SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第106話 万策尽きたら、こぶしで語れ

 西暦2024年11月7日 《ラボラトリー》最外壁地境。

 

 いっさいの勝算なき戦いの緞帳(どんちょう)が上がった。

 殴った際の反動が自分の体幹にまで跳ね返り、勢い余った俺も綺麗(きれい)な着地とはならなかった。

 だが、顔の原型がイカれるほど殴り飛ばされた敵は、衝撃で左手に持っていた分厚い書物、魔力でもブーストしていたのだろう解読不能の古文書を地面に落とした。

 息も絶え絶えに膝に手を突きながら、それでも底力で立ち上がる。

 視線を上げると、顔から地面に突き刺さった阿呆(アホウ)を見下せたので、右手の割れんばかりの痛みとすさんだ心も少しだけ和らいだ。

 もちろん、野郎のアイコン横に表示された《Immortal Object》の小ウィンドウからわかる通り、俺の《体術》スキルの熟練度がいかに高かろうと、奴のHPは1パーセントたりとも減少していない。おまけにノックバックを活用して派手に吹っ飛ばせはしたものの、モロに入った右ストレートとて、やはり直接この男に痛覚をプレゼントできたわけではないだろう。

 しかし、コントローラ越しでしか経験がなければどうやってもピンとこないだろうが、この世界では例えチートコードを使って不死になろうとダメージがないから痛みもない、という単純なプロセスにはなっていない。

 人から人へのキル行為とは別種の攻撃。例えば丸太のように太く、石のように硬い木の根に、『自分から頭突き』をかませばどうなるだろうか。

 若干ばかりこの世界に詳しい先輩として、その教示を初心者(ニュービー)に叩き込んでやったわけだ。

 

『いったぁあああああっ!? なんだこれ、ちくしょうっ!? なぜ私が痛みを!? だ、だいたいどうやってきみ達は正面ゲート側からッ……なんだよ、どいつもこいつも使えないな! ふざけるなよお前ェ!!』

 

 四つん這いでワサワサと距離を取りながら、支離滅裂な悪態と共に唾を飛ばして吠え続ける。

 突然の乱入者、並びに絶対に陥落しないと疑わなかった防衛網を突破したプレイヤーを前に、奴の狼狽(ろうばい)は期待以上だった。

 声に度の強いセーフマスクをかけ誤魔化しているようだが、集中していればこいつが《格納室》と呼ばれていた空間で天蓋(てんがい)から聞こえた片方の声と一致していることが聞き取れる。

 永遠に狩る側にいられるとでも勘違いしていたのか、男はわなわなと震えたまま発狂を繰り返していた。

 視界がぼやけるまで体を酷使し、ズタズタに心身を引き裂かれ、惨殺(ざんさつ)の続く死の背景を尻目に。それでも、奥で続く虐殺を他人事のように眺めながら、俺は達観した気持ちでシニカルに笑って挑発した。

 

「ゼィ……エツ(・・)にひたってないと……息でも止まるのか。クックッ……ゼィ……口がクセーんだよ、アホ面」

『くっ……!? あり得ない。痛みはきみにも……怖くないのか!? 信じられん度胸だ。それにその顔、さっき見かけた不良の……っ!!』

「へっへっへ、俺のゲンコツも……ゼィ……少しは身に染みただろ」

『挑発するか、ただの小僧が! ……いいだろう。こうなったら私も腹をくくるぞ。いいか、まともな学歴も持たない社会のゴミめ! 私達はなあ! 無価値なお前らを活用してやろうと言っているのだよ! ええいシステムコール! 詠唱スキギュッ!?』

 

 今度は肘打ちが喉仏に痛快に炸裂した。

 攻撃により発音が途中で止まる。

 運動エネルギーを持たない状態からトップスピードに達するまでのタイムラグ。これを極限まで縮めることで『目の錯覚』を誘発させる、すなわち仮想世界でアバターを操作するプレイヤーにしか通用しない不意打ちの移動術。

 かつてシーザー・オルダートというビーストテイマーが最も得意とした対人用システム外スキル、《ゼロスタート》だ。

 

『ごあっ!? げほっ……な、なんだ、今の動きは……ッ!?』

「(やっぱり、予想通りだ!)」

 

 《詠唱スキップ》という、たった1句を発音することで、いかなる魔法も発動までの時間を飛躍的に削減するチート技。

 音声認識は苦肉の策だろう。というのも、『右腕を90度振る』など、特定モーションをトリガーにすると、普段歩行しているだけで魔法が暴発してしまう事態にもなりかねないのだ。ボタン、コマンドがない仮想世界ゆえの弊害(へいがい)である。

 だからこそ、ある意味最強のユニークスキルも、間合い5メートルの劣勢を覆すほど万能ではないらしい。

 

「くたっ、ばれぇえええ!!」

 

 名も知らないメガネ男の胸ぐらを掴むと、足を引っかけながら体を宙に浮かせる。それが柔道におけるどんな技名の投げなのかは知らないが、鮮やかに半回転した男を脳天からまた地面にデコレートしてやった。

