SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第108話 来る者拒まれ去る者追われ

 西暦2024年11月7日 《三領の永地》森林南西区画、《ドルトン湖》ほとり。

 

 「次で決着にしようぜ!」なんて叫んでみたが、彼らからの返事はない。やはりまだ言葉は通じないようだ。

 構える2人を見るに、どうも長期戦はお互い望むところではないらしい。

 俺も集中する。

 イメージされるのは『上』での戦い。ぶっつけ本番でアレ(・・)ほどの速度が出たのだ。だとすれば、この世界では叩き出せるスピードも人のセンス。

 高速域にいる自分を明瞭(めいりょう)にイメージし、脳から発せられる運動命令と《ナーヴギア》の電気処理をぴったり一致させる。そのレスポンスの短さがそのままスピードで表現されるはず。

 巨大樹で叩き出した最高速度……いや、それすらも超越してみせる。

 

「行くぜ!!」

 

 戦槌を構えたフォア―ドが先に呪文を唱え終わると、片手をかざしながら土属性魔法を放出してきた。

 魔法名《断片石(フラグメント)》。石の飛礫(つぶて)を直線状に放つだけの単純魔法だ。

 

「当ててみろッ!!」

「速いッ!?」

 

 不意を突く初動。システム外スキル、《ゼロスタート》。

 といってもほとんど気合い回避だ。限界まで引き付けてから真後ろへの猛ダッシュで、目標を失った石の欠片ドガガガガ!! と、地面に突き刺さり、続くハンマー攻撃をも連続アクセルですべて回避した。

 残された逆転の手段は、奴らの思い込みを利用することのみ!

 

「おい、アルゴ!! 手ェかせっ!!」

 

 これを合図にガサガサ! と、なんの武器も持たない少女が奥の木陰から飛び出し、湖の外周に向かって駆けだした。

 飛び出したのはアルゴではなくシリカである。

 メイジ側の注意が一瞬逸れる。パッと見では小学生のような、そのあまりに小柄な体躯(たいく)を目にして、ほんのわずかに動揺していたのだ。

 だが彼の長ったらしい詠唱は続いている。おそらく見た目がいかに若かろうと、その『中身』を操る現実の人間はきっと大人に違いない、とでも結論付けたのだろう。おまけに彼女は不用意に声を発したせいで奇襲もどきを失敗させ、後衛でありながら前衛の男に頼りっぱなしでろくな援護もできていない足手まとい、なんて風に見えるはずだ。敵が見くびるのも無理はない。

 

「(クソ、にしても詠唱なげェな!)」

 

 敵の魔法なんて種類はわからない。が、これだけ詠唱が長いのなら、放たれるのは避けようのない範囲魔法か、はたまた必中の追尾魔法か。

 いずれせよ、標的にされた時点で俺かシリカがダメージを受ける。場合によっては食らった時点でアウトだ。

 互いに必勝の作戦。

 

『おっるあァアアああああっ!!!!』

 

 咆哮が重なる。ブレードの長い俺の大剣と、柄の長い敵の戦槌が激突した。

 ガチィィイインッ!! と、甲高い金属音が響く。あくまで俺を地面にくぎ付けにしたいらしい。殺意に満ちた振動が体全体を震わせるのを感じた。

 土色の肌をした顔のいい脳筋野郎は、戦槌を構えたまま余裕の微笑まで浮かべる。

 追撃の瞬間。後ろの男がスペルを唱え切る、直前。

 

「ニャあああああ!!」

「うわっ、なんだコイツ!?」

 

 針葉樹のてっぺん付近からアルゴが姿を現したのだ。

 ガシィ!! と、危ういところで空中の男に飛びつき、強襲ついでに呪文詠唱を失敗(ファンブル)させる。

 

「ば、バカな!? 3人目だとッ!?」

 

 背中に張り付かれ、満足に抵抗できなくなった男でもアルゴは容赦しなかった。

 ザクン! ザクン! と、シリカから借りた初期装備ダガーを何度も肉体に突き立てる。途中で男が構えた曲刀を抜刀直後にはたき落とすと、そこから先は一方的だった。

 魔法触媒しかなくなった男は、せっかく全快した体力ゲージをみるみる減らしていき、あっという間に残量ゼロになると戦線離脱まで持っていかれる。

 ゲーム用語でいうテイクダウン。

 予想外の戦力に仲間を再度倒されて、作戦が見事に崩れ落ち、余裕をぶっこいていたイケメンもここにきてようやく焦燥をあらわにした。

 自分達が犯した重大なミス。確認もしないで人数を見誤った。初心者を前にした、熟練者を緩ませるわずかな(おご)り。その怠慢(たいまん)が、決まりきっていたはずの結果を変えた。

 

「サンキュー色黒!! 次は俺の領地で会おうぜ!!」

「うぐ、あああああああああっっ!!」

 

 注意力が逸れた瞬間、拮抗していた筋力が傾いた。

 ドッガァアアアアアアアアッ!! と。特大級、かつ青銅色の大剣が相手のアバターを肩から斜めに貫通した。

 地面でUターンした大剣は、男の抵抗をものともせずに直進する。筋肉に物を言わせた泥臭い肉弾戦と、肉を切らせて骨を断つラッシュの応酬。

 敵が戦槌を振り上げると、俺はむしろその長い柄に向かって前進した。

 衝撃。しかし敵のヒットは浅い。剣でいうところのブレード、つまり攻撃力が設定されたハンマー部分の直撃ではなかったからだろう。

 頭突きによるライトエフェクトを発生させ、空に逃げようとした男の足を左手で掴んで地面に叩きつけてやった。

 とっさに立ち上がる敵に、今度は俺が横に凪いだ剣で重い一撃をお見舞いしてやると、横っ腹にズンッ!! と深々と突き刺さり、両手に手ごたえを感じる。

 かすかに残っていたゲージが尽き、とうとう男の体は暗い炎に包まれた。

 

「なん、なんだよ……お前ら……」

 

 それが男の発した最後のセリフだった。

 ボウッ、と体が跡形もなく消滅する。あとに遺ったのは《リメインライト》のみ。死者がその場に漂わせる、意識だけを閉じ込めた火の玉だ。

 

「ハァ……ハァ……どうにか……勝てた……」

 

 緊張が抜けると一気に脱力感が襲ってきた。

 武器を持たない丸腰のシリカの陽動。針葉樹の頂上という、アルゴが敵に飛びつける高度の確保。そして連携プレイありきで地上戦を仕掛けてきた敵に、俺の得意なマンツーマン近接戦闘の技術で上回るだけの単純な作戦。

