SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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リコレクションロード5 受け継がれる正義

 西暦2024年11月1日、浮遊城第75層。

 

 さてさて。

 さすがは同性と言うべきか、アリーシャさんの気遣い的な助言で、ジェイドとヒスイさんは気分転換デートに旅立ってしまった。

 それもこれも、この世を去ってなお精神を(むしば)むあのPoHが悪いのだが、今は彼女の戦績不振が治ることを祈って待つしかない。

 とは言え、彼女の復帰を待つといっても待機組とて有意義に過ごしたい。という理由から、朝から副リーダーのジェミルが暫定的に3人での狩りを計画してくれていた。

 ……のだが、さすがに強引なリーダーなき戦闘員もお休みモード。ぐだ~っとしているうちにお昼になってしまった。特に今日は日が昇ってから横風がひどく、随所(ずいしょ)に発生する突風が狩りの効率を落としているのも一因である。

 なしくずし的にフィールドで効率度外視の暇潰しレベリングをしていた僕達3人は、仕方がないので一旦主街区に戻って腹ごしらえをする流れとなった。

 

「ああもう、ヤダヤダ。どうなってるのよ今日は。風強い日は外歩きたくないわ~。久々にはりきって化粧したのにこれじゃ台無しじゃない!」

「うぅん……それにしても、ないねぇお店。この辺になかったかなぁ?」

 

 出発前に20分も鏡の前で粘ったアリーシャさんを適当にあしらいつつ、ジェミルも辺りをキョロキョロ見渡しながら答える。

 

「何件かはあるはずなんだけどねぇ。さっき見つけたのは人が一杯だったしぃ」

「あ、あれってSAL(ソル)の人じゃない?」

 

 ふと指差した僕の方向には、攻略組ギルド《サルヴェイション&リヴェレイション》、通称SALのメンバーが2人歩いていた。

 残念なことにハーフポイントで1人減ってからは、未だに人数の増えない4人組ギルドだ。今はリーダーと副リーダーという、いつもの2人ペアで歩いているが。

 

「ああ、確かあの赤メッシュな曲刀(シミター)使いがリーダーの。ええっと、4人ギルドだったわよね? 前のトーナメントで全員参加してた覚えがあるわ」

 

 リップ、チーク、シャドウ、ファンデとお人形さんのようなハイレベルな化粧にサイドポニーかつワックスこてこてのギャル風アリーシャさんが、ぽってりとした口元に指をあてながら(つぶや)いた。

 

「そうだよぉ。特にあの2人はリアルでも知り合いだったんだってぇ」

「あ、ジェミル~。リアルのことは本人の了承なしに言いふらしちゃダメだよ!」

「あぅ……ごめんよぉ。つい……」

「まったく、ご法度は守らなきゃ。おーい、アギンさーん! フリデリックさーん!」

 

 たった23人で唐突に討伐したのだから当然だが、彼らが前回のボス戦に不参加だったゆえに会うのが久しぶりだったため、僕は自然と声をかけていた。

 

「ん? おお、レジクレんとこのボーズじゃん。74層は任せっぱになってすまなかったな」

「いえいえそんな……」

「こんにちは。久しぶりですよね? 前会ったのは先月の……」

 

 雑談に入った赤いメッシュをいれた高身長のアギンさんはさすがの貫禄というべきか、僕が最初に会った去年の夏頃とは別人のようなオーラがあった。ただしあご髭とイメージカラーが赤というチャームポイントはクラインさんも頭に浮かぶ。

 対する穏やかなフリデリックさんも僕より目線が10センチほど高く、片耳のピアスと金髪が整った顔を一段と際立たせていた。

 そこへ、面食いを自称するアリーシャさんがこそこそと話しかけてくる。

 

「ね、ねぇ……近くで見ると結構イケメンじゃない? も~こういう人は最初に紹介しなさいよ! アタシ左の方スッゴい好みなんだけど!」

「紹介するために声かけたんじゃないよ! それにフリデリックさんには向こうにフィアンセがいるよ!」

「うっそーん!!」

 

 フリデリックさんが爽やか笑顔で「呼んだ?」と言うと、「いやいやなんでもありません!」と答えるしかない。

 まったく、アリーシャさんのトラブルメーカー気質はどこに行っても絶好調だから困ってしまう。つい僕までご法度を破いてしまったではないか。

 

「そういえば今日も2人なんですか?」

「ん? ああ今日のギルド活動はオフでさ。ノルマは果たしたし、たまには休まないと体が持たん。そこで前受けた難解なクエストをクリアしてくれたリックに、今日はおれから奢りだって話つけてたんだよ」

「そうだったんですか。どこかめぼしいお店でも?」

「もちろん。古い酒場みたいなところでね、雰囲気の好みは分かれるかもしれないけど、なんなら紹介しようか?」

「奢ってくれるんですか!」

「いやそこまではしねーよ!?」

「ちぇ〜」

「……たくましいな、思ったより……」

 

 と言うわけで、僕達5人は最前線から25階も下がった雑貨商街《アルゲード》に来ていた。

 もはやダンジョンよりも迷宮入りした本主街区には、宿やレストランに穴場も多く、人口密度と充実した娯楽施設から活気に溢れている。

 きっとアギンさん達は必需品の補充などをこの層で済ませているのだろう。適当に10分も歩けば帰りに迷いそうな道なき道を、よそ見もせずにすたすたと歩いていく。

 ちなみにアリーシャさんも色仕掛けで『自分だけ奢ってもらおう作戦』を敢行(かんこう)していたが、アギンさんの顔色ひとつ変わらないあしらいによって撃退されている。「ちっ、手慣れてるわね!」などと文句を言っていたが、長い付き合いで旧レジクレ勢にのみ聞かされていた彼らのリアルの職業を聞いたら、きっと自分の無謀さに赤面するに違いない。

 そうして気前よく穴場の美味しいお店を紹介してもらい、5人で満席という奇跡的な狭さとジューシーな肉料理も満喫したところで、僕達は食事を終えると近況報告をしていた。

 

「このお店の代わりと言ってはなんですけど、75層の迷宮区は相当キツいらしいですから気を付けてください。特に《パラライズ》と《カラウド》のデバフが激しいのだとか」

「へぇ~そりゃ知らんかった。明日から一気にマッピングする予定だったから、サポーターにありったけデバフ対策させてから適当に突っ込むよ。サンキューな」

「サポーターって僕じゃないですか、仕事増やさないで下さいよ先輩」

「いえ、ほんのお礼です。じゃあ僕達はこれで」

「また会おうねぇ。時間があったらぁ、今度は手合わせでもしよぉ」

 

