2024年11月13日 《虹の谷》麓付近中立域。
《アルヴヘイム・オンライン》に転送され、いよいよ7日が経過した。
深夜。天候は大雨。
「(こりゃ我ながらしくじったもんだ……)」
粒のデカい雨に打たれ、しとど濡れながら、空を飛ぶ俺は内心そうぼやいていた。
ゲーム世界では夜になったばかりだが、現実での日付変更線はとっくに超えている。しかし
時刻はリアルで午前3時半過ぎ。相手もこんな時間にログインしているということは、相当な廃ゲーマーだと推測できる。実際、敵は全員もれなく《手無し運転》である。
しかも軒並み《
「クソったれ、まけないか! やるしかない!!」
後続のアルゴ達に叫び伝える。
こんな事態に陥ったのも、たまたま通りかかったレイドボス戦帰りの残存兵と遭遇戦になってしまったことに端を発している。
もっとも、この無謀な旅が
ログアウトできない俺達の弱点はどう考えても寝込み時。深夜帯に見張りを立てようにも一行の総数はわずか3人で、しかも1人は中学生前後の女性だ。理想は朝まで交代で周囲を警戒し続けることだったが、それを1人頭2時間以上となるとやはり非現実的。
現に安全地帯を確保できなかった昨晩――いや、もう一昨日になるのか――は、ダウンしてしまったアルゴやシリカを誰かしらがモンスターから守らねばならず、そしてその役は俺が担った。ゆえに俺は45時間ほど連続で寝ていない。
話を戻し、敵5人の猛追が一向に止む気配がないのには理由がある。
それは俺の『勘違い』だった。
攻略が目的だった彼らは、安全地帯を中継するために偶然通りがかっただけで、エリア端で寝ていたアルゴ達に気づいてすらいなかったのだ。
それを、寝込みを襲われたのかと勘違いした俺が2人を叩き起こし、即座に特攻を仕掛けると先制デバフアタック――例の敵を弱体化させる自動魔法である――も背中を押し、敵の大将を不意打ち気味に倒してしまったのである。
最も価値の高い最大強化済みのエンド品武器や高級装備となると、例え死んだ瞬間に装備フィギュアに設定してなくとも、ちゃんとセーフティのかかったストレージに固定するはず。
だが、
俺も夜の特訓で長引いたストレスと不運が
クエスト達成報酬を集中管理していた彼らは、運悪く30パーセントの確立を引き当て、夜中の3時まで起きていた俺に奇襲されてまんまとレアアイテムを奪われたことになる。
勝手な想像だが、おそらくパーティが何度か
それなのに、やっとの思いで手に入れた品は突然現れた3人組に、しかもその他3割のアイテムと一緒に奪われてしまった。
そうなればゲーマーとして取るべき行動は1つである。
きたない盗人から、奪い返す。
「卑怯な奴らだ、挟み込めっ!! 絶対逃がすなよ!」
「まだマナ残ってる奴はいるか!? 女の子供から狙おう! てかなんでこんな時間まで起きてるんだよ、こいつら!」
「ヒトんことは言えんだろう! とにかくオレが行くッ!!」
「ハマっちゃん遠距離系撃てるか!? 左から頼む! 俺が近づいて引きはがす!!」
後方からは元気な声が聞こえてくる。やはり睡眠時間そのものがずれている集団と予想できる。
「(くそ、張り切りすぎだろ。完全に早トチッた。……こりゃ見逃してはくれないだろうな。隠れてりゃバレずにすんだのにっ!)」
きっと今の俺には、客観的に見て冷静な判断ができていないのだろう。
自分の
敵メイジの魔法攻撃と
あまりの眠さと限界に近い空腹が普段のポテンシャルを引き出せずにいたが、これも無理を通した悪因悪果。それでも、死にたくなければやるしかない。
