SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第101話 命の尊さ

 西暦2024年11月7日、浮遊城第75層。

 

 朝食を摂り終えた晴れの日の午前。

 俺はギルドホームのミーティングフロアで、木材で作られた長方形のテーブルに何枚かの報告書を無造作に置いていた。書類はKoBから送られてきたものだが、その衝撃的な情報は目を通さずともほとんど風の噂で伝達されている。

 カズを先頭に召集をかけたギルドメンバーがぞろぞろと集まってきた。ギルドに合流して間もないシーザーの後ろには、発達した胸筋から成る(たくま)しい肉体に、広げれば3メートル以上もある図体を持つ黒竜が、よく(しつけ)られているのか真後ろを大人しく付き従う。彼の希少な戦闘スタイルを支える、種族名ダスクワイバーンの『ゼフィ』だ。

 それぞれが決まった席に腰かけると、彼らを軽く一瞥(いちべつ)してから、俺も着席してようやく重たい口を開いた。

 

「……で、どうするよ。今回のは……やっぱやめとくか?」

 

 しかし俺は、思わず弱気になってそう切り出していた。

 俺の「やめる」とは、この層のフロアボス攻略についてだった。

 というのも、この攻略戦はあまりにも危険すぎるのである。

 脳裏に浮かぶのは、準備不足も重なって過去最高の戦死者数を叩き出した、最初に通過したクォーターポイント。あるいは、最高戦力を整えて偵察まで行い、途中で30人以上の援軍を得ておいてなお13人も殺されたハーフポイントの戦い。

 されど、今回は比較にならない。こうした史上(まれ)に見る壮絶かつ凄惨な記憶すら、薄れて流されそうな訃報(ふほう)を聞かされたのだ。

 

「う……ん……斥候(せっこう)隊が半壊だもんね……」

「組織単体で合理的に考えると、確かに参加は控えるべきかもしれませんね。ぼく達全員が生き残れる可能性もやはり低いでしょうし……」

 

 カズやシーザーまで消極的な姿勢を示すと、椅子の脇で大人しくしていたゼフィも、彼の傍らでキュルキュルと弱々しい鳴き声をあげた。普段は明るい女性陣も整った顔を歪め(ひたい)にシワを寄せている。

 偵察作戦で、戦死者10人。

 これが2回目のクォーターポイント戦に備え、20人で組まれた斥候中隊の調査結果だった。

 人間が10人も死んだ。これは本来あり得ない数字だった。真剣に数えたことなどはないが、最初の1ヶ月を除けばアインクラッドでの退場者数は、1日平均2人から3人に留まっていたのだ。

 それが、数分で10人。

 ましてや最下層の住民が「今からでも冒険を始めよう」と、安全マージンを確保できない初期段階でこの世を去ったのではない。ボリュームゾーンのプレイヤーが同ランク帯と競い合うあまり、身の丈に合わないパワーレベリングでうっかり命を落としたのでもない。

 彼らはいかなる困難をも打ち破り、最前線で凶悪なモンスターと戦い続け、最大の生存率を誇る攻略組きっての盾役(タンカー)だった。『生き残ること』についてだけ言えば、いわば世界有数のエキスパートということになる。

 そもそも、SAOはレベル制RPGである。ストーリー後半に差し迫る現在では、その高いレベルからかなりのHPゲージが確保されている。デメリット付きの防具など諸事情を考慮しても、最低1〜2回はボスからのクリティカルヒットにも耐えられるはずである。

 であれば、あとはチームの助けを借りてこまめに回復を挟むだけ。きちんと防御さえしていれば敵のソードスキルでさえもっと(しの)ぐだろう。

 そう。トップランカーは今さら簡単に死ねないのだ。

 だというのに、今回のボスに限ってその抜本的な前提を(くつがえ)している。

 

「でもぉ、ここでボク達がみんな参加しないのはぁ、やっぱり攻略を捨てることになるよぉ?」

「……そうよね。あたし達レジクレは今やそれなりの戦力だし……。結成されてからだいたい1年たつけど、人数は1度も減ってないわ。しかも『6人』はフロアボス攻略の時のレイド単位で考えれば、小隊をまるまる補える人数だものね」

 

 ヒスイはジェミルに続くようにそう答えた。

 そして彼女のおっしゃる指摘は正しい。俺達の人数だと1レイド48人を8つに小隊分けした場合、ギルド単位で小隊としての役割が果たせてしまう。

 この人数は地味なようで実は恩恵が大きく、小隊ごとにスイッチをしてローテーションする場合、数合わせをさせられたチームに比べてスムーズに展開できる。タイムロスは最小限に抑えられ、攻めるにせよ守るにせよ連携機能は最大限に活かされるのだ。

 大人数でのボス戦時に、単体性能よりも6人規模での総合応用力が重視されがちなのはこのためだ。

 でかいギルド、つまりKoBやDDAだと6人機動を基礎構想においたフォーメーション用の訓練や、それ専門の特別なプレイヤーが存在するほどである。

 

「ヒスイの言う通りね。アタシ達みたいに小隊がマルっとギルドとなると、討伐隊に参加表明した中にはもうレジクレと《風林火山》しかないのよ? ここで手のひら返したら、このまま送り出すことになる残りの人達の士気を下げちゃうはずよ」

「それは確実でしょうね。ぼく達が背負う、その……もろもろのリスクを一旦置けば、事実はわりとシンプルです。参加して勇敢な者になるか、数ヵ月間攻略を放棄して平均レベルをさらに10ほど上げてから再挑戦するか……」

 

