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西暦2025年1月12日 《幽覧城塞・アスガンダル》、南端。
《緊急メンテナンス》の告知から5分以上が経過していた。
まだ彼は見えない。ステージ間の移動が制限されるまで、もう1分とないというのに。
「時間になっちまうぞ! 誰かジェイドを見たか!?」
「だめです隊長! ノロシが広がって、こっちからじゃよく見えませんよ!」
「飛べないんじゃどうしようもありませんね。せめて合図があれば……っ」
もう刻限は間近。
しかしその時、アルゴの視界の先に4枚翅を広げた黒い装備のプレイヤーが映ったのだ。
「ち、チョッと待っタ! あれ見えるカ!? こっちに向かってるゾ!!」
いま立っている地平面より上空を飛んでいる、ないし
けれどまだ距離がある。アンカーの彼は、帰還までの直線距離が最長となる。高度に余裕がないのは、どうしても軌道がずれてしまうからだろう。
そして翅を水平に保った滑空はできても、ロスをしたら修正は利かない。
それでも、
周囲の反応を置き去りに、迷わず自身に出せる最大速で走りだす。スパイクが凍てつく土を抉ると、ものの15歩足らずで岩肌の先端、すなわちジェイドとの最短距離へ到着。その頃には
「ジェイド、マズいゾ! 届かないかもしれナイ!!」
「向かい風なんだ!! ちょっとヤバいかもッ!!」
「カモじゃないダロ。このっ……コレ! 《バーブス》に捕まレ!!」
反射的に腰に携帯する伸縮自在のムチを構える。
ミスは許されなかった。だが先端を数回まわすと、釣竿を振るようなスイングで迷うことなく
長らく修練を積んできたからか、狙いは
なれど、肝を冷やしたのは一瞬だった。
その肩を力強い両手が支えたのだ。
首だけで振り向くと、
「それ絶対に離さないように、アルゴさん!!」
「お、オウ! ニャハハっ、お前サンもずいぶん助けるようになったナ!!」
「あんな奴でも死なれちゃ困るんです! そうでしょうっ!?」
「すまん遅れた、全員で引っ張るぞ!!」
「せ-のォっ!!」
数秒遅れで駆け付けた5人が一斉に手綱を引き、グンッと後ろ向きのベクトルが加わると、アルゴはムチもろとも陸の方へ引っ張り上げられた。
そして、直後に全天へ響く鐘の
《アスガンダル》を領域名に置くエリアが面積最大となる端面から筒状に伸びる立体空間なら、確かにアルゴのムチを掴んだ段階で、見えない壁に阻まれ彼1人が取り残されることはなかっただろう。だがそれでも、ほんの十数秒の差である。
ようやくジェイドも復帰する。
手をかけた崖際から内地側へ転がり込むと、息も切れ切れに大の字になっていた。
「プハァ~……ハァ……アッブね! ハァ……助かったぜアルゴ……みんなも」
「助かったじゃないヨ! このっ……バカジェイド……」
駆け寄り、思いつく限りの罵倒をくれてやるつもりだった。しかし彼の
世界樹頂上を目指す間もメンテナンスの放送は聞いていたはずだ。時間に間に合わなくとも、戻って来られずに落ちてしまっても、きっと彼だけでは生き残れない。
理由は単純である。このサバイバルを独りで生き抜くには限度があるからだ。
ましてやアルゴ達はあらゆる権利を剥奪された最底辺の
生きるか死ぬかの瀬戸際だったにも関わらず、
「(ヒョウヒョウとしちゃっテ。こいつはまったク……)」
世界転移から2ヵ月以上がたち、ジェイドは最近どこかおかしくなっているのだ。
具体的には、リスクを負うようになっていた。
まるで思春期の子供が、親の定めたレールでも破ろうとしているように。恋人と、そして……かつての仲間に会いたいという
こちらの座標を追える研究者も、アルゴ達が消極的な活動しかしていないことを把握しているはずで、どちらにとっても
そこまで考えるうちに、リンドが「どうだったんだ、ジェイド……?」と問うと、呑気に息を整えていたジェイドはガバッ、と起き上がり、おそらくこの場の全員が聞きたがっていた結果を口にした。
「ぶっちゃけ言うと、乗り込むまではムリだった。高度的に惜しくもない」
