SAOエクストラストーリー   作:ZHE

135 / 159
第十四章 《アルヴヘイム・オンライン》
第104話 かの地は遠く


 西暦2024年11月7日。

 

「ヒ……スイ……」

 

 自分の声にふと目が覚めると、真っ白な空間が広がっていた。

 背中の感触と重力の向きから、仰向けに寝かされていることを確認。照明というよりはただの光源に近い光が両目を襲う。

 姿勢を変えないまま首だけを逸らし、まばゆい発光を避けながらまぶたを何度かしばたかせる。一瞬「ここは天国か……?」とも思ったが、どうにか逃避せずに現状を把握しようと上体を起こし、視線をさ迷わせた。

 

「(なんだ……こりゃ……!?)」

 

 そして思わず絶句した。

 目に入ったのは、大量に横たわる人間。いや、この場合は『プレイヤー』と呼ぶべきだろう。全員がカラフルな衣装を身に(まと)っている。

 凄まじい数だ。とても数えきれない。

 

「(まさか現実じゃねぇよな? ……イヤだぜ、たった2年で病院がこんなんになってちゃ……)」

 

 頭を振って冷静に分析する。周囲には数百にも上るベッド型の白い大理石が部屋の隅まで一面に敷き詰められ、そのすべてに多種多様な色彩の装備をしたプレイヤーが、理路整然と陳列(ちんれつ)されていた。俺もその1人だったのだろう。

 幸い、死体はない。息遣いを感じるし、そもそもすでに何人かは目覚めている。

 問題は場所だ。

 上面に広がる空間は一見白の単色だが、()らして見ると格子盤状に黒い線を確認でき、それが果てのある天井だと知覚できる。ただし、それらの線も壁伝いには延びておらず、カメラのフラッシュをたき続けるかのごとく明るい広大な部屋からは、本当に無限に広がる宇宙のような怖気(おぞけ)を感じた。

 足が向けられた方向の奥にはディスプレイ……というより、スクリーン状の長方形の浮遊物と、単純なデザインのホロタイプ式コンソールがポツンと置かれている。そしてそれらは非常に巨大だ。視線から見て左側に設置された出入り口らしきゲートを2つ視認していなければ、このスペースが部屋だという認識もわかなかっただろう。

 明らかな人口施設内。

 天国でなくてホッとしたが、同時にうんざりした。

 どうやら、ここまでしても現実世界に復帰できていないらしい。

 先ほどヒスイと触れ合った映像が、つぶったまぶたに鮮明に(よみがえ)る。焼けるような橙の空を背に、その口から間際に聞かされたのは『ミカドメ』……だっただろうか。きっと苗字だろう、名前は最後まで聞き取れなかった。

 もっとも、仮想世界という垣根(かきね)を越える時が来れば、きちんと名前を教え合う約束はしていた。名前に関してはこの際、現実世界に戻ってからでもいい。

 だからこそ、いい加減にしてほしいものだ。どんな事情があるかは知らないが、この約束より他に優先されるべき事項は太陽系レベルで存在しない。

 

「(ヒスイ……ヒスイはどこに……ッ!?)」

 

 硬い大理石から降りてザッと見渡すが、彼女らしき姿は見当たらない。

 まさか、ヒースクリフは嘘をついたのだろうか。戦いに勝てばアインクラッドから解放すると期待させ、敗れても負けを認めずいまだ抵抗を続けている……、

 

「(いや、それはないか……)」

 

 一瞬浮かんだ思考を、俺はすぐに否定した。

 浮かぶガラスの円盤上で、傾壊するアインクラッドを睥睨(へいげい)しながら、ヒースクリフは確かに、そして観念するように「生き残った者を解放する」と約束した。その数分後、全プレイヤーのログアウト完了を知らせてくれたのだ。

 晩霞(ばんか)(とばり)を浴びながら泡沫(うたかた)のようにささやいただけだったが、俺には白衣をまとったヒースクリフ――否、SAOの開発者として『聖騎士』を終えた茅場晶彦が、デタラメな言い訳ではぐらかしたようには到底思えなかった。惨憺(さんたん)たる激戦の末にもぎ取った勝利と結果を、奴自身も深く認めていたからだ。

 だが現に、ここを医務室と曲解するには無理がある。異常な簡素具合とベッドの硬さも不快極まるが、それ以前に計器類、治療器具、薬物、看護係の労働者などあるべき物、いるべき人間の姿がない。匂いも気配も感じない。

 おまけに、目がチカチカするほど多彩な装備を身に着ける数百のプレイヤー群を見るに、寝ているあいだに勝手に特殊メイクと着せ替えを施すことが趣味の院長でもなければ、ここは病院ですらないだろう。

 ただ、デスゲームが継続しているとは思いたくないが、もしかしたらログアウトがうまくいっていないのかもしれない。

 これなら難解な現状の辻褄(つじつま)が合う。何らかのトラブルで中継ポイントのような場所で待機させられているだけで、これからサーバ異常を回復させ次第、順次ログアウトを再開してくれるのだ。それなら容量か何かを抑えるために、出来合い物の空間にプレイヤーの意識を一時ストックさせておく対策にも納得がいく。

 ――な~んて……。

 

「(ハッ、ばかばかしい。なわけねェよな……)」

 

 ほっぺたを軽くつねりながら願望に近い射幸心に対抗し吐き捨てると、予想よりも痛みの走った頬をさすりながら、止めかけた思惟(しい)を無理やり再開した。

 

「(……俺の装備の色は薄紫色。見たことないのに変わってるな。剣はあるけど初期装備みたいに軽い。この装飾のない防具、たぶん初期ユーザ用の配布物か。……うげ、ウィンドウ開かねーじゃん。閉じ込められてるってことか? ……いや、にしては拘束されてないし、部屋には出口まである。たぶんヒースクリフにとっても予定にないイベントだな……)」

 

 考察していると、すぐ隣の石柱の上で「む、う……」というくぐもった声がした。

 どうやら、ぐっすり横臥(おうが)させられていた連中も、徐々に覚醒しつつあるようだ。それぞれ辺りを見渡しながら、俺と似たような足跡(そくせき)をたどって首をかしげている。

 そして今しがた気付いたが、プレイヤーの耳も形が変わっている。先が細く尖っていて、まるで創作上の生物であるエルフを彷彿(ほうふつ)とさせる。

 右隣に並べられていたプレイヤー、たるんだアゴと腹には少々似つかわしくない綺麗な水色の装備を着た男――例に漏れず耳が尖っている――が簡易ベッドから降りると、腰の片手用ハンマーをぶらぶら揺らしながら近づいてくる。すでに一面を見渡して思案に暮れるそぶりを見せていたからか、そのまま俺に話しかけてきた。

 

