SAOエクストラストーリー   作:ZHE

124 / 159
第97話 因縁との決着

 西暦2024年10月23日、浮遊城第55層。(最前線75層)

 

 PoHと初めて邂逅(かいこう)し、この長い戦いが幕を開けたのは1年半前。

 恥ずかしながら、初めは恐怖で足がすくみそうだった。

 俺は夜も眠れないような思いをしながら、それでも自衛のためにと人を欺き、リスクを避け、人の死を踏み台にして生き長らえていた。それなのに当時のPoHとジョニー・ブラックは、生存競争に影響のないプレイヤーにさえ死を与え、身勝手な悦に浸ったのだ。

 まず大前提として、俺はこうした愉快犯がどこか無縁な世界の話で、放っておいても正義感の強い人間が捕まえるものだと思っていた。だからこそ、頭のおかしい連中とは関わらないようにしていた。

 しかし、現実は酷だった。

 少なくとも今、こうしてドラマのライバルみたく剣を交えて、時代錯誤な殺し合いをする程度には。

 

「死ねジェイドぉオオオオッ!!」

 

 猛烈なスピードで凶器が迫った。

 

「死ぬのはお前だァ!!」

 

 応えるものは相応の凶器。

 ガギィイイイっ!! という爆音が耳に届くより速く、キリトとアスナが両脇から踏み込みPoHに斬りかかろうとした。

 PoHの動きが一瞬で変わる。

 反動を利用して距離をとる奴は、恐ろしいことにほとんど目線を動かすことなく両者の攻撃を察知。《軽業(アクロバット)》スキルを発動し、精密な攻撃を完全に回避、あまつさえ追撃に対応できる体勢まで整え牽制していた。下手に深追いもできない。

 クラディール、コーバッツ両名による一泊遅れた波状攻撃をヒスイがかろうじて受け流し、初動による披ダメージは発生ならず。

 俺は総当たり戦法を変えることにした。

 

「キリト、アスナ! PoHは俺らがやる!!」

「……わかった、任せるぞっ!」

「気をつけて……!!」

 

 この命令でキリトはクラディールに、アスナはコーバッツにそれぞれ焦点を合わせた。

 PoHは仲間を利用し、戦況を掌握する術に長ける。洞窟での全面戦争も、結局その戦い方が彼らの価値を存分に発揮させてしまった。

 例え技術的にPoHに劣る兵士でも、奴はそれを上手に利用する。攻略組顔負けの戦闘術。だからこそ、使える手札が少なければ奴は相対的に弱体化するはず。

 そして俺の読みは正しかった。

 

「ヒスイ挟み込め! いつものやつでいくぞ!!」

「ええ!」

 

 連携攻撃に移るとチッ、という舌打ちが聞こえてきた。

 PoHとて生き霊ではない。異常なのは奴の思考回路であって、決してそのアバターに説明不能なパワーが備わっているわけではないのだ。ゆえにこいつは頭脳を駆使する。

 そして分類上、奴のステータス構成(ビルド)はダメージディーラーだと言い切れる。バカ正直に攻撃を防ぐことは考えていないだろう。

 奴は俺達の連続攻撃に対し、回避するか軽く受け流すかの選択をすることになる。

 ……そんな、甘い認識をしていた。

 

「シアァアアアアっ!!」

「ぐ、うッ!?」

 

 ガッ!! という金属音は俺のすぐ側で鳴り響いた。

 否。辛うじて防げたと言った方が正しい。

 奴がここで猛攻撃(・・・)に転じてきたのだ。

 人数と総HPに分がある俺達に消耗戦とぶつかり合い。重量級装備との正面衝突。隙あらば反撃をするのではなく、懐に踏み込むことでそれを探す。その行動のことごとくが予想の範囲外だった。

 

「(腕でも伸びてんのかよクソッたれ!!)」

 

 間一髪の攻防に心の中で悪態をつく。

 いともあっさりと間合いを詰められて攻撃されたのだ。

 PoHは文字通り命の削り合いを仕掛けてきた。この意外な判断に俺の動きを一瞬だけ鈍らせ、逆にその空白を突いて有利に進めようというのだろう。

 いつからか、戦場とは心理戦だと、強く刻んだはずなのに。この土壇場で、その戦歴(テキスト)の足元を(すく)われる形となった。

 俺は意識し考えて敵の裏をかき、奴は無意識に息をするように敵の裏をかく。この差だろう。

 だが、しかし……、

 