しかしその内、遅れて飛んでいた敵の1人が副隊長らしきおっさん系
「ダメだ! やっぱり
「うっそマジかよ!? ドドマル限界だって!」
後方から聞こえるセリフから察するに、おそらく
かの種族は唯一、2つのステータス補正にてAランクを獲得する妖精で、しかもそれらは重要な基礎ステータスである
反面、スピード補正は最低の『E』であり、飛行時間も短い。定点を戦場としない、あるいは敵ユニットに接近困難な地形で戦う場合に起きやすい彼らの弱点である。
そしてアルヴヘイム・オンラインではそういった戦場や状況は
ただし、今回ばかりは相手の戦力ダウンは望外なサプライズなので、アルゴの表情にも少し余裕が垣間見えた。
「よし1人落ちるゾ! 最後の魔法だけは気を付けよウッ!!」
「シリカ、よく見てしっかり避けろよ!!」
「は、はい!」
減速寸前でノーム男の詠唱が終わる。スペルは9句。
いくつかはっきり聞こえていないが、俺の記憶が正しければ奴の唱えた魔法は《
だが弾数こそ多いものの、その特性上
本当の意味で万策尽きたのだろう。あの攻撃が戦局を変えることはない。
そうタカをくくっていた。
しかし彼の詠唱は止まらず、すぐに追加のスペルが加わったのだ。
「ッ……!? クッソ、あいつ《重ね掛け》してやがる!!」
「ホントにマナ使い果たす気だナ!?」
魔法の重ね掛け。一部の《魔導書》にのみ適応可能なテクニックだ。
今までも回復・バフ魔法は詠唱後しばらくストックさせ、タイミングを見て発動することは可能だったが、放射系、範囲攻撃系は唱え終えた瞬間エイムされた先へ放たれる。
つまり複数人でファーストアタックのタイミングを合わせたい場合、スペル詠唱が遅いプレイヤーに合わせて発音する必要があったのだ。
だが《スプレッド・ガン》を初め、いくつかの魔法はこの弱点を補完している。
発動確認から攻撃開始までタイムラグがあり、その間に少ないスペル、今回の場合は
これなら1人でも状況やマナ残量に応じて使い分けられる。
アルヴヘイムの魔法が古代ノルド語というのは既知だが、初めの1句は
ゆえに、こうしたテクニックで戦術の幅を持たせたのだろう。
奴は3回《重ね掛け》をした。単体マナ20消費の4倍だから、実にマナ80ポイント分の《スプレッド・ガン》である。ノームの魔力ゲージが初期値のままなら、これだけでフル消費してしまう大魔法だ。
頭の中で逃走路をリルートするが、すぐに膨大な量の石ころが弾丸となって降りそそぐ。
「全員右に旋回ッ!! 最大速で真っすぐ!!」
ポリヘドラル状に迫る散弾岩。
イタチの最後っ屁にしては少々でかい規模になった簡易広域攻撃に対し、俺達は
密度の低い空間を飛行したのにもかかわらず、質感のある音が耳元を過ぎていく恐怖を味わいながら、そのいくつかが全員に被弾した。
「うあっ……きゃあっ!?」
「シリカぁ!!」
一瞬きりもむように、トップスピードのままバランスを崩したシリカは、墜落こそ
車両のギアと同じで、高トルクから徐々に速度を上げるしかない今作のフライト・エンジン。ゆえに高機動戦時にブレーキをかけることは、それだけで大きなエネルギーロスとなる。
ただでさえスティックありきでしか飛べない彼女が、追手を前に速度を殺してしまったらどうなるか。
答えは明白だった。
「ジェイド! オレっちが運ブ!!」
「任せろッ!!」
即座に判断した俺とアルゴは、弧を描きながらUターンする。
視界の端でいくつかの色が光った。はっきりと視認していないが、言わば魔法版の
姿勢崩しから本命の魔法攻撃へ繋げる連携アタック。《スイッチ》同様2人以上で行うシステム外スキル《