 シーザーはため息混じりにそう言うが、残念ながら俺達に後者を選ぶ権利はなかった。彼もわかっていて肩をすくめたのだろう。

 と言うのも、ここ最近のゲームの進行具合が極端に落ちているからだ。前層である74層攻略前にヒスイとも話していたが、70層に突入してからモンスターの行動パターンが読みづらく、トップ連中が必死になってもマッピングが遅々として進まない。

 つまり、2度目のクォーターポイントだろうとなかろうと、今後減速の一途を辿る攻略スピードを考えると、4分の3地点までの前進にかけた2年という歳月はあまりにも長すぎたのである。

 残り25層。おそらく踏破には1年以上はかかるだろう。すると、今度は仮想世界だけの問題ではなくなってくることがわかるはずだ。

 現在も現実世界で衰弱し続ける自分の体が、チューブから与えられると推測される栄養素だけであとどれだけ生き延びられるのか。

 必ず1年持つというならまだ判断しやすい。しかし1年たったとして、こちらの攻略スピードがさらに減速していたらその計算には何の意味もない。

 よって俺達は、本体(・・)のタイムリミットとVRゲームのリスクマネジメントを天秤(てんびん)にかけ、手探りで均衡点を探さなくてはならなくなっていた。

 俺はテーブルの下で足を組んでから苛立たしげに続けた。

 

「……実際やるしかねェよな。ここで『やめた』は攻略をやめたとなンも変わらない。だから俺は改めてKoBに参加を進言してくる。けどもし……もし、ここで降りたいって奴がいたら言ってくれ。これは正直に答えてほしい」

『…………』

 

 せまい部屋で俺の声だけが反響(はんきょう)するが、皆に反応はなかった。

 そして、やはり誰も俺と目を合わせようとはしなかった。

 

「……わざわざ確認しねぇけど、まさかここにきてエンリョや罪悪感とかはやめてくれよ。みんなが行くからつられて、ってのはナシだ。本人の意思で決めてくれ。ここで降りても誰も責めないさ」

「で、でも……」

「むしろ迷ったまま来ないでほしい。本番で足がすくんでいるようじゃ、笑い話にもならないからな。……俺らはそれなりに場数を踏んだギルドなんかもしれない。けど、だからって今日、ボスに挑まなきゃいけないなんてギムはない。俺が言いたいことは……みんな理解してるはずだ……」

「……理解して、それでも」

 

 そこでヒスイが代表するように応えた。

 

「それでも……戦わなくちゃ。そう決めたでしょう? だからあたしは行くわ。ボスの強弱なんか関係ない。立ち向かうと決めたなら、どこまでもついて行く」

「僕もだよジェイド。……前団長の遺志を継いで、新しくギルドが始まってから、このルールだけはずっと変わらなかったから」

「2人とも……」

 

 俺はというと、むしろヒスイとカズの戦意に驚いていた。

 よもや死地と悟って覚悟を決めたわけではあるまい。生き残ることを優先する以上、恐怖だってあるはずだ。最も根幹にある原始的本能は誤魔化しようがない。今の俺がそうであるように。

 だとすれば。

 彼らは俺の意思に、俺が背負い続けると決めた贖罪(しょくざい)への清算に、最後まで付き合ってくれると言っているのだろう。

 絶句したまま席につくメンバーを見渡すと、ジェミルが据えた眼光のまま微笑む。隣のアリーシャはいたずらっぽく首をかしげ、シーザーに至ってはそれらの反応をどこか楽しそうに捉えながら発言した。

 

「愚問でしたね、ジェイドさん。そういうあなたに惹かれて集まった5人ですよ」

 

 そう言われた俺は言葉を返すことも忘れて生唾を飲んでしまう。嬉しさのあまり、おかれた状況を忘れ顔がほころんでしまった。

 答えなど初めから決まっていたのだ。

 だから彼らにとって、俺の心配なんて余計なお節介だったのだろう。

 

「けっ……まったく、知らねぇぞ。俺はやると言ったらとことんやるからな。ここをサカイにどんどんギルドの名前売ってよ! なんなら他の連中がビビッてる間にラストアタックでもかっぱらっちまおうぜ!」

『おーっ!!』

「もちろんだよ!」

「言われなくてもそのつもりだったわ!」

 

 ようやく本調子に戻った。まだ見ぬ敵の強大さに手足は緊張で(しび)れるが、戦う前から気持ちの面で負けてはならない。

 報告を受けた討伐開始時刻は3時間後。俺はKoBの重役に改めて参加表明するべく一時解散の旨を伝えると、あえて個々人の行動を縛らないように指示した。与えられた時間を各々がどう使うかは彼ら次第である。

 直接口にはしなかったが、ようはクォーター戦前の最後の自由時間というわけだ。

 俺もしばらくは1人になって頭を冷やすつもりだった。立てられる対策はすべて行いたい。全武装の磨耗具合や耐久値(デュラビリティ)のチェック、ソードスキル登録の見直し、ストレージの確認と使用頻度や消耗する確率が高いと思われるアイテムのポーチへの移動、そして各種コンビネーションを脳内で何度もシミュレートする。

 

「(コーカイだけはしたくねぇしな……)」

 

 残された時間で俺ができる対抗策をすべて。

 そして3時間後に75層主街区の広場に集まることだけを命令して宿を後にすると、俺は簡素な街を歩きながらあらゆる可能性を考え抜いた。

 リーダーとして、取るべき行動。

 討伐の途中で万が一にも俺の仲間から脱落者が出た場合、俺は鋼の精神でその後の状況に対処しなければならない。

 俺がブレれば全員が指針を失う。そうなれば、いくら個人的に過剰な戦力を持っていようと、それらが十全に発揮されなくなってしまう。彼らもバラバラにならないよう俺を頼ってくれているのだ。