「どうも。これ、なに事です?」

「いや俺もわからん」

「う~ん……あれ、きみ確か上層で犯罪者集団を全滅させた……あっ、レッド殺しの《暗黒剣》! 思い出した」

「…………」

 

 彼は嬉しそうに言うものの、大仰すぎる。別に人の呼び方は自由だが、実際はきっかけも主戦力も他人ありきだったので、ラフコフ抹消の一任者に位置づけられると後ろめたい限りである。

 というむずがゆさを知ってか知らずか、男は質問を続けた。

 

「やっぱり、きみも気づいたらここで?」

「ああ。恋人はいないし、レア大剣まで没収されてた」

「た、確かに意味不明だよね、この仕打ちは。……これはなにかのクエストかな? 《攻略組》がボスを倒したことで発生したイベント? ……でも、さっきアインクラッド全域に響いていたアナウンスだと、『ゲームはクリアされました』って言ってたはずじゃあ……? うわ、混乱してきた」

 

 気弱そうな男はすがるように質問するが、逆にこちらの疑問もいくつか晴れた。

 顔を見て判断されたということは、多少耳が尖っていようと見た目は『ジェイド』のままなのだろう。俺が先ほどから(いと)しのヒスイを見つけられないのは、顔が変わったからではなく彼女がここにいないから、という仮説にも自信が持てそうだ。

 しかも75層ボス部屋にいた討伐隊の生き残りはおろか、中層以下に生きる全プレイヤーへのクリア告知がされていたということは、ヒースクリフの言動は俺を(だま)すための嘘ではない。

 やはりイレギュラーな事態に陥っているようだ。

 喧騒(けんそう)が広がってきたのか名前のくだりは雑音に紛れたが、意外とまっすぐな態度と確信のきっかけを与えてくれた事実に免じて、俺はなるべく小さな声で男に返してやった。

 

「問題が起きてるのは確かっぽい。モンスターとかはいないみたいだけど、ここで死んでもアウトかもな。俺らの現実の体はまだナーヴギアをかぶってる。だから気は抜けない」

「え、ええ。でもきみは上層の戦士でしょう? このステージに見覚えはないかな? それか、ほかに心当たりがあれば……」

「ねーよ。情報をシブってるわけじゃない。だいたい、今の俺らはどこかおかしい。武器や服はやたらカラフルだし、振り分けもイッカン性ないし、メインウィンドウ開かねーし」

「あっ、ホントだ……反応しない……」

 

 男は右手をブンブンと振るが、やはりこの行為がコマンドに登録されていないようだ。

 俺は座っていた四角柱の物体から降りて立ち上がると、体を動かすことにした。

 

「とにかくここを出よう。野戦病院だってもう少し生活感あるぜ。ところであんた、名前なんだっけ」

「ヤチホコっていうんだ」

「ヤチホコ? ヘンな名前だな」

国津神(くにつかみ)の大国主から取ってきてね。ほら、どことなく出雲大社の銅像に似ているでしょう? 太る前はもっと言われてたんだ」

「へえ、なるほどな……(……やべ、なに言ってるかワカンネ)」

 

 なんて自己紹介をしながら、俺達はたかりだした衆人を押しのけ、2つだけ設けられた広めの出入り口付近に到着する。まだ半分近くのプレイヤーがまどろんでいる、または状況把握に(いそ)しんでいたからかそれほど苦もなかった。

 クセのように罠の有無を確認すると、ぽっかりと四角に空く出入り口から体を乗り出して見渡したが、どちらからでも同じ通路に出るらしい。

 のっぺらと平坦な通路。サイズ的に少なくとも、人間サイズの者が使用することを想定している。だが赤基調のこじゃれた絨毯(じゅうたん)だけが敷かれ、やはりどこにも人影や音声はない。そして軽く湾曲(わんきょく)して先の見通せないその奥は、毒素の混じった空気でも流れていそうなほどキナ臭い。

 白い壁のすぐ近くにマグネットボードが引っ付いていのを見つけると、部屋から数歩だけ出て異彩を放つ看板を2人で覗き込んだ。

 どうやら、この施設の見取り図のようだ。

 

「なんだこれ……ムッズい言葉だなあ……」

「最上階は《仮想クラッチ系数・スカラー場関数調整器》……? 横には《見做し加減圧・重力発生場》、《デバッグフィールド》ってあるね、あとは……」

「《フライト・エンジン経過疲労試験場》……か。地図っぽいのに現在地とか書いてないけど、わざと知られないようにしてンのかな?」

 

 フロアが最も簡易的に区切られた5Fの説明はこの4つで終了している。

 下の段からは随所に無意味な飾り部屋があるフロアで、主な広い空間には《摩擦、摺動性クリープ特性測》、《フィードバック・アバター耐圧試験場》、《データ閲覧室》、《主モニター室》、《表面・形態変化、および気体・ガス透過量揣摩(しま)臆測装置》なる名前が。さらにその下のフロアには仮眠室の他に、《液体環境観測・仮想水圧体感槽》、《スペル判定・Rエフェクター再現場》、《高低温維持器・長時間プレイ想定時VR大型槽》、《アラートラジエータ循環耐圧繰り返し試験場》など。もう何が何やらわからない何らかの測定器、試験場の名前が満載だった。

 そして、2F。

 この階だけ構造と難解漢字の部屋がやけにシンプルな長方形で、そこには《実験体格納室》と《神経伝達電流・精密操作実験機》、《現実間コミュニケータ》とだけある。1F同様面積の大半を休憩場にしているらしく、ホテルで見るようなリラクセーションスペースの割り当てがされている。むしろ1Fは完全に客を招くための空間なのか、リゾート地を連想させる横文字の部屋だけで仰々しい名のフロアは存在しないようだ。

 ただし、これを確認してなお、どこへ移動できるわけでもなかった。

 すでにゲームクリアの告知がされているからだろう。

 勝手な散策などもってのほか。誰だってここまで来て余計なリスクを背負いたくないわけで、パラパラと集まってきた早起き組も早計な行動に出られないでいる。

 

「不気味だね。ここで真っ先に飛び出せたら格好いいんだろうけど、僕は昔から臆病なもんだから。……えっと、《暗黒剣》さんも……」

「ジェイドだよ! こっちの名前を覚えてくれよ!!」

 

 見取り図から目を離し、ヤチホコと名乗ったおっさんに思わずノリ突っ込みをかましてしまった。二つ名だけ1人歩きしていた事実は地味にショックである。当然既知のものだと、名乗りすらしなかったことが悔やまれる。

 

「ったく、でも慎重なのはいいことだ。ただでさえ目暗みたいなもんだし……」

「ジェイド! ジェイドがいるのカ!?」

 

