SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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章の途中で投稿が大変遅くなってしまい申し訳ありません。
また遅れましたが、お気に入り数が1400件を越えました。感謝感激です。


第96話 悪の最終走者(イービルアンカー)

 西暦2024年10月23日、浮遊城第55層。(最前線75層)

 

「ふぅむ……」

 

 とゴドフリーは短く(うな)った。

 体験会ではないのだ。いきなり「訓練に同行させてくれ」と言われても、自分の一存で決めていいのだろうか。そんな懸念を示したのだろう。

 基本的にギルドのスケジュールは秘匿(ひとく)されることが多い。なぜならそれが割れると、今度はスポットの取り合いになったり、はたまた待ち伏せされて危険な目に遭ったりするからだ。発生するのはリスクだけだと考えていい。

 行動は基本的に漏れない。ゆえに、敵対関係にない小ギルド同士がフィールドでばったり会うと、異様にテンションが上がるのである。

 だがゴドフリーの逡巡(しゅんじゅん)は一瞬だった。

 

「まあ不都合はない。それに《暗黒剣》なんてネームバリューをうちが独占できるんだ。いいことずくめじゃないのか? ハッハッハ。唯一食料が問題だがクラディール、1人分追加できるか」

「……ええ、念のため2、3人分は余裕を持たせてあります……」

「おお気が利くな。担当させておいてよかった。それに団長、副団長共に面識の深いキミなら、現場の判断も尊重されるだろう。……だいぶ前に団長ともめたのも、今となっては笑い話だしな?」

 

 俺はそれを聞くと、豪快に笑う彼に少しホッとする。

 食料については最悪俺が我慢すればすむことだったが、それより名前が多少売れていたこと、また騎士団らに悪さしなかった過去の俺を少しだけ誉めてやりたくなった。

 

「(いや、ヒースクリフにはしたか……)」

 

 そんなこんなでレジクレに帰りが遅くなることを連絡。別にこのギルドの行動範囲に(さぐ)りを入れるわけではないと断りを入れつつ、出発前の準備中にゴドフリーと色々話してみた。

 すると、どうやら彼はヒースクリフとのデュエルで敗けた俺が、面倒な仕事を引き受けていることを知っているらしかった。参加承認の背景には、そういうことに首を突っ込みたがる一風変わったトラブルメーカー、とでも思われているのかもしれない。

 それが真実ならかなりシャクだが、文句を言える立場ではない。

 先ほど去来(きょらい)した謎の警鐘(けいしょう)が気のせいだったと判明するまで、少しの間は我慢である。

 

「訓練内容はクリスタルなしでどこまでやれるかだろ? ほらよ、ヒスイに頼んでクリスタル系は全部オブジェクト化しといてもらったぜ」

 

 なげやりにストレージ内をスクロールさせて見せる。実はこの時点で悪知恵をはたらかせておいたのだが、当然ゴドフリーには内緒である。

 サバイバルに適応する能力が必要なのと同様に、サバイバルを生き残るにはずる賢さも必要だ、なんて心の中で揚げ足をとってみる。

 

「ふむ、よかろう。さて少し遅れたが出発とするか!」

 

 可視化されたアイテム欄を見て満足そうにうなずいたゴドフリーは出発を宣言し、意気揚々と先頭を歩いていった。

 《グランザム西門》の外。多種多様なモンスターがはびこるフィールドで、俺達は今日もまた剣を抜く。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 何てカッコよく言ってみたが、やはりここは踏破完了層。

 「走りたいな~、1人なら速攻なのにな~」と愚痴をこぼすキリトを押さえて徒歩でチンタラ歩いていたゴドフリー隊だが、とうとう彼もしびれを切らしたのか水を掻き分けるように《二刀流》で敵をなぎ倒していった。

 『迷宮区の完走』までがミッション内容なので、フォーメーションの確認など迷宮区内で見られればいいとでも考えたか、あるいはイライラした感情を汲み取ったのか。さすがに猛然と刀を振るってワンマンプレーをするキリトにも、小隊長殿は黙らざるを得なかった。