 しかしこれは事前に示し合わせたものではない。いわば完全な以心伝心まかせの賭け勝負だった。

 互いにどんな戦術を取れば生き残れるか。熟練者の裏をかけるか。頭の中でシミュレートし、確率の高いルートを選択し続けた消去法による思考の一致。この偶発的な相乗効果が運よくかっちりとハマったに過ぎない。もう1度戦ったら別の結末もあっただろう。

 ともあれ、息を整えた俺は地面に刺した《エッケザックス》にもたれかかりながら、左手でメインメニュー・ウィンドウを開く。

 そして、インベントリボックスで未だに文字化けしたままの数々のアイテムを無視してスクロールしていくと、欄の末尾にはとんでもない量の破損していないデータがあった。

 

「(うっへぇ、リザルト画面スゲーことになってんぞ。ふぅ~むナニナニ……体力や魔力の回復用ポーションが大量で、残りの物も消耗品が多いな。投げナイフに《火炎壺》、松明やらアウトドア用アイテム一式まで……お、この《劇薬のビネグリット》や《密売の原花石》なんてレアっぽくないか? 《グリーモのおいしい木の実》は……なんだ、ただの食い物か。ふむふむ、ドロップの基準がいまいちよくわからんけど、こりゃまた異常に多いな……)」

 

 これも随分(ずいぶん)あとになって判明したことなのだが、アルヴヘイム・オンラインではオンラインフィールドでプレイヤーをキルした場合、相対(あいたい)した敵が装備していないアイテムの中から『戦利品』扱いでランダムに何割かを奪取できるシステムなのだ。

 言わずもがなだが、準備万端の敵と戦えば苦戦を強いられるのは間違いないだろう。しかしその分、殺害に成功した消耗品の報酬は折り紙付きで、ストレージに攻略用アイテムを溜め込んだ敵ほどリワードは高くなる。

 他では、強力なモンスターを乱獲してようやく手にしたレア素材を待ち伏せに()ってかすめ取られてしまうことも、あるいは不要なアイテムでストレージの大半を埋めて死亡罰則(デスペナ)を最小限の被害で抑えることも可能というわけだ。

 しかしそれらの基礎ルールすら把握していない今の俺は、やたらに得た報酬から、とりあえず《回復ポーション》だけ取り出して一服する。

 こればかりはどんなゲームでも役割は同じらしく、回復量も申し分ない。HP上限が定められているこの世界では、大半のヒール処置でゲージが全快しそうなものだが。

 

「(おっ、これ剣の鞘代わりになるのか)」

 

 粗雑な作りではあったが、武器を背中に収める剣帯ベルトも見つかったので、それを実体化した俺は大剣《エッケザックス》を背負いながら無傷のアルゴ、シリカと合流した。

 聞かれても言葉の内容を判別できないだろうが、《リメインライト》に意識が残っていることが判明したことから、俺達はそそくさと湖の外周を迂回して歩きながらようやく訪れた正真正銘の安息を満喫(まんきつ)する。

 俺は歩きながらふと感じた疑問で口を開いた。

 

「にしても最後、よく俺の考えが読めたな。大剣の能力も発動限界あるっぽいし、正直メイジ側の対処どうすりゃいいかわかんなかったんだよ」

「にゃっはっはっ、何年の付き合いと思ってんダ」

「2年だけど」

「マジメに答えんなヨ。その大剣の能力が制限付きなのは知らなかったケド、敵がこっちの頭数を読み違えていたのは明白だったからナ! 『デート』って言ってたシ。あとはシリカちゃんと口裏合わせて……ア! オレっちのストレージに《鉤爪(クロー)》カテゴリの武器もドロップしていたヨ。性能は悪くないみたいダ」

「へえ、使ってないやつなら武器まで落とすんだな。ともあれ、初っパナの戦闘でほぼ完勝できたのはデカい。これから物資も100パー現地調達になるだろうしよ」

「ウム、なおさら武器はありがたいナ。熟練度はカンストしてないケドそこそこ高いし、さすがに初期装備よりは強いだろウ。今度からはこいつを使ってみようカナ。そういえばシリカちゃんもなにか貰えタ?」

「あぅぅ、なにももらえませんでした。たぶん、攻撃してないからだと思います。まったくお2人の力になれませんでした……。足手まといですよね、わたし……」

 

 自慢げだったアルゴとは対照的に、終始うつむき気味だったシリカが小ぶりのツインテールを揺らしながら謝ってきた。

 何度も命を助けられた割に、活躍シーンの少なさから負い目でも感じているのだろう。だが俺とアルゴは視線を交わすと、頭を撫でながらなるべく優しく答えてやった。

 手に吸い付く猫耳が超絶気持ちいい。

 

「(やべっ、下心が……)……な、なに言ってんのさ。シリカがタイミングよく注意を引いたから、アルゴだって敵に張り付けたんだ。ラストアタックは2人の手柄みたいなもんだろう。……ああ、それにほら! 別にギルド組んでたわけじゃないし、ラスト決めた人にしかアイテム行かない仕様なんだよ、きっと」

「ムフフフ、聞いてた通りの謙虚さだネ。ケド、報いたいと思う気持ちが本当なら、きみの頑張りはむしろこれから試されるんだヨ!」

「アルゴさん……これから試されるとは、いったいどういう……?」

 

 せっかく楽しんでいた俺の手を払いどけて、逆に自分がモフモフと頬ずりしだしたスキンシップの激しいアルゴに戸惑いながらも、シリカはわずかに察した不穏なワードに反応した。

 その質問には、アルゴの代わりに人差し指を立てて真顔になった俺が口を挟む。

 

「言葉通りの意味さ。どうにかチーター野郎の追手をしのいで、さっきの2人組まで倒した。……けど、だからって別に現実へ戻れたわけじゃない。つまり根本的には何も解決してないってワケだ」

 

 険しい道を歩きながら、シリカが胸の前で拳を固く握りしめる。どうやら、言わんとすることは察したようだ。

 

「ソードアートにまぎれたクソな実験……まぁ、あいつらがどこまで干渉できるのかは知らんさ。……けど、攻撃はもう始まってる。すでに他プレイヤーとは意思ソツ-も難しい」

「はい。……さっきの人たち、まったく話すこともできませんでした。突然おそいかかってきて……」

 

 どうもこちらから先制攻撃をした扱いに見えたので突然おそいかかる、というワードには少々引っかかるところがあったが、俺は構わず続けた。

 