 俺のノリ突っ込みで存在に気づいたのか、小柄な体躯(たいく)を活かして人垣をするりと抜けてきた人物がいた。

 声から察せられる年齢の割には体格が子供。しかも金髪翠眼の珍しい女性プレイヤー。

 有名なソロの情報屋、《鼠》のアルゴだった。

 

「なんだ、アルゴもいたのッ……なアっ!?」

 

 当のアルゴは血相を変えなら近づいてきた。この空間に飛ばされるプレイヤーの規則性は不明だが、どうやら彼女も捕らわれの身となっていたらしい。

 しかし知人の登場でかすかな安堵を得たのもつかの間。俺はというと、その姿に思わず歓喜の混じるヘンな声をあげそうになっていた。

 否、あげていた。

 

「(なんだ、こいつの耳!?)」

 

 キュートな服装に、ではない。数時間前までの盗人(ぬすっと)じみた無地の放浪姿から一転、首巻から全体的に伸びるナイトグリーンの幾何学ライン、同系色のぴっちりとしたジャケット、ブロンド色のズボンは七部丈でふっくらしている。無造作な革ベルトにはイエローブラックのミニポーチが付随(ふずい)し、足首まですっぽり埋めるカーキのシューズに大胆なヘソ出しオシャレスタイルは、印象にある彼女とはギャップも強く確かにそそるものがある。

 ただし、根本的にはそこではない。見ると彼女には大きな耳があったのだ。

 もちろん人間には誰でもついているし、そもそも今の俺にも愉快(ゆかい)な耳が生えているはずだが、コトはそう単純ではない。彼女のそれは手のひらほども大きく、また『ふさふさモフモフ』としていたのだ。

 それも髪の毛の上から生えている。まるで俗世に溢れるいかがわしいイラスト、安いソシャゲに登場するようなメス猫の完全なる擬人化がそこにはあった。

 

「(なにコレ、ヤッバかわいい……!!)」

 

 ついヨダレが出る。元より背の小ささを除けば、こいつはツラもスタイルもいい。美貌(びぼう)を損なう要素しかない普段のフードすっぽり姿+スベっている6本ヒゲのペイントを見るたび、「それやめたら? モテねーぞ」と忠告していたほどだ。

 だが現実にそれが成っている。ヒゲもフードも取っ払い、彼女は誰もが夢見た理想郷の住人――極めて個人的な感想だが――となった。

 指でつまんで遊びたくなるような2本の可愛らしい金髪アホ毛も健在。わざと誘惑しているのかと疑いたくなるドストライクの猫耳をパタパタと揺らし、こちらは不安を再現しているのか、膝下まで伸びる尻尾を左右に振り、クリッとした瞳は背丈の関係上どうしても上目遣い。俺はペットを飼うなら圧倒的に犬派だが、あの忠誠心を除きシルエットだけなら猫の方が好みだ。

 その愛らしいしぐさに、俺のキツい三白眼は射貫くようにくぎ付けとなっていた。いやさ、なぶるように見定めていた。

 結論。例え《黒鉄宮》の牢獄送りにされてでも、今のアルゴにハグしたい。それがダメならせめて耳を少しだけ……、

 

「……なんダ。……なんか、目が怖いゾ」

「んえっ!? い、いやナンでもねェーヨ。イメチェン似合ってんな! 目が怖いのは元からだ! ハハハァッ!」

「…………」

「…………」

 

 卑猥(ひわい)な視線を感じたのか、片腕で自分の体を抱くと、まるで汚物を見るようなジト目を向けてくる。だがさしもの彼女とてこれは誤算だっただろう。

 ――今のアルゴはそんな仕草すら可愛ぃいいっ!!

 なんて、ね。

 コホン、とわざとらしく咳をして、とりあえず鋼の精神で目を逸らし、集中力と話の骨子(こっし)を取り戻す。ついでにヒスイへの罪悪感も取り戻す。

 先ほど知り合ったばかりの隣のプレイヤーについて軽く紹介だけ終えると、俺達は可能な限り情報交換を続けた。

 

「デ、オレっちはさっき起きたが、いったいどうなってんダ?」

「いや、それが俺にもわからないんよ。気づいたらここに転送されて。……まったく、こっちは死ぬ思いでヒースクリフを倒したっていうのに」

『ひっ、ヒースクリフゥッ!?!?』

「2人とも声がでかい!」

 

 その大声で周囲の連中を何人か釣ったが、今は余計な混乱や情報収集の邪魔は避けたい。ので、ほとぼりが冷めるまで待ってから、2人にだけ75層のボスエリアでいかなる戦いがあったのかを手短に話した。

 反則級のムカデ型モンスター、最も大切だった仲間の死、勇敢にも戦場で散った戦士達、そして最強ギルド団長による裏切りカミングアウトと、彼に立ち向かった俺とキリトのラストバトル。

 もちろん濃密な1時間強の全貌(ぜんぼう)を数十秒で伝えきることはできなかったが、可能な限り俺が体験したことと、なぜこんなにも早くSAOがクリアされたのか順を追って説明した。

 元来(がんらい)、ここにいるプレイヤーには事実を聞く権利がある。それは重々承知しているつもりだ。

 しかし現状、喫緊(きっきん)ですべき行動は重篤(じゅうとく)状態の現実の体を放置してまで話し込むことでも、ましてや俺の武勇伝を聞くことでもないだろう。

 

「そんな、じゃあ僕らは……倒すべき相手と一緒にアインクラッドを攻略していたっていうのか……!?」

「終わってみればな。けど後悔するのも殴りに行くのも後だぜヤッチー」

「それ僕のあだ名?」

「いいセンスだろ?」

「……そ、それはどうかな……」

「え~? まぁいいや。それより、ここを出ることを考えよう」

「アア。オレっちの短剣やクローもなくなって不安だしナ。ウィンドウは左手でしか開かないし、いよいよこの世界もバグだらけカ」

「ウソッ、左手で開くのか!?」

 

 その情報には、さしもの俺も残留していた猫耳の件が頭から吹っ飛んだ。左手でのウィンドウ操作は、右腕をディレクトしたプレイヤーか管理者権限を持つヒースクリフやユイのみ、のはずだったが……。

 ともあれ俺とヤチホコのみならず、その発言を聞いた周りの連中も左手の人差し指と中指を合わせ、縦に振り下ろしてポップアップを試みる。

 モーションスキャナーが正常に作動。すると、いくばか仕様が変わっている《メインメニュー・ウィンドウ》が出現した。

 ただし残念なことに、念願のウィンドウをいくら操作してもアイテムボックスには期待したような膨大な便利アイテムは存在せず、代わりに文字化けした無数の欄が連なるだけだった。溜めに溜め込んだ大量の希少物から、高価ではないが思い出の一品まで、アイテムはすべて破損してしまったようだ。

 

「(いや、今アイテムはいい。それより……)」

 