「(そう簡単にっ……)……やらせっかァッ!!」

 

 鍔競り合いが解除されてからすぐに繰り出してきた、PoHの得意技である下段からの視覚潰しに完全に反応。

 ガッ! ガガッ!! と擦りきれるようなつんざく音が耳の後ろへ流れていく。

 

「No wayッ!?」

 

 規定モーションをなぞるだけのソードスキルではなく、身に染み込ませた殺人術が通用しなかった事実に、今度は相手が声を荒らげた。

 しかし隙は見せなかった。俺が好機と読んで放った反撃は、むなしく空を斬るばかりだ。

 しかも、ヒスイの位置取りは完璧なはずなのに、後ろに目でも付いているかのごとく同時攻撃を(さば)いている。

 声で指示は飛ばしていない。アイコンタクトもしていない。

 この連携した動きは、間違っても小手先の細工や付け焼刃のぶっつけ本番ではない。長い年月をかけて、飽きるほど繰り返し反復することで身に付いた努力の結果だ。タイムラグがゼロの俺達の攻撃に、こうも完璧に対応できるはずがない。

 だというのに、それを奴は難なく実行していた。

 

「(どうなってやがる……ッ!?)」

 

 同時多発的な攻撃を1人のプレイヤーが、剣1本で捌ききることは物理的に不可能。

 つまり奴は、連携が取れなくなる絶妙なタイミングを感覚だけで感じとり、ワンテンポ速く動き始めることで牽制と突撃を繰り返していたのだ。

 確かに、微妙に連携が成立していない。意図的にずらされている気がする。

 俺が大きく踏み込む時は、確かにヒスイは攻撃しない。呼吸が合わないのではなく、大振りを避けさせたところを時間差フォーメーションである。

 目で追うのではなく肌で理解し、奴は回避と同時に体の絶妙な空中半回転と攻撃の受け流しを同時に行う。

 飛べば着地後、走れば停止後、多方向へのターゲットへ、限られる行動範囲内で移動転換と攻撃対象を即座に見極め最適解を導く。

 

「(うそ……だろッ!?)」

 

 同種としての尊敬も含み、彼のそれはなんの比喩(ひゆ)でもなく神業だった。

 システム外スキルの活用については比べるべくもないだろう。1対1だけではなく、奴は1人で複数人と殺り合う状況すら想定し、すでに十分すぎる実力に慢心することなく修業に励んできたのだ。

 

「きゃああっ!」

「ヒスイ! いっかい下がれ!!」

 

 とうとう攻守が逆転した。まるで得体の知れない軟体動物か、はたまた人外のスピードでボタン入力できるツールアシストを駆使するチーターと戦っているような感覚だった。

 今しがた俺の大剣を最大速度に達する直前で受け止め、ヒスイに足払いから始まる《体術》ソードスキルを発動して連続攻撃に繋げた奴の動きはもう人間業ではない。筋肉と関節に電動モータでも仕込まれているのか。

 被弾したヒスイをいたわるように体で隠し、俺は構えを解かずに挑発する。

 

「ハァ……やるなァおい。ハァ……たった1人で……ハッ、泣かせるじゃねェの……」

「クックック……息が上がっているぞ、ゴキブリ野郎。貴様のあがきはその程度か」

 

 数のアドバンテージなどと悠長なことを言っている場合ではなかった。

 覚悟だ、覚悟がいる。

 もう絶対に引けないところまで追い詰められた時、逃げられない時、悟ったように体の底から湧き上がる本物の覚悟が。

 

「……ヒスイ、やり方を変えよう……」

「ハァ……ハァ……」

 

 互いにジリジリと間合いを計りながら、俺はPoHから視線を逸らさずに願った。

 

「捕獲はやめだ。こいつを殺すつもりで戦ってくれ!」

「ッ……!!」

 

