SAOエクストラストーリー   作:ZHE

121 / 159
第94話 強者3人の抗争……(?)

 西暦2024年10月20日、浮遊城第75層。

 

 暗闇の中に俺はいた。前後の記憶はない。しかしこの空間にいる自分に、一切の疑問を抱けなかった。

 目の前にいるのは、傷つき地面にひれ伏すキリトと、聖剣と大盾を構えるヒースクリフ。これもまた決闘に負けた事実を認知しているはずなのに、その戦闘シーンがどうだったかなどは全然思い出せない。懐疑思想の世界が5分前にできた、ではないが、まるで世界がこのカットから始まったようだ。

 さらにその脇にはアスナがうなだれたような姿で「キリトくん、なんでわたしのために……」なんて嘆き、シクシクと泣いている。

 カオスだ。カオス過ぎる状況である。

 

「キリトは渡さねェぜ」

「やるなら力で、剣で語るのだジェイド君」

 

 いや、もっと突っ込みどころがあるだろう。

 だがやはり、自分の発言にも疑問を持てず、俺は根拠のない自信に満ちた状態で元気よく叫んでいた。

 

「キリトは俺のだ! 誰にも渡さねぇッ!!」

「私とて負けんさっ!」

 

 もう何がなんだかわからなかったが、言いようもない使命感にすっかり囚われていた俺は、もの凄い重量を誇るはずの《ガイアパージ》を全力で叩き込んだ。

 そのまま突き抜けるような欲望が口内から発音される。

 

「キリトは俺がッ……!!」

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「ほわァあああっつ!?」

 

 絶叫を上げながら上半身を起こす。額にはびっしりと汗をかき、呼吸の荒さも体感60回毎分。

 一旦落ち着こうと理性がはたらく。

 辺りを見回すと、そこは自室だった。現実でも愛用していた遮光カーテンに地味なタンス、木製のテーブル、備え付けのイス、でかい姿見にアンティークな本棚。本棚なのに並んでいるのはオーパーツのようなレトロフィギュアばかり。うむ間違いない。

 ちなみに、ギルドホームを購入してから5人ギルドに合わせて6部屋までは確保してある。1人1室ずつを自由に使える約束で、内1つはメンバー不在ということで今は物置だ。

 どうやら冷静に分析するまでもなく、俺は夢を見ていたらしい。意識を脊髄でカットした電脳世界で夢まで見られるのだから不思議だ。

 しかし明晰夢(めいせきむ)ではなかった。どちらかと言えば悪夢だろうか。最後の俺が何を言おうとしていたなど、命令されても想像したくない。

 ことの発端は《KoB》の経理担当メンバー、ビール腹のダイゼンにあった。

 

「(くっそ~ダイゼンめ。余計なこと頼むんじゃなかったぜ……)」

 

 しばらく前に突発のトーナメントを依頼して以来、儲けの旨味を知ったのだろう。

 確かにキリトはギルドに欲しい。剣の腕は一流だし信頼もおける。おまけにユニーク使いで現在はフリーだ。喉から手が出るほど欲しい秀才である。

 しかし話は彼に利用され、どんどん望まぬ展開を見せていた。

 

 

 

 起床後数時間もして、俺は――もちろん残りのレジクレ4人も――ある建築物の屋内へ招待されていた。

 狭い部屋には俺とキリトが長椅子に座らされている。これもダイゼンによる手配だ、と言えば少しは察してもらえるだろうか。

 

「おいなんだこれ……おいなんだこれ……」

 

 大事なことを2回。昨日の深夜に知らされた俺に対し、キリトは今朝事情を知らされたようで、彼は大事(おおごと)になった争いに戦々恐々と(つぶや)いた。

 もっとも、寝る前に変に意識する必要がなかっただけマシだろう。俺なんてそのせいで、自分でも信じられないような悪夢を見てしまったのだから。

 しかしこの展開を招いたのもまた俺なので、下を向いたまま一応彼に謝っておく。

 

