SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第105話 死なない敵への挑戦状

 西暦2024年11月7日 《ラボラトリー》3階、居住区内。

 

 名のある芸術大学のキャンパスじみた施設で、俺達は不快なほど煌々(こうこう)と照らす照明の下を、ゴールのアテもなくまださ迷っていた。

 生き残っているプレイヤー数は確認しようがない。体感で200人近く残っていると思うが、努力の末に脱出が保証されているわけでもない。

 それでも、俺達は諦めずに前進した。

 理由は簡単だ。

 こうして逃走できている現状から察するに、奴らは俺達を無条件で実験動物にすることができない。『殺し直す』という手順が必要なのは、決して宗教的な理由や形式美を重んじているのではなく、プレイヤーのゲームオーバーを感知した《ナーヴギア》独自の殺害処理シークエンスをトリガーにしているからだろう。

 この2年、《ナーヴギア》は外部からのハッキングを完全に防ぎ切った。ユーザの意識を回復させないだけでなく、勝手な実験動物にもさせなかった。

 であるのなら、奴らが俺達に干渉できるのはプレイヤーがプレイヤーではなくなる瞬間、つまり『ログアウト中』か『死んだあと』のみ、ということになる。

 「だったら死ぬまで抵抗してやる」。これが、俺達の意思表示だった。

 

「くそっ、音が近いな……みんな気をつけろよ」

「できれば全部スルーしたいもんだナ……」

 

 冷たい灰色の壁を(つた)い、互いの息遣いすら聞こえそうなほどゆっくりと進む緊張感。角を曲がる度に、そして4人でもカバーしきれない死角から、いつ敵が襲ってくるともしれない張り詰めた空気。

 視界の悪さから慎重に歩を進めると、さっそく煙の奥で攻撃音がした。こちらに気づいていない新たな敵が前方に2体。さらに奥には、焼死体を連想される影が一瞬だけ網膜に映し出される。逃げ遅れた誰かが挟まれてやむなく戦闘していたのだろう。

 いや、戦闘ではない。『駆除』があらかた完了したのか、奴らはざっと周囲を確認するとすぐにこちらに体を向けてきた。

 ほとんど感知されかけた際どいタイミングで、脇の非常階段らしき場所に逃げ込む。

 煙のエフェクトが遮ってくれたのか、運よく《炎の散弾》は撃たれなかったようだ。だが、いたるところで爆発音が何度も()ぜ、煙がどこからともなく立ち込める。その度に罪のない犠牲者が積み上げられているはずだ。

 ただどうも、エリア一帯を覆うほど無制限にモンスターを湧出(ポップ)させたり、敵のAIまで自由に操作できるわけではないらしい。敵の動きはあくまで一定である。

 僥倖(ぎょうこう)なニュースに安堵する暇もなく、階段を下がろうとした矢先にまたもツーマンセルを確認した。

 

「うっ、うわぁああああッ!! 助けて! 撃たないでぇ!」

「くっ……そぉおおっ!!」

 

 吹き抜けになっている階段から見下ろすと、わずか1階下で無残にもプレイヤーが2人焼き殺されていた。

 1人は元《攻略組》の人間だったのか凄まじい反応を見せ、勇敢にも会敵(かいてき)した瞬間に手持ちの初期装備メイスで殴りにかかっていた。が、顔面へのクリティカルでさえ少し怯む程度。敵にこれといったダメージは見受けられず、5秒と時間を稼げずハチの巣にされている。こちらからの攻撃はほぼ無意味だ。

 無論、キル総数に満足することのないモンスターの捜索は続く。

 

「戻って戻って! 下はもう来てる!」

「くそッ、ダメだ見つかった! 姿勢低く!!」

 

 ヤチホコの慌てた声でとうとう捕捉された。

 スカスカの手すりを貫通し、斜め下から一面を覆うように押し寄せる散弾に、寸前のところでシリカの頭を押さえる。

 ゴバァアアアッ!! と、非常階段の壁は加減を知らない炎の渦にのみ込まれ、見渡す限り赤一色に染め上げられた。

 

「走れぇえっ!! 足止んなよ!!」

「行って! 早く、急いで!!」

 

 殴りつけるような轟音と熱波が、逃げる弱者の背中を焼くように責め立てる。まるで鬼側にだけ飛び道具の所持を許した鬼ごっこだ。本能的に施設を下れば地上に出るだろうと踏んでいたが、なけなしの目論見すら見事にご破算にしてくれる。

 俺達は皮肉めいた捨てセリフを吐く間もなく走り、生きた心地がしないまま4人同時に上層階の扉を開けた。

 そして。

 眼前、数メートル先に……、

 

「(て、きっ……ッ!?)」

「ニャアアア!!」

 

