SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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なくてしかるべきですよね……。最善を尽くします。


アナザーロード9 世界の最果てで

 西暦2024年11月7日、浮遊城第75層。

 

 目の前で繰り広げられた彼ら3人の会話が、その重要度に反して即興の寸劇に思えてしまったのは、ことの真相が予想のはるか上を掠めていったからだろう。

 KoBの団長ヒースクリフは、茅場晶彦だった。

 これだけでも衝撃的だというのに、「《血盟騎士団》は90層以降の強力な敵への対抗手段にするつもりだった」、「そして自分は100層で待つラスボスとなるシナリオだった」など、彼の独白は独りよがりを超えた暴挙と狂気そのものだった。

 そして茅場は、正体に気づいた理由を2人に問うた。

 キリト君曰く、かつて行われたデュエルの際、彼のアバターがプレイヤーの速度限界を超えたように感じたから、らしい。

 確かに先月行われた戦いの終幕は、少々呆気なく閉じた感じはしていた。そして彼はその不可解な現象を、無敗伝説の諸事情を暴露させてしまう危惧から起こした、咄嗟(とっさ)のアクションだと推測した。

 ジェイド曰く、その懐疑心の根源はずっと前からあったらしい。疑いを根付かせてしまったことで、『ヒースクリフ』の立場を利用した丹念なフォローを重ねてきたらしいが、このボス戦がすべてをひっくり返してしまった。

 即死技に対する(いびつ)な自信と、レッド寸前で何度もHPを止めてしまうヘタな『調整』は戦闘中にも気がかりだったらしい。強敵ボス相手にうまく偽装しようとしても、今度は相手が強すぎた、といったところか。

 後手となる拙速的(せっそくてき)な手回しが裏目に出た。

 しかし彼の正体が判明したとして、あたし達がとるべき最善の行動がわからない。20人以上いる生き残りも、自白した彼をただ(にら)み付けるだけだった。

 それに……、

 

「あの人が……僕らのすぐそばにいたなんて……ッ」

「ダメよルガ君、ヘタに動いたら……」

 

 ――殺される。

 そう思わせるに足る異常性を、あの男は持ち合わせている。

 けれど、これまで黙々と彼に従い、彼と共に死線を歩んだ兵士達の衝動は止まらなかった。

 

「貴様が……俺達の忠誠――希望を……よくもーーッ!!」

 

 A班のハルバード使いが駆けだしたのだ。

 もちろん、そんな攻撃が通用するはずがない。

 彼は左手(・・)で迷いなくウィンドウを開くと、突進する男を滑らかな手つきで《麻痺(パラライズ)》状態にしたのだ。

 

「がぁ……ッ……!?」

 

 紅白の軍服を着た男は、足を滑らしたように突っ伏す。怒りに任せた渾身の一振りさえ、怨敵に届くことはなかった。そして指先をドラッグして降ろす頃には、フロアにいたほとんど全ての人を同じデバフによって行動不能にしてしまった。

 あたしも同様に足元から崩れ落ちる。駄目元で薬を飲もうとしたが、普通の《パラライズ》と違って指先まで硬直が広がっていた。

 現時点で直立している男は3人。

 茅場と、そして彼を看破した2人のみ。

 

「……どうするつもりだ。このまま全員殺して隠蔽する気か……」

「まさか。そんな理不尽な真似はしないさ」

 

 ヒースクリフはあっけらかんと答えた。しかもよりにもよって、「理不尽なことはしない」なんて口走っている。

 天才というのは存外、杓子定規な計り方しか知らないのかもしれない。とは言え、すでに数えきれない理不尽にさいなまれてなお、あたし達の中にその皮肉めいた言葉に返せる者はいなかった。