「すまんキリト。こればかりは予想外だったわ……」

 

 選手控え室で(こうべ)を深々と垂れる俺とキリト。彼に至っては冷や汗たっぷり、&ちょっぴり涙が(にじ)んでいるようにも見える。

 そう、『選手控え室』。

 俺とキリトはとある試合の直前だった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「キリトは俺のモンだ! 誰にも渡さねェ!!」

 

 なんてクサいセリフが発せられるとは、相手が男であれ女であれ、去年の俺からは想像もつかなかっただろう。

 正面に立たされているキリトやアスナ、その奥に座っているヒースクリフ込みのギルド重鎮5人、後ろから追ってきたレジクレ4人は茫然(ぼうぜん)状態だった。

 突然の闖入(ちんにゅう)者が部屋に勝手に入り込んでくるだけでもクエスチョンマークが飛び交うのに、あまつさえギルド副リーダー損失がかかった交渉にまでケチを付けだしたのだから当然か。

 

「ちょ、ジェイド!? それに勝手なこと言うなよ! 俺は誰のモンでもないぞ!?」

「まさかジェイド君にそんな趣味が……わたしちょっとついていけないかも……」

「ちっげーよキリアスコンビ! うわっ、ヤメロその顔!! ……俺もキリトを狙ってたから、せめてその争奪戦に参加しようってだけだ!」

「ていうかちょっと待って! そもそもあなた達はどうしてここへ!? 商談っていうから、わたしは客人用の休憩スペースに行くように言ったはずよ。ダイゼンさんも向かったはずだし……」

 

 甘いなアスナ。レジクレはそんな小さなルールには縛られないのさ。

 しかしヒースクリフはさすがの貫録で、その場に居合わせた者のなかでは唯一口角をうっすらと上げながら不敵に、そして試すように俺へと対応した。

 

「ほう。この際、ジェイド君がなぜここへ来られたのかは不問にするとして」

「あの……わたしが本部に呼んじゃいました。すみません」

「不問にするとして……」

 

 「あ、無かったことにした!」と、誰もが思ったはずだが、誰も口に出さなかったので彼は自然に続ける。

 

「現れる度に面白いことを言うな、きみは。さてキリト君を渡さないと言ったかね? しかし、私らとてギルドの(かなめ)である彼女を渡すわけにもいかない」

「俺はアスナを取ろうってんじゃねーぞ?」

 

 一応反論してみる。と言っても彼女に興味がないと言っているわけではない。あくまであのカリスマ性が最高に発揮されるのはKoBとして、と結論つけているからの発言である。

 それはヒースクリフも理解していた。

 

「承知してるさ。だがキリト君はそうは思っていない。ならば、やはりギルドマスターである私はそれに対抗しなければならない。そして私もこれをチャンスと捉え、彼をこのギルドに巻き込みたいと考えている」

 

 「あ、巻き込むって言った!」と誰もが思ったはずだが、以下略。

 俺は少しだけ考えてからハハーン、といった顔を作りヒースクリフに続いた。

 

「なるほど、そっちも引けねェってか? オッケー、じゃあこうしよう。決闘を2回に分けるんだ。最初にキリトとあんたが戦う。もしキリトが負けるようなら、今度はキリトを賭けて俺があんたと勝負する」

「ふむ、それならきみとの勝負にアスナ君は絡まない、と」

「イィーエス! 俺に勝てば……ほら、あれだ……あ、ヤベ。俺なんも渡せるもんなかったわ」

「そこ考えてなかったのジェイドぉ!?」

 

 外野(カズ)がガヤガヤうるさいが、ここまで来て引き下がるわけにはいかない。

 

「ええい、うっさい……なら何でも言うこと1個聞いてやる!」

「それじゃただの子供じゃん!」

「よかろう」

「え、いいのっ!? マジ!?」

 