 覚悟を決めるなら今だろう。

 それに自分とて例外ではない。

 『俺が死なない保証』なんてものがどこにもないからだ。

 確かに俺は、今は亡きPoHを除き3人しかいない《ユニークスキル》保持者なのかもしれない。だがKoBの誇る無敗の団長様とはワケが違う。これがどこまでボス戦で役に立つかは(はなは)だ疑問である。

 ユニークスキル、《暗黒剣》。

 スキル発動中に攻撃をヒットさせた箇所の欠損(ディレクト)を促進させる、遅効性の特殊能力。

 もっとも、これはゲームだ。当然斬ればどこでも切断できるわけではない。後半でしか効果を発揮できず、高レベルかつ大型の敵には反映され辛い。おまけに《神聖剣》のように生存率を上げる汎用性、応用力もないときている。

 やはり、あくまで攻撃手段の一種程度に考えておくのが無難だろう。

 

「(ああ……やっぱ怖い……死にたくねぇ……)」

 

 数分で攻略組が10人も死んだという事実が今になってのし掛かり、歩きながら急に震えまでやってきた。情報不足で立てられる対策が少なすぎるというのも大きい。

 俺はほとんど意味もなく、1層主街区《はじまりの街》をさ迷っていた。

 相変らずここは利便性よりリアリティを重視したあまり、無駄に広すぎる。情報屋の佳境なのか(せわ)しく奔走中だった《鼠》のアルゴに会い、少しだけ立ち話した以外に、目的なき放浪の途中で街に一切の人気(ひとけ)は感じなかった。

 そうしてしばらく独りだけの時間がやってくる。

 俺は口を閉ざしたまま、気づけば山茶花(さざんか)に似る花の植樹(しょくじゅ)によって、丁寧にデコレートされた道を歩いていた。

 ふとテクスチャの境界に気づくと、今度は端に建てられたひのきの香りが漂う花壇の柵に触れてみた。木目が肌に心地よく、香りとの相乗効果も高まって少しだけ落ち着く。次に空を見上げて見たこともない鳥類に目を奪われ、アインクラッドの外周まで歩くと1メートル以上積まれたゴツゴツの石畳にも触れた。

 指先から感じる疑似的な表在感覚。それらすべての反応が、生きている証だった。

 例えこれが実際の五感を介さない知覚野へのダイレクトな刺激信号だったとしても、俺達にとっては唯一の現実であり、同時に実感することのできる生の証である。

 

「(俺には責任がある。ギルマスなんだから、俺だけ逃げ出すなんてことはできない……けど、あいつらはどうなんだ。絶対俺に気をつかってるはずだ。だったら今からでも戻って攻略を……)」

 

 しかし答えの出ない問題に思案に暮れていると、後ろから人が近づいてくる気配がした。

 俺がゆっくり振り向くと、そこには不安そうな双眸(そうぼう)をしばたかせるヒスイが立っていた。

 

「えへへ……結局追いかけて来ちゃった。しばらく忙しかったから、さっきまで久しぶりにシリカちゃんに会ってたんだけど。……あ~、ジェイドも来ればよかったのに」

「シリカか……ハッ、俺もさっきアルゴに会ったけど、あいつでさえ情報を暴けないせいで暗い顔してたぜ。力になれなくてもどかしい、だってよ。ハハハッ……ったく、こんな時にシリカに会っちまうと止められそうだっての」

「……ま……止められたんだけど……」

「だよなぁ……」

 

 照れくさそうにする彼女は、本題を言い出しにくくしてしまったことを後悔しながら言葉を続けた。

 

「討伐への参加なんだけど、アスナにメッセージ送っておいたから」

「そ……か、サンキュな。……えっと……」

「……ちょっと不安になっちゃって。自由行動だってことはわかってるんだけど、どうしてもあなたと一緒にいたくて……」

「……ああ。それはモチいいよ。俺もすっげぇ不安だった」

 

 黒基調のスリムな防具から伸びた細い腕に触れると、その冷えた手を暖めるように指を絡めた。

 しばらく道なりに沿って雑談をしながら、俺達はあえてこれからの戦いのことを避けていた。無意識に、意識から遠ざけていた。

 だが。

 

「……ねえ、ジェイド。やっぱりあたしは怖い」

 

 ヒスイは我慢できずに、震える声でそう打ち明けた。

 そしてその気持ちは痛いほどよくわかった。

 

「ああ……俺も怖ぇよ。今度の戦いは逃げられない。斥候隊半分の10人は、侵入した時点でボス部屋に閉じ込められた……なんて、冗談みたいなこと言ってたけど。……そいつらは1人も《転移結晶》で脱出できなかったんだ」

「うん。だからたぶん、そのボスフロアは《結晶アイテム無効化エリア》に設定されてる……てことよね」

「74層も無効化エリアだったんだ。もし次の層まで同じだったら……」

 

 『実は安全』とまで揶揄(やゆ)されだしたボス攻略。実際ボス討伐で死人が出たのは、74層でコーバッツが勝てもしない人数で玉砕を行わなければ、67層を境に2ヶ月半以上もパッタリ途絶えていたのだ。

 パターン見極め用の偵察ありきならなおさらである。あらゆるプレイヤーがアイテムやスキルの出し惜しみをせず、敵味方の関係を忘れて協力し助け合う、ある意味では一時的な安全地帯。

 何の変哲もない、ましてやボス戦でもないフィールドで死者が発生する現場では、必ずと言っていいほど『油断』があった。それは緊張感が高まる大会などのレースでは類い稀なるテクニックを発揮するドライバーが、見通しのいい高速道路でふと惰性運転をしていた時に大事故を起こしてしまう現象に近いかもしれない。

