SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第95話 悪夢再び(リターンナイトメア)

 西暦2024年10月23日、浮遊城第1層。(最前線75層)

 

 我ながら面倒なことを引き受けてしまったものだ。

 元はと言えば、俺が「なんでも言うことを聞いてやる」なんて先走ったことを約束したのが原因だが、いざ引き受けてみると改めて反省せざるを得ない。

 だからといって「聞くだけです~! 実行はしませ~ん~!」なんて、子供のようなことを言える雰囲気ではなかった――《聖騎士》相手に当たり前だが――ので、俺はヒースクリフから受けた命令を地味に進めつつあった。

 

「じゃあキバオウを筆頭とした《軍》の急進派が、何かたくらんでるってことか?」

「そうなるのう。ただ確証はなくてぇな。じゃあ具体的にと聞かれれば、ぶっちゃけ答えにつまるの」

「ふ~ん……」

 

 ここは第1層の《はじまりの街》。相手は渋い顔をした短髪の初老。

 慰霊碑(いれいひ)兼、悪どい犯罪者を閉じ込める牢屋でもある巨大建築物《黒鉄宮》の前で、クロムのおっさんはそんな風に歯切れ悪く答えた。

 なんでもヒースクリフが言うには、《軍》こと《アインクラッド解放軍》のやや攻撃的な動向が目に余る反面、裏で言いようもない危険な臭いが漂ってきているらしい。

 茶色のトゲトゲ頭がチャーミングポイントな軍の急進派代表格、キバオウの名前がここで挙がったのもそのためである。

 しかしなぜ、KoBがそんなことを。言ってしまえば『他人事』を気にするのだと思うだろうか。

 詳しく聞いてみると、どうやらトップギルドの中でも温厚アンド誠実なKoBは、下層中層のプレイヤーから厄介ごとの解決を依頼されることが多々あるらしい。

 依頼主、つまりミドルゾーンの人達の心境はこうだ。

 『《圏外》で軍の連中から嫌がらせを受けている。どうにかならないか』。

 『しかし相手のレベルがわからない。下手に刺激して相手が高ランカーだったら、逆に今まで以上に危険にさらされるかもしれない』。

 『最高レベル集団で、頼れる人に相談しよう』。

 『そうだKoBがいる。彼らは弱い者にも優しいし、フィールドに出て危険に飛び込むぐらいなら、お金で解決した方が結果的に安くすむだろう』。

 というわけだ。

 

「(KoBも大変だなぁ……)」

 

 それこそ、他人事のようにため息をついた。

 相談内容には解決までの難易度のバラつきから、そもそも信憑性すら定かではない被害妄想じみた怪しいものまで様々らしい。

 しかし困っている人を放っておけないのは、民族の(サガ)とギルドの方針。ある意味、身持ちの堅いアスナですら全幅の信頼を置く、《聖騎士》ことヒースクリフが率いる天下の血盟騎士団だ。いくら乗り気でなくとも「知るか! 自分で解決しろボケ!」とは言えず、最終的に金さえ払ってくれればある程度は引き受ける形になったらしい。こんなところでもDDAとは差が出る。

 と、そんな折りに。

 《はじまりの街》とその周辺層で、《軍》によるまさかの『徴税』が始まったことは記憶に新しいが、その対象者が『突然の徴税には裏があるに違いない。これでは反感を買うだけなのに』と言ってきたらしい。

 確かに一理ある。俺も徴税するゲーマーが現れるとは思っていなかっただけに、最初に聞いた時はにわかには信じられなかった。それは現実世界の消費税率が50%になっても国がメリットを得られないのと現象は似ている。民あっての国なのだから、限界を越えた徴収はむしろ裏目に出てしまうだろう。

 ではなぜ、《アインクラッド解放軍》はその体裁と信頼を犠牲にしてでも、ただでさえ貧しさにあえぐ多くの市民から金を巻き上げ始めたのか。

 俺的にはただ失政に見えるが、当の本人らには自殺行為に等しい強行策の裏に重大な謀略(プロット)があるに違いない。と、こう見えたらしい。

 

「ボーリャク厨うぜ~。つーかこれ、テキトーに言ってKoBの力を借りつつ、軍の暴走を止めようって腹なんじゃねェ? これで止まれば悪いことなしだ。市民は安全を取り戻し、金とメシには不便しませんでしたとさ。めでたしめでたし。……ったく、こんたん見え見え。付き合ってらんねーよ」

