SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第111話 メンテナンスのお時間

 2024年11月13日 《虹の谷》麓付近中立域。

 

 《アルヴヘイム・オンライン》に転送され、いよいよ7日が経過した。

 深夜。天候は大雨。

 

「(こりゃ我ながらしくじったもんだ……)」

 

 粒のデカい雨に打たれ、しとど濡れながら、空を飛ぶ俺は内心そうぼやいていた。

 ゲーム世界では夜になったばかりだが、現実での日付変更線はとっくに超えている。しかし依然(いぜん)として俺達はプレイヤーと戦っていた。

 時刻はリアルで午前3時半過ぎ。相手もこんな時間にログインしているということは、相当な廃ゲーマーだと推測できる。実際、敵は全員もれなく《手無し運転》である。

 しかも軒並み《脱領者(レネゲイド)》なのか、それともアカウント作成時に仲間内でいろんな種族を選択したのかは知らないが、なんと5種族もの妖精が迫ってきている。これまでそれなりに戦闘はこなしてきたつもりだが、この多彩具合はさすがに初めてだ。

 

「クソったれ、まけないか! やるしかない!!」

 

 後続のアルゴ達に叫び伝える。

 こんな事態に陥ったのも、たまたま通りかかったレイドボス戦帰りの残存兵と遭遇戦になってしまったことに端を発している。

 もっとも、この無謀な旅が一路順風(いちろじゅんぷう)に終始するはずもなく、いずれこうなるとは思っていた。

 ログアウトできない俺達の弱点はどう考えても寝込み時。深夜帯に見張りを立てようにも一行の総数はわずか3人で、しかも1人は中学生前後の女性だ。理想は朝まで交代で周囲を警戒し続けることだったが、それを1人頭2時間以上となるとやはり非現実的。

 現に安全地帯を確保できなかった昨晩――いや、もう一昨日になるのか――は、ダウンしてしまったアルゴやシリカを誰かしらがモンスターから守らねばならず、そしてその役は俺が担った。ゆえに俺は45時間ほど連続で寝ていない。

 話を戻し、敵5人の猛追が一向に止む気配がないのには理由がある。

 それは俺の『勘違い』だった。

 攻略が目的だった彼らは、安全地帯を中継するために偶然通りがかっただけで、エリア端で寝ていたアルゴ達に気づいてすらいなかったのだ。

 それを、寝込みを襲われたのかと勘違いした俺が2人を叩き起こし、即座に特攻を仕掛けると先制デバフアタック――例の敵を弱体化させる自動魔法である――も背中を押し、敵の大将を不意打ち気味に倒してしまったのである。

 最も価値の高い最大強化済みのエンド品武器や高級装備となると、例え死んだ瞬間に装備フィギュアに設定してなくとも、ちゃんとセーフティのかかったストレージに固定するはず。

 だが、凱旋(がいせん)中だったこととリアルにおける夜明け直前、いわゆる『過疎時間帯』で油断したのか、ボスドロップのレア物を安全枠に移していなかったのだ。

 俺も夜の特訓で長引いたストレスと不運が併発(へいはつ)し、互いにとって災いが起きた。

 クエスト達成報酬を集中管理していた彼らは、運悪く30パーセントの確立を引き当て、夜中の3時まで起きていた俺に奇襲されてまんまとレアアイテムを奪われたことになる。

 勝手な想像だが、おそらくパーティが何度か全滅(ワイプ)したせいで彼らもこんな時間までかかってしまったのだろう。死んだ隊長を蘇生させていないようだが、そういったアイテムを使い切ったとのだ考えれば、蘇生(リヴァイブ)役の後衛隊がいないのも含め辻褄(つじつま)は合う。

 それなのに、やっとの思いで手に入れた品は突然現れた3人組に、しかもその他3割のアイテムと一緒に奪われてしまった。

 そうなればゲーマーとして取るべき行動は1つである。

 きたない盗人から、奪い返す。

 

「卑怯な奴らだ、挟み込めっ!! 絶対逃がすなよ!」

「まだマナ残ってる奴はいるか!? 女の子供から狙おう! てかなんでこんな時間まで起きてるんだよ、こいつら!」

「ヒトんことは言えんだろう! とにかくオレが行くッ!!」

「ハマっちゃん遠距離系撃てるか!? 左から頼む! 俺が近づいて引きはがす!!」

 

 後方からは元気な声が聞こえてくる。やはり睡眠時間そのものがずれている集団と予想できる。

 

「(くそ、張り切りすぎだろ。完全に早トチッた。……こりゃ見逃してはくれないだろうな。隠れてりゃバレずにすんだのにっ!)」

 

 きっと今の俺には、客観的に見て冷静な判断ができていないのだろう。

 自分の迂闊(うかつ)な行動を恥じてはいたが、されど後悔ばかりしても始まらない。

 敵メイジの魔法攻撃と工匠妖精(レプラコーン)の弓矢による遠距離攻撃をどうにかいなしながら、たまに直剣で接近戦を仕掛けてくる闇妖精(インプ)を大剣で振り払う。

 あまりの眠さと限界に近い空腹が普段のポテンシャルを引き出せずにいたが、これも無理を通した悪因悪果。それでも、死にたくなければやるしかない。

 しかしその内、遅れて飛んでいた敵の1人が副隊長らしきおっさん系火妖精(サラマンダー)に叫んでいた。

 

「ダメだ! やっぱり土妖精(ノーム)は限界が早い! 最後にマナ使い果たすから、あとを頼む!」

「うっそマジかよ!? ドドマル限界だって!」

 

