SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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次話より、いよいよ最終章です。長かった物語もついに終わりが近づいてきました。
全身全霊をかけて作品を送りますね。

登録者数2000人……嬉しすぎです!


エディターズロード3 タビノオワリ

 西暦2025年1月12日 《幽覧城塞・アスガンダル》、南端。

 

 《緊急メンテナンス》の告知から5分以上が経過していた。

 まだ彼は見えない。ステージ間の移動が制限されるまで、もう1分とないというのに。

 

「時間になっちまうぞ! 誰かジェイドを見たか!?」

「だめです隊長! ノロシが広がって、こっちからじゃよく見えませんよ!」

「飛べないんじゃどうしようもありませんね。せめて合図があれば……っ」

 

 もう刻限は間近。

 しかしその時、オイラの視界の先に4枚翅を広げた黒い装備のプレイヤーが映ったのだ。

 

「ち、チョッと待っタ! あれ見えるカ!? こっちに向かってるゾ!!」

 

 いま立っている地平面より上空を飛んでいる、ないし滑空(グライド)している時点で彼に違いない。

 けれどまだ距離がある。アンカーの彼は、帰還までの直線距離が最長となる。高度に余裕がないのは、どうしても軌道がずれてしまうからだろう。

 そして翅を水平に保った滑空はできても、ロスをしたら修正は利かない。

 それでも、猫妖精(ケットシー)族の恩恵で視力の適応性が高かったからか、この時点で気づけたのはオイラだけだった。

 周囲の反応を置き去りに、迷わず自身に出せる最大速で走りだす。スパイクが凍てつく土を抉ると、ものの15歩足らずで岩肌の先端、すなわちジェイドとの最短距離へ到着。その頃には揺籠(ゆりかご)を追う彼の顔もしっかり捉えられていた。

 

「ジェイド、マズいゾ! 届かないかもしれナイ!!」

「向かい風なんだ!! ちょっとヤバいかもッ!!」

「カモじゃないダロ。このっ……コレ! 《バーブス》に捕まレ!!」

 

 反射的に腰に携帯する伸縮自在のムチを構える。

 ミスは許されなかった。だが先端を数回まわすと、釣竿を振るようなスイングで迷うことなく愛用ムチ(バーブス)の先を放る。

 長らく修練を積んできたからか、狙いは違わなかった。しかし荷重までは考えておらず、彼が落下寸前にムチを掴むと、周りのオブジェクトに捕まれなかったオイラは、踏ん張りも利かず引っ張られてしまった。

 なれど、肝を冷やしたのは一瞬だった。

 オイラの肩を力強い両手が支えたのだ。

 首だけで振り向くと、土妖精(ノーム)のテグハっちが僅差(きんさ)で追いついていた。後を追うまでの反応が早かったのだろう。

 

「それ絶対に離さないように、アルゴさん!!」

「お、オウ! ニャハハっ、お前サンもずいぶん助けるようになったナ!!」

「あんな奴でも死なれちゃ困るんです! そうでしょうっ!?」

「すまん遅れた、全員で引っ張るぞ!!」

「せ-のォっ!!」

 

 数秒遅れで駆け付けた5人が一斉に手綱を引き、グンッと後ろ向きのベクトルが加わると、オイラはムチもろとも陸の方へ引っ張り上げられた。

 そして、直後に全天へ響く鐘の()とメンテナンス開始のアナウンス。大別(たいべつ)されたエリア間の移動が制限された瞬間だった。

 《アスガンダル》を領域名に置くエリアが面積最大となる端面から筒状に伸びる立体空間なら、確かにオイラのムチを掴んだ段階で、見えない壁に阻まれ彼1人が取り残されることはなかっただろう。だがそれでも、ほんの十数秒の差である。

 ようやくジェイドも復帰する。

 手をかけた崖際から内地側へ転がり込むと、息も切れ切れに大の字になっていた。

 

「プハァ~……ハァ……アッブね! ハァ……助かったぜアルゴ……みんなも」

「助かったじゃないヨ! このっ……バカジェイド……」

 

 駆け寄り、思いつく限りの罵倒をくれてやるつもりだったのに。

 彼の(そで)を弱々しく握ると、こみ上げた感情を押さえつけるのに必死で、そんなセリフしか出てこなかった。

 世界樹頂上を目指す間もメンテナンスの放送は聞いていただろうに。時間に間に合わなくても、戻って来られずに落ちてしまっても、きっと彼だけでは生き残れない。

 理由は単純である。

 いかな幸運に護られたとして、このサバイバルを独りで生き抜くには限度があるからだ。ましてやオイラ達はあらゆる権利を剥奪された最底辺の脱領者(レネゲイド)。街で必需品を調達することができないばかりか、宿を取れない以上、フィールドでも気を抜けばあっさりとあの世行き。インベントリに格納できるプレイヤー1人分の物資なんて、いくら溜めてもまともに暮らせば1週間と持つまい。

 生きるか死ぬかの瀬戸際だったにも関わらず。

 

「(ヒョウヒョウとしちゃっテ。こいつはまったク……)」

 

 新しい悩みの種と言えばまさにこれ。世界転移から2ヵ月以上がたち、ジェイドは最近どこかおかしくなっているのだ。

 具体的には、リスクを負うようになっていた。

 無論、ところ構わず発揮する無意味な暴走とは違う。しかし、だからこそ彼の行動にはヒヤヒヤさせられる。まるで思春期の子供が、親の定めたレールか殻でも破ろうとしているように。恋人と、そして……かつての仲間に会いたいという渇望が強すぎて、座して待つ作戦を良しとしない行動が目立っているのである。

 彼とてもうウンザリなのだろう。

 こちらの座標を追える研究者も、オイラ達が消極的な活動しかしていないことを把握しているはずで、どちらにとっても膠着(こうちゃく)状態となってしまっているからだ。

 そこまで考えるうちに、リンドが「どうだったんだ、ジェイド……?」と問うと、呑気に息を整えていたジェイドはガバッ、と起き上がり、おそらくこの場の全員が聞きたがっていた結果を口にした。

 

「ぶっちゃけ言うと、乗り込むのまではムリだった。……高度的に、もはや惜しくもない」

 

 みなが落胆しかけた直後だった。

 「つっても危ないハシ渡ったカイはあるぜ……」なんて言いつつウィンドウを操作すると、とびっきりのしたり顔で彼は1枚のスクリーンショットを可視化させたのだ。

 そこに映るのは、金の格子に囲まれた真っ白な少女。望遠機能を最大にした解像度の低いスクショではあったが、かの浮遊城で激戦を生き抜いた猛者であれば、誰しも1度は目にしたことのある美貌(びぼう)だった。

 

「こいつを見てくれ! 撮ってきたぜ、マジでアスナだ! ハッハァ、どーだよオイ! グランド・クエストなんざクソくらえだッ!!」

「す、すごい……言った通りの場所と格好だ。半信半疑だったけど、本当にあの木のてっぺんに彼女がいたんだね……」

「見たと言っても開幕初日の戦闘のさなかだろ? よく発見したな……」

「アーちゃん……ダナ。どう見てモ。シリカちゃんも見たことぐらいはあるだろウ?」

「はい。かなりボヤけてますけど、他に考えられません」

「ほーら言っただろ! まあ運任せだったけどよ、見たモンは見たんだ。俺はウソついたことがねェ! ハハハハッ!!」

「コイツめ、言ったそばから。……さて、しかしどうしますかね隊長。素材だけあってもそれを広める手段がないんじゃあ……」

 

 「そこなんだよな~」と割り込むジェイド。他も一様にして首をひねっているが、やはりここが1番の関門だろう。そもそもネットに繋がる手段があるのなら、きっと今より効率的に脱出できたはずだからである。

 画像を添付するわずか十数秒間の接続の確保ですら、オイラ達にはままならない。

 けれど、止まった状況は隊長が打破した。

 

「まあ悩むのは後にして、とりあえずは移動だ。エリアの内側に行こう」

「やっぱり来ますかね、彼らは……」

「確証はないが……なにせ前例のない『休日のメンテナンス』だ。ただでさえ表の事業にも口を挟める権限を持っているみたいだから、このタイミングで強襲してくる可能性は高い」