「そう言うでない、お前さんから聞きに来たんじゃろう? 不自然な集金現象が起きとるのは事実じゃ。現にトップのシンカーさんやその側近が止めに入っても、キバオウらを押さえ込めなかったしのう。わしとて徴税には反対したんやぞ。あ~あと、最近74層ボス攻略戦で死者を2人出したのは知っとるな?」

「そりゃあ、75層を解放したの俺だからな。その場に居合わせてたよ」

 

 軍の中佐コーバッツは、たった2パーティ分の戦力を引き連れて玉砕していた。

 それを止められなかった虚しさもあるが、人が死んだショックは嫌というほど記憶に刻まれている。忘れろと言われても難しいだろうし、ましてやあれからまだ5日だ。

 

「……そうじゃったな、すまん。ただ、それなら余計わかるじゃろう。軍のトップ連中12人を勝手に最前線に送り、しかも2人も死なせてしまった。……保身ばかりで攻略に参加しない今の解放軍に不満を持たれ、それを打開しようと無策に突っ込んだ結果でもある。指令を飛ばしたのは急進派の連中で、金と信頼を一気に失った奴らは相当焦っとるで」

「そこでシンカーら保守派にギルドの政権……つーとギョーギョーしいけど、ようは主導権を取られたくなかったってわけか。保守派さえ黙らせておけば、多少の不満や反感は得意の強引さでなんとかなる、と」

 

 リスクが上がるほど権力者は保身的かつ狡猾(こうかつ)になる。慧眼(けいがん)なくとも悪知恵ははたらく。

 無慈悲な独裁も持ち前の拡大解釈であら不思議。立派な『統制行為』に変わるのだから、旨み(リターン)のある仕事はやめられないのだろう。責任の押し付けあいは絶賛お互い様で。

 

「シンカーさん達、保守派の影響力が弱まっとったのもある。元より攻略に参加さえしてくれれば、急進派にも大義はあるし支持率も高かったんじゃ。宣伝のうまい急進派に世論が誘導されるのは、時間の問題だったのかもしれんのう……」

「ふむふむ」

「もっとも、KoBに相談しに行った男はそこまで考えとらんかったようじゃ。彼らがこれを無視せんかったのは、放っておくと軍資金を得たキバオウらの暴走で大事になりかねんと思ったからかのう」

「…………」

 

 なるほど。今さらではあるが、『軍には極力関わるな』という決まり文句ができ上がってしまうほど、《軍》という組織はキナ臭い。内部が不透明なぶん、アインクラッド最大ギルドが本気で内輪揉めを始めてしまったら、間接的に殺人事件すら起きかねないのだ。

 であるのなら、確かに誰もが面倒で仕方がないと感じるだろう本件も、ぞんざいに扱えないのかもしれない。

 例えばこれがヒースクリフの耳に入ったとして、誰か使えそうな駒がKoBに転がり込んできたとしたら、その駒使って低コスト調査ぐらいはするだろう。

 

「(……ま、その『駒』ってのが俺なんだけどなッ!)」

 

 内心ヤケクソになりながらもクロムのおっさんに礼を伝え、そろそろ回りくどいことやめて軍の本部に(とつ)ってみるか、などと考えつつその場をあとにした。

 と言っても、想像以上にあれやこれやを話してくれたおかげで、正直軍の本部に腰を下ろすお偉いさんにインタビューでもしなければ、さらなる進展は望めないだろう。

 彼もよくあれだけのことを知っていたものだ。やはり閉鎖されたギルド内とその外では、情報の拡散具合に差があるのだろうか。

 

「(ま、おっさんの門番シフト直前に会えてよかったよかった。……さ〜て……)」

 

 ものの数分で《黒鉄宮》の外周をなぞり、俺は《軍》の戦闘員が狩りや補給の中継拠点として、頻繁(ひんぱん)に活用されるテント群の鼻先へ移動していた。

 テント群といっても、周りは破壊不可能なカーペット状の柵で覆われており、らしさと言えば視界の端に映る丈夫そうな三角形の布だけだ。中にテントがいくつも張られている、と教えられなければ、ギリギリ実態がわからないレベルである。