「でも悪いことばかりじゃない。現にこうして被験者を逃がしてるわけだし、奴らも無条件でこっちのアバターをいじくれるほど万能じゃない。それができるなら、『白い部屋』で目を覚ますこともなかっただろうさ」

「オレっち達同士なら今も話せてるしナ! それに彼らのスペルワードも、意味まではわからないケド、単語そのものが聞き取れなかったわけじゃないデショ?」

「アルゴの言う通り、こっちは聞けるってわけ。……どうにか現実世界の人間に事実を伝えて、んであのクソ研究者共をブタ箱にブチ込まないといけない。……やるしかねーだろ? 白い部屋にいた連中を助けてやれんのは、デカい木から飛び降りた俺らだけだ。それまでは絶対に勝ち続ける。モンスターだけじゃなくて、プレイヤーに対しても」

「はい……」

 

 死ねない冒険、という意味では根本的な解決どころか、むしろ何1つ前進していないのかもしれない。今までとまったく状況が変わっていないからだ。

 しかも俺の陰に隠れるように歩いているシリカには悪いが、ネガティブなニュースはこれだけではない。

 ひと口に勝つと言っても、事前にすべきことはたくさんある。

 サバイバルを制す上で覆すことのできない鉄の掟。ここが弱肉強食の世界であること。そして、自分の身は自分で守らねばならないということだ。

 

「そのためにも前線で通用する攻撃法や戦略を学んで、練習して、んでジッセンしていかないといけない。今までは上層のアクティベートを《攻略組》に任せることもできた……けど」

「ケド、今度はそれをシリカちゃんもやらなくちゃいけないんダ。生き残るための鉄則みたいなものだヨ。オレっちやジェイドも、ずっとシリカちゃんを守ってあげられるわけじゃないしネ」

「うぅっ……はい……その、とおりです……」

 

 俺のセリフを拾ったアルゴの言葉でまたもボソボソ声になりながら、それでもシリカは現実を少しずつ認識していた。

 その戸惑いを不憫(ふびん)に思ってやることはできる。シリカは今まで何らかのアクシデントが起きない限り……いや、仮に起きたとしても滅多なことでは負けない戦いを繰り返してきたのだ。

 愛くるしい使い魔を(かたわ)らに、女性である希少性まで重なると、意図せずとも有名人となった彼女にはギルドからのオファーも絶えなかったそうだ。自分の身を守る十分な技術がなくとも、誰かがフォローに入る基幹が形作られていた。

 そして堕落を覚えてしまったのだ。

 その知名度でほとんど苦労することもなく、俺と比較にならない人数の仲間を得て、日々を安全に暮らしていける潤沢(じゅんたく)な食事と住居が保証される。自主性のない受け身の態度で生活が成り立ってしまっていた。

 もちろんそれが不幸だとは思わない。本来10歳そこそこの少女には、むしろ当然与えられる安全と権利なのだろう。

 しかし一夜とたたず状況は一変してしまった。

 晴天の午後、討伐隊が48人(そろ)って75層のフロアボスに挑んだかと思えば、1時間足らずで突然SAOそのものがクリアされたなどとアナウンスが入り、目を覚ましたら真っ白な部屋で新たな陰謀に巻き込まれ、幾度となく降りかかる理不尽な激痛に耐え抜いたら、最後には《攻略組》と同じように戦っていかなくてはならない、そのための訓練をしろ、なんて言われたのだ。

 果てしない緊張と恐怖。そのストレスたるや饒舌(じょうぜつ)に尽くし難いだろう。

 最悪の事態でないのがレベル制の廃止で、一応シリカも努力次第では前線の者達に実力で肉薄することはできる、はずだ。少なくとも物理的に覆せない差は縮まったと見ていい。

 荷が重いのは重々承知。

 おまけに、今日以降の戦闘にリスクを背負っているプレイヤーは俺達だけという、まことにフザけたルール変更まである。旧SAOのようなゲームバランスでない以上、時には敵の自爆特攻すら()(くぐ)らねばならないだろう。

 だが決まってしまったものは仕方がない。あとはその処遇(しょぐう)に対し積極的に挑んでいくか、それとも消極的なまま尻込んでいるかの違いしかない。

 

「アルゴとシリカは小さいし、対人戦じゃそのリーチの短さが不利になることもある……けど、小柄なりの戦いようってものもあるんだ」

 

 俺はあえて声調を上げて説明を続けた。

 

「俺んとこのギルドにいた男2人も背は低かったけど、別に戦闘じゃガンガン前に出て攻撃してたしな。……ともあれ()り方に1番詳しいのは俺だから、テッテー的に鍛え上げてやる。2人とも覚悟しとけよ~。アルゴだって戦闘職じゃなかったんだ。たぶん俺のスパルタ教育で泣くぜ?」

「なっ、なにヲ~!? オレっちだってたまにはレベル上げとかしてたからナ! ジェイドに教わらなくたって自分で学ぶサ!」

「まったまたぁ。でも言っとくけど俺、この世界でのスピードの出し方コツつかんじゃったから。アルゴより速いから、いまの俺」

「ガーンっ!?」

「ぷ……あはははっ」

 

 子供のような言い合いを見てようやくシリカが笑ってくれた。

 その笑顔に、俺はほんの少しだけ安堵(あんど)する。かつて俺とヒスイが使い魔《ピナ》の蘇生を手伝った時、そしてその後攻略とは関係なく《圏内》での食事やショッピング、また体験談を聞かせてやるだけの雑談する風景で、彼女が誰にもまして魅力的だったのはその満面の笑顔だった。

 決して痛みにおびえる顔や怖れに伏す姿ではない。

 そんな当たり前の光景を、一時(いっとき)だけでも取り戻すことができたのだ。

 

「(やっとだ。やっとスタートラインに立った。……空の飛び方、魔法の使い方、覚えることなら俺だっていっぱいある。俺がこの3人パーティでリーダーをやるっつうなら、たぶん最高にキツいのは俺自身だろうな……)」

 

 覚悟はできたが、とにかく時間が惜しい。

 俺は歩きながら戦利品の説明欄と魔法の扱いなどについて、文字化けした邪魔なアイテムを無視しウィンドウを操作しながら頭に叩き込んでいた。

 注目すべき点がいくつかあった。

 対策を立てる中で特に想定外だったのが、魔法の発動の難しさだ。

 戦闘中、敵はスペルワードを唱え切る前に何度か発動し損ねていた。だがそれもそのはずで、長い上に1つ1つが覚えづらいのである。おまけに英語ですらない。

 いったい誰がこんな難解な言語をわざわざ選んだのかは知らないが、あえて想像するなら、きっとこのファンタジーワールドを魔法でひしめく一色の世界にしたくなかったのだろう。