 後方から聞こえるセリフから察するに、おそらく土妖精(ノーム)の揚力が尽きたのだろう。

 かの種族は唯一、2つのステータス補正にてAランクを獲得する妖精で、しかもそれらは重要な基礎ステータスである筋力(STR)耐久(DRA)だ。近接戦にはめっぽう強い。

 反面、スピード補正は最低の『E』であり、飛行時間も短い。定点を戦場としない、あるいは敵ユニットに接近困難な地形で戦う場合に起きやすい彼らの弱点である。

 そしてアルヴヘイム・オンラインではそういった戦場や状況は頻繁(ひんぱん)に見られるため、かなり尖った性能の妖精と言える。

 ただし、今回ばかりは相手の戦力ダウンは望外なサプライズなので、アルゴの表情にも少し余裕が垣間見えた。

 

「よし1人落ちるゾ! 最後の魔法だけは気を付けよウッ!!」

「シリカ、よく見てしっかり避けろよ!!」

「は、はい!」

 

 減速寸前でノーム男の詠唱が終わる。スペルは9句。我は(エック)降らせる(フォーラ)石の(ステイン)驟雨(レイグン)、・嘘から(スッヴァエラ)逃げる(デッタ)、・罪を(イーリル)深く負う(ファンガゥ)村人へ(フォッスヴリ)

 いくつかはっきり聞こえていないが、俺の記憶が正しければ奴の唱えた魔法は《散弾岩(スプレッド・ガン)》のはず。こぶし大の石の飛礫(つぶて)を周囲に展開して、それを時間差で任意の方角へ飛ばす魔法だ。

 だが弾数こそ多いものの、その特性上照準(エイム)はガバガバ。この手のジャブは列をなして撃つことでニアデスのモンスターを確実に殺しきったり、開戦直後に牽制で使われることが多いはず。

 本当の意味で万策尽きたのだろう。あの攻撃が戦局を変えることはない。

 そうタカをくくっていた。

 しかし彼の詠唱は止まらず、すぐに追加のスペルが加わったのだ。

 

「ッ……!? クッソ、あいつ《重ね掛け》してやがる!!」

「ホントにマナ使い果たす気だナ!?」

 

 魔法の重ね掛け。一部の《魔導書》にのみ適応可能なテクニックだ。

 今までも回復・バフ魔法は詠唱後しばらくストックさせ、タイミングを見て発動することは可能だったが、放射系、範囲攻撃系は唱え終えた瞬間エイムされた先へ放たれる。

 つまり複数人でファーストアタックのタイミングを合わせたい場合、スペル詠唱が遅いプレイヤーに合わせて発音する必要があったのだ。

 だが《スプレッド・ガン》を初め、いくつかの魔法はこの弱点を補完している。

 発動確認から攻撃開始までタイムラグがあり、その間に少ないスペル、今回の場合はもっと(マージャ)強い(ミュース)怒りを。(ファーフリ)の3句を付け足すことで、マナポイントを追加消費するものの、効果を倍増できてしまうのである。

 これなら1人でも状況やマナ残量に応じて使い分けられる。

 アルヴヘイムの魔法が古代ノルド語というのは既知だが、初めの1句は我は(エック)汝は(スー)彼らは(セアー)我を(シック)我らを(オース)の5種類しかなく、それを相手に聞き取られる、あるいはアバター付近に浮遊した詠唱済みワードのスペルを肉眼で見られると、種類や意図をある程度予知されてしまっていた。

 ゆえに、こうしたテクニックで戦術の幅を持たせたのだろう。

 奴は3回《重ね掛け》をした。単体マナ20消費の4倍だから、実にマナ80ポイント分の《スプレッド・ガン》である。ノームの魔力ゲージが初期値のままなら、これだけでフル消費してしまう大魔法だ。

 頭の中で逃走路をリルートするが、すぐに膨大な量の石ころが弾丸となって降りそそぐ。

 

「全員右に旋回ッ!! 最大速で真っすぐ!!」

 

 ポリヘドラル状に迫る散弾岩。

 イタチの最後っ屁にしては少々でかい規模になった簡易広域攻撃に対し、俺達は(そろ)って同じ方向へ軌道を変えた。幸い彼はすでに下降し始めていて、ベストな射線を確保できない状態から放たれたため、放射線を描く石の弾速が特段速かったわけではなかった。が、いかんせん数が多すぎる。

 密度の低い空間を飛行したのにもかかわらず、質感のある音が耳元を過ぎていく恐怖を味わいながら、そのいくつかが全員に被弾した。

 

「うあっ……きゃあっ!?」

「シリカぁ!!」

 

 一瞬きりもむように、トップスピードのままバランスを崩したシリカは、墜落こそ(まぬが)れたものの大きく失速していた。

 車両のギアと同じで、高トルクから徐々に速度を上げるしかない今作のフライト・エンジン。ゆえに高機動戦時にブレーキをかけることは、それだけで大きなエネルギーロスとなる。

 ただでさえスティックありきでしか飛べない彼女が、追手を前に速度を殺してしまったらどうなるか。

 答えは明白だった。

 

「ジェイド! オレっちが運ブ!!」

「任せろッ!!」

 

 即座に判断した俺とアルゴは、弧を描きながらUターンする。

 視界の端でいくつかの色が光った。はっきりと視認していないが、言わば魔法版の発射光(マズルフラッシュ)だろう。

 姿勢崩しから本命の魔法攻撃へ繋げる連携アタック。《スイッチ》同様2人以上で行うシステム外スキル《空中当て(エリアルショット)》だ。ペアとなる仲間と息を合わせる必要があり、本命側は純粋なエイミング力も要求される高等技術。

 しかし敵はここで二兎を追う判断ミスをした。俺がシリカを守るため敵の直射型魔法を誘致(ゆうち)させ、ヒット直前で全弾回避。直後、アルゴがシリカの手を取って一目散に退避できたのだ。