 しかし遅れた分は完全に取り戻し、昼時には迷宮区直前の広場にまで到着。ゴドフリーはここで一旦休憩をいれる旨を伝えた。

 

「この調子なら3時ぐらいには終わりそうだな。よし、では食料を配布する!」

「うへ~、配布とか聞くと軍隊みたいだな。4、5人ギルドじゃ考えらんねぇ」

「うむ。だが1日団員のジェイドはともかく、正式入隊を果たしたキリトには早く慣れてもらわないと困る。大きなギルドを長続きさせる秘訣は、差別しないことにあるからな。1人だけいい飯食わせていたら他の部下に示しがつかん!」

 

 それは認める。しかし、関心をするのも束の間。余計なことを考えているうちに革布を受け取ったキリトがその中身に戦慄していたのだ。

 続いて俺も「うっ、まさか……」と呻いてしまう。同じように手に取ったが、すでに重みがなさすぎる。革布の紐を解くと、これも同じく絶句せざるを得なかった。

 

「安い固パンと川ですくってきたような水か。……スターターセットじゃねーんだから、もうちっといいの用意しろよ。体験版かっつの」

「文句を言うな、文句を。団長から聞いていなかったか? トップギルドと華ある栄誉も、その実態は全てにおいてギリギリだ。それに、過酷な環境では力が出ませんじゃあ話にならんだろう」

「そうだけどさ。……あ~ヒスイの手料理食いてぇ」

「アスナのサンドイッチが……」

 

 よよよ、と泣き崩れる俺とキリトはしぶしぶ平たい岩に腰を下ろす。

 ともあれ腹が減ってはなんとやらだ。不健康男クラディールが変化した人数に食料配布の面で対応できたのも、こうして安価な原材料あってこそ。それに1コルのマズい黒パンや保存食、また塩素消毒されただけの水道水より汚そうな湧き水で昼夜をしのぎ、迷宮区で寂しく寒さに震えながら夜営していたソロ当時の過酷さに比べればなんと楽なことか。まるでオアシスである。

 強がってみたものの、俺はこういったアウトドア的というか、ワイルドな生活がわりと好きなのである。野性味溢れていて心が踊るのだ。

 ――あくまでバーチャルゲームの話でだがな。

 そしてメンツの違いに新鮮味を味わいながら、乾きを(うるお)すよう革の水筒に口をつけた瞬間。

 

「ゲホ!! ゴホッ!!」

「うわ!? きったねッ……!?」

 

 隣のキリトが同じタイミングで口に含んでいた水を俺の足元に吐き出したのだ。

 なんてばっちい奴だ。野性味溢れていることと行儀が悪いことはまるで意味が違う。

 

「ったく、キリトは……づ、ッ!? なっ!?」

 

 そんな彼を注意しようとした直後、俺は異変に気づいた。同時に俺の認識がまったくもって愉快(ゆかい)で間抜けだったことに気づかされていた。

 体が、動かないのだ。

 まず『腰を浮かす』という、ごく単純なワンアクションすら起こせなかった。数時間正座でもしていたかのような(しび)れだ。

 遅まきに自分のHPバーを確認すると、予想通りグリーンの点滅枠に包まれている。これはSAOで言うところの麻痺(パラライズ)のデバフメッセージ。

 

「(マヒだァ!? くそ、サーチ妨害かハイド系MoBに後ろを取られ……)」

 

 思いかけて、思い直す。

 否、あり得ない。55層で湧く程度の敵なら、例え後ろからの不意打ちでも《対阻害(アンチデバフ)》スキルが防ぐはず。

 残る可能性は1つだった。

 人の手による、高レベルなデバフアタック。罠や専用のソードスキル。あるいは今回のケースでそれを人為的に引き起こせるとしたら……、

 

「(水か! クソッたれ……!!)」

 