 囲いの唯一の入り口へ視線を向ける。

 そこには椅子というよりは丸太に近い雑な木片に座り、これもまた円形の木材テーブルを囲ってカードゲーム――ギャンブルだろう――にふける若い3人組に目がいった。

 なるべくカジュアルに話しかけると、「出入り基本自由ッスから」などと言われて浮遊城の刺繍(ししゅう)が入った暖簾(のれん)をくぐらせてもらう。

 関門とも言えない関門を、俺はいとも簡単に突破した。

 電子ロックをかけろとまでは言わない。しかし人数が多すぎてメンバーを把握しきれないからかは定かではないが、拠点の警備がこれではザル過ぎる。

 

「(ま、セキュリティばんばんよりは死ぬほどありがたいから、全然ウェルカムなんだけどさ……)」

 

 彼らの性格が特別フラットだからというわけではないのだろう。なぜなら盤上型のテント群エリアに侵入しても、俺に視線が集まらないからだ。

 急に視線が集まらないと文句を言うナルシストになったのではなく、普通ギルド外のプレイヤーが我が物顔で敷地をのしのし歩いてきたら「誰だこいつ?」となるだろう、という意味である。

 これもまた不便ではないので逆に感謝するべきだが、どうにも心配になる。ここまで無関心になるほど兵隊達の士気を極めて損ねたのが、74層攻略戦における久々の『死人』と理解しているだけに、それを乗り越えてステアップに励んでくれないと俺の立場がない。

 何て考え事をしているうちに、俺は一際(ひときわ)高級で作りのいいテントの目の前へ来ていた。

 保守派のシンカー。

 急進派のキバオウ。

 多忙な彼らがどこへいるかなど本来知るよしもないはずだが、それなりの階級を持つクロムのおっさんから指南を受けた今日の俺は事情が違った。

 小学校の林間学習ではないのだから、テントそのものも高さ3メートル以上はあるわけで、俺は背を丸めることもなく入り口から侵入してみた。

 そう、『侵入してみた』のだ。当然怒られた。

 

「お、おい! おいおいおい」

「4回言うな」

 

 物置から袋のような物をコソコソ引っ張り出しながら食いついてきた男に突っ込みを入れつつ、慎重に辺りを見回してみる。

 すると、目に飛び込んできたものは熊の毛皮に上質な絨毯(じゅうたん)。飾るためにだけ作られた銀鎧、さらには壺のような形の骨董品。その他、感心するほどありとあらゆる嗜好品が立ち並んでいた。

 なるほど《はじまりの街》でプレイヤーがその日のメシを食うのに困っている中、結構な暮らしを堪能しているらしい。

 

「いや勝手に入ってきちゃいかんでしょう、どこの所属よ君。一応立ち入りの可否は階級で決められてるし、許可制なんだから……」

 

 早口で言う男は、濃紺色の袋を慌ててしまいながら俺に近づいてきた。

 しかし俺の顔を見てすぐに気づく。

 

「ん? ……っあれ、あんた!? 《暗黒剣》のジェイドッ!?」

「な、なんやてっ? おいコラ、ジェイドはんがなにしに来たんや!?」

 

 同時に奥の部屋からぞろぞろとプレイヤーが出てきて、静まった湖畔(こはん)に石でも投げ込んだかのような波紋が広がる。

 最前線の地図のようなバカでかい羊皮紙を広げ、部下とミーティングをしていたらしいトゲトゲ頭の男が席を立って詰め寄ってきた。

 彼こそが俺の探し求めていたプレイヤーだ。

 「ベイパーは下がっとき」という命令により、先に話しかけてきた男が1歩身を引き、辺りの連中まで各々の会話を中断してまで俺を凝視してきた。コミュ障真っ盛りの2年前なら、これだけであっという間に脳内オーバーヒートを起こすところだったが、俺が問い詰める立場であることも相まって、意外とスムーズに声が出た。

 

「どうもこうもねぇよ。最近あんたら千人規模の団体様からコルをパクってるらしいじゃねぇか。建前はみんなで協力か? 元より貧しさにあえいでんだ。連中からなけなしの金をむしりとっても……」

「関係あらへんやろッ!」

 

 キバオウの鋭い先制により、俺はシミュレートしてあった続く言葉を発せなかった。

 代わりにキバオウが隙間を埋めるように言葉を連ねる。

 