 俺は真のお目当てを探すと、目を疑った。

 『オプション』のタブから最も浅い階層に、『ログアウト』の選択肢が復活していたのだ。

 しかし、希望は(はかな)く散った。ワラにもすがる思いで連打したが、『通信エラー。現在地を更新できません。通信状態のいいところで再度……』といった表示がされるのみ。意地でも俺達をこの世界から逃がしたくないらしい。

 アイテムなし。ログアウト不可。純粋な(コル)だけは通貨単位を変えて数字もはっきりしているが、これで武器を揃えようにも商人や鍛冶屋はいない。

 

「バカにしやがって、ちくしょう。これじゃなんの意味もねーぞ」

「で、でもこれを見て!? 《片手用棍棒》スキルの熟練度が712ってある! 他にも見慣れた熟練度の数字がいくつか。……これ、さっきまでの僕のステータスと一緒なんだ。ここはまだソードアート・オンラインなんじゃないか!?」

 

 ヤチホコが驚いたような声を上げる。

 確かに、それらの数値は俺も気になった。普段の装備こそ()がされているが、《メインメニュー・ウィンドウ》が開け、ステータスが表記されている以上、きっとシステムの根幹には《カーディナル》が使用されており、そこに保管するプロファイルデータを参照していると考えるのが妥当だ。

 ただ、だとすれば文字化けている情報の説明がつかない。どちらかといえば、SAOそのものではなく、互換性がある世界にいると考えるべきだろう。

 そしてその仮説が正しければ、レベルや各スキルの熟練度も現在のアバターに継承されている可能性がある。

 その考えに賛同するようにアルゴも答えた。

 

「違うと思うゾ。さっき試したガ、ソードスキルは発動できなかったシ、面白いものを見つけたんダ。……まずココ、なぜかデフォでOFFになってるケド、オプションの『表示』タブの下にある『HUD表示』をONにしてみロ。……お前さんの視界の端にも見えたろウ? オレっちの『種族』ってのが猫妖精(ケットシー)、体力ゲージは380で魔力(マナ)ポイントが140らしイ。こんなプロパティ見たことあるカ?」

「確かに……これは、見たことがない……」

 

 目ざとく情報を回収するアルゴが指摘したタブを見てみると、まず大きな相違点として純粋な『レベル』という表記が見当たらないことと、他にはシンプルな英数字がいくつか見えた。

 伸びしろや最終ステータスまでは不明だが、現時点ではまったく新しいゲームに設定されたキャラクター固有の初期値、と見るのが無難だろう。

 ちなみに全体的にダークな色調の服装をしているからか、俺の種族は《闇妖精(インプ)》らしい。

 カンストしたいくつかのスキル熟練度の他に、種族のスペックらしき欄も発見した。

 数は7つ。それぞれ『STR』がBランク、『DRA』がBランク、『AGI』がBランク、『MAG』がCランク、『INT』がDランク、『PRO』がDランク、『FLY』がCランクとある。

 どこぞの国名コードではあるまいし勘弁してほしいものである。筋力値(ストロング)耐久値(デュラビリティ)敏捷値(アジリティ)くらいは何となく察せるが、他の略称に自信がない。本来はゲーム開始時やキャラクター選択時にあるスターターガイドにて判明する仕様なのかもしれないが、公正な手順を経てゲームにログインしていない俺達には親切な説明もないようだ。

 そもそもここは日本であって、アルファベットのイニシャルでいちいち表現するなという話だが。

 

「俺のゲージは、と……ふーん。体力420に魔力(マナ)ポイント100……か。じゃあこれは『マジック』の略かな。にしても、気の遠くなるレベリングをした俺としては、レベルが見当たらないのが不安だわ。……それになんだ、この……人の背中に羽が生えたようなアイコンは?」

「それはオレっちも気になっていたところダ。ふーむナニナニ……ンン? 飛行補助コントローラの詳細?」

「あ、僕も見つけた」

 

 慣れない左手のウィンドウで『飛行補助コントローラの詳細』タブをクリックし、下にいくばかスクロールしていく。酒のCMにある押さえのような注意書きのさらに下に、コントローラの出現方法、および操作方法が列挙されていたのだ。

 左手を立ててスティックを握るように、手前に倒すことで上昇、親指にあるボタンを押し込むことで……なんて説明がつらつら書いてある。

 しかしそれらをじっくり脳に叩き込む時間はなかった。

 

「待って、きみたち。なにか……声が聞こえないか?」

 

 神妙な顔をして急にヤチホコが手をかざしたのだ。

 声も何も、今やほぼ全員の人間が眠りから覚め周囲は喧騒(けんそう)に包まれている。この混乱のさなかに彼は何を言い出すのかと一瞬正気を疑ったが、音源が今までとまったく異質なものであることに気づくのに時間はかからなかった。

 その緊張感のない緩み切った談笑は、俺達の頭上から聞こえてきたのだ。真っ白な天井から。口元からマイクを離して喋っているような、ノイズだらけの雑音だった。

 俺も即座にウィンドウを閉じると耳を傾ける。

 

『おいヤナぁ、……ルータの細工……わってないじゃん……れ。お前先々……「あと1ヵ月で終わり……そぶいて……かー?』

『うるさいなあ、別に……さなくてもいだろう。だいたい……の不備じゃなくてレクト側……ん忙期がズルズル長引いた……なことになってんだろう? あと先……郷ちゃんのお姫……とかさ。彼女だ……へ特別に……』

 

 しかし媒介を挟んだその荒い音声を前に、うるさかったエリアはしんと静まり返った。ヤチホコの言う通り、これは閉じ込められているプレイヤーの声ではない。

 意識を取り戻してから数分が経過し、ここにヒスイやレジクレのメンバーがいないか本格的に探したいところだったのだが、どうやらそんな時間もなさそうだ。

 天の声は断続的に届いた。

 

『まあ表の仕……も納期あるからなぁ。でもいい加減テンポラリサーバ……す準備ぐらいしないと、須郷さん……の件、ミスった……れるぞ』

『ドヤされる……まされないよ、まったく。その辺はさすがに弁えてるから、先週の時点……のデュラビライザー保管エリアは作ってある。いや~《ナーヴギア》のロバスト性には参ったもんだ』

『無理難題言うよな~』

『それな。でも、見立てじゃ来年の下期になる可能性が高いらしいから、まさかとは思うけどね。間に合わせとは言え、今すぐSAOが何らかの原因でクリアされても意識だけは確保できるようにしてあるよ』

 

 だんだんとはっきり聞こえてきたヨコ文字だらけの難しい会話に、意味もわからず生唾を呑んでいた。

 どこのマイクがこの音声を拾っているのか、どこのスピーカーが伝えているのか、それともこの会話が過去に録音されたものかさえ判別がつかなかった。

 それでも。

 音声の先にいる人物が、囚われの身である俺達にとって良くない因子である可能性が捨てきれなかった。どころか、まるでこのトラブルを先導しているかのような……、

 そしてその危惧(きぐ)は、次の瞬間に見事的中した。

 