 空中戦闘(エアレイド)の際、VRワールドでは空を飛ぶ機械、例えば飛行機などの操縦席でもかなり難度の高い操縦技術を要求される。

 魔法を唱えながら高速で空中移動し、剣や盾を構えて接近戦もこなす必要が出てくる。そうなれば、ほとんど廃ゲーマーにしか辿(たど)り着けない、ビギナー殺しの排他的な境地となるに違いない。

 その難しさは片手に飛行補助コントローラを持った状態でも例外ではない。先ほど身を(てい)して体験したし、上で戦った反則のメガネ野郎とて『唱える過程』をすっ飛ばすチートを活用していた。

 すなわち、それが充分なチート行為足り得る証左。しかしだからと言って、滞空したまま《魔力(マナ)ポーション》でも飲みながら魔法をガンガン発動されては、それだけで戦闘の全てが完結してしまう。アイテムと人数で戦う前から勝敗が決まる、まさしく物量戦至上の光景が広がってしまうわけだ。

 だから苦肉の策として講じられた案が、この発音しづらいスペルワードなのだろう。

 おかげで接近戦を全否定することもなく、かといって呪文が長いだけならアバター操作などの生まれ持っての得意不得意は介在しないので、反復練習でいくらでも上手になれる。この仕様にはVRゲー初心者も言い訳できまい。

 しかし個人的にこれは嬉しくない。俺やアルゴの種族にも初期から与えられる魔法があったのだが、次の戦闘にでも魔法を導入してやろうという皮算用はこれで白紙だ。

 そしてブツクサと文句を言う俺は、さっそく脇道への注意が散漫になってしまった。

 

「じ、ジェイドさんたち!? 敵が来てます!!」

『なにッ!?』

 

 約20メートル先、鬱蒼(うっそう)と生えた1メートル以上ある硬い草木をかき分け、のっしのっしと歩いてきた四足歩行のモンスター。ギョロッとした目によだれをたらし続ける長い口、大型犬の5倍はくだらない体躯(たいく)悠然(ゆうぜん)と晒し、同じく暗いヒョウ柄を灰色に色付けされた足の筋肉を惜しげもなく披露(ひろう)した。

 モッフモフの灰色の体毛が目算を邪魔するが、おそらく尻尾まで含めた全長は約7メートル。昆虫のような翅は見当たらない――つまり空中戦を行えない――ものの、明らかに一帯に棲息する他の生物を蹂躙(じゅうりん)できるほど高レベルの狼型モンスターと見て取れる。

 こちらの存在に気づくと、口から副流煙のような白い息を吐いて低音の唸りをあげた。

 なぜかアルゴが顔面を真っ青にし、ついでに彼女を標的にしたのか正面を向き、数百キロとありそうな重心を下げた。

 

『グルオオオアアアアアアッ!!!!』

「にゃ、にっ、にぎゃぁああああああ!?!?」

「くそ、来るぞ! ここは逃げよう!! みんな全力で走れェッ!!」

 

 誰よりも必死に逃げ出したアルゴに若干首を(かし)げたが、俺達は川に沿って歩いていたので、深い考えもなしにその1本道を走り出していた。

 しかしそれが失敗だった。

 身を隠す場所が見当たらないのは、背の高い木々が壁のように乱立しているせいで視界が悪いから。なんていう、安直な考えがあったのである。

 だがたった1回角を曲がった先に見えたのは、『崖の端っこ』以外に比喩(ひゆ)しようのない完璧なる行き止まり。代わり映えのない空の景色だった。川の水が大量に流れているのに滝の音が聞こえないと思ったら、なんと水が空中で分散しているだけだったというギャグみたいなオチまでつていた。つまり『それほどの高度』だということだろう。

 いつだって現実は非道だ。

 その非道な仕打ちを目にして、右に並んで走るシリカが泣きそうな声になりながら助けを求めてきた。

 

「ジェイドさん! ジェイドさん! 道がないんですけどぉ!!」

「……うーっし、シリカ! 高いところは苦手じゃないよな!?」

「別に普通ですけど! ここは苦手って答えておきますー!」

「左手は剣を握るように、こう! スティックが出てもまだ力はいれるな! 翅が見えただろう!! 俺が合図したら全力でガケから飛んで……っ」

「イヤです無理です飛べないです!」

 

 猛然と迫るビッグオオカミ(今命名)から全速力で逃げながら、シリカはイヤイヤと首を振って抗議してくる。

 まったくこいつも往生際が悪い、ここまで来たら飛ぶしかないだろうに。アルゴを見習ってほしいものだ。飛行初挑戦の彼女が高さ数百メートル位置から命綱なしのスカイダイブをするというのに、「に”ゃははは! に”ゃーはっははははっ!!」と壊れたように笑う余裕すらあるご様子。

 ……むむう。震えているようにも見えるが、まあよっぽど気のせいだろう。

 俺は問答無用でシリカの服を右手で掴むと、残り数メートルで自分の『飛行補助コントローラ』も実体化しながら空を駆けあがる準備した。

 シリカが焦る。

 アルゴも焦る。

 

「ひえぇええええ!!」

「た、タ、高いぁい!? でも犬はいやぁああアアアアアアア!!」

「全員飛べェええッ!!」

 

 ダダンッ!! と、むき出しの岩石を踏みしめる音と絶叫が重なってこだました。直後に後ろで岩をも噛み砕く破砕音が聞こえてきたが振り向く勇気はない。

 足が離れた瞬間、またもタマ(・・)が浮くような浮遊感が襲ってきた。

 荒れた砂場や豊かな新緑の混ざったジャングルが消えると、景色がガラリと変わる。水に濡れつつもゴツゴツと褶曲(しゅうきょく)した岩肌と空中分散する滝、そして大きな虹の向こうには浅い水溜りのようなものだけが見えた。

 初めにデカい木からやった『身投げ』のように長考する時間はない。

 地面が迫る。

 

「スティック引くぞ! 力いっぱい、今ッ!!」

「わあぁあああああっ!!」

 