「ジェイドはんには世話になったわ。そりゃあな、例の件(・・・)のこともある。けどこっからはワイら《軍》の話や。関係あらへんやろ? 今まで負担は戦闘員に(かつ)がせとったが、それじゃアカンおもてリスクを末端まで分散しただけや」

 

 これはまた突っ込みの難しい返しだ。なぜなら、道理が通っている。クロムのおっさんもこういった返しのうまいところが急進派の強みだと理解していた。

 のべつまくなしに言い訳したのではない。

 彼らにあまねく大義名分がある以上、俺も当たり障りのないことしか言えなかった。

 

「……けど、その不満をKoBに訴える奴までいた。訳あってここへは俺が来たけど、ようはストレスたまって取り返しがつかなくなる前に忠告しに来たんだよ。あんたも嫌だろう? シンカーの席ばっか目が行って足元すくわれんのは」

「ワイらの場所、身内で不満、保守派寄り……はっ、クロムオーラあたりの差し金やろう。面倒かけたな。やが、大きなお世話や」

「……ったく、察しはいいくせにのっけから否定すんなって。ほら、話し合いとかじゃ解決はムリなのか?」

「やるで。シンカーはんとの協議は数日後に控えとる」

「まぁだとおもっ……え!? うそ、話し合うの?」

「だからそう言うとる。なんも平和的に争えるならそれに越したことはない。……どっちがトップに相応しいかをな。ワイにギルドマスターの器がないと判断されたら、大人しく引き下がるつもりやったわ」

 

 これだから片方の意見だけを聞くと危険なのだ。

 その話し合いとやらでキバオウらが納得すれば、また元通りになれる可能性がある。どちらが主導を取るにせよ、ねじれた運営サイドが(まと)まれば《アインクラッド解放軍》全体のフラストレーションも収まっていくだろう。

 そうとわかれば話は早い。確かに俺のお節介は大変大きなお世話だった。

 トゲトゲ頭は考えもなしに好き放題やっていたわけではない。これだけでも収穫である。あとはことの次第をヒースクリフに伝え、彼らの好きにやらせると進言すればこの仕事も終わりだろう。

 俺はキバオウに「ならいいよ。勝手に入ってきて悪かったな、ここの警備ザルだったもんで」とだけ言って、しれっとテントを出ようとした。

 だがそこで背中から声をかけられる。

 

「……ワイからも1つ、忠告したるわ」

「あん?」

 

 よもや突撃インタビューした俺の方へ話すことがあるとは。

 声とは裏腹に多少興味を持ちつつ、俺は続きを促した。

 すると……、

 

「おかしなっとるのはワイら《軍》だけやないんや。《DDA》も《KoB》も……」

「ちょっ、キバオウさん!?」

 

 入り口でいち早く俺に気づいた男、つまりキバオウに先ほど『ベイパー』と呼ばれていた長身の男が、ここで食って掛かった。

 俺としてはクエスチョンマークだが、彼らにも事情があるらしい。

 

「ええやろ、ワイらとあいつらは、そう仲のいい集まりやないで」

「それは……そうですが……」

「話が見えんのだけど、それは《軍》の情報ろーえーに繋がることなのか?」

「いやそうやない。が、ことがことだけに大っぴらには言えん。……ええか? 他言無用や。以前借りたもんはここで返すことにする」

 

 『以前借りたもん』と言葉を(にご)したのは、おそらく《はじまりの街》の地下ダンジョンのことだろう。

 新フロア発見に浮き足だって独占しようとするあまり、直属メンバーを危機に晒し3人の死者を出してしまった愚行。それは今も封印される俺達の記憶の中だけの話だったが、彼自身が作った借りを返すというのだから、きっとそれは『それなりの情報』だと推測できる。

 ますます聞き逃すわけにはいかなくなった俺は、盗み聞きされないようキバオウと別のテントへ移動し、先ほどの空間とは対照的に掃除すら行き届いていない物置で話に乗った。

 

「さっきも言うたがここだけの話や。ワイら軍の中にもおるやろうが、トップギルドの一部にも『奴』の影がチラついとる」

「奴……? っていわれても心当たりないけど」

「あるはずや。レッドギルド《ラフィン・コフィン》の元トップ、PoHのことなんやからな」

「なッ!?」

 

