SAOエクストラストーリー   作:ZHE

13 / 159
第二章 心の変化
第13話 相互の支え


 西暦2023年2月6日、浮遊城第9層。

 

 白い光とサウンドエフェクトを残し、小型の獣人モンスターが四散する。

 暗い洞窟内には獣人が出入りできる小さな抜け穴がアリの巣のように伸びているため、油断なく周囲を見渡す。しかし敵影はない。《索敵》にも無反応。戦闘終了だ。

 俺は止めていた息を吐くと、納刀して肩の力を抜いた。

 そして同時に集中力も抜け落ちる。

 その原因は……、

 

「(12時半か。あと30分でちょうど3ヶ月だな……)」

 

 時折(ときおり)、どうしてもリアルを思い出してしまうからだ。まるで戦士から学生へのジョブチェンジである。

 思えばあの日、待ちわびた午後1時に「リンクスタート」なる言葉を発したがために、俺は迷宮区で命の削り合いをさせられている。学生生活が刺激的だったわけではないが、俺ははっきりと現実世界に帰りたいと願っていた。

 学校の連中に会いたい。そう思えるほどには、メンタルが衰弱しているのかもしれない。

 俺を含む在学生は端的に言えばみなバカで、勉強なんて教科に関わらず苦痛と感じる日々だったが、それでも野郎と騒ぐのは楽しかった。もし帰れるのなら、クラスメイトに会えるのなら、苦手な勉学に励んでもいいとさえ思えてくる。

 

「今じゃあいつらの方が勉強できんのか……」

 

 大差なかった気もするが、岩壁に手をつきながら感傷に浸るように声を出してしまう。誰もいないのだから大目に見て欲しい。もっとも、彼らのことだ。相変わらず授業も聞かずに遊び回っていることだろう。

 しかし、俺が不良とツルんでいた理由には(みにく)い自尊心もあった。

 「こいつらよりはマシ」、「俺はいつでも抜け出せる」、「カースト上位グループに属していれば、自分の評価は相対的に上がる」。そんな思いがどこかにあったのだ。因果応報とはこのこと。

 とはいえ、目下の問題は勉学や友情の話では済まない。そんなことは茅場晶彦(クソヤロウ)がくたばり、ここから出たあとに考えればいい。

 

「(ってか、一緒に卒業は……無理だろな。やっぱ)」

 

 電卓を使って計算してみたが、楽観的に見てもプレイヤーが100層へ辿り着くのは来年一杯を持ってしても不可能だ。卒業式には間に合わない。

 そんなことを考えつつも、今の俺に以前ほどの絶望はなかった。

 1ヶ月前のクラインとそのギルド、『ヒスイ』と名乗ったあの女性や、他の協力し合ったプレイヤー達と初めて騒いだ夜。久し振りに、本当に久し振りに俺はたくさん笑った。心のどこかではもう帰れないと諦めた自分が。

 きっと、あの夜から少しずつ変わり始めたのだろう。

 《トールバーナ》の付近でプレイヤーの死に遭遇した時か、もしくは茅場晶彦が決定的なルール変更をした時から、どこか自分の未来を散っていった者達と重ねていたのに。

 明日……いや、今日にもこの9層の迷宮区をマッピングしきって、ボス部屋を見つけたらそこの主の首を容赦なく跳ねてみせる。

 フロアボスの首を、今度こそ俺が。

 

「(ここらもほぼ狩り切った、か……)」

 

 数分歩いて洞窟を見回し、一帯のリソースを回収し切ったことを確認。ソロの旨みは、こうしたこまめなスポットで柔軟にスローター作業に没頭できる点である。

 もちろんノーリスクとはいかない。5時間におよぶ狩りの途中、集中が途切れることはある。つい半刻前、ザコMobに《武器奪われ(スナッチアーム)》された時はさすがに恐怖を感じたものだ。替えの武器でことなきを得たが、βテスターゆえの情報力がなければどうなっていたか。

 そして気を抜いたことで、空っぽの腹がいい加減限界を告げてきた。

 

「(キリつけて安全地帯でなんか食うか。……ん?)」

 

