SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第114話 滑稽な合図(グッフィーサイン)

 西暦2024年11月20日 北山深層、《ルド教会布教域》

 

 肩で息をしながら敵を見据える。開戦からすでに10分近くたっているが、PvPでこれは異常な長さである。

 しかし無理もないか。形式こそ旧デュエル風だが実態はポーションガブ飲みの消耗戦で、回復しながら安全優先で牽制し合うあたり、互いに本気で殺す気がないのかもしれない。

 俺達はデスゲームを2年間も体験してしまった。ゆえにタイトルこそ違えど、相手が同じSAO出身者であれば、それを亡き者にする行為に少なからず抵抗を覚えてしまう。奴の真の動機は不明だが、剣を交えているのに殺気がないという、俺が感じた違和感はこれだろう。

 まったくもって無意味な抗争。チャンバラごっこに近い斬り合いを中断して距離を取ると、俺は思わずテグハに向かって叫んでいた。

 

「おい、わかってんだろう! ハァ……俺らは……死んだら実験体だ。……ハァ……てめェも殺しが目的じゃないなら、こんなこと……っ」

「う、うるさい! だまれ!! ゼィ……お前ばかり優越感に浸って……ゼィ……恵まれて生きてきた奴に、オレの何が……ッ!!」

 

 ダンッ!! と踏み込み、またも鋭利な刃が電光石火のごとく連続して襲いかかる。今の彼には言っても無駄なようだ。俺に対して何か大きな勘違いをしているようだったが、それを訂正している時間もない。

 膂力(りょりょく)に秀でた(ノーム)の斬撃を、俺は正面で貰わず受け流し、軸足を蹴って姿勢を崩す。

 まずはよろめいた背に一撃。小気味いい斬撃音が響くと、奴の方から腰にかけて真っ赤な切創痕(せっそうこん)が残った。

 『撃たせてからカウンター』は手札の少ない相手に鉄板でもある。やられた彼の顔はさらにゆがみ、体のあちこちにエフェクトを刻み、なおも歯向かおうとする姿勢は嫌に痛々しかった。

 だが実際、戦況は俺に有利だった。

 それを実感すると心に余裕が生まれ、赫怒(かくど)した彼の攻撃から一定の規則性を見つけ出した。

 そうなると戦いの趨勢(すうせい)は決まったようなもの。俺はたいした労なく相手の攻撃をいなし続ける。

 そして、とうとう彼の両足に重い一撃が入った。

 ザクンッ!! という反動に、奴はゴロゴロと転倒(タンブル)して握っていたシミターもロスト。それが決定打となった。

 

「ぐああっ!? ……ちくしょう、が……ッ」

「ハァ……勝ったぞクソが。まだやるってンなら……」

「おい、君ら何をやっているっ!!」

 

 剣を上段で構えた瞬間、ピタリと動きが止まる。

 振り返ると、怒鳴りながら駆け寄ってきたのはリックのチームだった。水色衣装の彼の後ろには、影妖精(スプリガン)のブライアンもビクビクしながら追走している。

 確かにリック達は比較的近くのエリア捜索を担当していた。決闘もどきに夢中になり、知らぬ間に移動して彼らに感知されてしまったらしい。いや、この場合はそれに感謝するべきか。

 どちらにせよ、リックは呆れたように口を開いた。

 

「……しっ、信じられない。君らのペアはイヤな予感してたけど、もうケンカしてたのか!? ジェイド君も……抑えるように言ったじゃないか!」

「先に突っかかってきたのはコイツだ」

「お、オレは先手を打とうとしただけだ! ことが起きてからでは遅いだろう!」

「ヘリクツだな。別に俺は、そうまでしてパーティを仕切りたいわけじゃあ……」

「今までそうしてきたじゃないか! アインクラッドで、女性達を見せつけるように。……それともッ、ゲームが変わって人まで変わったか!? とても信じられんな!」

 

 またしても平行線の口論が起きる直前、リックは背負っていた長槍を強引に俺達の中心に突き立てた。

 激しい金属の振動に押し黙ると、彼は険しい表情のまま切り出す。

 

「そこまでだよ2人とも。今は仲間割れをしている場合じゃない。……はあ、まったく。……ここで起きたことは全部リンドさんに報告するし、今後はすべて彼の判断に従ってもらう。『隊長さん』の決定なら、テグハさんも文句ないでしょう?」

「……フン、納得はしないだろうがな」

「俺のセリフだ。このガイコツづらが」

 