 瞬間的に反応したのはアルゴだった。

 樹木に人面相を焼き印したような顔の敵へワイルドなひっかき攻撃をかますと、発動寸前だった《炎の散弾》がわずかに逸れた。

 至近距離で撃たれ過ぎたのか、拡散しきらなかった1発がヤチホコの右腕に命中。

 だが彼の絶叫を聞く間もなく俺が続いた。

 息を止め、《スイッチ》の要領で俺が大きく1歩踏み込むと、魔法を放つ媒介を思いっきり蹴り飛ばす。

 ガコンッ!! と、魔法触媒である鈍色の水晶ドクロがけたたましい音を立てて転がっていくが、その先にはまた新たな散弾兵が。初めは後ろを向いていたが、仲間の戦闘音を聞き取ったのかすでにこちらを捉えている。

 最初に遭遇した時もこいつらは複数だったが、最低でもツーマンセル以上で行動しているのかもしれない。

 

「伏せろッ!!」

 

 狙いは出会い頭に遭遇した方の散弾兵。

 刹那に判断を下したアルゴの足払いに加え、俺の鍛え上げた筋力値で顔面を力任せにブン殴る。

 ゴキュッ、という打突音。体勢を崩したうえに横向きの荷重が重なると、サブウェポンのハンドアクスを構えようとしていたその敵は今度こそ大きくよろめいた。

 結果、遅れて発動された伏兵側の炎魔法は、射線に躍り出た相方がガードするように全身で受け止めてしまう。

 炎弾が直撃。

 耳をつんざくような断末魔と共に、その暴力的な攻撃にとうとう1体が崩れ落ちると、今まで幾重にもプレイヤーを焼いてきたように、凄まじい放熱音を発生させた。

 

「(まだだ。あと1体……!!)」

 

 俺とアルゴは、膝から崩れ燃え盛る敵の陰から一気に伏兵へ接近すると、まずは彼女が囮になった。

 脇からすり抜けるやいなや、ダンッ!! と迷いなくジャンプする。

 彼女は加速を殺すことなく、アクロバットな動きで通路の壁や天井を縦横無尽に飛び回った。まさに狭い閉鎖空間へ全力でスーパーボールを投げつけたような挙動だ。

 ガッ!! ガッ!! と、2ヶ所にに火種が飛んだ。跳躍力とスピードに優れたアルゴに立体的な回避で翻弄(ほんろう)され、一撃必殺が可能なはず悪魔は、無様にも見当違いな場所へ炎の弾を撃ってしまったのだ。

 数秒だけ発生した時間。そのかすかな隙間を縫うように、躊躇(ちゅうちょ)なく懐へ飛び込んだ。

 ほとんど腰に抱き着く形で、低重心タックルを炸裂させる。

 

「オッラアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 ドガァアアアッ!! という破壊音に交じり、2つの動的ユニットが暖簾(のれん)だけかけられた休憩スペースへダイレクトに突っ込んだ。

 誰の叫びかもわからない咆哮(ほうこう)と、強烈なタックルでまたも射軸を狂わされたのか、誰にもヒットしなかった魔法で瞬く間に部屋中が炎の波に呑まれていく。

 もつれ込むように部屋へ突進した時点で、壊れ果てたマッサージチェアや会談用テーブルはともかく、本棚や食器類なども無価値な装飾オブジェクトだったらしい。モノによっては質量すら感じられず、パルプモールドに火でも付けたように崩れていった。

 爆音は連鎖的に(うな)りを上げる。

 

『ヴォ……ヴォァア……ッ』

「クソカスがァああああああああっ!!」

 

 それでも、俺は周りのことなどなりふり構わずインファイトに持ち込んだ。

 否、インファイトよりもさらに原始的な衝動に従い、敵に馬乗りになったまま力の限り顔面を殴打する。

 下敷きになったロハ台らしきベンチも真っ二つに割れたが、むしろモンスターの方が硬い。まるでコンクリートでも叩いているようだ。しかもここまでしてもダメージは一切入らないらしく、敵はすぐに反撃。

 狂ったような筋力値でゼロ距離キックを見舞われ、真上に上昇した俺は差し渡し7メートルもあろうかという高い天井に激突した。

 空気だけを嘔吐(おうと)する。凄まじい激痛と視界の暗転を気合いでこらえ、速度がゼロになる落下直前に佩剣(はいけん)していた初期装備を抜刀。

 落下速度を活用し、逆手に構えた直剣を、野太い雄叫びと共に深々と刺し貫いた。

 

『ヴォアアアアアアッ!!』

 