「では、あのメインダンジョンらしき館に戻るというのはどうでしょう? こちらも飛べないなら、屋外じゃ分が悪いですし……」

「でも気を付けてください。今回が例外だからか、ユーザの強制ログアウト以外は手が加わってないようです。ほら、アレ! ……そこかしこでモンスターが歩いてます。……ここは慎重に決めましょう」

「みたいだな。うーむ……悩ましいが、一応逃げ込む先ぐらいには考えておくか。ジェイドがガラスを割って参戦したように、俺達も状況に応じて出入りできるだろうし。……とにかく、敵のスーパーアカウントがやってきたら、遮蔽物のある室内戦の方が有利に違いない。行き止まりにだけは注意してな」

 

 初見エリアなので注意と言っても限界があるけれど、敵とてまさにこういった準備不足を狙ってきたのかもしれない。

 となれば、イレギュラーであれ籠城(ろうじょう)の選択肢はどうしても残るだろう。

 

「(気持ち悪い空気ダ……何もなければいいケド……)」

 

 とてもイヤな予感がする。

 2年の歳月が生んだ生存本能だろうか。うなじにピリピリとした緊張が走る。そして、こういう時は決まってピンチがやってきていた。

 よもや24時間体制で監視できるはずもなかろうが、オイラ達が隔絶された場所(アスガンダル)に進入してもう4時間ほどもたっているのだ。研究スタッフのいずれかがこのアクシデントに気づき、対策に移るまで十分な時間があった。

 ここで勝負に出るというのだろうか。だとしたら、きっと自信ありきの先手となるに違いない。

 つらつらと考えながら6人で館の方へ歩いている途中だった。

 時が来る。

 全員が予期した事態は、現実となっていた。

 

「じゃあいつもみたいにケムリやら閃光弾やら用意して、テッテー的に時間稼ぎだけしてりゃあ……」

「待てジェイド。おでましみたいだゾ……」

 

 一同は移動を止める。アスガンダルの地平より上空(・・)から降臨された彼はゆっくりと下降、翅を広げたまま20メートル以上を空けてピタリと制止し、殺害目標であるオイラ達を見下していた。

 当然のように《高度限界》を無視。人間の記憶・感情コントロールを自在に行うため、非合法な実験を繰り返すマッドサイエンティスト。

 

「……ハァ、もう何度目になるだろうね。きみらとこうして会うのは……」

 

 滞空したまま、彼はゆっくりと口を開いた。

 やはりこの《緊急メンテナンス》は研究者達による先制だったのだ。またぞろ正規の担当部署にアレコレ理由をつけて、施設と権限の一部を提供してもらっているのだろう。機密性が高く、一般人にとって興味の薄い仕事なだけに、この介入から拉致監禁の件が漏洩することはまずあるまい。

 しかしメンテ時間は有限。それが相手にとっても狩りのタイムリミットとなる。

 

「(やっぱり来やがったナ。……ケド、急いでないのカ……?)」

 

 時間こそ最も惜しむべきもののはず。だというのに、敵は静かな空に滞空したまま動こうとせず、意外なことにその面影はひどく暗かった。

 なにか事情が変わったのか。

 だが装備にさしたる変更はない。直剣としても機能する特注の長く鋭利な杖と、白装束の高機能ロングコート。さらに魔法の効果範囲と命中率を増幅させる《レジェンダリー・ウェポン》の魔法辞典も携えているが、すべて以前からメンテ時に襲来するたび持参していたものだ。

 アバターも《ラボラトリー》で激突した時と同じで、ファンタジックな風貌(ふうぼう)に合わない凹凸のない東洋顔。当時のようにあらゆる制限が取り除かれた無敵のアカウントである。

 敵も戦闘自体は想定していることになる。

 オイラと、そして周囲の5人が警戒レベルをマックスまで上げた。

 奴の発する言葉がチートコード発動への一句であれば、繰り出す技がいかなるものであれ、きっと即座に散開して可能な限りの遅延行為に移っていただろう。この2ヵ月がそうだったように。

 しかしこの日に限って、研究スタッフの男は問答無用に襲い掛かって来なかった。

 そしてこんなことを言い出したのだ。

 

「もう止めにしないかね、少年達! 互いに消耗するだけだ!」

『…………』

 

 睽乖(けいかい)を破るように発せられたこの一言に、リンドも即答できないようだった。

 もっとも、彼から見て隊長格と勘違いしているのか、それとも内部操作を企てているのかは定かではないが、過去の戦闘ではジェイドへ交渉テーブルへの(さそ)いが度々来ていたらしい。突っぱねられ続けて業を煮やし、堂々と説得しに来たとでもいうのだろうか。

 「罠かもしれない。周囲を見張れ」というリンドの命令をよそに、星屑のような(きら)びやかなエフェクトが舞う中、男は真相を明かすことなく音量を変えずに続けた。

 

「1人の男が、数時間前にラボへ転送されてきたよ。遅れながらも被検体として合流……今は問題なく機能(・・)してくれている」

「クロムのおっさんのことか! このッ……カス野郎がァ!!」

「……だから言ったろう、少年。きみにはむしろ、幾度となく説明したはずだ。……もう理解してくれたか。これが結末さ!! 元より、人との接触を取り上げられたきみ達に! ここで何ができると思っていたんだッ!? 遅れを取り戻すのは過酷なものだよ。24時間絶えず感情刺激の電子ドラッグを投与され続け、終わりのない意識の中であらゆる実験結果がモニターされる! こちらの用意した妥協を拒否して2ヵ月も怠慢したんだ、これぐらい当然だろう!! きっとその子供も例外なく薬物付けになる!!」

「ひ……っ……」

 

 わざと脅すようにシリカちゃんを指さし、睨み付ける。

 すくみあがった彼女を庇うようにジェイドとリンドが前に出ると、男へ真っ向からぶつけていった。

 

「オドシはもういいッ!! 《ペイン・アブソーバ》だって、設定は変えられないじゃねェか! アンタは会った日からハッタリばっかだよ!!」

「彼の言う通りだ! いい大人がみっともない!! ここへ来た以上、どうせやることは変わらんのだろう!」

「……確かに騙そうともしたさ。だが今日まで、状況は悪くなる一方だった。……そう、今日まではな。私はチャンスをやるために来たのだ! 本当に最後となる交渉の場を。……先ほど座標を見ていた部下から報告を受けたが、きみ達は何やらラボのすぐ下まで接近したようだな? まったく無駄なことを。しかしそういう行動なんだよ、我々が危惧しているのは! 私だってな……非人道的な実験に対し、どれだけ悩んだことか! 生の声を、このALOを通じて聞いてしまったのが間違いだった! ……だから個人としては、むしろきみ達を助けてやろうとしているのに。あまり度が過ぎると見過ごせなくなる。……いいか、これが最後の警告だ!! 今ここで降伏すれば酌量の余地もある! ただし、これすら阻む者には凄惨な未来が待っているだろう!! もう手を引いてくれ。それが最も穏便に済む近道となるっ!!」

 

 よほど勝てる見込みがあるらしい。

 勝利を前提にした無条件降伏要求。これさえ呑めば、抵抗する者より手厚くするよう掛け合ってくれるという、2ヵ月ぶりにやってきた神の慈悲。

 しかし、すでにオイラ達の抵抗が彼らの組織へ即物的なダメージを与えているのだ。今からでも間に合う仲裁交渉などあるのだろうか。

 確かに彼は優秀である。自分らが抱える問題の核心を隠したまま、表の事業部へさえリークする行動力。ゲームの一部におけるコンセプトデザイン開発への参入。そして、仮想界で唯一まともにアバターを操作できる経験など。

 なるほど多かれ少なかれユニークな能力はあるらしい。チームで動くにしても柔軟性がある。

 さりとて……否、なればこそ。

 まず間違いなく彼はマネージャー格の役職ではないだろう。そういった七面倒な労働は下が請け負うと相場が決まっている。一研究員でしかない彼が、いったいどう()り成したら被験者数人だけを特別扱いできると言うのだろうか。

 プレイヤーでしかないオイラでは、彼の言っていることの真偽を正す術はない。

 しかし、やはりこれもブラフと見ざるを得なかった。これまで何度も情報のないオイラ達を陥穽(かんせい)にはめようとしてきた相手だ。むしろ武装している限り、男の狙いはこちらの戦意喪失だと推測できる。

