SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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エディターズロード2 失われた支柱

 西暦2025年1月12日 《幽覧城塞・アスガンダル》、『妖岩の洞』内部。

 

 シルフに追い詰められながらも、遊覧飛行する岩だらけのエリアへ逃亡したことは奏を成した。

 今のところ追手の影はない。

 しかし巨大な茎とツタを()い上がると、最初にオイラを出迎えたのは《妖岩の(うろ)》なる、視界の奥まで続くおどろおどろしい汚泥の壁面だった。

 2ヵ月書き溜めた情報ノートによると、道の分岐を正しく進み、袋小路となっている採掘場に行けば、汞和金(アマルガム)と呼ばれる一種のレアインゴットが採れる鉱山があるのだとか。

 ただし、今は素材どころではない。

 峻険(しゅんけん)な岩間を手探りで移動すること数分。バラバラに散ったオイラ達は次第に合流し、ジェイドが集まったメンバー全員に《暗視(インフライド)》をかけてから、それでもなお深刻そうな顔をしてうつむいていた。

 シルフ10人による強襲をどうにかやり過ごした6人(・・)

 危機からは脱したものの、これは1人の犠牲の上に成り立った不完全な平穏だったからだ。

 それでも、黙っていては好転しない。やがてリンドが立ち上がると、ずっと足元に視線を落としてうなだれる1人の男を厳しい声色で詰問した。

 

「……言い訳ぐらいは聞いてやろう。皆が飛行の限界時間で、せっかく見つけた唯一の生存方があった。なのにお前は逆走し、無意味と結論付けたはずの一般人への呼びかけを突然再開した。……理由を言え」

「……言って信じるか? あの女隊長の名前が『ミカド』だったからだ。……ヒスイのことは知ってるだろう。俺はあいつと長く付き合っていた……そして聞いたんだ。75層の戦いが終わってから、あいつに本当の名前を……いや、正確には聞き切れてないけど……」

 

 俺が言いよどむと、静観していた者は一様にして眉をひそめた。

 しびれを切らしたテグハが疑義を問う。

 

「聞いてないってアンタ……じゃあなんで……」

「全部聞く前にっ、あの『白い部屋』に、飛ばされちまったんだよ! ……俺が聞き取れたのは『ミカドメ』つう名字だけだった。あの時の声ははっきり覚えている……んで、あいつらの女隊長だ。名前を呼んでいただろう!? この世界じゃ同じ性のアバターしか操作できない。それで『ミカド』だ! しかも左利きだった!! これも偶然か!? あれだけ戦い慣れてて、部隊をまとめられる女がいったいどこに……ッ!!」

「筋の通らんハナシだな。じゃあ俺達の顔を見て反応がなかったのはなぜだ? まさか、耳が尖っていたからとは言うまいな」

「そっ、それは……」

 

 耳を指さし呆れたように言うリンドの疑問に対し、ジェイドは何も返せなかった。覆すに足る答えを持ち合わせていなかったからだ。

 確かに、言われてみればあの女隊長からはSAO出身者並みの執念を感じた。ただの憶測だったのかもしれないが、彼らの隊員が『ミカド』と呼んだ時、ジェイドの直感が一時(いっとき)訴える程度には説得力があったのだろう。

 とは言え、彼女がヒスイ当人なら誰にも気が付かなかった理由に説明がつかない。声も聞こえず、ジェイドを直視しなかったとして、しかしここには前線のメンバーが何人もいたからだ。しかも、かの女隊長の武器も直剣ではなくレイピアだった。

 その理屈を押し出すようにリンドも指をさして声を荒らげた。

 

「……この際はっきり言わせてもらうけどな、あまり自分を特別な存在だと思わないことだ。《暗黒剣》だの、レッド殺しだの、肩書きは大層だがそれはもう昔の話だろう? じゃあ今のお前はなんだ!? 自分の女のことだけ考えて、周りを危険にさらしていい立場か!? 違うだろう。俺が長を務める一介の隊員のはずだ! お前に1人の仲間を見殺しにした自覚はあるのかっ!!」

 

 そこまで言われ、ジェイドは反射的に立ち上がると叫び返していた。

 

「くっ……責任のことでツベコベ言えんのか!? アンタさっきから自分は悪くないみたいな言い方してるけど! 俺がアスガンダルを見つけなかったら、あれで全滅してたんだぜ!? 礼ならともかく、ギャアギャア文句言われるスジ合いは……」

「それとこれとは話が別だっ!!」

「いいや別じゃないね! 何もかも俺のおかげで助かったんだよ、感謝しやがれこのヤロウ!!」

「お前が勝手なことをしなければ、ここには7人いたという話をしているのだ!!」

「もうやめてくださいっ!!」

 

 ソプラノのかかった幼い声で、すでに掴みかっていたジェイドとリンドは暴力沙汰になる寸前で留まった。

 シリカちゃんはほとんど泣きそうになりながら、そして消え入りそうに、また同じセリフを繰り返す。

 暗いおもむきで顔を逸らし合う男2人。つい売り言葉に買い言葉となっていたようだが、彼女の言う通り、ここで罵詈雑言を浴びせ合ったところで過ぎたことを変えることはできない。

 たった今、これからどう動くべきかを話し合わねば。

 ケンカを止めたシリカちゃんに感謝しつつ、ため息混じりに追い風を送ることにした。

 

「気は済んだか2人トモ。とにかく上に出ようヨ。洞窟だと、挟まれでもしたらどうしようもないからナ」

 

 オイラがそう提案すると、いがみ合っていた彼らも一時休戦して、ひとまずは新規エリアの探索をする運びとなった。

 クロムオーラさんの脱落も悲劇ではある。しかしオイラ達はプレイヤーだけでなく、モンスターとの戦闘ですら負けるわけにはいかないのだ。頭数が減ったからこそ、一致団結しないことには助かる命も(こぼ)してしまうだろう。

 そうこうしているうちにモンスターとエンカウントする。初会敵した相手こそシルエットとパラメータを少々いじった程度の焼き増しMobだったが、追加ステージに新規キャラを置かないはずもなかろう。

 一行が気を引き締め直して順路通り攻略するにつれ、気温はどんどん下がっていった。翅が使えないほどの高度だからだ。

 されど、さすがは手慣れの集団。安パイのリンチ戦法と石橋を叩く用心深さで危なげなく15分も進むと、上方へ段々と積み重なる岩肌の向こうに月明りを見た。

 逆円錐のフィールドを登り切った、洞窟の出口だろう。

 足取りも軽く進むと、予想違わず抜けた先は待ち望んだ外界だった。

 

「(ワオ……スゴい景色……)」

 