 もっとも、おかげで敵に追いつかれた。

 副隊長らしきサラマンダーが両手用斧槍(ハルバード)を、戦闘員のインプの男が片手剣を同時に構える。

 

「クッソが、しゃらくせェ!!」

 

 巨神殺しの剣(タイタン・キラー)を振り抜くと、凄まじい金属音が響き渡った。

 引け腰の同族(インプ)へ大剣の一撃を見舞う。盾で防いではいたが、強烈な反動に耐えきれず彼はノックバックに流されていった。

 だがロングレンジで魔法ブッパ戦法でもなければ、空戦で止まるのは自殺行為。

 俺は剣をスイングした姿勢から力づくで片方の翅だけ高速振動させて受け流すと、今度は斧槍使いのサラマンダーへ決死の覚悟で急接近する。飛行練習の成果が発揮され、その胸に文字通りの飛び蹴りをくれてやった。

 しかし、ゴウッ!! と命中したのは籠手を装備した彼の腕だった。

 衝撃の大半が殺され、その結果にかすかに眉をひそめる。

 1人目をほぼスルーパスして意表をついた急接近のはずだったが、この男も相当な反射神経である。伊達にこんな時間まで起きているわけではないのだろう。

 すかさずハルバードによる反撃がくる。だがきっちりと大剣でガードし、俺はヒット&アウェイの要領でさらに距離を空けた。

 

「ヒュ〜、アメィジン! やっぱこのインプ、チョー強いよ!」

「イースさんマジメにやってくださいよマジでッ!! せっかく殺しきれるチャンスだったのに!」

 

 残念がる様子も見せない副隊長さんは確かに随分(ずいぶん)と呑気だったが、俺は連中の言い争いを無視し背後を警戒しながらアルゴを探した。

 眼下のフィールドに数秒視線を走らせ、見つけた。

 彼女達は一旦低空に逃げて体勢を立て直したのだろう。魔法の射程の関係からその判断は正しかったが、いつまでも頭を押さえられていてはいずれ逃げ場をなくす。

 高度を上げる必要がある。

 

「アルゴ、援護する! 上がってこいっ!!」

「わかっタ! 行くヨ、シリカちゃん!」

「はい! ……あッ、ジェイドさん後ろ!!」

「くッ……!?」

 

 ガギィイイッ!! と、寸でのところで斧槍による垂直斬りを防いだ。

 数瞬の差だった。

 見えていたわけではない。剣に当たったのは運がよかっただけだ。

 しかも斧槍が炎を(まと)っている。武器に炎属性ダメージを追加する炎魔法、《纏う高熱(ウェアヒート)》だろう。優秀な筋力補正値で多彩な武器の扱いに長けるサラマンダーでは、得物を振り回すのが好きなタイプによく使われている。

 だが、これはいったいどういうことか。まさか、先ほど一瞬の隙をついて30メートルほど稼いだ距離を、俺が視線をどけて警戒を解いた数秒で追いついて見せたというのか。

 不覚は認めるがたった数秒だ。俺も相対的には移動していたし、こいつは魔法の詠唱まで同時にこなした。

 ゲーム時間で夜中であるため、フィールドは暗闇。分厚い積乱雲からは荒れ狂うような雨が降っている。こうした悪天候日は、サラマンダーこそ慎重に動くのが定石……だったはず。

 この男のスピードと集中力は他の連中とはケタが違う。

 

「なんでテメェが隊長じゃないんだよ……ッ!!」

「ワオ、ナニ言ってるかワカラネ!」

 

 ゴッ!! と肘打ちを貰い、構えを崩されたところへ連撃を見舞われた。

 凄まじい速度で振りぬかれ、防ぎきれなかった俺の防具を2度も(かす)る。

 思わず大剣を振り回しながら距離を取っていた。

 1週間とたっていないが、俺とて削りまくった睡眠時間を除いてもプレイ総数120時間オーバーの人間だ。ただでは引かず防御姿勢の上から吹き飛ばしてやったが、アルゴとシリカが同時に唱えていた光属性魔法、《体力回復(ヒールバイタル)》と《光雲(ハレーション)》がどうにか俺を守ってくれなければヤバかった。

 しかし、それは後衛のいる敵も同じこと。これでは単なる時間稼ぎである。

 今日アルゴが手に入れた《ハレーション》なる魔法も、無害な光る雲をランダムに発生させて逃走の手助けをしてくれるだけの初級魔法で、やはり戦いの決定打にはならない。

 現に不自然に発光する雲海を抜けると、すぐに4人はこちらを察知し、鋭角で折れ曲がるなり恐ろしい速度で猛追してきた。

 真っ向からぶつかっても人数差で押される。なんらか他の手段で奴の反応と技術を上回る必要がある。

 

「この先にトンネルがあったろう! あそこに逃げ込む!」

「敵サンにもインプはいるゾ!」

「外よりはマシだ! 翅もヤバい!」

 

 こういう時、《セーフマスク》のおかげでこちらの作戦だけ聞かれないのは本当に楽だ。こんなものがなければ苦労をすることもなかっただろうが。

 なんて冗談を呑み込み、合図をもとに俺達は無言でジグザグに飛び続け、敵の断続的な魔法を回避しながら、30秒後にはぽっかりと開いた巨大な(くぼ)みの中に逃げ抜いた。

 突入直前にどこからともなく音の重なるパイプオルガンが響いたのと、透き通った女性の声で天空から全プレイヤー向けにアナウンスがあったが、大雨、遠距離攻撃の回避、着弾時のサウンドエフェクトで満足に聞いている余裕はなかった。