 気づいた時には遅かった。小隊で1人水に口をつけていないクラディールがゆっくり立ち上がる。

 奴だ。こいつが食料に毒物を混入させた。

 状況の深刻さから混乱していると、クラディールのクックックッというくぐもった笑いが、ヒャハッ! ヒャーハッハッハァ!! という、耳に障るほど甲高い笑い声へと変化した。

 楽しそうに腹を抱える奴からは、バカでも事態はすぐに察せた。このマズい水を用意したクソ野郎の目的を。

 

「てンめェクラディール!」

「ゴドフリー! 早く解毒結晶を使え!!」

 

 口だけ満足に動くことをいいことに、早速罵倒を浴びせようとした俺に対し、キリトは具体的な解決策を突きつけた。

 言われた本人は慌てたように、しかしパラライズによって限定された気の遠くなるような動きでストレージからクリスタルを取り出す。が、案の定すぐに反応したクラディールに叩き落とされていた。

 万事休すだ。タラタラ解毒用のポーションを取り出して飲もうものなら、それこそ復帰までの十数秒で真っ先に邪魔される。

 

「これは……訓練なのか? クラディール、お前はどういうつもりで……?」

「クヒヒ……ゴドフリー、お前バカだバカだと思ってたが筋金入りのノーキンだなァ!!」

 

 この時点でクラディールが腰の大剣を抜刀していた。

 最悪の展開だ。

 肌で理解できる。奴の目的はドッキリやら下克上やらといった生易しいものではない。どこか外してはいけないリミッターを外してしまった、壊れた犯罪者の目をしていたのだ。

 縁遠い人種だと信じているが、縁の深い連中をよく見てきた。ああなった人間を小手先の口車に乗せて瞬時に改心させることは不可能に近い。

 俺はほとんど本能的にあらゆる対抗策を実施した。

 こうなることを望んで立てた対策ではないが、こうなってしまってはやるしかない。

 

「(間に合うか……ッ)」

 

 最小限の指の動きで『送信』ボタンの横にある『保存』ボタンで、いつでもヒスイに送れるよう未送信状態でキープしておいたメッセージタブを改めて送信。

 さらにデバフ対策として、ストレージから腰のポーチにわざわざ移動させておいたアイテムに手を伸ばす。

 と、そこで。俺はまた見てしまった。

 

「あっ……ぁ……あ……ッ!!」

 

 激しい金属音が風に運ばれていった。

 何の抵抗もできず、まともな時間稼ぎすらできず。本当に無能だ。役立たずもいいところだ。

 ここはデスゲームなのだと何回教えられれば学ぶのか。手の届く範囲で人に死んでほしくなければ、そうならないよう死ぬほど気張れとどれだけ言って聞かせられたのか。

 幾度突きつけられれば、俺は人間を守れるのか。

 

「いいからもう死ねや」

 

 残酷、とも違う。冷酷ですらない。テレビゲームをしたい子供が先に面倒な宿題を片付けろと言われた時のような、やる気のないだるそうな声質だ。

 たった一言だった。

 ゴドフリーはゴツゴツの地面に這いつくばりながら、それでも野太い大きな悲鳴をあげ続けた。それを自然に無視すると、クラディールは逆手に持った大剣を勢いよく振り下ろした。

 

「ぐああああああああ!!」

「ヒャハハハハハハハ!!」

 

 そして、プレイヤーが1人……割れた。

 無数の破片となって飛び散る、人間を(かたど)っていた結晶。それが拡散し彼の悲鳴が頂点に達するのと同時に、ようやくクラディールも重ねるように奇声をあげた。

 初の殺しでは決してこんな行動は取れないだろう。意図せず人が死ぬ瞬間を見たことがあるとかないとか、そういう次元の低い話をしているのではない。殺す行為を繰り返さなくてはこうはなれないのだ。

 クラディールはグルン、ともう1人の団員へ首ごと振り返る。

 殺す気だ。1人目を殺った時点で2人も3人も関係ない。

 彼は大剣を構えたまま、奇妙な足取りでキャリィとの距離を詰める。

 