 息を呑んだのが背中越しに感じられた。

 今の注文は、端から見れば何を今さらと思うかもしれない。だがそれでも、過去に俺は約束してしまったのだ。

 ヒスイは人を殺さないでくれ、と。

 俺はすでに4人殺した。目を(そむ)けてもこれは事実である。

 と言うことはつまり、必然的にヒスイの恋人は人殺しということになる。他人(ヒト)から(さげす)まれたところで言い返さないだろう。

 しかし、これで彼女まで人の命に手をかけてしまったら、俺は絶対に『現実世界に帰ったあと』に後悔する。

 事情を知らない人間に不可抗力だの正当防衛だの言ったところで、やはりそれを証明する手段はない。問答無用で2人まとめて更正施設送りになることもあり得る。何よりその事実を知られた途端、どんな関係者だろうと俺達を見る目に影が差すはずだ。

 なんだ、こいつらも人を殺した経験があるのか、と。

 それも残りの長い人生を、ずっと。

 だから俺は誓わせた。殺しだけはやめてくれと、俺が初めて人を殺した日に約束させた。

 そして、それでは通用しない状況が目の前にある。

 

「(たぶん、それじゃ勝てない……)」

 

 殺す覚悟がいる。それにこの場合、勝てないことと死ぬことは同義と言える。

 理想の展開はヒスイがダメージを重ね、俺の瞬間火力が奴の命を焼ききることではある。汚名も業も背負う覚悟はできている。

 だが、PoHとて付け焼刃ではない。俺のあずかり知らないところで、反吐の出るような死線を鼻唄交じりに(くぐ)っているはずだ。敵はおろか、時には仲間の死をも間近に見続けた奴には、言うなれば殺す気のない攻撃といった軟弱な攻めは脅しにすらならない。

 剣に宿すべきは敵意ではなく、殺意。

 俺はヒスイの解答いかんでは撤退を視野にいれようとした。

 しかし……、

 

「……わかったわ、あたしも殺す」

「……すまねェな」

 

 覚悟が据わった声だ。

 俺はそれを聞いた瞬間に突撃体勢をとった。

 

「笑わせる。まだ勝てる気でいるのか、あァ?」

 

 このニヤついた顔を、今から徹底的に叩き潰すために!

 

「っくぞゴラァっ!」

「鈍いんだよカスがァ!!」

 

 我ながら凄まじい瞬発力だった。

 だというのに、技を見てからでは避けようのない速度を、PoHは慣れた挙動で受け流すように回避した。

 殺傷力の高さから古代より殺人特化の剣術と称された突き技も、やはり重い装備とソードスキルの予備動作(プレモーション)付きでは軽く避けられてしまうのだろう。

 しかし、タイミングまで予測通りだ。

 

「Drop deadっ!!」

「ヒスイ……ッ!!」

 

 渾身の突進技だった以上、これを外した代償は大きい。

 そう考え、回避の捻転力を俺へぶつける前に、PoHはさらなる回避行動を余儀なくされた。

 ジッ! という(かす)れた音。

 きちんと距離計算をしたはずの殺人者の頬に、ダメージが入ったことを知らせる赤いヒットエフェクトがチラチラと舞っていた。

 ヒスイの攻撃だ。

 迷いのない一撃は、もう単なる威嚇でもこけ脅しでもなかった。

 魚を素手で掴むかのように難しかった攻撃の命中が、再戦後数秒で達成されていた。

 

「バ、カな……っ」

「ヒスイ次だッ!!」

 

 休む時間は与えない。

 ガッ! ガッ! と防具に(かす)る音が連続する。俺とヒスイは交互に斬り込み、序盤についた差を詰めていった。

 これは殴られてもノックアウトされない根性があるとか、毎日激しい筋肉トレーニングしたとか、そういう事情はいっさい関係ない。レベル制MMOというゲームの仕様上(くつがえ)せないものだ。

 結果はすぐに表れた。

 

「ク……この雑魚どもッ」

 

 バヂィイイイ!! という鍔競り合いによって、分厚い中華包丁と破格のプロパティを保有する両刃の大剣から激しい火花が飛び散った。

 すかさずヒスイが弱点設定である首筋に剣を差し込み、心理上の小細工ができないPoHは、やはりここでも逃げに移らざるを得ない。

 行動の選択肢が失われつつある。さらに追い討ちをかけていく。

 強制的に消耗戦へ持ち込むことで、戦局は次第に一方的になっていった。

 

腐れ野郎(Dayam)!! 調子に乗るなよカスがァアア!!」

「あとがねェぞクソ悪党っ!!」

 

 一瞬の空白を利用し、キィイイイ!! と、ほぼ同時に俺と奴がソードスキルを構えた。

 