 ゾブンッ!! という、厚肉の内臓になまくらの包丁をねじ込むような感覚を味わうと、即死級魔法を放つ媒介(ばいかい)ごと敵の右腕を地面に縫い付けにしてやった。

 直後、またしても明後日の方向に《炎の散弾》をまき散らしたため、武器を放棄するとすぐにバックステップを踏む。

 すると敵は『ガッ、ァアア!』と悶えながら、残る左手で()いつくばったままハンドアクスを振り回すが、部屋に配置されていた豪奢(ごうしゃ)な家具が軒並み転倒する頃にあえなく沈黙した。

 鉢合わせからの予期せぬ遭遇戦だったが、これで2体の敵モンスターを無力化できたわけだ。

 

「ハァ……ンだよ……ハァ……やりゃあ、できんじゃねェか……」

 

 吐き捨てると、後ろから息を切らしたアルゴが近づく。

 

「ふぇ~……まったく、相変わらず戦闘になると凄いナ。まあオレっちも被弾はしてナイ。けどヤッチーが……」

 

 問題は被弾したヤチホコである。無数にいる敵のごく一部を戦闘不能にしたところで大勢に影響はないし、むしろロスした時間を取り戻さねばならないぐらいだ。

 たった1発かすっただけで体力バーを3割以上も削られ、冷や汗をかいて腕を押さえる青服男に駆け寄ると、意外なことに彼の方から口を開いた。

 

「ノロマですみません。けど大丈夫です。……痛みがあったのはヒット判定中のわずかな、くっ……時間、だけでした。も、もう大丈夫……」

「お、おいヤッチー……!?」

「立ち止まるわけにはいかない。そうでしょう? 母数が減って索敵の密度は上がる一方です。こんなところで、座ってなんかッ」

 

 確かにその通りだ。獲物の数が減ると敵も移動範囲が広がるようで、もうどこを移動しても敵に遭遇(そうぐう)してしまう。

 しかしメンバーに迷惑をかけまいと激痛に耐え、呼吸を整えながら立ち上がるヤチホコに感心した。シリカが頭を打って簡単に気絶してしまったように、痛覚を久しく忘れていた俺達にこの刺激信号は過激すぎる。

 それでも、彼は威勢を張った。

 自分のことを臆病などと卑下(ひげ)ていたが、どっこい冷静な判断力と据わった精神の持ち主だったようだ。

 

「ザンコクだけどそれが正しい。ここもすぐに……」

「て、敵です! もう来てます!」

『っ……!?』

 

 全員が振り向く。シリカが差し示す指の先、伏兵が陣取っていた側の通路に敵はまだいなかった(・・・・・・・)

 だがいったいどうやって察知したのか、彼女の指摘は数秒後に見事に命中する。しかも今度は3体以上。部隊が直角に折れ曲がると、隠れ場のない長い通路からすぐに俺達を発見した。

 『走れぇ!!』と、誰彼構わず叫び、シリカの手柄を褒める間もなく敵援軍の逆側へ全力で駆けだす。

 反対側のTの字に分かれた突き当りまでは約60メートル。こっちは吹き抜けのロビーにでも繋がっているのか、木製の手すりとその奥に開けた踊り場らしき風景があった。

 この速度を活かして柵を一気に飛び降りて逃げるか、あるいはT字路のどちらかに敵がいないことに賭けるか。いずれにせよやり直しは効かない。

 それに迫る圧迫感もさることながら、走る間にも後ろから迫る敵はどんどん魔法を放ってくる。散弾の特性でもある放射状に散る弾は、それなりに距離の開くこちら側へはまだほとんど届いていないが、いつ直撃を貰うともしれない恐怖が、たった60メートルの短距離走を無限の感覚へ引き延ばした。

 

「ハァ……下にいけるゾ! ……ハァ……飛び降りるカ!?」

「ハァ……いやストップ! 下の敵が見えない! ゼィ……突き当り、右だ! いったん右に行こう!」

「うわああア! ダメだ、こっちにモ!!」

 

 前を行くアルゴにワンテンポ遅れて追いつくと、絶望的な現実が迫る。

 また敵。こちらに背を向けているのでまだタゲられてはいないが、それも根本的な安全ではない。時間の問題だ。人の集団でも見つけて焼いていたのか、狭く細い経路をこれでもかと埋め尽くさんばかりにウジャウジャ展開されている。

 右側の進路を諦め、即座に反対側を見やった。

 そして一縷(いちる)の希望も(はかな)く消え、まるでタイミングを合わせたかのように新たなペアが到着していた。しかも文字通り飛来してきた方角は、まさに吹き抜けとなった中心部の反対側通路から。

 その距離、10メートル以上。ジャンプでどうこうなるレベルではない。

 つまり、ジメジメした沼や湿地帯の奥にでも棲んでいそうな見た目のこいつらは、なんと昆虫を模した(はね)を生やして空を飛行することまでできるらしい。地を蹴ることしかできない人間を徹底的にコケにしていやがる。