 ゴガンッ!! という、頬がひきつるような振動が骨越しに伝わってくる。しかし個人的に恨みを増した俺は微塵(みじん)も容赦する気はなく、敵にまたがるとガキのパンチラッシュよりも原始的な拳の連打を浴びせてやった。

 

「オラオラオラァ! 救いようがないな、ザコチーター様よォ! 学歴当ててンじゃねえよ、このカスがァアッ!!」

『図に乗るなガキがァアアアアアア!!』

 

 しかし奴も所詮チート使い。そこにはプライドもクソもないらしい。

 俺からの直接攻撃ではちょっと派手なライトエフェクト程度しか発生しないと見るや、カンストした筋力値任せに振りほどかれる。そして縮こまるのをやめて左手を真上に掲げると、何もない空中からバグレベルの本数の火炎瓶……に似た固形物が瞬時に精製された。数にして2、30個はある。

 のちに正式名を《火炎大壺》と知ることになるその消費アイテムは、重力に逆らわずそこかしこに落下し、思っていたよりも大きく発火すると簡易的な火の海を彩った。

 とっさに真後ろに転がって回避したせいで、直撃こそなかったが互いの距離がとうとう決定的なものになる。

 

『とんだ迷惑だ……けどこれでっ!!』

「(させるかよッ!!)」

 

 考えるより先に足だけが反射的に動く。節々に走る激痛で運動パフォーマンスこそ落ちているが、長年《攻略組》として培ったカンだけは健在のようで、爆破による投射熱が収まらないうちから俺は前に駆けだしていた。

 残り火によるスリップダメージ。そして火傷による痛みを覚悟で間合いを詰めてくることは予想外だったようだ。

 そうでなくとも無敵&魔法撃ちたい放題vs初期防具、しかも武器ナシである。

 結果の見え透いたこの条件下で、逃げずに猪突猛進を続けるキチガイ相手だとよほど慌てたのだろう。考えなしに突っ走るようにでも見えたのか、奴は馬鹿正直に杖の先を俺に向けて照準を合わせた。

 

『詠唱スキップ! 《雷天の三又戟(ボルテック・トライデント)》ぉ!! 死ねえええええ!!』

 

 冷静に脚力のベクトルを真横に向けると、高々度上空から破城槌(はじょうつい)のような雷が3本も炸裂し、回避前の空間を大気ごと焼き尽くす。

 鼓膜を破りかねない爆音。電流の渦があまりにも太すぎるので、今の技は既存の電撃とは単位からして別格のダメージ量だったのかもしれない。直撃していたら感電死より焼死に近い形でこの世を去ることになっていただろう。

 だが現に、必死の反撃は(かす)りもしていない。

 トップアスリートよろしく、俺は1度の跳躍で5メートル以上も空中移動したが、こうした現実世界と乖離(かいり)した挙動に不慣れなプレイヤーは、仮想世界ならではのアクロバティックな爽快(そうかい)アクションに認識がついてこないことがままある。

 名だたる有名なロールプレイングゲームに深く耽溺(たんでき)したはずのコアゲーマーが、こと《ソードアート・オンライン》正式サービス開始初日においてのみ、ゲームに疎い子供のようにおどおどしていたのは偶然ではないのだ。

 いや、コアゲーマーだからこそ、か。

 

「(ハァ……しかし……ハァ……あれだな……)」

 

 溶解、気化した衝撃によって発生した白煙に隠れ、体力を回復させながら状況を整理する。

 まず、何度か戦闘を重ねるにあたり、俺はある確信を得ていた。

 この世界には、SAOにあった『レベル』や『EXP』に該当する数値が存在しない。

 であれば、なおさら俺やアルゴが窮地(きゅうち)に立った時、今までと遜色(そんしょく)のないスピードが出せていたことに説明がつかない。

 そこで、2年前の記憶が断片的によみがえった。

 ソードアート以外に試験的に導入された他のVRゲームでは、ディレクターのインタビューに「自身の移動速度は、脳神経と意識投射ハードから交互に送られる、電気パルスの交信速度によって決定している」なる回答があったのだ。

 この算出法の場合、移動力はレベルアップによって変化しない。あくまで脳から送られる『○○の筋肉を××に動かせ』という変換信号をナーヴギアが受け取り、それをバーチャルワールドの仮想筋肉にフィードバックさせるまでの時間。あるいは、その速度域をバーチャル内で明瞭(めいりょう)にイメージする才能が求められるわけだ。

 訓練時間が上達速度に比例しない計算式。ある意味では、かけた時間が強さを保証するレベル制より不公平だろう。

 しかし、この世界が個人のセンスに重きを置いたスキル制バトルをコンセプトに掲げているなら、その算出はむしろ(すじ)が通る。

 

「(だったら話は早ェ……)」

 