しかし敵はここで二兎を追う判断ミスをした。俺がシリカを守るため敵の直射型魔法を
もっとも、おかげで敵に追いつかれた。
副隊長らしきサラマンダーが
「クッソが、しゃらくせェ!!」
引け腰の
だがロングレンジで魔法ブッパ戦法でもなければ、空戦で止まるのは自殺行為。
俺は剣をスイングした姿勢から力づくで片方の翅だけ高速振動させて受け流すと、今度は斧槍使いのサラマンダーへ決死の覚悟で急接近する。飛行練習の成果が発揮され、その胸に文字通りの飛び蹴りをくれてやった。
しかし、ゴウッ!! と命中したのは籠手を装備した彼の腕だった。
衝撃の大半が殺され、その結果にかすかに眉をひそめる。
1人目をほぼスルーパスして意表をついた急接近のはずだったが、この男も相当な反射神経である。伊達にこんな時間まで起きているわけではないのだろう。
すかさずハルバードによる反撃がくる。だがきっちりと大剣でガードし、俺はヒット&アウェイの要領でさらに距離を空けた。
「ヒュ〜、アメィジン! やっぱこのインプ、チョー強いよ!」
「イースさんマジメにやってくださいよマジでッ!! せっかく殺しきれるチャンスだったのに!」
残念がる様子も見せない副隊長さんは確かに
眼下のフィールドに数秒視線を走らせ、見つけた。
彼女達は一旦低空に逃げて体勢を立て直したのだろう。魔法の射程の関係からその判断は正しかったが、いつまでも頭を押さえられていてはいずれ逃げ場をなくす。
高度を上げる必要がある。
「アルゴ、援護する! 上がってこいっ!!」
「わかっタ! 行くヨ、シリカちゃん!」
「はい! ……あッ、ジェイドさん後ろ!!」
「くッ……!?」
ガギィイイッ!! と、寸でのところで斧槍による垂直斬りを防いだ。
数瞬の差だった。
見えていたわけではない。剣に当たったのは運がよかっただけだ。
しかも斧槍が炎を
だが、これはいったいどういうことか。まさか、先ほど一瞬の隙をついて30メートルほど稼いだ距離を、俺が視線をどけて警戒を解いた数秒で追いついて見せたというのか。
不覚は認めるがたった数秒だ。俺も相対的には移動していたし、こいつは魔法の詠唱まで同時にこなした。
ゲーム時間で夜中であるため、フィールドは暗闇。分厚い積乱雲からは荒れ狂うような雨が降っている。こうした悪天候日は、サラマンダーこそ慎重に動くのが定石……だったはず。
この男のスピードと集中力は他の連中とはケタが違う。
「なんでテメェが隊長じゃないんだよ……ッ!!」
「ワオ、ナニ言ってるかワカラネ!」
ゴッ!! と肘打ちを貰い、構えを崩されたところへ連撃を見舞われた。
凄まじい速度で振りぬかれ、防ぎきれなかった俺の防具を2度も
思わず大剣を振り回しながら距離を取っていた。
1週間とたっていないが、俺とて削りまくった睡眠時間を除いてもプレイ総数120時間オーバーの人間だ。ただでは引かず防御姿勢の上から吹き飛ばしてやったが、アルゴとシリカが同時に唱えていた光属性魔法、《
しかし、それは後衛のいる敵も同じこと。これでは単なる時間稼ぎである。
今日アルゴが手に入れた《ハレーション》なる魔法も、無害な光る雲をランダムに発生させて逃走の手助けをしてくれるだけの初級魔法で、やはり戦いの決定打にはならない。
現に不自然に発光する雲海を抜けると、すぐに4人はこちらを察知し、鋭角で折れ曲がるなり恐ろしい速度で猛追してきた。
真っ向からぶつかっても人数差で押される。なんらか他の手段で奴の反応と技術を上回る必要がある。