 フンッ、と互いに目を()らすとそれ以上会話はせず、リックによる「ちょっと頭を冷やさせる」という提言のもと、俺は特徴のないノッペラ顔のブライアンと行動する運びとなった。

 まあ、すでに食材確保の時間も間際だったが、もちろん俺としてはあんな取り付く島もない人間と1分でも早く別れられてせいせいした気分だ。

 

「(けっ。これで俺が責められたんじゃたまらねェな……)」

 

 リンドが眉間にシワを寄せて説教するシーンを思い浮かべると、ケルピーらしきモンスターの首を()ねながらため息をつく。

 

「(それにしても……)」

 

 黙々と狩りを再開したものの、このブライアンという男も相当に愛想のない奴である。チームを入れ替えてから「さ、災難でしたね……」と言ったきりだ。

 おまけにALOに来てから2週間とたっているのに戦闘はどこかたどたどしく、集中力に欠けていると言わざるを得ない。

 リンドやリックはともかく、俺の気が立っているものと配慮しているのか知らないが、オンラインゲーマーには態度のなっていない社会不適合者が多すぎるだろう。

 ――おっと、人のことは言えないか。

 

「(しゃーねぇな……)……なあブライアン、あんたもあっちじゃ攻略してたんだよな。最終レベルはいくつだったんだ」

「えっ、さ……最終レベル、ですかっ……?」

 

 俺の問い詰めるような質問に対し、彼の表情は思っていたより難色を示していた。突然だったからか、もしくは昔のクセで警戒しているのか。

 何にせよ、口調を穏やかなものに変えつつ再度口を開く。

 

「なんだよ今さら。ほら、SAOは終わったんだ。別に聞いてもいいだろう?」

「そ、そうですよね。えっと……70でした。70です」

「へえ、じゃあ前線はやっぱり厳しい感じか。思ったよりレベルはなかったんか。スプリガンまで押し付けられて、この2週間大変だったなオイ」

「え、ええそうなんですよ、アッハハ……。昔から臆病でして。さっきも言いましたけど、人のおこぼれで生き残ったようなものなんです。文字通りハイエナですね……。だから、あなた方が斬りかかった時は、ボクすごく怖かったんです」

「はあ……?」

 

 ふとした返事だったが、俺は少しだけ違和感を覚えた。

 

「『斬りかかった時』ってあんた、最初から見てたのか?」

 

 驚いた声が大きかったからか、彼の焦点がまたブレた。俺がそう聞き返した瞬間、彼の表情に微かだが後悔の色が(にじ)んでいたのだ。余計なことを口にしてしまった時の顔だ。

 クセなのか唇を軽く()む。そして一拍の間をおいてバツが悪そうに咳払いすると、自分の言葉を早口で訂正した。

 

「あっ、違うんですよ。声をかけようとは思ったのですが、ヘタに動くと巻き込まれそうで怖かったんです。それで、その……後はフリデリックさんが駆けつけてくれて、ボクが、えっと……事情を話したという次第です」

「……はーん、まいいけどさ。恨んじゃいねえよ、そりゃ他人のいざこざに首突っ込むのはイヤだろうしな」

 

 薄情な対処を(とが)められると心配していたのだろうが、俺が声のトーンを変えずにそう締めくくると、ブライアンは軽く息を吐いて緊張を解いたようだった。

 相変わらずのキョロッぷりに鼻で笑ってしまったが、時間も時間だったので談笑もそこそこに俺達は狩りを切り上げて他班と合流した。

 集合地でアルゴとばっちり目が合うと、互いの無事を確認できたからか小さく微笑む。わずか1時間ほどだったが、こうして変わらない顔ぶれを見られただけで安堵はするものらしい。

 各自報告と一般プレイヤーとの接触の有無を確認していたが、誰も問題はなかったようだ。肝心の備蓄も優に1週間分は貯まり、飢えへの対策は上々と言えた。

 ただし問題がないという点は、俺とテグハの関係を除いて、である。

 報告を聞いたリンドもこめかみを押さえていた。

 

「……それで、互いの主張がかみ合わず、再開初日から決闘もどきをしていたわけだ。……まだ未遂でよかったものの、これでどちらかが死んでいたら俺達全員の生存率が下がるし、ヘタをすれば駐屯地が他種族のプレイヤーに割れかねなかった。全員を危険にさらす行為だったんだ。理解しているな2人とも」