 さりげなくフリデリックさんをスルーしながら別れようとした寸前だった。

 

「誰か助けてくれ! 仲間が連れ去られたんだ! 誰か手を貸してくれぇ!!」

 

 という、悲痛な叫びが店の前方から聞こえてきた。声は若く、当然そのボリュームなら多くの通行人に聞こえていたはずだが、周りのプレイヤーは例外なく面倒事はゴメンだと言わんばかりにすぐ横を通りすぎていった。

 しかし僕は流されやすいタイプなので、つい助けを求める彼のことを見てしまう。

 

「やめておいた方がいいぜルガトリオ。無条件な優しさは禁物だ」

「で、でも……」

「面倒を押し付けておいて、お金を踏み倒そうとする物乞いみたいな人が以前いたんですよ。最近じゃ手口も広がって見なくなったんですが……。それに迷子を探すクエストもここアルゲードでは散見されていますし、彼もNPCかもしれません。じゃあ行きましょうか先輩」

「でもクエストログはありませんし……」

「ち、ちょっと待って! あれヤマト君じゃない!?」

 

 とそこで、アリーシャさんが僕とSALの2人を遮るようにすっとんきょうな声をあげた。

 しかも名前で呼んでいたあたり、どうやら彼女の知り合いだったらしい。駆け寄っていくアリーシャさんに続くと、すぐ後ろでこんな言葉が聞こえる。

 

「ったく、しゃあないな~……って、こらリック! おめぇ何笑ってやがる!」

「いやいや。ただ先輩もお人好しだな~と思っただけですよ」

 

 どうやら様子だけでも見に来てくれるそうだ。アギンさんも案外素直である。

 

「アリーシャさん!? アリーシャさんなのか!? ああ本当によかった、助けてくれ!」

「それはいいけどあんた達、名前の横にシギルがあるってことは、またみんなでギルドでも立ち上げたの?」

「それどころじゃないんだ! いや、その話なんだけどッ……と、とにかく! ギルドに来てくれたヨルコちゃんが他の男にさらわれたんだ!」

「ヨルコが男にさらわれたですって? ……そんな……でもほら、あの()だって《ハラスメントコード》のことは知ってるでしょう? 何でそんな簡単に……」

「ダメだ。たぶん、複数のプレイヤーに自由を奪われちて抵抗できなかったんだよッ」

 

 先に着いたアリーシャさんとの会話を拾うと、どうやらヤマトと名乗った黒髪で寸胴な男性は元GA、つまりギルド《黄金林檎(ゴールデン・アップル)》のメンバーの1人のようだ。

 当時リーダーだったグリセルダさんとその夫であるグリムロックさんはもうこの世にはいない。有名な事件だ。確か『クレイヴ』という人物も犯罪に手を染めていたので、DDAに所属してしまったシュミットさんを除くと、フリーな元GAメンバーは4人といったところか。

 昔の8人ギルドはとうに解散したはず。しかし、たった今元メンバーを気にかけているヤマトさん達は、4人でまたギルドを再結成したのだろうか。

 

「ルガァ、ヨルコさんってぇ……そばかすの人だったっけぇ?」

「うんそうだよ。藍色のロングヘアーのおとなしい人」

「あんた達はレジクレの……覚えててくれたのか。俺ら4人になっちまったけど、また攻略に参加しようってチェーザルの奴と久々に会って話し合ったんだよ。名前も昔の《黄金林檎》を使ってさ……その、レジクレの人達が昔の事件を解決してくれて、俺達はもうお互いを疑いあったりする必要がなくなったんだ! だからっ……仲の良かったあいつともう1回ギルドを作ったんだよ。シュミットの奴はもうDDAに入ってるから無理だったけど、カインズとヨルコちゃんも誘いに乗ってくれて、その時点でもう4人。戦力確保のためにメンバー募集をかけると、さらに4人が集まってくれた。1年もバラバラで非効率な攻略しかできなかった俺らが、こんな単純なことで仲直りできたんだ! ……けど……」

 

 そこで言葉を区切るリッカルドさん。

 辛抱強く待っていると、激しい怒りと共に続きを語り出した。

 

「けど、やられたっ! 新しく入ってきた4人の奴らは、俺らを騙しやがったんだ!」

「どういうこと……?」

「……俺らはあるクエストを受注していた。ここからフィールドに出てかなり東にあるクエなんだけど、なんせ報酬が抜群で今も多くの人が受注し続けてる。始めにバカでかいボスとやりあって、そいつを突破すればレンガ造りの立体迷路が待っている。それで、奥にある宝箱の鍵の入手でクエストが完了するやつなんだ」

 

 汗だらけのヤマトさんがそこまで話すと、アギンさんが思い出したように割り込んだ。

 

「あ、それ知ってるぜ。おれも昔リックとやったことがある。確か、迷路に入る前や後で参加人数を再設定できるんだよな?」

「あーありましたね。迷路を少人数で突破したら、とんでもない経験値が手に入った記憶があります」

 

 だいぶややこしいが、前半と後半で参加人数をコントロールできるクエストらしい。

 僕はあずかり知らないが、きっと《カーディナル》によって後からアップデートされたのだろう。

 

「そう、それだよ。俺らは新人を含む8人でボスを倒した。騙し絵迷路も少人数で挑んだ。……報酬を圧縮するために、仲間の1人に迷路の突破を全部任せたんだ。……だってよ、そいつはクエストの情報を買っていたらしくて、ゴールまでのルートを暗記してるって俺に言ったんだよ!」

「ああ、報酬がいいのはバカ広い迷路が到底1人2人じゃゴールまでたどり着けないぐらい難しい初見殺しだから、だよな。……けど、2回目以降はもちろん、情報買って道の答えを知っておけば、迷路はもはや何ら障害にならんし……」

 

 ダンジョンの種別は判明してきたのかもしれない。

 しかし、まだ話は見えてこなかった。

 8人の内1人がその騙し絵迷路の立体ダンジョンに突入したことが、ヨルコさんがさらわれたことにどう繋がるだろうか。これではその新しい仲間とやらが1人扉の向こう側に閉じ込められてしまっただけで、ヨルコさんは関係ない。

 そんな疑問を払拭(ふっしょく)するように、ヤマトさんはさらに続けた。

 

「……そっからだよ、やられたのは。扉の中に入った奴は、予定にはないはずの『ダンジョン侵入可能人数』設定で、勝手に人数を変えやがったんだ。そうとも知らずに俺らは、近くで適当なレベリングをして時間を潰してたんだよ……」

「そこでヨルコがさらわれたのね?」

「ああ。彼女の休憩中にあっという間に扉の中に連れていかれちまった。加入時に確認したんだけど《隠蔽(ハイディング)》スキルはみんな持ってなかったはずなのに、いつの間にか見計らったように3人が姿を眩ませてッ……けど、マジでどうやったのかわからねぇんだ。誰にも気づかれることなく……」

「今の参加人数は?」

「『5人』に設定されてるみたいだ。だから新しく入ってきた4人とヨルコちゃんだけがダンジョンの扉の向こうにいてッ……俺も、チェーザルやカインズも助けに行けないんだよっ……ちくしょう……ッ!!」

「じ、じゃあクエストを諦めれば? そうすれば迷路に入った5人もこっち側に……」

「それもダメなんだ!!