 いい加減吐き気がするほどの眠気と、雨でベタベタの肌から容赦のないストレスに(さら)されるが、奴らに位置は割れているので一息つく暇もない。真っ暗な細道を抜け、急いで彼女らに回復魔法を施してもらうと、俺も《暗視(インフライド)》をかけ返して万全を期した。

 視界と現場を再確認すると、アルゴはまたうんざりしたように言った。

 

「もう最悪! いい加減アイツら諦めてくれないカナ!? ここをオレっち達の陣地か何かと勘違いしてサ……」

「なわけあるか。サメは血を見たらむしろコーフンするもんだよ」

 

 俺も改めて見渡す。隠れる場所に選んだ場所は崩れかけの建物のようだが、乱雑と配置される家具にわずかな生活感を感じた。かつてはここで暮らすモンスターもいたのだろうか。だとしたら、多少は文明的な暮らしだったはずだ。

 しかしサッチャー系のリピールや範囲魔法を警戒してなるべく奥まできたつもりだったが、適当に入った木製廃屋の中はいたるところに隙間も多い。いったいどんな壊れ方をしたらこうなるのか、屋根も剥がれてまるっきり筒抜け。対処法を考えられる時間は長くないだろう。

 ただ不幸中の幸いなのは、岩壁の直径が広いことだろうか。うまく迂回すればすれ違うように彼らを()けるはずだ。

 

「ちっ、ボロボロすぎてここもダメだな、ロウジョーには向いてない。もっと狭い場所にさそい込もう。それか壁面1周して逃げるか」

「逃げ一択だナ。サラマンダーの男がとにかくヤバい。あいつだけはオレっちやシリカちゃんにはどーにもならないカラ、どうにかジェイドがタイマンで注意を……」

「あっ、あの2人ともっ、室内にだれかいます!」

「くッ……!?」

 

 理解するよりも早く体が構える。シリカの示す暗闇の先にはプレイヤーではなく小型のモンスターがチラついていた。

 シルエット全体は推し量るしかないが、しかし人型だ。

 片手、あるいは両手にハンドアクスか伐採用の(なた)携えている。無造作に伸びたヒゲや下駄のような(くつ)まで、彼らの姿は総じて(みにく)く、使い古した雑巾のように黒ずむ衣服からは腐ったガソリンのような異臭が漂う。ただし腕だけはボディビルダーのように屈強で、簡素ではあるが金属製の防具で最低限の部位を守っていた。

 見える範囲に数は4。俺のファンタジー知識が正しければ、こいつらはドワーフだろう。鍛冶、工芸に長けた神話上の亜人である。

 しかしなぜこんなところに彼らが。今日より酷いにわか雨が2日前に降った際もこの(ほら)で世話になったが、以前は1体たりともポップしなかったはず。

 それとも、10分ほどしか雨宿りしなかったうえに、当時は窪みの出入り口付近で止まっていたからだろうか。

 

「(ちっ……理由は後だ!!)」

 

 わずかによぎったモンスターの生態について考えることを放棄し、すでに交戦の構えを見せるドワーフ4体の中心にダッシュした。

 1体目の反射的な応戦をリーチ差で強引にねじ伏せ、続いた連携神風アタックを冷静にさばいていく。

 だが焦りは(つの)る一方だった。Mob戦には問題なく勝利するだろうが、本来はこんなことをしている場合ではない。トンネルとは言ったものの、実際はそれ以下の奥行(おくゆき)しか持たない『ちょっと大きい洞穴』だ。入り口付近で突撃準備をする彼らが気がかりである。もしこのタイミングで攻められでもしたら……、

 そこまで考え、ようやく奴らの狙いをトレースできた。

 

「(いや違う! 知ってて狙いやがったのか!?)」

「ジェイドまずいゾ! あいつらこっちに来てル!!」

「ああ、だろうなっ!! 2人はヒールをキープしながら限界まで奥に下がれ! 俺もすぐに追いかける!」

「で、デモ……」

「いいから行け、早く!!」

 

 猶予(ゆうよ)はもう10秒とない。迫るプレイヤー4人はドワーフの出現を知っていた。そして、Mobへのヒットを避けるため直接近づいて俺を斬り殺す気だ。接近戦に移った時点で生存の道は断たれる。

 俺は大急ぎでスペルを唱え始めると、どこからかワラワラと湧いて出たドワーフの援軍を際どい所でいなし続けた。

 敵は目の前。

 ――今ッ!!

 

「ハッハぁっ! ようやく獲ったァっ!!」

 

 敵がそう吠えた直後だった。

 俺は左手から黒い球体を投げ飛ばすのと同時に、『残りわずかな翅』を使って床スレスレを飛行し、部屋の限界まで後退した。

 球体が停止した点から半径8メートルに強い引力を8秒間発生させる、無差別タイプの闇属性魔法《重力渦旋(グラビテーション)》。勝利を確信していた彼らは一様に油断していて、小柄なドワーフともどもその渦に引かれる。それはもう、肉体が無造作にもつれ合う巨大なダンゴだった。

 

「しまった、これグラビだぞっ!」

「定期メンテで時間がないのに!!」

「クッソ! これじゃあドワーフにタゲられる!!」

 

 作戦成功によるわずかな安堵。なにを焦っていたのかは知らないが、スキなし文句なしの連携を見せていた連中にしては、ここにきて不用意な行動に出たものだ。これだけ密着したスシ詰め状態なら、奴らもモンスターの相手をせざるを得ないだろう。

 しかし俺は「ところでメンテとはいったい……」という疑問に気を取られ、《グラビテーション》によって捕らえられたプレイヤーが3人しかいないことに気が付かなかった。

 

「逃がすとオモウ!?」

「なぐッ……!?」

 

 視界外から土手っ腹に蹴りを入れられると、飛翔直前だった体が鈍角に折れ曲がり、さらに下層の地面へ強制的に叩きつけられる。

 背中から衝撃。息が止まる。

 思わず咳をしながらひざをついた。

 やってくれる。残り10秒ほどの翅を満足に使うことすら許されなかったというわけか。

 フラつきつつも、衝撃と共に舞った(ほこり)を手で払う。剣をつきながら立ち上がると、6メートルほど距離を空けて、深紅の装備に身をくるんだ男が轟音と共に廃屋の一室にランディングした。

 ――またこいつかよ!!