「この先にトンネルがあったろう! あそこに逃げ込む!」
「敵サンにもインプはいるゾ!」
「外よりはマシだ! 翅もヤバい!」
こういう時、《セーフマスク》のおかげでこちらの作戦だけ聞かれないのは本当に楽だ。こんなものがなければ苦労をすることもなかっただろうが。
なんて冗談を呑み込み、合図をもとに俺達は無言でジグザグに飛び続け、敵の断続的な魔法を回避しながら、30秒後にはぽっかりと開いた巨大な
突入直前にどこからともなく音の重なるパイプオルガンが響いたのと、透き通った女性の声で天空から全プレイヤー向けにアナウンスがあったが、大雨、遠距離攻撃の回避、着弾時のサウンドエフェクトで満足に聞いている余裕はなかった。
いい加減吐き気がするほどの眠気と、雨でベタベタの肌から容赦のないストレスに
視界と現場を再確認すると、アルゴはまたうんざりしたように言った。
「もう最悪! いい加減アイツら諦めてくれないカナ!? ここをオレっち達の陣地か何かと勘違いしてサ……」
「なわけあるか。サメは血を見たらむしろコーフンするもんだよ」
俺も改めて見渡す。隠れる場所に選んだ場所は崩れかけの建物のようだが、乱雑と配置される家具にわずかな生活感を感じた。かつてはここで暮らすモンスターもいたのだろうか。だとしたら、多少は文明的な暮らしだったはずだ。
しかしサッチャー系のリピールや範囲魔法を警戒してなるべく奥まできたつもりだったが、適当に入った木製廃屋の中はいたるところに隙間も多い。いったいどんな壊れ方をしたらこうなるのか、屋根も剥がれてまるっきり筒抜け。対処法を考えられる時間は長くないだろう。
ただ不幸中の幸いなのは、岩壁の直径が広いことだろうか。うまく迂回すればすれ違うように彼らを
「ちっ、ボロボロすぎてここもダメだな、ロウジョーには向いてない。もっと狭い場所にさそい込もう。それか壁面1周して逃げるか」
「逃げ一択だナ。サラマンダーの男がとにかくヤバい。あいつだけはオレっちやシリカちゃんにはどーにもならないカラ、どうにかジェイドがタイマンで注意を……」
「あっ、あの2人ともっ、室内にだれかいます!」
「くッ……!?」
理解するよりも早く体が構える。シリカの示す暗闇の先にはプレイヤーではなく小型のモンスターがチラついていた。
シルエット全体は推し量るしかないが、しかし人型だ。
片手、あるいは両手にハンドアクスか伐採用の
見える範囲に数は4。俺のファンタジー知識が正しければ、こいつらはドワーフだろう。鍛冶、工芸に長けた神話上の亜人である。
しかしなぜこんなところに彼らが。今日より酷いにわか雨が2日前に降った際もこの
それとも、10分ほどしか雨宿りしなかったうえに、当時は窪みの出入り口付近で止まっていたからだろうか。
「(ちっ……理由は後だ!!)」
わずかによぎったモンスターの生態について考えることを放棄し、すでに交戦の構えを見せるドワーフ4体の中心にダッシュした。
1体目の反射的な応戦をリーチ差で強引にねじ伏せ、続いた連携神風アタックを冷静にさばいていく。
だが焦りは
そこまで考え、ようやく奴らの狙いをトレースできた。
「(いや違う! 知ってて狙いやがったのか!?)」
「ジェイドまずいゾ! あいつらこっちに来てル!!」
「ああ、だろうなっ!! 2人はヒールをキープしながら限界まで奥に下がれ! 俺もすぐに追いかける!」
「で、デモ……」
「いいから行け、早く!!」
俺は大急ぎでスペルを唱え始めると、どこからかワラワラと湧いて出たドワーフの援軍を際どい所でいなし続けた。
敵は目の前。
――今ッ!!