 そしてパーティ方針を決定する男もまた、同じ結論に達した。

 

「これだけやっといてよく言うよ。……あんたこそ、ジェイドから何度も聞かされたんじゃないのか!? 『クソくらえ』となッ!!」

「……愚かなことを。私ほどこのステージを知る者はいないというのに」

「なに……ステージを、知るだと……っ!?」

「しかしもう遅い! これで……本当に最後だッ!!!!」

 

 白装束の魔術師は武器一体の魔法触媒を高らかに掲げた。

 交渉は決裂。

 頭のギアを一瞬で戦闘モードに切り替えると、オイラ達は準備しておいた《閃光弾》を上空へ投げ捨てながら最速スピードで後退した。

 ガガガガッ!! と、直後に飛来する雷属性の特大魔法。長ったらしい呪文詠唱をオミットしたチート攻撃である。

 それでも、精鋭達は光の全てを回避した。

 まだ実装すらされていない詳細不明の属性波状攻撃を前に、飛行制限がある弱者一行は地を駆け抜けて脱出し、白煙を切り裂いてなおも進んだのだ。

 「バフがかかる! フリデリックのそばに!!」というテグハっちの声を頼りに軌道を修正すると、すでにスペルを唱えていたのか水妖精(ウンディーネ)の定石通り《純化の聖水(ホーリブ・リファイン)》の支援魔法が全身を覆う。

 魔法ダメージを一定時間軽減する防御系で、これでいかなる攻撃でも1発KOとはならないだろう。

 というのも、残量HPを無視した一部の即死魔法を除き、PvPでは威力ブースト込みでもダメージ量に絶対的な上限が設けられているのである。

 弱点部位への直撃やカウンターボーナスを併発すれば可能だが、魔法には判定が広がるエフェクトがかかる。意図してそのボーナスを取るのは至難の業。どうしても武装した熟練者を確定でワンパンしたければ、完全に動きを止めてから多段ヒットするタイプの収束砲撃を叩きこむしかない。いずれにしてもロマン戦法である。

 かのアインクラッドではキャラクターへのレベル制度が採用されていたため、レベル999までカンストさせた小柄な少女――のちに聞いた話では、彼女はアーガス社員によって造られた特別なAI――が90層ボス相当の規格外モンスターを大剣一振りで瞬殺する、なんてことも可能だったらしい。

 しかしここは経験・知識で戦闘が成り立つ、個人能力依存のどスキル制ゲーム。

 ましてやオイラ達の防御力は、初期装備時のそれと比較にならないほど強力なものを装備しているのだ。

 場を切諫(せっかん)しているはずの男が、毎度のごとく獲物を逃がしては怒り浸透している由縁(ゆえん)である。

 しかし、今日に限って事情が少し異なっていた。

 

「やっぱり足で避けるにも限度がある! 中に逃げよう、リンドッ!!」

「わかっている!! 各員、スクランブル軌道で館へ向かえ!! 室内で合流後、また指示を出すッ!!」

『了解っ!!』

 

 泥を蹴り立たせながら全力で両足を動かす一行。

 そう、3次元回避ができないのである。

 翅の重要性は今さら周知の事実だろう。おまけに高度が高すぎて、跳躍からわずかな飛翔力だけを発揮、直後にグライドして距離を稼ぐ移動・恒常戦闘用システム外スキル《ソアー・ダイブ》をも封印されている。

 許された機動は緩急を持たせたダッシュ/フェイントと、規則性のないランダムなジグザグ走行のみ。

 これでは一方的な虐殺となる。

 

「(チクショウ、そろそろ《閃光弾》が切れル! これだって結構貴重品なんだゾ!!)」

 

 現段階で消耗量が一般人対戦のそれと比較にならなかった。

 なにぶん敵にデバフは適用されない。単純に光を放つ2秒程度だけが、相手の照準を狂わせられる猶予となるからだ。光の直撃を受ければブラインドネスのデバフを受けるはずなのだが、きっと相手は悠々と目を開いて上を旋空していることだろう。

 振り向いて悪態をつきたい気分だった。今後も逃避行が続くことを考えれば、こんな休日に臨時で物資を削られるのははなはだ迷惑なことである。

 もっとも、先の会話で出た単語から、おそらく彼がこの隠しステージのデザイン、および各種モンスターやギミックの設計業務に携わったというのは想像に難くない。とすれば、少なくともこの戦闘でパーティの半数ぐらいは削る魂胆でいるはず。

 今日、ここを凌げるかどうかが(とうげ)となる。

 ただでさえ数時間前にすでに1人失っているのだ。ここで3人、ないし2人でも欠けようものなら、向こう1ヵ月の存命すら危うくなる。

 

「アルゴ、シリカ! バフかけ続けろ!! MPは後で回復できる!」

「スー……フィッラ、っ……ヘイル……きゃあっ!?」

「くッ!? だめだ、距離が近すぎる! シリカさんが被弾した!!」

「オレっちが稼グ!! 皆はなかニッ!!」

 

 ジェイドらが《麻痺》にかかったシリカちゃんの体を担いだのを尻目に、オイラは先にまいた煙幕を利用して逆走。敵の真下に潜り込んだ。

 すぐに《フォー・ハウジング・バーブス》を構える。

 大胆なアクションで先端を投げつけると、同時にグリップのトリガーを引いた。

 すると、芯間を通るワイヤーが連動する音を感じ、先端四方から鋭利な突起物が逆棘のように出現する。

 そしてグルンッと男のアバターに何重にも巻き付くと、逆棘は伸びきったヒモ状の部分と絡み、一時的に敵の行動を制限してみせた。

 一切の攻撃行動でダメージを負わず、あらゆる攻撃で優先権のある敵だ。意識を向けて解こうと思えば、赤子の手をひねるより簡単にこなすだろう。

 しかしその数秒が結果を変えた。

 煩わしそうにムチをほどくのと、オイラが武器を収納しにかかったタイミングはほぼ同時。トンボ返りで仲間の背を追うと、限界に近い敏捷力でもって室内へ逃げ込めた。

 追撃なし。これで奴もオイラ達と同じ土俵に上がるというなら、制空権を握る奴の優位性は失われるはずだ。

 ほとんど無意味にチャンスを逃した以上、きっと顔を真っ赤にして……、

 

「さあ、ここからだ。せいぜい逃げ回るがいい! 結果は変わらないがなあっ!!」

「ハァ……ハァ……アレレ、あいつ……外で決着つけられなかったのニ……ハァ……ずいぶん余裕みたいだゾ! 誘われたのカモ!!」

「ゼィ……この館で……決める気なんだろうなァ! どうするよリンド!」

「とりあえず掠った分は回復しとけ! 常に全快をキープするんだ!」

 

 6人は走りながら万全の状態を整え、無敵バカの襲来に備えて装備を調整した。

 敵の牙城へ侵入すると同時に、臨時メンテのせいか配置されっぱなしだったモンスターが何体か襲ってきたが、それらを斬り捨てる頃にはどうにか各々の準備が整っていた。データロードを挟む再湧出(リポップ)も発生しない。

 ただし動いた状況はそれだけではなかった。あろうことか、今まで大口を開けたまま止まっていたはずの鉄の大門がひとりでに締まり、割れそうだったステンドガラスにも紫色の結界じみた文様が浮かび上がったのだ。

 

「(まさか閉じ込められたのカ!?)」

 

 危惧は的中した。

 ジェイドが反射的に大剣で攻撃してみるも、(もろ)いはずのそれは完全にノーダメージ。『いざとなれば外へ逃げられる』という想定はこれで覆されたことになる。

 館への侵入側とここの主……つまり、《廃国の覇王》と呼ばれるボスの配下側に分かれて、どちらかが全滅するまで争い合うイベントの存在は知っていた。まさかその実態が完全な閉鎖空間で行われるとまでは聞いていないが、おそらく敵はそういったアクティベート状態のイベントなりを利用したのだろう。

 室内戦は望むところ、というスタンスだったものの、能動的に外へ抜け出せないとなると選択肢は狭まる。

 そんな状況を代弁するように、「しかしマズいですね」とフリデっちが切り出した。

 