 今日はカズのノリ突っ込みが冴え渡っているようだ。

 ――若干彼のキャラがブレたような気がしたけど、まあ気にしない。

 しかしまさか、口下手な俺がこういった交渉を成立させてしまうとは。俺もここへ来た頃に比べ、ずいぶん大人になったと言うべきか。

 ……大人に、なったというべきか。

 当然、啖呵(たんか)切ってしまった手前、俺も奴も『男に二言はない』という立場だ。振りかぶった拳は振りきらなければならないのだ。ヒースクリフには己の口から出た災いというやつを存分に味わってもらうとしよう。

 

「これで合法的にキリトが俺のモンになるわけだ……ケッケッケ」

「はてさてそう簡単に行くかな……フッフッフ」

 

 フッフッフ、ク~~ックックという不気味な笑い声だけが反響するなか、キリトとアスナはそれぞれ違うニュアンスを含ませながらこんなことを言った。

 

『どうしてこうなった……!!』

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 というわけで。

 ユニークスキルを持ったプレイヤー3人がいきなりガチバトルを始めるという展開になってくれたおかげで、攻略に関心のあるほとんどのプレイヤーがその戦いを一目見たいと、あちこちから集まってきているのだ。ミドルゾーンの方々もユニークスキルには興味津々である。

 ちなみに軽く飛ばしそうになったがキリトの意見も問題ない。あとで本人に聞いてみたところ、「どうせギルドに入るなら別にレジクレでもいいよ」と言ってくれた。メンドくさそうに言っていたが、あれは照れ隠しだと信じよう。

 それにしても、ダイゼンがハッスルしてあちこちに言いふらさなければ、もう少し大人しい交渉になったはずだが、客観的に見るとバカをやってしまったものである。

 今回のデュエルの開催場所は、最近アクティベートされた75層の主街区《コリニア》。街のメインテーマはコロッセウム誕生期のギリシャとのことで、再現度の高いマップの中央にはおあつらえ向きな円形闘技場(コロシアム)屹立(きつりつ)していた。

 死刑囚用健闘士と言えば想像しやすいだろうか。国こそ違うものの奴隷制度、カースト制度が堂々と跋扈(ばっこ)する当時のインドで最底辺階級の人間同士が武器を持って殺し合うためのステージ。

 そんな物騒な、ゆえに大人気を博した観戦ステージがあるということで、俺達とヒースクリフは見世物と化した。

 

「時間は?」

「10時50分。あと10分でスタートだな」

 

 端的な質問にキリトは即答する。

 どうやら彼も時間が気になっていたようだ。

 

「まァ~じかよカンベンしてくれ。俺と逃げるかキリト?」

「それやったら、ただでさえ悪名高いのに一躍犯罪者になっちまうよ。前のトーナメントみたいに観戦料取ってるらしいからな。そして100パー覆らないだろう、史上最悪のウワサが流れるのさ……」

「……だよなぁ……」

 

 しかし世間の耳も怖いものである。その噂とやらでキリトを追い詰めておいてよく言えたものだが、狙ってもいないのにとんとん拍子で拡散されていくのだから。

 それに節々に遺憾(いかん)な部分がある。

 何やら俺とヒースクリフがピンポイントでキリトの争奪戦をしていると聞こえたらしく、アスナはほとんど絡んでいないらしい。そう、つまり少年2名と壮麗(そうれい)なおっさん1名による壮絶なスーパードッキリデンジャラス三角関係が成り立っていたのだ。悪夢発生の一因である。

 俺とヒースクリフの会話をどう聞いたらそうなるのか。……まあ、そう聞こえても仕方がない会話をしていたような気もするがしかし、これならまだ少年2名とおっさん1名による薄幸のヒロインアスナ争奪ドロドロ昼ドラのほうが聞こえはいい。

 弱小ギルドの妬みから生まれた印象操作すら疑ってしまう。

 

「これ、勝っても負けてもレジクレに明日はない気が……クソ」

「ジェイドがそうしたんだろ! まったく、どうしてくれるんだよ!? 勝っても負けても明日がないのは俺の方だよ! ただでさえどっかの誰かがユニークスキルを大袈裟に言いふらしてくれるし、ねぐら暴かれて住むとこない状況でこの仕打ちだよ!」