 まず目に飛び込んできたのは、しんしんと降り注ぐ細かい雪と、無残に崩れる風化した石塀(いしべい)。そして遠くへ延びる舗装(ほそう)の甘い1本道。といっても左右に道とを隔てる遮蔽物(しゃへいぶつ)はなく、青く変色した寒草(かんそう)がのびのびと育っている。

 次いで木々の隙間がいやに真っ暗な闇色の森と、名前まではわからないがメインステージたる例の館が見えた。

 隣にはポツンと溜まる凝寂(ぎょうじゃく)な湖畔がそっと佇み、もっと荒寥(こうりょう)としていると思っていただけに、その神秘的かつ清雅(せいが)な風情は衝撃だった。

 (うろ)を出ると、同時に吐く息も白いものが出る演出がなされる。日の光を一切浴びない設定があるからだろう。プレイヤーへの配慮でべらぼうに寒いわけではなかったが、夜の砂漠よりもさらに防寒具を1枚足す程度には冷えそうである。

 ちょっとした景勝地と、何よりオープンワールド特有の『見える場所にはだいたい行ける』という解放感とワクワク感。

 睥睨(へいげい)した先にある流麗な深い蒼と、光を反射する白のコントラストがあまりにも美しく、自然と全員が言葉を失っていた。

 

「(もったいないなア。オレっちに権限があれば、いろんなプレイヤーにこの景色を見てもらう工夫をしそうなものだケド)」

 

 先にもあったように、侵入可能なのは月が空に出る間だけ。エリアごと消えてなくなるわけではないが、上空に見える満月が地平線に堕ちるとこの一帯は不可視となり、次のサイクルまで事実上の《インスタンス・マップ》となる。

 そうなればモンスターさえ来ない場所、あるいは湧出しなくなるまで敵を倒し続けた空間ならゆっくり休めるはずである。

 

「やっと地上が見えたな。ただ、翅が使えない。敵の種類も変わるだろうし、各自初見の行動は特に気を付けるように。……わかったなジェイド」

「ひと言よけいだ、オン知らず」

「ま、まあまあ隊長も抑えて。あれでも反省してますよ……」

 

 鼻を鳴らして去る隊長さん。例の一件以来ジェイドの肩を持つようになったテグハっちも、この場を収めるには力不足だったようである。

 そうして攻略が再開されるとまた彼からまたチラリと視線を感じた。

 

「(オイラを……諦めてないって感じだナ……)」

 

 そう、こちらの問題も未解決なのである。テグハっちも諦めが悪い。

 1度そげとなく断ったこともあったが、恋と言うやつはそう簡単に捨てきれないのだろう。

 もっとも、それを一方的に責めることはできない。彼からのアプローチは時折り邪険にしてしまっているが、しかし自分が抱えるこの気持ちもまた、何週間と前から変わることはなかったからだ。

 彼と同じように、ジェイドの横顔を見やるとたったそれだけで苦しくなる。

 あのぶっきらぼうな態度の下にも確たる信念が存在し、それを貫くためなら一切の努力を惜しまない覚悟を持っているのだ。

 ある意味、根拠なき自信。横柄な目立ちたがり。けれど、誘われるように魅せられたオイラには今さら芽吹いた恋心を止めようもない。

 それなのに、彼の衝動は愛する女性へ集約している。自分なんてとうに蚊帳(かや)の外で、いざ選択の時が来ても彼は一切迷わないだろう。

 現実が重くのしかかる。吐き出したい気持ちはいつだって(むしば)んでくる。それでもいつの日か、心の片隅にオイラの居場所を作ることができるのなら……、

 

「(あのコの想いを裏切ってデモ、カ……)」

 

 自嘲と自己嫌悪に(さいな)まれ、うつむこうとした瞬間だった。ずっと凝視してしまったことをジェイドに悟られてしまった。

 少しだけ自らの不注意を後悔しつつも、「何か言いたげだな、アルゴ」とトゲのある言い方をした黒服の彼に向き直る。

 

「イヤ……まア、どっちが悪いって話じゃないと思うんダ。人なら誰だって間違うと思うし、それは隊長の彼だって例外じゃナイ」

「……本当にそうならいいけどな。結果を見ると、その……俺はクロムのおっさんを殺したも同然なのに、また守られて生き残ってる……」

「それは本当に結果しか見ていないゾ。剣だけ振ってもどうしようもないことはあるサ。寿命を削るような戦いだったのに、お前サンは何日もかけてオレっち達を守ってくれたじゃないカ。それに満足しているんだろウ?」

「そりゃあ、な……」

「じゃあ『行かなかった』ならともかく、きっとクロムオーラさんは、ジェイドを救ったことを後悔してないと思うヨ……」

「……そか。それ聞けてよかった。……けど、納得できない人もいるだろうけどな……」

 

 リンドらのことを言っているのだろう。いつも気丈な彼が、今だけはオイラを頼って弱音を吐いている。

 恋をすると大抵のことは許せてしまうというが、それは真理だろう。救ってもらってばかりだったことへの清算より、頼ってもらえる女になれたことがどうしようもなく快楽だった。

 

「……まあ元気出せっテ、間違うことは悪くないサ。悪いのはベストを尽くさないことダ。ここにはまだ6人もいるし、知名度もこの2ヵ月で上がってるはずだヨ。現実復帰だってそう遠くナイ……」

 

 この言葉は慰めではなく本意のはずだった。

 噂を聞いたユーザだって経過した時間からすれば相当数に上るはず。いざオイラ達と遭遇した時に信じるかはともかく、圧倒的な力量差でねじ伏せれば心象にも残り易いだろう。

 そうなれば自然とアバター、ステータス、種族構成(ビルド)などが認知され、ゲームをしている場合ではないだろうSAOサバイバーとて、どこかで存在を耳にするぐらいには……、

 

「…………」

 

 そこまで考え、自分の逡巡(しゅんじゅん)がふと停止した。

 果たしてそれはいつになるのだろうか。

 経過も聞けないと不安に駆られてくる。もう1ヵ月粘れば叶うのか、それとも生き延びるだけでなくプラスαが必要なのか。

 わからない。解答を聞くことはおろか、正解に近づいているかさえも。

 結局、向こうの人間が経緯を理解したとして、個人の力ではどうしようもないことだってあるではないか。物的証拠を提示できないのに警察が動いてくれるとも限らないし、むしろ研究にかかっているだろう金額を想像するに、そんな未来しか見えなくなってくる。

 そしてもちろん、サバイバーがいかに問題解決へ前向きな気持ちを持っていたとして、再びVR世界へダイブしてくれるかどうかさえ定かではない。

 おのずと暗い結論が描かれるが、幸いにもMobにタゲられて強制的に意識を現実に引き戻された。

 ダッシュによる撹乱と手数の多いクロー攻撃を織り交ぜつつ考える。ジェイドがまだ荒れていた時、「剣を振っている時は難しいことを考えなくて済む」なんて言っていたが、これは的を射ているのかもしれない。