 T字路の左右に敵、後方からも敵。八方塞がり。追加で飛んできたツーマンセルに至っては距離すら近い。

 付近にあったジャスミンの形をした室内用植木鉢を鉢ごと蹴り飛ばし、炎の散弾を初撃だけ防御したが、これではもう……、

 しかし嘆きかけたその瞬間には、血が騒ぐように行動を起こしていた。

 忘れたのか。諦めることより、あの白スーツを着た汚い顔面に1発拳をブチかますのが先だろう、と。

 

「ヤッチー、ハンマー借りるぜ! 全員、飛べェええっ!!」

 

 ヤチホコの腰から勝手に拝借したハンマーで、抜きんでた筋力値を最大限に発揮してやる。

 ガコンッ!! と、木材でできた落下防止用のメッシュ壁を破壊すると、全員が吹き抜けの1階へ身を投げ出した。

 到底防ぎきれない量の炎弾が、数瞬前までいた空間を焼き焦がす。

 散弾だけではない、着弾ポイントから半球状に爆散する魔法まで回避し、その余熱を背中いっぱいに浴びながら真下の着地地点を確認する。

 空中でシリカを抱きかかえると、俺が下になるように体の位置を変え、異常に横長に設計された高級ソファの端に背中からダイブした。

 息の止まる衝撃。爆音を前に、むしろ音は停止した。

 

「かっ……ハ……ッ!?」

 

 激しい苦痛と耳鳴り。

 脳幹(のうかん)を直接揺ぶるような振動と、グラリと揺れる視界。

 いったい何の陶器(とうき)が割れたのか、どこのタイルが破壊されたのか、自分が発した咳なのか、それともアルゴかヤチホコが俺の視界に入らなかったオブジェクトを粉々にした音なのか。そんな判断もできないまま眩暈(めまい)と激痛に耐え、歯を食いしばりながら俺にしがみついていたシリカの手を引いた。

 頭を押さえシリカは痛々しく泣き叫ぶ。

 顔色の悪いヤチホコは揺れる右腕を押さえながら、なおも悪罵を吐いて立ち上がる。

 アルゴは足を怪我したのか、痛々しい受傷痕を押さえその場にうずくまっている。しかしその襟首(えりくび)を乱暴につかんで立ち上がらせると、いい加減ピークに達した痛みに整った顔を歪ませながら、先ほどの敏捷な動きが嘘のようにフラフラと走り出した。

 シリカを庇った俺のHPゲージも何割か消耗し、もう敵のいかなる魔法が触れただけでも《リメインライト》に変換され、意識ごと監禁されるだろう。第一、俺とヤチホコはこれでメインアームすらロストさせてしまったため、敵の強弱に関わらず、わずかな時間稼ぎもままならない。

 全員が限界だった。あまりにもハンデが大きすぎたのだ。

 俺達にできることは、尻尾を巻いて逃げ続けることだけだった。

 

「ハァ……走れ!! ハァ……くそっ……今は、前だけ見て走れ!!」

「ジェイド、さん! ゼィ……左に大きな……ゼィ……通路が見えます!」

「光が……もれてるゾ! ハァ……たぶん、外に出られル!!」

 

 ここは1階のロビーにでも設定されているのか、確かに出口への道らしき空間がある。

 壁越しに移動。大きな石の柱や煉瓦製のパーテーションもどきをカバーに使い、上の階から雨のように注ぐ炎をやり過ごしながら本堂通りへ駆け寄る。

 すると、幅も高さも10メートル以上はありそうな巨大な回廊があった。巨人でも通行できるように配慮したのかと疑う広さだが、この際広いぶんには都合がいい。どんな幸運に恵まれているのかは知らないが、『外』の光が差し込む念願の大門もあった。

 外……そう、ここが外に繋がっている。そう信じている。半開きなうえに逆光が景色の認知を阻害するが、俺達は何度も挫折(ざせつ)しかけてここまで戦ってきた。これが外に繋がっていないなんて、そんなのは嘘に決まっている。

 ただ、問題はまだあった。

 距離だ。

 出口と思しき大門まで適当に見積もっても軽く100メートルはある。もちろん引き返すといった選択の余地はない。射線を確保するため、上にいた《炎の散弾》兵が大挙してこの階に押し寄せてきたからだ。当然、奴らに落下ダメージなんてものはない。

 俺とアルゴが目線を交わしたのは一瞬だった。

 意識を朦朧(もうろう)とさせぐったりとしだしたシリカを左に抱え、片目を押さえ左足も引きずるアルゴを右で支え、自身の腰に走る鋭い激痛に歯をくいしばって耐えながら。満身創痍の脱獄者達は必至の形相で出口を目指した。