『ならまあいいか……。でもまさか、次世代ゲーム機に浮かれる子供たちを被験者にして、感情、記憶操作の人体実験をしようなんてよく思いつくなあ』

 

 この時点で大勢の中にどよめきが走った。

 こちらに気づいていないのか、2人の会話は続く。

 

『逆だよ逆。思いつくっていうか、プロジェクトや構想は高く買われてたのに、被検体がいないから結果が出せなかったんだ。サーバ1台確保するだけで法外な値段するのに、無理やり300人分のバイパスを非合法ルートで作ったのもそれが理由さ。外人たちも喉から手でも出そうなほど欲しがってたよ』

『アッハッハ、無茶するよホント。確か「こっち」に来たら一旦殺し直すんだっけ? ダイブ中でもアクティブユーザと認識しなくなった《ナーヴギア》は、『脳を焼く』以外のプロセスから解放される……っていう仕様を突くんだよね」

『そうそう。デュラビライザー権を委譲するプロセス踏めば、現実への意識復帰を妨害できるんだよ。まあ、それは《ラボラトリー》限定の話だけどね』

 

 響き渡るような音量でそう言い放ったねちっこい音声を前に、哀れな迷い子達は数秒怒ることも忘れて唖然(あぜん)と立ち尽くした。

 いきなりインサートしてきた不躾(ぶしつけ)な会話。ひんしゅくを買う、なんて生易しいレベルの内容ではない。しかし、やがて言葉の端々に(にじ)む狂気の片鱗を感じ取ると、どこからともかくプレイヤーの憤慨(ふんがい)が天に突き刺さった。

 

「なんだよクソが……誰なんだ、こいつらッ!」

「おいッ、そこに誰かいるのか!! 早くここから出してくれ!!」

「ふざけるな! なんの実験をするつもりだっ!!」

「カヤバアキヒコぉ!! お前がいるんだろう!! ぶっ殺してやる!」

 

 その他数えきれない罵倒が幾重にも重なったが、その声を聴いた向こう側にいる……おそらく、リアル世界から俺達をモニターできる人間達は、意外にも事態を把握しきれていない風だった。

 

『あとは座標だけ《格納室》にロックして……あれ……なんか、変な声が聞こえないか……?』

『うわ、仮想間コミュニケータつけっぱじゃん! 聞かれてたとかハッズ~。……えっ、てか……今、スタッフの誰か《アミュスフィア》使ってたっけ……?』

『い……いや、シフト的にそんなはずは……うっ、うわぁああああああああああああああああっ!?!? ウソ!? 覚醒してるよッ!? アカウントが固定位置にない!! そもそもサンプル感応グラフ止まってる!!』

『なッ、なんで……こんなに早く!? だって、まだ……ッ』

『くそっ、原因はいいからさっさと殺し直して《リメインライト》に! 《格納室》に戻せば手動でやるから……おい! 先にコミュニケータ切れッ!!』

 

 何らかの液体物がこぼれる音、また計器類がけたたましく崩れる音の直後に、ブツンと『外』との通信は途絶えた。と同時に、例えようのない焦燥感が全身を駆け巡り、ありとあらゆる危険信号が脂汗と共に流れ出る。

 たった今、のんきに情報提供してくれた神に等しい存在は、最後に慈悲を与えるべくもなく畳みかけた。

 セリフを切り取って違和感のないように繋ぎ合わせると、彼らはどう考えても非合法な臨床試験をしようとしている。そしてその準備中に、俺達が望まぬ『ゲームクリア』をしてしまったせいで慌てていた。

 当然これで終わりではないだろう。期せずして治験……いや、危険値も定かでない人体実験という目論見を漏洩(ろうえい)させてしまった以上、必ずこの非常事態を打開しようと手を打ってくるはずだ。

 あまりの急展開にオーバーヒートしたのか、無為に叫び続けるファンタスティックな格好をしたプレイヤー群に、俺は思わず声を張り上げていた。

 

「とっ、とにかく逃げるぞ! 全員出口に走れ!! 誰でもいい!! 逃げのびて、いま聞いたことをまともな人間に伝えるんだ!!」

「あなたも逃げるんだよ、ジェイドさん!」

「おっ、おいヤッチー!?」

 

 雪崩(なだれ)のように悲鳴を上げて出口に殺到しだしたプレイヤーから腕を掴んで俺を引っ張り出すと、顔のシワをいっそう濃くしたままヤチホコは叫んだ。

 とは言え、ここに留まって部屋の奥にいた人間まで脱出できたかどうか確認している時間はない。

 呼びかけの手伝いをしてくれたアルゴの手も引っ張ると、俺達3人は大挙して逃げる群衆に紛れ、列ならぬ列をなし、いくつかの方向へ分岐する廊下を運任せに駆けだした。

 どうも記憶や感情を操作する実験体として、意識そのものの拉致を画策(かくさく)しているらしい。詳細など知りはしないが、奴らが国の監視をすり抜けて犯罪プロジェクトとやらを完成させようというのなら、きっとその報酬で莫大な金が動くのだろう。

 しかしモルモットを承諾(しょうだく)した覚えのないこちらとしては抵抗する他あるまい。例え敵がゲーム内のプレイヤーをウジ虫のように踏みつぶせる絶対の支配者だったとして、奴らの計画に唯々諾々と付き従ってやる道理はないのだ。

 

「ハァ……ハァ……クソったれが。どっちが出口だっつの……!!」

 

 腹は立つが、足を止めてはならない。

 奴らが口々に言う《格納室》というのは、きっと俺達が先ほどまで安置されていた真っ白な空間のことだと推測できる。そこでデュラビライザーの支配権だの、座標のロックだのブツクサ言っていたが、想定以上に早まった『SAOのクリア』に初動から対処できなかったのは敵にとっても痛恨事のはず。

 あわよくばここにいる300人――と、会話のなかで聞こえた――のプレイヤー全員が、どんな危険があるかもわからない実験を体験しなくて済むかもしれない。

 という希望的観測のもと、より強く反抗の決意を固めた俺は、一目散にその場を後に――、

 ――いや、ダメだ。何かいる!