「ヒィ! いやだぁっ!!」

「おいアンタ、逃げろォ!!」

「させるかよォオオオオオオオオ!!」

 

 凶器を突き刺した。狂ったような声をあげ、キツい三泊眼は白目を剥きかけながら、どこにも躊躇(ためら)いの色を見せることなく。

 4度目の攻撃で2人目の犠牲者が発生した。

 順番などどうでもいいのだろう。どのみちこのままでは全滅だ。

 

「ヒヒッ……よォ、ガキどものために関係ねぇ奴らを2人も殺しちまったよ」

 

 悪びれもなく言い放つ。

 その言いぐさがあまりに愉快そうで、俺にはあまりに不愉快だった。

 とうとう我慢できなかった。

 

「今度はてめェの番だぞクズ野郎ッ!!」

「こ、こいっつ!?」

 

 俺はやっとのことで、腰のポーチに忍ばせておいたアイテムを取り出していたのだ。

 任務が始まる前に立てておいた2つ目の対策。

 アイテム名《リップル・アロマ》。粉上の香水のようなものを体にかければ毒や麻痺が瞬時に回復するという、レア物扱いでありながらその大きさと重さから《解毒結晶(リカバリング・クリスタル)》の完全下位互換に当たる、はるか昔のアイテムだ。

 俺がヒスイのキスをかけたバトルトーナメントで準優勝に輝いた時の賞品だったが、記念品のようにケースにしまいこんでおいたのを出発前に思い出していた。クリスタルを排除する際、代わりにこれをストレージに収納するようヒスイに頼んでおいたのだ。

 だがそれを使用する直前、先に叫んでしまったことが災いした。

 

「カァァアアアアっ!!」

「ぐあァああああ!?」

 

 足のかかとを俺のみぞおちに打ち付け、突き出されたクラディールの大剣が右腕に直撃したのだ。しかも《リップル・アロマ》が有効状態になる前に俺の手から滑り落ちていった。

 狂喜の笑みを浮かべるクラディール。

 しかしその足を今度は左手でがっしりと掴んだ。

 

「なっ!? くッ……てっめェ離せや!」

「ぐっ……キリトォ!!」

 

 俺が文字通りクラディールを足止めしていると、すぐ隣で麻痺にかかっていたキリトが一瞬のチャンスに反応した。

 キリトは痺れる手足をなんとか動かし、落ちたアイテムを思いっきり握り潰す。

 すると香水系の《リップル・アロマ》からバフッ、と紫の粉が狭い範囲に噴霧(ふんむ)され、アイテムの効果範囲内にいたキリトは忌まわしき呪縛から解放された。

 

 

「オオオオオオオオッ!!」

「くそっ! クソガアアアアっ!?」

 

 応戦せざるを得なくなったクラディールは、後悔の絶叫をあげながら改めて防御した。

 ガギィイイッ!! という鋭い金属音が鳴ると、距離をとって対峙(たいじ)する。

 

「クソ! クソォオっ!! こんな簡単に! 『メインターゲット』2人分だぞ!? どれだけ遊べる金が手に入ったと思ってやがる!!」

 

 キリトを前に剣を構えたまま、クラディールは呪詛を唱えるように吐き捨てる。

 

「依頼した奴がいるのか。ジェイドの参加に対応できたあたり、相当手が込んでるな」

「……ハッ! あの女がついて回るパターンも想定しておいただけだ。こんな小細工されるぐれェなら1人分で手を打っておくべきだったぜ。……なァあんたもそう思うだろう!? 隠れてないで出てきてくれよボス!!」

「ボス……だと!?」

 