「……はい、隊長」

「おう。でも俺は悪くないぜ」

「言い訳するなジェイド。ソリが合わないのはわかるが、どちらも歩み寄らないなら永遠に変化もない。違うか?」

「……そうだけどよ……」

 

 ムスッとして首だけ傾けたが、リンドは存外頬を緩めてうなずいた。

 

「よし。過ぎたことはここまでにするが、不問にするのは今回限りだ。よく覚えておけよ。……さて今日は先週に続きメンテの日……のはずだが、連中から見て俺達はSAOから同じ顔とステータスを引き継いだエラーの塊みたいな存在だ。特に『顔が同じ』というのは大きな脅威となる」

 

 リンドは改めて口にしたが、これは生存者全員の共通認識だった。

 8人に増えてから送られる最初の行動方針に、メンバーは姿勢を正して傾聴した。

 

「……というわけで、俺達は攻撃された場合の備えをするべきだ。初日の混乱を差し引いたとしても、奴らがいつまでも対処に出ないとは考えにくい」

「でしょうね。研究員らの権限、とでも言うのでしょうか。どれだけ自由にこちらに介入できるのかは知りませんが」

「ああ。現にチートコードを使わない……つまり、運営が不正なくユーザに手を加えられる範囲で俺らは数々の妨害を受けている。そして、《定期メンテナンス》という閉鎖された環境では、これがもっと酷くなるかもしれない。……という仮定のもと、睡眠時は交代で見張りを立てようと考えている。1人1時間、今日だけはもう遅いから男性だけで、明日から女性2人が最初という順番でどうだろう。異論があったら言ってくれ」

「ないぜ、じゃあ俺は今日トップバッターで」

『…………』

 

 リンドに間髪入れず良い位置を確保すると、直後にその場の全員から冷たい目で見られたが、「んだよ、いいだろ?」と念を押すと、みんなして肩を落としながら承諾してくれた。

 だいたい俺は、この11時間休憩をアテにしたからこそ連日身を粉にして頑張ってきたのであって、息継ぎ直前でまた水に沈められるのはゴメンである。もう今にもブッ倒れそうなほど眠いのだ。

 俺が目を合わせないよう剣のプロパティを眺めているとブライアンやテグハも続き、見張りの順番は固定ではなくローテーションする流れでまとまると、俺はさっさと集団を離れて座り心地のいい場所で腰を下ろしてしまう。

 俺が不機嫌だと察したアルゴやシリカも、どうやら2人で過去の話に華を咲かせているようだった。とはいえシリカはすでに眠そうにしているし、これでしばらくは1人になれるだろう。

 たまの孤独も良きかな。

 

「(合流できてもたった8人。持って数ヵ月ってとこか。……それにクロムのおっさんはメンドー見いいけど、攻略じゃあんまり話すことはないしなあ。リックぐらいか、合いそうな奴は。……くあっ……ねっみ……)」

 

 俺は不覚にも大きく口を開けてあくびをするが、見張りが速攻で寝てしまうと元も子もないので、どうにか頬をつねって意識を覚醒させる。

 しかし俺が時給の出ないバイトを始めてわずか15分後、ある異変が起きた。

 すでに午前3時前で、各々メンバーも少ない時間で旅の疲れを(いや)しているだろうと思ったのだが、すぐ背後でゴソゴソと物音がしたのだ。

 音源は次第に近づく。

 だが、大剣のグリップに手をかけたのはほんの数秒。背の高い植生を横断するプレイヤーはブライアンだった。

 曲がる前髪をかき分け、気弱そうな顔を向けている。

 

「や、やあジェイドさん」

「なんだ、後ろ取んなよブライアン。てかまだ寝てなかったのか。寝れるうちに寝とくのも戦士のツトメだぞ。……もしかして、2週間も1人で生き残っちまうと、他人に命とか預けらんねェか?」

「まっ、まさかそんな! ジェイドさんのことは信じていますよ、ボクも生活はギリギリでしたし。……ああ、ただ……さっきからあなたがとても辛そうにしていたので。何日も女の子2人を守りながら戦ってきたのでしょう? 無理もありませんし、ボクにはできませんよ」

「そりゃどーも。……わざわざそれを?」

「……ああ~、ですから……つまりその、少し自分が情けなくなったと言いますか。……アッハハ。次はどうせボクの番ですし、残りの時間も合わせて、ジェイドさんの見張りの当番を引き受けてあげようかなと……」

「は、マジで言ってんのそれ……?」

 