 とは言え、湧いたのは雑魚が数体である。再戦闘の末に敵モンスターを全滅させると、納刀したリンドは口を開いた。

 

「ふ~、さっそく今のは新手だったな。……でもやることは同じだ、どこかキャンプできそうな場所を見つけたら、手順通り一帯の敵が枯れる(・・・)まですり潰すぞ。別動隊を作って、すでにこのエリアにいるプレイヤーにもご退場願おう」

「基本は待ち伏せだろう? なら俺はリンドと……」

「いやお前はここに残れ。ここまで来れる相手は手練れと考えるべきだ。大事なのは連携。……俺とテグハとリックで偵察に行く。3人で無理ならまた呼びに来る。……いいなジェイド」

「……けっ、わあったよ。好きにしろ」

 

 なんて答えつつも「ファック! そのままくたばっちまえ!」と顔に書いてある。しかし名軍師を失えば今度こそオイラ達はお終いなのだから、その願いが本気でないことを祈ろう。

 そうこうして隊を2分すると、リンドチームは大舘の玄関口の方へいそいそと移動していった。

 オイラ達3人も体を休められそうな場所を探すべく行動に移す。

 エリア外周先のはるか遠く、オープンワールド本土とでもいうべき『下界』には中央都を囲う円環山脈が滑らかなテクスチャ、かつ壮大なスケールで再現されている。可能であれば観光がてら散歩したい気分だったが、景色を気楽に眺めている時間はなかった。

 それに、攻略自体は代わり映えのない館外周のマッピングだったものの、内心では高揚する気分を抑えきれない。

 今は使い魔である《メア・ヒドラ》のピナちゃんがシリカちゃんの肩周りをクルクル飛んでいるが、この3人で話すのが初めの2週間以来久しぶりだったからだろう。

 オイラ達は、当初のジェイドのワンマン具合とバーサークっぷりをシリカちゃんとからかいながらも、捨て身の覚悟で仲間を守ろうとした彼に改めて感謝しつつ、ゆっくり話し合えた。

 しかし15分もすると浮足立った会話も途切れはじめ、そうすると見計らったようにシリカちゃんが核心へ切り出した。

 

「ジェイドさん、あの……」

「ん、どうした」

「ジェイドさんの気持ちはわかっているつもりです。……SAOでつちかった、ヒスイお姉さんへの想い。……それが強すぎて……だからさっき、あんなムチャをしてしまったんですよね……?」

「……なあシリカ……その話はやめよう」

「あと回しにはできませんよ! ……DDAの隊長なんて聞くと、最初は身がまえましたけど……リンドさんも悪いヒトではありませんでした。お2人の実力と息の合い方はものスゴかったです。どんなにピンチも逆転のアイデアや作戦でみんなを守って。……研究スタッフの攻撃を5回も退けられたのは、その……お2人の協力があったからで……」

 

 きゅるるっ、と鳴く暫定ピナの傍らで、シリカちゃんは不安そうに指を絡めながら勇気を振り絞った。

 それだけで彼女の言いたいことがよく伝わった。

 ただ、2人に仲直りしてほしいだけなのだ。

 両者の仲間想いとストイックさ、それに伴う実力は皆が認めるところで、誰だって対立は望んでいない。

 悪名高いDDAの総隊長とて、ただのレベルホリック、あるいは極論をかざす急進論者(ラジカリスト)ではない。むしろ、部下のコンディションから相手の弱点までつぶさに観察し、しかるべきアドバイスができる男である。気性の荒いジェイドでさえ、その一貫性と人柄を褒めたことがあるぐらいだ。

 

「(だいたい、今回のことだっテ……)」

 

 発端は小さなすれ違いである。

 ヒスイの現実世界での名は『ミカドメ』と言ったか。この情報はさしものオイラとて知らなかった。

 確かにシルフの女隊長のプレイヤーネームは紛らわしいところもあるし、自分の女に対してはやや盲目的だった彼が、一縷(いちる)の望みを賭けてコンタクトを計ろうとするのも理解できなくはない。

 しかし、アバターがSAO当時のものでない理由が、現実からの再ダイブ――すなわちオイラ達とはまったく異なる径路だったとしても、件の相手の名はあくまで『ミカド』だったのだ。彼氏に気付いてほしいならわざわざ1字だけ変えることもないだろう。それに、単漢字の『帝』から持ってきた可能性もある。現に彼女は隊長だった。

 オイラは正面切って直接クローを交えたが、あれだけ頻繁に顔を合わせ冗談まで言い合った仲なのに、こちらの顔を見て無反応というのも納得できない。

 総合的に見て、これは明らかにジェイドのミスである。であれば当然、リンドと呼吸を合わせ直すには、このプライドの塊が折れて頭を下げる他ない。

 大舘の裏庭らしき手の込んだ庭園を横断しながら、オイラはそれを促した。

 

「お前さんの負けだヨ、ジェイド。恋人の愛弟子を泣かせてまで素直にならないつもりカ?」

「うっ……わかってるけどよ……」

「じゃあ決まりダ。偵察か討伐かしたらリンド達も戻ってくるだろうカラ、そこでしっかり謝るんだゾ。あとしばらくは隊長の命令を順守するようニ」

「…………」

「返事!」

「だあーもう、わかったよ! あやまりますとも! ったく、親かよ。2人といるとすぐにチョーシ狂わされるわ……」

「ネコミミが2人もいるからナ! ニャっはっはっは!」

 

 わざと耳と尻尾をフリフリしてやると、彼はほんのり頬を染めてそっぽを向いてしまった。その可愛いしぐさがまたも自分の琴線に触れたのか、ヒスイとの関係と独占欲とが混じり合って憂鬱(ゆううつ)な気分になる。

 いつも通り顔や態度には出さないつもりだった。しかしうつむきかけたその時、館の側面を伝った上の方から人の荒々しい声が聞こえた。

 

「今の声! まさか!?」

 

 ジェイドが即座に反応する。

 そして直後に、室内から機材の転倒音。これはそびえ立つ館側面の内側からだろう。屋内で誰かと揉めているのだろうか。

 

「シリカわかるか!?」

「中で戦闘してます! この声……たぶん、片方はリンド隊長さんたちですね」

「3人の奇襲で勝てると判断したわけカ。しかシ……」

 

 1つ気がかりだったのはジェイドが抜けた穴である。アスガンダルの先客プレイヤーの戦力がいかほどだったのかは知る由もないが、この特攻インプが持つ瞬間火力と、それをプレッシャーとして利用した隊長の鋭い技とで挟み込む鉄板戦術は、対人戦では無類の強さを発揮していたのだ。