 マッピングされている《安全地帯》に近づくにつれ、そこに人の気配を感じた。おそらくは俺と同じで、最前線たるこの迷宮区を切り開いている途中に昼食を取っているプレイヤーだろう。

 別に会話を強制されるわけではないが、先客がいると入りづらいのもまた事実。飯は1人で食べたい派だ。

 だが、場所を変えようと決心する寸前。

 

「って、アレ。ヒスイじゃねーか」

 

 別の安全地帯まで距離があるので名残惜しくもチラチラ覗き込んでいると、そこにはスリムな防具を纏ったヒスイが1人でぱくぱくおにぎり――らしき丸い餅状の固形物――を食べていた。

 声で相手も俺に気付く。

 

「ジェイド……良かったぁ。またぞろおかしな人達に狙われているかと思ったわ」

「ああ……あの時のな。ん、ンでもあんなのメッタにねェから……」

 

 2ヶ月前のイベントボスでの奮闘から、一気に『最前線の女性プレイヤー』として時代の寵児(ちょうじ)となったヒスイは、頻繁に迷宮区へ顔を出すようになった。

 毛嫌いでもあるのか、組織への所属こそ避けているようだが、誰それと戦場へ出る、といった機会はかなり増えたらしい。

 ……のだが、それらが必ずしもいい結果を生んだとは限らなかった。

 この2ヶ月で起きた事件は2つ。

 1つ目は彼女が勧誘されたギルド内の話で、俺は関与するところではなかったが、しかし2つ目は俺が直接事件に関わっており、まだ記憶に新しい。

 なにせそれは、ほんの10日前のことである。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「(いったん安置で休むか。そういや丸1日メシ食ってねぇし……つか、ここ最近まともに寝てねぇし……)」

 

 泥まみれになりながら、汗も拭かず迷宮区を歩いていたのを覚えている。当時胸を張って『なかなか強い方』だと自慢できる防具素材を集めるために、連日立てこもっていた狩り場でこんな言葉を内心呟いてから、やっとこさ《安全地帯》に足を踏み入れようとしていた時だ。

 俺はこのソロの女性プレイヤー、ヒスイと再会した。

 しかし状況は最悪だった。

 

「……や、やめッ……」

「おい口押さえろ」

 

 深夜に複数の声が聞こえる事実そのものに不振な影を見ながら、そんな声が聞こえてくる方へ歩を進める。俺は警戒しながら半自動的に《隠蔽(ハイディング)》スキルを発動しつつエリアを覗き込んだ。

 すると、そこには4人のプレイヤーが。しかも3人が1人を囲っていた。その1人は両手足を2人がかりで抑えつけられ、残る1人に乱暴されかけていた。

 

「(おいおい、なんでされるがままなんだよッ)」

 

 俺がそう思ったのは、当然3人の行為が《ハラスメントコード》に抵触しているはずだと考えたからだ。

 《ハラスメントコード》は、主に仮想空間内での性犯罪を防止および取り締まるために設けられた機能である。視界左上にアイコンが表示されれば、それを指でタップするだけで簡単に暴漢どもを排除できる。

 しかし後になってわかったのだが、彼女はこの時多人数で抑えつけられて手足とその指の先まで動かすことができず、《黒鉄宮》へ飛ばすアイコンを押せなかったそうだ。

 《ハラスメントコード》の初期動作として一瞬だけ暴漢どもを弾いたそうだが、仮眠を取っていたヒスイはその隙を活用できなかった。

 結果、数の力も合間って押さえつける2人を振り切れなかった。そしてそれは、ゲスをはたらいていた3人の男達が前線プレイヤーだったからでもある。

 『前線プレイヤー』。パラメータ的な上位存在。

 彼らがこのような下心を、果ては殺人という狂気に手を出したとしたら、まずターゲットにされるのは当然ソロ。ゲーム開始直後の俺でさえ、この結果は予想できていた。

 それを、とうとう行動に移す輩が現れたというわけだ。

 ヒスイはソロで美人というだけでも危ないのに、お人良しの甘チャンときている。

 たった2週間の時点で俺も襲われたが、あれは動乱の便乗――実際彼らにはその日の食いブチすらなかった――に過ぎないし、正確に言えば俺だって弱者相手に同じことをしている。