 

「先頭の奴は止まれェッ!!」

 

 蟻の行列のように伸びた先頭集団へ注意喚起した直後。

 罵倒が何重にも重なり、長い回廊の奥から淡い発光が連発した。

 拳を握ったまま両腕を広げ、すぐ近くを走るアルゴとヤチホコの腰にタックルを見舞うように、メイン通路から脇に逸れる道へ直角に飛び込む。

 3人で床に倒れた直後、ゴウゥゥッ!! と、炎が空気を切り裂くような音と共に、肌を焼く巨大な熱波がメイン通路を疾走していった。

 

「うわっ、わァああああああッ!?」

「熱い! なんだこれ!? ギャアアアアア!?」

「痛いィ!! 誰か助けてェエエ!!」

 

 眼前に広がるのは、燃え(たぎ)る炎。

 俺は悲鳴を上げる暇もなかった。だが高熱の集積体にその身を焦がすプレイヤーは、とても人のものとは思えない絶叫をまき散らしながら、燃え移る火を消そうと地面を()い転がっている。

 もちろん現実のものとは違い、酸素がなくとも発火するゲームの炎は決して消火されることはなく、彼ら、あるいは彼女らを容赦なく焼き続けた。後方を走っていて奇跡的に第一波で被弾しなかった者も、続く散弾銃のような次弾の熱に燃やされ、狂った叫びをこだまさせる。

 俺はたまたまヒット直前に2人を抱えたまま難を逃れたが、初弾は回避したのではなく、前を走る連中が期せずして身を(てい)してくれただけだ。運がなければ彼らと同じ末路を迎えていたのだろう。

 気の遠くなるような戦闘音がまだ継続する。

 ……いや、これは戦闘と呼べるものではない。まさしく駆除であり、掃除の延長にある一方的な殺戮(さつりく)作業。鳥インフルの蔓延(まんえん)した養鶏場だと例えられた方が違和感もない。

 

「ゲホッ、ゴホッ……あァ、クソったれ! アルゴ達、立てるか。ここも安全じゃない、ケムリにまぎれて逃げるぞ!」

「はい……僕はなんとかっ……」

「……オレっちも。助かったよジェイド」

「まだ寝ぼけてんのか。1ミリも助かっちゃいねェぞ……!!」

 

 汗をぬぐいながら毒づく。

 一瞬だけ視野にとらえた敵の姿。使い古してうす汚れた黒いカーテンをそのまま全身に巻いたような連中が何人も見えた。

 よもやあれらが全員『実験のスタッフ』とは思えないので、おそらくデバッグ用に色々とデータをいじられた――今回の場合は各パラメータ値MAXなど――既存のモンスターなのだろう。鈍色(にびいろ)に揺らめく水晶ドクロのようなアイテムを触媒(しょくばい)に、無制限に《炎の散弾》を放てるようだが、どうにも初期装備の集団では束になっても勝てそうにない。

 しんがりを陣取り、速やかに、かつ敵の視界に入らないようその場を後にする。

 女性であるアルゴを庇うように隠しながら、しかし俺は背に広がる光景から目が離せないでいた。

 オレンジ色の熱と幾重にも重なる残酷な叫喚(きょうかん)の地獄絵図。デバッグ用の最強Mobとやり合う以上、彼我(ひが)に開く決定的な力の溝は理解しているつもりだったが、どうにも()に落ちない点があった。

 それは、『プレイヤーの死に様』である。

 なぜ焼かれた彼らは、あれほど苦しそうな断末魔を残したのか。ここもなんらかのゲームを媒介(ばいかい)にした世界である以上、あのアバターは本物の皮膚感覚を付与された肉体ではないはず。

 にもかかわらず、あれはまるで、本当に死にゆく人間が苦痛に耐えかねて(しぼ)り出したかのごとく悲痛の喚声(かんせい)だった。

 

「(オイ……まさか、そこまで腐ってンのかコイツら……ッ!?)」

 

 硬い疑似ベッドの上で頬をつねった時、思ったより『痛み』に近い感覚を味わったことを、フラッシュ映像のように思い出した。

 バクバクと心臓がうるさく鳴り、自然と動悸(どうき)が激しくなった。

 鳥肌の立つ震える手で、今度は強く(・・)右腕をつねってみる。

 

「(いッ……てェええ……っ!?)」

 

 想像していたよりも、もっと痛かった。久方ぶりに味わった、違和感を通り越した鋭い痛み。

 はっきりと痛覚が存在する。

 《ペイン・アブソーバ》が切れている確信。ということはつまり、アバター越しに感じた痛覚信号を、脳がそのまま受け取ってしまうということになる。

 俺が真っ先に畏怖(いふ)した、人としての尊厳の略奪よりずっと非道な行い。現実世界に帰った後もショック症状を引きずってしまう危険な感応設定。その現実を実感すると、あまりの恐怖に足がすくみそうになった。

 強力なモンスターと対峙(たいじ)したどんな恐怖とも違う。

 SAOは仮想世界にリアリティを極限まで追求した危うき天才量子学者、茅場晶彦の生み出したもう1つの規則世界である。

 かつて炎を再現するテクスチャに、彼がわざと熱量を付与していたことを俺は知っている。その再現温度は300度に上るらしく、だからこそ俺達プレイヤーは雪山で遭難しても、偽物のかがり火の近くに座るだけで暖を取ることができた。

 しかし一方で、触れても接点個所に軽いやけどのエフェクトが発生するだけだったのは、ひとえに感応調節機構がレベル全開で稼働していたからに他ならない。

 であるのなら、もしこの世界の感覚接続深度、および運用基幹プログラムが同一なら、先ほどの犠牲者は《ペイン・アブソーバ》による保護がない真の灼熱を全身に浴びたことになる。ましてやSAOの参加者は痛みに対して2年におよぶブランク付きだ。

 摂氏300度の熱に焼かれた彼らの必死な叫びが、いったいどれ程の激痛のさなかに発せられたのか、その本当の意味が胸にのしかかった瞬間だった。

 しかし、ともすれば数秒で10人以上のプレイヤーを地獄に叩きつける敵が眼前を塞ごうと、俺達は歩を進めなくてはならない。

 意識の遮断された人間を好き勝手に実験台にしようとする悪に、対抗することを止めてはならないからだ。

 

「おいアンタら。気を付けようがないかもしれねぇけど、《ペイン・アブソーバ》が停止してる。焼かれたら死ぬほど痛ェぞ……」

「ハァ……ハァ……いやだっ……そんな……僕は……ッ」

「泣いてる場合じゃない。男だろ、足止めんな!」

「ジェイドも声抑えロ。死角には常に敵がいると思えヨ」

 

 本隊とはぐれた俺達3人は、中腰姿勢のまま何のセキュリティもかかっていない扉をスライドさせ、出口のわからない迷路をひたすら進んでいく。見取り図を覗き込んだとはいえ、あんな一瞬で入り組んだ全貌(ぜんぼう)を覚えられるはずがないからだ。

 しかししばらく道なりに進むと、今度は鋭角に折れ曲がった通路の先、腰まである段差の上に真紅の装備をまとった他のプレイヤーが1人見えた。

 彼もこちらを確認すると、細い剣を下ろして息を吐く。

 