 掛け声と同時に彼女達が左手を手前に寄せる。

 すると、すでに十分な加速を得ていた黄土色の4枚翅はブオォウッ!! と景気よく振動音を発し、俺とほぼ同じタイミングで大空へ飛翔(ひしょう)した。

 風を切るような澄んだ音。そして重力が3倍に跳ね上がったのかと疑うような加圧。

 だがその先に待っていたのは、圧倒的な解放感だった。

 人が生身で、少なくとも何らかの飛行マシーンを身にまとわず空を飛ぶという、はるか大昔から夢見てきた人類の挑戦が仮想世界で成った瞬間だ。

 チラリとアルゴの方を見てみたが、彼女はなんだかんだと言いつつ狼型モンスターのことを忘れ、早速翅の動かし方やバランスのとり方を吸収し始め、涙目のまま俺にブイサインを送る余裕まで見せた。元《攻略組》らしい納得の対応力である。

 そしてシリカもようやくつぶっていた眼を開けると、その神秘的な光景に一瞬で見入っていた。

 数十メートル先の地面がいつまでも遠く、どんどん流れていく。言葉の(あや)ではなくまさにマップを鳥瞰(ちょうかん)している感動。今までは高レベルのプレイヤーがスピード感のあるダッシュで風を置き去りにすることもできたが、自由に空を舞う解放感とはやはり比較にならないだろう。

 風を受けながら、それでもシリカは驚嘆(きょうたん)を口にした。

 

「す、すごい……。それにこの飛行! 思っていたよりずっと速いんですね……!!」

「それな。移動楽にしすぎだよこれ。さっきはイヤがってたけど、飛んでみるのも悪くないもんだろ? おーい! アルゴはそんな速度だして大丈夫かー!」

「オレっちは平気ダー! ニャッハッハッハ、しかし楽しいなーコレぇ! こんな翅に加えて転移魔法か結晶やらあるなラ、逃げるのも楽なんじゃないカー!」

「あっはっは、あったらなぁ! でも、フィールド面積なんていくらあっても足りんだろう! ないんじゃねぇのー、たぶん!」

 

 実際この予想は正しかったわけだが。

 四方から突発的にやって来る風をいなしながらも、俺達にはよそ見をして雑談する余裕まで生まれつつあった。

 それを自覚すると不思議なことに視野も広がるようで、首下から肩甲骨にかけて力んでいる筋肉があることに気が付いた。飛翔行為はそんなに慣れたものではないが、やはり地上を歩く際も背中にこんな感覚を感じることはなかった。

 だとすれば……、

 

「(さてはこれが『手無し運転』のロジックだなぁ? 浅黒い肌のイケメンがやってたやつだ。他の奴にできるなら俺だって……)」

 

 恐る恐るスティックの傾きを浅く戻していき、浮力が落ちて翅にのしかかる負荷を背中の筋肉に集中させてみる。

 体と武器の重量が徐々に左手から移り変わっていく感覚を覚えると、俺は意図的にバランスを崩してみるなどして、背筋と肩甲骨周りの筋の動かし方を強制的に頭に叩き込んだ。

 想像していたより(はる)かに難しい。同じことを繰り返しているようで、直進以外の行動に出たとたん風にあおられてフラついてしまうのだ。しかも集中力の大半を背筋に回しているからこそ滑空(かっくう)程度を可能にしているのであって、わずかな旋回やアップダウンで剣を構えることすら困難になる状態では、むしろ使わない方がマシだ。

 しかし、本来これが習得まで時を重ねるべき上級技術だったとして、やはり俺達は早い段階で実戦投入せざるを得ないだろう。

 ここはいわゆるオープンワールドであり、敵は生身があるプレイヤーであり、その本質は略奪やPKが横行するスキル制オンラインゲームである。

 自由な探索とシームレスなフィールド。踏み込む場所を間違えればダンジョン侵入後数分で強敵に出会うこともあるはずだ。レベル、ランクマッチ機能が未搭載なら、サービス開始直後からプレイする古参連中とたった今から会敵する可能性だってゼロではない。レトロなコンシューマRPGで見かける、低レベルの確殺スライムからチマチマポイントを稼いで準備、なんて日和(ひよ)ったこともできない。

 であるのなら、勝利し続けることが生存条件にあるこの3人パーティは、この瞬間から連中を蹴散らせる熟練者たらねばならないのだ。

 せっかくの景色だが、遊覧飛行をしに来たのではない。

 俺はめげずにチャレンジすることで、どうにか両手に何も持たず飛行する感覚を掴んでいた。

 

「……うーし、だいたいわかってきたぞ。手無し運転のコツ」

「さっきから何やってるのかと思ったら、コントローラしまったまま飛んでたのカ。……ウオゥ!? なんだコレ! 移動に背中の筋肉とかあんまり使わないし、もしかしてメッチャ難易度高いんじゃないカ!?」

「こっ、これはっ……ちょっと、わたしには無理みたいですね……きゃあ!? へ、ヘタすると落ちちゃいますよこれ!」

「弱気になるなってシリカ、なんでも練習だ。意識は背中! 顔は前見て!」

 

 蛇行するシリカの前を陣取ると、『後ろにバックしたまま手無し運転』をして、なるべく俺が体得した感覚をレクチャーしてやる。

 

「ほらほら、背中じゃなくて俺を見ろシリカ。いいか、風が来たらそれに乗るだけ。来なくなったら首すぼめるような感じで、思い切って腕回す感じ!」

「そんなこと言われたって……こ、こうですか? わわっ!?」

「おう、今のは惜しいぞ! ちょっと力みすぎだ! コントローラは出したままでいいから、今後は右手にダガー持った状態で……」

「おいジェイド! 前見ろって、前! モンスターの大群だゾ!?」

「うげぇっ!? またかよオイ!」

 

 アルゴの指摘に、レクチャーを中止してグラつきながら反転。現れたのは2時の方向、視界ギリギリに展開するのはまさしく昆虫タイプの大群だった。ケットシーならではの優れた視力が羨ましい。

 イナゴの群生地にでも立ち入ってしまったのか、羽音も聞こえない距離でいち早く発見した功績に感動する間もなく、俺は背負っていたペイルブルーの結晶大剣を三度(みたび)引き抜く。

 はっきり言って、体はとうに限界である。クォーターのフロアボス《スカルリーパー》や、皆を裏切り魔王として立ちはだかったヒースクリフ。そしてデバック用のバカ強いMobや、無敵のメガネ男との連戦から数時間とたっていない。

 ましてや本物の身体ダメージやら、大気圏層すれすれの高さからパラシュートも持たず自由落下する恐怖まで味わっている。

 それでも戦いは絶えない。そして大剣を手にした俺にはできることがある。

 ならば答えは単純だ。

 

