西暦2023年2月13日、浮遊城第10層。
「撤退に入る。各隊に伝えろ」
「了解です……退却! 退却命令!」
「退けぇ! 各位戦闘中止! 退却命令出てるぞぉ!」
ボスの部屋に響く野太い男達の声でプレイヤーが次々に撤退戦に入る。
当然、ただ武器を仕舞って出口に走れば逃げられるわけではない。というのも、ボス部屋は例外なく広く、闇雲に背を向けると一網打尽にあうからである。
各自細心の注意を払い、陣形を崩さずに統制された動きのままジリジリと後ずさる。2分ほどの時間をかけ、ようやく攻略隊全員が出口を通った。
「……ハァ……ハァ……」
「……ゼィ……くっそ……今回も……偵察……止まりか」
「……ハァ……だけど……ゼィ……無駄じゃなかった……」
息も切れ切れに腰を落としながら、各々が悪態と状況整理を同時に吐いている。
今日1日かけて行ったボス戦は1回目が偵察、2回目が完全攻略の予定だった。しかし、ボスの予想以上の強さに再び撤退を余儀なくされていた。
「(しゃあねえわな……なんせ前回が……)」
俺達が討伐のために後一歩が踏み出せない理由。それは前層……つまり、9層ボス攻略の際に1層以来の『死者』を出してしまったからだ。
記憶に新しい分、あるいは1層時と討伐メンバーがほとんど変わっているからか、ボス戦における死者への耐性の無さが災いして、今プレイヤー達は必要以上に慎重になっている。
そこへ今回のレイド参加者である、相変わらず真っ黒な装備をしたキリトが俺に話しかけてきた。
「にしても、やるなあいつら。プレイヤーのモチベーションがどうとかの前に結構強いぞ」
「あ、ああ。色々あん時に比べて予定にない動きが混じってる……ま、わかっちゃいたけどな」
キリトのぼやきには俺も同意するが、一口に強いと言っても苦戦の理由は多々ある。
まず俺の言うところの『あん時』とは、周りに配慮して言葉を濁してあるがβテストの時のことだ。参加しなかった層もあったが、聞いた話だと第1層から第9層までのボスには、正式サービスと比べ攻撃モーションやスペックに100%何らかの変更点があった。
今回も『ボスが2体』と言うところまではNPCがベータの時に言っていたことと同じだ。
しかしそれからはかなり違っている。おそらく、ベータ時代に例え何層まで上がっていても変えていたのだろう。
「1段毎にパターン変えるのは厄介ね……」
隣に座っていたヒスイがそう言った。寄せ集めパーティなので彼女もここに含まれる。
そして彼女の言う通り、3メートル以上ある阿吽の銅像は、見た目の異形具合より
ボスは銅のような肉質を持つ、推定3.5メートルほどの仏像である。固い肉質を持つ割りになぜか甲冑を着込んでいて、弱点は打撃属性。彼らは阿吽像の顔をしていて、それぞれ右手と左手に持つ《オオダチ》から繰り出される攻撃は《カタナ》専用ソードスキル。つまりボスは人間の倍の大きさの侍のような奴らなのだ。
ここで問題なのは、ヒスイの言った『HPゲージ1段毎に攻撃パターンを変える』と言うもの。阿吽像2体はHPゲージを3段で表示している。ボスのゲージが3段はアベレージでみると少なく思えるが、2体はそれぞれが普通のボス並のステータスを持っていた。
そこへ先ほどの特徴である。
正確に表現するなら1段毎に攻撃パターンを『増やす』こいつらは、総合的に今までのボスの中で1番強力と言っても過言ではないだろう。階層が上がれば強くなると言う意味ではなく、プレイヤーの平均レベルの上昇を加味した上で相対的に強い。
話を戻すが、実は奴らのこの行動、βテストの時と比べて所々に変更点が設けられているのである。
10層ボス直前で期限が来てしまっているのでテスターがボスを直接見たわけではないが、あの時のNPCがもたらした情報通りならβテストの時は最終段まで行動パターンは変えないものと思われていた。にも関わらず、奴らは1段毎に面倒な攻撃を増やしてきている。
「でも、今のでやっと最終段の動きも見えたな」
「ああ。今日はもう無理だろうけど、アスナとエギルはいないから結局明日もこのメンバーか」
「そうね……流石にパターン多いから実際に目で見ないと。このボス相手に手順を口頭説明しただけじゃ危険だわ」
その意見には2人で頷く。