 ガシャンッ、ガシャンッ、と木材や陶器が大量に割れるような音が重なると、その心配は余計に募っていく。

 百戦錬磨の元攻略組3人を見くびっているわけではないが、ジェイドを戦力から外した今、リンドだって本来のポテンシャルを出し切れていないのではないか。

 まったく男というのは度し難い。彼も大概意地っ張りな性格だ、これでさらにメンバーが欠けたら元も子もないだろうに。

 

「奇襲にしては長引いてるッ……なあアルゴ! あの音源に近いとこのステンドガラス割れそうじゃないか!? 建物の中に入っちまえば、今からでも助けに……ッ!!」

「無茶言うナ、どうやってあんな高いところに行くんだヨ! ここは翅の限界高度よりもっと高いんだゾ!? まさかこの垂直な壁をよじ登っていくとデモ!?」

「くそ、だったらどうすりゃ……」

 

 かくいう自分とて何か策があるわけでもなかった。

 ただ真上を見上げるだけでどんどん時間が過ぎていく。室内外の温度差――あるいは内部状況を隠す仕様だろうが――ゆえか、一辺4メートルもあるガラスは完全に結露(けつろ)していて、中の状況まではわからなかった。

 もし勝てると見込んだ先制アタックならいいが、少人数で行動したからといっても敵に先に補足されないという保証はない。サーチャーたる猫妖精(ケットシー)2人も同行していないので、逆に奇襲を受けた可能性だって残る。それに強力な3人の攻略組を深く信用しているものの、単純な人数差という覆せない劣勢も考えうる。

 そしてALOの世界において、そのアンフェアを指弾(しだん)できる謂れはない。

 だが凱旋(がいせん)を念ずるより先に隣の男が行動に出た。

 

「アルゴ、《バーブス》だ! グラップリングできただろう! 引っ掻けてくれりゃあ俺が登る!!」

「そ、そうカ! わかったチョッと待ってロ!」

 

 言われて初めて得心のいった己の鈍さを恥じつつも、壁面に張り付く排水用らしき管へ愛用ムチのトリガーを引いたまま先端を飛ばす。

 ガコンッ、と1発で巻き絡まると、すぐさまそれをジェイドへ手渡した。

 「ほら、やりよーあンだろ! 2人はここで待ってろ!!」とだけ残し、窓の縁や不揃いの煉瓦を足場に利用して蹴り上がる。すると特殊ムチ《フォー・ハウジング・バーブス》によるラぺリングをうまく使って、彼はあっという間に戦闘音のする部屋の高さに到達していた。

 そこからは簡単だった。

 7つの狂句を早口で唱えると、自傷付き攻撃・加速力エンハンスたる闇魔法《秘めたる狂性(ロードブハイド)》を発動し、鮮やかなステンドガラスを叩き割って館の内部へ突進したのだ。

 

「(ジェイド……気を付けテ……)」

 

 シリカちゃんと見守るなか、戦闘は30秒ほど続いただろうか。

 戦闘音がピタリと止む。

 息を呑んだが、メンバーは全員無事だったようだ。おかわりの敵影がないことを確認すると、4人はビル3階相当の位置から1人ずつ大地へ降り立っている。どうやらジェイドの援護がうまく機能して敵部隊を全滅できたらしい。

 聞けば今の対人戦は館の中では2度目だったとのことで、1組目を奇襲で(てい)よく瞬殺できたはいいが、音で感知されてから2組目に連戦へ持ち込まれたそうだ。

 しかしこれで、《幽覧城塞・アスガンダル》で攻略を楽しんでいたプレイヤーは排除し終えたということになる。どこかで誰かが身を潜めていなければ、であるが。

 

「みなさん、無事でよかったです……」

『キュルルルッ』

「……ああ、ざっと見てきたがおそらく全滅させてやったと思う。ただ……満点とはいかなかったがな」

 

 案の上、シリカちゃんの安堵に対するリンドの反応は(かんば)しくなかった。援軍ありきでの辛勝(しんしょう)となったからだろう。

 ともあれ、連戦連勝の事実は揺るがない。

 陽も落ちて闇は深いが、リアル時間では現在午後2時。夕方まではゲーム界での仮想太陽が現れないので、岩の下からよじ登ってくる追加プレイヤーに気を配りつつ、枯らす(・・・)まで乱獲した人工安全エリアで遅めの昼食をとることにした。

 仲直りをするならタイミング的にも今しかないだろう。

 オイラは知らん振りをして肉にかじりつくジェイドの脇をこずいてやったが、いくら催促されたところで彼もなかなか口に出せないらしい。

 そうして6人で今後の方針やら雑談やらをしている内に、我慢できなくなったのかリンドの方が先に口を開いた。

 

「ゴホン……ああジェイド。ちょっといいか」

「……んだよ、反省はしてるぜ」

「そうじゃない。その……さっきは助かった。ジェイドが強いことは理解しているつもりだったが、俺も頭に血が上っていた。不意打ちにせよ応戦にせよ、偵察にはお前を連れて行くべきだった」

「…………」

「クロムオーラさんは残念だったが、これ以上言及するのはお互い止めよう。それに彼だって死んだわけじゃ……ない、と思う。少なくとも、俺達が生き残るだけで奴らの研究は終えるに終えられないはずだ。そうだろう?」

 

 リンドは座ったまま食糧を置いてゆっくりそう話した。

 そしてそれはおそらく事実だろう。研究の進捗を把握する(すべ)こそないが、ナーヴギアを外部から破壊やコントロールすることができない彼らに、今のオイラ達を管理下に置く力はない。

 この果てのない長旅は、手っ取り早い処分をさせないための抵抗でもあるのだ。

 

「至らないところは俺も直す。だからジェイドも……今だけは俺達を見てくれ。ここでの連携と共存を何よりも優先してくれ。かつての、お前の仲間ではなく……」

「…………」

「ジェイド……」

「わ、わかってるって。ただちょっと、自分が情けなくてな。誰にもそんなこと言わせないようにと思ってたのに……」

 

 ポリポリと頭をかいて謝ると、ようやく緊張の糸がほどけて全員の顔がほころんだ。

 やっと彼も素直になれたようだ。「もう勝手なことはしない」と続けると、互いに前向きな話をしようと一件落着した。

 

「ニャっはっは、なまじバトル一辺倒だと世話の焼ける連中だヨ、ホントに。でどうするんだ隊長サン?」

「そうだな、期せずしていいポジションは手に入れたが、籠城するにしても情報は欲しい。アルゴさんも本職はそっちでしょう、何か気づいたことでもあれば」

「ウ~ン、とりあえずこのアスガンダルは北北東へ移動してるみたいだナ。さっき館周りのザコ処理をしていた時、進行方向の外周先に環状山脈を見たヨ。出現ポイントと移動方向こそランダムデモ、アスガンダルはあまり進路を変えないらしいカラ……」