 すぐ近くにいると言うのか。なんて危惧(きぐ)するより早く、俺とキリトが突然叫んだクラディールの振り向く方角に同時に視線を向けた。

 ここでいうボスとはつまり、彼に殺人を担当させた人物だ。少なくともこいつを従わせるだけの実力者ということになる。

 回りくどい危機感すら後追いでやって来た。

 肌がチリチリと反応する。嫌な予感、戦士の直感、《超感覚(ハイパーセンス)》、もう呼び名は何でもいい。とにかく、見る前から俺の五感は理解した。

 獰猛(どうもう)な殺気は空気そのものを重くさせるようだ。過去にその天才的な発想力と希代の統率力で、『殺人ギルド』という消しきれない傷跡を浮遊城の歴史に刻んだ張本人。同時に推定不可能なほど死者を生んだ世界最強の殺戮鬼(さつりくき)

 

「PoH……ッ!!」

 

 バサバサバサ、と黒い襤褸(ぼろ)切れが風にはためいた。

 逆光で顔こそ隠れるが発するオーラは本物だ。それに右手にへばりつくように装備された中華包丁のような武器は、間違いなく超低確率ドロップの魔剣《メイトチョッパー》である。

 U字のように反り上がった渓谷の側面から、PoHが俺達を睥睨(へいげい)する。

 

「Hello、しぶとさだけは健在のようだ。……こうして対面するのは久しいな、腐れ野郎ジェイド。そして《黒の剣士》サンよ」

 

 人を小バカにしたような笑い声と共に、「さァイッツ、ショウタイムだ」とお馴染みの開戦コールをかける。

 紡がれる声にはわずかに、しかしはっきりと歓喜が感じられた。

 まるで古くからの戦友と凱旋(がいせん)を称え合うように。

 

「お前、どうしてここが……ッ!?」

 

 キリトが自由になった体で両者を警戒する。

 相手は殺しに躊躇(ちゅうちょ)がない。しかも高所で余裕たっぷりと腕を組むPoHに至っては、憎たらしいほど完成された殺人術が備わっている。危険度の観点ではクラディールでさえ比べ物にならないはずだ。

 だが、今度は俺が余裕を見せていた。

 

「相手が誰でも、関係ねェよな……!!」

「き、貴様それはっ!?」

「リカバリーッ!!」

 

 驚くクラディールの視線の先、つまり俺の右手で解毒結晶(・・・・)が割れたのだ。

 瞬間、俺のアバター周りで紫色の解毒エフェクトが舞うと、呪縛も解かれキリト同様に体の自由を取り戻す。

 クラディールは目を疑うように見開くが、本来クリスタル系アイテムはゴドフリーが任務開始前にすべて回収済みだ。当時の彼がこうした事態を予測し、俺だけにクリスタルの所持を容認した可能性は皆無。

 しかし、ヒスイ宛のメッセージには「SOSが届いたらすぐにクリスタルをストレージに戻し、臨戦態勢を」と書いておいた。事情を知らない彼女でも、常日頃から緊急時に対処してきている。この程度、片手間でもできるはずだ。

 それさえ叶えば、俺は《リップル・アロマ》に頼ることもない。

 対抗策なしと油断したクラディールに、俺もようやく肩を回しながら語りかける。

 

「さァて……フェアにいくなら2on2ってことでいいか、クズども」

「く……クックックッ……古い友よ。お前らはいつもそうだ。追い込んだはずがゴキブリのようにしつこい。だが残念だったなァ。俺はフェアって言葉が嫌いでね」

「なにっ!?」

 

 俺の言葉には代わりにPoHが反応した。奴は気の(はや)るクラディールと違い、パラライズ状態から一気に戦線復帰した俺に動揺すらしなかった。

 理由はすぐに判明した。

 自信に満ちた声に呼応するように、PoHのすぐ後ろからさらなる人影が姿を表したのだ。

 

「挨拶はいらんな、忌々しいビーターども。《暗黒剣》に《二刀流》くん、だったか? ……フンッ、私も74層ではずいぶん世話になったからな」

「てめェ……コーバッツ!? 軍の隊長が何でここで!!」

 