 攻略組が真に危険に陥るのは、むしろ攻略の途中で発生する予期せぬアクシデントが圧倒的に多かったはず。

 しかし、そういった概念が通用しなくなったのだ。

 

「でも、逃げられないんだよね。逃げるのは……死ぬのと同じ……」

「ああ、そうだな。だから俺はみんなを巻き込むし、みんなを守るギムも果たす。いざとなったら俺がオトリになっても……」

「それはダメよ!!」

 

 突然ヒスイが大声を上げると、まばらに見え始めていた通行人はおろか会話中の俺も驚きで目を見開いてしまった。

 ヒスイは意を決したように続ける。

 

「あなたはどんな才能よりも……小さなことでも、仲間のため全力で行動する勇気を持ってるわ。それだけは誰にも負けてない。いくらケンカしても、別れられない理由がこれだしね」

「あっはは、言ってくれる。……これからずっと実行しなきゃいけなくなったじゃねーか」

「ふふっ……ねえ、1つ約束して。あたしも怖いわ。けどそれはみんな同じはず。だからね……今回の戦いで、あたしをずっと気にかけながら戦うのはやめて欲しいの」

「……なんだよ、それ」

「《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》はあなたが立ち上げたギルドで、そして攻略中のあなたは《暗黒剣》のジェイドでしょう? 誰の存在価値が高いとかいう話じゃないけど、少なくとも誰を失ったら組織が機能しなくなるかはわかってるよね? だからこそ、もしあたしが原因で他の仲間に……その、悪い結果が起きたとしたら……」

「おい、やめろってそんな話!」

「起きたとしたら! ……聞いて。もしそうなったら、あなたは一生自分を責めると思うの。ここ数ヶ月での自己犠牲は時々怖いと思うことさえあるわ。……だから約束して。この戦いで、あなたは何よりも優先して自分の命を第一に考えて欲しい。むかし言っていたよね、自分を守れない人が他人に構っていられる資格はないだとか、まずは自分本位に生きるのが鉄則だとか」

「それはソロだった時の話で……」

「ううん、違う。あたしが認めたくなかっただけで、これは本質だと思うわ。……だから絶対に忘れないで。『人を守りたければ、まず自分を守れ』っていう精神を。あたしも自分のことを優先して絶対生き残る。だからジェイドも信じて……」

「…………」

 

 即答できないでいると、歩みを止めたヒスイは指を絡めたまま腰に手を回して抱き着いてくる。

 その腕はまだわずかに震えている。しかし突然、彼女は殊勝(しゅしょう)になって改めてきた。

 

「……ね、ジェイド。……あのね……こんな時に、その……言うべきじゃないとは思うんだけど……」

「ん……どうした」

「ある意味、覚悟してるのよ。もしかしたら……これが最後になるんじゃないかって……」

「だから、そんなこと……っ!!」

 

 だが俺はというと、目を伏せたままヒスイが見せた弱気に狼狽(うろた)えていた。

 まさか、本当にここを死に場所と諦めているのか。こんな中途半端な階層で脱出の夢を諦め、1層で見殺しにした亡き友人との約束を反故(ほご)にしてしまうのか。俺と現実世界でも付き合おうと約束し、今まで以上に希望を持とうと励まし合ったことすら忘れてしまったのか。

 しかしそれは違った。

 彼女は俺の心配を遮るように続けた。

 

「だからっ……まずは聞いて。最後まで……それでね……たぶん、こんな機会もそうないと思うし……あたしはその、どうしてもってわけじゃないけど……。あ、あの! こんな時だからこそ、自分の気持ちに……えっと、ウソをつきたくないっていうか……素直になりたいの。……もし、ジェイドがよければ……」

 

 ヒスイはせわしなくキョロキョロしたり、指をもじもじさせながらまくし立てた。

 そして、俺は途中からその意図が読めてしまった。顔を真っ赤にして絞り出すように紡がれた彼女の提案を。これから望んでいることを。

 理解した瞬間、生唾を呑んでしまう。

 

「え……あ、の……っ……」

 

 気づけば俺の体も煮沸した湯のように火照っていた。

 繋いだ右の手のひらにびっしり汗をかいたのを自覚できる。あまりの緊張にヒスイの綺麗な目を直視することもできなかった。

 ただ、1つだけ判明したことがある。これは彼女が俺を試しているわけではないということだ。

 今日までタイミングを見計らっていたわけでもないだろう。それでもKoBから寄せられた悲劇的な報告に、ヒスイは不安を忘れようと俺を求めてくれたのだ。

 それはまさに、危機を察知したゆえの種族保存本能だったのかもしれない。ただ俺は、隣を歩く女性をまた一段といとおしく思った。この(ひと)が勇気を出して1歩踏み出してくれた想いを大切にしたいと感じた。

 俺の口からは、自然と肯定の意を伝えていた。

 

「ヒスイ……ありがとう。……じゃあ、その……」

「……うん……」

 

 俺とヒスイは手を繋いだまま適当な宿を身繕い、自分達の世界へ没頭(ぼっとう)した。

 誰にも邪魔されない、誰からも介入されない、俺と彼女だけの大切な時間。

 部屋を借りるとすぐに真っ暗にして、外部とのあらゆる情報を遮断した。そして、1つ1つこれまでの軌跡を確かめるように互いを触れ合い、それぞれのパートナーに誠意を込めて愛を伝える。

 それからは本当に時間の進みが早く感じた。この時感じた優しい温度を、何よりも暖かい愛を、俺は一生忘れることはないだろう。

 俺達は2時間以上もかけて、想いの丈をぶつけ合うのだった。

 

 

 

 《転移門》の青白い光を通過して、討伐隊の集合地である75層の主街区である石材の街《コリニア》に到着すると、まだ10分前だというのにすでに広場は騒然(そうぜん)としていた。