 しかし、ここで意外なことが起きる。

 なんと2人の洞察力を讃える意味だと称し、奇想天外な天才は両者に決闘権を与えると言い出したのである。

 ルールは簡単。参加も自由。事実上の《完全決着モード》で戦い、負ければ死、勝てば『ゲームクリア』と見做(みな)される。たったこれだけである。

 無条件クリアとまではいかないが、本人が大きなリスクを背負うだけの覚悟を見せた折衷案(せっちゅうあん)。全世界のプレイヤーの命運を背負わせた一世一代の決闘。当然『ヒースクリフ』というプレイヤーとして――すなわち、ラスボス並みの耐久力を備えずに、彼もまた不死属性を解除した上で臨むという。

 破格の条件だ。2on1でハンデなしなら十分《神聖剣》に比肩する。

 あるいは、今日ここで……、

 

「だめよキリト君……あなた達を排除するつもりだわ。今は……今は引きましょう……」

 

 あたしの思案は友人のセリフによって霧散(むさん)した。

 効率の問題ではないと、頭ではわかっている。あたしだってアスナのように声をかけてあげたい。あなたが命を懸けることはない、と。相手が嘘をつくとも限らない時点で、バカ正直に剣を握っても仕方がない、と。

 だが、いったん引いてじっくり一計を案じてから再挑戦、とはいかない。

 ただでさえ多くのものを失ったばかりだ。彼の性格上、ここで挑みもせずにすごすごと引き下がるとは思えない。

 そしてジェイドが答えるよりも早く、身動きの取れない1人のプレイヤーが声を荒らげた。

 

「ジェイドッ! ……2人とも、お願いだ……頼むから、そいつと戦ってくれ! ここでその、フザけた野郎を殺してくれ!!」

「リック……」

 

 ギルドで唯一の生き残りとなってしまった男性の慟哭が、ドーム状のフロアに悲しく反響する。

 発言者はフリデリックさんだった。その口から発せられた催促が、彼らしからぬ暴言付きだったのも無理はない。兄のように慕っていたリーダーを目の前で殺されたばかりだ。

 ジェイドらが振り向くなか、涙を流しなお彼は苦悶の文句を紡ぎ続けた。

 

「仇を!! とってッ……く……ぉ、ねがいだ……先輩を殺した元凶を!! 今この場で斬り殺してくれェッ!!」

 

 もちろん仇討ちになる保証はない。仮にジェイドらが勝利したとして、ヒースクリフが《ナーヴギア》によって脳を損壊される可能性が極めて低いからである。かの男が断言したのは、あくまで『ゲームをクリアしたことと見做す』だけ。

 しかし、静まり返っていたはずの戦場跡では、フリデリックさんの発言で(せき)を切ったように怒声が飛び交った。

 

「そうだ、奴を殺せェ!!」

「残り25層も戦う方がリスクが高すぎる!」

「ジェイドぉ!! お前ならできる、殺っちまえっ!」

「《二刀流》と《暗黒剣》だ! 2人なら相手なんて関係ないだろう!!」

「キリト!! ここで勝てばすべてが終わるんだッ!!」

 

 気が付けば、2人の身を案じるような意見は押し流されていた。あのクラインさんですらキリト君を焚きつけている。ほとんど当事者の気持ちを無視したまま、話の趨勢(すうせい)はその場の空気によって支配された。

 されど彼らは動じなかった。

 元よりこんな声援(・・・・・)がなくても、心のどこかではとっくに覚悟していたのかもしれない。

 それでもジェイドは、いま一度確認するように感情を吐き出す。

 

「なあ、ヒースクリフ。1つだけ聞かせてくれ」

 

 声はしわがれ、震えている。それは、表現しきれないほどの怒りが込められていたからだ。

 

「……あんたが茅場なら、《神聖剣》最強のスキルは……発動すべきタイミングを、知っていたはずじゃないのか? ちゃんと使えば死人も減ったはずだ。……初めは単なるミスかと思ったよ。てめェがHP半分切ったのも……なんせ初めて挑むボス戦で……けど……」

「…………」

「けどさ、これじゃあまるで……『難易度を上げるため』に、わざと非効率に使ったみてェじゃねぇか。簡単に突破されンのがイヤだったのか!? 違うッつうなら、今すぐ理由を言ってくれ……」