「ハッハぁっ! ようやく獲ったァっ!!」
敵がそう吠えた直後だった。
俺は左手から黒い球体を投げ飛ばすのと同時に、『残りわずかな翅』を使って床スレスレを飛行し、部屋の限界まで後退した。
球体が停止した点から半径8メートルに強い引力を8秒間発生させる、無差別タイプの闇属性魔法《
「しまった、これグラビだぞっ!」
「定期メンテで時間がないのに!!」
「クッソ! これじゃあドワーフにタゲられる!!」
作戦成功によるわずかな安堵。なにを焦っていたのかは知らないが、スキなし文句なしの連携を見せていた連中にしては、ここにきて不用意な行動に出たものだ。これだけ密着したスシ詰め状態なら、奴らもモンスターの相手をせざるを得ないだろう。
しかし俺は「ところでメンテとはいったい……」という疑問に気を取られ、《グラビテーション》によって捕らえられたプレイヤーが3人しかいないことに気が付かなかった。
「逃がすとオモウ!?」
「なぐッ……!?」
視界外から土手っ腹に蹴りを入れられると、飛翔直前だった体が鈍角に折れ曲がり、さらに下層の地面へ強制的に叩きつけられる。
背中から衝撃。息が止まる。
思わず咳をしながらひざをついた。
やってくれる。残り10秒ほどの翅を満足に使うことすら許されなかったというわけか。
フラつきつつも、衝撃と共に舞った
――またこいつかよ!!
と、したり顔のサラマンダー野郎にため息が出そうになった。
うんざりするほど機転のいい奴だ。ドワーフのなすりつけ作戦を読んだのか、単なる直感がブレーキをかけたのかは知らないが、いずれにせよ自室に
「(それにしても、この部屋……)」
元々は雑魚寝用だったのか、見立てだと部屋の面積は26平米ぐらいだろう。飛んで戦う広さでないのと、自然な形で得意分野へ誘えるチャンスのため翅はたたんでおいた。
その誘いに乗ったのかは知る由もないが、「こっちはイイよ! ミンナは2人を!!」なんて仲間に呼びかけているサラマンダー男も翅はしまったようだ。
地上戦の流れを掴めた。まずはそこに満足すると、《タイタン・キラー》をゆっくりと地面から引き抜く。
いくら名刀でも未強化という点が気がかりだったが、
元気そうな割には白髪も見え、顔のシワも深いが、がっしりとした体格の
身長は同じぐらいだろうが、こちらと違って背筋が
セリフの節々から推測するに、アバターを操る本人の実年齢はもっと若いだろうが、歴戦の戦士を感じさせる完成度の高い構えだ。
その戦力水準は、とても睡眠不足のコンディションで相手取っていいタイプの敵ではなかった。
「ホワイ、スゴい、マスクかかってるんだろうネ。よっぽどマナーがなくって、運営にオコられちゃったのかよ?」
「…………」
「ワオ、コワイ。オコんないでよ。……でもたまにはイイ日もあったよ。工場カンスイ、キザイは止まる。で、会社もすぐキタク。イヤな日だと思ったけど、こんなにパワフルなプレイヤーに出会えたよ。ワズベリィファン!」
少し気が抜けてしまった。見た目に反してファンキーな野郎だ。
あと、怒っているのではなく目つきが悪いだけである。
ただアルゴのクセのような
同時に得心がいった。純粋な日本人でないばかりに、体感では最強であるはずの彼は小隊リーダーを任されなかったのだ。
なんにせよ厄介な来日客である。偏見全開だが、きっと
「逃げられナイよ。ナカマだっている。彼らはイイ人で……」
「急いでるんだ、さっさと
叫ぶと、大きく踏み込み容赦なく大剣をフルスウイングした。
相手の筋肉も膨れ上がり、ハルバートを振り上げる。高純度の鋼を
敵ながらいい反応である。重心にブレがなく、動きに迷いがない。オフの日に会って気が済むまで手合わせしたいレベルの戦士だ。
しかし、この時だけは