 ざっと見渡した限りでも、錚々(そうそう)たる顔ぶれの攻略組が50人はいる。確か3時間前に俺が聞かされたボス討伐隊は40人だったはずだが、やはり最高難度の討伐に出向くメンバーを(ねぎら)う意味もあるのか、見送りに来た連中もいるようである。ヒースクリフ、並びに彼の主力タンカー部隊の到来を待たずしてなお壮観な眺めだ。

 とそこへ、広場で待機していたシーザーが《使い魔》のゼフィと並んで向かってきた。

 

「ジェイドさん! こっちです!」

「おお、シーザーか。他のみんなはどうした」

「もう奥で集合していますよ。2人を待っていたんです。ぼくも可能な限り準備は済ませました」

「そっか。なあ、その……まだやれそうか……?」

「えっ? ……ああ、その点は問題ありませんよ。ジェミルさんは今も1層に残してきた友人と会っていたみたいですが……尻込むどころか、むしろ次層解放に向けてやる気は増しているようでした。ルガトリオさんとアリーシャさんはどうも2人で過ごしていたようで、彼らも心配は不要でしょう。まったくいつから親密になられたのか、ぼくすら今日まで気づきませんでしたよ」

「へぇ~あの2人が。珍しいな」

 

 ヒスイだけはクスリと笑っただけで特に反応はしなかったが、ギルドリーダーの俺としては少々意外な組み合わせだったので首をかしげてしまう。はて、カズ達は2人でどんな準備をしていたのやら……。

 もっともあまり突っ込みを入れると、今度は俺達へ質問が返ってきた時に返答に困るのでこの辺にしておこう。

 それに振り向きざまに歩き出そうとしているが、この男の口からも直接聞いておかねばなるまい。

 

「待てよ、シーザー。あんたにも聞いてんだぞ。マジで大丈夫なのか」

「……今それ聞いちゃいます?」

「茶化しはナシだ。脱出だけが目的じゃなくて……俺やヒスイには、その……つぐないがある。もちろんギルマスの俺はみんなの安全を願って……」

「やめてください」

 

 言いかけたが、シーザーの制止が入る。

 今度こそ優男の顔を解くと、彼はまじめになって答えた。

 

「みんなの安全を願う? ……ふふ、今さら迷わせないでくださいよ。脱出なんて、言ってしまえば大衆の形骸化した言い訳でしょう? 例えば、そのためなら人から奪ってもいい、とかね。……言われるまでもなく、ぼくにだって極めて個人的な『願い』があるんです。絶対に曲げられないものが。そのためには、皆さんとこのクォーターボスに挑まないと」

「……そっか。それが聞けりゃ安心だ」

「そうね。叶えるためにも……全員で戦って、そして生き残りましょう」

 

 なんてことを話していると、いかついアーマーを着込んだKoBの1人が「どうも」と頭を下げながら接近し、メイン・ウィンドウからA4サイズの紙を物体化していた。おそらく作戦指示を簡略するための措置だろう。

 軽く会釈して受けとると、ヒスイやシーザーと共にその内容に目を走らせる。

 

「……おおまかな作戦や配置は変わってないけど、どっちにしてもパターンやタイプも不明だったしね。あと、やっぱり参加人数減っちゃったね。全部で36人だって」

「ああ。A隊は変わらずヒースクリフのタンカー隊が6人。B、C隊はDDAのリンドが率いるアタッカー隊とシュミットが率いるタンカー隊が計12人だな。《風林火山》も1人減って5人の援護部隊で、俺ら6人は遊撃隊、と。……残りはアギン達4人に、あとは……ああ、キリトとアスナか」

「そうみたいですね。アスナさんが部隊長でアギンさん達のギルド《SAL(ソル)》が4人ならちょうど6人に……あれ、ちょっとこれ見てください。商人クラスのエギルさんの名前があるじゃないですか」

「あ、ホントだ」

 

 シーザーの指摘は正しく、新たに記載されていたのは黒肌スキンヘッドで巨漢のエギルだった。確か彼は最近のボス討伐にはめっきり顔を出さず、商売上手だった天性の才を活かしてトップランカーのサポートに(てっ)していたはずだ。

 しかし改めて広場を見渡してみると、衆人に紛れて黒白のコントラストに赤いバンダナとハーフのような焼けた肌をした長身の男という、比較的目を引く4人組が談笑しているのが見えた。キリト達も広場に集まっていたようだ。

 他にも名だたる重鎮(じゅうちん)の姿が散見される。

 広場の目抜き通りでは《聖龍連合(DDA)》のギルドマスターであるリンドが数人のギルメンと打ち合せし、その横では彼の右腕として抜粋当初から新進気鋭の活躍を見せる、銀髪ナルシストのエルバートが点呼を行っている。こいつも大概のことでは死なない伝説をいくつか持っている男である。

 そして反対に見える石柱オブジェ付近で騒いでいるのは、4人ギルドの《サルヴェイション&リヴェレイション》だろう。リーダーのアギンも明るい性格で、いつ見ても仲がいい社会人組だ。

 ただ、エギルの参加を計算して4人減ったということは、どうもこの3時間で5人が怖じ気づいてしまったということらしい。無理もないがゲームの攻略はまた一段と難易度が上がったと見て間違いない。

 

「(クォーターで、36人か。……キッツいな……)」

 

 編成は最近KоBを離脱していたアスナを筆頭に、今回の討伐隊ではとうとうソロではなくタッグとなったキリト、さらに総勢4人のアギン達小ギルドを合わせて6人パーティ。また5人に減った《風林火山》と商人エギルの6人による、これも混成部隊らしい。