「あの相手の態度……よほど初見殺しのトラップが多いとしか……」

「それか、時間にヨユーがあるとか? ほらアイツ、さっきくっちゃべってたから」

「そういえば、向こうも飛ばないなら酔い潰れることはない」

「それもあるだろう。が、やはり危険なのは行き止まりに追い込まれることだ。道も狭い。集団で動こうものなら、きっとその時点で誰かが死ぬ……」

 

 考察はどれも鋭かった。ただでさえ威力の高い広範囲魔法をブースト&連続、無尽蔵に撃てるのだ。確かに閉鎖空間での高い人口密度はほぼ自殺行為になる。

 それに飛行のせいで酩酊(めいてい)することがなくなる、というのも盲点だった。

 今まではそれに何度も救われてきた。外に出られなくなっただけで、これほど相手に都合のいい狩り場になるとは。

 

「(ここが『仕掛け城塞』ってのいうのも、勝算の1つだろうナ……)」

 

 敵モンスターのボスが館を改造した理由。ゲーム上では、他国の王を殺して覇王となった途端に保身的になリ、のべつ幕なしに傭兵を雇って空に逃げ、壁の奥に籠ると叛逆(はんぎゃく)に怯えながら孤独に生き長らえている……なんて設定だったか。

 情けない王である。まあ、創造された世界ゆえ、住み心地の悪い城塞になり果てた理由なんて後付けでいい。

 問題はそれらを敵のスタッフが熟知している点である。

 しかも、室内からの脱出方法はオイラの知る限り3つしかない。

 1つ。メイン・ウィンドウから『ログアウト』ボタンを選択する。エリアに取り残されたアバターが、モンスターや敵対プレイヤーに斬り殺される――すなわち死亡罰則(デスペナ)を受け入れることが前提となるが。

 2つ。覇王の配下と化した敵対妖精を全滅させる。(あくまでユーザ同士の相剋(そうこく)用イベントであるため、ボスに挑む義務があるわけではない)。

 3つ。とは言え、ストーリー上はラスボスを討伐せしめるかどうかだ。ならばサッカー場ほども広い《覇王の皇室》で誰かがボスに謁見(えっけん)し、いわゆる『ボス戦』を開始すればいい。外野となった他のパーティメンバーや敵妖精は、それぞれに味方するも、傍観するも、または逃げることさえ自由となる。

 たったこれだけ。

 おまけに前者2つに至っては、相手が無敵なので達成不可能ときている。

 しかし、多くを生かすために1人をボスに向かわせるとしよう。それは事実上、生き残りの誰かを犠牲にすることと同義である。

 それを知るリンドの指示には迷いが見て取れた。

 

「……外に出るのは諦めて、館の中で迎え撃とう。2班に分ける。A隊は俺とフリデリックとシリカさん、B隊は他3名。隊長はジェイドに任せる。散開してなるべく長く稼ぐぞ!!」

『了解っ!!』

 

 「2人とも急ごう」という命令と共に、オイラ達は3人ずつに分かれた。

 人口密度は減らせたものの、これで1隊につき索敵員は1人。つまりケットシーを拝命したオイラが先に研究員の男を見つけなければ、この3人から犠牲者を出す可能性が飛躍的に高くなるわけである。

 責任は重大だ。

 魔改造された豪奢(ごうしゃ)な廊下を走りつつ、オイラはあらゆる箇所を警戒した。

 そして1分も走ってからだろうか。どこからともなく暴力的な攻撃音と地響きが聞こえてきた。

 このエリアのどこかで誰かが戦闘している音だ。

 そしてそれは当然、リンド達A隊ということになる。これには絶対忠誠を誓うテグハっちが反応した。

 

「あっちが狙われているぞ、ジェイド! ……なあオイ、ジェイド!」

「……俺らはやるべきことをやるまでだ。ここいらのトラップは、モノによっちゃあ単発の撃ちきり。アイツがA隊にかまけているうちに発動させまくって、こっちの逃げ道をなるべく確保しとくぞ。多少くらっても今ならまだ回復する時間が……」

「バカを言えっ!! もし隊長がやられたらどうするつもりだ!? オレ達は何度も彼の判断に救われてきた、そうだろう!?」

 

 隊長を妄信している彼のことだ。このセリフはきっと、意図せずして勝手に口をついたのだろう。

 しかし口に出すと、逆に感情が引っ張られるともいう。

 結果、その発言で本人にとってよくない感情が渦巻いた。

 

「今からでも引き返すべきだ。いま彼を失えば……っ」

「だからこそ任務を果たすんだッ! ……いいかテグハ、小隊長は俺だ。命令に従え。それにハナから勝ち目の薄い戦いで、まだ2分もたってないんだ。これで死ぬようじゃリンドもその程度の男だったってわけさ。……うオっと、さっそく罠じゃん。ベタに大鎌のペンデュラムか……おい2人とも! さっさと体を動かせ!!」

 

 ジェイドは命令するが、テグハっちも引き下がらない。

 

「……おい……本気で言っているのか!? 自分が助かりたいだけだろう!?」

「ハァ!? ちげーよ、考えりゃワカんだろッ!!」

「ウソをつけ!! オレはお前とは違うぞ! 隊長のためなら、オレはどんなことも怖れない!!」

「冷静になれって! 俺はビビってねェし、だいたいこの別行動もリンドの命令だったんじゃねェのかッ!!」

「ケンカしている場合じゃないだろう2人とモ!! ……テグハっちもここは折れてくレ。コイツは言い方が悪いケド、その判断は正しイ!」

「っ、く……そ、そうやって……またジェイドの肩を持って。アルゴさんはいつもそうだ……ッ!!」

「ちっ、チガうヨ! そういう(・・・・)んじゃなイ! ……リンドはあえて口に出さなかったケド、二手に分かれたのは全滅を避けるためダ!! お前サンだって、もうとっくに気づいているんだろウ!?」

「うっ……くぅ……ッ」

 

 言いよどんだのはテグハっちの方だった。

 やはり理解はしているのだろう。だがそれゆえに、標的となったリンド隊長達を助けるための言い訳を並べた。

 この狭い空間で奴の猛攻を凌ぎきれる確率はごく小さい。加えて敵の自信――それがこの2ヵ月同様バカバカしい皮算用だったとして――を見るところ、隠れてやり過ごせるほど甘くもあるまい。

 そして1つだけ確かなことがある。

 非情な決断をしたジェイドだって、今すぐシリカちゃんを助けに行きたくて暴れたい思いだということだ。それを押して任務を遂行している。

 

「し、しかし……オレはっ……クソ、わかってるよ!! ああちくしょうっ!! せめて、任務を果たすべきだ……っくそ!!」

「(テグハっち……)」

 

 現状を再認識した彼は、そう吐き捨てながらもトラップの起動作業を始めた。

 オイラもようやく肩の力を抜く。

 ずっと慕ってきた、かの連合隊長の援護に向かえないもどかしさがあったのだろう。その気持ちは推し量って余りある。だがここで誤謬(ごびゅう)を犯せば、この感傷すら無意味となる。

 奴ら研究者の真の奥の手は、オンライン実装前の特大魔法攻撃などではない。

 ここで戦い(あらが)った記憶と痕跡すらも、消し去る力なのだから。

 

「よしっ、ここらのトラップはだいたい終わったな! モンスターも仕掛けありきの動きが多い。奴がこっちに来てもみんな冷静に対処しろよ!」

「了解ダ。しかし音が続いてるナ……もしかしテ、室内戦は彼自身もあまり経験がないんじゃないカ?」

「ハッ、だァから言っただろ。DDAの頃は殺しても死なないぐらいしぶとかったんだ。あのリンドがそう簡単にくたばるタマかよ! なァそうだろう、テグハ!」

「……ふん。オレだって信じていたさ……」

「おおっ、冗談を言うようになったな! ハッハァ!」

 

 彼は肩をバンバンと叩いてテグハっちを、そして自分をも鼓舞(こぶ)した。

 緊張の糸は切れない。リンド達A隊の始末に負えなくなった場合、あるいは本当に倒されてしまった場合でも、こちらへ標的を移すケースは十分に考えられたからだ。

 そして3人が受けた微量のダメージ分を全体魔法で回復し、オイラも消費した魔力をポーションで補った瞬間、ついに対面の時が訪れた。

 