 

「(どうする。止めに入るか……いや、今度は俺が狙われて……)」

 

 浚巡(しゅんじゅん)しただけ進歩だろう。自らの有り様を見つめ直す機会がなければ、きっと秒で(きびす)を返していた。

 それでも即行動、とはならなかった。人助けはいいものだ。心が洗われるようで、こんなクズのような俺でもひとときの善人面が堂々とできる。

 しかし、ここは現実世界よりも残酷だ。法律のない空間で、果たして人は人を斬らないと言えるのだろうか。俺が彼女を助ける義理は、諸々のリスクを負ってでもあるのか。全知全能の神でない限り、言いきることはできまい。

 考え抜いた直後に、甲高い悲鳴が上がった。

 

「く……アンタらなにやってる!」

 

 気づけば大声を出していた。

 正直怖かった。言った直後にわずかに後悔もした。だが、見て見ぬ振りはできなかった。

 場所は最前線の1層下。深夜3時を回っていたため、プレイヤーが姿を現すはずのないとタカをくくっていた3人は、俺の声に相当驚いていた。これはただの推測だが、3人は彼女が『小ギルドとのいざこざ』でソロに戻った(・・・・・・)ことを調べ上げ、誰にも遭遇しない場所とタイミングを見計らっていたのだろう。

 彼らは面倒ごとを避けるために俺を仲間に誘ったが、俺は頑なに抵抗して遂には3人に剣を抜いた。

 そして拘束の解けたヒスイと共に3人を蹴散らしたのだ。

 結果だけ見ればすべてが『未遂』で済んだように思えたが、やはり乱暴されかけた彼女にとってはトラウマになった。

 

「……ひぅ……ジェ、イド……ヒック……ありが……と……」

 

 彼女はHPを《レッドゾーン》にまで落とし、剣を置き、泣きながらこれだけを言った。

 安全地帯はモンスターこそ侵入しないが《犯罪防止規定(アンチクリミナルコード)》はないのでプレイヤー間のダメージは通る。

 そして、オレンジ化覚悟で一線を超えた。だのに彼女を殺しかけたことで、3人の暴漢どもに剣の迷いが生じて追い返せたのだから、世の中皮肉である。

 その後もしばらく嗚咽のみが安全地帯に響いた。

 俺は彼女にほとんど言葉もかけてやれなかったが、翌朝に再び感謝を寄越されて別れた。

 その後の彼女の行動は、あえて調べていない。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「(やっぱ……思い出してんのかな……)」

 

 後で聞いた話だが、ヒスイはいちいち寄せられる男の視線に辟易(へきえき)して、一時は攻略行為を止めようとさえ思ったそうだ。

 それでも彼女は戻ってきた。そして過去の恐怖に抗い、今も8000人の解放のために心身を犠牲にプレイヤーを励まし、自分自身も攻略行為に勤しんでいる。

 

「(強ぇな、でも刺激すんのは止めよう……)……あ〜っと……わ、悪いなジャマして。んじゃ俺はもう行くからよ」

「待って、ジェイド……」

 

 そういって立ち去ろうとした俺をしかし、彼女は目を伏せるようにして弱々しく呼び止める。

 

「…………」

「…………」

 

 どこか気のせいではすまされないもの凄く歯がゆい空白がそこにはあった。

 無言が続く。

 ――逃げたい。

 喉まで出かかったこれらの言葉が実際に喉を通らなかったのは精神の成長ゆえか、はたまた単純な意気地無しか。

 ともかく、数秒の思考を薙ぎ払い、彼女が先に口を開いた。

 

「ちょっとだけ……お話ししない……?」

 

 わずかに赤く染めながら、そんなことを言い出した。

 こいつは想定外である。だが彼女から申し出た以上、断る道理もないだろう。

 

「いいけど、攻略のこととか……? とりま……となり座るぞ」

「ん、どーぞ」

 