「(ヤッベ、それほとんど俺が原因じゃん……)」

 

 珍しくハイテンションなキリトを尻目に、わずかながら良心の呵責(かしゃく)が罪悪感をつついてくるが、無論それを口に出したりはしない。

 しかし俺にも言い分がある。キリトも本気でいやなら断ればいいのだ。

 考えたくはないが、レジクレとしても加盟が苦痛なら断ってくれた方がいい。なにせ彼の目的はアスナと少しの間コンビを組もうというだけのことだ。ギルド右腕の副リーダー兼《攻略の鬼》の戦闘部隊長ともあれば、数日席を空けるだけで攻略行程に支障が出ることは言われなくとも察せる。であるのなら、バリバリ攻略組のキリトにとっても、アスナと行動を共にするリスクは身に染みて感じているはず。

 ではなぜ、ここまでこだわるのか。

 レベリング効率だろうか。最近ソロではキツい場面も多発しているので、可能性としては1番あり得る。

 だが結局ハイリスクを自覚した時点で、それ以上突っ走るタイプだったかと言われると謎だ。キリトは面倒ごとを極力さける人間だし、現状は十分面倒ごとになっていると言える。

 偏った話、今の彼にとって俺を含む普通の攻略組とコンビを組むことと、アスナとコンビを組むことに意味の(へだ)たりがあるのだ。

 

「(アスナといたい理由ね~……ん? いや待てよ。冗談っぽく美人連呼してるけどあいつはガチなやつだ。てことはアレか!? コイツもとうとうそういうこと考える年ゴロってワケか!? つか真っ盛りなんじゃね!?)」

 

 ヒョイッ、とキリトの方を見てみる。すると彼は俺の視線に気づきつつも、やや首を傾けてキョトンとしていた。

 童顔、朴念仁、廃ゲーマーらいしズレた自信。まさにそんな表情だ。

 

「(いや見ろよこのむぼーびな顔。この攻略脳が女と2人でいたいとか……けど、無きにしもあらず。経験不足ってんなら、アスナがちょろっと色気使えばすぐオチそうだしな。ちょいとつついてみるか)」

 

 「さっきからどうしたんだよ、ジロジロ見てきて気持ち悪いな」などとのたまう失礼なキリトを無視し、俺はキリトの両肩をがっしり掴んで言い放つ。

 

「キリト……アスナのことが好きならコクっちまえよ。イケるって絶対」

「こ、ここコクぅぅっ!? なっ、なに言い出すんだ急に!?」

 

 キリトは慌てて否定しようと大声を出すが、完全な否定系にはなっていない。おまけにその慌て方というのも、普段の彼らしからない気がした。

 これはますます怪しい。

 俺は悪ノリを通り越し、背徳的な嗜虐心(しぎゃくしん)をエネルギー源に言葉を連ねる。

 

「わかるぜ~、廃人には無縁のカワイイ女の子……コンビ組もうなんて言ってきたら、期待ふくらみすぎてマドわされてもしゃあねぇよ。キリトはフツーだ」

「誰が惑わされた、誰が! そして勝手にわかるな!」

「でもさっき、アスナが嫌いとは言わなかったぜ?」

「うっ……くッ?」

 

 キリトがサッと頬を朱色に染めると、俺は畳み掛けるようにジリジリと距離を詰め、さらに逃げ場のない壁際へと追いやる。

 実際には好きとも嫌いとも言っていないのだが、ことこの状況下においてはいかな彼も判断力が低下しているようだ。

 

「言えるか? アスナのことが嫌いってホントに言えるか?」

「うっ……そりゃ……言えないけど……」

「フフン、そうだろう。そういや今日の朝までは私服だったんだってなアスナの奴。キリトに会う時だけ気合い入ってるよな~」

「たまたま……だろ……」

 