みなが落胆しかけた直後だった。
「つっても危ない橋を渡ったカイはあるぜ……」と言ってウィンドウを操作すると、とびっきりのしたり顔で彼は1枚のスクリーンショットを可視化させたのだ。
そこに映るのは、金の格子に囲まれた真っ白な少女。望遠機能を最大にした解像度の低いスクショではあったが、かの浮遊城で激戦を生き抜いた猛者であれば、誰しも1度は目にしたことのある
「撮ってきたぜ、マジでアスナだ! ハッハァ、どーだよオイ! 《グランド・クエスト》なんざクソくらえだッ!!」
「す、すごい……半信半疑だったけど、本当に樹のてっぺんに彼女がいたんだね……」
「見たと言っても開幕初日の戦闘のさなかだろ? よく発見したな……」
「アーちゃん……ダナ。どう見てモ。シリカちゃんも見たことぐらいはあるだろウ?」
「はい。かなりボヤけてますけど、他に考えられません」
「ほーら言っただろ! まあ運任せだったけどよ、見たモンは見たんだ。俺はウソついたことがねェ! ハハハハッ!!」
「コイツめ、言ったそばから。……さて、しかしどうしますかね隊長。素材だけあってもそれを広める手段がないんじゃあ……」
「そこなんだよな~」と割り込むジェイド。他も一様にして首をひねるが、やはりここが1番の関門。そもそもネットに繋がる手段があれば、きっと今より効率的に脱出できたからである。
画像を添付するわずか十数秒間の接続の確保ですら、アルゴ達にはままならない。
けれど、止まった状況は隊長が打破した。
「まあ悩むのは後にして、とりあえずは移動だ。エリアの内側に行こう」
「やっぱり来ますかね、彼らは……」
「確証はないが……なにせ前例のない《緊急メンテナンス》だ。ただでさえ表の事業にも口を挟める権限を持っているみたいだから、このタイミングで強襲してくる可能性は高い」
「では、あのメインダンジョンらしき館に戻るというのはどうでしょう? こちらも飛べないなら、屋外じゃ分が悪いです」
「でも気を付けてください。今回が例外だからか、ユーザの強制ログアウト以外は手が加わってないようです。ほら、アレ! ……そこかしこでモンスターが復活してます。……ここは慎重に決めましょう」
「みたいだな。悩ましいが、逃げ込む先ぐらいには考えておく。ジェイドがガラスを割って参戦したように、状況に応じて戦場を変えよう。……とにかく、敵のスーパーアカウントがやってきたら、遮蔽物のある室内戦の方が有利に違いない。行き止まりにだけは注意してな」
初見エリアゆえ、注意と言っても限界がある。だが、敵とてまさにこういった準備不足を狙ったのかもしれない。
となれば、イレギュラーであれ
「(気持ち悪い空気ダ。なにもなければいいケド……)」
アルゴはイヤな予感がした。
2年の歳月が生んだ生存本能だろうか。うなじにピリピリとした緊張が走る。そして、こういう時は決まってピンチがやってきた。
よもや24時間体制で監視できないだろうが、アルゴ達が
そうしてつらつらと考えながら、6人で館の方へ歩いている途中だった。
時が来る。
全員が予期した事態は、現実となった。
「じゃあいつもみたいにケムリやら閃光弾やら用意して、テッテー的に時間稼ぎだけしてりゃあ……」
「待てジェイド。おでましみたいだゾ……」
一同は移動を止める。アスガンダルの地平より
当然のように《高度限界》を無視。人間の記憶・感情コントロールを自在に行うため、非合法な実験を繰り返すマッドサイエンティスト。
「……ハァ、もう何度目になるだろうね。きみらとこうして会うのは……」
滞空したまま、彼はゆっくりと口を開いた。
やはりこの《緊急メンテナンス》は研究者達による先制だったのだ。またぞろ正規の担当部署にアレコレ理由をつけて、施設と権限の一部を提供してもらっているのだろう。どんな管理体制で介入しているか知る由もないが、この行動から拉致監禁が
しかしメンテナンス時間は有限。それが相手にとっても狩りのタイムリミットとなる。
「(やっぱり来やがったナ。……ケド、急いでないのカ……?)」