 ちょこん、と岩場に腰掛ける。

 平静を装ったもののセンチ単位で距離が気になる。現時点で恥ずかしい。さすがは根暗ゲーマーだ、会話の糸口すら掴めない。

 「ワリ、ハラ減ってるから」とだけ断ろうとすると、その直前に割り込まれた。

 

「もう3ヶ月だね」

「へっ? ……ああ~、ホントだ。こりゃ学校生活は終わりだな……ハ、ハハッ……」

 

 視線端にあるデジタルクロックを見ると、あと5秒。3、2、1……0。

 西暦2022年11月6日の午後1時から今日で、もといたった今で3ヶ月。

 このゲームが始まってからの時間だ。とは言っても俺は今、あの時からは想像もできないほど混沌(カオス)な状況にいるが。

 

「(こいつ、こんなにカラんでくるんだ……)」

 

 この黒髪の女にとって、俺の第一印象はメーターをマイナスに振り切った状態だったはずだが、3度目の遭遇(そうぐう)時には彼女の貞操を守るお手伝いをしたのだから世の中わからない。

 甘い香りのする華奢で女と2人きり。なんて言い方をすると、やましい気持ちでいっぱいと思われるだろうが、少なくとも公園のベンチよりは景観の悪い狭い空間に、大して仲がいいわけでもない女プレイヤーとマンツーマンで座っているのである。

 初めてお邪魔する友達の部屋よりは居心地が悪いことは想像に難くないだろう。

 

「……ああ……なんつーか、あっそうだメシ食おう!」

 

 危うく忘れるところだった。わけのわからない緊張感に筋肉を硬直させたまま座っていたら、食事に対する優先度が低い俺は昼飯を食べ損ねていてもおかしくはない。危ない危ない。

 やはり慣れないシチュエーションは頭の中が真っ白になる。

 なんてことを考えていると……、

 

「ぷ、くふふっ……ど、動揺しすぎ~あははは」

「なっ……なッ!?」

 

 我慢しきれないと言いたげに、座ったままのヒスイが足をばたつかせていきなり笑い出した。

 なんて女だ。トラウマを思い出しかねないと気を使ったのに、俺のコミュ障を笑いやがった。薄情者だ。無神経だ。

 

「んのやろぅ……人の好意をッ」

「ありがとね……」

 

 俺の声を遮った次の言葉は感謝だった。

 よって俺はいいように転がされてると自覚しながらも、上げかけた腰を下ろした。恐ろしきは美少女の魔力といったとろだが、情けなさすぎて(あせ)が出る。

 

「……ったく。そう思ってるなら、からかうのナシな……」

「ふふっ……でもね? あんまり気にしないで昔みたいに話そうよ。気兼ねなかった頃の……あたしもそうして欲しいわ」

 

 難しい注文だ。「昔のように」というと、俺が女というだけで見下し、戦力外と決めつけて大暴れしていた時期を真っ先に思い出す。まさかあのような品性の欠片もない社会不適合者をご所望なのだろうか。だとしたらとんだ物好きである。

 しかし可愛くない女である。初めからそう言ってくれたら、ここまで緊張することはなかっただろう。

 

「わかったよ、なるべくそうする。でもメシ食いながらになっけどな……」

「あ、じゃあそれ見てよっと」

「……えっ……」

「ん? 食べてていいよ。それ見てるから」

 

 ――よし、食事中断。

 昼飯は夜まで先送りか。仕方あるまい、いったん話題の切り替えといこうではないか。

 そして右手に持った、行き場のない非常食用の固いパン脇に置いて、俺はふと疑問に思ったことを口にしていた。

 

「……にしてもさ、よく最前線に1人で戻ってこれたよな、あんた。あ〜、イヤミじゃなくて」

「うん。アスナは……最近ギルドに入っちゃったしね」

 

 パンをポーチに仕舞いつつ話しかけると、ヒスイは顔をそらしながらそう言った。

 ヒスイがアスナを知っているのは、ボス攻略の際に顔合わせをしたからだ。当然キリト、エギル、キバオウ、その他何人かの前線プレイヤーも知っている。認めたくはないが自分と同じ女性プレイヤーだからか、アスナは俺が同じパーティに初めて入った時の100倍は喜んでいた。