 と、したり顔のサラマンダー野郎にため息が出そうになった。

 うんざりするほど機転のいい奴だ。ドワーフのなすりつけ作戦を読んだのか、単なる直感がブレーキをかけたのかは知らないが、いずれにせよ自室に(こも)ってログイン時間だけを稼ぐ肥満体質だとしたらこんな動きはできまい。

 

「(それにしても、この部屋……)」

 

 元々は雑魚寝用だったのか、見立てだと部屋の面積は26平米ぐらいだろう。飛んで戦う広さでないのと、自然な形で得意分野へ誘えるチャンスのため翅はたたんでおいた。

 その誘いに乗ったのかは知る由もないが、「こっちはイイよ! ミンナは2人を!!」なんて仲間に呼びかけているサラマンダー男も翅はしまったようだ。

 地上戦の流れを掴めた。まずはそこに満足すると、《タイタン・キラー》をゆっくりと地面から引き抜く。

 いくら名刀でも未強化という点が気がかりだったが、贅沢(ぜいたく)は言っていられない。タイマンを決意した敵も正式名のわからない質感のあるハルバードを構え、互いに間合いを計り合って初めて彼の容姿をじっくり観察できた。

 元気そうな割には白髪も見え、顔のシワも深いが、がっしりとした体格の壮麗(そうれい)の男性だ。

 身長は同じぐらいだろうが、こちらと違って背筋が(たくま)しい。声の枯れ方にも独特の深みがあって聞きやすく、自信に(あふ)れた余裕からは威圧は感じても付け入るスキは見つからない。特別高級な装備でガチガチに固めているわけでもないのに、適度にほつれた重厚な戦闘衣装と、動きやすさに重きを置いた軽金類甲冑からは、ある種の手練れた気配すら感じた。

 セリフの節々から推測するに、アバターを操る本人の実年齢はもっと若いだろうが、歴戦の戦士を感じさせる完成度の高い構えだ。

 その戦力水準は、とても睡眠不足のコンディションで相手取っていいタイプの敵ではなかった。

 

「ホワイ、スゴい、マスクかかってるんだろうネ。よっぽどマナーがなくって、運営にオコられちゃったのかよ?」

「…………」

「ワオ、コワイ。オコんないでよ。……でもたまにはイイ日もあったよ。工場カンスイ、キザイは止まる。で、会社もすぐキタク。イヤな日だと思ったけど、こんなにパワフルなプレイヤーに出会えたよ。ワズベリィファン!」

 

 少し気が抜けてしまった。見た目に反してファンキーな野郎だ。

 あと、怒っているのではなく目つきが悪いだけである。

 ただアルゴのクセのような(なま)りではなく、ところどころイントネーションに違和感があった。『冠水』なんて言っているものの、知ったばかりの言葉を使いたくてしょうがないのだろう。かなり日本語を話せるようだが、二世か長期のホームステイか。出社したタイミングやこの時間に起きていることと照らし合わせて、夜勤ありの工場に勤めるただの出稼ぎかもしれない。

 同時に得心がいった。純粋な日本人でないばかりに、体感では最強であるはずの彼は小隊リーダーを任されなかったのだ。

 なんにせよ厄介な来日客である。偏見全開だが、きっと中身(・・)はジム通いのムキムキ男に違いない。

 

「逃げられナイよ。ナカマだっている。彼らはイイ人で……」

「急いでるんだ、さっさと()ろうぜっ!!」

 

 叫ぶと、大きく踏み込み容赦なく大剣をフルスウイングした。

 相手の筋肉も膨れ上がり、ハルバートを振り上げる。高純度の鋼を圧延(あつえん)した鉄塊が高速でぶつかると、ガチィンッ!!!! と金属音が炸裂し、三半規管を狂わすほどの高周波が大気と金属を伝わってきた。

 敵ながらいい反応である。重心にブレがなく、動きに迷いがない。オフの日に会って気が済むまで手合わせしたいレベルの戦士だ。

 しかし、この時だけは忌々(いまいま)しいだけの障壁。

 歯を食いしばり、反動すら攻撃の力に変えて重量装備を打ち付けると、振動と武器のたわみが手の感覚を奪ってくる。その不快な麻痺を上書きするほど腕を振り回すと、瞬間的に(きらめ)く凶暴的なまでのライトエフェクトを尻目に、足はさらに前進を(うなが)した。

 狂気の戦意は敵も同じだ。肘で殴られ、胸ぐらを掴んで投げ飛ばされる。

 ツバを吐き捨てて起き上がると、礼とばかりに膝で腹を蹴り返し、足払いをした後は、奴の厚い胸板を力の限り踏み(つぶ)す。

 頭突き、首絞め、足払いに、そして互いの剣が絡まって地面に()い付けられると、むしろ至近で笑い合い、隙あらば空いた手で殴り合った。

 騎士の決闘ではなく、意地で生きる雑兵の削り合い。獣共の雄叫び。睡眠欲が鈍痛に変わってこめかみ辺りを刺激するが、そのイラつきすら暴力に転換する。

 