時間こそ最も惜しむべきもののはず。だというのに、敵は静かな空に滞空したまま動こうとせず、意外なことにその面影はひどく暗かった。
なにか事情が変わったのか。
だが装備にさしたる変更はない。直剣としても機能する特注の長く鋭利な杖と、白装束の高機能ロングコート。さらに魔法の効果範囲と命中率を増幅させる《レジェンダリー・ウェポン》の魔法辞典も携えているが、すべて以前からメンテ時に襲来するたび持参していたものだ。
アバターも《ラボラトリー》で激突した時と同じで、ファンタジックな
敵も戦闘自体は想定していることになる。
アルゴと、そして周囲の5人が警戒レベルをマックスまで上げた。
相手の発する言葉がチートコード発動への一句であれば、繰り出す技がいかなるものであれ、きっと即座に散開して可能な限りの遅延行為に移っていただろう。この2ヵ月がそうだったように。
しかしこの日に限って、研究スタッフの男は問答無用に襲い掛かって来なかった。
そしてこんなことを言い出したのだ。
「もう止めにしないかね、少年達! 互いに消耗するだけだ!」
『…………』
もっとも、彼から見て隊長格と勘違いしているのか、それとも内部操作を企てているのかは定かではないが、過去の戦闘ではジェイドへ交渉テーブルへの
「罠かもしれない。周囲を見張れ」というリンドの命令をよそに、星屑のような
「1人の男が、数時間前にラボへ転送されてきたよ。そして他の者と同様に被検体となった。今は問題なく
「クロムのおっさんのことか! このッ……カス野郎がァ!!」
「……だから言ったろう、少年。きみには幾度となく説明したはずだ。……理解してくれたか! 元より、人と接触できないきみ達に! なにができると思っていたんだッ!? 遅れを取り戻すのは過酷なものだ。24時間絶えず感情刺激の電子ドラッグを投与され、終わりのない意識の中であらゆる実験結果がモニターされる! こちらの用意した妥協を拒否した2ヵ月分の代償だ!! きっとその子供も例外なく薬付けになる!!」
「ひ……っ……」
わざと脅すようにシリカを指さし、
すくみあがった彼女を庇うようにジェイドとリンドが前に出ると、男へ真っ向からぶつかった。
「オドシはもういいッ!! 《ペイン・アブソーバ》だって、設定は変えられないじゃねェか! アンタは会った日からハッタリばっかだよ!!」
「彼の言う通りだ! いい大人がみっともない!! ここへ来た以上、どうせやることは変わらんのだろう!」
「……確かに騙そうとした。だが状況は変わった。これは最後のチャンスだ! ……先ほど座標を見た部下から報告を受けたが、きみ達はなにやらラボのすぐ下まで接近したようだな? そういう行動だよ、我々が危惧しているのは! 私だってな……非人道的な実験に、どれだけ悩んだか! こうしてきみらの言葉を聞いたのは間違いだった! ……だから個人的には、むしろ助けてやってるつもりだ。だが、あまり度が過ぎると庇いきれない。……いいか、最後の警告だ!! 今ここで降伏すれば温情を残せる! ただし、これすら阻む者には凄惨な最期となる!! もう手を引いてくれ。それが穏便に済ませる近道なんだっ!!」
よほど勝てる見込みがあるらしい。
勝利を前提にした無条件降伏要求。これさえ呑めば、抵抗する者より手厚くするよう掛け合ってくれるという、2ヵ月ぶりにやってきた神の慈悲。
しかし、すでにアルゴ達の抵抗が彼らの組織へ即物的なダメージを与えているのだ。今からでも間に合う仲裁交渉などあるのだろうか。
彼は優秀なのだろう。自分らが抱える問題の核心を隠したまま、表の事業部へリークする行動力。ゲームの一部におけるコンセプトデザイン開発への参入。そして、仮想界で唯一まともにアバターを操作できる経験など。
多かれ少なかれユニークな能力はある。チームで動くにしても柔軟性がある。
さりとて……否、なればこそ。
まず間違いなく彼はマネージャー格の役職ではない。そういった七面倒な労働は下が請け負うと相場が決まっている。一研究員でしかない彼が、いったいどう
プレイヤーでしかないアルゴ達は、彼の真偽を正す術はない。