 いや、俺の時の喜びをゼロとしたら無限倍しても届かないか。

 

「まあその、フレンド登録ぐらいしたんだろ? ならいいじゃねーか、女同士気が合ってたみてぇだし。ヒスイもアスナんとこ入ったらどうだよ? ……えっと確か、《血盟騎士団》だったか?」

「いいって。だいたい、あたしソロって決めてるから。あ、決めてると言うよりは、ここ最近のいざこざを踏まえて、改めて決意したって感じかな。そこデリケートなところだから深堀りするのはやめてね」

 

 髪を耳にあげながら言うが、自分から忌憚(きたん)なく話そう的なことを言い出したというのに。

 そもそもこのお方、絶対遊んでらっしゃる。怒っているそぶりを見せつつも顔が笑っているのがそれを物語る。

 

「(メンドーなやっちゃ……)……そう言うなって。相談するだけで気が晴れるっていうじゃん。あんたもテスターだろ? 例えば……スタートダッシュでビギナーとモメたとか? ま、答えたくなきゃいーけど」

「あなた見た目バカっぽいのに鋭いわね。まあ、だいたいそうよ」

「…………」

 

 肯定されたはずが、否定された気分である。見た目バカっぽいのか俺。遊びほうけていて教養がない事実は揺るぎないが、それは俺が口を開かなければバレないものだと思っていたのだ。まさか口を開く前からそう思われていたとは。

 ショックを受ける俺を見て、彼女は「あ、違うからね。バカっぽいって言っても不良に見えるって意味よ。ほら不良の人って頭悪そうじゃない?」と付け足しているが、残念ながら計ったように1ミリもフォローになっていない。後ひと声でふて寝してしまいそうだ。

 年始の負い目がなければ、可能な限りこの女に罵倒を浴びせたいものだ。

 

「初日は別行動だったけど、それはただの言い訳。それで……ね。まぁ、結果だけ見ると。見捨てたって言うか……助けられたはずなのに、あたしは声をかけなかったの」

「…………」

 

 なるほど、ソロに走った経緯はだいたい俺と同じというわけか。

 効率、利益、そして責任逃れと打算。これらを掛け合わせた答えが友を見捨てるというものだった。そこに男女もクソもない。例え友人だったカズがタイプの女でも、命と引き換えとあれば同じように見捨てていただろう。

 彼女もそうだとしたら、ちょっぴり意外である。

 しかし俺が散々味わったものを思い出すだけで、こうして自責の念に駆られて自分を追い込む彼女の姿にも納得できる。

 俺自身、最初の数日間ですでに限界に近い呵責(かしゃく)に襲われ、何度もカズに会って弁明と謝罪をしようと思った。されど、俺はもっと時間がたってから……それこそ、見捨てた彼のほとぼりが冷めるまで待ってから声をかけよう、などと図々しく考えたのだ。

 当然その報いは倍返しで降り注いだが。

 

「あ~……まあ、いいんじゃねぇの! 生き残るためだろ、ようは」

 

 俺は雰囲気を変えるため、あえて大きめのボリュームで静寂を遮った。

 

「ヒスイが全部背負う必要はないんじゃね。そんなウジウジしてないで、胸はってりゃいいんだよ。張る胸なさそうだけどな! ハハハッ」

「……殺すわよ……?」

「ちょ、や……ほらさっき気がねなくって……」

「気兼ねないのとバカにするのは違うでしょ!」

「それは確かに! でも俺は胸なくてもいいと思う!!」

「並みぐらいはあるし! む、胸当てが隠してるだけだし! てか今はマジメな話をしてるの!」

「わ、わかったって。サーセン! ……でも考えてみろ。それでガタガタ抜かす連中こそ、自分カワイさで言ってんだぜ? 弱いから助けてください、ってな。気にすんなよ」

「……そう、かもだけど……」

 

 危うく死にかけたが、それはさておき。

 これはなんとも恥ずべき説得である。なにせこの助言は、紛れもなく自身への言い聞かせでもあるのだから。

 自分が生き残るために、友人の生命線を切った。不可抗力で、そして情状酌量の余地が入る、人を傷つけないようにした絶妙な言い回し。同意された分だけ免罪符も加算。

 しかし、そんな事情はみなまで言うまい。ヒスイだって所々ぼかしながら打ち明けているが、それは俺にすべてを話す気がないことを示しているからだろう。

 