「おおおおおおおおっ!!」

「ッらァアアアアアアあああああっ!!!!」

 

 ゴガァアアアアアアアアッ!! と、落雷に近い爆音が響いた。

 衝撃に打ち勝つ。奴の愛刀がボウガンに打ち出されるような速度で弾き飛ばされると、室内の端に深々と突き刺さった。

 一筋の勝機。

 ……だったが、サラマンダーは諦めていなかった。

 野太い咆哮(ほうこう)をあげると無手の状態なのに間合いを詰め、速度ゼロとなった俺の大剣を膨らんだ足で蹴り飛ばしたのだ。

 床にスライドしていく鉄塊。体当たりで追撃まで防がれると、互いに(コブシ)を握って即席のファイティングポーズでステップを踏んだ。

 翅を生やした妖精のアバター戦にしては随分と原始的な格闘に移ってしまったがバカにはできない。アインクラッドで獲得した《体術》スキルの熟練度の高さから、単純な殴り合いでも体力ゲージは微減するのだ。もちろん奴のスキル欄に同じものがあれば、それは俺とて同条件。

 しかもバーの先端は共に半分程度ときている。長い戦いになりそうだ。

 

「っくぞ、おるァアアッ!!」

 

 俺の飛び膝蹴りをクロスアームで防ぐも、奴は反動で大きく後退していた。

 浮いた腰をめがけて疾走。肩から強烈なタックルをキメると、大男を持ち上げて木壁を破壊するほどの勢いで部屋の最端に叩きつけてやった。

 一瞬息が止まったようだが、しかし今度は野生動物のような腕が俺の腰をがっしりと掴み、そのまま持ち上げられるとまったく抵抗する間もなく脳天から地面に激突させられる。

 ゴウッ!!!! という振動だけが残った。

 暗転する視界。耳鳴りに変わる音。頭蓋(ずがい)からのダイレクトな衝撃で意識が飛びそうになる。

 どちらの絶叫なのか、それとも悲鳴なのかさえも判別できない、不協和音のレゾナンス。

 それでも根性でどうにか(こら)え、もはや単なるバタ足攻撃で敵の顔面を靴底で引き剥がすと、すかさずインファイトへ持ち込んだ。

 俺には卓越(たくえつ)した武術なんてものは備わっていない。しかし並み以上の高校に進学した連中よりは殴り合いのケンカをしてきたつもりだ。

 裏拳、掌底、延々と殴り殴られ、裏返った声で腹の底から威嚇(いかく)し合うと、示し合わせたかのように同時に敢行した頭突きでよろめく。俺の拳がアゴを射貫き、今度は奴のそれがこちらの頬を強打。頭を押さえながら、なおも隙を見せないよう(にら)み合った。

 肩で息をしながらフラフラと近寄り、だらりと下がっていた腕を上げてアマチュアボクシングの続きをしようとした――その時。

 2人(そろ)ってある真理に気づいてしまった。

 ――どっちも素手なら、剣拾った方が早くね?

 

「…………」

「…………」

 

 シンクロした動きでそれぞれギギギ……、と首だけ愛刀の方へ向け、またもシンクロした動きで元の格好へ戻る。

 一瞬の静寂。

 視線だけで投合すると何も言わずダッシュで相棒へ駆け寄り、俺は辛うじてバランスを保つテーブルの下から大剣を拾い、奴は剥落(はくらく)した絵画に突き刺さっていた斧槍を引っこ抜いた。

 空いた距離で構えると、残量2割以下(レッドゾーン)直前で本格的に仕切り直しだ。

 倒れそうなほど眠いのは間違いないが、こちらには2年仕込みの大剣戦術ならある。ただ、それに難なく追随(ついずい)してくるということは、この男にとってもこの距離でしのぎを削るのは臨むところなのだろう。

 

「(なに面白いと感じてんだ俺ァ……)」

 

 普段ならリスクヘッジして手を引くところだが、俺のテンションが破滅的に高いことを奴は後悔することになるだろう。

 

「やッハッハ、アメイジン! 激しいバトゥ!!」

「そうだな。クソッタレが!!」

 

 またも激突。花火のようなエフェクトに目もくれず、部屋中を縦横無尽に駆け走りながら手足の延長のように武器を交差させた。

 しかし絶え間ない金切り音のなかで、一瞬の集中切れが戦局を動かす。

 俺が片足を滑らしてフラついた瞬間だった。

 やはりベストな状態ではない。そのかすかなチャンスを目ざとく突いてきた彼は、軽く足を払って転倒させると、突然4枚翅を広げ一気に8メートルほども飛揚(ひよう)して見せた。

 直後に高速落下。俺もよく知る……というより、つい数十分前まで繰り返し練習していたシステム外スキル、跳躍急降下(ソアー・ダイブ)だ。

 

「ぐう……くッ!?」

 

 重低音が空間を支配し、信じられない過重圧が鉄製大剣を超えて全身に降りかかった。

 《ソアー・ダイブ》。発祥(はっしょう)の理由は、飛翔時間を稼ぐためである。

 《飛行》は地上走行に比べトップスピードが比較にならない。そして3次元的な移動により多彩な回避を可能にし、さらにチーム力次第では瞬時に多角攻撃、包囲殲滅、掃討を行うことさえできる。