 金の彩飾から無駄に高そうな甲冑に全身をくるみ、蒼窮(そうきゅう)の浮遊城のデザインが施された盾が特徴的な軍の標準装備。

 崖の岩を踏むその中年の人物はコーバッツだった。

 コーバッツ中佐。《軍》に所属する中でもトップの実力と階級を備えるプレイヤーだ。なるほどこうして俯瞰(ふかん)してみると、キバオウが俺にした忠告は、どれも間違っていなかったことになる。

 だが中佐などと呼ばれ、数少ない前線メンバー2パーティ分の隊長を務めていた奴であれ、こと《攻略組》での水準をみればその実力は平均レベルだろう。

 だからこそ、ボス戦で彼の独力による逆転は不可能だったと言い切れる。

 礼を寄越せとは言わない。だが、彼も馬齢を重ねたわけではあるまい。仲間を危険にさらしておきながら、悪びれもなく突っかかってきたあの時、俺達の介入がなければ自分自身どうなっていたか想像もつかないのか。

 『世話になった』だと? そんな皮肉を言われる筋合いはない。カッとなって斬りかけたとは言え、俺は最終的に命の恩人となったはずだ。

 俺は無意識に舌打ちしてから話しかける。

 

「よもや気晴らしに散歩してたんじゃあねェよな。なんの用だコーバッツ……」

「……なに、簡単な理屈だ。『遊び』の邪魔をされたら誰だって不快になるものだろう」

「な、にっ……?」

「ちょっとしたサービスだよ。部下の前で恥をかかせてくれた礼さ」

 

 危うく「くそったれ」と口をついて出そうになった。

 あの時、指揮権を俺に移さなければ全滅ないし、あれ以上の損害が出ていたはず。……という認識が、間違いだったことを理解してしまったのだ。

 したくもないが、犯罪者の思考回路は必然的にかなり似か寄る。

 つまり彼にとって、74層攻略ですでに発生していた死者2名は予定調和だったのだ。逆に中途半端なタイミングで援軍が来ず逃げに転じれば、俺達の援護なしにあと2、3人の犠牲で残りは脱出できた計算になる。

 基本的にSAOで部隊が全滅(ワイプ)することは滅多にない。あるとしたら、それは《転移結晶》のない初期の時代に足の速いボスに捕まるか、あるいは《月夜の黒猫団》のように一定エリアに閉じ込められた上で、安全マージン外の敵集団からリンチに遭うかだろう。

 レベル制MMOである本ゲームにおいては、その上昇に伴ってHPの最大値もどんどん上昇していく。剣の腕、攻略センス、そんなものはお構いなしにレベルさえ確保すれば死ににくくもなる。

 ならば74層で部隊が全滅する前に、少なくとも半数以上が逃げ出せた可能性は高い。 だからコーバッツは『自分が』死なないことを理解した上で、チェスのように駒を扱ったのだろう。

 言うなればハンティングゲーム。

 リスクを押し付けた観戦会。

 

「74層で……」

 

 言い訳などいくらでもたつ。端から見てもクリア不可能な、たった2パーティ12人に出動命令を下したのは彼本人ではない。言わずと知れた《軍》の過激派、早い話が無能な上の連中だ。彼らに責任を押し付ければいい。

 それにデスゲーム内では、場合によって敵前逃亡すら正当化される。

 だから逃げて何が悪いと。

 

「見捨てることを前提に、てめェは……」

「見捨てること? ああ、あの時の部下のことか」

 

 そんな言い訳を盾に、負け戦に部下を送り出した。

 戦う時に彼らが預けるのは命だ。それほど信じて捧げた忠誠心を踏みにじったのだとしたら、血が(にじ)むほど握りしめた拳をぶちこんでも気は晴れないだろう。

 

「そうとも知らない奴らを、後ろでのうのうと……ッ!!」

「聞き取れんな。言いたいことがあるならはっきり言え」

 

 生きて帰れると、偽りやがって!