 思いあたる節があるのか声に元気がない。

 別に両想いなら悪いことはしてないだろ、という極めて一方的な理論で武装した俺はさらに質問する。

 

「んじゃあも1つ聞くけどよ、アスナに最初に会った時、あいつのどこを見たよ?」

「どっ、どどどこ!? ……って、どこも……そ、それこそ服だよ! 服装!」

「服と、どこ見てた?」

「ふ、くと……服だけ、です……」

「うんにゃ、俺にはお見通しだぜ。目を背けてもムダだ」

 

 すっかりしおらしくなってしまったキリト。即席の否定すら必死で、当人すら自分の反応にさらに困惑する。まるで否定するほど肯定しているかのように。

 結果判断力は欠落し、注意力は散漫していた。

 あげく敬語まで使い出して顔を真っ赤にしているというのに、俺は鬼畜にも彼を壁に縫い付け、背けた顔を俺の方へ戻してからさらに言葉による攻めを続けた。

 

「ムネ……見たろ」

「みッ、みみ見てないよ! 見るわけないだろ!」

「ムネは見てないのに服だけ見たのか? おかしくね?」

「うく……っ!?」

「なァに、男ってのはそーいうトコに目が行くんだよ。細胞が叫ぶんだ。二次元しか興味ないって言い張るオタクもカゲじゃコッソリ見てんだぜ?」

「そ、そんなことは……え、そうなの……」

 

 「たぶんね……」と心のなかで付け足しておくが、本人には聞こえない。

 

「そんだけ魅力があったってことだ。否定したらアスナにも失礼だぞ?」

「そう……なのか……?」

「モチのロン。だいたいネタは割れてんだ。好きじゃなきゃキリトはとっくにこの勝負を降りてる、そうだろう? ガラにもなく熱くなってさ。……なあ、ハナッから食い下がること自体らしくねェんだよ」

「む……ぅぅ……」

 

 討論させるのではなく、1人で会話のペースを独占することは主導権を握る話術の基本だ。別に難しい話ではない。術中にハマってしまえばあとは多少ミスをしても相手が勝手に勘違いを起こすからだ。

 後がないキリトは、論点がズレていることにすら気づかなかった。

 

「ふっふ~ん、けど安心しろって。あいつのはデカいからな。キリトが悪いんじゃない。決してな。これはアスナが悪いんだよ」

「アスナが……悪い……?」

「そう、ムネがデカいアスナが悪いんだ」

 

 ぼーとしだしたキリトに追い討ちをかけにいくのはいいが、なんという超絶セクハラ発言だろうか。音声によるハラスメント対策があれば俺はとっくにブタ箱行きだ。言った俺がビックリである。

 しかしこれは、言わば小中学生による修学旅行などの宿泊先で、恋バナやY談に花を咲かせるのと同じテンションなのだろう。

 何より人が期待された方へ伸びていく現象。つまり、俗に言うピグマリオン効果――だったかな?――が、キリトにバッチリはまっていることがとても面白かった。たいして綺麗に使われていないトイレでも、『いつも綺麗にご利用いただきありがとうございます』と貼り紙し、心理的に実現させようとする例のアレだ。

 キリトは徐々に俺の術中に染まりつつあった。

 

「ま、まぁ失礼だしな。……服見た時に、見えなかったこともないし……けど、だからって好きってことに繋がるわけじゃ……」

「素直になれよ、自分の気持ちにさ。それとも、ここで言うのは恥ずかしいか?」

「それ……はっ……その……」

 

 思えばここでやめておけばよかったのだ。にも関わらず、俺は「あとひと押しでキリトの口から証言が取れる!」などという、誰からも称賛されない達成感を得ようとヤケになって深追いしてしまった。

 そして、越えてはならないターニングポイントをスキップ混じりに踏み越えてしまう。

 

「キリトの口から聞きたい。はっきりって言ってくれ。誰にも言わないからさ……俺らだけの秘密だ」

「う、ん……」

「聞いてるのは、俺だけ……」

「まあ、俺も……好き、なのかも……」

 

 ――うっしゃあァアアアッ!!