 ゆえに飛行できる時間の長さはそのまま汎用性の高さともみなされ、ハイレベル戦となると無駄な動きを削り、翅を倹約(けんやく)する技術も求められる。

 ずっと飛び続けるには《アルヴヘイム・オンライン》に用意された最大級、最難関のグランド・クエストをクリアしなければならない、らしい。

 『らしい』というのも、その現象を目撃したユーザが存在しないのだ。

 あるのはグランド・クエストを達成した者、またその人物と同じ種族は《光妖精(アルフ)》という種族に格上げされ、永遠に空を舞う能力を与えられる、という謳い文句だけ。

 ただしこれはインパクトの強い目標だ。

 少なくとも9種族の中で、常に1番を欲し続けなければならない。ある意味では強迫観念に近い対抗意識を植え付けるには十分だっただろう。

 リリース直後から略奪と競争が絶えない理由もまさにこれで、現在も他種族を出し抜いて我先にクエストを達成せしめんと、各妖精の(おさ)達が中立域での殺人もいとわず奮闘しているわけである。……いや、いとわないどころかむしろ推奨している。おかげで流浪(るろう)の俺達には安寧(あんねい)の時がない。

 そして永遠の飛行は単に戦闘で役に立つというだけでなく、自由に空を舞う解放感をどんな制約にも邪魔されなくなることを意味する。

 帰属意識の高い連中が何よりも優先する究極の目標であり、念願の夢。道理で誰も呼び掛けに応じないはずだ。

 脱線したがとどのつまり、全プレイヤーはまだ限られた飛翔時間をやりくりして戦っていかなければならない。

 そうした試行錯誤から《ソアー・ダイブ》は生まれた。

 一戸建ての住まいを1~2建ずつウサギ跳びするイメージだろうか。助走と瞬発的な脚力をアシストにして、タイミングを合わせて翅を急速振動&急上昇。そして10メートル前後の高度を活かし、以後は翅を伸ばすだけの滑空(グライド)とを繰り返すことで、落下ダメージも追わず恒久的な3次元移動をしようという魂胆だ。横方向への最大速を捨てて立体軌道、立体戦術の時間を大幅に向上させた移動・恒常戦闘用システム外スキル。

 しかしそれを移動ではなく格闘戦に取り入れた奴がいる。このあっぱれなサラマンダー男である。

 俺に翅の力が残っていないことが原因だが、実際効果は覿面(てきめん)で、重力を味方につけた重い一撃には筋肉も分厚い大剣も悲鳴を上げている。

 床底がミシミシと(きし)んだことに気を取られていると強烈なキックによってまたも倒され、ほとんど同時に一瞬で再上昇された。

 

「(マジ……かよ……ッ!!)」

 

 思わず悪態をつきそうになった。

 今度こそ(もろ)くなった床が持ちそうにない。しかし彼のスピードは本物だ。回避不能と判断すると、ダメもとで巨大な大剣を体の正面で腹を見せるように防御態勢をとった。

 ダイブによる最高速突進。地面への激突で普通なら委縮するだろうが、彼に恐怖らしき感情はなかった。

 ゴッパアァアアアアアっ!! という衝撃。ポリゴンの光るエフェクトと、そして爆音。木板を重機でへし折ったような音が背中から伝わってくると、気づいた時には浮遊感の中にいた。

 施設の床底が崩れ抜けたのだ。

 体中を壁面にこすりつけながら、俺とサラマンダーは()みくちゃになって抜けた部屋底のさらに下へ転がっていった。

 視界は滅茶苦茶でなす術もなく、すぐに肩から衝突(しょうとつ)すると木材の砕ける音が連続する。自由落下しているわけではないが、どうみても1階2階程度の高さではない。俺達は10秒近くかけてゴロゴロと回転し、マップを更新しながら新たなエリアへ移動した。

 回転が止まって地面に落ちるとベチャッ、という不快な音と感触を浴びせられたが、そもそも死んでいないことの方が奇跡だった。

 

「が、は……クッソ……」

 

 それに光をほどよく通さない暗闇でも、暗視用魔法《インフライド》はまだ効いている。全身打撲によるショックと体調不良、空腹、睡眠不足が重なった今にも死に絶えそうな気持ちをなるべくなかったことにしつつ、俺は急いでロストした大剣を探した。

 

「ぬわァッ!?」

 

 そして捜索は2秒で終了。

 ビュンッ!! という風切り音が(かす)り、数瞬前まで首があった場所には生々しいハルバードの攻撃が炸裂していた。サラマンダー男は武器を手放さずさらに体勢を立て直し、地に伏す俺へ追撃までして見せたのである。

 ヒット寸前に汚い地面を()い回ったせいで、体は謎の液体でドロドロのギトギト状態。しかも果てしなく臭い。とりあえず服をベタベタに汚しながら四つん()いで距離を取ってみたものの、客観的に万事休すだ。

 こちらは武器も体力もなく、圧倒的不利という段階はとうに過ぎ去り、ニアデスの上に逆転の手段も残されていなかった。

 しかし。

 それでもなお、俺の体は限界を超えて斬撃を回避し続けた。

 もう1週間も会っていないヒスイの顔を思い出すと、その掻き(むし)りたくなるような(わずら)わしさが、わずかな気力に転化されたからだ。

 

「(ワリィけど往生際の悪さが強みでねッ!!)」

 

 消滅しかけた戦意が(とも)る。

 壊れかけの水車に隠れ、短い梯子(はしご)を一息に蹴ると木で作られた足場を次々に渡り、天井のある洞窟内なのに大規模に展開される樹上アスレチックじみた施設をがむしゃらに逃げまわった。

 施設を破壊して進む敵に躊躇(ためら)いなんてものはさっぱり存在しない。メニューを開いて《クイックチェンジ》先に登録されるもう1つの大剣、《エッケザックス》をロードする悠長な暇もない。

 だが一見する限り勝てる見込みがなくなったとしても、ゲームオーバーとなるその瞬間まで絶対に諦めないのが信条である。

 まさに『人を守りたければ、まず自分を守れ』だ。アルゴやシリカを守りたいと願うなら、俺がここで倒されるわけにはいかない。

 