ちなみに、なぜアスナやエギルがいないのか。正確にはディアベル残党とも言えるキバオウの率いるギルド、《アインクラッド解放隊》やリンドの率いるギルド、《ドラゴンナイツ》がフルメンバーでないのか、それはボス攻略の際のプレイヤーレイドの上限が48人と決まっているからである。
もっとも1つのレイド上限というだけで、それ以上の人数で攻め込むことも不可能ではない。しかしその場合、システム的メリットの
司令塔を統一されていなければ、数にものを言わせて勝つことができても乱戦の中で死者を出す恐れがあるのだ。
よって、時間がかかろうとも堅実にヒールとアタックのローテーションを繰り返して攻略していくのが今のSAOでの常識となっている。
今回の参加表明は50人と少しだった。このように半端な数しか集まらなければ、必然的に誰かが攻略を諦めるしかないのだ。
「あ~あ、予備戦力とかあれば便利なのにねえ。……あ、でもその人達も手数の多さに対応できるわけじゃないから一緒なのかな」
「手数もそうだし、加えてあの連携が厄介だよな。負担でかくなるけど、やっぱどっちか集中した方がいいぞこりゃ」
「そうね、別行動ならまだしもあれだけ呼吸が合ってると大技出しにくいし……前言ってた一極集中の作戦を提案してみる?」
「俺はいいんだけど、今さら変えるとリンドとキバオウがモメそうだそうだよなあ……ん? どしたキリト?」
「…………」
しばらくヒスイと2人での会話になっていてキリトが参加していないことに気付く。しかも彼は顎に手を当てて難しい顔をしていた。と思っていたら、そのままとんでもないことを口走る。
「いや、ボス攻略で顔合わす度にあんたら2人が仲良くなってる気がするんだけど」
「「そんなわけないだろ(でしょ)」」
「…………」
――ハモったよ。
正直焦った。言っている場合でないのだが、なかなか綺麗なハモりをするとついテンションが上がってしまう。こういった現象は漫画やドラマでしか起きないと思っていたが。
「……なるほどな」
「……違うからな」
その後、得心顔なキリトに釘を打ちつつ平行線を辿りそうな会話を打ち切っていると、リーダーが今日中の攻略を断念する旨を伝え、その日は迷宮区を無事に抜けた時点でお開きとなった。
「キリトはこれからどうする? まだ8時だけど」
「そうだなぁ。明日の攻略まで時間もあるし、もうひと狩りしていくか」
「いやあなた達ね、そこは『もう8時』でしょ? ボス戦あとだって言うのにどれだけ体動かせば気が済むのよ」
「こういうのは何だけど、男は敵に襲われない安全地帯さえあればそこで寝られるからな」
「(うわっ……キリト地雷だよそれ)」
なに食わぬ態度でサラッと答えてしまったがこれはマズい。事情を知らないキリトに非がないのはわかっているが、まだトラウマが
「アハハッ、いいよね男の子は。あたしらはちょっと無理かな~」
「…………」
――おや、何ともないのか。
神経質な俺は横目で恐る恐るヒスイを覗き込んだが、彼女はあくまで自然体だった。黙っているだけで表情は硬い、なんてオチも見受けられない。
「そうだジェイド、たまには競争しないか? 《オロチ・エリートガード》30分エンドレスのクエってこの辺で受けられたよな。経験値いいから無駄にはならないだろ」
「あ、ああいいけど……」
生返事で答えつつ、俺は帰路についたヒスイの後ろ姿を見る。そこにあるのは、ヒスイを元テスターだと知らないリンドやキバオウなどが持つ有力ギルドのメンバーが相変わらず彼女を勧誘し、それを彼女が丁重に断るシーンだ。
普段から繰り広げられる風景で、もちろん何の違和感もない。
「(やっぱ強えな……)」
少なくとも彼女はその身に宿す負の遺産と何らかの決着を見るまでソロをやめないだろう。それが何なのかは推測するしかないが、少なくとも強ギルドのお誘いだからといってホイホイついて行けるような軽いものではないはずだ。
彼女には強いメンタルがある。もうしばらく1人にしておいても問題ないだろう。
「よっし、キリト。《体術》スキルも相当上がってきてるからな、今度は負けねぇぜ」
「こっちこそ今度も勝つぜ!」
はしゃぎ回る俺とキリトを、ヒスイがほんの少し眺めていたような気がした。