「……私の能力に頼りすぎるのも、また目的と乖離してしまう。シナリオを重視した行動ゆえ、私はあえて『絶対防御』を機能させすぎないようにした。……ゆえに、きみの指摘はおおむね正しい」

 

 それを聞いたジェイドは、すぐにでも首を()(さば)いてやりたいと言わんばかりの眼光をしていた。

 これ以上くだくだしい問答をする必要がなくなったからだろう。人が死にゆく狭間で、全力で食い止めようとしない人間。それは彼が最も忌み嫌う人種である。

 しかも《神聖剣》は、発動タイミングさえ間違わなければ、かつてのギルドリーダーであるロムライルさんと、そして長い時を経てやっと仲間となったシーザーさんを救える力でもあったはず。

 

「(許せない……誰よりもきっと……ジェイドがあなたを許さない!!)」

 

 しかし憎たらしいことに、ボス戦は計ったように1時間続いた。単純な計算上、彼はそろそろ3度目の《アイソレイデ・ムーン》が使える頃合いとなる。

 ただ、だとしても答えは変わらなかった。

 男達は殺意も剥き出しに対峙し、間合いを空けたまま、外野を受け付けないような緊迫感に包まれる。

 

「何がおおむね正しいだ、殺すぞこの野郎ッ……!!」

 

 それは、絞り出すような声だった。

 しかし怒りのすべてを物語る。

 

「おいキリト!! こいつは生かしちゃおけねェ!!」

「……ああ。俺もそのつもりさ」

「……2人とも挑戦する、と受け取っていいようだ」

 

 対するヒースクリフは、背筋を伸ばしたまま2人の怒りを受け流し、左手でウィンドウを短くタップする。

 ……いや、あるいはこれが彼の受け止め方なのかもしれない。その証拠に、彼の瞳には自嘲と興奮が混在していた。

 

「本当に、これほど早期に明かされるとは思ってもみなかったよ。キリト君、ジェイド君。イレギュラーの化身だな、君たちは」

「大物ぶるなよサイコパスが! 今までだって、シラフで仲間ヅラしてたとかスッゲェ吐き気がする。クッソキモいんだよテメェは!!」

「ジェイド、挑発するのはいいが冷静でいろよ。俺達は今からこいつを殺すんだ。……ただ、そうだな……自分で思ってるより演技はヘタだぜ、ヒースクリフ」

「フッフッフ……すばらしい。この瞬間を楽しもうか」

 

 そう言うと、茅場は自身のアバターにかかっていたチート級バフを順に解除していく。公平性のためか、3人のHPもジェイドと同じ――つまりちょうど半分あたりで固定したようだ。いかなソードスキルでも1発以上は耐える残量である。

 そしてそれを見届けると、キリト君はアスナを、ジェイドはあたしを無言で見やる。その視線には感情の全てがこもっていた。

 ――終わらせて、その先は2人で生きよう。

 ――ええ、自分の正義を信じて戦って。

 交錯は一瞬だった。すぐに恋人の表情から戦士のそれへと切り替わり、挑戦者2人は互いに寄ると誰にも聞こえないように耳打ちし合う。

 勝敗に関わらず、彼らにとって最後の攻略会議。

 無論茅場とて無策で来るとは思っていないはずで、さりとてたかが少年の考える一朝一夕の弥縫策(びほうさく)と侮ることもないだろう。それは《神聖剣》の壁を突破しうる作戦となるのか。……いや、しなければ許さない。相手がいかに怪物級の男だったとして、これ以上踏みにじられる気は毛頭ない。

 

「ジェイドッ!! 絶対勝って!!」

 

 自然と声を張り上げる。

 戦法は定まったようだが、声に対し彼は背を向けたまま左の拳を軽く掲げるだけだった。

 両雄姿勢を落としてそれぞれの構えを見せる。会心判定でも一撃までなら耐えるだろうが、連撃をもらえばそれだけで消し飛びかねない。

 緊張のあまり引き延ばされる数秒間。

 果たして、先に仕掛けたのはジェイド達だった。

 

『おおォオオオオッ!!』

 