「アッレ~! ……ハァ……そんなセコイ人だったの!! ……ハァ、逃げ回ってジカンカセギかよ! 逃げないでよ!!」

「ゼィ……るっせェ、死ねねェんだよこっちはッ!!」

 

 結果的に近い形にはなったものの、心の底から決闘をしているつもりはない。したいのはやまやまだが、今はその時でもない。

 しかしトドメをさせないと観念したのか、サラマンダー男は思ったよりも早く追撃を中止した。

 俺も体力を温存させるために無駄な行動をせず止まる。「ここは炎系のマジックはウテないし、ウェール……タァイムアップ……」なんてブツクサと言っているが、俺が言葉の意図を探る前に男は両手を広げてこんな風に切り出した。

 

「楽しかったニハ、楽しかっただよ! アイテムはドッチでもいい!」

「……はあっ?」

「またヤレる日! あったらトゥ、ファイッ! ワタシはイーサン・ステイン! ちゃんとナノったよ。チョー、ストゥロン、インプ!!」

「な、なにを言って……うわっ!?」

 

 何かが強く発光したかと思ったら、突如目の前にあった深紅の装備がプレイヤーごと消え去っていった。

 移動魔法かと周りを警戒しても音沙汰なし。頭をブンブンと振ってみたが、眠過ぎるがゆえの激しい頭痛が潜り込んできただけ。

 正真正銘、敵が丸ごと排除されていた。

 モンスターの息遣(いきづか)いすら聞こえない、前触れのない沈黙。いったいどうなっているのか。そもそも瞬間移動するタイプの魔法やアイテムは存在しなかったはずだし、ほぼ勝ち確だった奴らがここで撤退する意義も見いだせない。

 しかし現実に生き延びた。だとしたら、俺はいったいどういう理由のもとで助かったのだろうか。

 

「ハァ……ハァ……なんだそりゃ……ハァ……」

 

 考えても答えは見つからなかった。

 半歩ずつ歩きながら、俺は熱気を排出させるように深呼吸する。極限まで張り詰めていた集中力が切れた瞬間だった。

 思考はますます鈍化し、千鳥足でベタつく地面に降り立つ頃にはそんな疑問も薄れていく。

 それに男が最後に残したセリフも気になる。イーサン・ステインと名乗っていたか。文化の違いか知らないが珍しい行動だ。せっかく歴戦の老兵然とした風貌(ふうぼう)なのに、ヤングチックに振る舞うと台無し感も強い。

 ギルドないし、少なくとも野良集まりよりは仲間意識のあるパーティに参加しているように見えたのに、受けた損害に対して想像以上に飄逸(ひょういつ)な男だった。名前に関しても、仲間からは『イースさん』と呼ばれていた気もしたが、なるほど発音がネイティブだと『イースン』と聞き取れないこともない。あるいは単に愛称か。

 視界が揺れる。どこに向かっているのかもわからない。ただ、足だけは止めるなと、細胞のどこかが痛みと一緒に訴え続ける。

 それにしても腹が減った。寝る前に何か詰め込みたいものだ。今日だって柑橘(かんきつ)系の味を適当に詰め合わせた酸味たっぷりの丸い果物と、ゆっくりいぶした小魚とヘビの燻製(くんせい)を数匹かじっただけである。

 男の見栄が邪魔し彼女らに優先して食糧を回したせいもあるが、とても腹の(ふく)れるようなメニューではなかった。だいたいあれらが食用だったのかすら怪しい。

 この空間はヒドい匂いだ。何とかならないのか。廃油と有機溶剤を好みの配分で混ぜた汚濁水を撹拌(かくはん)させ、半年ぐらい発酵させたような臭さである。もっとも、そんな匂いを()いだことがないので完全に予想で言っているが。

 足がまるで(なまり)のように重い。激しい眩暈(めまい)も止まらない。俺は前に進めているのか。

 いつリファレンスが更新されたのか、エリア名は《ドヴェルグスレイブ・油田工場跡》とある。なるほど趣味の悪い巨大なインテリアだと思っていた物も、離れて眺めると掘削(くっさく)を目的とした機材だということがわかる。

 ガソリンの匂いがしたあの汚いドワーフ達もここからやってきたのだろう。淡く紫色の光を灯す誘蛾灯(ゆうがとう)がチラホラ乱立しているが、とても清潔な職場環境とは思えなないし、手元が暗ければどんな職人も手が汚れる。

 この世界に転送されてからもう1週間とたつが、まだ打開策は見えない。遭っては戦い、戦っては場所を変える。こんな生活は金輪際こりごりである。フィールドの僻地(へきち)でこうして強敵を退けたものの、果たしてこの行動にどれだけの意味、価値があるのだろうか。

 暗視は生きているのに目の前が真っ暗だ。

 どうしてもまっすぐ歩けない。

 ああ、この重厚な大剣は……。やっと俺の剣を見つけた。世話の焼ける相棒だ、泥だらけじゃないか。

 早くこれを担いで逃げないと。それとも、持って構えるべきだったか。武器がないとサラマンダーに勝てない……いや、奴はもう倒したのだったか。

 いや待て、倒してはいない。確かあいつは消えて……、

 俺はこれから、いったい……、

 

「アルゴ……シリカ……すぐいく、から……」

 

 ドチャ、と。頭から突っ伏すように倒れたことすら自覚できなかった。

 小さくささやいただけで、剣すら持ち上げていない。

 限界が訪れる。すでに指先すら動かせず、俺は深く、そして沈むように意識を失っていくのだった。

 

 

 

 

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