 

 リッカルドさんは大声で吐き捨てた。

 しかし感情的になっていた自分を自制し、なんとか話を続ける。

 

「怒鳴ってすまない……けど、人数設定も含め、クエスト破棄ができるのは扉の内側にいる奴だけで、しかも迷路の突破を諦めて脱出したければ、内側の全員がクエスト破棄を選択するしかない。……そりゃそうだ、でなきゃ手分けしてゴール地点を探すだけ探せば、あとはゴール直前にみんな脱出させて『1人』に戻すことで、クリア後の報酬を大量に受けとる不正ができちまう。……中はモンスターがポップしない仕様で、しかも『特殊な脱出手段』が用意されてるせいで、逆にクリスタルは無効。つまり、ヨルコちゃん1人が『クエスト破棄』を選択しただけじゃ脱出もできない!!」

「それはどれぐらい前のこと?」

「に……20分以上も……前だ……」

 

 なるほど、聞く限りでは状況はかなり危険だと言える。

 最初にクエストログを有効にしてしまった8人はクエストの受け直しができない。しかもクエスト後半のダンジョンへの参加人数は、先に内部へ突入したメンバーしか決められない。

 さらにクエストクリアを除き、脱出方法が迷路内全員のクエスト破棄だとすると、ヨルコさんに離脱手段はないと見ていい。

 絶望的だ。せめてダンジョン内へ援護しに行けるのならだいぶ解決するのだが。

 

「そうだ! 今から僕達がそのクエストを受ければ、ヨルコさん達がいるところと同じダンジョンに侵入できたりしないのかな!? 人数も別枠になるし!」

「それは僕も考えてました。先輩と僕だけでも突入すれば……」

「……それは、無理なんだよ。確かにクエストログはいつでも立ってる。同時進行で別々のプレイヤーやパーティが挑戦することもできるだろうさ……けど……」

「あ、そっか……同時に進行できるってことは、そのダンジョンは扉を境に一時的な(インスタンス)マップに切り替わっているんだね? 50層のマップから一時的に消滅して別の空間に転移されてるから、簡単なメッセージも送れない……」

 

 僕が訪ねるとリッカルドさんは静かにうなずいた。

 一時的な(インスタンス)マップ。スタンドアローンなRPGやコンシューマーゲームと違い、多くのユーザが同時多発的にログインするVRMMOでは、物語の唯一性を優先してしまうと逆に多くの人が理不尽な(あお)りに見舞われてしまう。

 よって今回の場合は、騙し絵迷路の奥に隠された宝箱の鍵の奪い合い、または他の誰かに先を越されたせいで後発者のクリアフラグが立たず脱出不能になる事態を避けるため、クエストが発生するごとに各チャレンジャーに、それぞれ別のダンジョンマップが提供されるのだ。オンラインゲームではよくある話である。

 と言うことは、これから僕達やアギンさん達がクエストを受け直したとしても、僕達用に用意されたまったく関係のないダンジョンをクリアするだけになってしまう。

 

「そんな、どうにかならないの……ヨルコは女の子よ? だって、その……」

「わかってるっ。だから一刻も早くって、助けを求めて手分けしてたんだ。けど、冷静に考えればそうだ。協力者がいても、これじゃあ……クソォッ」

 

 僕も目一杯頭をはたらかせていた。だいたい、こんな簡単な方法で完全に閉じ込められてしまうのなら、ずっと前に問題が起きていてもおかしくない。

 きっと何かあるはずだ。このデスゲームは、自動メンテナンス機構《カーディナル》が常に情報のアップロードを行っている。おかげで不具合やラグも発生していないし、理不尽なダンジョンや経験値テーブルが比例しないスポットはどんどん修正されている。あくまでプレイヤーが言い訳できないよう、フェアな環境を整えているのである。

 ということは、見落としているだけでどこかにあるはずなのだ。犯罪者が好き勝手できないような、参加者へのセーフティライン、安全策が……、

 

「あっ、そうだ! 思い出したんだけど、同じギルドメンバーなら同じインスタンスマップが提供されるんだ! まだヨルコさんは助けられる!」

 

 僕が突然騒ぎ出すと、まだ意味を理解できないリッカルドさんは首をかしげていた。

 

「えっとね、つまり、《黄金林檎》のギルドメンバーであれば、今から同じクエストを受け直しても報酬の重複受け取りみたいな不正を避けるために、その人達は同じインスタンスマップへ飛ばされるんだ!」

「それは知ってるさ。でも最初に言ったろう、俺らは8人集まった段階で活動を開始した。……つまり《黄金林檎》にはもうメンバーがいないん……ま、まさか!?」

 

 僕は力強くうなずいた。

 それを遅まきに理解したジェミルとアリーシャさんも甲高い声をあげる。

 

「ええぇ!? それじゃぁギルドを脱退するってことぉ?」

「一時的ってだけ! 僕が今からレジクレを抜けて《黄金林檎》のメンバーになって、そしてクエストを受け直すんだ。そうすれば助けに行ける!」

「そんなっ……あんた、何でそこまでしてくれるんだ? そりゃ《圏内事件》じゃ世話になったよ。……けど、これって俺らが礼をするべきだよな? 恩人のあんたにそこまでさせられねぇよッ」

 

 涙目になって己の葛藤と戦うリッカルドさんには、とてもシンプルに答えた。

 

「いいや、やるよ。……ジェイドならきっとこうする」

 

 これが事実なら、僕にもう迷う理由はなかった。

 ただ、アギンさんやフリデリックさんは少し申し訳なさそうに言う。

 

「……すまねぇな、ルガトリオ。おれもできれば協力してやりたいんだけど、おれとリックは一応SAL(ソル)のトップ2だ。ギルマスとそのサブの変更は手順が面倒で時間がかかりすぎるし、おれらは簡単にこのギルドへの脱退や加入ができない……」