 戦闘が始まった。

 踏み込みは1ステップだったのに、数メートルもあった距離は一瞬で縮まり、激しい剣戟によって無数の火花が散りばめられた。

 ただし、剣が光を纏っているのは1本だけ。茅場晶彦……否、ヒースクリフだけが20分間のクーリングタイムを終え、3度目の《神聖剣》ソードスキルを発動している。

 

「キリト行くぞ、はさみこめっ!!」

「わかってる! 《神聖剣》を崩すぞ!!」

 

 10分間の疑似的な無敵タンカー。現時点で攻略組全員の既知なる技だったが、使用者が防御に反応できる限り、あらゆる攻撃はあの剣と盾を超えてダメージをシャットアウトすることができてしまう。

 しかもカットだけではない。盾にも純粋な攻撃力を付与する特殊効果付きだ。つまり剣閃を彩る今の彼は、『常に攻撃している』状態ともいえるのである。

 まさしくバランスブレイカー。

 それでも、この技を超えない限り勝ち目はない。

 それに2人がソードスキルを使わないのは、なにも敵を恐れているからではない。おそらく、それそのものが作戦に組み込まれているからだろう。

 あたしは彼らの作戦が聞こえたわけではないが、ソードスキルを考案、もしくは考案されたものをチェック、採用したのは彼だと推測できる。いや、例えそのモーションを試作するにあたって門外漢の部署だったとして。あの完璧主義者が全ての技の動きと特性を記憶していないはずがない。

 とすれば、規定に沿ったあまねく攻撃は《アイソレイデ・ムーン》に一切通じず、彼の前で安々と技後硬直(ポストモーション)を晒してしまう、と考えるべきだ。

 さすがにあの《閃光》アスナでさえ、人間の反射神経をも超越した速度でソードスキルを発動、命中させることはできまい。

 それを知るゆえ、培った戦闘センスだけが彼らを突き動かしていた。

 あとは天才の裏をかけるかにかかっている。

 あたし達全員は、食い入るように戦闘を見守っていた。

 

「死角に回るんだ! ジェイド!!」

「やってるよ、クソッ!!」

 

 攻防は一進一退だった。KoBの訓練がいかに優れたツブ揃いの高度な研鑽(けんさん)だったとして、人間の視野が限られている以上、背面からの攻撃にまで反応できないと踏んだからだろう。

 ヒースクリフも自由な選択はできないでいた。1人に集中した瞬間、それはもう1人への隙を見せることに繋がる。

 しかしあの男は狡猾だった。無言のまま常に守りの姿勢を見せていたのは、反撃への糸口を手繰り寄せる準備でしかなかったのだ。

 ほんの一瞬の(ほころ)びを見て、長剣が一閃される。その軌跡はジェイドの腹部を深く(えぐ)り、彼のHPをレッド寸前まで落とした。油断があったわけではない。すでに発動状態だった攻撃スキルが、意識の狭間を縫うように放たれただけ。

 体が動かないことがもどかしい。身を差し出してでも援護に入りたい。

 そんな思いがジリジリと詰め寄ってきた。

 

「く……っ!?」

 

 ただし、斬られたジェイドは大きくステップを踏んで下がった。

 気持ちはわかる。彼らの弱点――それは、『1人でも欠けたら敗北に等しい』点だと言える。先月の戦いではやはり両名ともサシの戦いに敗れているし、人数差を活かして死角を取る作戦も単騎では成立しない。

 しかしジェイドもやられっぱなしではなかった。距離を空けると同時にブレードの腹を2回殴り、何らかの合図らしきものをキリト君に送っていたのだ。

 途端、戦局が動いた。

 コンビネーションではない。キリト君はひと際大きな怒号を放つと、《二刀流》の最強奥義、最上位烈火二十七連超剣撃《ジ・イクリプス》を発動していた。

 

「(そんな……それを使ったらっ!?)」

 