しかし、やはりこれもブラフと見ざるを得なかった。これまで何度も情報の乏しいアルゴ達を
そして行動方針を決定する男もまた、同じ結論に達した。
「これだけやっといてよく言うよ。……あんたこそ、ジェイドから何度も聞かされたんじゃないのか!? 『クソくらえ』となッ!!」
「……愚かなことを。私ほどこのステージを知る者はいないというのに」
「ステージを、知るだと……っ!?」
「しかしもう遅い! これで……本当に最後だッ!!!!」
白装束の魔術師は武器一体の魔法触媒を高らかに掲げた。
交渉は決裂。
頭のギアを一瞬で戦闘モードに切り替えると、アルゴ達は準備しておいた《閃光弾》を上空へ投げ捨て、最速スピードで後退した。
ガガガガッ!! と、直後に飛来する雷属性の特大魔法。長ったらしい呪文詠唱をオミットしたチート攻撃である。
それでも、精鋭達は光のすべてを回避した。
まだ実装すらされていない詳細不明の属性波状攻撃を前に、飛行制限がある弱者一行は地を駆け抜けて脱出し、白煙を切り裂いて進んだ。
「バフがかかる! フリデリックのそばに!!」というテグハの声を頼りに軌道を修正すると、すでにスペルを唱えていたのか
魔法ダメージを一定時間軽減する防御系で、これでいかなる攻撃でも1発KOとはならないだろう。
というのも、残量HPを無視した一部の即死魔法を除き、PvPでは威力ブースト込みでもダメージ量に絶対的な上限が設けられているのである。
弱点部位への直撃やカウンターボーナスを併発すれば可能だが、魔法には判定が広がるエフェクトがかかる。意図してそのボーナスを取るのは至難の業。どうしても武装した熟練者を確定でワンパンしたければ、完全に動きを止めてから多段ヒットするタイプの収束砲撃を叩きこむしかない。そんなものは、いわゆるロマン戦法である。
かのアインクラッドではキャラクターへのレベル制度が採用されていたため、レベル999までカンストさせた小柄な少女――のちに聞いた話では、彼女はアーガス社員によって造られた特別なAI――が90層ボス相当の規格外モンスターを大剣一振りで瞬殺する、なんてことも可能だったらしい。
しかしここは経験・知識で戦闘が成り立つ、個人能力依存の
ましてやアルゴ達は、初期装備のそれと比較にならない強力な装備をしているのだ。
場を
しかし、今日に限って事情が異なっていた。
「やっぱり足で避けるにも限度がある! 中に逃げよう、リンドッ!!」
「わかっている!! 各員、スクランブル軌道で館へ向かえ!! 室内で合流後、また指示を出すッ!!」
『了解っ!!』
泥を蹴り立たせながら全力で両足を動かす一行。最高速で逃げていても攻撃は至近に炸裂する。
そう、3次元回避ができないのである。
飛翔できない不利はもちろん、翅を使った跳躍と
許された機動は緩急を持たせたダッシュ/フェイントと、規則性のないランダムなジグザグ走行のみ。
これでは一方的な虐殺となる。
「(チクショウ、そろそろ《閃光弾》が切れル! これだって結構貴重品なんだゾ!!)」
虎の子の目つぶしアイテムを投げながら、アルゴは内心で毒付く。現段階で消耗量が一般対戦と比較にならない。
なにぶん敵にデバフは適用されない。単純に光を放つ2秒程度だけが、相手の照準を狂わせられる猶予となるからだ。本来なら光の直撃で《ブラインドネス》のデバフを受けるはずだが、きっと相手は悠々と目を開いて上を旋空していることだろう。
今後も逃避行が続くことを考えれば、休日に臨時で物資を削られるのははなはだ迷惑である。
もっとも、先の会話で出た単語から、おそらく彼がこの隠しステージのデザイン、および各種モンスターやギミックの設計業務に携わったというのは想像に難くない。とすれば、少なくともこの戦闘でパーティの半数ぐらいは削る魂胆でいるはず。
今日、ここを凌げるかどうかが
ただでさえ数時間前にすでに1人失っている。ここで3人、ないし2人でも欠ければ、向こう1ヵ月の存命すら危うくなる。
「アルゴ、シリカ! バフかけ続けろ!! MPは後で回復できる!」