「おっ、驚かせるなッ、敵かと思ったぞ! と、とにかくバルコニーのような開けた場所で外の光が見えた。こっちだ!」

 

 種族名はわからないが、見た目が真っ赤な彼は手でせわしなく催促する。どうやら目立つ集団を囮にしつつ単身で行動し、人目のつかない場所から隙を見て、自分だけ中庭へ飛び込んで逃げる算段らしい。

 俺達の接近すら待ちきれないのか、その足取りは見るからに慌てている。

 だが順番に段差を超え、遠くまで走っていた彼の後を追おうとした次の瞬間、突然彼が大声で命乞いをしだした。

 懇願(こんがん)虚しく四方八方から炎の柱に押しつぶされ、リアルなもがき方をしながら焼かれ消滅していく。テラスの方より流れ込んでくる生暖かい風から察するに、場所によっては外からも待ち伏せがあるようだ。

 また1人、凄惨(せいさん)な最期を遂げる。

 そしてHPを全損させたプレイヤーが死後に火の玉のような揺らぎをその場に(のこ)したが、例外なくすぐにどこかへ転送されてしまった。

 俺を含む3人は紅い装備の男の死に声を発せず、足音を立てないように逃げ道を変更した。

 思わず『殺し直してリメインライトに』、『意識復帰を妨害』、『格納室に戻せば手動でやる』なるセリフが次々と脳裏をよぎる。

 先ほどの『会話』から察するに、ここでのゲームオーバーでナーヴギアが連動し、脳を輻射熱で焦がすことはないだろう。

 しかし今の俺達にとって、ここで殺されることは、体感する苦痛を鑑みれば言葉そのままの意味を指す。おまけに終わりがあるのか定かでない『感情・記憶操作』実験の被検体コースが待っているのだ。知ってしまった以上、知らなかった時より恐怖も増す。

 予想の域を超えないが、それが死者……つまり、《リメインライト》とやらになってしまった者の末路。

 普段おしゃべりのアルゴでさえ、想像を絶するむごい現実に口元を押さえて絶句していた。

 俺とて死ねない。絶対に、こんなところで終わるわけにはいかない。

 そこで、移動し続ける俺達の進路から3時の方角で動きがあった。集団のざわめくような声が、環状イベントホールらしきエリアから流れてきたのだ。

 

「こっちに国連の人が救助に来てるって! 広く開けた噴水と、白い螺旋階段のある場所だ! なるべく多くの人に伝えて!」

「まずは別の場所にッ……安全なところに転送してくれるらしい!」

「順番制だ、生き残りたきゃさっさと列に並べ!!」

「わっ、私を先に!! お願いします、先に逃がしてください!!」

「おい女も並べ! 後ろから入って来るな!!」

『皆さん、遅くなってすみません! しかし落ち着いて行動してください! 我々はあなた方を危害から守ります!』

 

 混沌とした群衆の視線の先には、知的そうな四角いメガネをかけた1人の男性が、転送サークル内になるべく多くの避難者が入るよう誘致(ゆうち)していた。

 彼は汚い布切れのモンスター兵隊と違い、清潔そうな白いジャケットスーツに身をくるんでいる。

 俺の言うモンスター、つまり《炎の散弾》を放つ禍々しい死神もどきは動きが一定だったが、それとは明らかに雰囲気が異なる。感情があり、しぐさにクセがある。頭に浮かぶ《破壊不可(Immortal)存在(Object)》のアイコンも、先ほどの敵にはなかった。

 しかしどこか違和感がある。都合のいいタイミングに(あわ)せて、プレイヤーのように尖った耳など、随所(ずいしょ)に妖精らしさを残しているのだ。

 難しい名前の専門職名、完全非武装に市民の誘導。確かにどれをとっても彼に従った方が安全を確保してくれる……気はする。少なくとも、アルゴやヤチホコと勝ち目の薄い逃避行を続けるより、この『救助』を(うた)う脱出に便乗した方がいいのかも――、

 そう考えた瞬間だった。

 

「いや違う! まさか、これは!?」

「ジェイド、おかしくないカ。あいつ声にマスクがかかっテ……」

「ああ、そりゃおかしいさッ。おいてめェら!! 今すぐ逃げろ!! 助けに来る奴が! 1人なわけないだろうッ!!」

 

 1階のホールに群がっている、集団心理に毒された連中を怒鳴りつけると、優男を装っていた白スーツの男は短い舌打ちをした。

 SAO世界にもあった《クイックチェンジ》で両手に魔導書と魔法の杖らしきいかにも(・・・・)な武器を揃えると、作戦でも練っていたのか即座に行動に出る。

 

『システムコマンド! 詠唱スキップ! 《電撃屈折媒(エレキプリズム)》!!』

 

 刹那の雷光。本物と見紛(みまご)う音の奔流。

 ゴッガァアアアアアッ!! と、紫電の暴力が集団に降り注がれた。

 敵が技名らしき造語を発音して杖を頭上に掲げた直後には、空中に出現した宝石のような結晶から放射状に稲妻が走り、集団の中心付近にいたプレイヤー達が感電時の悲鳴と一緒に苦しみながら排除されたのだ。

 後に漂うのはおびただしい数の《リメインライト》のみ。

 そしてその小さな遺恨(いこん)すらも、強制的に強奪された。

 ベースとなったゲームコンセプトモデルは知る由もないが、耳がエルフのように変化したこと、ステータスの《マナポイント》なる値、先の戦いで敵が炎を乱射したことなどから、ソードアートでは撤廃(てっぱい)された『魔法』という概念が、この世界ではごく当たり前に存在することは把握していた。高位のメイジクラスなら、この手の戦略兵器じみた魔法を放てるタイトルを俺は腐るほど知っているからだ。

 これだけの人数に同時攻撃できるということは、きっと広域範囲魔法の(たぐい)だろう。しかし俺が重度の廃ゲーマーだからこそ、今の光がゲームバランスを保った攻撃ではないことは容易に看破できた。

 下準備なし。長ったらしいスペルを読みあげる時間もなし。クリティカルヒットでもないのに有効範囲にいた全プレイヤーHPをフル状態から全ロスト。術者に目立ったデメリットなし。

 クソッタレの公式チーター野郎だ。

 思わずツバでも吐いて中指を突き立てたくなる。

 

「クソ、遅かったか……ッ」

 