 あたしは酷く困惑した。

 本当にこれは作戦なのだろうか。

 場当たり的な怒りの衝動ではなく、勝ち筋ありきの攻撃なのか。それとも、先ほどのアレは自分の勘違いか。

 しかも合図だったとして、ヒースクリフは気づいているのではないか。

 そもそも作戦会議自体がブラフで、動揺を誘うポーズに過ぎなかったとしたら。

 あらゆる可能性と疑念が渦巻く。それでも指一本動かせないあたし達は、戦闘を見守ることしかできない。

 とそこで、ジェイドも同じように大剣に光芒を持たせていた。それを見た多くのプレイヤーがすぐに理解する。すなわち、攻撃力やブースト力に頼ったのではない。《二刀流》による『長い攻撃時間』を利用し、ヒースクリフの向く方向を常に一方へ縫い付けることが作戦だったのだ。

 やはり、あくまで狙いは死角。

 発動したのは上級単発上段ダッシュ技《アバランシュ》。一気に間合いを詰める算段なのだろう。

 しかし、無敗の男はそれすらも看破する。音と構え、そして発光色をチラリと見ただけでヒット箇所とタイミングを逆算し、必要最小限の動きで長剣を背にかざしたのである。

 ジェイドの攻撃は吸い込まれるようにサーベルを叩いた。

 依然として《二刀流》への対応も完璧なまま、もちろん最高防御性能を塗布された剣を相手に、ガードを超えてダメージを与えることは叶わなかった。

 むしろ硬直した分、短い反撃によってまたも彼は突き飛ばされている。元より8本の剣すらも(さば)ききったヒースクリフが、この程度のスキルの突破を許すはずがなかったのかもしれない。

 もうほとんど体力残量がない。反撃するチャンスもない。

 胃が縮まるような想いだった。

 

「(ダメよ……そんな、神様……!!)」

 

 けれど、祈りは通じなかった。失敗したジェイドは慌ててソードスキルを発動し直し、キリト君の連撃が終了してしまう前に再トライしようと攻勢に出たのである。

 しかし同じ作戦が通用する道理はない。

 ヒースクリフは《二刀流》スキルが終わる寸前にわずかに体の軸を逸らすと、ジェイドへ邀撃できるよう体の向きを変えたのだ。

 (かす)れば死ぬというのに。それでもなお、予備動作(プレモーション)は成立してしまった。そして直後にペキュリアーズスキル、超級単発重反動斬《ライノセラス》が立ち上がる。

 ある意味《スイッチ》としてはパーフェクトだった。寸分の狂いなく呼応するような、まるで共通意志を持った連携の境地を、最強の男はいとも簡単に打ち破った。

 

「甘いぞ、それは!」

 

 悪魔の快哉(かいさい)は短かった。

 ポストモーションを課せられたキリト君をあえて無視し、一部の狂いなくカウンターの一撃を確信する。HPが風前の灯火である以上、先に凶器が人体へ届けば事足りるからだ。

 その瞬間、あたしの中を駆け巡った疑問は刹那的なものだった。

 何かがおかしい。

 初撃が汎用技(アバランシュ)で、次撃が渾身技(ライノセラス)? そもそも連撃中の挟み撃ちが狙いなら開戦直後に行えばいい。

 ――本命は、逆なのか。

 思考が続くより早く、決着がついた。

 ゾブンッ!! と、長剣による一撃が暗い甲冑を穿通(せんつう)する。それも、十字盾が大剣の一振りを凌ぎきっただからではない。なんと、システム外スキル《ブースト》を利用し、《ライノセラス》のアシスト発揮を限界まで遅らせる(・・・・)テクニックを見せていたのだ。

 ガードのタイミングがずれる。

 脳筋の彼氏が、初めてかすかに笑った気がした。

 思い出したのは、死が確定した時、わずかに残留する攻撃判定期間。

 それが存在することを体験し、知っている(・・・・・)彼だからこそ、この捨て身の特攻策、決死の交替(スイッチ)を考案できたのだろう。

 なにせ、ヒースクリフを倒せば達成される『勝利条件』と違い、彼が条件に出した『敗北条件』とやらは2人のHP(・・・・・)が全損されること。1人でも欠けたら負け確、という逆説的な条件すらも逆手に取った、ジェイドらしいズル賢い一手。