 思わず舌なめずりをした。

 儲けものだ。基礎運動力までイニシャライズされ、動作に制限をかけられていたら望むべくもなかった勝機が、ほんのわずかに明かりを灯した気がした。

 そもそも、紙装甲のプレイヤーに近接レンジでも即死級魔法で片を付けようとするからには、この世界ではステゴロで白兵戦を仕掛けるより魔法をメインに戦うことが俗識(ぞくしき)のようである。この距離に持ち込めた時点で俺の優位性は揺るがない。

 奴もその価値観で凝り固まっていて、ワンパターンな大型魔法を放った時点で隙だらけだった。

 

「しゃらくせェっ!!」

『な、ん……ッ!?』

 

 ドッ!! と、首がもげそうなほどの体当たりが決まる。俺を目で追うことすらできていなかったのか、煙を迂回してタックルをかけられる直前まで自分の勝利を疑っていなかったようだ。

 衝撃まで打ち消せないのは立証済み。

 体当たりのついでに覆いかぶさると、気が済むまで、野性の衝動にまかせるように両手で首を絞める。極端な筋力値で抵抗されると揉みくちゃになったまま体勢を変え、今度は本気のアームロックをキメてやった。

 

「ほらほらぁ、さっさと杖離しちまえよ! このクソカスが~!! チッソクしてもいいのか、ああァ!?」

『ぐるじい! はなぜ、ごのっ……ぜっだいごろじでやるっ!!』

 

 流れるような連撃。苦しそうな体勢で目じりに涙を溜めたまま、男は情けない声で抵抗した。

 打撃ではなくキメ技。攻撃手段が変わったことで、『無敵の防御性能に対応された』と勘違いを起こさせる先入観の利用。

 しかし、これもまた深層心理の(から)め手である。首に相応の閉塞感は生じるかもしれないが、実際に男の息は止められないし、この男の気管はいかなる手段によっても塞がらない。呼吸不可領域での呼吸によってHPが減少することはあれど、本当に窒息死することはあり得ないからだ。

 しかもシステム的ペナルティをもすべて回避しうるこの男にとって、キメ技で苦しんでいるのは単にコイツの思い込みのせいである。

 とは言え、焦っていたのは俺の方だった。

 

「(やべェ、そろそろ外を走ってたプレイヤーも全滅する。そうなりゃ、あのバカでかいモンスターがこっちに来て俺を……っ)」

 

 枝の上なのか根の上なのかもわからない場所で、子供のケンカのような泥沼の攻防はまだ続いていたが、どのみちこの遅延行為とて長くは持つまい。

 時間は稼いだ。しかし、どうせならやれるだけやってやる。

 という経緯の元、俺はテコでも離すまいとしていた相手のネイビー色の鉄枴(メインアーム)に着目し、それを徐々に手から剥がしてやった。

 

「っしゃあああ!! テメーの杖を取ってやったぜ! これだから初心者はよォ!!」

『ゼィ……ゼィ……そんなもの、いくらでもくれてやるさ……!!』

 

 俺は羽交い絞めの状態から魔法攻撃の触媒、すなわち40センチ足らずの木製棒を奪いきれた。

 だが、距離を取って首を押さえ、深呼吸をしながら息を整えた男は悔しがるそぶりも見せない。

 そしてそれは強がりではなかった。

 

『システムコマンド! オブジェクトID、《エッケザックス》をジェネレートぉぉ!!』

 

 男が狂ったように叫ぶと、奴のすぐ目の前に淡く緑色に発光する『0』と『1』だけで表現されたPC言語が猛烈なスピードで羅列され、やがて1本の大剣に姿を変えた。

 剣の先から色が付き、質量が与えられ、心材の金属に硬い結晶じみた装飾が付随(ふずい)し、厚さ数センチ刃渡り1.4メートルにもなる両刃の結晶大剣は奴の手に吸い込まれるように収まった。

 キャッチした瞬間よろけてしまうあたりに相変わらず締まりがないが、それでも剣の大きさだけを見ると、俺が死地を共にしたかつての魔剣、《ガイアパージ》に勝るとも劣らない。

 ここまで来るともはや何でもアリだ。

 中心の支柱以外が結晶製でできたそれは見た目も美しく、下手をすれば男の姿が隠れてしまいそうな大きさだった。半透明でペイルブルーに塗装した伐採用の大鉈を2つ背中合わせにくっつけたような刀身に、飾り気のない金色の(ガード)。そして小舟用の(かい)でも握っているかのごとく太いグリップ。柄頭(ポメル)には七色の宝石が埋め込まれている。

 どんな能力があるのかは知らないが、男は《エッケザックス》と呼ぶ大剣の切っ先を向けた。どうやらここにきてようやく己の鋼をぶつけあう気になったらしい。

 男は満足げに口角を上げると、通信でもしているのかまずは頭上に向かって言い放つ。

 

『やかましいぞヤナ、少し黙っててくれ! こっちも忙しいんだ! ……ったく、頭のおかしい人間に絡まれただけで、無駄骨を味わわされたものだよ。なあ不良少年? お礼に名前を聞いてあげよう、きっと忘れないようにする』