「《氷結剣》――」

「《暗黒剣》――」

 

 すべての音が、重なる。

 

『――リリィースッ!!!!』

 

 直後、ゴガァアアアアアアアッ!! と爆音が轟いた。

 万物を冷凍させる冷たい風と、破壊の限りを尽くす黒き炎。最高級の性能を備える、互いの《ユニークスキル》がもつれ合うように絡んだ。

 うるさいサウンドと眩しいライト。深い青と漆黒の黒が混ざり、反発し、爆ぜる。

 氷点下の塊が《氷結剣》として顕現し、武器を鉛のように固めた。

 同時にその氷塊を、今度は《暗黒剣》の黒炎が粉々に粉砕する。

 煌びやかな創造と、無秩序な破壊。

 剣力は拮抗していた。

 

「PoHゥーーッ!!」

「ジェイドぉオおオオオオっ!!」

 

 バヂィっ!! と、稲妻が落ちた。

 ゲームが表現するエフェクトなど無視し俺とPoHが距離をとる。

 氷結剣、この直撃を貰ったら終わりだ。凍った部分を剣や体術の衝撃で『割って』脱出できることから、確かに継続的な阻害効果こそないものの、その代わりに《暗黒剣》スキルとは比較にならない速効性がある。

 青白い個体の生成と、無尽蔵な破壊を繰り返す。味気ない岸壁区間が氷の結晶に彩られるなか、俺は一際(ひときわ)奴の行動に注意を向けた。

 ほんの数秒間の氷結が、プレイヤー同士の目まぐるしい戦場では致命傷になりうる。それに手足はもちろん、胴体ですら奴のユニークスキルは効力を発揮するのだ。

 

「(けど、こちとら2人がかりっ!)」

 

 ミスの許されない状況。

 だがポディシブに見れば、ミスさえしなければ依然として有利な状況だと言える。それに、『PoHがミスをしない』何て保証はどこにもない。

 

「あたしもいるのよ!」

「チィっ!?」

 

 死角からまたしてもヒット。挟撃戦法も生きているのだ。

 魔剣の瞬間火力、挟み撃ち、ユニークスキル、対処しなければならない脅威は増すばかり。

 ――さァ、どうするPoH。

 奴は回りのものを最大限に利用する。このまま黙ってジリ貧はないだろう。

 

「クハハァ! 知ってんだぜ、ジェイドぉ!!」

 

 幾度とも知れない攻防から、ランダムに配置された岩場をうまく活用してPoHが流れるように位置を変えた。

 仕掛けてきたということだ。

 その狙いは……、

 

「ぐッ!? ヒスイ!!」

 

 PoHが狙ったのは武器破壊だとか、一撃離脱戦法だとか、そういう戦闘スタイルではなくもっとシンプルなものだった。

 彼女の一点狙い。

 ジャンプ回避後に大きな岩石の足場を利用し、同時に高所からソードスキルを構えていた。

 《氷結剣》専用ソードスキル、三連白豹烈閃爪(れっせんそう)、《セレスティアル・ギル》。

 ヒスイは1撃目こそ反射的に《氷結剣》に対応して見せたが、友斬包丁(メイトチョッパー)の圧倒的な攻撃力が上乗せされたユニークスキルの威力は彼女の想像をはるかに越えていた。

 崩れた体制から2初目が直撃。クリティカル判定を受けた右半身に棘花(とげばな)のような氷が結成される。

 俺も見ていただけではない。

 ほぼ割り込むように《ガイアパージ》を振りかぶった。

 ここで妨害に成功すれば、ポストモーションを課せられる奴にとっては、そのままチェックメイトまで持ち込めるかもしれない。

 そう考えた時。

 

「それがてめェの弱点だァアッ!!」

 

 PoHが突然、標的を俺に変えたのだ。

 必要最低限のリスクで、技で、最大限の戦果を呼び込ために。わずか三連撃のソードスキルで盤局をひっくり返す算段をつけた。

 あまりに濃い殺意が向かい風のように迫る。

 奴の作戦は1人狙いによる戦力の半減ではなく、心理戦による戦力の全壊。

 だが。

 

「そ、こォオオっ!!」

「なッ!?」

 