 しかしそのスピードは、不調のない普段からすると半分以下に落ちている。

 

「ハァ……ハァ……クソッたれ……ここまでかよ……」

 

 手は打ち尽くされ、手段は残されていなかった。

 まだ被弾していないことの方が奇跡だ。

 俺達4人が現れるのと同時に、潜伏を解いてどこからともかく駆けだした者もいた。出口は見つけたものの、1人で特攻しても無意味なので、おそらく攻撃が分散されるよう他のプレイヤーが現れるまで隠れていたのだろう。

 しかし、そのしたたかさを持った彼の足首にもやがて炎の弾が突き刺さり、痛みに耐えかねて転倒したところをよってたかって虐殺されている。高熱の海に溺れた男は、人には聞き取れないような裏返った声で慈悲を乞い、硬い廊下でのたうち回るとやがて跡形もなく消えていった。

 そこに人道的なためらいはなく、同時にそれは純粋な人海戦術とも違った。システム的上位者達による、ただの圧倒。有無を言わさぬ神の処分裁定だ。

 

「ハァ……ハァ……ちく、しょう……ッ!!」

 

 視界が揺らぐ。時間の流れがスローに感じる。ずいぶん気を張ってここまで耐えてきたが、戦意が折れかけている自覚をした。

 自分の荒い息だけが耳朶(じだ)を打つと、音が遠ざかり、前に進んでいる感覚も薄れ、自分が怪我をしたことまで忘れそうになる。

 だが足も思考も止めかけたその時、(いつく)しむような声が届いた。

 

「これが、僕らの知る……《暗黒剣》……だったんだね」

「あん……だよ、急に……」

 

 距離がある程度埋まったら、隊列を成した敵は業火のスペルで一帯を焼き尽くすだろう。そうなれば回避もクソも関係ない、津波(つなみ)を躱せと言われるようなものだ。

 どうあっても敵の攻撃が開始される前に出口を通過する必要がある。

 話す時間すら惜しい。

 しかし絶体絶命なはずなのに、今にも倒れそうなのに、肩で息をするヤチホコの顔はどこか穏やかだった。

 対して俺はわずかに首を傾けるだけで、彼の呼びかけに冗談の1つも返せなかった。

 

「悔いはありません、ジェイドさん……あなたは希望です! どうかもう1度、みなを救ってあげてください!!」

「おっ、おいヤッチー!?」

 

 意を決した彼は、なんと巨大な回廊を逆走しだしたのだ。

 ヘイト値が一切変動していない場合、大抵アクティブな敵兵のターゲットプライオリティは最短距離にいる敵性ユニットへ向けられる。SAOに2年も滞在した彼がそんな初歩的な通説を知らないはずはないだろう。

 俺に向けて最期に残した言葉の重みを受け止める。それを理解したうえで、俺達は一瞬たりとも止まらなかった。

 すでに振り返ることすら冒涜(ぼうとく)だ。ここで彼を止めるようとすること、ましてや救助に向かうようなことがあっては、本当の意味であの決意を水泡に帰させてしまう。

 どんくさそうな男。これがヤチホコという男と会話した俺の第一印象だった。そんな彼が、ここにきて誰よりも1番勇敢な行動に出たのだ。

 

「(ザケんなよ、ンなところでカッコつけやがって……!!)」

 

 後方では怒涛(どとう)のように魔法の発動SEが重なる。その重厚な音の連なりから、1人の男の生存が確実に絶たれる事実を突き付けられた。

 だが(かえ)って、消えかけていた怒りの火がその勢いを増していく。

 乾いた雑巾(ぞうきん)から水分を絞り出すように、俺達はいっそう力強く両足を前に突き動かし無機質なタイルを踏みしめた。

 そしてどんな魔法を使って耐え抜いたのか、喉を潰すような彼の絶叫が聞こえたのは3人が半開きの大門をくぐり終える直前のことだった。

 

「出口だ! 飛びこめェええっ!!」

 

 支え合いながら、最後の1歩を踏み切った。

 自分らにタゲが移り変わる感覚すら嗅ぎとる。濃密な殺意の塊が魔法攻撃という形で押し寄せると、それらに押しつぶされる直前に転がるようにして外界の世界へ旅立った。

 爆発と轟音。押し出されるように、さらに前へ、前へ。

 音が消え、天井が逆転する。

 風圧に吹き飛ばされると天と地が何度もひっくり返り、肺の空気が否応なく吐き出される。階段らしき石質の床をバウンドしていることは理解できたが、予想に反して段差から段差への落下はものの数回で停止した。

 

「ガッ……ァ……いってェ……!!」

 