「誰が……ハァ……名乗るかよ、ボケカス」

『くっくっく……威勢はいいが内心じゃブルッてるねえ! そんなボロボロじゃ無理もない。どこに命中しても即死! 痛いなんてもんじゃないぞ~? おまけに、触れただけで魔法を無効にするエクストラ効果付だ!!』

「魔法が効かない、か……ふっ……くっくくく……あーっはっはっはっは!」

『くっ、くそ……! まだ笑うか!? 何がおかしいっ!!』

「魔法のスペル1個も知らねェよバァァカッ!!」

『な、アぁっ!?』

 

 「そういえばそうだったぁ!!」みたいな顔をしている男を無視し、奪った杖をさっそくそのヘンに捨てながら、俺は再三に渡る突進をした。

 せっかくの戦利品だったが、こうなればヤケクソだ。男と男のぶつかり合いに無粋な駆け引きは美徳に背く。互いに力の全てを正面からぶつけ合い、最後に立っていた者を勝者とするシンプルな競争。

 ……をするとでも思ったのか、激昂(げっこう)した白スーツ野郎は、猛進する軌跡に向かって条件反射のように超級大剣《エッケザックス》をフルスイングした。

 当然無意味。

 暇人極まる廃ランカーが初心者狩りを楽しむのもこんな気持ちなのだろう。

 単調な剣戟(けんげき)を華麗に交わした俺は、手始めにラリアットを決め、ライトエフェクトで視界を遮ってから男の背中に抱き着いてやった。ついでに両足を相手のそれに絡め、最後のエネルギーを振り絞ってナメクジのように全体でへばりつく。

 

『お前ぇええええええ!! ふざけいるのか! さっさと離れろおおッ!!』

「ハッハァ、大マジメさ! これじゃデカい剣は振れないだろう!!」

『どこまでも生意気な……なっ!? ウソだろコラ! 待て古龍樹!! いま攻撃するのはマズい!!』

「(古龍樹だと……ッ!?)」

 

 古龍樹、いわゆる《レジェンダリィ・イグジステンス》の1体。記憶が正しければその名は召喚されたモンスター中、最強にして最大の翼竜に対して向けていたものだ。

 首だけ振って確認すると、目につくあらかたのプレイヤーを始末し終えたのか、息をするように獄炎を吐く巨大な怪獣がすぐ後ろに迫っていた。角と背びれに見える樹齢何年かもわからない大樹だけでも、設定上では伝説級の生き物だと直感できる。

 しかも俺と白スーツの男も度重なる激突で根の端、つまり壁のない崖(ボーダーエッジ)付近にまで移動してしまっていた。

 万事休すだ。こんな足場の悪い場所で、一軒家でも()み砕けるスケールの口腔(こうこう)から火災旋風じみた範囲攻撃なんてされたら、例えメガネ男の無敵コードで焼かれ死なずとも、吹き飛ばされる先は大いなる虚空。高所からの落下で2人仲良くお陀仏である。……いや、敵だけは死なないだろうが。

 相手にとって俺はちっぽけな虫けら以下の生物。

 それでも古龍樹は無慈悲だった。

 

『待て待て落とす(・・・)のはヤバい!! 止まれ、クソッ!!』

 

 なぜか慌てだした男に呼応するように、直後に古龍樹による本気の火炎放射が。

 しかし敵性ユニット、つまりこの場合背中に密着する俺への無差別攻撃命令を瞬時に解除できないと悟るや、男はヒット寸前でポメルに備えられた七色の宝石をわずかに回転させた。

 巨大な大剣が光を放つ。

 高周波が響きブレード部分がさらに青白い輝きを増し、ついに煙に近い(もや)を発生させると、それを炎ブレスに差し向けた。

 ゴッパァアアアアアアアアア!! と、逆巻いていた火の濁流がヒット直前に消滅した。

 剣に直接触れていない部分も、まるで透明度100パーセントのドーム状強化ガラスに遮られたかのように四方に押し流されていく。

 巨人の宝剣《エッケザックス》のエクストラスキル、《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》は、とうとう10秒近くも続いた殺戮熱波をしのぎ切ってしまった。

 呆気にとられるとはこのことで、確かにでかい口を叩くだけはある。この世界における魔法の知識はほぼ皆無に等しいが、ダメージはおろか今度こそ衝撃波まで打ち消したこの大剣が、破格の能力を持つ大業物であることは即座に理解できた。

 

「生き……てる……?」

『死ぬんだよ、お前はなァ!!』

「ぐっ、がああああああああっ!?」

 

 俺は態勢の急旋回による遠心力で吹っ飛ばされてしまう。ぐったりと沈むような脱力感に逆らえず、起き上がる気にもならなかった。

 視界の端が赤く染まる。HPゲージが2割を切り、危険域(レッドゾーン)に突入したのだろう。

 しかしガラにもなくしくじったものだ。場慣れしたはずの俺の敗因が、まさか(きら)びやかな演出にしばし放心したせいだとは。

 潮時である。「くだらない自信家にしては上出来だったよ」なんて居丈高に言われながらも、すでに痛みでこれっぽっちも足に力が入らなかった。

 