 ダメージを負い、攻め込まれたはずのヒスイが、気合いと共にここであえて大きく前進していた。

 まさか、何て考える暇もなかっただろう。

 ガキィンッ!! と、彼女の戦意が《メイトチョッパー》の腹を叩く。

 二つ名に恥じない、見事なタンカーの姿がそこにはあった。

 そしてPoHが気づく。情にほだされてぬくぬくと友情ごっこをして来た俺が、この時この戦場において人生のすべてを捧げた最愛の女に、1ミリたりとも煩慮(はんりょ)していないことに。

 そう、俺はまったく歯牙にもかけていなかった。剣を振り上げたのは、端から彼女を助けるためではない。

 これが、俺達へ勝機を見出(みいだ)すだろう卑劣な男への対抗策。

 これが、生き残るためではなく、殺すために剣を握る覚悟。

 

「きっ様らァアアアアア!!!!」

「うおォおオオォォおオオッ!!」

 

 ガガガガッ!! と、凄まじい勢いで削れた。

 絶叫、咆哮、ヒット音が重複(ちょうふく)する。

 PoHの右腕には全体的に血のようなエフェクトが(まと)い、そのHPバーは最大値の20%以下、つまり危険域(レッド)にまで消滅した。

 一瞬の判断ミスが招いた敵への洗礼として、深い、深い1撃が奴を裂いたのだ。

 

「ガァアア!! ぐっ……shit! ゴキブリ共がッ、次から次へとォッ!!」

 

 そこへまた別のプレイヤーが吹き飛ばされてきた。

 ゴロゴロと情けなく転がる彼のすぐ近くにザンッ、と片手剣が突き刺さる。《軍》の装備を着用しているというつまり、この負け犬はコーバッツである。

 情けなさに拍車をかけるように、彼は起き上がり様に命乞いをする。

 

「ひっ、ヒィイイイ! 助けてくれ! こんなことになるなんて聞いてない! 私がここで死ぬなんて聞いていない!! 誰か私を助けろぉーー!!」

 

 左腕に装着されていた盾すらかなぐり捨てて泣き叫ぶ。

 その体のあちこちに細い切っ先の武器による刺し傷から、アスナが彼との戦いに勝利したことが見て取れる。

 それを裏付けるように、注意域(イエロー)にすら陥っていないアスナが後ろから余裕をもって歩いてきた。

 今なお泣いて詫びるコーバッツは、すがるように俺の足元を()う。

 しかし、この哀れな姿としとど流す滂沱(ぼうだ)の涙には、微塵(みじん)も価値などない。

 

「うせろ外道ッ!!」

 

 ザッシュ!! と、気色の悪い感触と斬撃音が鳴った。

 両腕と左足の付け根が欠損。声にならないような、野性動物の断末魔のような叫びを響かせながら、コーバッツが脇へ転がっていく。

 とそこへ、すかさずクラディールまでどこからともなくすっ飛んできた。

 

「がッ……ぁ、ぁ……っ!!」

 

 小さな呻き声。全身に強烈な斬り傷を残しながら、高所からの落下が原因か立ち上がれない。そもそも、彼の体力ゲージがほとんど残っていなかった。

 だが数秒ほど経ち、ほんの小さく「この、人殺しが……」とだけ(こぼ)して、クラディールという男はこのフィールドから消えていった。

 プレイヤーの情報バンクからまた1人、固有のデータが霧散(むさん)する。死の間際に遺した言葉が、果たしてかけられた本人の心に残ることはないだろう。

 キリトは憂鬱(ゆううつ)な表情をしながらも、戦意を欠かすことなくアスナに並んだ。

 アスナもキリトも、それぞれの役目を果たしたのだ。

 残る敵はPoHのみ。

 

「クッククク……だがよくやった、足止め役の雑兵ども!」

 

 パリィン! と、青白い小さな結晶がPoHの左の掌で弾けた。

 見ると奴のHPが全快している。俺達の注意が敗者達に逸れたことをいいことに、1人だけ《ヒーリング・クリスタル》を使用したのだろう。

 驚いたことはそれだけではなかった。

 今の数秒は、あいつがこの場から逃げられる最後のチャンスだったはず。

 これまで何度も敗戦濃厚な戦場から幽霊のように姿を消したPoHが、この状況下であくまで応戦の構えをとるとはどういうことなのか。冷静な判断力がなくなっているのか、あるいはもう狂気が暴走し、玉砕覚悟で誰かを道連れにするつもりなのか。