「ッ、……!? 来たぞ! 構えろォ!!」

 

 ドッガァアアアアアッ!! と、遠くで薄く(もろ)い壁が崩れた。

 その残骸(ざんがい)をガリガリ踏みならしながらゆっくりと歩いてきた男は、例のメガネをかけた研究員。

 しかし敵の眉間には未だ深いシワが刻まれたままだった。

 右側の唇を強く噛み、男は口を開いた。

 

「なぜ……なんだ。なぜ、死なないのだ……きみ達は」

「おーう、こりゃいいぜ! そのツラからして、またしくじったみてェだなクソゲス野郎! コリねぇバカだよアンタ!」

 

 またジェイドが挑発するも、相手は乗ってこなかった。

 ギリッ、と歯を食いしばり、一層強く(にら)みを利かせる。

 

「……バカだと? 私がどんな決意でここへ……ああ、そうだ……もとはと言えばお前が元凶じゃないか。ラボで妨害されなければ、7人も逃すことはなかった! プレイヤーに紛れた時だってッ、お前がいなければすぐ片付いていた!! おかげで私は腫れモノ扱いさ! たった数人のガキを始末できないのかと、日がな1日責め句を浴びてっ!!」

「…………いや、自業自得じゃね?」

「うるさい! なにも知らない子供がッ……こっちは生活を削っている! いい加減にしてくれよ!! ナーヴギアの殺人機能が停止した以上、死ぬまで粘ってもしょうがないだろう!? ……ああ……ちくしょう。……こんなの、理不尽だ。……なぜきみのような……ガサツな男が頼られて、私の努力が報われないんだ!? こんな仕打ちを毎日受けなくちゃ……ああぁあアアアアアアアッッ!!!! さっさと死んでくれよ、お前らさァアアアッ!!」

 

 『システムコマンドぉ!!』という初句と共に、もう作戦といった作戦もなく男は突進してきた。一帯の罠がすべて発動済みなのは一目瞭然なので、きっと戦場を変えようという腹積もりなのだろう。

 現にオイラ達は紫電のエネルギー塊に押されて、ほとんど選択の余地なく大きく後退させられた。

 しかしこれはいい傾向である。攻撃が大雑把になればなるほど読みやすくなるからだ。

 初見時特有の判断ミスを誘発させ、動きが鈍くなったところでブーストされた大技による一発ノックアウトを狙う。敵ながら単調な作戦である。

 今度こそ逆転を確信していたらしい彼は、轟音が収まると『被弾者なし』という事実にさらに顔を曇らせていた。

 

「この2ヵ月で人生メチャクチャだ!! きみらのせいでぇっ!!」

「知るかよ、クソッ……アルゴは影にいろよ!!」

「ヒールはしてル! 魔法の対処は2人に任せたヨ!!」

「《リストリクション》オッケーだ! しばらくはオレだけで持たせられるぞッ!! 前はいいから、アルゴさんは進路を指示して!!」

 

 怒号に近い意志疎通をしながらも、3人小隊は目暗ましと心理戦を駆使して緩やかに後退した。

 テグハっちが自身にかけた土属性魔法は《固縛体(リストリクション)》。アバターを硬化して物理、魔法防御力ボーナスを得られる。クロムオーラさんが身命を賭してジェイドを守ろうとした際、シルフ隊との戦闘渦中で使用したノームご用達の防衛魔法である。

 『飛翔力残量の半分を失う』という大きなデメリット付きではあるが、翼力を使い切って地上戦を余儀なくされた場合、または飛行できる標高を超えた――すなわち、ここアスガンダルのような《高度限界》以上の戦域ではシナジーが高い。

 加えて彼が装備する背丈ほども大きい黒鉄のタワーシールドは、その優れた筋力値でさえ取り回しできる限界スレスレ、包括的に見ても最大級の大盾だ。それに伴う防護性能も保証されている。

 そこに、オイラが小隊に発動した光魔法《治癒亢進(リジェネレート)》が重なる。

 これは旧アインクラッドにおける《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルの作用と近いだろう。経過時間に応じた自動継続回復で、かのスキルと比べ発動に少々手間はかかるものの、例のごとくマナポイント3倍消費で付近の味方全員に付与できる。

 そして追い打ちのようにジェイドが持つ高レア度の収納盾、《スワロゥ・パーム》まで待ち構えていた。

 彼だけでなく、これまで幾度となく脱走者7人を窮地から救ってきた、魔法ダメージのみ95パーセントカットの非実態ラウンドシールドである。

 敵が攻防一帯の魔法媒体を振り下ろすたびに、ゴッパァアアアッ!! と派手なエフェクトが舞うが、煙が晴れた先では獲物がピンピン活動しているのだ。時間の限られた相手にとっては気が気でないだろう。

 なにせ相手には、魔法ブッパ以外に戦法がないのだから。

 

「ここで無理ならもう処分なんてできない!! きみらの自然死を待っている時間はないのだよっ!!」

「ハッ、自然死だァ!? こっちは2年耐えたんだ。何年先になるかなァ!!」

「とり合うなジェイド! 守ることに集中しろ!」

もうすぐ(・・・・)ダ! 走れェー!!」

 

 通路の角を曲がった瞬間、オイラ達はほぼ同時に速度を維持したまま一定の区画を避けるようにジャンプした。

 その奇怪な行動はギリギリ死角になって目視されなかっただろう。

 何も知らない敵が90度曲がると、続いて後を追ってくる。

 そして、予想違わずそのアバターが脆い足場を踏むとドドドッ!! と崩れ、そのまま大きな穴にハマってしまったのだ。

 特定の地面に深い(くぼ)みを作り、表面を周囲の色に擬態させる即席の落とし穴。変則的な土魔法として知られる《陥没構(クレートセル)》である。

 ダメージもなく地上であれば翅も使われる。となれば、普段なら活用法を論ずることすら視野の外。けれど使い勝手の悪い初級魔法であれ、消耗前提で時間だけ稼ぐのであればこうした敵には有効なのだ。

 オイラ達は慢心せず時間の許す限り対策しておいた。トラップがすべて自分のために作用してくれる、そう思い込んでいた彼の油断がこの隙を生んだのである。

 文字通りあらゆる制限のない彼なら翅で飛べばいいものを、ここでも『落とし穴にかかった』という常人的な判断が思考を鈍らせている。

 彼が手足を使って罠の壁をよじ登るころには、彼我の直線距離は相当開いていた。

 

「待っ……ま、てくれ! ゼィ……待てッこの……っ!!」

 

 すでに見栄を張るのも忘れているのか、足をもつれさせながら懲りずに杖を構えている。

 と同時に、放たれた雷魔法はまたもあらぬ方向へ飛んでいった。

 やはり登場時に見せていた自信は、クロムオーラさんが攻略途中で残り火(リメインライト)になったことに気をよくしたのか、オイラ達を混乱させるためか……はたまたターゲットの翅さえ奪えば、本当に城塞の仕掛けと配置したままのモンスターで勝てる見込みがあったのだとみていいだろう。

 無敵というだけで彼のプレイヤースキルは決して高くない。

 残る問題は、この限られた空間でどれだけ持つか。

 

「(なんにせよ持久戦ダ。同じ場所をぐるぐる回るだけでも厄介なハズ……あとはモンスターが来るタイミングだろうナ。ダンジョンでの接敵とアイツの接近が重なる時が1番ヤバイ……っ!!)」

 

 初見ダンジョンなのでこればかりは神頼みである。

 しかし幸いなことに、彼の戦意は喪失されつつあった。

 死んでも諦めるつもりがない3人は、これでもかというほど館の中を駆け回り、横倒しになるモンスターの死体のせいで絨毯爆撃でも受けた後のようになった惨憺(さんたん)たる通路を逃げ続けた。

 安全なルーチンを見つけ、それを繰り返すことでひたすら時間を稼ぐ。奴らが攻めてきた場合の常套(じょうとう)手段である。

 そんなことをしている内にどれだけたっただろうか。やがて彼の姿が見えなくなるほど引き離すと、オイラはモンスターのいない廊下を全力で走りつつ後続の2人に話しかけた。

 