「へへっ……ハァ……じゅうぶん、暴れて……やったさ……」

『ふん、まさか子供に感心する日が来るとはね。ただ、世の中君のようなナルシストから退場していく』

「……ハハッ。……ハァ……『人を守りたければ、まず自分を守れ』、か……ハァ……でも時には……あべこべに、なンだよ……」

『……なんのことだ』

「アインクラッドで、生き抜く……鉄則さ。覚えとけカス野郎」

『……ただの時間稼ぎか。最後まで好かんガキだったが……おしゃべりはもういいっ!!』

 

 だが、横たわる俺に憎悪の化身たるクソメガネが得物を振りかざした瞬間だった。

 「ジェイドっ……まだ諦めるナ!!」と、張りのある女性の声が戦場に響き渡った。

 それだけではない。わずか40メートルほど後方に、2つの可愛らしいシルエットを確認したのである。

 最初は錯覚かと思った。俺の性癖ゆえに愛してやまない猫耳の美人が、死に際の走馬灯にでも割り込んできたのかと。しかしそれは違う。彼女らは《レジェンダリィ・イグジステンス》の炎ブレスによる技後硬直(ポストモーション)を正確に狙い、俺のよく知る顔で必死に名前を呼んでいたのだ。

 

「ジェイドさん! 逃げて!」

「男だロ! 早く起きろォ!!」

『なんでっ、まだ生き残りが……!?』

 

 シリカとアルゴだ。どちらも少女らしい小柄な体格だったが、彼女らの種族の敏捷値補正が優れているのか接近速度は速い。

 まったく、呆れた情の深さだ。シリカの奴もせっかく意識を取り戻したのならその幸運に軽い感謝でもして逃げればいい。こんな愛らしい少女に(とが)を責める男もいまい。アルゴも同罪だ。口約束とは言え依頼主の要望を反故(ほご)にしやがって。出口が見つかったなら律儀に助けに来なくてよかったものを。時間がある時に説教でもしてやりたい気分だ。

 ――ああ、まったく……、

 

「(クソったれが……台無しだぞ……ッ)」

 

 せっかく観念したのに。心地いい睡魔に(いざな)われたかったのに。いったい体のどこに残っていたのか、数滴ばかりの勇気と気力が頭をもたげてきやがった。

 原因ははっきりしている。あの2人の顔を見た瞬間、俺もこの地獄からの『脱出法』に気が付いてしまったのだ。

 予想もしていない小柄な女性生存者2名の乱入で、メガネ男の注意が一瞬だけ俺から散る。

 正真正銘、これがラストアタック。

 

「う……お、オォォオオオオッ!!!!」

 

 血管が破れるような激痛すら無視し、俺は獣のような咆哮をあげて突進した。

 全体重を乗せた低重心タックル。胸の奥から強制的に空気を押し出された敵は、いかなる罵倒も発音できないまま、俺と一緒に巨大樹の末端から身投げ(・・・)した。

 底のない絶壁。空の青と雲の白だけが映る。

 耳を裂く風切り音。

 ――それでもッ!!

 

「2人とも、飛べェえええっ!!!!」

 

 落下しながらの咆哮。ドガァッ!! と、死角にあった巨大な枯れ枝に1度激突し、一瞬息が止まる。

 大きく跳ねたが落下は止まらない。

 朦朧(もうろう)とする意識の中で、世界がスローモーションになった。

 地面が見えない。それほどの高度なのだろう。

 俺の絶叫とほぼ同時に大空へジャンプしたアルゴやシリカを見やり、『バッ、ばかなああ!?』と、白スーツの男は今日1番の絶望的な顔で吠えていた。

 道連れに近い選択をした俺はまだ奴ともみ合っている。

 

『くっそおぁお! 何としても1人は……ぐごあああッ!?』

 

 しかし俺にトドメを刺そうと大剣を構えたその瞬間、『自由落下』という凄まじい速度で高度を下げる男の顔面に、投擲(とうてき)されたダガーの先端が突き刺さったのだ。

 空中でダガーを投げたのはアルゴ。初期装備は1本しか与えられていないので、当然本番1発勝負だったはず。されど、その比類なき命中精度をもってしても、無敵コードに守られた奴にほんのマイクロゲージ分のダメージすら与えていない。

 しかし全てが繋がった。脱出への限られた手札、手段、結果までのお膳立て。全てだ。

 4人はまだ自由落下している。

 ガシィッ、と。空中で動きが停止した大剣の刀身を右手で掴んだ。少ないHPはさらに減少するが、目をくれることもない。

 風と音の奔流が()いだ。

 

『くっ……な、にを……!?』

「てめえが死ねやァアアアアアアっ!!」

 

 ゴッガンッ!! と、男の顔をメガネごと靴底で踏みつぶしてやった。

 (かい)の取手のように太い大剣の柄がすっぽりと抜け、男は無様にもグルングルンと縦回転しながら、吹き荒れる突風でどこか遠くに流れていった。

 奇跡が成された瞬間だった。

 

「(ハァ……クソ、手間取らせやがってッ!!)」

 