 《メイトチョッパー》を構えるPoHに答えはなかった。

 そして、すでに必要もなかった。

 

「ッくぞ! PoHっ!!」

「シアァアアッ!!」

 

 4対1。

 結論は出ている。

 それでも奴は剣を振るった。

 その目に敗戦という結末は浮かばないのだろう。ある意味において情熱的な、人に出せる限界すれすれのような速度で俺達を翻弄(ほんろう)する。

 全然攻撃が決まらない。だのに、こちらは間一髪で敵の攻撃を(かわ)している。

 しかし弛緩しきった意識が途切れ、とうとう先に攻撃されてしまった。

 

「ぐあァっ!? く、なんだよこいつ!?」

「くっそ……ッ、キリト! 《氷結剣》は俺が対処する! 一気に攻め込めッ!!」

「ヒスイ! 後ろに回り込んで!!」

「くクク……クハハハァ!! てめェらはここで皆殺しだァアアアっ!!!!」

 

 俺が《暗黒剣》で割っておいた氷が、デジャブのようにヒスイの体に張り付いた。

 軽く上がった悲鳴を無視し、PoHは俺達を同時に相手とった。

 俺の大剣をいなし、キリトの《二刀流》に対応し、アスナの神速を(かわ)し続け、隙を(うかが)うと戦場の空気を掌握する。

 それは、ほとんど恐怖という概念の体現だった。

 純粋に怖い。タチの悪い悪霊に取り憑かれたようにPoHは執拗(しつよう)だった。だいたい、この局面で何がこいつをここまで駆り立てるのか。スイッチを繰り返して1人ずつ着実にヒールで回復していけば、万が一にもやられるようなことはない。決着までの時間をいくらか遅延させることはできても、奴が単体戦力で戦況を覆すことはできないはず。長年の戦闘経験も物理的な閾値(いきち)をそう叩き出している。

 それでも奴は戦った。

 数の安心感すら()り潰されるように。

 

「きゃああっ!?」

「アスナ!? く、ジェイドそっちだ!」

「わかってる! けど……あたんねェッ!!」

 

 例え地獄に番犬がいたとしても、それよりしつこく噛みついてきただろう。

 足払い、目潰し、フェイント、突撃、緊急回避、牽制、体術。それらが織り成す破滅的な足掻きが殺人鬼の背中を押した。

 それは『動き方』に制限がかかるバーチャルゲーム内でのみ再現される。最高域まで高められた集中力が、人体のリミテーションを超え、理論上だけは可能とされる、本来は知覚や実行が不可能であるはずの上限領域へ五感が踏み込む。

 視覚野にはコンマ数秒未来の映像が写り込み、大脳が情報を誤認識することで、そのまま未来視へ昇華してしまった戦闘技法。

 システム外スキル、《後退する修正景(リビジョン・バック)》。

 間違いなく、疑いようもなく、奴はその世界線の俺達と戦っていた。

 

「なんっ、なんだよクソ!!」

「何であなたのような人が!」

「は……ハハハッ、ハハハはハハハははハハ!! 最終局面だブタ野郎どもォっ!!」

『ぐぁあああああッ!?』

『きゃああっ!』

 

 バキキキキっ!! と、《氷結剣》を使った鋭い回転斬りにより、取り囲む俺達4人の一部が同時に《フリーズ》のデバフに侵された。

 不死身。

 本物の化け物。

 どこか人間をやめないと得られない悪魔の所業。

 そんな錯覚が思考を麻痺させる。

 反則級の怪物だ。いくら人数を集めたところで、勝つのは不可能ではないかと悲観してしまう。

 しかし、俺は体に食い込んだ肉斬り包丁に億さなかった。

 耳が音を拾わなくなるほど相対聴力がミュートされ、ギシギシと(きし)む腕にさらなる限界を迫った。

 左手は凍って使えない。無理を承知で、右手だけで《ガイアパージ》が振り抜かれる。

 

「ここでお前をォッ!!」

 