 正直目が(くら)みそうになるほど魅力的な提案だった。

 ストイックに追い込んだおかげで対人、対攻略の双方において相応の自信を得られるまでに至ったが、代償として健康被害がはなはだしい。ちょうど1週間前に火妖精(サラマンダー)との戦闘後に昏倒した状況が近いだろうか。

 せっかくの申し入りだが……、

 

「(けど、なァ……)」

 

 しかし、俺は知らず知らずの内に認識してしまった。彼の双眸(そうぼう)の奥にたゆたう、獰猛(どうもう)な欲望を。

 純粋な好意とは異なる表面的な提案に、改めて危機感が募ってきた。

 まさか、そんなことがあり得るのだろうか。

 それでも、彼の存在を認識したのは最長のリンド達でさえわずか3時間前だ。

 一瞬で彼の今までの発言が繰り返され、(うず)く脳幹を無視して割り込んでくる。仮説はあった。またいらぬ亀裂を生むだけだと、なるべく考えないようにしていたが、しかしどうやっても矛盾点はない。

 彼は焦っている。ささくれのような違和感だったが、微かに鳴った警鐘(けいしょう)が素直に首を縦に振らせなかった。

 俺は脳に響く鈍痛を無視し、ご高配にあずかる前に思考の回転数を上げる。

 

「そいつぁいいな、助かるよ」

「よかった。それじゃあ……」

「けど、ちょっと待ってくれ。一方的にはさすがにワリィって。さっき10分ぐらいモンスター狩りしてた時さ、動きがギクシャクしてただろう? たぶん自分が思っている以上に疲れたまってンぜ、あんたも」

「い、いや大丈夫だよボクは。もっぱらハイエナだと実戦じゃあんなものさ。……それに今きみが言ったように、ボクとジェイドさんには実力差が結構あるでしょう? どっちが長く休むべきかは誰の目にも明らかだよ。ほ、ほら……察してよ……ボクも皆の役に立ちたいんだ。見て見ぬ振りをした……さっきの謝罪にもなるしさ」

「ブライアン……」

 

 うまい返しだ。そうまで言われると断りにくい。

 時間ずれの関係から空は燦々(さんさん)と照っていたが、俺もまぶたが限界だったので、近づいて彼の肩を叩くと単刀直入に最後の確認を取ることにした。

 

「気持ちは嬉しいよ。じゃあ好意に甘えるとして……ただ、あんたが危険になったらすぐ仲間を頼れよ。……よもや覚えてるよな? SAOの……今は消えた、アインクラッドで定着した『鉄のルール』を」

「え……えっ……」

 

 見定めるような、絡みつくような、尋問に近い腹の探り合い。

 途端、ブライアンの顔に小さな汗が浮かんだ。そして同時に、まるで重い借金でも取り立てられているかのように、全身が強張っている。

 わざとらしく肩にかけた手に力を込めると、そんなブラフすら効果覿面(てきめん)だった。一向に視線を合わせず、グビッと生唾を呑み込み、また唇を軽く()むとゆっくりと質問してきた。

 

「アインクラッドの……鉄のルール……?」

「ああそうさ。攻略における心構えだ。これだけは守ろう、つう不文律。有名だったよなァ? ……オイオイまさか、アンタは2週間でソレ(・・)を忘れちまったのか? んんっ?」

「いっ、いやまさかッ……ハ、ハッハハハ……」

 

 語気を強め音程をさらに一段落とすと、いよいよ挙動がおかしくなった。彼の視線が俺と合わないどころか呼吸も浅くなっている。何かセリフや情景を思いだそうとしているのか、キョロキョロと辺りを見渡してせわしなく動いた。

 もうこの時点で確信はしている。

 そしてとうとう思い至ったのか、ブライアンは自ら『白状』した。

 

「あっ! も、もちろん覚えているとも! 『人を守りたければ、まず自分を守れ』、だろう!? 当時はその、よく言われてたよね……?」

 

 その顔は、難問の回答を探り当てた生徒のそれだった。

 リンド達の近くでログインしたのも、『俺達の座標を追える』という仮説を裏付けてくれる。

 そして聞いた瞬間、溜まったうっぷんをぶつけたいという欲望と、1歩踏み留まれと叫ぶ冷静な自分が葛藤した。殺しは論外だが、だとしても……、

 ――ああ、やっぱり。

 

「ハッ……正解(・・)だよ。この、クっソメガネがァッ!!!!」

「ゴガァァあああッ!?!?」

 