「ッしゃあ、『手無し』練習の景気づけにすんぞクソッタレがァ!! アルゴはシリカ守って低空飛んでろ! ポーション飲むタイミングだけスイッチだ!」

「わ、わかっタ。無理すんなヨ……ッ!!」

「頑張ってくださいジェイドさん!」

 

 接近。激突まで数秒前。

 俺はもう、キレていた。

 

「いい加減にしろやゴルアァアアアアッ!!」

 

 全力で大剣を振りかぶる。

 バキバキバキィイイ!! と、最初の一振りで何体かに命中した。

 昆虫の翅やら触覚やら脚やら体液やらが宙を舞い、それらが飛沫(ひまつ)となって顔面を緑色に塗り上げることすらいとわなかった。

 むしろ注目すべきは、一撃で死んだ奴と死ななかった奴がいる点だ。

 スピードの算出法に仮説は立てられたが、攻撃のそれはまだだった。しかしブレード部分に触れた瞬間、カタログスペック通りのダメージが出ていないということは、ヒット箇所や強弱も影響されるというわけだ。

 当たれば倒せる、といった単純な理屈は通じない。ヒット箇所やその強弱いかんによっては、倒す/倒せないの境界を往復することさえ起こり得る。なにしろ、この世界における武器性能の差は、レベル制のアインクラッド時よりはるかに幅が狭いのだから。

 そこまで一瞬で考えると、悲鳴を上げる全身の筋肉を無視して鋭角カーブで乱数回避を心掛けた。

 というより、『手無し運転』が雑すぎて勝手にそうなった。

 しかしグロいのもキモいのも慣れっこだ。エイリアンのような口角と毛の生えた複眼に無慈悲な結晶塊を叩きこむと、その反動を利用してまた突進攻撃を回避。スティックのボタンを押し込んだだけでは到底出しえないスピードが加算され、俺はイナゴどもを追随(ついずい)させない速度で垂直急上昇(ズーム)した。

 肩甲骨から延びる仮想の筋肉が震えると、あっという間に雲の高さまで到達。

 

「(エグい加速だったぞ、今!?)」

 

 自分で言うのもなんだが、実際に凄まじいスピードだった。心理的圧迫のせいで、理性が先に減速をかけてしまいそうになる。

 まさか手無し運転によってスピードの上限まで飛躍的に上がってしまうとは。これはますます上級者の必須システム外スキルだろう。直線距離を稼いでようやく速度を出せるだけの俺は、戦闘ではまだまだ論外である。

 だがスピードの恐怖にどうにか打ち勝つと、敵を引き離した俺はいったん全体配置を見直した。

 大群と言っても、どうやら捕獲されなければダメージを負うことはないらしい。こういうのは大量に張り付かれると確定死するのが定石だが、比較的AIが低く設定された弱小モンスターによる編成と見ていいようだ。

 だとすれば恐れることはない。

 

「ぐ、ォおおおおっ!!」

 

 再接近するとザク! ドガ! グッチャア!! という効果音がぴったりなほど、俺は何の容赦もなく《エッケザックス》を食い込ませた。

 リーチでもスピードでも劣る劣等種を一方的に圧殺できる爽快感。しかし、そんなストレス発散に夢中になっていると、アルゴやシリカにも数匹向かっていることに気づき遅れてしまった。

 一瞬ヒヤリとしかけたが、救助に向かう直前で思い直す。

 

「アルゴ! シリカ! 逃げてばっかいないで武器を持て!!」

「ええっ!? 助けてくれないんですかぁ!?」

「薄情者ー! 大剣持ってるのはお前しかいないんだゾー!」

「武器の性能は関係ない! ここはSAOじゃないんだっ!! 当てる場所! 速度や角度を見ろ! いい機会だ、動きを見て戦え!!」

 

 俺が喝を入れると、アルゴ達が先ほど強奪した《クロー》をたどたどしく右手に装着し、意を決したように武器を構えた。たった今思い出したが、左利きのアルゴはスティックによって利き手を封じられてしまうことになるため、右手での攻撃強制はかなり不自由な戦いになるはずだ。

 だが飛行と空戦の同時練習ができるなんて、ピンチどころかチャンスととらえるべきだろう。

 左にはまだスティックを握りしめているがそれで十分。重要なのは先入観による苦手意識を克服し、このイナゴ共で超基礎的な飛び方とエアレイドをマスターしきること。利き手で攻撃できるようになるためにも、いち早く『手無し運転』に移行できればベスト。

 時折密集した敵だけを払いどけながら、俺は祈るような気持ちで戦況を眺めた。

 彼女達は肉薄するモンスターに対し、果敢にダガーとクローを振り回している。自身のそれを含め飛び方にまだ不安は残るが、やらねば殺られる状況を前に見事な対応をしていた。

 アルゴに至ってはヒット直前の際どいところで前宙しながら跳ね上がると、アクロバティックなクイックターンで敵を屠っていた。これがコントローラなしにできれば言うことなしである。

 

「いいぞ! 飛ぶことと敵を見ることを同時にこなすんだ! 慣れたら剣なんて後からついてくる!」

「適当言うなッテ! ていうか左を塞がれてるカラ、飛行はできても攻撃がイマイチに……ウヒャぁっ!? くっ……コラー!! もっと手伝ェ!!」

 

 厳しいようだが、甘やかしても抜本的な解決にはならない。

 アルゴの嘆願はスルーしたが、さすがに数が減ると敵も学ぶのか残り数匹となった時点で自らご退場してもらえた。

 わずかな静寂と、『スキルポイントを獲得しました。これは各スキルの《熟練度》を成長させるポイントで、1度振り分けてしまうと……』ナンタラカンタラという、また新しい特有の要素を機械音声が説明してきた。

 とは言えこれもいわゆるリザルトだろう。これで正真正銘の平和が……、

 

「(いや待てっ……)……おい2人とも! 気ィ抜くな、まだいるぞ!」

 

 高々度からアルゴを見下ろす先に、小さな影がチラチラ覗いていたのだ。

 またも黒と茶色基調の服を着た3人の男性プレイヤー。彼らは木々の隙間を()うように……否、全速力でこちらに向け走ってきている。

 しかしこれは好機でもある。もし彼らが攻略に全力でなく暇をしていて、強制デバフアタックをされても怒らない人種という奇跡的な幸運が重なれば、あるいはここでゲーム終了になるやもしれない。

 だが「おーい! そこのプレイヤー!」と声を張り上げるも、薄っぺらい希望ははかなく散った。

 

「おおっ、ラッキー!! やっぱり他の奴いたじゃん!」

「だろう!? 読み通りだっ!!」

「トレインして逃げようぜ、ここまで来てデスペナはもう嫌だー!」

 