 しかしこの時点でPoHが剣の軌跡を先読みして避けていた。確実な回避だ。動体視力や運動能力がずば抜けているこの怪物なら、なんなくこなせる回避行動だろう。

 …………。

 ……いや、それはおかしい。

 まだ避けていない。そう錯覚した(・・・・)だけだ。

 ドクン、と。心臓が胎動する。

 奴の目線がはっきり焼き付く。

 それは次に避けようとする方向を見ていたのか。

 奴の筋肉が膨らむのを感じる。

 それは次に伝えるべき運動エネルギーの行方(ゆくえ)を見定めているのか。

 見えるはずのないものを幻視したように、激しい頭痛と悪寒が走る。それすら突き抜け、突破し、俺はPoHが『回避行動を始める前』から剣撃の軌道修正をしていた。

 自分で得るというよりは、勝手に流れ込んでくるような《リビジョン・バック》の映像。ほんの少しだけ進んだ未来の、コンマ数秒先の世界。

 直後。

 

「ぐ、がァッ!?」

 

 PoHは信じられないものを見るような目付きをした。

 ズキュっ!! という、斬れるというよりは破砕機に廃棄品を投げ込んだような、骨がねじ切れたような不快な音が響いた。

 とうとうPoHの右腕が肘から斬り裂かれて消失。部位欠損(レギオン・ディレクト)ペナルティを受けた右腕が宙を舞った。

 しかしPoHは驚異的な反射神経で《メイトチョッパー》のみをがっしりと掴む。そのまま空中でくるくると回転していた『右腕だった』物体から、殺人武器だけが抽出された。

 PoHは改めて左手だけで剣を構える。

 俺はこの攻撃を受けきることはできないだろう。ただでさえ《氷結剣》にあちこち斬り刻まれていたのだ。

 道連れ。これがPoHの選んだ最期。

 

「さ、せるかァアア!!」

 

 だが金切り声のようなワンオクターブほど高音域の振動が伝わった時、なおも《メイトチョッパー》を受け止めていたのは俺のアバターではなかった。

 凄まじい音量の先にあったのはキリトの左手の剣。

 右腕を氷の阻害オブジェクトに丸ごと遮られていても、彼は文字通り《二刀流》の所持者だ。

 魔剣を受け止めた名剣の銘は《ダークリパルサー》。鍛冶屋リズが最高級の素材を使って丹精(たんせい)に打ち込んだ、自他共に認める彼女の最高傑作。それが俺達を守ってくれた。

 数瞬が引き延ばされた世界で、PoHの動きが止まる。

 そして、それだけで十分だった。

 

「おォオオオオオオオオッ!!!!」

「ジェ、イ……ドォオおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 腰だめに構えた俺の大剣が一閃された。

 それは吸い込まれるように艶消し黒ポンチョの中心へ沈んでいった。

 凄まじい炸裂音とノックバック。

 ズパァアアアアアアアアッ!! と。重なる音に、とうとう《ガイアパージ》が右腕のないPoHの心臓部を貫通した。

 静寂が、ほんの少しだけ場を支配する。

 

「クックッ……まだ、終わらねェ……っ」

 

 気が気でない時間が過ぎ、発せられた言葉とは裏腹に時が終わりを告げる。

 ガラスが1つ、静かに割れる音がした。カランカラン、と。多くの人の血を吸いすぎた包丁が、それでも無機質に地面に墜ちる。

 吹き抜ける風はどこまでも冷たい。死体の温度を運んできたように。

 嫌でも実感は後追いでやって来るだろう。今日この瞬間にどんな人物が散り、どれほどの数の人生が救われたのか。

 

「終わっとけよ……ハァ……クソ野郎……」

 

 死に際の台詞が何を意味するのかはわからない。残った傷があとを引くという意味なのか、根付かせた悪意が実を結ぶという意味なのか、それとも単なるこけ脅しか。

 何にせよPoHはこの世を去った。

 深く、重い息をつく。まるで憑き物が落ちたように。

 それっきり、誰も、何も声を発さなかった。

 長きにわたる戦いが、だんだんと息を引き取り、そして終息していった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「あれでよかったのよね……」

 

 深夜、眠れないからとギルドホームの自室に招いたヒスイが、俺のベッドの隣でそんなことを言った。

 話のはじめは唐突だったが俺にとっては昼間の戦いから繋がって聞こえた。

 特に迷うこともなく、心のどこかで用意していた言葉を紡ぐ。

 

「よかったさ。軍の1人は殺してないし……PoHは、死んで当然の奴だ……」

 