 顔面の左側に不意打ちの拳を入れると、その体ごとブッ飛ぶ前に胸ぐらを掴みとり、もう1度気合いを放ってから抜刀直後に大剣による気合いと制裁を与えてやった。

 武器越しに伝わる軋轢音(あつれきおん)

 ゴッパァアア!! と、今度こそなんら声も発せられず、ブライアンはグルグルと舞ってから丘の下に着弾した。もちろん剣の腹の部分で殴ってやっただけなので、間違っても一撃死はない。

 追うように段差を降り、ザンッと草地を踏みしめると、土煙の中から情けない声が届いてきた。

 

「がっ、げほっ……クソ……なぜ!?」

「なにが『なぜ』だ? あァ?」

「まっ、ハハ……ま、待ってくれジェイドさん! きみは何か勘違いをしている! ボクはみんなの味方さ!!」

「マヌケが。それはアインクラッドのルールでも何でもない」

「ばッ……!? な、にを……っ!?」

「ヒスイが……俺の恋人が、最後の戦いの前に1回ささやいただけだ。他の誰かが知ってるはずねェんだよ。……たった1人を除いてなァ!!」

「あっ……あ、ああ……!!」

 

 驚愕に見開かれた眼には、きっと2週間前に起きた《ラボラトリー》での戦闘が映し出されているだろう。

 俺はあの日、戦場に潜り込んだ敵に向けて同じセリフを言い放った。

 勝てもしない戦いで粋がるからだ、なんてことをほざいていた時だろうか。当時は偶然思い出した彼女の受け売りフレーズを皮肉交じりに返しただけだったが、奴がそれを覚えてくれたことで功を成した。

 当の男もこんな方法で正体を看破されるとは予想できなかったのだろう。泥を払うのも忘れ、やけに面白い面相をしている。

 それにしてもまったく、あの愛するおせっかい女は現場にも居合わせないでまた俺のことを救いやがった。これでは負債が増すばかりである。

 

「だ、だとしても理屈が通らんだろう!? 今のお前の聞き方は! すでに私を疑っていなければできなかった!!」

「実は俺、クソ野郎アレルギーなんだよ」

「そ、そんなアレルギーがっ!?」

「……なわけあるかアホが」

 

 俺は深いため息をついてからマヌケ面に向かって言い放った。

 

「SAOでの暮らし方、世界樹からの脱出法、2週間分の生活風景……『設定』した部分だけは見事だよ。スジは通っているし、確認のしようがない。けどな、そこまで設定しておいて、肝心なトコがお粗末だから見えねェんだ」

「くっ……ただのガキが、調子にのって……ッ」

 

 特徴のないノッペラとした作られた顔をひときわ歪ませながら、ブライアン……否、人体実験の研究スタッフは睨み付けてきた。

 今となってはその特徴のない顔面構造にすら納得がいく。きっと3D上でランダムに生成した人工の面相をいくつか重ねて、特徴なき平均化したキャラクターを作成したのだろう。

 しかしもう、隠す気はないようだった。

 

「森に入ってすぐ、てめェは『意識切断を初めての恐怖』と言ったな。けど実際はそうじゃない。ナーヴギアの内部バッテリーが機能する2時間で、俺達の現実の体は病院かどこかへ運ばれた。《大切断》はこの結論が定説だったろう? ……それとも、2年前のことなんてすっかり忘れちまったか」

「呆れたよ……着眼点だけは称賛に値するな。だがきみは相変わらずシャクに障る小僧だ、まったく探偵気取りが。……エラそうに言っているが、そんなもの偶然が重なっただけじゃないかッ!!」

「このエセインテリが……じゃあもう1つ。今後レベルを聞かれたらテメェも聞き返しとけよ。実感わかねェか? 俺らプレイヤーにとって、ステやレベルはただの数字じゃない。命に関わる大事な情報だったんだ。聞かれてハイおしまい、つうムトンチャク具合はSAO出身者としてどーよ?」

「う、うるさいこのガキ! ……ふんっ、じゃあ悪いことをしたなあ、興味を持ってやらなくてさァっ!!」

 