翌日の午前、時刻は11時50分。正確な日付は2月14日だが、だからこそ押し寄せる寒波に負けてフィールドは凄まじいほど寒かった。あまりの寒さに、風が入り込まないはずの迷宮区の方がマシにすら思えてくるぐらい寒かった。ただただ寒い。本当に寒い日だった。うむ、他には何の変鉄もない。
――ん、バレンタイン? そんなイベントは知らないな。
そうやって負け犬染みたことを考えながら歩いていると、俺達討伐隊はあっという間に再びボス部屋の目の前まで到達していた。
ちなみに、やはりと前置きするべきか、昨日に比べ作戦が一極集中攻めに変わっている。隊を7分割し4隊を攻撃特化仕様、つまり《ダメージディーラー》で固めて一気に片翼を潰す作戦だ。
残った3隊はひたすら時間を稼ぎ、2体の連携を阻むのが役割である。全てがきっちり分割できるはずもないので、バランス型は攻守のどちらかに少しでも偏っていたらそちらの隊へ、という分類法である。
「あたし特化ではないのよねぇ」
「俺もそうだよ。ま、意識すればそれなりになるさ。一応《
「
「そうね、なるべく頑張るわ」
「おい、開くぜ」
俺の言葉で2人とも静まる。言葉通りの意味で、これは再三のボス戦である。今度こそ決めきらねば、レイド全体の士気の低下が無視できないレベルに陥る。それを、ここにいる誰もが理解していた。
俺は愛刀を強く握りしめることで、最後に気合いを入れ直す。
「リンド隊の3人もよろしくな」と、同じパーティメンバーとなった端数の3人に挨拶だけは済ませると、再び攻略隊は大きな門をくぐった。
すると、暗闇に2つのシルエットが浮かんでくる。
中央で仁王立ちしている。この2体が10層のフロアボスだ。
「(くるッ!)」
周りの
続いてフロアボス《ジェネラルスタチュー・ジ・アキョウビ》と《ジェネラルスタチュー・ジ・ウンジョウラン》2体が同時にHPゲージを3段で表示する。
威圧が質量を持った壁のように迫り来る。その直後、リンドが隊へ合図を送った。
「戦闘開始! タンク隊はエルバートの指揮下へ! 左右に展開しろ!」
俺達の攻撃隊の指揮下はリンドのまま。右側のプレイヤーだけが、重そうなミスリルアーマーをガチャガチャとならせて移動を開始する。
「A、B隊は右! C、D隊は左だ! なるべく刀を振らせるなよッ!!」
俺達D隊は、右手にカタナを持つ『アキョウビ』がターゲットだ。命令に従って回り込むと、大型の《オオダチ》が眼前に迫る。
相変わらずの図体に、思わず筋肉が
しかし、1人ではない。体が動くのは仲間のためだ。
「(ったく、バカでけぇ筋肉ダルマがッ)」
手始めに単発のソードスキルを入れてみたが、やはり硬さが尋常ではない。集中力との戦いである。リンドは「振らせるな」と言っていたが簡単に言ってくれる。何せその剣身はプレイヤー1人分以上もあるのだ。
だが、討伐隊もさすがに見慣れたのか臆することはなく、その身を投げ出しては次々と自慢の高性能武器を振るっていた。
ボスのHPの減少具合は、前回までのそれとは比べものにならないほど速かった。
「うおっ……ぶねぇ。これペースは速いけどさ……」
「ああ、紙一重だ。他に方法がないのが歯がゆいな」
適当に振り回される冗談じみた太刀を慎重に見極めながらも、やはり気になるのはそのローテーションの長さ……というより、『短さ』だろう。
現状避けられないが、こちらが消耗しきる前にどうにか1体だけでも倒しておかないと相当キツい。タンク隊から増援が来ない中で、こちらが受けるダメージ量をこのまま敵に維持されると最終的にはジリ貧になるから。
ただし、これで駄目ならレベルを上げて出直すしかない。
「スイッチD隊! 2段目行ったぞ。気を付けろッ!」
『了解ッ!』
反面、部隊の連携練度は目を見張るものがあった。
達成までの過程は十人十色だろうが、こんな低層で引けない、という強い想いだけは共通しているからだろう。
1日、1時間でも解放を早めるために。そして志気と攻略にかかる時間の均衡点から、今日ここで仕留めることには相応の意味がある。
そこまで考えた時だった。
「(ん!? これ……《浮舟》かッ!)」
戦闘の渦中で『アキョウビ』が《オオダチ》を、その剣が地面をすれる寸前まで左腰に落として構えているのが見えた。
剣の位置から《先読み》でソードスキルの種類を見分けた俺は、右足に力を入れて回避行動がいつでも取れる状態を作る。目線は俺を向いている!