 脅威は排除した。あとはアルゴ達だ。

 高速で入れ替わる景色が焦りを加速させる。反射的に奪い取った大剣を右手だけで器用に逆手向きに持ち直すと、目も開けられないほどの風圧に耐えながらどうにか体を半回転させた。

 その、途中――、

 

「……え……?」

 

 遠くに、何かが見えた。

 鳥籠、だろうか。

 小さな……子供1人に与えられる部屋程度に小さな、鉄格子の檻。

 必要最低限の調度品の手前には寝具らしき台座が用意され、その上でキョロキョロとせわしなく動く華奢(きゃしゃ)な少女。質のいいキャラメル色の髪を腰まで垂らし、確固たる意志を持った、NPCには再現できない眼光。何より整った鼻立ちに凛とした姿勢、引き締まった体、いつも紅白の団服を着てボス討伐隊の先頭に立ち、耳当たりの良い美声で指揮をしていた勇敢な少女。彼女に似たあの顔はまるで……、

 

「(アス、ナ……?)」

 

 コマ割りよりも一瞬だけ見えた不思議な光景。だが俺は、すでに豆粒よりも小さくなったその光景を意識的に棚上げした。

 網膜に映った純白ドレスの美少女が誰であれ、かまっている余裕はない。

 奴らの追撃を振り切る……すなわち、ヘタなショッピングモールより広かったあの樹林帯から飛び降り自殺をした時点で、俺やアルゴ達は現実世界に帰れるはずなのだ。

 問題は、空を自由に飛行する召喚獣らが飛んで追い打ちをかけに来ることだけ。

 しかし今の俺の手には、あらゆる魔法の威力を相殺する魔法殺しの大剣《エッケザックス》が握られている。剣に付与された特殊スキル《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》の発動法についても、先ほど背中越しにじっくり観察させてもらった。

 これさえあれば、あの遠距離バカどもからの魔法攻撃なぞいくらでも(しの)げるだろう。

 

「クッソ、どこだ! アルゴォ!!」

 

 ただの青空なら見つけやすかっただろう。が、巨大樹は桁違いの大きさで、自由落下中の今も視界の大半を埋めていた。雲すらも突き破る大樹の存在にどんな意味が込められているかは知らないが、この大きさは尋常ではない。

 だが冷静に目を凝らすこと数秒。

 見つけた。荒れ狂う大気に舞うプレイヤーの体が2つ。幸い手を握り合っている。

 俺は風から受ける微細な空気抵抗の変化を感じると、皮膚の感覚を頼りに少しずつ調節していった。

 空を飛んでいるわけではないので、俺にできることは体を広げて滑空軌道を逸らすことだけだ。しかし元々速度が出すぎていたからか、体全体を伸ばすだけではっきりと降下速度の減速を感じた。重力加速度を含め、SAOとは微妙に異なる力学演算である。

 揺れる視界に悩まされながらも、小さかったシルエットがみるみる近づく。距離にして数メートル。あと、ほんの少し。

 俺は思わず塞がっていない左腕を目一杯伸ばした。

 

「アルゴ、シリカ! 来いッ! 手を伸ばせ!!」

「ジェイドぉー!!」

「ジェイドさんっ!」

 

 激しく変化するスピードを調整しきれず最後は合流というより激突に近くなってしまったが、それでもどうにか俺達3人は抱き合って生き残れた実感を共有した。

 追手は来ていない。これで脱出は完了したのだ。

 

「やったなアルゴ! シリカもよく頑張った!! 俺達は勝ったぞ!」

 

 抱き着いたついでに、どさくさに紛れて人間にはないはずの尻尾や大きな耳を撫でまくってやった。

 モッフモフである。肌触り、毛並み、まるで生き物のような――生きているが――弾力、どれをとっても申し分ない。よくヘアバン(ニセモノ)越しの耳や、ベルトにテープでくっつけたような尻尾による急造のまがい物でケモッ娘に扮装(ふんそう)するふとどき者もいるが、俺から言わせれば笑止千万である。

 いやあ、しかし天国だ。念願だっただけに頑張った甲斐がある。超がつくほどのセクハラだろうが、このままログアウトできるなら関係あるまい。

 

「ジェイドさん! バレバレです!! すっごいヘンな感じがするのでやめてください!! あと落下が全然止まらないんですけどぉお!!」

「これホントに合ってるのカーッ!?」

「あっ、合ってるさ!! こっ、ここれで助かるんだよ!!」

 

 かすかに羞恥心を覚えながら風の音に負けないよう限界の音量で叫んでいるが、俺だって別に正解を理解しているわけではない。

 だが知っての通り、奴らは仮想世界にログインしてまで殺害しようと奮闘し、そしてプレイヤーが根の外周に近づくほど煩慮(はんりょ)していた。

 無敵の存在だったメガネの男。奴が《エッケザックス》の能力を使ったのは、吹っ飛ばされる先が地面外周のさらに外側だったからだと予想できる。衝撃までは防げないアンチダメージコードが、もしも背中にへばりつく俺まで炎ダメージから救出してしまった場合、オウンゴールのように自ら出口へ案内してしまうことになる。