 それ以上のひけらかしは無用とばかりに、男は4枚翅を広げて襲いかかってきた。

 本番に向けて相当訓練したのだろう。しかし奴が振りかぶる剣先が触れる寸前、俺は最低限の挙動でそれを受け流し、またもやつの顔面に握りしめた拳を叩きこんでやった。

 ゴウッ!! と痛々しい音が伝わる。

 しかしまだ飛び掛かろうとしてくる。エフェクトの音からして中々なクルティカル具合だったはずで、そう思えば奴も諦めが悪いらしい。

 だが動作の全てがローレベルだった。

 白煙の中から飛来する投擲(とうてき)用ダガーをジャンプで(かわ)し、反撃のムチャクチャな剣戟を大剣で押し返し、奴より早く《グラビテーション》の魔法を詠唱し終えると、メンバーに秘密にしていたのだろう大魔法を不発にしてやり、さらに容赦なく空中から靴底による追撃を加えた。

 ゴシャアアッ、と硬い地に伏せると、奴は信じられないものを見るような眼でぼやいた。

 

「バ、バカな!?!? ……そんな……ッ!?」

「何がおかしい」

「ハァ……こんな……あ、ありえない!! ハァ……こっちはずっと練習してたんだぞ! わずか2週間で、魔法や空戦をここまで……!?」

 

 ゴボウ野郎が笑わせてくれる。

 それとも、リンド達の動きを見て想像もつかなかったのか。

 

「ハッ、俺だって死にもの狂いで生き延びたんだ。……あんたらが思ってるほど、プレイヤーは『うつつを抜かしてゲームをする子供』じゃないんだぜ」

「くっ……!!」

 

 意図してチープな煽り行為をしてみたが、どうもプラスにはたらいたらしい。と同時に、奴も心のどこかで自分が決めつけていた先入観を恥じたようだ。

 一時は剥き出しにしていた敵意を引っ込めると、研究スタッフの男は改めて俺と対峙した。

 しかし顔に曇りもない。まさか、まだやる気だろうか。脆弱(ぜいじゃく)な装備と魔法でいくら食い下がろうとも、今の彼では天地がひっくり返っても俺には敵わないはず。前回でさえほとんど有効打を出せなかったチーターの彼は、メンテに入る直前である現状は無敵のアバターですらないのだ。

 俺だってまだまだこの男から聞き出したいことがたくさんある。ここで退場させてしまったら、次に現れる頃にはおそらく本来のスペックを取り戻したうえで攻め入るだろう。寝ている仲間を大声で起こしたい衝動にも駆られるが、傍聴人が増えるほど警戒され、最悪なにも喋らず即ログアウトされかねない。

 まだ立場の優位性を奴自身に自覚させる必要がある。

 だからこそ殺害のチャンスはあっものの、わざわざ外連味(けれんみ)の利いた戦いで誤魔化しながら生かしてやっているのだ。

 だが、先述の通り悟ったような態度は崩していない。まだ何か企んでいるのか、それとも……、

 

「いいだろう、認めるよ。きみに対する第一印象は変えてやる」

「そいつはどうも。マジうれしい」

 

 まだ上から目線。いい傾向だ。

 ……と思ったのもつかの間、さすがにこれは読まれていた。

 

「そのフザけた態度も打算ありきだろう? 横暴な性格こそ本質らしいが、ここまで注意深く……機転の利く男だったとはな。見た目がそれだけに厄介な……」

「(ヤベーな、フリはヘタなんだよ……てかディスられたな今)」

「……だが、やはり所詮はガキと言わざるを得ん。さしずめ目の前の損得勘定に必至といったところか? ……いいか、我々はもう今さら引けないのだ。どうせ初日の騒動では、コミュニケータ越しに実験の内容が聞こえてしまったのだろう? ならば双方に後はない。きみらは知らんだろうがな、耐久実験や脳波の測定は決まった機材、人数、環境で繰り返し行われ……それこそ、気の遠くなるようなルーティンの先にしか結果がない。被験者300人はそれをこなすうえで最低条件だったんだ……!」

「……言ってる意味がわからねーぞ」

「ガキ数人の人生では(まかな)えんほど、多額の損害を被ったと言っているのだよ!! ……20人の被検体が必要な測定が、19人に減るだけで2度手間になってしまう場合もある! どころか、照らし合わせや比較の整合性を出す作業だって簡単じゃない! 1つの工程の遅れがその他の遅延に繋がることもある! 被検体を最小まで絞ったのは最後の慈悲だった。だのに、わかるか!? この損失の規模が。たった7人……2週間も仕事の妨害をした罪の重さがッ!!」

「…………」

 