 またもシリカを体全体で守ったからか、受け身もとれなかった俺の意識は今度こそ飛びかける。

 全身を(むしば)むズキズキとした痺れはとっくに慢性化しつつあった。痛いというよりは、高速摩擦で火傷したような熱。脱臼や骨折といったバッドステータスがないおかげでこうして四肢を動かせているが、これがもし現実なら患部を押さえて(もだ)えることもできなかっただろう。

 だが何度も地面に倒れながら、それでも去り際のヤチホコの声に叩き起こされるように、つぶっていた両眼を少しずつ開ける。

 

「(マジ……かよ……)」

 

 光が、眩しかった。

 そこには嬉しい誤算が広がっていた。

 巨人用の大きなゲートも演出の一角で、俺はてっきりその隙間を抜けたここも室内の続きなのだろうとタカをくくっていたのだ。ルールを自由に変更できる仮想世界の神が相手なら、どうせ地平線の彼方まで逃げても追手の強襲は続くのだろうと。

 しかし厚さ30センチ以上もあるバカでかい門の先には、想像していた世界とはまったく別の、うつろのようにくねった大木の根が地面に渦巻いていた。

 涼秋の蒼昊(そうこう)には地を照らす鮮麗な仮想の恒星と、吸い込まれそうなほど澄んだ空気が満ちている。土はおろか大地すら見えず、無限に漂う雲海の他にトカゲに羽根を4枚も生やしたような珍妙な生物まで気持ちよさそうに浮かぶ。

 桁違いの木漏れ日を(かたど)る名の知れぬ大樹は、深みのある緑を枝いっぱいに実らせ、世界そのものを覆わんとするばかりに広がっていた。胴より太い根と苔むした岩からは雄大な時を経た歴史も推測できる。目算で足場は四方数百メートルにもおよび、細部のディティールにまでこだわったその神秘的な光景は、まさに神話に語られる神々の居城(きょじょう)を切り取ったような異空間だった。

 正真正銘の『外』ではある。しかしあくまで、広がる足場は大樹の(みき)であり、地上とは言えないだろう。

 上半身だけを起こし、つぶやくようにアルゴがこぼす。

 

「どこなんダ。ここハ……」

「わかんね……けど、すっげ……」

 

 圧巻の景色にしばらく言葉を失ったが、すぐに自分らの立場を思い出した。

 奴らの会話から憶測するに、敵側が自由にシステムを改変できるのは《ラボラトリー》と呼称される一部のエリアだけ。もちろんそれがどこまでの範囲を指すのか検証していないが、明らかに近代化の進んだ今までの人口施設景と、このファンタジックな樹林のてっぺんのような場所は毛色が違う。それに捜索範囲が設定されているのか、『炎の散弾兵』達もここまで追ってこられないようである。

 ここがセーフティポイントなのだろうか。

 奴らの理不尽な人の権利への侵略。それが途絶えたのだとしたら、すでに自由な翼を得られた可能性も……、

 

「……なわけないか……」

「脱出できる条件なんて、初めからなかったのかもナ……」

 

 逃げ足では一流の《鼠》のアルゴでさえ、ついに空を仰ぎ見た。何度試みても結果は同じだったのだ。

 震える左手で開いたメインメニュー・ウィンドウは透き通った音を奏でるだけで、俺達をログアウトさせる気はサラサラないらしい。

 考えてもみればこの方が自然である。

 敵はこの瞬間だけ妖精のコスプレをしていたのかもしれないが、その本質は意識の強奪と、最終的にそれらの操作まで企てる生粋の科学者にある。頭のおかしいマッドサイエンティストだ。

 茅場晶彦の創造した《ソードアート・オンライン》という別世界への完全な介入――つまり、囚われたプレイヤーの意識を覚醒させることなく割り込み(イジェクト)する計画こそ中途半端に終わったようだが、かといってこの程度のアクシデントに対応できないオツムではあるまい。

 現にここは遥か上空。

 地上から数えて何千メートルなのか、それとも何万メートルなのか。

 想像したくもないが、少なくとも人間が飛び降りて助かる高度ではあるまい。施設の非常階段を下りるか上るかなんて、実に些末(さまつ)な問題だったのだ。

 それに、先ほどから視界に入らないエリアで、皮膚を逆立てる低重音が断続的に鳴り響いている。このことから、命からがら『施設の外』へ逃げのびたプレイヤーの掃討(そうとう)も行われているのだろう。

 いっそ奇跡が舞い降りることを祈り、外周から飛び降りたいぐらいだが、巨大な根の途切れる崖の先には地平の先まで地面らしきフィールドを認められない。思うに、そもそも『地上』を用意していないのかもしれない。