 

「死ぬとわかってたのかッて聞いてンだよお前らァッ!!」

「……ああ、もちろん。それがどうかしたか」

 

 ブチッ、と。自分の中で何かがキレる音がした。

 もうこいつらに容赦はない。

 何かを食い千切るかのように歯軋りをたてたまま、俺は背中の大剣を抜刀した。

 キリトが開戦の空気を感じ、改めて魔剣《エリュシデータ》とオーダーメイドの《ダークリパルサー》を構える。

 

「ジェイド、気持ちはわかる。けど冷静になれよ、まともにやりあうと危険だ」

「わかってるさ……」

 

 PoHとコーバッツが高所から崖の急斜面を伝って徐々に下がり、同時に着地。敵も今度こそ3人がかりで殺しに来るだろう。

 だが頭では、現状での不利な戦力差は承知している。むしろ怒りが募るほど冷静になれる。

 だから俺はやれることをやってきたのだ。

 

「(できれば巻き込みたくはなかったけど……)」

「ジェイドっ?」

 

 俺は唐突に、開いたままのストレージタブから赤紫色(・・・)に輝く結晶アイテムを取り出していた。

 こんな色をしたクリスタルは他にないはずだ。現にこれにはクラディールを始め、PoHですら疑問と驚愕に目を細める。

 ただ珍しいというだけでなく、おそらくここにいる全員がこの特別なクリスタルを見たことがないはずだ。存在すら知らなかったかもしれない。

 俺とて『夫婦の証』として大切に、そして永遠に保管するつもりだったのだから。

 

「……《婚約 結晶(エンゲージ・クリスタル)》、オープン!」

 

 初めて発音する始動キー。

 パリンッ! と結晶が割れた直後、俺の数十センチ隣に見たこともないライトエフェクトが浮かび上がった。

 暗い赤と青のヴェールがくるくると螺旋状に渦を巻き、その中心には(まばゆ)い光に包まれた黒装のプレイヤーが現れる。

 

「こ……これはっ、どうなっている!?」

 

 クラディールが驚きの声をあげた。

 数秒後、そこに立っていたのは《反射剣》と謳われたヒスイだったのだ。

 明らかに《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》の出口をここへ設定したのではなく、始動キーを発音したその瞬間にプレイヤーが転移した。だが、これほど速効性の高い便利な増援補助アイテムがあるなら、とっくに知れ渡っているはずである。

 拡散されていない理由もはっきりしている。

 これは最低でも1ヶ月以上《夫婦》を続けた者にだけ受注権が得られるイベントクエスト、《夫婦の絆》によってのみ手に入るクリア報酬。かつ、その夫婦間でたった1つしか入手することのできない、超がつくほどのレアアイテムだからだ。

 これさえあれば、パートナーを瞬時に近くへ呼ぶことができる。おまけにストレージは共有されているので、その利便性は言うに及ばず。片方が《結晶無効化エリア》に閉じ込められた際にも生命線となりうる。

 しかしクエスト発生層はかなり上層で、受注条件を満たすプレイヤーすら一握りだろう。俺達以外に入手した者がいるかどうかさえ疑問である。

 

「ジェイド……これは、エンゲージクリスタルを使ったの?」

「……ああ、すまん」

 

 約束はしていた。使わないに越したことはないし、1度きりのイベント報酬ではあった。しかしどちらかが危機に扮した時だけ、この《婚約結晶》を惜しみなく使おうと決めたのだ。

 彼女は崖を見上げるとすぐにPoHの存在に気づいた。

 

「……PoH……メッセージはそういうことだったのね」

 

 ヒスイは数秒だけ目を閉じる。

 そして無駄のないダークカラーの騎士甲冑をカチンと鳴らし、鞘に手をかけながら強い意思でもって応えた。

 

「でも嬉しいわ。指をくわえて帰りを待つだけより、こうして頼られた方が、あたしはずっと嬉しい」

 

 すでに戦える状態にあったヒスイは、静かに抜刀すると左の剣と右の盾を油断なく構える。と同時に、唖然とする部下をよそにPoHも状況を理解したようだった。

 