「先輩の言う通りなんです。権利乱用を避けるため、加盟と脱退には制限がついてしまいます。つまり、頻繁に出たり入ったりができないんです。……ギルドを解散すれば早いんですが、ただの休暇中にメンバーに無断で勝手なことは……」

「わかっていますよ。だからこれは僕1人でやります。今からジェイドに僕をギルドから除名してもらって、そこからすぐに《黄金林檎》に加盟します」

「あんた……か、感謝するよ! 本当に……本当にありがとう!」

 

 とはいえ、僕とてただのお人好しにはなりたくない。僕は手分けして協力者を探していたらしいカインズさんやチェーザルさんにも集まってもらい、それぞれ事情を聴いて裏を取った上で行動に移った。よもや《圏内事件》で貸しのあるカインズさんだ、嘘はつくまい。

 

 

 

 そして数分後、やはり彼でさえ本気で救助を求めてきたことから、僕はこの事件を本物と断定した。

 ただし、直前で横槍が入る。

 

「……決めた。アタシも行くわ」

「あ、アリーシャさんも!?」

「副リーダーのジェミル君と違って、アタシもフリーよ。問題ないでしょう?」

「でも……」

 

 言いかけて、やめる。これが今のアリーシャさんにとって貫くと決めた正義なら、僕はそれを止めない。

 

「うん、決まりだね。じゃあ走りながらやろう! 時間が惜しい!」

 

 僕は揺れるウィンドウに四苦八苦しながらも、どうにかジェイドに要望を送った。タップミスで同じメッセージを連投してしまった気もするが、細かいことを憂慮(ゆうりょ)している時間はない。

 無理を承知で頼み込んだつもりだったが、短い文でも僕を信頼してくれたのか、ジェイドは意外にあっさり受け入れてくれたようだった。

 

「(すぐ帰ってこい……か。さすがに僕のことだと察しがいい……)」

 

 それがなんだか嬉しくて、僕は危険を前に俄然(がぜん)やる気になっていた。

 

「く、クエストログを見つけたぜ! 走った甲斐があった! 《ギルド招待メッセージ》はさっき送っといたから、それを承諾したらすぐにでも頼みます!」

「わかってるよ! もう40分はたってる!」

「圏内事件の時からっ、迷惑かけっぱなしですみません! お願いしますルガトリオさん!」

 

 カインズさんの念押しには片手を上げて応え、僕はのんきにフィールドで地図を広げていたNPCに定番ワードである「なにかお困りですか?」と声をかけると、旅人は早口なセリフにも反応してくれた。

 案内されたポイントへまたダッシュで接近すると、小型のピラミッドのようなレンガ造りの建物を発見。正面には明らかにミスマッチした銀縁の取手付きのドアが設けられていて、おそらくその先が騙し絵迷路の立体ダンジョンだと推測できる。

 すると、《索敵》スキルを持ってなくてもわかるほど堂々としたエフェクトと共に、正面に派手な色彩の敵が現れた。

 

「来た、クエストボスだよ!」

「でも大丈夫。アタシらは前線組だし、慌てなければこんなの瞬殺なんだから!」

 

 最近はヘタなマイナーゲームの女戦士よりも様になってきたアリーシャさんが、片手直剣を後ろに構えながら一層自信に溢れた戦気を放つ。

 

「ルガ君はアトから援護ちょうだい!」

 

 アリーシャさんが単発突撃系のソードスキルで突っ込むと、そのノックバックで強制的にこじ開けた隙に乗じ、今度は棍棒(クラブ)を抜刀したボクがスイッチで前に出た。

 両手用打撃(ブラント)属性武器専用ソードスキル、上級重震五連撃《ミルキー・インパルス》。

 右から横殴りに1発振り抜き、半時計回りに回転しながら今度は頭上より垂直に棍棒を叩きつける。あとはその回転叩きつけ攻撃を最高五連撃まで続けることのできる、言わば攻撃回数を途中で任意に決められる便利ソードスキルである。

 僕はそれを最高の五連撃までだしきると、敵の反撃に備えて防御の姿勢をとる。しかしクエストボスからの反撃は来なかった。

 ズガガッ!! と、その眼球に2本のダガーが突き刺さったからだ。

 

「ジェミル!」

「えへへ、ボクだけじゃないよ!」

 

 彼がそう言った直後、曲刀(シミター)長柄槍(ポールランス)を装備したアギンさんとフリデリックさんが、息の合った挟み撃ちでボスを追撃した。

 その猛攻にたまらずゴアアアアア!! と絶叫を残しながら、二足歩行のスフィンクスボスモンスターがたじろぐ。

 

「2人共どうして……っ」

「へへっ、まだ一時的な(インスタンス)マップには突入してないだろ? だったらおれやリックにも手伝えることがあるってこった!!」

「全力で援護するよ! サブウェポンだから、力になるかはわからないけどね!」

 

 クエストログからフラグを立てたのは、今や《黄金林檎》メンバーとなった僕とアリーシャさんだけ。ゆえにこのボスへ誰がラストアタックを決めたとしても、その経験値は僕達2人にしか割り振られないはず。

 それでも、それを承知した上で彼らは僕達を援護してくれているのだ。

 それにフリデリックさんの予防線が謙遜(けんそん)であることは明らかだった。もちろんメインの円月輪(チャクラム)を使ったサポートが彼の本領ではあるのだろうが、元々器用な彼にとってそのハンデは無視できる程度のものなのだろう。

 戦いは一方的で、圧倒的だった。

 有無を言わせぬ連続攻撃。ものの2分半でクエストボスが討伐されると、僕とアリーシャさんは背中を押されるように取手付きのドアの前に立っていた。

 

「準備はいいアリーシャさん?」

「アタシらがペア組んでこんなことするなんてね。不謹慎だけどちょっと気が高ぶるわ」

 

 どうやら準備は万端のようだ。

 ドアノブを(ひね)って僕が先にダンジョンに侵入すると、アリーシャさんがゆっくりとあとに続く。

 

「2人とも頑張ってぇ。あとぉ、気を付けてねぇ」

「任せてよジェミル。すぐ帰るから」

 

 ダンジョンのドアが完全に閉まる。ここからはインスタンスマップ。脱出したければ、僕とアリーシャさんがメニュータブから『クエスト破棄』を選択する他ない。

 

「やっぱり設定人数は上限が『2』だね。もしやと期待したけど普通にクエストボスも追加されてたし、ボスから割り振られた経験値も僕とアリーシャさんで割り勘だったもんね。さすがにインスタンスマップは共有してるはずだけど」