歯を食いしばり、反動すら攻撃の力に変えて重量装備を打ち付けると、振動と武器のたわみが手の感覚を奪ってくる。その不快な麻痺を上書きするほど腕を振り回すと、瞬間的に
狂気の戦意は敵も同じだ。肘で殴られ、胸ぐらを掴んで投げ飛ばされる。
ツバを吐き捨てて起き上がると、礼とばかりに膝で腹を蹴り返し、足払いをした後は、奴の厚い胸板を力の限り踏み
頭突き、首絞め、足払いに、そして互いの剣が絡まって地面に
騎士の決闘ではなく、意地で生きる雑兵の削り合い。獣共の雄叫び。睡眠欲が鈍痛に変わってこめかみ辺りを刺激するが、そのイラつきすら暴力に転換する。
「おおおおおおおおっ!!」
「ッらァアアアアアアあああああっ!!!!」
ゴガァアアアアアアアアッ!! と、落雷に近い爆音が響いた。
衝撃に打ち勝つ。奴の愛刀がボウガンに打ち出されるような速度で弾き飛ばされると、室内の端に深々と突き刺さった。
一筋の勝機。
……だったが、サラマンダーは諦めていなかった。
野太い
床にスライドしていく鉄塊。体当たりで追撃まで防がれると、互いに
翅を生やした妖精のアバター戦にしては随分と原始的な格闘に移ってしまったがバカにはできない。アインクラッドで獲得した《体術》スキルの熟練度の高さから、単純な殴り合いでも体力ゲージは微減するのだ。もちろん奴のスキル欄に同じものがあれば、それは俺とて同条件。
しかもバーの先端は共に半分程度ときている。長い戦いになりそうだ。
「っくぞ、おるァアアッ!!」
俺の飛び膝蹴りをクロスアームで防ぐも、奴は反動で大きく後退していた。
浮いた腰をめがけて疾走。肩から強烈なタックルをキメると、大男を持ち上げて木壁を破壊するほどの勢いで部屋の最端に叩きつけてやった。
一瞬息が止まったようだが、しかし今度は野生動物のような腕が俺の腰をがっしりと掴み、そのまま持ち上げられるとまったく抵抗する間もなく脳天から地面に激突させられる。
ゴウッ!!!! という振動だけが残った。
暗転する視界。耳鳴りに変わる音。
どちらの絶叫なのか、それとも悲鳴なのかさえも判別できない、不協和音のレゾナンス。
それでも根性でどうにか
俺には
裏拳、掌底、延々と殴り殴られ、裏返った声で腹の底から
肩で息をしながらフラフラと近寄り、だらりと下がっていた腕を上げてアマチュアボクシングの続きをしようとした――その時。
2人
――どっちも素手なら、剣拾った方が早くね?
「…………」
「…………」
シンクロした動きでそれぞれギギギ……、と首だけ愛刀の方へ向け、またもシンクロした動きで元の格好へ戻る。
一瞬の静寂。
視線だけで投合すると何も言わずダッシュで相棒へ駆け寄り、俺は辛うじてバランスを保つテーブルの下から大剣を拾い、奴は
空いた距離で構えると、
倒れそうなほど眠いのは間違いないが、こちらには2年仕込みの大剣戦術ならある。ただ、それに難なく
「(なに面白いと感じてんだ俺ァ……)」
普段ならリスクヘッジして手を引くところだが、俺のテンションが破滅的に高いことを奴は後悔することになるだろう。
「やッハッハ、アメイジン! 激しいバトゥ!!」
「そうだな。クソッタレが!!」
またも激突。花火のようなエフェクトに目もくれず、部屋中を縦横無尽に駆け走りながら手足の延長のように武器を交差させた。
しかし絶え間ない金切り音のなかで、一瞬の集中切れが戦局を動かす。
俺が片足を滑らしてフラついた瞬間だった。
やはりベストな状態ではない。そのかすかなチャンスを目ざとく突いてきた彼は、軽く足を払って転倒させると、突然4枚翅を広げ一気に8メートルほども
直後に高速落下。俺もよく知る……というより、つい数十分前まで繰り返し練習していたシステム外スキル、
「ぐう……くッ!?」