 前を走る1人は俺の呼びかけにも当然無視。しかもとんでもないことまで言い出した。

 そもそも今の俺は話しかけても意味がないことを思い出していたが、それよりも不運だったのは、彼らが3人とも普通にモンスターの押しつけ(トレイン)をしてくる害悪連中だったということだろう。

 やれやれ、休憩なしでここまで頑張ってきたのにこの扱いだ。どいつもこいつも行儀がなっていない。

 よく見ると、すぐ後ろに二足歩行する筋肉ムキムキ全長2メートルのトカゲ型ボクサーと、ケツに胴体と同じ大きさの針を持つ1メートル以上のチョウチョ型のバケモノが何体も張り付いている。翅があるのになぜ地上をコソコソ走っているかは知らないが、こうなったらもろとも成敗してやるとしよう。

 

「走ってるのにもワケがありそうだナ。……こ、こっち来てるゾ!?」

「どうしましょうジェイドさん! 彼らも話を聞いてくれそうには……っ」

「ああーってるよ! ったく、厄日だろこれはさァ!!」

 

 逃げの選択肢はない。何の効果がはたらいているかは知らないが、モンスターのターゲティングがすでに俺達に移り変わっていたのだ。

 碧落(へきらく)に輝く大剣《エッケザックス》を構えながら、意を決した俺は集団に向かって全力で急降下(ダイブ)した。

 恐怖を組み伏せ、重力に『乗る』。

 脳が歯車を噛み合わせると、翅の高速振動でさらに加速。

 ガッシュンッ!! 風ごと斬るような斬撃音がした。

 ようやく空中戦に移ろうとした男1人をすれ違いの一瞬で斬り殺すと、その悲鳴を後ろに放置して地面に激突。ゴッガァッ!! と、凄まじい土煙をあげた。

 そして、そのエネルギーすら殺さず距離を詰める。

 

「うわっ!? 向こうから来やがった!」

「なんかゲームでマジになってんぞコイツ!?」

 

 愚かにも片方は慌ててスペルを唱えだすが、彼我の差はあと数メートル。よほど今まで魔法に頼ってきたのだろう。

 だが知ったことではない。

 

「マジでワリィかッ!!」

 

 出力できる限界速で接近すると、固く握りしめた拳で相手の顔面をブン殴る。

 すると奴はゴッシャア、と泥だらけの地面に顔からスライディングした。

 剣で斬るのは納得できても、素手で暴力は納得できなかったのだろう。よもやアバター越しとはいえいい大人が殴られるとは思わなかったのか、骨に響くようなゲンコツに対し、突然キレた俺に向かって男達は怨声(えんせい)を浴びせだす。

 しかし敵の事情に構うことはない。

 尻もちをつく敵の鼻ツラに結晶塊を押し込んでバッサリ潰し捨てると、同時にラスト1人の頭を全力の上段回し蹴りでぶっ飛ばし、迫っていたモンスター集団への片道切符をくれてやった。

 さすがに目の前まで接近されると防衛機能が作動するのか、敵集団は手序(てつい)でとばかりに男を攻撃し、情けない絶叫と共に彼は間もなく炎に包まれた。

 

「っしゃあオラァ!! 死ねやカスがァーッ!!」

 

 3対1で圧勝。肩で息をしつつ、腹の底から大音量で快哉(かいさい)を吐き出すと、ついにモンスター集団が俺に攻撃してきた。

 麻痺(まひ)しだした腕を動かし、それでも俺はすかさず応戦する。

 発射される極太の針を(かわ)し、わずかに伸縮するムキムキのパンチをかいくぐり、一筋だけ見えた反撃の瞬間に己の大剣を叩きこむ。その一振り一振りが、この世の理不尽な暴力への対抗だった。

 舞うポリゴン片のしぶきに、削られていく命のゲージ。接写した映像がゆっくり流れるような世界で自分の叫び声すら遠のく。

 絶え間なく続く剣戟(けんげき)

 それでもまだ動く腕があるなら。振れる刃があるなら。そして……その先に、愛する人が待っているのなら。

 

「死ねねェンだよ、俺はァあああッ!!」

 

 ズッガァアアアアッ!!!! と、とうとう視界に映るすべての敵を両断する轟音が響いた。

 荒い呼吸で(あえ)ぎながらも、どうにか地に膝をつくことには耐える。だが散らばるモンスターの肉片を踏み潰し、それがポリゴンデータとなって消えたところで、俺は本当の地獄を知った。

 

「そんな……ジェイドさん! ダメです、まだたくさんいます!」

「別の方角ダ。今度のはでかイ! ……そ、そんナ……大きさだけならボスクラスだゾ! 早く逃げよウ!!」

「ハァ……ハッ……ハァ……オイどうなって、やがる……っ!?」

 

 まだ空中にいるアルゴ達が信じられないことを言い出したのだ。

 立っているのもやっとになるほど消耗(しょうもう)したというのに、潰せど潰せど湧いてきやがる。

 くそったれだ。確かに木々の揺れと地響きらしき音まで確認できる。

 これがもし俺達を狙って行動している大型の敵性ユニットなら、このエンカウント率は明らかに異常だ。過酷な戦況なんて段階を逸脱(いつだつ)している。まさかこのゲームはフィールドに出た途端、初心者が数分たりとも生き残れない極悪難度に設定されているとでもいうのか。 

 

「(……くそっ、ンなワケないか。何かイジってやがる……!!)」

 

 俺やアルゴも、まだ『プレイヤー』というパーソナリティを持っているはずだ。それは装備や戦闘システムの制限、各リザルト画面を考慮すれば確信できる。

 だが何らかの要因をトリガーに、モンスターのターゲティングを最優先に設定されているのもまた事実。それらの原因を探し出し破棄する、変更する、譲渡(じょうと)するなどして対策しない限り、休憩はおろか食事や睡眠もままならないのだ。

 あるいはそんな余地もないのであれば、その先には不眠不休の強制戦闘生活が待っている。永遠に逃げ惑い、永遠に追われ、永遠に戦い、輻輳(ふくそう)する敵を撃破すると息継ぎもなしに次のサイクルが始まる。憤懣(ふんまん)やる方無いストレスと暴挙に踏み殺されるまで無限に続く悪夢。

 無論、それは人類に耐えられる所業ではない。

 

「(もう……十分やったろう。他に誰がここまでできたよ? クソっ、ここであきらめたって……ヤッチーの奴も許してくれるさ……)」

 