 これまでの交戦こそがすべてブラフだった。ヒースクリフは取り返しのつかない段階に陥ってから、ノロマにも彼らの真の作戦を思い知る。

 土壇場で意表を突いた。

 そしてジェイドは、稀代の天才に向かってこう叫ぶのだ。

 

「ぶわァアアアアアアアかッッ!!!!」

 

 直後、ズンッ!! と、無敗の男に脳天から神罰が下された。

 同時にジェイドの体はフレークと化して砕ける。

 痛み分け。一発だけならまだ耐える。しかし、かの一撃には『確定怯み』の効果が付随していることを、彼もよく知っているだろう。

 いま一度雄叫びが上がる。

 重複するソードスキルの発生サウンド。

 2本の業物が光を纏い、輝く。ジェイドの放った最後の攻撃は、続く《二刀流》の連続スイッチにより逆転の決定打へと昇華されるのだった。

 

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 『ゲームはクリアされました』。無限の彼方に渡るそんな機械的なアナウンスと、時報に似た鐘の()がしばらく続いた。

 するとあたし達の体からは重力が消え、音が消え、視界一杯に光が広がると見たことのない小さなフィールドに転送されていた。

 橙の空が目に眩しい。焼き付くような日光が直接降りかかるのは、あたしが立っている場所が稜線(りょうせん)まで続く雲海よりもさらに上空に位置するからだろう。視線のはるか下方には浮遊城アインクラッドが宙に漂っている。こうして外観を俯瞰(ふかん)するのは実に2年ぶりで、その最下層が崩れ始めるのを確認すると、この場所がどのような目的で設置されたのかおおよその予想はできた。

 足元には随所に白い筋が入ったリアルなガラスの台があるのみ。目立った装飾もなく、直径10メートルほどしかない薄い円筒がフィールドの全貌だ。

 やはり攻略中はもちろん、夢の中にだってこんな思い出はない。しかし存在する意味を予測できても、自分がここに送られた理由が見当たらなかった。

 ただし途方に暮れるより早く、すぐ後ろから声をかけられる。

 

「ヒスイ……」

「っ……!?」

 

 振り返った先に飄々(ひょうひょう)と立つ人物。

 これこそ夢ではないだろうか。彼は間違いなく長剣によって(たお)され、他の多くの戦死者と同じ結末を辿っていったはず。

 けれど……ああ、神様。

 

「ジェイドっ……生き、てたの……」

「さあな。これから殺されるのか……ま、アイツ次第だ」

「バカッ!」

 

 強気でいようとするその姿は(はかな)くて、愛しくて、あたしは飛び込むように彼の胸に抱き着いていた。

 「うわ、落ちる落ちる!」と慌てられたのでとっさに重心は戻したが、この大バカには聞きたいことが山ほどあった。

 

「……なんで、最後……自滅するような戦い方をしたの。ヒースクリフは……茅場晶彦はたぶん《ナーヴギア》じゃ死なないわ。そんなの、誰でもわかることでしょう……!?」

「死に損になるって? ……けど、なんだろうな。あの男は殺したいぐらい憎いけど……なんとなく、俺の戦法を認めてくれるような気がしたんだ」

「はあっ? なによそれ……根拠ゼロじゃない!」

「ンなこたねェって。ルールを決めたのは奴で、スジだけは通すヤロウだ。……それに《神聖剣》のあの技は不意打ちなしに突破できない。ヒスイだって、正攻法じゃどうにもならないだろ?」

「うっ……」

 

 それには返す言葉もなかった。

 敗北寸前のあの一瞬で、五分の駆け引きに持ち込んだ手腕は見事と言わざるを得ない。確かにあれは、過去にゲームオーバーになった経験を活かせる唯一の戦闘だったのだろう。

 けれど、だとしても正気じゃない。

 相手のプライドを信じるのも結構だが、これはスポーツではないのだ。ほんの少し、糸穴よりも小さな勝機を掴み取らなければ、別れの言葉すらも送ることなくこの恋人は姿を消すところだった。