「ニャルホドなァ。……ハァ……やけにリアルタイムだと思ったラ、向こうは《無機索敵(インジケート)》を使っているのカ。……ハァ……道理でいくら走っても撒けないわけだヨ!」

「ゼィ……あれって確か……無差別で範囲広いけど……ゼィ……フツーなら、発動まで時間かかるやつだよな。ゼィ……セコすぎだろアイツ……!!」

「何を今さらっ……じゃあモンスターに、会うのを覚悟で……ゼィ……道を変えてみるか!? 例えば1階の広い道とか……ゼィ……おっ、おいジェイド!!」

 

 まさに話題に出た下の階のエリアを眺めた直後に、テグハっちは声を荒らげた。

 つられてオイラとジェイドも視線を寄越す。

 

「下の階見えるか!? リンド隊長達が走っている!!」

「うわっ、クッソ……追われてんのか!? しかもこのエリアで1番メンドーなデカブツじゃねェか!」

 

 きっかり格子状の金網から見えたのは、研究員からどうにか一時的に脱してから今の今まで隠れていた3人、つまり隊長リンドを含むA隊の姿だった。

 豪奢な装飾が燦然(さんぜん)と光る目抜き通り。上層を走るオイラ達からは、彼らだけでなくエリア全体を一望できていた。しかも、スーパーアーマー持ちの厄介なMobの処理に追われているときたら、それはまさしくあの敵が待ち臨んだシチュエーションである。

 そこまで考えた刹那、案の上研究員の男の判断は的確だった。

 標的がオイラ達から外れる。タイムリミットは近いはずだが、四方から集中狙いを受けたA隊は瞬く間にあとがなくなっていた。

 並走するテグハっちがすぐに叫ぶ。

 

「ジェイド! 隊長はモブの相手をしている! 割り込まれたら今度こそ……ここまで来ても助けないつもりかっ……!?」

 

 エリアの全貌も見えてきた。時間もだいぶ稼いでリミットは近いだろうし、現時点で『行き止まりの先で全滅』のリスクはほとんどなくなったとみていいだろう。

 ジェイドの判断も早かった。

 

「わァってるよ!! ハハァッ、ちょうど合流しようと思ってたところさ!! 奥に1階へ続く大階段があったろう!? 俺らも下に行って援護する! ほら、マナポーションだ。アルゴはバフかけながら走れ!」

「了解ダ!」

 

 くるくると投げ渡されたビンを危うくキャッチすると、もう何度目とも知れない《リジェネレート》をかける。そして息を整えながらポーションの中身を飲み切るころには、一行は追い詰められたA隊に加勢できた。

 緩衝被膜合金の混じる黒革ベストを装備したジェイドが、視界から消えるほどの速度で疾駆した直後、ゴッガァアアアアッ!! と、いつかに見た破城槌じみた落雷攻撃が炸裂する。

 しかし着弾点にいた少女は無事だった。

 インプの脳筋さんが際どいところで《魔法減殺の盾(スワロゥ・パーム)》を展開し、シリカちゃんを守ったのだ。

 その数秒後、ようやく強敵を退けた隊長が駆け寄る。

 

「ジェイドか! どうしてここに……っ!?」

「いいから早く! さっさと下がれッ!!」

「隊長、援護します!!」

 

 発火性の高い爆弾、《火炎壺》を敵の顔面に投げつけながら、テグハっちも強化された黒鉄の大盾を構えて果敢に前に出る。

 猛烈な連続攻撃が襲ってきた。しかし期せずしていいタイミングでフリデっちの水属性集団回復魔法の詠唱が完了し、それがパーティ全体にかかるとなんと一団はすっかり持ち直してしまった。

 そしてとくに捨て台詞もなく、地雷原を走破したような爆発音を切り裂いて、6人(そろ)ってUターンすると戦場を後にする。

 「今ので死なないのか……」と、相手の顔に書いてあった。

 逃げるオイラ達の背を、無敵の男はもはや茫然と眺めるだけだった。

 しかし……、

 

「ハァ……ジェイドさん助かりました! ハァ……いつもっ……ハァ……ありがとうございます!」

「いいって……ことよ! 死なれたらッ、ヒスイに合わせる……ハァ……顔がなくなっちまう!」

「ハッハッハ! ハァ……これじゃあ……ハァ……二手に分かれた! 意味がないなぁ、おいジェイド!! ハァ……気が回るじゃないかっ!!」

「るっせ! ハァ……たまたま見かけたんだよ!!」

 

 全力で足を動かしながら、ジェイドとA隊の面々が気を緩めて目を合わせた瞬間。

 ほんの数秒が運命を分けた。

 

「手持ちのポーションは足りてるな? 一撃がでかいんだ。ヤバいと思ったらすぐに飲んで……ッ、危ないシリカっ!!」

「きゃあああっ!?」

 

 未発動だったトラップが駆動する音が耳朶を(じだ)打つ。

 ただのオブジェだと思っていたデーモンの銅像が怪しく光り、魔法の紐で編まれたケージでシリカちゃんを閉じ込めてしまったのである。一定以上近づいてしまうと自動で捕らえるものなのだろう。

 魔法の光で編まれた、グリッド感のある唐草模様の緑格子。それにジェイドが大胆にも大剣で攻撃するが、激しい音を生んだだけでやはり効果なし。

 しかし彼は大きな悪態とわずかな逡巡(しゅんじゅん)を経て、自らもその檻の中へ手を伸ばした。

 直後に視界を埋めるほどの発光の演出。

 再び目を開けた先に、彼らはいなかった。ここに来て強制転移の罠だろうか。

 

「そんナっ!? ジェイド!? シリカちゃんモ!!」

「同時にどこかへ飛ばされたのか!?」

「ダメだアルゴさん! 2人はきっと別のルートで逃げる!」

「来てますよ、敵!! 彼らはあとで探しましょう! こっちのマナももうないんですからっ!!」

 

 フリデっちの警告で我に返ると、オイラは脳内に残留する不安を振り切り、どうにか(きびす)を返して前の3人を追った。

 けれど、たった数秒で2人がはぐれてしまったのだ。これがもし逃げ場のない場所への転送だとしたら……、

 そしての危惧は、次の彼の言葉で事実と判明してしまった。

 

「やっ、やった!? ハッハァ、やったぞ! 確か決闘イベだ、これで1人は確定!! 私の実力で倒してやったぞぉおおっ!!」

 

 敵の法悦(ほうえつ)的な表情を尻目に、思わず歯ぎしりしてしまった。

 そんな、まさか。

 1人……といったか。ジェイドとシリカちゃんの、どちらか1人を?

 あり得ない。即死のギロチンにかけられたわけではないのだ。あんな初見殺しのトラップに捕まっただけでパーティメンバーが死ぬなんて。これがもし一般プレイヤーの立場だとすれば、ただのオブジェに近づいただけで最終セーブポイントに飛ばされたとあれば、その理不尽なフィールド設定に思う存分批判を浴びせていただろう。

 現実を受け入れられない。

 こんな別れ方など、あってはならないのだ。

 

「あいつの言ってるコト……『どっちか1人は確定』っテ……ッ!!」

「ハァ……どうせハッタリさ! 今まで何度もあったろう! ……あのバカが、こんな簡単に……ハァ……やられるてたまるかっ!!」

「隊長のッ……ハァ……言う通りです! とりあえず、道なりに逃げましょう! ……追ってこないなら……好都合です!」

 

 しかし、とうとう4人にまで減った集団が未開の地に踏み込むと、その先には今までのものとは明らかに異質な大門が待ち構えていた。

 嫌な空気を感じる。されど脇に逸れる道も、熟考している時間もなかったため、急かされるように4人でそれを押してこじ開けた。

 

「(やっぱり広イ! ボス部屋カ……!!)」

 

 扉の先には予想違わず、現エリア最大級規模の広い空間が用意されていた。

 最奥(さいおう)のガンマは不自然に低いが、どうやらシンプルな長方形をした戦場のようだ。

 よく見ると、オイラ達は主戦場となる床からかなり高いところで待機させられていることになる。吹き抜けになった1階を見下ろしているイメージだろうか。手すりはあるが、その落下防止柵は一律して子供でも飛び越えられる高さ。館への『侵入者側』の誰かが下に降り、着地した時点で戦闘が開始されるのだろう。