 やはりそうだった。俺の読み通り、この攻略バカはアスナのことが好きだったのだ。それをこの、どこかスカした《黒の剣士》の口から言わせてやった。見ろ、顔なんて真っ赤になっていやがる。

 勝った。俺が勝者だ。

 がしかし、謎の優越感に浸るのもつかの間。

 さてこの弱味を使いどうやって揺すってやろうか、なんてゲスいことを考えたその瞬間。ドサッ、という……なにか重量のある布袋が力なく床に落ちるような、乾いた音が真後ろから聞こえてきたのだ。

 そして、それで十分だった。たったそれだけで全身の熱が引き潮のごとく引き、俺とキリトが亜音速で音源を振り向く。

 

「あ……かっ……そ、の……っ!!」

 

 目を見開くキリトは絶望に干上がり、俺に至っては声すらでない。

 そこにはよく見慣れた女性プレイヤーが3人ほど固まっていたからだ。……否、固まっていたと表現すると語弊(ごへい)がある。これを現代文学で一言に(まと)めることは不可能だっただろう。

 怒りにも似た嫉妬。恐怖にも似た悟り。一見呆然としているようにも見える殺意。

 それらの混沌とした激情が融合し、結果的に無表情になっているだけだった。そう、例えるなら、色んな絵の具を混ぜることにより、それぞれがどんな色であれ最終的に黒色ができ上がってしまうかのように。

 

「……ね……ネェ、ジェイド。ナニしてんの……?」

 

 我が恋人のセリフなのに、まるで邪悪な死神が話しかけてきたような錯覚すらした。

 普段の甘く高いトーンからは想像もつかないドスの利いた声。その現実離れした超嫉妬深い彼女の声を聞いて、初めて俺は現実へ引き戻された。

 

「どあァああヒスイッ!? とアリーシャとアスナ!? あああんたらどっどどどこから見てたっ!?」

「素直になれよキリト……から……」

「(ってことは……最っ悪だァアアアアアアアッ!!)」

 

 人生最高の回転数を誇る頭の回転速度で、俺は己のセリフを脳内でリピートしていた。

 素直になれよ、のくだりから俺がどんな言葉を発し、キリトからどんな言葉が返ってきたか。

 確か言い(よど)む彼に本人の口から答えを聞きたいなどと言い、俺自身に向かって無理矢理『好きです』と言わせるよう四苦八苦していた気がする。

 つまり客観的な見え方はこうだ。

 2人きりになった途端、片方の男が別の男を壁際へ押しやり、あらかた言葉責めしたあと「実は好きでした」と決定的な言質(げんち)をとっている。

 誤解だと、弁解する余地はあるだろうか。信頼の深さによってはギリギリある。

 試してみよう。

 

「……誤解だ」

「バイとか……無理……」

 

 ――なかったかァッ!

 ヒスイなんて今にも泣きそうになっている。泣きたいのはこちらなのに。

 

「わ、わたしは……べべ、別に……キリト君が誰を好きだろうと……」

「ちっ違う! 本当に誤解なんだアスナ! 俺はジェイドに無理矢理言わされただけで!」

「シャーーラップ、キリト!! これ以上傷をえぐるでない!!」

「その……2人ともお幸せにっ!!」

「あ、ちょっアスナ!?」

「ってこらヒスイも逃げんな! まだゴカイが解けてねェ!」

 

 アリーシャを除く2人が顔を真っ赤にして逃走。

 これはまずい。ここで逃がして言い訳を並べる機会を脱してしまえば、俺達はこの先永遠に誤解を与え続けることになってしまいかねない。いや、もう手遅れだろうか。

 

「…………」

「さ、察しのいいアリーシャならわかってくれるよな……?」

 