重低音が空間を支配し、信じられない過重圧が鉄製大剣を超えて全身に降りかかった。
《ソアー・ダイブ》。
《飛行》は地上走行に比べトップスピードが比較にならない。そして3次元的な移動により多彩な回避を可能にし、さらにチーム力次第では瞬時に多角攻撃、包囲殲滅、掃討を行うことさえできる。
ゆえに飛行できる時間の長さはそのまま汎用性の高さともみなされ、ハイレベル戦となると無駄な動きを削り、翅を
ずっと飛び続けるには《アルヴヘイム・オンライン》に用意された最大級、最難関のグランド・クエストをクリアしなければならない、らしい。
『らしい』というのも、その現象を目撃したユーザが存在しないのだ。
あるのはグランド・クエストを達成した者、またその人物と同じ種族は《
ただしこれはインパクトの強い目標だ。
少なくとも9種族の中で、常に1番を欲し続けなければならない。ある意味では強迫観念に近い対抗意識を植え付けるには十分だっただろう。
リリース直後から略奪と競争が絶えない理由もまさにこれで、現在も他種族を出し抜いて我先にクエストを達成せしめんと、各妖精の
そして永遠の飛行は単に戦闘で役に立つというだけでなく、自由に空を舞う解放感をどんな制約にも邪魔されなくなることを意味する。
帰属意識の高い連中が何よりも優先する究極の目標であり、念願の夢。道理で誰も呼び掛けに応じないはずだ。
脱線したがとどのつまり、全プレイヤーはまだ限られた飛翔時間をやりくりして戦っていかなければならない。
そうした試行錯誤から《ソアー・ダイブ》は生まれた。
一戸建ての住まいを1~2建ずつウサギ跳びするイメージだろうか。助走と瞬発的な脚力をアシストにして、タイミングを合わせて翅を急速振動&急上昇。そして10メートル前後の高度を活かし、以後は翅を伸ばすだけの
しかしそれを移動ではなく格闘戦に取り入れた奴がいる。このあっぱれなサラマンダー男である。
俺に翅の力が残っていないことが原因だが、実際効果は
床底がミシミシと
「(マジ……かよ……ッ!!)」
思わず悪態をつきそうになった。
今度こそ
ダイブによる最高速突進。地面への激突で普通なら委縮するだろうが、彼に恐怖らしき感情はなかった。
ゴッパアァアアアアアっ!! という衝撃。ポリゴンの光るエフェクトと、そして爆音。木板を重機でへし折ったような音が背中から伝わってくると、気づいた時には浮遊感の中にいた。
施設の床底が崩れ抜けたのだ。
体中を壁面にこすりつけながら、俺とサラマンダーは
視界は滅茶苦茶でなす術もなく、すぐに肩から
回転が止まって地面に落ちるとベチャッ、という不快な音と感触を浴びせられたが、そもそも死んでいないことの方が奇跡だった。
「が、は……クッソ……」
それに光をほどよく通さない暗闇でも、暗視用魔法《インフライド》はまだ効いている。全身打撲によるショックと体調不良、空腹、睡眠不足が重なった今にも死に絶えそうな気持ちをなるべくなかったことにしつつ、俺は急いでロストした大剣を探した。
「ぬわァッ!?」
そして捜索は2秒で終了。
ビュンッ!! という風切り音が
ヒット寸前に汚い地面を
こちらは武器も体力もなく、圧倒的不利という段階はとうに過ぎ去り、ニアデスの上に逆転の手段も残されていなかった。
しかし。
それでもなお、俺の体は限界を超えて斬撃を回避し続けた。
もう1週間も会っていないヒスイの顔を思い出すと、その掻き
「(ワリィけど往生際の悪さが強みでねッ!!)」
消滅しかけた戦意が
壊れかけの水車に隠れ、短い
施設を破壊して進む敵に
だが一見する限り勝てる見込みがなくなったとしても、ゲームオーバーとなるその瞬間まで絶対に諦めないのが信条である。
まさに『人を守りたければ、まず自分を守れ』だ。アルゴやシリカを守りたいと願うなら、俺がここで倒されるわけにはいかない。