 アスガンダルでは翅が使えない。つまり、降りた時点で退路はなくなるわけだ。

 随時ボスエリアから脱出して補給をしながら戦えるとなるとヌルゲーになってしまい、さりとて部屋の扉を開けた途端に有無を言わさずインスタンス・マップへ空間ごと転送、そのままボス戦とするのはいささか興も削がれる。集団であればボス戦前に準備ぐらいしたいだろう。

 そうしたニーズから『ボス前の安置』というのは、オンゲーに限らず割とコンスタントに用意されている。

 それに、奥に佇む黒い影はどう見ても《廃国の覇王》なる館の(ボス)だ。まだピクリとも動いていないが、その大きさはゆうに7メートルはくだらない。光源もないまま淡い光を持つ金の王冠から、その身に(まと)う朽ちかけた甲冑まで純金のような質感があり、ひどく衰弱した巨体の老兵はじっと一点を見つめていた。

 

「(まだ戦闘は始まってないのカ……?)」

 

 部屋の内部では流れるメロディこそ変わっているが、今回は通常のルートではない気がする。

 経験則から考えて、おそらく何らかのミッションタスクが適用されたものと予想される。かつてジェイドがイベントボスを単身で撃破した際、追加報酬として手に入れた巨神殺しの剣(タイタン・キラー)や3つの《魔導書》のように。これらのイベントをこなした暁には、きっと苦労に合ったアイテムなり武器なりが、参加プレイヤーに振る舞われるに違いない。

 そして4人がボス部屋に侵入してからしばらくすると、天井から声が聞こえてきた。

 

「おい、リンド達か!? 上だ! クソッ、捕まっちまった!」

「ジェイドか!? シリカさんもいるじゃないか!」

「出られそうにないですか!?」

「た、たぶん出られないです! ものスゴくかたくて……!!」

 

 部屋中央の真上あたりだろうか。

 ちょうどアーちゃんを閉じ込めていた鳥籠を彷彿(ほうふつ)とさせる、錆びた廃材のような鉄檻が2つ。中心がギアの軸らしき構造をしていて、回転する天秤を模した遺物の両端に2人が捕らわれていた。

 檻の内部は剣を振れるほど大きくもなく、きっとあれらは破壊不能設定なのだろう。

 しかしこれはどういったイベントなのか。

 あれではオイラ達がボス戦を開始した際に、その戦闘を観覧させる場を設けただけになってしまう。

 だがそうした懸念は、なぜか彼のいた方角とは逆方向に当たる、戦場の奥からゆっくりと歩いてきた例の男によって解消された。

 

「手こずらせてくれたね、きみ達。けど年貢の納め時だよ」

 

 瞬間移動でもしたのだろうか。男は落ち着きを取り戻し、それが口調や態度に表れている。

 

「まァたそれかッ……まだ終わったわけじゃねェぞコラ!!」

「フン、檻の中でも騒がしい。……まあいい! これは《王座前室の剣闘》イベントだ! フラグは取り消せないぞ。侵入者であるきみ達は、囚われたどちらか一方のプレイヤーを、《覇王の眷属》である私との決闘に差し出さなければならない!!」

「くっ……プレイヤー同士の、強制戦闘系か……」

 

 1つの回答に辿り着き、隊長が低く唸る。

 ストーリーの詳細などは自分からNPCに話しかけるなり、配置・ドロップしたアイテムのフレーバーテキストを読んで築き上げていくものなのだろう。それらを軒並み素通りしてしまったため、オイラ達は状況についていけているとは言い難かった。

 臨場感を味わえるよう、ALO開発スタッフの貫くポリシーなのだろう。

 よって、どうしても詳しく知りたければ、ダンジョンを逆走してこまめに情報を拾い直してくるしかない。

 しかし、「みなさん、これを……」というフリデっちの指摘で首を振って見ると、安置通路の先には、左右に倒せるアンティークな金属レバーが取り付けられていた。

 近づくと『どちらのプレイヤーを決闘させますか?』なるメッセージ小ウィンドウと、左右を指す矢印のアイコン、そして減少し続ける3ケタの数字が空中で点滅した。

 これだけである程度は予想がつく。

 見上げた先ではシリカちゃんが左に、ジェイドは右側に吊るされていたからだ。

 ボス戦前の小休止。サブタイトルを与えられたミッション。

 イベントが開始され、これに見事勝利した覇王討伐側or覇王眷属側のプレイヤーには、タスクをクリアした何らかの特殊リザルトが贈られることだろう。あるいはこちらがそれを手に入れられるのは、奥に控えるラスボスまで討伐しきった時だろうか。

 いずれにせよ……この戦いに勝利はない。

 ここから下の階に飛び降りて、戦いの火ぶたを切った仲間の援護に向かうことすら無意味である。逃げ場をなくせば、今度こそ全滅なのだから。

 オイラ達にできることは、1人をオトリにもう一方を回収し、速やかにこの戦域を離脱することだけ。

 当然ダンジョン制覇も放棄。敵の眷属プレイヤーが強制召集されたことで、きっと今なら屋外への脱出もできるだろう。

 

「(ア……ァァ……そん、ナ……)」

 

 目の前が真っ暗になりそうだった。

 ジェイドか、シリカちゃんか。『死んでもらう』人間を選択する行為。

 どうしようもないと理解しているからこそ、彼らも(うつむ)くしかなかった。これまで共に支え合い、時には反発し、競い合って成長したかけがえのない仲間を失うなどと。オイラには到底選べそうにない。この日を境に、また日常が侵害されるなんて。

 すでに1人が毒牙にかかったのだ。クロムオーラさんは2ヵ月積み上げた記憶すら消されようとしている。

 

「さあ、選ぶんだ。どちらを差し出す!? 当然、記憶は消去するがなぁ!」

 

 居丈高に笑う男には余裕が戻っていた。

 記憶を消すなんて、本当にそんなことが可能なのかはわからない。しかしコミュニケータを通じて実験内容を漏洩させてなお、彼らは意固地になって脱走者の殺害に奔走(ほんそう)しているのだ。まるで『意識の確保さえすれば、まだどうとでもなる』かのように。

 だとしたら、終わりではない。これだけしておいて、この男はオイラ達からさらに略奪しようとしている。

 そう感じると自然と喉が震えていた。

 

「もういいだろウッ!! アンタの勝ちだヨ。……だから、これ以上奪わないデ。オレっち達は実験のことモ! アンタのことだって誰にも言わなイ!」

「あ、アルゴさん……」

「これで文句はないはずダ! 迷惑はかけないし、黙っていると約束する……もう、放っておいてくれヨォっ!!」

「約束、か。……駄目だね。これがきみらの選んだ結果だ」

 

 愉悦に満ちた態度で彼は吐き捨てた。自分達の方が罪を犯しておいて……いや、ゆえに血も涙もない。

 わかりきっていた回答に、声も上げられず、その場で力なく座り込んでしまう。

 もう1分とない。そうなれば一方の記憶を消される。

 究極の選択とは言え、現実的かつ総合的に考えればシリカちゃんを切り捨てるべきである。世界樹から脱してから、ジェイドが彼女を保護し続けていたのは、言ってしまえばただの利害関係が重なるパターナリズムがそれを是としただけ。庇護欲の延長である。

 しかしシリカちゃんはまだ子供。そんな彼女を実験体への生贄(いけにえ)に差し出すなんて、果たしてDDA総隊長とて下せるのだろうか。

 ここで見捨てられた方は……、オイラ達との、思い出さえ……、

 しかしそれでも、部隊長はレバーの前に立つと任務に突き動かされた。

 

「たっ、隊長!? まさか選ぶんですか、あの2人を……ッ!?」

「く……仕方ないだろう! ……ちくしょうッ。ああそうだよ、俺の責任だ! でも選ばなければ……2人とも……ッ!!」

「クハァ―ハッハッハァ!! いいぞ、存分に悩め! 苦悩しろ!! だが自分らだけ助かったと思うなよ? まだ15分もある。逃げ切ることはできないのだ。どちらを選ぶにせよ、この狭さなら1分と持つまいっ! そうなれば、残るはきみたちだけだ!!」

 