「となると、向きが変わらなければ央都《アルン》の上空を通るわけだ。久しぶりに他のプレイヤーが街でどう過ごしているのか、上から眺められるかもな」

 

 確かに。インスタンス・マップといっても、エリアへの侵入に制限がかかるだけで、こちらから外界を眺めることはできる。望めば飛び降りて脱出も可能なはずだ。

 しかし、オイラがそんなことをつらつら考えた時だった。

 

「ああ、そういやそれが見えたのって、世界樹の上から飛び降り自殺しようとした数十秒だけだった……か……ん? あれ、いや、ちょっと待てよ……」

「どうしたジェイド。目つきが悪いぞ」

 

 「元からだ、ほっとけ」という冗談はともかく、静まり返ったフィールドの隅であごに手を当て、ジェイドはおもむろに立ち上がると進路上にある世界樹を真っすぐ見つめながら続けた。

 

「なあリンド。今ふと思いだしたんだけどさ……確かアンタら、《ラボラトリー》で戦っていた時には、『翅の存在』に気づいてたんだよな……?」

「そうだ。会ってすぐにそう言ったろう?」

「……何で、気づいたんだ……?」

「何度も言わせるな。あの時、あらゆる敵が空を飛んでいた。対処法がないと思うか? 君らと違って翅で飛べることを確認したからこそ、俺はあの頂上から……飛び降りようと、決意した……わけで……あっ」

 

 そして、唐突に核心に触れた。ほとんど重なるように、リンドは彼の言わんとすることを理解したようだった。

 ジェイドは遮るように続ける。

 

「そう、それがそもそもオカシイんだよ! ピナはともかく、アスガンダルの時点でプレイヤーの《高度限界》なんだぜ!? 疑ってるわけじゃないさ。でも、その……ここの数十倍レベルで高い位置にある世界樹のてっぺんで、どうやってアンタらは『飛べる』ことを確かめられたんだ……!?」

「と、と言っても普通に翅を使って飛べましたよね、リンドさん? 僕にもできました。もしかして世界樹にごく近い一帯だけ特別だったのでしょうか?」

「それだ! スタッフだって飛行の恩恵は捨て難いだろうしな。VRを利用してるなら、奴らにも移動の利便性は百も承知。例のブライアンだってはるか上空で飛ぶ練習を……」

 

 言葉を借りて続けようとしたテグハっちは、言いかけて止まった。そして顔をわずかに崩しながら、自分の言葉を即否定する。

 

「まあ、彼はもともとスタッフ側だったか。一般プレイヤーと同じ条件だったのかは疑わしいところだが……」

「だいたいその話でっち上げだしな。……とにかく、プレイヤーがここより高い場所で飛べるのはもう事実なんだ! だったら世界樹かその近くには、《高度限界》の設定がされていないカモだぜ!?」

 

 ジェイドがそう言うと、青服のフリデっちも肯定した。

 

「……まあ、確かに。ゲームのプログラムというか、グラフィックや感覚フィードバックを含めて、SAOからコピペされただけとしか思えない法則もいくつかありましたしね。……例えばSAOでいう《圏内》というものが、街区の地面から空中へ伸びる3次元空間であることは有名な話でしょう? 《圏内》なら空中で攻撃されてもダメージなし、とか。……とすれば、もし《高度限界》や他の空間設定が世界樹近傍でされているなら、それは木の輪郭をなぞるように、ではなく……」

「ああ、むしろアバウトな円筒になっているとしか思えない。……そしてだ! このスガンダルは《アルン》の、ひいては世界樹の付近に向かっている!」

「……なるほど、飛べた理由には納得した。しかしだな、それができたところで俺は反対するぞ。どうせジェイドはこんなことを言い出すんだろう、『俺達は強くなった。降りたブライアンとは逆に全員で何日もかけて木の根を飛び登り、世界樹の上でもう1度奴らと戦おうじゃないか!』……とね」

 

 それを聞くとザワッと一同がどよめく。向こう見ずなジェイドなら本当にそんなことを言いかねないからだ。

 しかし、皆が想像していたよりは彼も冷静だった。

 

「そうそう、魔法も充実してきたところだし……ってチガウっつのリンド! どんだけ単細胞だよ!!」

 

 ノリツッコミで笑いを誘ったところで、彼は手を広げて続けた。

 

「残念ながら、ンなことしても勝てないのは火にいる夏の虫」

「火を見るより明らカ」

「……火を見るより明らか。……で、でも俺の方こそ会ったその日には言ったはずだぜ。よもや忘れてないよな? あのバカでかい木の上にはKoBが副団長、《閃光》のアスナが捕らわれているんだ! この目ではっきり見た。戦場からいくらか離れた枝の上で。……いたのは金のゴーカな鳥カゴのなか。ハダカに白布を巻いたようなヤバいカッコだったけど、間違いなくあれはアスナだったんだよ!」

「……話が見えないな、ジェイド。肝心な理由も不明だけど……彼女が実際にいたとして、オレ達にいったい何ができるというのだ?」

「決まってんだろテグハ、撮るんだよっ! スクショでパシャッと!!」

『…………』

 

 アクション付きな力説を前に、やけに長い極寒の沈黙が降りる。

 テグハ氏だけが「ま、まあ気持ちはわかるけども……」と投げやりに答えたところで、リンドが咳払いをして口をはさんだ。

 

「余計に却下だヘンタイめ。さっきの話を忘れたのか? ケンカをぶり返すところだったぞ」

「ジョークで言ってんじゃねーって! 生活もギリギリなんだし、何日もかける気はない! ……聞いてくれみんな。現状からの解放を望むなら、時には危険にも直面する。……こんなの、SAOから2年も続いた常識だったろう!? 『生存優先』もいいけど、2ヵ月耐えて何も変わらなかった! そうだろアルゴ!?」

「うエっ!? アア……ま、そうだナ……」

 

 ――急に振らないで欲しい。

 

「だから数時間でいい、俺にチャンスをくれ。アスナの顔ドアップで撮って、どうにかして向こうのネットにバラまけば、誰かしら気づく奴だっているかもしれないだろう!? 何だったら助ければいい、それで戦力増員だ!」

「確かに元の知名度は段違いだが、う~む……だとしても、撮るなら俺達のものでも……」

「オイオイ、ただの写真じゃダメに決まってんだろ? それじゃサバイバーの一部しか反応しない。……いいか、なんといってもあの『世界樹の上』なんだ。年単位でクリアされなかったグランド・クエストの向こう側、そこを押さえて《閃光》を映すから価値がある!」