 無論、勝利は信じていた。負ければ終わりなんて、今日に限ったことではない。

 しかし理屈ではないのだ。安堵と、恐怖と、嬉しさで、頭の中はもうグチャグチャだった。流れる涙がいつ我慢を決壊させたのかもわからない。

 愛する男の目の前で、あたしは子供のように泣いていた。

 

「も……ぅ……1人にしないでよぉ……ジェイ、ド……」

「だあもう、泣くなっての。俺が泣かせたみてェじゃん」

「他にっ、誰がいるのよ! 物理的にいないんだからぁ!」

「なっはは。それ言えてる」

 

 「ホントバカ、バカ、バカ! 死ね!」と何度も叩いてやる。

 こちらは真剣に話しているのに。あたしを置いて自分だけ命を懸けておいて、残された身になって考えようとしない。どれほど辛かったかを理解していない。

 あなたのそんなところがキライだ、と。

 そう言おうとした直前に口を塞がれた。腕と腰を抱かれ、唇には彼のそれが重なっている。それは相手の全てを感じられる抱擁だった。

 そして抱かれて初めて気づかされる。彼の体が、わずかに震えていたことに。

 決して平気ではなかったのだ。

 それでもなお、信じるものを貫いた。正義を通した。彼がこうして生き残ってくれたことに改めて感謝すると、怒りなんてとっくにどこかへ行ってしまった。

 長い接吻が過ぎると、涙を拭いてどうにか紡ぐ。

 

「ん……ホントにズルい人。ごまかし上手」

「ヒスイにゃ言われたくねーよ」

 

 お互いに笑い合うと、今度はどちらともなく再び崩れゆくアインクラッドを見下ろした。気づけばすでに半分以上の体積が失われている。このまま城の最期を看取るのだろうか。

 しかししばらくすると、真後ろにコツン、とビジネスシューズが硝子を踏むような音がした。

 予想していたのか、ジェイドが先に口を開く。

 

「俺を地獄に送りに来たのか、ヒースクリフ」

「……ふふ、まさか。勝者には相応しいリワードを与えるつもりだよ。現に絶景だろう、ここも。我ながら悪くない」

 

 スーツの上に白衣を羽織り、戦う意思を消し去ったまま余裕の笑みを浮かべる。そして男はゆっくり歩み出すと、円周の縁まで近づいてあたし達に並んだ。

 それでもジェイドはあたしを片手で下がらせながら、警戒もあらわに問いただす。

 

「じゃあ俺達はどうなる。他のみんなも」

「約束通りログアウトさせるさ。……そう身構えないでくれたまえ。この時間は特別に設けさせてもらった。キリト君とアスナ君にも同じ場を用意して、先ほどまで話していたところだ」

「あら、恋人同士だから? あのアインクラッドといい、意外とロマンチストなのね」

「意外かな。私としてはアイデンティティのつもりだったが」

「…………」

 

 冗談を終えると、崩れゆく城から目を離さないまま、彼は自虐的に続けた。

 

「このクリアは君らのどちらが欠けても成立しなかった……そうだろう? だから両名を呼んだのだ。もっとも、人に『バカ』だと吐き捨てられたのは初めてなもので、腹は立ったがな」

「へッ、事実だろ。天才がこじらせるとこーなる」

「ふ、ふふ……実際、私は子供の頃に夢見た天空の城を、この歳になって再現したに過ぎない。きみの指摘はまたも正しいわけだ。どうだね、それほど共感する力に長けるなら、カウンセラーの道も悪くないんじゃないか」

「ホンキかよ。俺はヤだね」

「残念、性格が向かないか。……1つだけ聞きたい。きみはなぜ、攻撃可能な判定がいつまで続くかを知っていたのだ? いわんや命と引き換えに知れたとして、アインクラッドでやり直しは……ああ、《還魂の聖晶石》か」

「聞いたそばから解答出すな」

「しかもそのアイテム、使ったのはキリト君よ」

「なんと……」

 