 奴はその結果を未然に防いだ。そこに答えがあるとしたら、俺達の選択は『外周からの身投げ』で正しいはず。

 正しいはずなのだ。

 だのに、なぜ……、

 

「(なんで止まらねぇ!? なんでログアウトしねぇんだ!?)」

 

 引力に引かれる3体のアバターは、止まるどころか存在するかも不明な地上に向けてどんどん加速していた。《ペイン・アブソーバ》が停止している以上、こんな速度でどこか体の一部が物体に接触でもしたら、その時点で現実にて覚醒しても後遺症ぐらい残ってしまいそうである。

 怖い、怖い、と全身の細胞が騒ぐ。目をつぶって必死に俺にしがみ付いているはずの女性2人からまったく体温を感じられないほどの落下スピードだ。

 チラッと下方に視線を寄越すと、300メートルほど先に濃密な積乱雲が見えた。

 面積は広い。あそこが終着点なのか。

 頼む、ここで終わってくれ、と。念じるように目をつぶり、新幹線並みのスピードで真っ白な濃霧(のうむ)に突入した。

 しかし……、

 

「ダメだジェイド! やっぱりこれハ……!!」

「く、そったれ……なァッ!?」

 

 だがアルゴが現実に嘆いた数瞬後だった。

 雲を抜け、ボフッ、と霧が晴れた。

 それでも落下は止まらず、眼前には壮大な大地が見えたのだ。

 威風堂々たる景色にまたも言葉を失う。

 広い。真下は見るからに未踏の森林で、端のない大きな虹がかかるアマゾン川も流れ、ヘビのように続く川のそばには傾斜(けいしゃ)の浅い小さな山もあった。頭の方角に数キロ進めば打って変わって荒れ果てた荒野、あるいは雪と氷の張った赤貧(せきひん)の大地が顔を覗き、その一部は土地開発でもしているのか工場やら重機らしき動力不明の掘削機が見える。

 さらに別の方角には果てしない標高を持ち、稜角の鋭い冠雪(かんせつ)した山脈が攅立(さんりゅう)し、ゲーム界で言う『地上の区切り』の役を果たしていた。

 その正反対側には砂と砂利、そして集落と思しきテント群にピラミッド型の人工建造物までギリギリ散見される。

 ギリギリというからには、もちろん最果てを肉眼でとらえることはできない。フィールドを区切るような山のせいで見えない部分を含め、この高度から包括的(ほうかつてき)にマップを眺めて全体像を把握しきれないということは、かつて暮らしたアインクラッド第1層の基部面積をも優に超える広さだ。

 しかし広さはこの際どうでもいい。まさか数キロ彼方に見える、あの地面に落下して目を覚ますとでもいうのか。

 しかも死に方を想像して怯えていると、広大すぎる景色とは別にさらなる信じられないことが起こった。

 ポーン、という、弦を1回弾いたような気の抜けるメッセージ音。

 そして……、

 

『妖精の皆さん! 《アルヴヘイム・オンライン》の世界へようこそ!』

『…………は……?』

 

 一同揃って首を傾げた。

 それは女性の機械音声だった。凄まじい風切り音が密着状態のシリカやアルゴの声すら遮断している中、その声だけは脳に直接語りかけたかのように鮮明で、どうやらアルゴ達にも聞こえているらしい。

 俺のゲーム脳が正しいのだとしたら、何かしらの条件を満たしたからか、聞き覚えのないゲームのファーストガイドシークエンスが作動したようである。

 《アルヴヘイム・オンライン》といったか。聞いたこともない。無論2年も現実を離れていたので、その間に発売されたソフトの名前など知る由もないのだが、まさか俺達がデスゲームに囚われていた2年の歳月で新しいVRMMOゲームを開発、運営するに至ったとでもいうのだろうか。

 という疑問すら、刹那に流れる。

 考えてみれば無理もない。事件の大きさと残虐性を(かんが)みるに、当事者からすれば新タイトルの続投は短すぎるように感じるが、閉鎖空間となった《ソードアート・オンライン》の未体験ゲーマーにとって、相変わらずそれは夢の世界だったはずだ。

 需要があれば金にもなる。やはりここは、2年前には存在しなかった新しい仮想世界なのだろう。

 人工音声は俺達の思案など無視して語り続ける。

 

『……では豊かな自然と冒険の数々、そして素敵な出会いがあなたを待って……』

「これ、ジェイドさんにも聞こえてますか!? これはいったい……」

「わかんねえ! 俺にも何が何だか……!!」

『それでは夢と希望に満ちた空の旅(・・・)をお楽しみください。幸運を!』

「……えっ? 終わっちゃうみたいなんですけど!?」

「空の旅じゃねえよ!! マジにフライトしてンだよ、夢も希望もねェぞ!! あっ、おいこら!?」

 