「おっらあァあッ!」
体全体を屈ませながら右足の筋力だけを拡張させた。
その一瞬あとにブオッ、と視界の右斜め上を《オオダチ》が掠めていった。
鉄の塊の通過が想像以上にスレスレ過ぎて冷や汗が流れたが、回避そのものは成功。
カタナ専用ソードスキル、スキルコンボ初動斬り上げ《ウキフネ》。一見単発攻撃に見えるあの技は、ヒットすると対象物を上空に飛ばし、重力を一時的に無視して空中で連撃ソードスキルを発動させるものである。当てさえすれば敵にとって追撃されない空中での連続攻撃だが、逆に躱せばチャンス到来。外した時の
「強攻撃3発はいけるッ!」
俺が叫ぶとキリト、ヒスイ、リンド隊3人が一斉に剣を光らせる。
そしてかく言う俺自身もジャンプ後に今の愛剣《フィランソル》をディープブルーに輝かせて、《両手剣》専用ソードスキル、初級垂直三連撃《ガントレット・ナイル》を敵の顔面に叩き込んだ。
「せあァああぁあああッ!!」
『…………』
ガンガンガンッ、と硬質な肌に剣が直撃する光と音が鳴る。確実に効いているはずなのだが、一向に喋ることのないボスを相手にしているとダメージが入っているのか時々不安になるものだ。
しかし今の攻撃は相当有効だったようで、敵のHPゲージは早くも2段目がイエローに入っているため、開始9分で1体目の体力を半分削った計算になる。
「(このままいける……)……れあァああッ!!」
着地直後に剣を上段構えで右肩の前に持ってくる。今度は愛刀《フィランソル》を紫に染め上げ、《両手用大剣》専用ソードスキル、初級二連斬り上げ《ダブル・ラード》をボスの土手っ腹に決めてやった。
「これで……ッ」
「ジェイド!」
しかし意識の反応圏外から迫った鉄塊のような太刀に、俺はほとんど真横に吹き飛ばされてしまった。
重い攻撃が多段ヒットした結果から、『あと少しでディレイになる』という読みが外れたからだと頭では納得している。だが、やはり反撃を許してしまった以上、自分の行動が軽率だったことは認めなくてはならない。
「バカ! 無茶して……」
「ヒスイの言うとおりだ。ジェイドが自分で3発と言ってただろうに」
「ぐっ……くそ、ワリぃ……」
ヒーロー願望と射幸心が邪魔をした。
ここで言い訳しないところだけ少しは成長したのかもしれないが、やっていることは自分だけの問題ではなく、パーティ全体の弱点晒しである。
無力加減に歯がしみしても、落ち込んではいられない。
再びローテーションでA隊がタゲを取っている内に回復を済ませなければ。
「今度は本当に気を付けろよ。次にD隊が当たる時は、たぶん最終段になってる……」
「ああ、つまり敵の技が増えてるってわけだ。ここからは……いや、このボスからはすでに『βテスター』と言う肩書きは有利に機能しない」
「そうね……でもだからこそ、よ」
ここにいる元『ベータ』3人で小さく頷きあった。互いにその正体を知り、ライバルであると共に頼もしい仲間でもある3人で。
次の《スイッチ》が始まる。
ここからが本番、正真正銘のデスゲームだ。