 今度こそ俺はパフォーマンスではなく息を呑んだ。

 2ヶ月間、足取りの『あ』の字も掴めなかったPoHは、何もひっそりと潜伏して罪の時効を今か今かと待っていたわけではなかったのだ。

 「動向が掴めんだけに気が散るわ。今度の事件の規模は小さいやろな」と続けるキバオウには同意する。

 あいつは活動を再開している。この瞬間も次の殺人を頭に浮かべ、手口を考案し、それを実行せんと網を張っている。本人が卑劣(ひれつ)で残虐だっただけに、先の戦争で敗北した反動によって今までになくキレているだろう。控えめに見ても危険すぎる存在である。

 そんな人間が、トップギルドに毒牙を向けているらしい。

 かつてメンバーのステータス的ハンデを負いながら、最前線エリアまで席巻(せっかん)したラフコフは、その中核が生き残っているのを忘れてはいけない。

 

「ワイもこの事実を掴んだのはつい最近や。あんさんも素性探っとったなら知っとるやろう。奴はこの2ヶ月半で戦力拡大をせんかった(・・・・・)。せやかて寝とったわけでもない。……奴は、かつて3大ギルドと呼ばれたワイら《軍》、DDA、KoBにそれぞれ接触しとったんや……」

「んな……アホなこと……ッ」

「冗談みたいな話やから盲点なんや。灯台もと暗しとはこの事やな、誰もそないなことは考えん。奴は群れで行動するのをやめ、まるでヘビかなんかみたいにじわじわ1人ずつ標的を絞ったんや……」

 

 それが真実だとすれば確かに盲点だ。俺はオレンジギルドとPoHとの関係を洗っていたが、よもや最前線のトップギルド相手にこれほど大胆なことをしてくるとは。

 もちろん、これでは大きなギルドを壊滅させられるほどの戦力は得られないだろう。よくて1人か、多くとも2人程度のプレイヤーをたぶらかすのが関の山である。そこに本人が加わったとしても総戦力などたかが知れている。

 つまりこれは、今のPoHから攻略組壊滅の野望が消えていると見ていい。

 純粋な悪意が渦まいていた初期の頃だ。

 組織的な戦争ではなく、極めてミクロな殺人劇。

 誰が何を得するわけでもない。殺人快楽者にとっては人を殺められるかどうか。部下など使い捨てで構わないし、戦力の増強など一時的で構わない。

 狂った奴らしい手口である。

 

「誰がどこまで接触してるかとか……まあ、わかんねぇよな」

「……せやな……」

「この分だと規模も1人、2人って話だ。くそッ……タチがワリィ……」

 

 だがここで、思ってもみない情報を突きつけられた。

 いや、むしろこれは真っ先に考えなければならないことだったのだろう。

 

「せやけど……過程がどうあれ、最終的なターゲットなら知っとる……」

「ターゲット……?」

 

 PoHが何をもって殺人を成すのか、誰の首をもってそれを成功と見なすのか。

 

「言い辛いが……キリトはんと、お前さんや……」

「な……にっ……!?」

 

 予想していなかったわけではない。どころか、今までの奴らの殺人計画への度重なる妨害行為を数えれば、俺やキリトは真っ先に報復してやりたい筆頭候補だろう。

 だが、のしかかる重圧は圧倒的だった。

 苦手な科目で教師にマークされている授業でも、実際に指名されたら心構えどうこうの話ではなく一瞬固まるのと一緒だ。心のどこかで身構えていても、事実を叩きつけられると放心状態になる。

 しかし……、

 

「まあ……ちょっかい出した時から覚悟してるさ。ラフコフ潰しでレジクレの知名度上げたぐらいだからな。やり返すなら俺だろう……」

 

 あとは、キリト。ミンストレルが情報屋として健在の頃から、もっと言えば俺がソロの頃からキリトとラフコフには因縁があった。

 しかもそのことごとくに勝利し、俺達はなお生き残っている。殺人ギルドと言い放った奴らからすれば、殺せていない俺達ほど虫の居処が悪い存在もないはず。

 そして今もソロのキリトは格好の獲物だ。真っ先に心配した相手が俺自身でなく彼だったのは、PoHの起こせる殺人の限界人数が『1人2人の話だ』と結論づいていたからに他ならない。

 

「だとしたらキリトはヤバイぞ。あいつの動きは筒抜けだ……」

「なんやて……?」

 