 俺は呆れてものが言えなかった。

 怒りに呑まれてベラベラ口を滑らせる敵を前に、途中までは心のどこかで満悦していた。しかし続いたセリフで、言葉と態度で情報開示の誘導に成功したという、そんなちんけな充足感はさっぱり消えてしまう。

 どうやらコストと成果を両立させる人数に達しなくなった、すなわち脱走した俺達7人が、連中の嫌がらせに耐え抜いてしまったことがよほどマズかったらしい。

 まあ、俺達がこの世界に居座り続ければ、研究の実態が(ちまた)露呈(ろてい)するリスクも高まるわけで、奴らにとってメリットになることは1つもないだろう。

 しかしだとしても、いずれ死んでくれれば記憶も消せるので問題なし、といったほどコトは単純ではないというわけだ。現状の対処に大わらわになっている彼らを想像するに、睡眠時間だけは今の俺とそう変わらないのかもしれない。

 はっきり言っていい気味である。

 随所で演技が杜撰(ずさん)だった辺り、この男も相当焦っておられるようだ。

 

「だったらどうした。死んでくれとでも?」

「……人聞きが悪いな。解放してやると言っているのだよ。きみ達も痛い思いをするのは嫌だろう? もうすぐ『定期メンテナンス』が始まる。サービス開始から続くもので、これは歴とした表の部署が担当しているが、新システムの試験導入を名目に、ブラッシュアップも含め私のコネで業務を一部委託させることに成功した。……ここまで言えばもうわかるはずだ。その気になれば私は毎週、きみ達を殺しに行くことができるんだ。1回目で全滅させられなくても、次も、その次も延々と。この手で無敵のアカウントを操り、痛覚を伴わせて蹂躙(じゅうりん)できるのさ。……ただしそれは、ここできみ達が身を引かなければの話だ」

「……クサッてやがる……」

「大人の世界だ、腐敗は認める。だがわかってくれ少年。目先ではなく大勢を見るんだ。私達は利益を得て国を去り、きみ達は痛みも苦痛もなく病院のベッドで目を覚ます。……これでいいじゃないか!? 日々に怯えフィールドの隅で震える必要なんてない! 向こうで恋人に会うことだってできるんだぞ。それとも学校のことを心配しているのか? ならば無用の危惧だ。匿名なら金の工面もできるし、働きたければ職の斡旋(あっせん)もできる。我々のサポート体制はヘタな勧誘企業より……」

「そうじゃない。そうじゃないんだよ……ッ」

 

 俺は重厚な大剣を肩に担ぎながら、悟った風にゆっくりと歩を進めた。

 損害だの、不利益だの、知ったことではないんだよカス野郎、と。しかしそれを口に出して感情が(たかぶ)ることもない。かのゴミクズ野郎である茅場晶彦を含め、なぜ頭のイカれた科学者はこうも簡単に人を思い通り支配できると思えてしまうのか、俺にはまったく理解できなかった。

 論点のすげ替えに必至な子供でもあやすように。そう思えたからか、自分でも驚くほど発した声は穏やかだった。

 

「もう2年も前だ……そういう、一方的な押し付けに歯向かうと決めたのは。……いいかよく聞け天然メガネ。開き直ってWIN-WINじゃあねェんだよ。テッテー的に抵抗して、テメェらが言うガキにも意地があるってことをわからせてやる」

「……なるほど、的を射ているな。確かに期待した私が『マヌケ』だったようだ。言葉を返すようだが、その立場でよく説教じみたことを言えたものだよ。私はフィールドやマップのコンセプトデザイン開発を一部請け負ったこともある。そのテストプレイもな! 例えばメンテのタイミングできみらがそういった場所へ侵入したらどうなる? エリア移動は当然不可。勝手知ったる私からすればまさにワンサイド、一方的な虐殺が始まるだろう! ……いいか、それはきみがいかに愚かな判断をしたかが判明する瞬間だ。私が脱走者をひっ捕らえた日には、自分の発言を後悔するほドゴガァアアアアッ!?!?」

 

 叫ぶと、奴は前触れを感知することなく後方へ吹き飛んだ。

 わずか1歩で間合いを詰めた直後に《タイタン・キラー》でブン殴ってやったわけだが、ちゃっかり回復していた奴のHPバーはまたも消滅寸前まで逆戻りした。

 俺は「くどい」と、一言だけで切り捨てる。

 思うまま無様に地を転げまわると、男は口に入った土をツバと共に吐きながら手をついて立ち上がった。

 