 ここで音声はぷっつりと途切れた。

 抱き合って落下しながら、至近でシリカやアルゴと顔を合わせる。

 何だったのだ、今のメッセージは。助けてくれるわけでもなく、レベル1の勇者に起動時のマシーンが話しかけるような当たり障りのない情報しかくれなかった。初期ユーザ用ガイドのくせになぜか俺達が空中にいることまで言い当てて……、

 

「い、いや……違うっ!!」

 

 その瞬間、脳に電流が走ったような衝撃を受けた。

 《格納室》と呼称される場所で見た、ウィンドウ上に記載される『飛行補助コントローラ』の文字。

 そして炎の散弾兵や《レジェンダリィ・イグジステンス》を含め、すべての敵に飛行能力も与えられていた。もしプレイヤーだけが地上戦を強いられるのなら、あれらの討伐は至難の業、どころの話ではないだろう。

 メガネ男もずっと外周を警戒していたし、極めつけはたった今アナウンスされたウェルカムメッセージ。

 彼女の澄んだ人工音声が俺達の3次元的な位置座標をズバリ言い当てたのではない。空の旅、という(うた)い文句がこの世界の本質(・・・・・・・)なのだ。

 あらゆる事象が糸で繋がれ、同時に合点がいった。

 この世界では人間タイプのユニットが空を飛ぶことができる、らしい。

 だが、飛ぶにしてもどうやって。

 VRMMO、少なくともソードアート・オンラインにコマンド入力という概念(がいねん)はなかった。逆喚(ぎゃっかん)するようだが、『体を使って人型アバターを動かせる』ということは、そっくりそのまま『現実で動かしたことのない筋肉を動かすことはできない』とも言い替えられてしまう。無論、俺は翅の動かし方なんて理論的にも本能的にも知らない。

 しかし……、

 

「(あっ、アルゴが言ってたやつかッ!?)」

 

 たった1つのリマインドが運命を分けた。すっかり頭から飛んでいた、自分で読み上げたはずの文章が稲妻のごとく脳内再生されると、手順書にあった通りに架空の剣を握るよう左手を形作る。

 すると、すぐに流線的かつシンプルなイエローホワイトの小型コントローラが出現した。

 同時に俺の背中には、『昆虫の翅』らしき四枚の薄紫の透明翼が実体化する。

 時間はない。

 

「止まれぇええええッ!!」

 

 地上まであと数百メートル。速度は体感隕石並み。視界の端に広い湖らしき青いテクスチャを捉えたことで、大まかな着地地点と軌道だけが一瞬でイメージされる。

 意味もわからず親指にあったボタンを押し込み、スティックを限界まで手前に引いた。

 体全体の減速とスティックの荷重でも連動しているのか、それとも3人分は完全に許容値オーバーなのか、果てしない重さになったそれを、左手でなおも鬱血(うっけつ)しそうなほど体に引き寄せる。

 止まれ、と心の中で何度も願った。

 激しく顔を打つ風流れが変わる。軌道が斜めに逸れつつあることを、別ベクトルの強烈な加速からのみ実感した。

 方向は変わったが、しかし止まらない。減速をかけるのが遅すぎたのだ。あとは着水でうまく吸収してくれることを祈るだけ。

 

「歯ァ食いしばれぇええええッ……!!!!」

 

 速度を殺しきれなかった俺達3人は、差し渡し学校のグラウンド数個分の面積を誇る湖の中央に落下した。

 ドッパァアアアアアアアアアアッ!! という、けたたましい破裂音。10メートル以上の水柱を高く作り上げ、ゴムボールのように高くバウンドすると、ついに3人はバラバラになって大気の遮断された冷たい液中に放り出された。

 水中特有の無音状態と、平衡感覚まで狂わされたのか上も下もわからない。体がどんどん底に沈んでいくが、衝撃でほとんど息を止めることもできなかった。

 そもそも地表に到達したのになんら変化が訪れていない。

 

「(やっぱ、そう簡単に帰しちゃくれねェか……)」

 

 感覚が遠のき、目をつぶると本当にすべてが途切れた。

 すると暗黒の中で、無限に続くかと思われた戦いの決着や、これまで過ぎ去った出来事が感慨深く去来(きょらい)する。

 同時にこれは始まりでもあった。

 せっかく1から積み上げてきたものも没収されてしまった。共に暮らした仲間もいない。戦場で背中を任せたライバルもいない。死と隣り合わせで勝ち取った情報もない。しかし規則、組織、魔法、飛行、戦術など、様々な要素が一新された新天地はもうここにある。それだけは確かだ。

 気泡を吐く音が直接鼓膜に届くと、音のない世界でゆっくりと目を開けた。

 白く光を乱反射した水面(みなも)が見える。生存競争を放棄しないのなら、こんなところで油を売っている時間はないだろう。

 

「(だったら……やってやるよ!! ……ああ、やってやるともッ!!)」

 

 ギリッ、と奥歯を嚙み合わせる。見えない何かに反逆するように、慈悲なき決定を拒否するように、四肢は水を掴んで俺の体を押し上げた。

 終わりではない。

 むしろ、ここからが始まりなのだから。

 

 

 


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