ有名になっていないことの方が不思議である。

 

「(つっても、まあ……)」

 

 一息つき、改めて俺もこの男に感謝していた。

 呼びかけからほんの10秒足らずで7人ギルドが協力を申し出た、というインパクトの強い事実がなければあそこまでの流れはなかったのかもしれなかった。

 それに戦闘中、俺はほんの2、3人とは言えプレイヤーが体力を危険域(レッドゾーン)にまで減らしているのを見ていたのだ。

 彼らは即座に戦闘を中断して回復に入っていたが、討伐結果から見ると『死者ゼロ』はこの女と共にクラインの成果でもあるのだろう。

 

「さっ、今日は帰るとすっかな。んで打ち上げだ。お、どうだジェイドも来ねぇか? こういうのは人数集めたほうが盛り上がるってもんだしな。ああ……もちろん、君もよければ」

 

 ちゃっかり女を誘っているところを見るとクラインも目ざとい。

 それは本人次第なので自由にすればいいのだが、残念ながら俺は飲み会やそれに準ずる集団騒ぎのノリがよくわからない人間だ。

 

「いや、やめとく……」

「参加させてもらうわ! 君も行こっ?」

 

 ――俺を見るな俺を。実はワクワクしていたなんて言えないだろう。

 と言うか、今日はやたら機嫌がいいように見える。

 俺があんなことしたからだろうか。不良がたまに良いことすると滅茶苦茶いい奴に見えるゲイン効果のような心理がはたらいているのだろうか。だとしたらそれは誤解というものである。

 

「ってマジで俺も行っていいのか!?」

「いいに決まってるじゃねぇかよ。ソロつっても正月休みぐらい取れ」

「そうそう。なんなら今日一緒に戦ってくれた人たちも……あっ」

 

 そこで女が思いだしたように声を上げた。

 それはある意味ここ1ヶ月近く俺が(いだ)いていた疑問の解答でもあった。

 

「忘れてたわ。あたしの名前はヒスイ、よろしくね!」

 

 この日、俺は初めて2人以上の夜を過ごし、喉が枯れるほど騒ぎ回り、打ち上げを称するバカ騒ぎを目一杯楽しむことになる。

 そして新年の初日は、アインクラッド第5層解放日としても大いに夜を盛り上げていくのだった。

 

 


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