「なるほど一般人狙いですか。サバイバーの目につかせるためにも、まずはネット住民に事実を拡散してもらう必要がある、というわけですね?」

「そうそれ! それが言いたかったんだよリック、いいこと言うゥ!! ……ここまですりゃ、釣られる人間だっているだろう。少なくともゼロと断言できないはずだぜ!? こうして空飛ぶアスガンダルを見つけて! 進路もアルン上空を目指してるなら、これはもう運命だって! なあリンド、頼むよっ!!」

「…………」

 

 全員が隊長に向き直り指示を仰いだ。

 ジェイドの目が本気だったからだろう。彼への個人的な想いとは関係なく、目的なく明日を惰性で生きるより彼の突発的な発想に1枚賭けてやってもいいのでは、という感情は間違いなく芽生えた。

 果たしてそれは、ここにいる一同にも言えたのかもしれない。

 

「……マジメな話、まだ賛成はしかねない。俺はどこかKoB副団長のくだりを信じきれないんだ。言っておくがさっきのケンカは関係ないぞ? あれだけの美貌を持った女性だ。大抵の男なら、電子の世界に閉じ込めようとする意図も何となくわかる」

 

 あえて口にしなかったが、九分九厘いかがわしいことだろう。

 ため息混じりに肩をすくめつつ、「しかし」とリンドは語気を強めた。

 

「研究に没頭する連中だからこそ、どうにも彼女だけ特別扱いするメリットが見えないんだ。いや、デメリットが大きすぎると言った方がわかりやすいか。美人の娼婦狙いなら、それこそ儲けた金でいくらでも買えばいいだろう?」

「そりゃ理由までは俺にもわからないさ。けど見たモンは見たんだ! あとは俺を信じるかどうかだろ!」

「ハァ~……理屈で話さん奴だ。……わかったよ。なら、方法があるんだな? まずはそれを聞こう。相手は数キロもはるか彼方。しかも水平距離の話じゃない。ここのグラビティ・エンジンの特性上、気圧が下がれば上昇能力が落ちることは知っているだろう? どうやって上まで行くつもりだ? 言っておくが、賭ける価値がないと判断すれば乗らないぞ」

「ハッ、そうこなくっちゃ! ……コホン。もっかい確認するぞ、この城は地面ごと北上している。このまま進路が変わらなければ、アスガンダルが世界樹のごく間際を通過してくれるはず、だったよなアルゴ?」

「ああ、その通りダ」

 

 今度はすんなりと答えられた。

 しかし話は途中である。深呼吸をすると、彼は演説を続けた。

 

「よし。もちろん1回は試すけど、ここからは世界樹に最接近した時点で『翅が使えるようになる』ことを前提に話す。……作戦はこうだ。まず力持ちのノームを下にして5段の肩車を作る。後はロケットみたいなヨーリョウで、下から順に《飛行限界》数秒残しまで翅を使い切って、最後の1人になるまでひたすら垂直ズームして上を目指す!」

「な、なるほど……。翅の燐光を完全に使い切らなければ、ただ横に展開して滑空(グライド)するだけの用途は残せますね。……であれば必然、この動く城にも戻って来られると」

「落下死対策か。……まあそれはいいとして、しかしどう地面を見つけ直す? そんなに高く飛ぶとなると、いくらデカいエリアとは言え肉眼では豆粒だぞ。もちろん方角を少しでも誤れば、リカバリーするだけの翼力は残っていない」

「プレイヤーIDを追おうにも、オレっち達はギルドじゃないしナ。《パーティ登録》だって距離を開けすぎるとすぐ解除されちまうカラ……」

「そこは考えてある。さっきも言ったように、やるのは『5人』だ。ノームを下つっても肩車するわけで、4人持ち上げるのはすでに許容オーバーだろうしな。……つーと、残すのはシリカか」

「わたしですかっ?」

「そりゃあ体格的にな。あとはありったけのノロシやら発煙筒やらを預けて、シリカにずっと焚き続けてもらうんだ。高度も密度も関係なしに、ゲームじゃ気体系は全部『上』にしか向かわない。広範囲に舞ったカラフルなケムリを見りゃ、空の上からでもさすがに位置ぐらいわかるだろう?」

 

 ここまで聞くと、さっき思いついたような彼の提案も現実味を帯びてきた。

 岩の揺籃(アスガンダル)の進路や《高度限界》が緩和される条件など、未だ仮定に仮定を重ねた不安定さは残るものの、この作戦が成功すればいざという時の1つの武器になるやもしれない。

 研究者による脱走者達への位置監視も気がかりではある。しかし彼らも社会の流れに従う人間。日曜日の午後なら、平日のそれよりリスクも少ないはずだ。

 かくして、リンドの答えたそれは全員の期待値の表れだった。

 

「……挑戦しない者にリワードなし、か。目覚めた瞬間、フィールドをスクショしまくらなかったことが悔やまれるな」

「クハハっ、やっぱ思うよな、それ。撮ってる場合じゃなかったけど」

「しかしまぁ、よくわかったよ。百聞は一見にしかずという。断れば1人でも向かいそうな恐れ知らずの与太話に乗ってやろう。バクチは好かんが、どうせやるなら徹底的にやるぞ!」

 

 ここでまた小さく感声が沸き上がった。

 オイラ自身、どこからともなく(にじ)んでくる気力に後押しされ、明るい未来を信じてシリカちゃんに意見を交わし合う。

 小さな1歩を踏み出そうとしているだけなのかもしれない。こんな気休めの作戦、成功したところでアーちゃんが今も同じ場所で捕らわれている証拠もなければ、見えない壁に阻まれたり、そもそもそのスクリーンショットを拡散する方法が存在しない、といった可能性の方がよっぽどか高い。

 

「(だとしても、消えていた活力がもどっタ……)」

 

 これが重要なのである。今までは戦いにもなっていなかった。好きに攻められては、どうにか(かわ)していただけだ。

 しかし今回は違う。少ない手札で最大の一手を打とうとしている。これが彼の魅力であり、またエネルギーの源なのだろう。

 それに『百聞は一見にしかず』には続きがある。

 『百見は一向にしかず』。100回見るより、1回やれ(・・・・)だ!