 するとそこで《転移門》が青白く発光し、新たなプレイヤーを広場へ運んでいた。

 数は6。全員がKoBのA班で、言わずと知れたメインタンカー達だ。

 しかし集団を()き分け威風堂々と前進する彼らのなかでも、異彩を放っていたのはやはり組織の長であるヒースクリフだった。

 彼の甲冑だけはカーマインレッドを下地に間接部分にのみ白いラインを入れており、赤い十字が刻まれた巨大なシールド、および汚れ1つない真っ白なマントが彼特有の気品をさらに際立てる。

 それにここに集結した誰もが、彼の能力を頼りにしているのも間違いないはず。

 かつてハーフポイント戦の終盤で見せた《神聖剣》専用ソードスキル、絶堅連続完全防御《アイソレイデ・ムーン》。剣と盾に攻撃力と防御力を付与し、術者の腕次第では10分間ほぼ無敵に近い存在となる攻防一体、かつ反則級のユニーク技である。

 ともあれ一応クーリングタイムが20分という、多少は効果に則した重いデメリット付きではある。しかもこのクーリングは一般のそれと異なり、いかなるアイテムやスキルを以てしてもいっさい短縮しないらしい。

 まあ、何にせよ味方として使用してくれるなら存分に活躍してほしいところだ。

 そうこう考えているうちに広場の中央で立ち止まると、ヒースクリフが声を張り上げた。

 

「諸君、よく集まってくれた!」

 

 彼の澄んだ声色が広場の隅にまで広まり、討伐隊のメンバーも雑談をやめて耳を傾ける。

 

「知っての通り、本層での戦いは過去にないほどの激戦となるだろう! ……しかし過去のことは忘れてほしい! 今ここで恐怖に打ち勝ち! 勇気を示した諸君らであれば、必ず勝利できると信じている!!」

 

 途端に集団の中から肯定の声が上がった。

 各々が彼の意思を噛み締めたのだろう。プレイヤー集団には勝利を祈祷(きとう)したり、ボス戦前のジンクスやルーチンをなぞる者がいた。そしてそれが無駄なことだとは思わない。

 俺達は逃げなかったのだ。この勇敢な思いだけは誰もが誇っていいはずである。

 しかし、彼が続けざまに「ボス部屋の直前へコリドーを開く」と宣言した直後だった。

 

「ちょお待ってんかぁ!!」

 

 と、甲高い声が響いたのだ。

 集まっていた討伐隊が一斉に振り向くと、そこには鈍い銀の光沢を放つ完全武装のプレイヤーが2パーティ分も整列していた。

 集団の隙間から除く彼らには見覚えがあった。……いや、先頭に立つキバオウを始め、俺にはむしろ馴染みの深い連中だ。

 キバオウの真横にはライトブルーな髪色で首の太い青年ベイパー、および74層のフロアボス戦では俺の傘下として命令に従ってくれた戦闘員が10人。中でも天然パーマのふけた顔をしたおじさんは、名前こそ聞きそびれたが、ほんの数日前に世話になったばかりである。

 元最大ギルド《軍》の一員で、その組織の中では上位1パーセントに食い込めるトッププレイヤー。

 そして全員が緩衝被膜(かんしょうひまく)コーティング特有のまったく光沢のないダークカラー甲冑を纏っていた。チタン系インゴットをふんだんに使用し、溶接の専門職に就くNPCや鍛冶屋にしか精製できない金属メイルだ。かかる金額が天井知らずなのは当然として、素材発掘ポイントを集団で独占でもしなければ、到底集まりきらない大量の希少鉱石を12人分。さぞかし自慢の防具だろう。

 

「君達は確か、アインクラッド解放軍の……」

「先週まではな。もうワイらは《軍》でもなんでもあらへん。ギルドの運営方針はさっぱり変えて、名前もある人物に敬意を示し《レジスタンス・ネスト》に改めた!!」

 

 集団に向けて大声でそう言い放った彼らのシギルを見てみると、確かにシンカー達の組織からは完全に決別したようだ。細かな銀細工と3色のレジメンタルが流麗な、見たこともない狼頭の紋章が肩に縫い付けてある。

 しかし《レジスタンス・ネスト》と言ったか。命名の基準が他人の影響となると、キバオウらしくもないその受け身な選択には意味があるのだろう。

 しかしそこで、背中をツンツンとつつかれた。

 

「ジェイドさん、ジェイドさん」

「あん? なんだよシーザー」

「気づきませんか? あのギルド名の意味は『抵抗軍の隠れ家』ですよ。彼はまさに、あなたに感化されてギルド名を決定したんです」

「えっ……ああでも、言われてみれば……」

 

 《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》と《抵抗軍の隠れ家(レジスタンス・ネスト)》。

 似ている。というより、彼のギルド名からはもどかしいメッセージ性を感じた。しかし込めた想いを自覚すると、一瞬の気恥ずかしさと、それを塗り潰すほどの誇らしい気持ちが溢れてきた。

 いま一度意識を戻す。すると今度はキバオウと目が合った。この集団の中から俺を見つけた辺り、やはり彼も意識していたのだろう。

 俺としては「やっぱり前線に戻ってきたな!」と、駆け寄って肩でも組んでやりたい気分だ。当の本人はすぐに頬の下を指でかきながら目をそらしてしまったが、彼がここで姿を現さなかったら数日前に断言した意思と言葉が嘘になる。

 しかし真実だったからこそ、あいつには今なお多くの部下が付き従うのだ。

 

「レイド隊の頭はヒースクリフはんか。急な話っちゅうのは理解しとるが、あんさんに頼みがある。……ワイらのギルドもボス討伐に参加させてくれへんか! ……もちろん、経験不足なんはわかっとる。1年も二の足踏んどったことも認める。せやけど、ワイらはずっと力を溜めてきた。絶対足は引っ張らんようにする! ここで戦うチャンスをくれんか、この通りや!」