 あらゆる事態を仮令(けりょう)し、脱走される憂患(ゆうかん)すら取り除く。

 逆にここまでワンサイドゲームに持ち込んでおいて逃亡を許したとしたら、相当なマヌケ揃いである。

 

「(どうしろってんだよ……こんなの。戦いようがないじゃねぇか……)」

 

 今にも転んで突っ伏しそうな足取りで、3人は途方に暮れて歩き続ける。しかし、本気で諦めかけてなお、いたずら好きな女神は救済のクモ糸を垂れ、一筋の哀憐(あいれん)を向けた。

 そんなところでくたばるのか、と。清々しいほど鬼畜なハードルを用意する。

 その証拠に、マスクのかかった独特な音声は十数メートル先にある死角、()い廻る根の(くぼ)みのような陥没空間から聞こえてきた。

 

『まーったく、こんな外周までいっぱい逃げてきているよ! おいヤナぁ、キリがないしマップに敵位置をスポットするのはもういいぞ! 残りの空間リソースでいけるだけ《レジェンダリィ・イグジステンス》を召喚しておこう! ……えっ!? ああ、それなら実装前のストックでもいいさ! やっぱりこっちの魔法はモグラ叩きには向いてないから!!』

「(この声……あいつが近くにいるのかッ!?)」

 

 ごく微量だったが、腹の奥から活力が湧いて出るのを感じた。

 さらに歩を進めると、周囲の爆発音に負けないよう声を張り上げていたのはあの糞野郎だった。ぱっつんにした前髪、油ギッシュで不潔な襟足は肩に届きそうなまで伸ばし、ヒョロイ体格に似合わない白スーツとダサいメガネをかけた敵。悪魔の誘いに加担した研究者。

 そいつからは《レジェンダリィ・イグジステンス》なんていう、また新しい固有名詞が飛び交ってきたが、その意味を知るのにさほど苦労はしなかった。

 ものの数秒後に、高層マンション並みの規模で空が割れたのだ。

 

「(今度はなんだ……なにが起こってやがるッ!?)」

 

 空の裂け目からまず現れたのは、怪獣のような右腕。びっしりと深緑色の鱗が生えた巨大な腕が伸び、大地を裂かんばかりの衝撃で地に食い込ませる。

 続いて樹林のような立派な角が生えた頭、岩のように筋骨隆々な肩、鋼よりも頑強そうな赤褐色の筋がある胴。毒々しい黒紫色の腹ときて、広げれば50メートルはくだらないだろう皮膜の厚い翼。人間用の特大剣よりもも大きな鉤爪(かぎづめ)、研いだナイフのように鋭利な尻尾までが(あら)わになり、ついにその巨体が地上に降臨(こうりん)した。

 背中と翼にちょっとした森でも育成しているのか、体の上部は青々と(しげ)り、もっと見晴らしのいい場所で俯瞰(ふかん)しないと、それがドラゴンを模した生命体であることにも気づけなくなる体躯。

 妖精の神秘の里、神の居住区としか表現できなかったフィールドにはスケールが違いすぎた。

 恐懼(きょうく)の具現。

 怪獣のような、ではない。これは怪獣だ。いくらなんでも大きすぎる。

 

「(クソ……なんでも、ありかよ……っ!!)」

 

 俺達の付近に召喚されたその超大型モンスターほどではなかったが、奥のエリアにも(たてがみ)と犬歯の立派な筋肉ゴリラと、何やら四足歩行のキメラじみた気持ち悪いクリーチャー集合体が生存者達に差し向けられている。

 よもやそいつらまで《翼付きの怪獣》ほどの強力なステータスを持っているとは思えないが、熟練の古参連中がレイド単位で徒党を組んで、初めて討伐会議が交わされるかどうかの反則級モンスターなのは間違いない。しかもすべての個体に大きな翼が付加されていることから、奴らは足場の悪さにかかわらず空中戦にも強いのだろう。

 無差別な破壊。波紋のように広がる真っ赤な炎。その破壊の余熱に(さら)されただけで、標的になっていないプレイヤーまで消し炭にされていた。

 この混沌から逃げ出そうなど、まったくもってバカげている。

 

『こいつは壮観だ! これなら、この件はすぐ治まりそうだなぁ!! しかしヤナ、凄いぞこれは! お前にも見せてやりたいぐらいだ!』

 

 意外にも声に嗜虐的なものはなく、単に好奇心が満たされたような表情をしていた。無論、だから許されることでもないのだが。

 そして逃げ惑う民にとってますます絶望的になった状況に満悦しているのか、奴はまだこちらに気づいていない。

 まったく予想外なことに、どんなルートを通ったのか『施設の外』に達したプレイヤーが結構な数に登っているらしく、その対応という名目でこんなフィールドの端っこまで顔を見せに来たらしい。3体の怪物級Mobとやらも、まだ俺やアルゴに視線すらくれていない。