 

「あの月が沈むまで2時間強といったところか。まずは見晴らしのいい場所を見つけて、周辺モンスターをリポップしなくなるまで狩り尽そう。《闇森》側は知らないが、外にいた奴らはたいして強くなかったはずだ」

 

 《闇森》というのは館のはずれにある森林エリアのことだろう。名前がわからないので暫定名である。

 

「問題はプレイヤーですね、隊長。イン率が高い盛んなゲームの休日なら、まだ何組も入ってくるはずです」

「でも幸い今は僕らだけ。それなら、地上へ出られるメイン通路となる《妖岩の洞》出口で待ち伏せしましょう。敵が大人数でも狭い場所なら利点は潰せますし、例の強力なシルフ隊が再度攻め込んできてもここでは飛べません。リンドさんとジェイドさんが速攻で接近戦に持ち込めば、あとは僕が後ろからカバーします。……仲間もろとも魔法で消そうとしてきたらみんなお陀仏ですが」

「おい最後! ……まあでも、こりゃ決まりだな。A分隊は俺とジェイドとフリデリック。B分隊はテグハとアルゴさん、シリカさんだ。テグハを小隊長にエリア捜索とスローターに励んでもらう。月が沈んだら場所を指示してくれ、目印には俺達から向かう。……異論はないな!」

「了解です!」

「ないぜ、早いとこ向かおう!」

「逆に敵の牙城へ攻め込むなんて、ちょっとワクワクしてきますね」

『キュルルル!!』

 

 フリデっちやピナちゃんまでらしからぬ楽観性を見せると、一行はよりテンションを上げたまま配置に着く。道中でつまずいても当然ご破算なわけで、気合の入りようはいつもより高かった。

 好調すぎて胸が締まりそうになる。

 彼と共に冒険できて、悩みを共有して、力を合わせて打開策を練る。これだけのことを、あの(ヒト)ではなく自分が隣で成している。

 

「(いつも度肝を抜かれるヨ。どんなに追い詰められても……イヤ、なればこそカ。……お前サンはズルいヨ。オネーサンはこれだから……)」

 

 これだから、危うい慕情が止まらないのだ。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 各々が十分に役目を果たし終える頃だった。

 分隊で別れてから2時間。最も心配だったプレイヤー排除チームの奮闘は見事と評する他なく、時には敷き詰めたトラップにハマり次第数の差で音楽妖精(プーカ)のカップルを瞬殺し、時には溜め込んだ《火炎壺》などの消耗品や小出しできる魔法を駆使して1チーム相手に30分以上粘る時間稼ぎをして、最終的にいかなる集団をも撃破なり撃退なりしてみせたらしい。

 やがて月は落ち、太陽が燦々(さんさん)と照りだす。同時に一般プレイヤーからは《幽覧城塞・アスガンダル》への参加権が失われた。

 せっかく見つけた隠しステージへの進入を、粘着質かつ超強力な悪質ユーザに邪魔されてしまったのだ。こんな休日の午後から内心穏やかではないだろう。場合によってはネットの広い海でスレッドでも立てられてボロクソに叩かれているかもしれない。

 もっとも、クドイようだがそれすらオイラ達にとって望むところである。

 

「いよいよだな。なんかスゲー緊張する……」

 

 眼前いっぱいに迫った世界樹を見上げ、ジェイドがそんなことを言った。かくいうオイラも緊張している。確かめられる事は全て確かめたし、シミュレーションも何度も行なった。あとはやるだけ。だのに、人はそこから本当の挑戦なのだ。

 オイラは腕の震えを隠しながら、自分を鼓舞するためにも口を開いた。

 

「自分で立てた作戦だろうニ。自信持てヨ。それに浮力は得られなくてモ、翅さえ広げられれば滑空できることや、《高度限界》の解除も確認できたんダ。……あとは信じてやるだけサ」

「まさか本当にあんなデタラメ論が成立するとはな。まったく、奇跡なのか呪いなのか。……ただ、もう1度お前の口から聞かせてくれジェイド」

 

 上質な真紅の鉄衣と防布をなびかせながら隊長リンドが改まると、ジェイドは黒革の防具を(ひるが)して彼の正面に立った。

 

「……ウソはつくなよ。アスナさんのことは全部デタラメで、1人で行って交渉してくるわけじゃないだろうな? これでもし自己犠牲で何とかしようってんなら、マジで地獄から引っ張り上げて俺の手で殺し直してやるからな」

「ハッ、こっわ。……ンなんじゃねーよ。だいたい俺の命1つじゃ割に合わないだろ? ……頭下げるどころか、俺はむしろ、あいつらに頭下げさせるつってんだ。見てろよみんな、俺は奴らにメチャクチャ後悔させてやるぜ!!」

「プフフっ、ジェイド君は昔からホントに面白いよ」

「おい笑ったなリック! マジでユーゲン実行だからな、俺はっ!!」

 

 気合いも団結力も十分だった。

 そうして作戦の障害となるプレイヤー、およびモンスターをあらかた排除した6人は、視界を埋め尽くすほど近づいた世界樹を前に、今度こそ出立(しゅったつ)の準備をした。

 ――彼の言う通リ、これでダメなら脱出なぞ諦めてやル。

 それぐらいの気持ちで、オイラはフリデっちの首にまたがっていた。そして今度はジェイドがオイラにまたがる準備を……、

 ……ウム。

 

「……なア、ちょっと待っタ。もう1回確認するケド、この5段肩車はオレっちが1番上じゃないんだナ?」

「だから何度もそう言ってるでしょ。俺しかアスナを見てないんだ。上がるだけ上がって場所がわからなかったら、それこそ無駄足になっちまうだろう?」

「そっ、そうなんだけどサ……こう、ホラ……いたいけな少女の頭に足から覆いかぶさるっていうのは倫理的にどうヨ!?」

「う、うっさい! いいから大人しく!」

「わわ!? わひゃあっ!? 耳には触らないでくれヨ!」

 

 こちらとしては冷やかすつもりはなかったのだが、ジェイドが肩の上にまたがるとその温度といい態勢といい、後頭部を意識すればするほど頭と体がこわ張ってしまった。イケナイ妄想がもたげてきているような……、

 しかし5段の肩車にグラグラと揺れながらも、彼の声はあくまで真剣だった。

 

「いいかみんな、帰りはミスったら終わりだ! 地上には戻れてもここへの復帰は無理だし、距離が空いたらパーティは解消されちまうからな! そのくせ1発勝負だ! 絶対成果上げてくるから集中して行くぞっ!!」

「オッケー!!」

「元よりそのつもりだ!!」

「じゃあ持ち上げるぞ! ……ヌンッ!!」

 

 膂力(りょりょく)に優れるノームのテグハが気合を入れると、1度大きくグラついてからフワリ、と地面から上昇した。

 世界樹のごく間近。より正確には、世界樹の中心から空に向かって伸びる円柱形の空間内では、翅の力が高度に依存せず機能する。例えそれが偶発的な発見だったとして、この発想を持てたジェイドの功績は大きい。だとすればせめて、作戦を無事に終え、何らかの方法で結果を活かしてやらねば。

 世界樹を超えた先にいるアーちゃんの姿を世間に拡散する。

 現実世界で何らかの動きがあれば、きっとこの世界にも影響を及ぼすだろう。

 シリカちゃんとピナちゃんがはるか下へ遠ざかる中、これがいざという時の備えとなると願い、胸は高鳴る一方だった。

 