 

 キバオウが頭を下げて頼み込むと、(せき)を切ったように後ろのメンバーが続いた。

 作戦が決まったあとでメンバーが増えるのは危険かもしれないが、戦力が惜しいのも事実である。果たして総隊長はどんな決断を下すのか。

 という刹那の疑問を、彼は実に軽い応答で破っていた。

 

「ふむ、我々の総数は36名。そしてレジスタンス・ネストの諸兄は12名。この混成部隊が成立すれば、期せずして1レイドフルメンバーが完成するわけだ。さてどうかね諸君! 彼らの勇敢な参戦に応えるのも悪くないだろう! これは、我々攻略組が一丸となる時だ!」

 

 直後に野太い歓声が上がった。「《軍》のことは忘れよう、一緒に戦おうぜ!」、「戦力はいくらあっても足りないしな!」、「拒む理由がねぇよ!」と、黒い甲冑の背を叩きながら誰もがキバオウ達を歓迎した。新戦力の面々も笑顔でそれに応えている。

 しかしキバオウも役者だ。まさか討伐直前に逼迫(ひっぱく)した戦力が大幅に増すなんて予想できるはずもなく、これは俺達全員にとって非常に嬉しい誤算なのだ。

 現にあれだけ緊張に凝り固まっていた討伐隊のメンバーを、こうも簡単にほぐしてしまっている。

 

「(俺のやって来たことは正しかった。……最高だよ、あんた達)」

「では改めてコリドーを開く! 私に続いてくれ!」

 

 キーワードと共に弾けた激レアアイテムの濃紺色クリスタルには目もくれず、ヒースクリフ達A班を始め、広場の集団が次々に光の輪をくぐっていった。

 俺も改めてレジクレのメンバーを見る。

 そして6人が互いにうなずき合うと、今度こそ前を向いて戦う覚悟を据えるのだった。

 

 

 

 75層迷宮区の最上階に位置する広い洞窟(どうくつ)は閑散としていた。集団の目と鼻の先には謎の彩飾が施された黒い大門がそびえ、鏡のように景色を反射する支柱が壁を埋め尽くしている。

 よく『ボス部屋前に出現する下級モンスターのランク』や『オブジェクトディティールの凝り方』でフロアボスの強弱をある程度見破れる、なんて小話を聞くが、この威圧するような空間から察するにおそらくそれは真実だろう。どう転んでも一筋縄では行きそうにない。

 そんな俺の不安を感じ取ったのか、あるいは周りの雰囲気にあてられたのか、ヒスイが弱々しく防具の裾を引っ張ってきた。

 俺が怪訝(けげん)そうに振り向くと、信じられないことに彼女は耳元で「キスして」と短く要求してきた。

 互いの関係こそすでに周知の事実だが、いくらなんでも人目が多すぎるだろう。

 

「……え、ここでっすか。それはちょっとハズくね……?」

「ん……」

 

 どうやら聞く耳は持たないようで、俺は数秒こめかみに指を当て、ヤケになってから(かたく)ななヒスイを引き寄せた。

 その突然の行動に数人がビクッ、とのけ反ると掛け値なしで非常に恥ずかしかったが、俺はそんな反応を無視して彼女の感触を深く胸に刻んだ。

 そのキスは、今までで1番濃密だった。

 唇が離れると、不思議なことに俺まで不安はなくなっていた。

 

「絶対勝って生き残ろう」

「ええ、必ず」

 

 「準備は良いな」というヒースクリフの確認で、俺達は意識を戻した。

 ギギギィ、と重たい扉がゆっくりと開かれる。この先で待ち構えているのは、姿形も、行動パターンさえも不明なフロアボスだ。

 

「閉門前に中央で陣取る。戦闘、開始ぃ!!」

 

 うおおおおおおおお!! と、討伐隊がなだれ込むようにボスフロアへ進入した。声はこだまするように反響するが、反射音の速度から考えて部屋は相当な広さだ。

 俺達6人も普段通り固まって警戒モード。

 討伐隊48人が完全に収まりきり作戦通り陣形を組むと、唯一の出入り口が自動ドアのように勝手に閉じていった。

 一行のメンバーによる「転移、回復共に! やはりクリスタルは発動しません!」という最終報告も上がる。もちろん期待してもいなかったので、メニューいらずの戦時用ポーチからは1つ残らず除外済みだ。

 そしてクリスタルが無効化されているからには、内側からは爆薬を使っても脱出できないだろう。

 ここからは正真正銘、(しのぎ)の削り合いである。

 退路が絶たれた瞬間、今度は部屋の明度が少しだけ上昇した。明かりを頼りに見渡すと、どうやらフロアはドーム状のようだ。側面からは湾曲した壁が伸び、俺達の頭上でぴったりと閉じている。壁が垂直でないということは、《疾走(ダッシュ)》スキル修得者による疑似ソードスキル《ウォールラン》などを駆使した、頭上からの攻撃も難しくなっているということになる。

 

「(敵は何体だ……どっから湧いてくる……)」

 

 俺は全神経を張り巡らせた。情報の少なさ、そして小石を踏めば鼓膜に届くほど静まり返った緊張感に、自然と悪寒と冷や汗が流れる。

 しかし、戦場が閉鎖空間化されてから10秒経過しても敵は姿を表さなかった。

 

「……おい、どうなって……」

「ッ……!! 上よ!!」

 