 呟くように言ったつもりだが、それを聞き取ったキバオウはその言葉を拾う。

 

「筒抜け言うても、普通は行動を隠すやろう?」

「少し事情が違う。俺がユニークスキルをバラしたせいでねぐらも暴かれてるし、あいつはヒースクリフに敗けたあとKoBに混ざって訓練するって言ってた。だからソロでこそこそレベリングしてた時に比べて、結構な奴に動きが割れてる」

「KoB……っちゅうと、あるかもな。報復が……」

 

 考えたくはないし、今すぐ起きるとは思ってない。そもそもKoBとて攻略集団だ。いくらPoHでもあの集団に手を出すのはリスキーすぎる。

 しかし、羽虫がのそのそと目の前に湧いたような悪感が背中を走っていた。いや、この感覚はもっと抽象的かもしれない。何をすればいいか具体的には思い付かないが、何かをしなければ親に怒られそうな休日の昼間のような焦燥感だ。

 その胸騒ぎに俺は逆らわなかった。

 

「話してくれてありがとよキバオウ。俺ちょっとKoBんとこ行ってくる」

「……せやな、まあ注意喚起だけでも意味はあるやろ。今回は止めへんわ」

 

 あいさつを済ませて帰ろうとしたが、俺はふと足を止めた。

 軽く振り向きなんとなく、本当になんとなく確認をとってみる。

 

「……なあキバオウ、シンカーとはきっちり話し合うんだよな? その、武力で訴えるとかじゃなくて」

「……ホンマにお節介やな。せやかて、何度も言うとるやろ。さっき隣におったベイパーはワイに敬語こそ使っとったが、あいつの立場は事実上無所属や。ワイとシンカーはんの仲介人として、どっちも武装解除した上で安全に話し合う手はずを整えてくれとる」

「…………」

 

 十分な回答が聞けた。

 これ以上疑うのはさすがに失礼だろう。

 

「わかった。じゃあ今度こそ見てくる」

「……そか。せいぜい気ぃつけるんやな」

「ああ、油断はしねェよ」

 

 そう言って俺は出口へ向かった。誰かの手に引かれるように、何かに背を押されるように。

 ところで、後悔先に立たず、ということわざがある。『後悔』という言葉の定義がすでに先に立つものでもはないが、誰もが知る非常に有名なことわざである。

 そしてこの時、俺はまんまとしてやられた。

 物置らしき暗いテントから出ようとした時、もしかしたらキバオウは不敵な笑み(・・・・・)でも浮かべていたのかもしれない。

 それを俺が知る術は、後にも先にもないのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 《軍》の駐留テントから早足に脱出した俺は、悲しいことに真っ先に空腹に見舞われた。

 現時刻はすでに11時を回ろうかという頃で、朝は「9時に集合してくれたまえ」などと注文を付けるヒースクリフに合わせていた。おかげで朝からあまりヒスイとラブラブできず、しかも寝坊していたせいで遅刻寸前。今日は起きてからまだ何も口にしていないのだから、まったく納得のいく空腹状態だった。

 それに先ほどの情報収集も気の休まる内容ではなかったのだ。精神的な疲労が重なり、とてもではないがこれでは攻略すらできないだろう。精神的疲労を侮ってはいけない。オフィスワークで1日中パソコンに向かい合う職場でも、土木工事で炎天下において激務に追われる職場でも、腹はみな同じように減る。

 ギルドホームに帰ってヒスイに頼めば、ちゃちゃっとまかない料理のようなものを出してくれるだろうが、往復するには距離もあるのでなかなか悩ましいところだ。

 

「くっそ、腹減った……けどここはガマンすっか」

 

 誰にもいないことをいいことに独り言を呟くと、俺は《転移門》から誘惑を降りきって『鉄の都』こと《グランザム》へ転移していた。

 寒々しい風が吹き抜ける感覚にはもう慣れたものだが、俺が本部に行ったところでキリトに会わせてくれるかは問題である。どのみち《軍》の報告でヒースクリフには会わないといけないので、ついでに彼の場所に案内してもらおう。

 ――ちょっとぐらいならユーズー効くだろ。

 と、そんな呑気なことを考えていると、圧迫感のある大通りの奥に妙な光景が広がっていた。

 

「(あれ……キリトか?)」

 