 彼のヒステリックな悪声を聞き、自分の中で荒れ狂うような葛藤(かっとう)が起きた。

 それを口に出してしまいたい。

 アスガンダルを生還した後、どれだけ蔑まれ嘲笑(ちょうしょう)されてもいい。「レバーをシリカちゃんの方へ倒してくれ」と。彼と育んだ大切な日々と記録を、どうかこんな形で終わらせないでほしいから、と。

 しかしオイラが我慢できずに顔を上げた瞬間、天井高く閉じ込められていた男が鉄格子を殴り、「ゴチャゴチャうるせェ!!」と怒気を強めて割って入った。

 彼はうつむいていた顔を上げ、憤怒の視線が真紅のプレイヤーを射貫く。

 

「腹くくれよ、リンド! 隊長だったらスジを通せ!! ……もうわかってるはずだ!!」

「な、何を……俺にどうしろと!」

「決まったことを。……簡単だ! さっさとシリカを戦わせろっつってンだ!! 考えるだけムダだろう! 早く俺を(・・)助けろッ!!」

『ッ……!?』

 

 予想だにしない言葉を聞いた5人は一様にして凍り付いた。

 決めあぐねていた隊長に対し、傲慢な態度で言い放つ。死の(きわ)まで追い込まれたことを理解した焦燥からか、イラ立ちを隠そうともせず檻を殴打して金属音を鳴らし、なおジェイドは甲高い声で叫び続けた。

 一緒に捕まったシリカちゃんも驚いて彼の方を見やる。実力も発言力もないことを自覚するがため、あえて物言わなかった彼女でさえ、彼に対する強い怒りと恐怖の眼差しを向けていた。

 今まで共闘してきた仲間から、はっきりと裏切られるような感覚。

 まさに望み通りの展開を見たようにあの男も嬌声を上げた。

 

「ハぁ―ハッハァ! それだよっ、それが見たかったんだ私は!! 偉そうに言っておいて! きみも自分の命が惜しいだけじゃないかァ!!」

 

 最も恐れていた流れだった。敵の言う通りになってしまう。ここで立場と価値の優位性を誇示してはいけない。いかに事実であれ、そんな言い方をしてしまっては……、

 案の定、リンドはさらに苦い顔をして奥歯をかみしめる。

 オイラの心配をよそに、ジェイドは鳥籠を荒々しく叩きながら、舌鋒(ぜっぽう)鋭く怒鳴り散らした。

 

「うぜェフリはもうたくさんだ!! ……はっきり言うがなッ、誰がこれまで助けてやったよ!? これから生き残るためにもっ! 俺は絶対必要なはずだ!! シリカじゃ足手まといにしかならねェ!!」

「そ、そんな言い方……ひどい、ですよ……わたしも……っ!! ずっと戦ってきたのに! わたしだって、しにたくないっ!!」

 

 すでに涙声となり、裏返った怒声で反論するシリカちゃん。同情の視線は、すでに彼女の方へ向けられていた。

 そして彼は、決定的な言葉を(はな)ってしまう。

 

「シリカは黙ってろ!! ……おいっ、今さら善人ヅラか!? 『弱い奴から斬り捨てる』!! 血も涙もねぇテメェの合理主義はドコに行ったよ、ああァッ!? こっちはヒスイに会うまで死ねねェンだッ! 早くしろリンドォッ!!」

「もう黙れよクソ野郎っ!!!!」

 

 ヒートアップしたジェイドを、彼は上書きするように一喝で黙らせた。

 肩で息をする隊長と、わずかな静寂だけが訪れる。

 そしてとうとう、メンバーの命を預かった男は悟った(・・・)ような表情(カオ)で決断した。誰も想像しなかった言葉だけを、絞り出すように小さく呟いて。

 

「余計に……殺しづらくなっただろうが……ッ!!」

 

 言うと同時に、彼はレバーをジェイドの方に倒した。

 力の限り、叩きつけるように。

 怒りの全てを投げ捨てるように。

 なんとも間抜けたことに、そうなってから初めて、オイラはあの男の真意(・・)に気づかされた。

 困惑するメンバーとは関係なく、エリアのギミックは正常に反応する。彼を吊るすチェーン状の鎖は、それらが(こす)れる乾いた音に続いて敵がいる地上へ長く垂れていく。同時にシリカちゃんを内包する鉄籠は真横にスライドされ、安全地帯へと搬送(はんそう)されると、ビクともしなかったその扉をひとりでに開けていた。

 しかし仲間に介抱される彼女を見たオイラは限界だった。

 

「イヤダっ!! ジェイドっ、お前が残るならオレっちだって!!」

「ダメだよアルゴさん! この数分で少しでも距離を稼ぐんだ!!」

「そう、1人でも多く……ジェイド君は、もう……っ」

「クソッタレが……振り向くなッ、屋外へ出たらアスガンダルの外周へ向かう! 制限が消え次第、全員で飛ぶぞ!! 遅れるなよ!!」

 

 柵を超える寸でのところで腕を引っ張られ、半ば放心状態のままオイラは部隊に先導された。

 すでにモンスターの全滅した豪奢(ごうしゃ)な廊下を堂々と横断。散々パーティを苦しめてきた館のダンジョンは、最強の敵が1人の仲間に足止めされたことでいとも簡単に抜け出せてしまった。

 野外への脱出。それでも、絶え間なく足を動かす。

 たった5人にまで減った小隊が、ほんのわずかな生存率を積むためだけに。

 だが(うろ)を抜けた瞬間は壮美に見えたフィールドが、今のオイラには全てがとても色褪(いろあ)せて見えた。

 移り行く世界に色がない。遠く見えた未開の地も、闇の深い謎多き森林も、この心を高揚させるものは1つもなかった。

 それだけで彼の存在の大きさが突き刺さる。

 オイラにとって生きることとは、《アルヴヘイム・オンライン》なる異世界で意味もなく延命することではなかった。『彼と一緒に』いられることが、戦いの生活を耐え抜くうえで忘憂(ぼうゆう)と安らぎを得られる唯一のひと時だったのだ。

 

「(ジェイド……そんな、ジェイド……っ……)」

 

 その喪失感の深さは、走りながらも張り裂けそうなほどだった。

 最後に見えたのは、大剣を背負う彼の背中だけ。これで永遠に別れてしまうというなら、もう生きる価値すらない。

 いっそのこと狭い密室で一方的な戦いを終えた敵が、早々にここへ追いついてくれることさえ願ってしまった。自分も一緒に彼のことを忘れてしまえば、これ以上苦しむこともない。

 いつまでも手を引かれ、とうとう岩の揺籃(ようらん)の崖際まで来てしまう。

 しかし不思議なことが起こっていた。

 ここまででもう10分以上はたっているはずなのに、期待とは裏腹に敵の姿は一向に現れなかったのである。いくらジェイドが剣士として強力な部類に入ると言っても、無敵のチーターを相手に狭い密室でこれだけ長く戦えるはずがない。

 

「(来ないゾ……まさカ、ジェイドは……!?)」

 

 また悪いクセのように期待してしまった。どれだけ絶望的な状況に立たされたとして、彼なら何とかして耐えてしまうのではないか、と。あの研究員を相手にあらゆる対策を講じ、誰も思いつけないような奇抜な作戦で不可能を可能にしてしまうのではないか、と。

 されど、期待ははかなく散った。5人がいつでも外周から飛べるよう待機している間に、刻限(こくげん)が来てしまったのである。

 ジェイドの名は、パーティ名簿からすでに除名されていた。

 ほとんど男が言った通りの時間で、短いメンテナンスが静かに終了する。エリアを囲う(よど)みのような透明の力場が消滅したのだ。そしてこれは同時に、一介のプレイヤーが信じられないほど長い時間、無敵のアバターを足止めしたことの証拠でもあった。

 「念のため、ここを出るぞ」という、リンドの冷たい命令。

 その彼と共に最高戦力の双璧を成した男の死。

 もう後戻りはできない。隊長は最後に少しだけ館に向けた悲しげな眼を細め、それからは何の迷いもなく改めてアスガンダルからの脱出を促した。

 ここに5人もの生還者を残した彼の功績は偉大で、かつ勇敢な行為である。

 しかしオイラ達は、その奇跡に感謝を捧げられないまま、見殺しにした悔恨(かいこん)を抱いて、曇天の()て空を無様に敗走するのだった。

 

 

 


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