「それより何よこのダンジョン、階段とドアの設置の仕方がおかしくないかしら? 側面に階段もあるし、下や上向いちゃってるドアまであるわよ?」

 

 確かにアリーシャさんの言う通りだった。

 閉鎖空間にしては意外に明るいのが救いだが、まるで有名画家による錯覚アートを3次元で表現したような、目が回るダンジョンが広がっている。

 

「うん。情報通り、これが騙し絵迷路の立体ダンジョンってことなんだ」

「目が回って酔いそうだわ。……きゃあ!?」

「ほらっ、そこ気をつけて!」

「あっぶなぁ〜」

「ダンジョンの広さに反して結構足場が狭いし、『立体迷路』ってことを忘れないようにね」

「うん……ゴメン……」

「しかも、なんか下の方に湖みたいなのがいくつか見えるね……」

 

 四角に切り取られた不自然な湖は、底が見えないことから、かなりの水深があると予想された。もっとも、落ちても泳げば問題ないかもしれないが。

 ただし落ちたら水音が遠くへ響いてしまう。僕達はここの攻略にこそ興味はないが、少なくともこのダンジョンに監禁されたヨルコさんを速やかに助け出さなければならない。

 よってなるべく僕らの侵入は敵に知られたくはない。

 至るところにある蝋燭(ろうそく)の火で、光源だけは苦もなく確保できそうだ。

 

「ヒール履いてこなくてよかったわ~。レンガの上とか歩き辛いし。……あ、じゃあ手分けするのは危険すぎるかしら。トラップとかもあるかもしれないわよね?」

「う~ん……こうなると罠探査(インクイリィ)を持ってるジェミルが欲しいところだね。でもアリーシャさんは《索敵》を持ってたでしょ? まずはそれで大まかに位置を探ろう」

「それしかなさそうね。サーチングの機能はさっきオンにしておいたんだけど……ち、ちょっと待って!? これどういうことなの!?」

 

 突然アリーシャさんが立ち止まり、僕には不可視の自分のウィンドウに目を開いた。

 

「ど、どうしたの。誰かいたの? あとできれば声を抑えて……」

「数がおかしいのよ! このダンジョンには今、10人以上のプレイヤーがいるわ!」

「そ……んな……ッ! くっ!? アリーシャさん危ない!!」

 

 視界の端でチカッ、と何かが動いたのを確認すると、僕は必死にウィンドウを覗き込んでいた彼女に覆い被さっていた。

 直後に背後でドガァアアアアアッ!! と大爆発が起きる。

 (あぶ)られた背中が熱い。この火力は間違いなく樽型爆弾だろう。ヘイト稼ぎにしかならない《威嚇用破裂弾》とは比較にならない破壊力で、樽一杯に火薬を詰め込んだタイプの導火線爆弾だ。普通はモンスターの生態を利用して待ち伏せし、その爆発力で先制攻撃に使われるものだが……、

 

「(先を越された!? どうやって!?)」

「ボスの言った通りだ! やっぱり勝手に入ってきてやがった!」

「数は2人! さっさと捕まえろ!!」

 

 あちこちから声がする。

 振り向くと、視界の端に数人捕らえた。怒声から感じる声調、髪や服装の乱れ、問答無用の攻撃性。

 ヨルコさんを密室に(さら)った連中は、どうやら悪い意味で本気らしい。

 

「くそ、相手の人数が多いッ……ここは引こう。アリーシャさん立てる!?」

「え、ええ……ごめんなさい……」

 

 その謝罪にも応えずに、僕は彼女の手を引いてがむしゃらに走った。敵の総戦力が不明な内は衝突を避けたかったからだ。

 幸い不自然にレンガがくり抜かれたような空間や乱雑な階段もあり、部屋を区切るようにドアも設置されていたので、数人の追っ手を一旦()く程度なら容易(たやす)かった。

 3次元的な逃げ方をランダムに行ったのだ。多人数で端からローラー捜索をされてもしばらくは持つだろう。

 

「ハァ……ハァ……先にキャッチされるなんて……ハァ……敵にも手練れがいるね」

「ハァ……うん……危なかったかも。さっきは本当にありがとう、助かったわ……」

「あ、いや……うん……」

 

 慌てていたとはいえ、つい手を握って走っていたことを思いだして体温が少し上がる。

 しかし《ハラスメントコード》によって無条件に僕の手が弾かれなかったと言うことは、アリーシャさんの内では徐々に僕の存在が認められていると言うことなのだろう。嘘偽りなく嬉しい事実である。

 

「あとさっき敵が10人以上って……」

「そ、そうなのよ。数えたらアタシ達以外に13人もプレイヤー反応があったわ。さっきみたいにアタシ達侵入者を警戒していた辺り、ヨルコさんの監禁と無関係じゃないだろうし……あいつらはどうやって人数を増やしたのかしら? まさかヤマト君が招き入れたとか……!?」

「だとしたら僕らを呼ばないだろうし、それはないと思う。……方法はまだわからないけど。でも考えてみたら、あの人達は剣を使わずに前線のショップで売ってるタイプの爆弾で攻撃してきたよね? 時間差のおかげで僕は奇襲に気づけた。……と言うことは、あいつらのレベルはたいしたことないと思うんだ。たぶん次に遭遇戦になっても切り抜けられると思う。だから固まってちょっとずつ捜索なんてやってる場合じゃない。ここは強行突破して少しでも早くヨルコさんを見つけよう」

「そうね。女の子のヨルコがどれほど怖い目に遭ってるかはアタシが1番わかるわ。あんな奴ら、サクッと倒してサクッと脱出しちゃいましょう!」

「うん。ロープは持ってきてるよね? 敵と交戦したら、なるべく相手の武器を破壊して、身動きをとれないようにしておこう」

 

 方針は決まった。

 僕とアリーシャさんは休憩もほどほどに二手に別れ、ヨルコさんがどこで監禁されているのかを突き止めにかかった。

 

「(ヨルコさん。……敵がそういう……げせんな目的で彼女を監禁してるとしたら……)」

 

 考えるだけで怖気(おぞけ)が走る。やっと仲直りできたギルドがこうして前向きになったところに、それを踏みにじるように侵犯したあげく、女性によってたかって手を上げるなんて最低だ。男の恥だ。

 レンガ上を走る僕の中で、戦意は独りでに膨れ上がっていた。

 

「(けどタイムロスは避けたい。戦うのはヨルコさんを見つけたあとだッ)」

 