「あ~あ……あの頃は楽しかったのになぁ」

 

 と、ふとヒスイがそんなことを言った。このゲームがまだロールプレイングゲームだった頃のことだろうか。

 たった数時間だけの安全なSAOのことを。

 

「そうだな。……俺もあん時ははしゃぎ回ってたもんだ。フィールドでさ、誰もいないことをいいことにモンスターに話しかけたりしてたんだぜ」

「ふふっ……くふふっ」

「……んだよ、2回目の笑いは」

「いえごめんね、つい思い出しちゃって。初日の強制転移で中央広場に送られたの、覚えてる?」

「ああ。忘れる方がムズいな」

「あの時、すっごい変な人がいたの。あまり顔は見えなかったけど、なんか印象的でね」

「へぇ。どんな奴だよ? あっ、《手鏡》のぞいた瞬間、美少女がブサイク男になったとか!」

「え~そんなのたくさんいたじゃん!」

 

 自然と会話が弾んでいた。

 それにしてもゲーマーがゲームの世界に入ると人が変わることは多いらしい。つまりそれは、その時見たプレイヤーがリアルでも面白いとは限らないことを意味するわけだが、しかも今となっては皆が必死になって作ったアバターもどこかへ消え失せている。

 ある意味ここは、厳密には仮想世界とは呼べないのだろう。

 だからこそ、ヒスイに特別な感情が生まれたわけではないが、数奇な縁と境遇を意識し、俺はせめて彼女の前では着飾らないようにしようと決めていた。

 

「うーんとね……なんかこう、『おれしゅじんこおぉおッ』って言いながら壁に突進してる人がいてね」

「…………」

「し、しかもねっ、聞いたこともない声出しながら壁に激突しててね……あははっ。あ~ごめん、あたしだけ思い出して。クラスの男子に似た人がいたのよ。考えナシで行動するタイプでさ〜」

「…………」

 

 彼女は口に手を当て、必死にこらえながら続けようとしていたが、俺は途中から話など聞いてはいなかった。

 

「あっでも信じらんないことに、そいつあたしのパンツ覗いてきたの! ……あれは許せなかったなあ、普通に。今度見つけたらその顔ネットで晒して社会的に……あ、今は顔違うのか」

「いやアレ見えてなかったから! 見えそうだったけど見えてないから!」

「……え?」

「……あっ」

 

 あ……。

 

「ああいや、そういう話しを昔どっかで誰かに聞いたような……ないような……」

「……ふぅん……なるほど」

 

 ヒスイの首をかしげてからのドヤ顔がウザかった。

 まさに『してやったり』顔だ。完全に弱みを握られた。頭が大変よろしくないことは自分でもコンプレックスだったが、真っ先に口からでた言い訳がさらに最悪だった。日本語すらおかしかった。

 

「あれ、あなただったの……」

「いや……でも……」

「でもぉ?」

「み、見てないのは……ホントだし……」

 

 ――おお体が熱い! いや熱いって言うかもう痛い! 全身バチバチする!

 よし決めた。恩を仇で返すようなこの女は泣かすとしよう。泣かぬなら、泣かすとしよう、俺の手で。

 

「あははっ、すっごい偶然もあるものね。……まあでもいいよパンツぐらい」

「……ったく、見えてねえっつうのに……」

 

 その後のことはあんまり覚えてない。正直人はその場のノリというかテンションというか、つまり1回笑い出すと話しの流れに関わらず笑ってしまうものだ。

 そうしてしばらく俺達の笑い声だけが、恐怖に包まれるはずの最前線迷宮区に響いていた。

 思い出すのはやはり生きてきた中でもこの3ヶ月だ。

 俺はヒスイに言葉で打ち負かされて以来、人を見下した言い方や弱小プレイヤーからの金の巻き上げはやっていない。

 正義感、とも少し違う。悪さをしていないというだけだ。

 実際、他人の危機に際し、自らの命を危険に冒してまで助けに行くかと聞かれればさすがに答えはノー。確実な安全が担保(たんぽ)できた場合に限り、少し手を貸す程度だろう。