 そこでアスナが頭上を見上げながら叫んだ。

 全員が一斉に振り向く。

 そこには骨だけで形成された、ムカデとサソリを足したような異形の超大型モンスターがいた。

 巨人タイプとは何度も戦ったが、今回ばかりは見たことがないほどの巨体だ。頭の先からでも10メートル以上はあるだろうか。エイリアンのように膨張した後頭部と、両腕から生える4メートルは超すだろう反りのある鎌が目を引く。が、上半身は人間のそれを模したように肋骨らしきものが存在し、そこから幾重にも広がる凶悪な骨格が際立っている。

 対照的に下半身部分の外形はまさに節足動物のそれで、体節おきに存在する背骨のような芯からは、鋭利な脚が無数に伸びてガチガチと鳴らしていた。

 

『ギキカァアアアアアアアアアッ!!』

 

 ムカデ型の75層ボス、《ザ・スカルリーパー》が咆哮をあげた。

 4つもある眼窩(がんか)からは紅く発光した眼球が対象を捉え、骨だけで形成される巨大な体躯が天井から空中へ躍り出る。

 同時にレジクレのD班も離脱態勢を取った。

 

「来るぞ、散れ!!」

「固まらず散開しろォ!!」

 

 一拍遅れて蜘蛛の子を散らしたように討伐隊が距離を取った。

 その中心にスカルリーパーが着地すると、右手(・・)にあたる大鎌をダイナミックに振りかぶる。

 

「(来るッ、避けろよみんな!!)」

 

 しかしタンカー連中の移動速度はどうしても制限される。

 祈りは通じず、スカルリーパーによる最初の攻撃がプレイヤー2人に命中した。

 爆音の反響。凄まじい筋力値だ。

 直後に人の絶叫と怒号が飛び交うが、されど攻撃を受けた2人はとっさに盾でガードできていたのだろう。派手に吹っ飛ばされた先で、それでも体勢を立て直して各部隊の後方へ下がっていった。

 その事実にひとまずは胸をなでおろす。

 問題はここからだ。

 

「作戦を開始する!! 深追いはせず、ローテーションを守れ!!」

「いったれ聖龍連合! 大イチバンだ!!」

「ブチかませぇッ!!」

 

 見ると聖龍連合(DDA)のB、C班が巨体に張り付いてまずは様子見の牽制を行っていた。

 正しい判断だ。接近するなり大技を繰り出そうものならカウンターの餌食である。

 加えてあのバカでかい図体。基本的に《怯み》を取った時にコンボ技や連撃ソードスキルを叩き込むのがセオリーだが、その怯みを取ろうにも本体の体積に比例してその耐性値は上がるものである。

 俺達に残機がない以上、確定で入れられる(・・・・・)タイミングを見極めるまで破れかぶれに技を出しても意味がない。

 ……と、そこまで考えた時だった。

 

「クソッ、攻撃が通り辛い! しかも、こっちの被ダメが高すぎる!!」

「なんだよ連合! これじゃラチ明かないじゃねぇか!」

「でかいのをブチ込む! DDAは下がれ!!」

 

 弱腰の前線メンバーに対し、業を煮やした元軍、現レジネスの2班が早速食い気味の戦意をむき出しにし始めたのだ。優れた防御力と万全のバックに裏打ちされた確かな安全網はあったのだろう。

 そして、わずかな自負も。

 有効アグロレンジ内のアクティブユニットの増加を感知した瞬間、このエリアボスは的確な判断を下した。

 自分に歯向かう虫ケラを排除する、凶刃の邀撃(ようげき)

 

「バカッ、今じゃないっ!!」

 

 しかし俺の忠告が届くことはなかった。

 曲骨鎌(きょっこつれん)専用ソードスキル、二連挟殺大断頭《神を刺す滅びの外殻(スティンゴッド・ペリッシェル)》。

 それは腕を交互に振って広範囲へのヒットを稼ぐ、言わばボスクラスなら誰でも有する一見変哲のない連撃ソードスキルだった。

 だが、結末だけが違った。

 相当な衝撃すらも吸収するはずのレジネス隊の防御力を上回り、衝撃で強引に跳ね上がった1名のプレイヤーは空中で回転しながら四散した。

 同時に彼の装備していたメインアームとアクセサリが無造作に飛散し、軽い金属音と共に黒曜石の床に転げ落ちる。

 ほとんどリアクションすら取れない刹那。

 ウジャウジャと動き回っていた各班の動きが一斉に止まる。

 いま、完全武装した人型のアバターが光片になって散り砕けた現象が、果たして本当に落命を確定する演出だったのかさえ自信が持てなかった。

 

「はっ……?」

「おッ、オイいま!?」

「ウソだろコイツ!? プレイヤーが……一撃でやられたのか!?」

「こんなの……滅茶苦茶だわ……」

 

 スカルリーパーの甲高い咆哮に、戦々恐々とする討伐隊。殺られたのはキバオウの腹心、すなわちベイパーの班のメンバーだったが、当の小隊長も唖然とするだけで的確な反応、ましてや対応させる指示も飛ばせないでいた。

 無論、覚悟の上で戦場に赴いた戦士達だ。友軍の減少を前に、ここで攻撃の手を休める愚行は犯さないだろう。さらなる慎重な攻略を強制されただけに過ぎない。

 そしてこれで確信した。

 先行した偵察隊10人が、たった数分も持たせられなかった理由を。

 『1発即死のソードスキル』。それが、3体目の特殊個体に秘められた、唯一無二の戦闘能力だったのだ。

 しかし、それでも震える手を握りしめ……、

 

「ジェイド……絶対、2人で帰るために……!!」

「ああ、こいつを殺すぞッ!!」

 

 並び立つ恋人と立ち向かえば。不出来な隊長を支えてくれる仲間と共にあれば。

 俺は、どこまでも戦える。

 

 

 

 


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