 できればこの怒りを叩き込みたいところだけれど、あくまで目的は戦うことではない。それはただの手段。敵の手下を見つけたとして、僕はやはりルートの迂回を選ぶだろう。わざわざ時間を割くのも無駄である。

 そして。

 しばらく早足に捜索していると、本当にふとした弾みで視線を横に向けた先に、下着だけをまとった女性が体を抱くようにして隠れているのが目に入ってしまった。ほんの数メートル先だ。

 

「ヨルコさん!?」

 

 その姿にあまりに驚きギョッとした声をあげてしまう。

 だが僕の声で初めて存在に気づいたのか、小刻みに震えていたヨルコさんがキツくつぶっていた目を開け、そのまま大声で叫びそうになる。

 

「ヨルコさんダメッ、僕です! レジクレのルガトリオです!」

 

 とっさに彼女の口を塞ぎながら僕も同じ(くぼ)みに身を潜める。どうやら今の音量で誰かに見つかったりはしなかったようだ。

 改めるまでもなく、ほっぺのそばかすと藍色の長い髪は以前の彼女のものだった。

 しかし、あまりに面積の狭いレディースの白パンツとブラジャーしか(まと)っていない艶姿(あですがた)な女性と、しかもその口を塞ぎながら身を潜めるのは精神的に悪い。張りのある白い肌も相まって目に毒もいいところだろう。

 僕は「もう大丈夫です」と何度もなだめつつ、ストレージに詰まっていた目的不明だったブカブカの売却用布防具を彼女に手渡すと、それを着てもらってからやっと状況が聞けた。

 

「ヒ……ヒック……ルガトリオさん、さっきはごめんなさい……でも、あなたのリーダーさんに……その、悪いイメージが強くて……」

 

 泣き声で申し訳なさそうに謝るが、おそらく《圏内事件》についての事情聴取でジェイドが部屋に訪れた際に、ヤクザ口調で脅しまくったことを言っているのだろう。

 ずいぶん怒鳴り散らしたと聞いたので、その時に感じた恐怖心が今でも残っていたのかもしれない。やはりいくら計算された尋問とは言え、彼女をこれほど怯えさせてしまったジェイドも悪い。

 僕はあえて彼のフォローをしないまま、なるべく穏やかに続きを催促した。

 

「怖かったんです。脱出もできなくて……私、乱暴されかけて……本当に……グス……怖かった……ぁ……」

「……はい、それはわかります。でも気を確かに持って。彼らはいったい誰なんです?」

「ぅ……わ、私にもわからないんです。……わけのわからない内にダンジョンに連れられて……麻痺が解けても《ハラスメントコード》が押せないように両手を後ろで縛られて……でも、ウィンドウを開かないと服が脱がせられないからって、一時的に縄をほどかれたんです。無理やり1人だけコードを使って《黒鉄宮》に飛ばせました……その隙になんとか逃げ出したんです」

「そ、そうだったんですか……」

「でもその人は敵のリーダーではありませんでした。まだ彼はどこかに……」

 

 やっぱり最低な人達だった。強盗や殺人と比べることではないが、僕はこういった強制行為で欲を満たそうとする人間は大嫌いだ。

 

「時間経過で《ハラスメントコード》のタブは閉じちゃったみたいですね。けど仕方ないです。逃げる方が先だったでしょうし。とにかく今は安全なところへ……」

「安全なところなんてないぜ~! ヒーロー気取りがァ!!」

「くッ……!?」

 

 突然の声に驚いて振り向くと、そこにはラフな格好をした大柄な男が立っていた。

 

「へっへっへ、1人締めか? させねェぞ~」

 

 ニヤニヤと笑いつつ男は歩いてくる。ほどよい筋肉質で身長は170後半もありそうだ。日に焼けた褐色肌と海賊のような服装に、傷だらけのいかつい顔には自信も見え、そのくせ確かなレア度を誇る武器とアクセサリーを装備していた。ファッショのつもりなのか、中にはゴツいゴーグルのようなものまで首に下がっている。

 敵を前に腕を組んでの意味ありげなこの態度。直接戦闘すら辞さない覚悟から、彼が敵集団における『ボス』であることが証明されていた。

 僕は油断なく見据えつつも、はやる心臓を必死に押さえながら呟いてしまう。

 

「な、なんで……これは、攻略組クラスの装備か……っ!?」

「ハッハッハァ、レベルと装備なら前線野郎にも引けは取らないぜ? まもっともォ、そんな手練れプレイヤーは俺ぐらいだがなァ!」

 

 大柄な男は曲刀カテゴリの大刀《タルワール》を腰からジャリンッ、と引き抜いた。その武器の固有名までは記憶にないが見るからに大業物である。

 不用意な発言から注意すべき敵が単騎と判明したものの、しかしこれはマズい。敵が自由に動けるのに対し、僕はヨルコさんを守りながら戦わなくてはならないからだ。敵グループの狡猾(こうかつ)さを考えれば慈悲など望むべくもなく、長引けばいずれその弱点を突かれる可能性も高くなる。

 まともに張り合ってもジリ貧だ。理想は粘るか逃げるかしているうちにアリーシャさんと合流することだが、二手に分かれてから5分は走った。果たしてそううまくいくだろうか……、

 

「(くっ、敵も僕らがそろわないよう策を練っているはず。なら、来た道はたぶん包囲済み……正面には前線プレイヤー並みの敵。右に逃げたらしばらく直進通路で下手したら詰む。左前方の空間は空いてるけど、ヨルコさんを連れているし、下が水槽みたいな湖で泳ぐしかない。……いや、僕は何を逃げ腰になってるッ。泳いで逃げられるはずがないだろう! ここはこの人を倒すしか活路はないんだ!!)」

 

 地面すれすれまで水が波打つ左側の湖は水深部が見えない。水位がひざ下までなら何とかなったかもしれないが、これでは走って逃げるのも無理だ。

 僕も意を決して応戦の構えをとる。

 その選択に満足したように、大柄で褐色の男はタルワールを向けてきた。

 

「なるべく時間をかけずに敵を倒せばなんとかなるよ。ヨルコさんは下がってて」

「はい……」

「イヒヒヒッ、格好いいなァおい! んじゃあ行くぜクソガキィィィ!!」

「く……僕だってっ!!」

 

 ダッシュで間合いを詰めつつ、衝突。油断したわけではないが、その反動に思わず再度距離が空いた。相手は僕より体勢を崩していた。

 しかし、今度は助走がない。凶器をぶつけ合うと、ガガガガガッ!! とザラザラの鋼鉄を高速で擦り合わせたような音が響いた。

 そこで、敵対者の片足がソードスキルの予備動作(プレモーション)で発光していることに気づく。

 単調でタイミングも遅い。連撃に繋がらない大技は回避もしやすかった。

 