 顔面に脂汗をたっぷり流して最後の希望に(ささ)いてみる。頬が若干染まったまま立ち尽くしているが、すぐさま逃げ出さなかっただけまだ可能性はある。

 なるべく刺激しないように聞いてみたつもりだが、果たして返答は……、

 

「アタシ……気にしないから。……ごゆっくり……」

 

 バタン、と。無慈悲にも扉は閉まった。そこに何か感情があったかと言われるとわからない。何か言いたげだった気もする。

 なんて悠長なことを考えているが、実はすこぶるどうでもいい。今となってはヒースクリフとの試合すらどうでもいい。取り残された男2人の魂もどこかに取り残されたように数秒間の静寂が訪れた。

 そして……、

 

「どぉーすんだよこれっ!? ジェイドのせいだぞこれは!!」

 

 キリトがキレた。

 

「仕方ねェだろ不可抗力だっつーの!! 今から追いかけて事情を説明すりゃあ……」

「それがダメなんだよ! ……く、やっぱり。時間みろジェイド、あと1、2分で試合が始まるんだ。ここで説得に時間を割いたら、俺達は試合に現れなかった臆病者になってしまう。そしてさっき話してた『考えうる最悪の展開』になるだろうさ……」

「男同士で駆け落ち……か。俺とキリトが……んなことするわけねェのに……!!」

「世間に伝わるのが事実だけとはいかない。もうこうなったら試合に集中するしか……」

 

 今はまだヒスイら3人で済んでいるが、NPCを含むとはいえ数千の観客の前で俺とキリトだけ神隠しに会えば、本当に取り返しのつかないことになる。火消しにも限度があるし、最悪うしろ指を指されながらゲーム解放まで生きなくてはならなくなるだろう。

 とそこで、扉が軽く2回ノックされた。

 

「ん……? 誰だこんな時に……」

「なんだ、ルガ君か」

 

 そろりそろりと部屋へ入ってきたのはカズだった。

 ノックしておいて無言とは珍しい。しかも人見知りで内気な上に冴えるところがどこにもない彼――かなり酷いことを言っているが――にしたって表情が暗い。何かあったのだろうか。

 

「あの、さっき1人で歩いてたアリーシャさんに事情を聴いたんだけど……」

『…………』

 

 その一言で俺とキリトが石のようにフリーズした。

 事情を聴いたと言うよりは、カズはこの上ない根も葉もない虚実を聴いただけだと言うのに。早くも被害は絶賛拡大中のようだ。

 

「その……僕も偏見はないよ? だから安心して。アリーシャさんも……どういう意味かわからないけど『むしろ全然アリです』って言ってたし、だから……」

「ヤメロルガァああッ!! 聞きたくないぞ! 俺のギルドにいる奴のあられもないセーヘキなんて聞きたくないっ!!」

「レジクレの教育どうなってんだよ!? だいたい、さっきも考えてみればノックの1つぐらいしてくれればこんなことにはならなかったのに!」

「僕は2人を応援するよ! 悲しさもあるけど、本人の気持ちは尊重しないとね!」

「シャーーラップ、ルガ!! これ以上ややこしいこと言うな!」

 

 そんなことをあたふたと言っていると、『さぁお待ちかねですご来場の皆様! ただ今より、世界に1つしかいない《ユニークスキル》をそれぞれ獲得したプレイヤー3人による……』というバカでかい運営のアナウンスが会場の方から聞こえてきた。

 タイムアーップ。

 マイライフイズザファイナルエンド。文法など知らない。

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイ……」

「落ち着けキリト! いいか、あわてたって状況は変わらない! こういう時は手のひらに『落ち着け』って3回書いて飲み込めば落ち着けるってばっちゃが……」

「落ち着けジェイドっ!!」

 

 こうして波乱万丈な午前が過ぎた。何もしていないとそれはそれで疲れると言うが、何かし続けるのもこれはこれで疲れる。

 新しい発見である。

 

 

 

 ああ、ちなみに心理状態的に言うまでもないかもしれないが、試合は2人ともヒースクリフに負けて終わった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。