 場所はギルドの本部ではない。だいぶ離れたフィールドへの出口、《グランザム西門》の手前だ。建物の並びが碁盤格子(ごばんこうし)状になっているグランザムでは、直線上のものなら遠くても見通しがいいから助かる。

 隣にアスナがついて歩いていることからも、近くの彼がキリトであることは確実だろう。普段と違って真っ白な団服に身を包むせいで、《黒の剣士》というレッテルが逆に本人である認識を遅らせたが、よく見れば背負う直剣も2本ある。

 俺はこそこそとストーカーのように後を追ってみた。

 

「(あ、なんかこれいつぞやを思い出すな。キリアスの監視みたいな……)」

 

 今は懐かしきソロ時代。《フレンド登録》を済ませたプレイヤーはおろか、気の許せる友人もいなかった俺は、確か彼らが楽しそうに会話する姿をこんなふうに羨ましがりながら、そして(うら)みながらストーキン……もとい、正義に従い監視していた気がする。

 はっきり言って弩級の黒歴史だ。

 万が一本人達に知られようものなら本格的にマズいことになる。

 

「(まあ、これは心にしまっておこう。……つかなんだ、この集まりは?)」

 

 白い団服を着る剣士が5人。風の噂に聞くKoBの訓練というやつだろうか。ギルドの行動スケジュールは機密レベルの高い情報で、当然俺も彼らの行動を把握していたわけではないが、どうも小隊戦闘特訓の出立(しゅったつ)直前だったらしい

 無論、今さら55層なんて低階層で訓練してもたいした戦果は期待できないはずなので、大方フォーメーションやらハンドサインやらの統一化が目的だろう。かのユニーク使いソロプレイヤーキリトも、ここではただの新人である。

 監視することへの抵抗感も相まって、つい謎のテンションに引かれつつ、俺は苦労ついでにその集団に話しかけてみることにした。

 

「よぉキリト! KoBとおでかけか!?」

「ん? ああ、ジェイドか。おでかけ……というより訓練だな」

「ジェイド……と言えばギルド《レジスト・クレスト》の! いや、《暗黒剣》と呼んだ方がいいかな?」

 

 モジャモジャ短髪天然パーマな大男はガッハッハッ、と笑いながら切り出す。

 声のでかさや口調、態度から考えても豪快そうな男だ。リーダー格なのだろうが、大柄な体格からも「こいつハーフか?」と勘ぐってしまう。

 それにしても、厨二全開な俺からすると《暗黒剣》なんて願ったり叶ったりなのだが、1歩身を引いて客観的になぞってみよう。すると、これがいかに恥ずかしい二つ名かが見てとれるだろう。あだ名で呼ぶのは身内でやるから楽しいのだ。

 複雑な気持ちで息を吐き、俺は無難に受け答えした。

 

「フツーにジェイドでいいよ。あんたと会ったことあったっけ?」

「ボス部屋で数回な。私はゴドフリーだ。おっと、気づかんのも無理はないだろう、気張った日はフルフェイスの兜を被っているのでな。ガッハッハ!」

「あれって逆に視界悪くならねーか」

「慣れさ! ちなみに、私は小隊の指揮を預かっている。先の団長との戦いで敗れたキリトは、正式に《血盟騎士団》へ加入する運びとなったので、フォワードを任されるこの私が1度実力を確かめておこうというわけだ」

「ふ~ん……え、アスナも?」

「あっ、わたしは違うのよ。ここへはたまたま……」

 

 本人は否定するが、目がそよそよとキリトの方角へ向いた辺り、『たまたま』でないことは間違いないだろう。

 

「メンバーは4人。私を含み、キリト、クラディール、キャリィだ」

「き、キャリィ? そいつ男だろう」

 

 俺が無礼にも指を指すと、男は甲冑のアイガードで顔を隠しながら「言わないでくれ……ッ」なんて抜かしている。女々しい奴だが、名前からして元ネカマだろうか。

 

「フルで言うとキャリアン・ロウ。《ネームチェンジ・クエスト》は1度も受けていないが、本人いわく名前は変えたくないらしい。つまりは変わり者だ」

 

 またもガッハッハッ、とゴドフリーは笑う。こいつはいつも楽しそうだ。

 個性派揃いで羨ましい限りである。なよなよした甲冑の男もキラキラネームに不満はないのだろう。見たところ命名の理由までは話してくれそうもないが、口で言うほど嫌がっているようには見えない。