「(この人は戦い慣れてない! ならッ……)……そ、こォ!!」

 

 僕が攻撃幅の穴を見つけ斜め前方に転がるように進むと、射角の狭い敵の連続《体術》スキルを無駄撃ちさせることに成功する。

 真後ろを取った僕の行動は早かった。

 

「ぐぅっ!?」

 

 慌てて振り向く敵のみぞおちへゴウッ!! と突き技を放つと、倒れ込む相手に今度はこちらのソードスキルをお見舞いした。

 

「ヒィ! ヒィぃィィ!? バカな!?」

「ッけェえええっ!!」

 

 ガッ! ガガッ!! と連続技がすべて命中した。

 一応横に倒したタルワールで防ぎきっていたようだが、無理な姿勢で無理な防御を行ったせいか、最後には武器が後方へ吹っ飛ばされていった。

 敵はあっけない結果に悔しがるのを通り越して唖然(あぜん)としている。

 勝負ありだ。これほど短期決戦に持ち込めたのは奇跡に近い。

 

「ヒィぃィィ! ヒヤァアア!?」

「ハァ……ハァ……抵抗は無駄だ。これでもう……」

「ヒ、ヒ、イヒッ……イヒヒヒっ!!」

 

 あざ笑うその姿に、驚く暇も無かった。

 スキルの技後硬直(ポストモーション)で動きの止まった僕を、今度は敵が(すく)い上げるように蹴り飛ばしたのだ。

 悲鳴に近い絶叫をあげながら肺の空気を押し出され、僕は四方20メートルほどの巨大な水槽へドボンッ、と落とされてしまった。

 

「ヒャーハッハッハッハッハァ!! 誘っちまえば勝ちってなァ!!」

「ごぼっ……ゲホッ、ゲホッ! くそ、足が届かないっ……それに、なんだ!?」

 

 ガチャッ、と。明らかに異質な金属音が、水中の足元の方で聞こえたのだ。

 いきなり鉄球でもぶら下がったかのように片足が重くなる。水上への脱出どころか、水の底へ引きずられないように通路の(ふち)に掴まるのが精一杯だった。

 そして突如、ほとんど僕の真横から大人をすっぽり覆えるほどの布を退けながら、ザバァアッ、と水面からプレイヤーが2人も姿を表した。

 

「やりましたよボス! オレっちが足枷を付けてやりました!!」

「ちぇ~手柄とられたぜっ」

「クックック、2人共ご苦労だったな。女を捕らえておけ」

『アイサー!!』

 

 何らかの方法で水面模様と同化していた手下達がボスらしき人物の命令を聞くと、すぐにヨルコさんの痛々しい悲鳴が聞こえてきた。

 こうしてはいられない、早く助けなければ。

 しかし焦りとは裏腹に、足首に取り付けられた重りが異常な重さで僕を縛り付ける。

 

「あァ無駄だぜ。鉄球付き足枷トラップにまったく同じもんをさらに巻き付けてある。重量オーバー過ぎて、どんな筋肉バカでも特製のそれからは逃げられねーよ」

「くっ……」

 

 確かに力ずくで抜け出せる重さではない。ましてや水位の深さから足が底についてもいないのだ。

 大柄の男は飛ばされた自分の武器すらも拾わず、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な態度で近づく。さらに僕の大事な相棒をガンッ、と水中に蹴り飛ばした。

 水柱をたてて武器がロストする。HPゲージはほぼフルで残っているのに、とてもではないが戦闘を続行できる状態ではなかった。

 

「ったくダセェんだよ武器が。……クックック。よォクソガキ、いい気味だな。ところで、人には心理のスキってもんがある。言葉やしぐさで判断力をニブらせると生まれる」

「そ、それがっ……どうしたっ」

「イッヒッヒッヒ、テメーは俺をアホな奴だの、スキだらけだのと侮っていたわけだ。ペラペラ戦力を暴露するバカとでも思ったろう? 実際は俺の方が用心深く慎重な人間だったなァ! 人を見た目で判断するなって教わらなかったかァ? クックッ、わかるかガキ。会った瞬間から……いや、さらにその前から俺は計算してテメーを倒した。2人を水面に潜ませた方法も簡単なトリックだ。たったの4層から存在が確認されている《アルギロの薄布》つーアイテムがある。水の上ならどんなものでも超迷彩化してくれるアイテムだが、その上位版がなかなか長持ちでなァ。クエストを途中で放棄しつつ、ちょいと拝借して応用してるってわけだ」

 

 その戦略には歯がしみするしかなかった。

 確かに《アルギロの薄布》は初期に登場した水上のボートなどを迷彩化してくれる便利アイテムで、水面という限定的な場所でしか活用できないが、そのタイプでデメリットなしは初登場だったからよく覚えている。

 しかし、まさか人間を隠すために使ってくるとは。トラップにトラップを重ねて脱出不能なレベルになるまで細工する発想をとっても、目の前にいる海賊風の大柄男が慎重であることは否めない。

 金属製のトラップ自体もストレージに納めておけばある程度重くても持ち運びは可能だろう。直接的な恩恵を感じないことから不人気ではあるものの、拡張したストレージに重いものを格納して運べるようにする専用スキルすらある。

 それに……、

 

「それだけじゃないですよね~ボス! オレっち達は《水泳》スキルも持ってる! 息は長持ちするし、水圧を無視して自由自在に動けるのさ!」

「おかげで戦闘スキルはかなり捨ててるがね! んだけど、あんたが湖に落っこちた瞬間、勝負は決まってたんだよ~ん!」

 

 卑しい表情を浮かべる敵の2人の部下は、初期装備に近いほど殺傷能力の低い貫通(ピアース)属性の武器をヨルコさんの肩口に深く刺し込み、目視できないほど微量のダメージを与え続けることで《ハラスメントコード》対策をしているようだった。

 PK可能なアクションゲームにおいて、プレイヤーへの攻撃行為まで《ハラスメントコード》で(しの)げる道理はない。それを許してしまったら異性間での戦闘はすべてコードの誘発でカタがついてしまうからだ。

 ヨルコさんには、きっと彼らから脱出する手段はない。

 

「いやぁ、いやぁああ! 離して! 触らないで!」

「くっ……僕はどうなってもいい! だからヨルコさんを離せ!!」

「釣り合いが取れていないなァ。できない相談だぜ、クソガキ」

 