「(スゴい……あの高度からもっと上に飛べていル。ジェイドも言ってたケド、『撮るだけじゃなくて、可能なら世界樹のてっぺんまで飛ぶ』っていうのも、あるいは本当ニ……)」

 

 作戦は順調に消化されていた。

 ロケットが燃料器を捨てて軽くなるように、翅をほとんど使い切った仲間が次々と離脱していく。雲の端から見えなくなったアスガンダルの進路をなるべく頭に叩き込んでいると、あっという間にオイラの出番がやってきた。

 ついに本番だ。

 ずっと地に足をつけていない違和感と不安をかき消すように、「絶対成功させよう、アルゴさん! ジェイド君!!」と、フリデっちが喝を入れる。

 しかしすでに限界だったのだろう、オイラとジェイドが同時に返答するとすぐに彼も滑空姿勢に入った。これで、残るは2人。

 

「(むむぅ、やっぱ重いナ……!!)」

 

 背中の筋肉と筋に力を入れると、2人分、かつ限界高度を超えたせいで思うように得られない揚力に焦りながらも、懸命に背筋を動かし上を目指した。

 泣いても笑ってもチャンスはこれっきりである。

 まだアーちゃんは捕らわれているだろうか。

 離脱した後、狼煙(のろし)を見つけて無事にパーティメンバーと合流できるだろうか。

 いくら休日とは言え、奴らのホームベースでは常時スタッフの人間が待ち構えている可能性だってある。この突発的な作戦が、彼といられる最後の瞬間になってしまわないだろうか。

 だが重圧に押しつぶされそうになった瞬間、優しく頭を撫でられた。

 頭に着いた大きな耳がソワソワする。でも、悪くない。その抱擁のような愛撫はしばらく続き、ずっと姉貴分でいるつもりだった己の迂闊(うかつ)な自信はとうに薄れ去っていた。

 

「へへっ、ワリ。抵抗できなさそうだし触りたくなった」

「まったく、これだからスケベジェイドは……こんな時にもネコミミが恋しくなったのカ? ニャハハハッ」

「なあアルゴ! いつも悪いな、ムチャに付き合わせて!」

「……別にイヤじゃないゾ! どっちかと言うとクロムオーラさんのことでヘコたれないか心配してたぐらいダ、にゃははっ。……それに、何もしないのは死ぬより怖いんダ……こういう無茶に付き合っていた方が退屈しないサ!」

「そう言ってくれると救われるよ。……さあ、もう少しだ。頑張ろうぜ! ちょっと右にズレてるから修正頼む!」

「アイヨっ!」

 

 たったそれだけの応答で、無限の全能感が湧く。

 そうしてしばらく垂直に飛び続けていると、やがて自分の翅にも限界が訪れてきた。

 まだ世界樹の頂上は見えない。しかしケットシーの種族に与えられた滞空制限は個人の努力ではどうしようもないことである。残る旅路はこのインプの男に任せるしかない。

 

「そろそろ『切り離す』ゾ! 準備はいいナ、ロスるなヨ!」

「おう、サンキューなアルゴ! でも、帰り道で落っこちでもたらショーチしねェからなっ!!」

 

 ぐぐっと彼の靴底を持ち上げ、その体を押し上げるのと同時に4枚翅が高振動で唸る。ほとんど飛翔力を得られないはずの高度で、彼はなおも信じられないスピードを維持したまま頂上を目指していった。

 その背中は力強く、また必死にもがく弱者にも見えた。

 ――絶対帰って来いヨ、ジェイド……。

 わずかに祈ると自分のことに集中し直す。こちらとて翅を振動させられる時間は10秒と残っていないのだ。

 しかも世界樹近郊から少しでも離れれば、すぐに《高度限界》の設定が適用される。翅を水平に展開して落下までの時間を先延ばしにすることしかできない以上、ミスれば2度と復帰は叶わない。

 

「(さ~てケムリはどこかなっト……)」

 

 3分ほどたっただろうか。姿勢を崩さないように注意しながら道なき道、ならぬ空路なき雲海をグライドしていると、前方に広範囲に広がる緑色のグラデーションが見えた。

 明らかに周囲の雲とは成分が違う。シリカちゃんが用意してくれた目印だろう。アスガンダルの移動速度が思っていたよりも速くて驚いた。が、これならまだ余裕を持ってランディングできそうだ。

 近づくにつれ他のメンバーの姿も目視できた。

 

「ただいまーミンナ! 案外遠かったナ!」

「おかえりなさいです、アルゴさん!」

『キュルルルッ』

「おう、お疲れさん! ジェイドは大丈夫そうか!」

「イヤ~元気いっぱいで飛んでいったヨ。あのまま上まで登り切っちまうんじゃないカ!」

 

 残り数メートルの時点で翅を折りたたむと転ばないように着地する。

 目印のおかげか全員迷うことなく帰還できたようで、本来は付近の敵を呼び寄せてしまう狼煙の効果も、一帯のMobが絶滅していることで発揮されず。これであとはジェイド帰還後の報告を待つだけである。

 しかしこの瞬間、誰しも予想していなかった異変が起きた。

 全プレイヤー宛てに送られる、ゆっくりとした符丁の噪音(そうおん)。毎週行われる『定期メンテナンス』と同じ、ユーザへの合図となる壮麗なパイプオルガンと、天空からの女性の機械音声が世界中に響いたのだ。

 『《アルヴヘイム・オンライン》サービスをご利用の皆様にお知らせします』。

 そう綴られる、無機質な音声。

 居合わせた5人はなす術なく硬直し、空を見上げたまま唖然としていた。

 

『本日、午後5時を持ちまして、《緊急メンテナンス》を実施させていただきます。サーバーをご利用の皆様には大変ご迷惑をおかけします。また、実施内容につきましては《アルヴヘイム・オンライン》公式ホームページをご確認ください。メンテナンス開始時には皆様のVRダイブを一時切断し、以降はメンテナンス完了までログインを……』

「そ、そんなっ、なんで今日に限って……ッ!?」

「時間だってこんな急に!? こ、こんなこと、2ヵ月で1度も……隊長、これも奴らの攻撃なのでしょうか!?」

「わからない……クソ、あいつはまだ帰ってこないのか!?」

「(……そんな……ジェイド、早く帰ってこイ……っ!!)」

 

 まさか、なぜ。今日は日曜日のはずでは。

 いくつかの疑問を洗い流すように、透き通った音声は続いていた。突如訪れたメンテナンスの刻限は容赦なく迫る。

 じわりと毒のような痺れが心臓を刺すと、思わず両手の指を絡めて世界樹の方角を見上げていた。

 しかし、山の稜線から日の出の光が差し込む穏やかな大空に、彼の姿はまだ見えないのだった。

 

 


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