 最後の男はクラディールと言ったか。

 蒼白で血色の悪い顔色、俺によく似たキツい三白眼、削れるように(くぼ)んだ頬、どれをとってもガリガリで俺以上の不健康男だが意外に若そうな感じである。俺と5つも違わないと見た。

 それにこんな奴でもトップの端くれ。さぞかし高レベルで腕のたつ男だろうと推測できる。

 

「……ん、いや待てよ、クラディールだ? ……って、確か74層攻略戦前にキリトがもめたっ言う……」

「はい、先日はご迷惑をお掛けしました。申し訳なく思っております」

 

 俺に反応したクラディールと呼ばれた男は、そう言って深々とお辞儀をして見せた。

 聞いていた悪い印象と目の前の男の人物像がだいぶ違っていたので、試しにキリアスコンビにアイコンタクトを送ってみたが、当のお2人さんも首をかしげるだけだった。

 ゲーマーにしては珍しい低姿勢と手のひらの返し様だが、まさかキリアスコンビは制裁と称して、トラウマを植え付けるまでボコしたりしていないだろうか。

 

「……ま、まあこんだけいりゃむしろレジクレより安全か……」

「ん、それはどういう意味だ。ジェイド」

「ああ、こっちの話だ、気にすんな。じゃあ時間とらせて悪かったな。俺はおいとまするよ」

 

 決闘で敗けた俺への依頼はヒースクリフに《軍》のことを報告し、PoHについて注意を喚起させておけば終了だろう。

 (くや)しくはあるが、せっかく馴染んできたキリトに対し、ギルドの危険性について講釈を垂れるのも(はばか)られる。第三者目線からしたら、キリトの争奪戦に負けた俺の忠告は負け犬の遠吠えであり、ただの八つ当たりだ。

 それに、先ほど俺はPoHの魔手が何も今日この瞬間に降り下ろされることはないだろう、という結論に至っていたはず。心配も度が過ぎれば心配症である。

 

「(ったく、ヤローの名前が出るとすぐこれだ。悪い想像がクセになってんな。反省しねぇと……)」

 

 そう考えた直後だった。またゾクッ、という悪寒に襲われた。今度はさらに強烈なものだ。

 脳に電流が流れたかのように、あるいは脳に流れる危険信号をダイレクトに感じ取ったように、過去のやり取りを思い出す。

 74層攻略戦前、キリトはアスナと一緒に行動することをクラディールに邪魔されたと言っていた。しかもその理由が俺と違って、ガチのストーカーじみたアスナへの信仰心からだ。

 彼女は今回の訓練には同席しないという。揉める原因を作った罪深い本人様なのだから、キリトらの関係改善を図る上でその判断は正しいともとれる。……が、俺から言わせれば生命線が1つ失われたようなものだ。

 キリトのアウェイでの初訓練。

 以前からのいざこざ。

 よもや本人達を前に堂々と「ここは危険だ」などと話すわけにはいかないが、俺はいてもたってもいられなくなり、結局足を止めてまた話しかけていた。

 

「なあゴドフリー。何度も悪いんだけどさ、この訓練って特別ルールとかあんの?」

「特別ルール?」

「やーほら、こんな層楽勝だろ?」

「まあ、実戦に近づけるよう結晶アイテムは預かったが、訓練内容はどこでもやっているようなものだぞ。ここは低層だからアクシデントにも対応できるだろう」

 

 なるほど理にかなっている。ただそれも、『敵がモンスターのみなら』だ。おまけに回収されたクリスタル系アイテムと言えば、それこそ最もメジャーな生命線である。

 ここでも1つ、胸を撫で下ろしてキリトを1人にはできない理由が生まれてしまった。

 彼以外の3人には悪いが、俺は突然舞い降りたこの《超感覚(ハイパーセンス)》じみた直感を信じて3人を疑ってみることにした。

 

「なんつーか、あぁ〜……俺もヒースクリフに敗けた身だしさ。ちょいとムリを承知で頼んでいいか?」

「ふむ、無理なことでなければな」

「ハハッ確かに。……で、その『訓練』ってのに俺も1回参加させてくんね?」

 

 この時の俺はまだ危機感もなく、喉に引っ掛かる程度の楽観的な心構えでいた。

 それが決戦の鐘の音とも知らずに。

 

 

 

 


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