 焦る僕を見下しながら低く笑い、しゃがんで話していた大柄男が立ち上がってから改めて続けた。

 

「あと1人いるみたいだが、俺の《策敵》は大体の位置を捉えている。こちとら全員《隠蔽》スキルを持っているんだ。捕まるのも時間の問題だろう」

「く……ま、待て! それはおかしいぞ! 《黄金林檎》のリーダーはお前の仲間のスキルを確認していたはずだ! なのに、僕達は不意打ちをかけられた……そんなこと、できるはずないのに!!」

「こいつはたまげた、健気なガキだ。死ぬ間際になっても情報収集か? 見え見えなんだよなァ、そういう小細工は」

 

 恐ろしい洞察力である。まさしく、僕の狙いはその通りだったのだ。

 頭脳戦でこの人物に勝てる気はしない。しかも単純な戦闘力では僕の方が上のはずなのに、男に十分に下準備させてしまったら、このように物理戦でも完敗してしまっている。ある意味、人を欺くことが苦手な僕の天敵と言っていい。

 強いて彼に弱点があるとしたら、このおしゃべりな自慢癖だろう。

 

「まァ冥土の土産だ。トリックの種明かしは……これだ。見た目はただの木の実状のクリスタル小瓶だが……?」

「…………」

 

 男の取り出したアイテムは見た目こそ変哲のない透き通った青色の瓶だったが、やはり僕は知識にはなかった。

 

「ハッハッ、知らねーか。正解は《カレス・オーの水晶瓶》。7層や8層辺りに出てくるエリートMobは、はるか下層の3層で1度だけ受けられるキャンペーンイベント、《翡翠の秘鍵》クエストにも登場する。受注は1度きりで、本来《負けイベント》のそいつをその場でぶっ倒すとこいつが手に入るって寸法だ」

 

 男は悠々と、言い聞かせるように紡いだ。聞く限りではアイテム入手のために序盤で大幅な逆走をしていたようだが、《転移結晶》もなく移動手段の限られた初期に思い切ったものだ。

 そして、この時感じていた嫌な予感は見事に的中した。

 

「まァレベルの上がった俺らには余裕だったが、得られる効果は驚愕に尽きる。なんと! スロットに設定された各種スキルの熟練度を、この小瓶に保存できちまうんだよなァこれが!」

「そ、んな……ッ!!」

「ヘハハハッ無知は罪ってなァ! これでスキルを1つだけ隠すことができる! ったくよォ、能無しチェックのパスなんて余裕だっつーの! ヒャーハッハッハッハッハ! だいたい今までの犯罪者は、あのレッド代表ラフコフのPoHを含め! みんなバカばかりだった! 人身掌握術? いらねェよそんなモノはァ!」

 

 どこかタガが外れたように、テンションをあげた大柄男は聞いてもないことを次々と語りだした。

 

「俺は違う! スリルなんて求めちゃいない! だから部下は全員俺よりレベルが低いんだよ! いいか、必要なのは優秀な奴でも信じられる仲間でもねぇ。俺を裏切れない『忠実な下僕』だ!! 下っぱを戦力と数えた前任者はみんなバカだよ! こういうザコには相応の使い方ってもんがある! 爆弾を使った牽制、人数差を生かした見掛け上の包囲網、待ち伏せからの強制トラップ、《ハラスメントコード》の身代わり! これならボンクラでもできるだろう!?」

 

 後ろでそれを聞いている部下がいるというのに、大柄男な自慢げだった。おそらく彼の部下2人は……いや、部下全員が彼の性格や主張を理解した上で、それでも欲望に抗えずに付き従っているのだろう。後ろで苦笑いを浮かべながらもヘコヘコしている2人には、どこか歯車であることに甘んじているきらいがある。

 そして、この男は増長した。

 戦闘センスなんて関係ない。ハイエナのように攻略組のおこぼれに預かり、危険をおかさず最前線の影にひっそりと付いていけば、こうして欲に飢えた下層プレイヤー達を手駒にできると実感したのだ。

 ここまで堕ちたらもうおしまいだ。彼はこれからも(みずか)らを磨くのではなく、他人を見下すことによって自分を慰撫(いぶ)していくのだろう。

 

「そ……うやって……下の層に降りて王さま気取り?」

「……あァ?」

「そんなんじゃ……得られるものは何もないよ。武器やお金の強奪だってできない。だって、君の周りの人達は……みんな君より弱いんだ……。そんな分不相応な人達からいったい何を……」

「バーカ、だから俺は『女』を狙ってるんだろう。俺の狙いはハナから女だよ」

 

 ここに来て、こいつは徹底(てってい)していた。人殺しが目的だった方がよかったなどと話を逸らす気はないが、この方向性に突き抜けたプレイヤーは初めて見る。

 言うなれば、ただのクズ。同情の余地が微塵も残っていないクズ野郎だった。

 

「金や武器ならどこでも稼げるじゃねェかアホらしい。PKもタダの手段さ。……さ~てさてさて。おっと、こんなところにテメーの鉄球付き足枷を外せるだァいじな鍵があるじゃないか。こいつはどうしようかなァ?」

「うっく、それ……は……!!」

 

 おしゃべりは終わりとばかりに。

 掌で小さな鍵をコロコロ転がしながら、男はそれをもったいぶるように見せつけてきた。僕が自由を取り戻す最も簡単な手段だ。

 だが、男は無慈悲だった。

 ニヤニヤしたまま、その鍵を湖の真ん中の方へ投げ捨てたのだ。

 後ろでちゃぽん、という小さな水音がした。膨大な体積を誇る水中に手のひらサイズな鍵が消えた。深部は暗い。深さ5メートル以上はありそうなこの湖において、ましてや足枷をかけられた状態で探すことは不可能だろう。

 それに息だって永遠には持たない。この通路の淵から手を離したら、鍵を見つけて足枷のトラップを解除しない限り、数分とたたず僕は死んでしまう。

 

「この教訓は俺からのプレゼントだ。『大切な仲間』より『忠実な下僕』……覚えたかな~? イヒヒヒヒッ、女をわざと泳がせて誘い込んだ甲斐があったぜ。結局テメーは何1つ俺に勝てやしないんだよ! んじゃ、地獄で会おうなクソガキィ!!」

「ぐああああああっ!?」

 

 (あご)を思いっきり蹴られた。

 両手も離れ、空気が吐き出され泡と水だけが視界を覆う。辛うじて繋がっていた生命線が絶たれたことで、完膚なきまでに全ての戦いに敗れたのだ。

 僕は目をつぶったまま、暗い水の底へ、だんだんと沈んでいった。

 

 

 

 


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