 せめて俺達だけでも逃げ延びるしかない。

 とそこで、(きびす)を返して去ろうとした直前に、甘栗色の髪をした小柄なツインテールの少女が、割れた床にうつ伏せに横たわっているのが目に入った。

 アルゴと似た服装をしている。悪運の強いことに、我先に助かろうと押し掛けた大人達によってその華奢(きゃしゃ)な体が弾かれ、計らずして生き延びられたわけだ。

 彼女だけでなく、エリアの端の方にも電気攻撃の範囲外にいたプレイヤーが散見される。もっとも、彼らもあのままうずくまっていては火だるまにされるのは時間の問題だろう。

 伏して倒れる少女を助けに行くか否か。白スーツの男を見やりながら天秤(てんびん)にかけるが、どうもあのチーター野郎は右耳に手を当ててマイク越しに誰かと()めていた。

 

『おっ、おいヤナ!? いまプレイヤーが苦しんでたぞ!? 《ラボラトリー》はオープンワールドと違って、毎回設定し直す必要があるんだって! お前《ペイン・アブソーバ》を起動し忘れてるだろう! ……えっ、あ、ああアト回しだって!? バカを言え、先に……っ』

 

 どうやら、これがラストチャンスのようだ。

 俺は姿勢を低くし、通路の陰から身を乗り出した。

 

「フザけやがってアイツら……お、おいあんた! 立って走るんだ! 早く逃げないとまたこっちに……って、シリカ!?」

 

 硬い床から抱き起すと、今度は俺が驚愕する番だった。

 少女特有の肌の張り。左右に結ったブラウンのツインテール。またも性癖をくすぐる大きな猫耳に視線を奪われそうになったが、特大魔法を(かわ)した小柄な強運者はシリカだったのだ。

 いつも肩の周りを飛ぶ小さな翼竜こそいないが、定期的にヒスイが様子を見に行く際は俺も随伴(ずいはん)したのでよく覚えている。

 

「ぅ、ん……ジェイド……さん……?」

「ああシリカ、俺だ。すぐ移動するぞ。立てるか!」

「ぅぅ……すみ、ません……頭を打った時……本当に、いたくて……」

「クソ、それでも立つんだッ!!」

 

 眉にシワを寄せるシリカの意識はまだおぼつかなくフラついていた。だが、俺は有無を言わさず腕を引くと、ほとんど引きずるように小さな体を引致した。

 しかし隘路(あいろ)を利用しようとした直後に背中で大型の電撃魔法が弾けた。壁に命中したのかHPゲージこそ減っていなかったが、余波にさらされた俺はシリカを胸に抱いたままゴロゴロと吹き飛ばされる。

 例の男がもう戦線復帰したのだ。

 

『素行の悪そうなガキが奥に行った! 絶対に逃がすな! ああクソっ、どうせ後で忘れるんだ! 再度攻撃許可を出す!!』

 

 ――素行の悪そうなガキつったぞあいつ!!

 という心の返しはともかく、たったそれだけのその指示で、集合後いったん待機していた《炎の散弾》兵達が一斉に駆除を再開した。

 なるほど。結局は奴も言い争っていた男と同種の人間らしい。加害者としての認識が薄れれば、一時(いっとき)狼狽(ろうばい)も水のように流れていく。

 

「ぅ、ぅ……ヒスイ、お姉さんは……?」

「……今は考えるな」

「ま、まだおくに人が……」

「全員はムリだ! 走るぞっ!!」

 

 シリカは顔を蒼白にしたまま無理を押して足を動かした。

 ショックの連続で歩行すら困難なのだろうが、しかしこの瞬間だけは強引に連れ出す。いたいけな少女だろうと、降参の意志を示そうと、道徳心のないモンスターは平等に弱者を炮烙(ほうらく)するからだ。ヒスイが妹のように可愛がっていたこの娘を、あの煉獄に放置することはどうしてもできなかった。

 俺はつい、走りながら悪態をついてしまう。

 

「っンのドブネズミ! ……ハァ……クサれメガネ! ところ構わずバカスカ撃ちやがって……ハァ……マジで痛ェってのに。……野郎あとで、絶対吠えヅラかかしてやる!」

「ああダメだ、もう……螺旋階段のっ、上からも……来てる……ハァ……このままじゃ挟まれる!」

 

 2人と合流すると闘志を燃やす俺とは対照的に、たるんだアゴをさらにたるませながらいい大人が弱腰になっていた。

 しかしヤチホコの反応も無理ないだろう。施設の構造が複雑、というよりも芸術的であろうとしすぎて一本道でないのが救いだったが、この戦いの果てに心の晴れるような勝利はない。

 可能ならあの外道どもに相応(ふさわ)しい納得のいく引導を渡してやりたいところだが、この応酬はただの逃避劇だ。死ぬか死なないかの駆け引きであって、『殺す』という手段をとることはできないのである。

 それでも……、

 

「諦めんな。前がダメなら他の道だ!」

 

 俺は3人を先導し、迷わず道を走った。

 そこが出口かどうかは関係ない。死が確定する瞬間まで理不尽に(あらが)う。それがかつての《抵抗軍の紋章(レジスト・クレスト)》が守る鉄の掟だ。

 

「ハァ……この《ラボラトリー》って場所には……ハァ……ワケわかんねー部屋が大量にある! オブジェクトに隠れながら! スキを見て、走り抜ける!!」

「ジェイドの言う通りダ。諦めるには早イ。あとその子……」

 

 アルゴは俺の言葉を肯定しつつも、シリカを見て続けた。 

 

「シリカちゃんっていうのカ。聞いたことはあるケド、こんなに小さかったなんテ。……いざとなったらオレっちがダッシュして注意を引ク。絶対に守り切れよジェイド」

「ハッ、冗談キツいぜアルゴ。あんたがいなくちゃ助かるモンも助からん。最初からオトリ前提で考えんなよ……ッ!!」

「……ニャハハハ、気遣いでも嬉しいものだナ。心配しなくても、この中で1番速いのはオレっちサ」

「そんな……あたし、なんて……」

 

 自責の念からか泣きそうになるシリカを()でて落ち着かせながら、半ば腹をくくったようにアルゴはそう言い放った。

 俺としては気を使ったのではなく本心だったが、きっと戦闘が本職でなかったこれまでのスタイルから、こうして自己犠牲の覚悟を示したのだろう。アルゴやヤチホコにとっては面識のない人間なのに、混乱に乗じることができた貴重な時間をシリカの救出に充てたことへの言及もなし。

 まったく、いい性格をしている。

 

「サンキューな、必ず守るさ。……けど、誰か欠けるのもナシだ。せめてここにいる4人だけでも生き延びて、絶対に人体実験なんて止めさせるぞ」

 

 手持ちの武器は少ない。あるのは濃淡のない(もろ)そうな直剣と簡素なメイスが1本ずつ、そして小ぶりのダガーがたった2本だ。この4人に配布された初期装備を振り回したところで、戦闘力など無きに等しいだろう。

 しかし俺の決意に全員でうなずき合うと、どす黒い追手の足音を背後に、なおも幽閉者達は進み、抵抗を続けるのだった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。