「ぐっ……くっくっく……剣を振れていい気分か? このアカウントではどのみち勝てん。存分に気を晴らすがいいさ。どう足掻いても、無限に攻めればすぐ根を上げるだろう。ふんぞり返ろうとまだ子供だ。……くふふ……まあ、その機転には驚いたよ。準備は入念だったのに……奇襲もできず、何もかも失敗して……」

「…………」

「く、そ……お前! そっ、そんな目で見るな! いいか、私はやると言ったらやるぞ! 最後に交渉の余地は与えたんだ。それを突っぱねたとあれば、相手が子供でももう容赦はしない。これには……私の、人生が! かかっているんだ……家族の生活もッ!!」

「…………」

 

 駄々をこねる男と、話すことはもうない。

 卑しいものでも見るように。自分にはびこる罪悪感と、運命共同体となった会社からの圧力。

 しかし、板挟みとなった彼をなぐさめてやる道理もまた、俺達は持ち合わせていなかった。穏便に済ませるようけしかけた最後の妥協すら拒否された以上、奴もまた心を鬼にして歯向かってくるだろう。

 上等だ。

 テストプレイの経験? エリアデザインに手を貸した?

 そんなもの、何のアドバンテージにもならないほど実戦を積んだのがSAOサバイバーだ。毎週のように無敵のアカウントで攻め込んできたとして、俺達はきっと生き残って見せる。

 

「まだ手応えはないけど……このまま勝ち続ければ、否応なく有名になれる。……見ものだぜ。なあスタッフ様よォ? 2年死ななかった人間を見くびりすぎたな。俺らをイベントに使ったことすら失敗だったんだ」

「そんなものはすぐに告知で終了宣言を……いやッ! バレたから何だと言うんだ! そうなる前に全部片づければいいだけだっ!!」

 

 両者突進による激突。

 その言葉を最後に一切の躊躇(ちゅうちょ)を捨て、俺達は世界樹での戦闘を再現するように再び殺し合うのだった。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

 わずか数分後、弱小アカウントに勝利した俺は年齢を配慮してシリカだけを除きパーティメンバーを起こすと、ことの顛末(てんまつ)を聞かせてやった。

 初めから戦力はもっと少なかったのだ。今はみな一様にして暗い顔をしているが、(なげ)いていられる時間も少ないだろう。そうでなくともリンドは、ここ数時間で考えた戦略やら移動ルートやらを変更せざるを得ないからだ。そのいくつかをすでにあの男に知らせてしまっているのだから。

 

「(しっかし、大変なことになったモンだな。……メンテまで時間もない……)」

 

 刻一刻と時が迫ると、今さら不安にも駆られてきた。

 『果たして俺の判断は正しかったのだろうか』と。

 奴はヒースクリフのようにただの無敵キャラというだけではない。どこもフェアではなく、騎士道精神もない。ただのハッタリかもしれないが、痛覚を与えることすらできると言ってのけたのだ。

 俺はまだいい。奴と対面した時点で覚悟は決めていたし、対人テクニックをある程度習得しているからだ。

 だが他の仲間はどうなる?

 被弾すらままならない。痛みによってはショック症状が現れるかもしれないし、あの男が提示した条件なら降伏が視野に入る人もいたのかもしれないのに。

 その可能性は、俺がすべて断ち切ってしまった。誰にも確かめていないが、これが最善だったかどうかなど確信できるはずもない。

 

「(ま、ハラ決めるしかないか……)」

 

 それでも。深く息を吸い込み、わずかな不安と後悔を押し流す。

 せめて、俺だけは自分の言葉を虚勢にしないよう尽くすしかあるまい。

 

 

 

 

 そしてやってくる。メンテナンス開始アナウンスと、それに伴う最大の脅威が。

 1時間だけの睡眠になってしまったが、無理やりシリカも覚醒させると敵の再来に備えさせた。

 と言っても、相手は無限飛行、無限魔法、詠唱スキップ、ダメージ無効の強化を受け、あらゆるデバフもキャンセルし、武器や防具も自由に生成するバケモノだ。かつて浮遊城の前線でも通用した実力者4人で時間稼ぎをしないと話にもならないだろう。

 弱気になっている暇はない。

 

「(かかってきやがれ。……ヒスイに会うまで、絶対ッ!!)」

 

 もう1度、言い聞かせるように強く念じた。

 もはや安全な時間もなく。7人の脱走者は、なおも境地に食い下がるのだった。

 

 


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