 では、生存戦略の前提を覆し命を賭けてしまったヒスイは、俺にとって例外なのか。

 頭の中でふと巡らせ、いやしかしと考え直す。

 なにせ、もはや彼女は他人ではないからだ。現に彼女のせいで狩りが遅れてしまっている。もし他人からこんなことされたら、賠償として多額のコルを要求していたはずだ。

 

「ジェイドもさ。ソロにこだわるのは、なにかあったの?」

「……ヒスイと似たようなもんさ。初日にエンを切った、それだけだ。んでそいつは……俺のこと、もう友達じゃないってさ……」

「そ……か……」

 

 あの時初めて友人に捨てられる悲しさを知った。

 だがルガトリオは……カズは、それを1ヶ月以上長く味わったのだ。なら俺に感傷に浸る権利などない。あるのは元テスターとして解放を目指す義務と、利己的な行動を繰り返した罪の鎖だけだ。

 

「でも俺はあきらめてねェぜ。人間誰でもミスはする。問題はそっからだろ? だからさ……どっかで必ず名誉返上するんだ!」

「……返上しちゃった……」

「自分で『コレでチャラ!』って決めて、そこでケリ付ける。自分にウソつかずにな。十分だろ」

「……そう、よね……」

「ハハ、つまり……まあなんつうんだろ。言葉にしにくいな。ま、ヒスイも区切りつけたらさ、どっかギルドにでも入って、そのたっかい装備ジマンしてやれよ。……んで、この3ヶ月の分まで楽しんで過ごすんだ。悪くないだろ?」

「ジェイド……」

 

 納得と同情の目。わかっている。それは俺にもあてはまると言いたいのだろう。

 だが俺は弱いのだ。弱く、致命的なほど協調性に欠ける。それにヒスイと違ってたくさん悪さをしてきた。その事実は頭を(ひね)っても変わらないし、それらに引け目を感じないと言ったら嘘になる。

 

「あなた本当に変わったわね。……ふふっ、それが嬉しいわ」

「なんだそりゃ。俺が変わってうれしい?」

「ええもちろん。初めは自分でも、友達を捨てておいてどの面下げてと思ってたわ。でも、ブツクサと説教を垂れた意味があったのよ。それだけで嬉しい」

「…………」

 

 きっと、更生に期待して地道な説得をする方がよっぽどか凄いことである。正義感の強い彼女は、そんな些細なことより俺の矯正(きょうせい)に誇りを持っているのだろう。口には出さないが、そんな(けが)れを知らない発想そのものが羨ましいかった。

 だから今だけは「あん時は、その……怒鳴って悪かった」と、ほんの少しだけ素直になって謝っておく。

 時間を見ると1時間ほど話し込んでいた。我ながら驚きである。女と2人で会話in60分なんて、普段では考えられないからだ。

 とは言え、予想以上におしゃべりが過ぎてしまったため、独占するにはもったいないようなアイドル女との会話を名残惜しいと思いつつ、俺はようやく重たい腰を上げて大剣を背負った。

 

「んじゃそろそろ攻略に戻るよ」

「あっ……ええ、そうね。ごめん時間とっちゃって」

「いや、正直人生レベルで貴重な体験だったよ。こっちこそサンキュな」

「あはは、なにそれ」

 

 しばらくはこれで会わないかもしれない。それでも彼女は前線に戻ってきたのだ。ならばここは「さようなら」ではないだろう。

 

「ヒスイ……その、すっげぇ楽しかった……またな!」

「え? ……ええそうね、また」

 

 ヒスイがなにかを言う前にダッシュ。恥ずかし過ぎて顔向けなどできようはずもない。

 笑えよこんちくしょう。そう心の声で罵りながら、俺はひたすら足を動かした。

 

「(ああもう知らんッ!)」

 

 この後は振り向きもしなかった。

 だからこの時のヒスイの表情は、今でもわからず終いだ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。