 死んでいないとは言え、もちろんコーバッツは《黒鉄宮》に投獄されている。これで直接的な危機は発生しないだろう。

 それにしても、用意はしたが本心ではない。よくも心にもないことをつらつらと続けられるものだ。

 心臓が()きむしられるようだった。

 誰がわざわざそんな結末を望むだろうか。殺したくて殺したのではない。互いに剣を突きつけたあの場において、それ以外に出せる解答がなかっただけだ。

 だから仕方なく覚悟を据えたまで。まさかラフコフが壊滅した直後、PoHが攻略組に出頭し頭を下げながら命乞いをしたとして、それを無視しはりつけにしてまで公開処刑をしてやろうなどとは思わなかっただろう。

 だが、結局は殺した。

 もう言葉も通じなくなっていた男に死を与えた。悲しいほどに、どうしようもない取捨選択。犯罪者を消す目的のため、改心ではなく殺害という1つの手段を取った。

 すでにアインクラッド中がこの事実を確認したことだろう。そして奴のいなくなった世界に歓喜しているに違いない。

 ジョニー・ブラックや赤目のザザに関しても《記録結晶(メモリー・クリスタル)》で《生命の碑》を、PoHの墓標を撮って見せつけてやった。彼らはまだ信じていないようだが、それも今や関係ない。あとはあいつらの考え方次第である。

 なんの利益も生まない連続殺人、負の争いは終わったのだ。

 これでよかったに決まっている。

 

「……なのに、そんな目をするのね……」

「こ、これは違う!」

 

 見透かされたような気がした。

 俺はすぐに否定してしまったが、それが何よりの肯定だったのだろう。

 殺したことに、その事実に、少なからず焦燥を見せてしまった。それを読み取り、ことの重大さに気づいたのか、彼女は不安に押し潰されそうに泣き始めた。

 

「あたし……怖かったのよ。……だってっ……死ぬのも……殺すのもッ……あたし達は向こうに帰ったらッ」

「……ああ、強要したのはあやまる」

 

 ヒスイはもう共犯者と言っていい。多くの人に肯定される殺人だったのかもしれないが、しかし彼女の震えは慰めで納得し止まるものではないだろう。

 人肉に鉄塊を押し込むあの感覚は、例えることすらできないおぞましさがある。去年の11月、ミンスとタイゾウを殺した瞬間、手のひらの感触を思い出すだけで俺すら吐き気が走るぐらいだ。

 その行為を共有し、こうして戦いが終わった後も巻き付くような禍根(かこん)を残してしまった。今さら、「安心しろ。殺したのは俺だ」なんて、とてもではないが言えない。

 ヒスイは記憶を掻き消すように叫び続けた。

 

「あたしも怖いのっ! なんなく実行できた自分がッ……普通、殺せる!? あたしはっ……それを、やったのよ! みんな怖がるかもしれないッ……もう、戦いたくないの!」

「ああ、すまん……けど俺もヒスイも間違ってない。誰も責めないし、殺したことをトガめない。それは自信を持て……」

「ぅ……ヒック……」

 

 その後も何度も、何度もなだめた。あの殺人行為は悪くなかったのだと。人に肯定される殺人もあると。そんな、あり得ないことを口にしながら。

 そうしてしばらくすると、ようやくヒスイは落ち着いてきた。

 

「うんっ……あ、りがとう……でもっ、ごめんね……あなたの前じゃ泣かないって……甘えないって、決めっ……たのに……」

「泣いていい。俺がいるから……」

 

 俺はヒスイを髪の後ろから抱き締めた。

 彼女の涙がまだ肩を濡らす。この涙が心の中からも枯れるには、もう少し時間がかかるだろう。いくらでも時間をかけて(いや)せばいいと言い聞かせる。

 俺は嗚咽を漏らすヒスイを撫でながら、「少し横になろう」と言って寝かしつけた。それに大人しく従う彼女は心身ともに疲れ果てたのか、そのまま寝息をたてていった。

 念のため俺はしばらく横で座ってみる。すると、意識のないまま俺の手を握った。もういい加減いいだろうと俺もそれを握り返してやると、頬に伝わった涙を拭き取ってから同じベッドに横たわる。

 聞こえてはいないだろうが……、

 

「ヒスイがいてくれてよかった。……ずっと……ずっと好きだよ、ヒスイ……」

 

 髪と、そして頬にキスをした。

 最愛の(ヒト)(かたわ)らに、俺も壮絶な1日を終えるのだった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。