 このくだりに関していえば、さしもの彼も本気で驚いているように見えた。

 そうしていくばくも無く真相を知ると、心の底から愉快そうに笑いだす。

 

「はっはっはっは、これはまた。1度死んでいたとは驚いた。じゃあ何か、きみ達は私の用意した救済措置によって命を留め、今度は私がきみ達に戦いを挑み、そして2人の経験が《神聖剣》を凌駕したとでも? は、はっはっ……これはまるで……ああ、まるで運命のようではないか……」

 

 燃え(たぎ)る太陽を仰ぎながら、彼は辿った半生でも噛みしめるようにうなずいた。

 この結末を、深く受け入れたように。

 

「……ちょうど全プレイヤー、6141名のログアウトが完了した。……きみ達と話しができてよかったよ、ありがとう。そろそろ時間だ……」

 

 彼につられて視線を寄越すと、もう最上階の塔にまで崩壊は進んでいた。間もなくこの場もその波に呑まれることだろう。

 世界を丸ごと作り上げた男は、その終幕まで見届けると背を向けた。

 

「……行くんですか……?」

「別れとは唐突にやってくるものだ。今を大切に生きなさい、少年達よ」

 

 特別な演出があるわけでもなく、彼は去った。

 空虚なエリアに、また2人だけが残される。

 同情をする気はない。しかし、あらゆる意味で彼の人生はここまでなのだろう、という確信があった。きっと本人も牢での延命を望むまい。

 

「けっ、あの野郎……誰が大事な時間をうばったと思ってんだか」

「もういいじゃない。この世界に来なければ、あたしはジェイドに会うこともできなかった……そうでしょ?」

「ん……まあ、そうだけどさ……」

「じゃあ話すべきことはこれまでのことじゃないでしょ。……ねえほら、時間ないんだから一足先に自己紹介でもしない? 改めてリアルの方を……もう『ジェイド』って呼べなくなっちゃうし!」

 

 言った直後、ガラッ、と足元のガラスが剥がれ落ちた。

 崩壊は目前である。

 

「そ、そうだな、じゃあ俺から。……んん、え~と住所とかはいいか」

「もう早く!」

「わあったって! ……コホン、『大瀬崎 煉(おおせざき れん)』だ。ザキかレンって呼ばれることが多いかな。不良校の一員だったけど、去年卒業して歳は今年で19」

「へえ~、1コ上だったんだ。てか卒業してないし! 普段は何してるの?」

「オンゲー」

「あはは、そりゃそうよね……。えっとね、あたしは御門女っていう苗字で……えへへ、あんまり聞かないでしょ? 御曹司の『御』に、門と女って書いて……あ、あれ……?」

 

 ふわりとした浮遊感を覚える。

 いつの間にか五感のほとんどが遠くに感じた。感覚が失われていくと、いま自分が直立しているのかさえ自信が持てない。

 視界に白い(もや)がかかり、ジェイドの姿も見えなくなる。

 あたしは思わず大声で叫んだ。

 

「『御門女 玲奈(みかどめ れいな)』よ! 忘れないでよね! 向こうに行ったら聞いちゃうんだから! ちゃんと言ったよ、れん(・・)!」

 

 視界が白一面に覆われる。

 ――ああ、これで本当に『ヒスイ』は終わり。

 声は届いただろうか。発音できたのかさえ怪しい。

 でも、いいか。これからは本当の世界で会える。真に触れあい、確かめられる。失った時間なんて、いくらでも取り返せるのだから。

 

「(向こうに戻ったら、またいっぱい話せるもんね。これまでのことと……これからのことを、たくさん話そう。ずっと寄り添うよ、ジェイド……)」

 

 心の呼び掛けも途切れ、意識が完全に遠退いていく。静謐(せいひつ)な部屋のなかで、(たお)やかな羽毛に横たわるような脱力感。

 不思議と不安はない。揺蕩(たゆた)うまどろみに身を任せるだけ。

 やがてあたしは、穏やかな光の抱擁に包まれていくのだった。

 

 

 

 


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