 空を仰ぎ気が抜けた瞬間、本当に意識が飛びかけた。気持ちいい風と共に流れる、消え入るような安らかな(いとま)。優しく包み込むような睡魔に、何の抵抗もなく頭の芯にある大事なスイッチを捧げたくなる。

 しかし俺は、それらを気合いで打ち消した。

 まだだ。

 まだ俺には守らなくてはならない人が、会わなくてはならない人がいる。

 目をつぶるとヒスイの笑顔が一瞬だけ脳裏に映った。彼女の笑顔に触れ、(いや)されるような声を聞き、そして本当の名前を知るまでは戦いは終わらない。

 『ミカドメ』、と彼女は言ったか。たったこれだけの情報ではシロウトが人探しなどできないのかもしれない。

 だがシロかクロかなぞ関係ない。絶対に探し出して見せる。

 そんな、焼き付くような想いが膨れ上がった。

 

「アルゴ、シリカ、くらった分は回復しとけ。幸いプレイヤー倒した時の報酬は大半が回復ポーションと魔力ポーションだ。負けない限り底はつかないさ」

「で、でもこれからどうするんですか……? いくら回復しても、ずっと戦い続けることなんてできませんよ?」

「一定の規則のもとで俺達は狙われている。……なんか原因があるんだ。他のプレイヤーにはない、俺達にしかない特徴が。何でもアリならとっくに意識ごと持っていかれているさ。……クソ、あるはずだ。絶対に! そいつを探して、少なくともこの集中狙いを止める!」

 

 力強く踏み込むと、俺は語気も荒く空へ飛びだした。

 もちろん両手は空いたままだ。このスティックに頼らない背筋と肩甲骨の筋を使った『手無し運転』も、コツさえ掴んでしまえばあとは反復練習。まだ飛び始めて数回の俺とて、独特な移動法には慣れてきている。

 あとはアルゴ達にもそれを実践してもらい、避けるべき戦闘を避けられるようになれば、比較にならないほど生存率も上がるだろう。

 そこまで考えた直後、ゴッパァアアアッ!! と木の枝が無数に付近を()いだ。

 自立移動できる大木の妖怪である。その大型Mobが触手のような多腕攻撃を仕掛けてきたのだ。

 まともにぶつかれば骨の折れる作業となろうが、相手が飛べないのなら取り合うことはない。なるべくランダムな機動で注意を引いてやると、折りを見て一気に加速。鈍足なモンスターを瞬時に引き離してやった。

 一行が高度を上げると地響きのような足音が遠ざかる。崖から飛ぶ前に襲ってきたビッグオオカミも然り、中には飛行に移るだけで振り切れてしまうモンスターもいるようだ。

 そんな思考を読み取ったように、アルゴが嬉しそうに口を開いた。

 

「このまま飛べば陸でしか動けない敵はいないも同然だナ! オレっち達からすればありがたいガ、集中狙いさえなくなれば随分とヌルいゲームだヨ!」

「はい! わたしもだいぶ飛ぶのになれてきました! スティックありならダガーを構えたままでもなんとか飛べます。それに、なしで飛べるようになれば、もっと早く飛べるんですよねジェイドさん! ……あれ、ジェイドさん……?」

「……なにかがおかしい。2人もそう思わないか!? 宙に浮いてる島らしきモノもないし、飛行しているNPC的なのもいない。まだ見つけてないだけか……仮にも飛べるのがウリのゲームだぜ!? わざわざ地上しか移動できない敵を配置するのも……のわっ!?」

 

 俺が慌てたような声をあげたのは、急に翅の推進力が落ちたように感じたのだ。スマホのバッテリーの充電が少なくなった時に低電力モードになる感覚が近いだろうか。

 だが減速しだした体はさらに鉛のように重くなっていった。

 

「なっ、なんか下に落ち始めてます!? スティックを引いても!」

「全員いったん地上に降りるぞ! 高度下げろ!」

 

 とっさに背中を見ると、やはり翅の周りにチラついていた光燐(こうりん)がない。

 嫌な予感に従って全員が一斉に急速ダイブしだが、程度の差こそあれほとんど半ばあたりで完全に飛翔力が失われ、翅から得られる浮力が途絶えてしまった。

 いい加減しつこいくらいに味わった自由落下。

 しかし今度は3人とも慌てることなく背の高い木の枝などを利用し、無様ではあったが各々速度を和らげながらドサッドサッ、と地面に落下した。

 

「ぐわ……く……くそったれ、滞空制限があるのかよッ! どーりでさっきの連中が下を走ってたわけだ……ッ」

「い、いった~い。ケホッ……うぅっぷ……なんか、これ……ずっと飛んでるとヨいますね。……ああもう! ホントに、今日は1日最悪です!」

「酔う、ナ……確かニ。ケド……オイお前サン達、さっそく敵サンのお出ましだゾ」

 

 立ち上がりで少しおぼつかなくなる。なるほど、慣れないうちは本当に三半規管も狂わされるらしい。飛行機に乗って遠出、なんて贅沢ができる家庭で育っていないので、《飛行酔い》なんて初めての経験である。

 しかも物理的な絶望もそこにはあった。土や(ほこり)を払う暇もなく、気づけばけたたましい音に吸い寄せられた魑魅魍魎(ちみもうりょう)のモンスター群が四方を囲んでいたのだ。一切隠れようとしない派手な空中移動でここら一帯のモンスターでも釣ってしまったのか、走って逃げられる量ではない。

 敵も手を抜く気はないらしい。息が整う間も与えないと来た。

 なるほど、なるほど。

 

「(よくわかったぜ、カスが。上等だ……!!)」

 

 背中の大剣を抜刀しながら、俺は思わず不敵な笑いが込み上げてきた。

 リミットのない飛行能力なんてものは存在しない。おかしいのはモンスターによるこの集中狙いだけで、他は極めて精巧に考え抜かれたゲームバランスの上に成り立っているのだろう。

 だとしたらやることは明確だ。

 

「こいつら殺して、何としても生き延びるぞ!! 全員構えろォ!!」

 

 無限湧きする大群との激突が繰り返される。

 戦いは終わらない。茅場晶彦が用意した仮想の舞台は何者かによって引き継がれ、冷酷な凶具が飛び交う新しい大空のステージに移行した。

 しかし、それがいかに厳しい条件下にある一方的な暴力だったとして、きっと俺は剣を握り続けるだろう。

 それぞれの誓いを胸に、これまで争ってきた足跡を否定しないためにも。

 

 

 

 


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