「アッレ~! ……ハァ……そんなセコイ人だったの!! ……ハァ、逃げ回ってジカンカセギかよ! 逃げないでよ!!」
「ゼィ……るっせェ、死ねねェんだよこっちはッ!!」
結果的に近い形にはなったものの、心の底から決闘をしているつもりはない。したいのはやまやまだが、今はその時でもない。
しかしトドメをさせないと観念したのか、サラマンダー男は思ったよりも早く追撃を中止した。
俺も体力を温存させるために無駄な行動をせず止まる。「ここは炎系のマジックはウテないし、ウェール……タァイムアップ……」なんてブツクサと言っているが、俺が言葉の意図を探る前に男は両手を広げてこんな風に切り出した。
「楽しかったニハ、楽しかっただよ! アイテムはドッチでもいい!」
「……はあっ?」
「またヤレる日! あったらトゥ、ファイッ! ワタシはイーサン・ステイン! ちゃんとナノったよ。チョー、ストゥロン、インプ!!」
「な、なにを言って……うわっ!?」
何かが強く発光したかと思ったら、突如目の前にあった深紅の装備がプレイヤーごと消え去っていった。
移動魔法かと周りを警戒しても音沙汰なし。頭をブンブンと振ってみたが、眠過ぎるがゆえの激しい頭痛が潜り込んできただけ。
正真正銘、敵が丸ごと排除されていた。
モンスターの
しかし現実に生き延びた。だとしたら、俺はいったいどういう理由のもとで助かったのだろうか。
「ハァ……ハァ……なんだそりゃ……ハァ……」
考えても答えは見つからなかった。
半歩ずつ歩きながら、俺は熱気を排出させるように深呼吸する。極限まで張り詰めていた集中力が切れた瞬間だった。
思考はますます鈍化し、千鳥足でベタつく地面に降り立つ頃にはそんな疑問も薄れていく。
それに男が最後に残したセリフも気になる。イーサン・ステインと名乗っていたか。文化の違いか知らないが珍しい行動だ。せっかく歴戦の老兵然とした
ギルドないし、少なくとも野良集まりよりは仲間意識のあるパーティに参加しているように見えたのに、受けた損害に対して想像以上に
視界が揺れる。どこに向かっているのかもわからない。ただ、足だけは止めるなと、細胞のどこかが痛みと一緒に訴え続ける。
それにしても腹が減った。寝る前に何か詰め込みたいものだ。今日だって
男の見栄が邪魔し彼女らに優先して食糧を回したせいもあるが、とても腹の
この空間はヒドい匂いだ。何とかならないのか。廃油と有機溶剤を好みの配分で混ぜた汚濁水を
足がまるで
いつリファレンスが更新されたのか、エリア名は《ドヴェルグスレイブ・油田工場跡》とある。なるほど趣味の悪い巨大なインテリアだと思っていた物も、離れて眺めると
ガソリンの匂いがしたあの汚いドワーフ達もここからやってきたのだろう。淡く紫色の光を灯す
この世界に転送されてからもう1週間とたつが、まだ打開策は見えない。遭っては戦い、戦っては場所を変える。こんな生活は金輪際こりごりである。フィールドの
暗視は生きているのに目の前が真っ暗だ。
どうしてもまっすぐ歩けない。
ああ、この重厚な大剣は……。やっと俺の剣を見つけた。世話の焼ける相棒だ、泥だらけじゃないか。
早くこれを担いで逃げないと。それとも、持って構えるべきだったか。武器がないとサラマンダーに勝てない……いや、奴はもう倒したのだったか。
いや待て、倒してはいない。確かあいつは消えて……、
俺はこれから、いったい……、
「アルゴ……シリカ……すぐいく、から……」
ドチャ、と。頭から突っ伏すように倒れたことすら自覚できなかった。
小さくささやいただけで、剣すら持ち上げていない。
限界が訪れる。すでに指先すら動かせず、俺は深く、そして沈むように意識を失っていくのだった。