「……I see(なるほどな)、《結婚》済みの奴らだけが手にできる結晶か。隠し玉を用意しておきながら平然とする辺り、テメェも変わらないなァジェイド」

「ボス……こいつはちょっとヤバイんじゃないすか? 追い詰めていたはずが……」

「今に始まったことではないさ。こいつらを相手にしていると……なにッ!?」

 

 PoHが話終える前にさらなる異変が起きた。

 今度は後ろからだ。猛烈なスピードで何かが……いや、誰か(・・)が向かってきている。

 

「今度はなんだッ!? どうなってんだ、くそっ!!」

 

 クラディールの悪態は、やがて恐怖の震えを(まと)い出した。

 ガガガガッ、と最高級のピカピカのブーツに泥が付くことにさえいっさい構う様子を見せず、疾風に乗った栗色の髪と純白の装束が俺達の目の前で急停止した。

 その人物は……、

 

「ハァ……ハァ……間に合った……ハァ……間に合ったよキリトくん……!!」

「な……なぜっ! なぜアスナ様がここに!? いったいどうやってっ!?」

 

 血盟騎士団副団長、《閃光》のアスナ。《攻略組》なら誰もが知る神速のレイピア使いがそこにはいた。

 彼女はクラディールを睨み付けたまま言い放つ。

 

「マップを見ていたら、ゴドフリーのアイコンが消えたわ。迷宮区前なのに! パーティ全員が揃っていながら、こんな低層でッ……キャリィだって! ……それにっ……これはどういうことよクラディール!? どうしてあなたがっ、そいつ(・・・)と肩を並べているのッ!!」

 

 そもそも俺とキリトが剣を構えて対峙している以上、理由は貼り紙するより明らかだ。

 クラディールがその激しい剣幕に押され何も言えないでいると、しびれを切らしたアスナがジャリンッ、と迷うことなく愛剣を腰から抜き取る。

 もはや彼女らに状況の説明は不用だった。

 ようは、立場の逆転。これだけ念入りな計画をも前に、彼我の戦力はあっけなくひっくり返った。

 因縁の大犯罪者PoHが俺達の前にいて、《軍》で好き放題暴れたコーバッツと、《KoB》に所属しながら殺意を剥き出しにするクラディールがいる。

 奴ら全員の思惑がまんまと外れたのだ。

 俺とキリトも静かに構えた。皮肉や侮蔑(ぶべつ)の1つもでなくなったPoHも、お得意の逃亡はもうしない。

 どころか奴は肩を震わせていた。

 そして、とうとう……、

 

「Oh、shit……very fanny! ハハハ……クハハハハハハハハハっ!! shit! now what!? ohmy……shiit!! Shiiiィィィィィッツっ!!!!」

 

 PoHの整端な顔が壮絶な苦汁を()めたように歪んだ。

 俺は奴のこんな声を初めて聞いたかもしれない。あいつ自身、アインクラッドに閉じ込められてから初めて発した笑い声だろう。長い期間を経て蓄積され続けた晴れない殺人欲と鬱憤(うっぷん)が、ここに来て爆発したのだ。

 殺人鬼の激昂が、荒れた大地にこだまする。

 

「Dommit!! クソッたれが、ゴキブリどもッ!! 毎度イラつかせやがって! テメェらだけは血肉引き抜いて、ハラワタ引きずり出してから晒し首にしてやるっ!! 俺をここまでコケにしたツケは死んだぐらいじゃ到底返せねェぞ! この糞ガキがァアアッ!!」

 

 ビリビリビリッ、と肌で感じる殺意。その全霊を乗せた咆哮に(つや)消しのポンチョがうるさく(ひるがえ)る。しかし希代の悪人が語るに落ちたものだ。怒りの丈をぶつけるPoHには、同情心など(ちり)ほども湧かなかった。

 そしてこれで、奴にも引く気はないのだということがはっきりした。

 勝敗を決めるのは簡単だ。どちらかが、死ぬまで。

 

「PoH、お前を殺す……ッ!!」

 

 悪の最終走者(イービルアンカー)が、その魂の怨嗟(えんさ)を刃に灯した。

 

 

 

 


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