 俺達一行の(くぐ)った『大門』付近に過剰な量の魔術師を配置させたからか、自分がアンチダメージコードに守られた不死の存在だからか、理由はなんだっていい。

 ただ1つだけ言えることは、真の敵(ヒョロガリ)が簡単に背中を見せたということ。

 地獄を生き抜いた者達に追い打ちをかけようとした愚行。ヘタにネズミを追い詰めてしまった人間は、その諸刃の蛮行に対しまだ自覚を持てていない。

 

「ああ……こんな奴が、こんなクソ野郎がいたせいで……」

「お、おいジェイド! なにをする気ダ……ッ!?」

 

 数歩下がって助走をつけようとした俺に、アルゴは珍しく語尾を荒らげた。

 意識も回復せず虫の息になったシリカを抱きかかえたまま、よろよろと間に入って妨害しようとしてくる。突風になびく髪と、その隙間から覗いた綺麗な瞳はわずかに(うるお)い、同時に本気の色をしていた。

 

「死ぬ気なら止めル。勝てるわけないだろウ! この子だっているんダ……頼むから……いまは目的を忘れないでくレ」

「止めンなよアルゴ。ヤッチーに……誰より自分に誓ったんだ。こいつに一発ブチかますってな。オトリなりなんなり上手く利用して、シリカを連れて逃げろ」

「ダメだったラ! 考えてることならオレっちにもわかル! ……行かないでよ……お願いだカラ、1人にしないで……!!」

「アル……ゴ……」

 

 その声には嗚咽(おえつ)すらあった。

 フリではなく本当に意外だった。いつも冷静沈着。どんなクライアントにも平等。いかなるマユツバ物をも取り揃える天才肌の情報屋で、また融通の利かない生粋の仕事人。愛嬌(あいきょう)のいい美貌(びぼう)にほだされて、まんまと口車に乗った哀れなオスの話は枚挙にいとまはないが、アルゴへのイメージは大抵そんなものだった。

 その彼女が打算を捨てて俺の作戦を見抜き、あまつさえ本気で止めようとしてきた。

 ヤチホコと同じように、体を張ってアルゴとシリカをここから逃がそうとする、囮役を使い捨てにした陽動作戦を。

 これだから察しのいい女は嫌いなのだ。

 

「どけアルゴ。敵はすぐそこに――」

「イヤだっ……それでも行くなラ、オレっちだって……ッ!!」

「……それはダメだ、あんたは出口を探すんだ。……安心しろ、俺は死なねぇって。このしぶとさはよく知ってるだろう? ちょっと時間をかせぐだけだ」

「それでも……ダメ……」

「わがまま言うな。……それに朗報だ、逃げ道は絶対に(・・・)用意されてる。あとは見つけるだけだ。信じてるぜアルゴ! 振り向くな!!」

「ダメだ、待ってジェイド!」

 

 涙交じりの一喝。その魅惑(みわく)的な声に一瞬だけたじろいだ俺はしかし、今度こそアルゴの制止を振り切り全力で疾走した。

 シリカを危険な目に遭わせられないのは百も承知のはず。そして問題の脱出法についてだが、これも間違いなく存在する……という事実に、たった今気づかされた。彼女もそれを理解したからこそ、俺の後を追えないのだろう。

 もし『プレイヤーが脱出できない』のなら、敵はこんなところへは来ない。モニター室に(こも)ってマスでもかいていれば事態は収束するからだ。

 だが、奴は現れた。

 脱走者相手に殺し直す手順を踏んで対処しようとした。それが監視をすり抜けてデュラビライザー(?)の支配権を得る一連の流れだ、なんてベラベラ喋っていたが、白スーツの男が焦って掃除を急かす理由にはならない。

 《ラボラトリー》から抜け出せる、万に一つの確率がある。

 だからこそ、俺もアルゴも自分が今やるべきことに集中するしかないのだ。それが天文学的な数字であっても、諦めないと決めたのなら。

 俺の仕事はゲームマスターへの、単身での突撃。

 一段と太く硬い根を踏みしめ、素手の右手を力いっぱい握りしめ、躊躇なく敵と直線上の空中に躍り出る。数メートルもあった高低差を利用し、そして……、

 

「こん、のっ……ド腐れメガネがァアアアッ!!」

『なっ!? ぬごがぁああえええあああ!?!?』

 

 ゴガァアアアアッ!!!! と。拳が相手の顔面に盛大にめり込んだ瞬間、凄まじい打撃音が鳴った。

 痛覚のある世界で無敵の存在に戦いを挑む恐怖。

 俺はそれを払いのけ、もう引き返すことのできない、決戦の火ぶたを落とすのだった。

 

 

 

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