「スー……フィッラ、っ……ヘイル……きゃあっ!?」
「くッ!? だめだ、距離が近すぎる! シリカさんが被弾した!!」
「オレっちが稼グ!! 皆はなかニッ!!」
ジェイドらが《麻痺》にかかったシリカを担ぐのを尻目に、アルゴは先にまいた煙幕を利用して逆走。敵の真下に潜り込んだ。
すぐに《フォー・ハウジング・バーブス》を構える。
大胆なアクションで先端を投げつけると、同時にグリップのトリガーを引いた。
すると、芯間を通るワイヤーが連動する音を感じ、先端四方から鋭利な突起物が逆棘のように出現する。
そしてグルンッと男のアバターに何重にも巻き付くと、逆棘は伸びきったヒモ状の部分と絡み、一時的に敵の行動を制限してみせた。
一切の攻撃行動でダメージを負わず、あらゆる攻撃で優先権のある敵。意識を向けて解こうと思えば、赤子の手をひねるより簡単にこなすだろう。
しかしその数秒が結果を変えた。
煩わしそうにムチをほどくのと、アルゴが武器を収納したタイミングはほぼ同時。トンボ返りで仲間の背を追うと、限界に近い敏捷力でもって室内へ逃げ込めた。
追撃なし。追ってくるなら制空権を失うも同義。
ほとんど無意味にチャンスを逃した。きっと顔を真っ赤にして……、
「ここからだ。せいぜい逃げ回れ! 結果は変わらないがな!」
「ハァ……ハァ……アレレ、あいつ……外で決着つけられなかったのニ……ハァ……ずいぶん余裕みたいだゾ! 誘われたのカモ!!」
「ゼィ……この館で……決める気なんだろうなァ! どうするよリンド!」
「とりあえず掠った分は回復しとけ! 常に全快をキープするんだ!」
6人は走りながら万全の状態を整え、無敵アバターの襲来に備えて装備を調整した。
敵の牙城へ侵入すると同時に、臨時メンテのせいか配置されっぱなしだったモンスターが何体か襲ってきたが、それらを斬り捨てる頃にはどうにか各々の準備が整った。データロードを挟む
ただし動いた状況はそれだけではなかった。あろうことか、今まで大口を開けたまま止まっていたはずの鉄の大門がひとりでに締まり、割れそうだったステンドガラスにも紫色の結界じみた文様が浮かび上がったのだ。
「な、なんだ!?」
「まさか、閉じ込められたのカ!?」
ジェイドが反射的に大剣で攻撃するも、
侵入者側と館の主側……つまり、《廃国の覇王》と呼ばれるエリアボスの配下側に分かれて、どちらかが全滅するまで争い合うイベントの存在は知っていた。おそらく敵はそういったアクティベート状態のイベントなりを利用したのだろう。
室内戦は望むところ。というスタンスだったものの、能動的に外へ抜け出せないとなると選択肢は狭まる。
そんな状況を代弁するように、「マズいですね」とフリデリックが切り出した。
「相手のあの態度。よほど初見殺しのトラップが多いか……」
「それか、時間に余裕があるとか? ほらアイツ、さっきくっちゃべってたから」
「そういえば、向こうも飛ばないから《飛行酔い》しなくなるのか」
「それもあるだろう。が、やはり危険なのは行き止まりに追い込まれることだ。道も狭い。集団で動けば、捕まった時点で誰かが死ぬ……」
結果的に、考察はどれも鋭かった。高威力、広範囲魔法をブースト&連続で無尽蔵に撃てる相手に、閉鎖空間での高い人口密度は自殺行為になる。
加えて、飛行のせいで
外に出られなくなっただけで、見事に相手に都合のいい狩り場となった。
「(ここが『仕掛け城塞』ってのいうのも、勝算の1つだろうナ……)」
敵モンスターのボスが館を改造した理由。ゲーム上では、他国の王を殺して覇王となった途端に保身的になリ、のべつ幕なしに傭兵を雇って空に逃げ、壁の奥に籠ると
情けない王である。創造された世界ゆえ、住み心地の悪い城塞になり果てた理由なんて後付けでいいが、それにしてもだ。
そして問題は、それらトラップの詳細を敵スタッフが熟知している点である。
しかも、室内からの脱出方法はアルゴの知る限り3つしかない。
1つ。メイン・ウィンドウから『ログアウト』ボタンを選択する。エリアに取り残されたアバターが、モンスターや敵対プレイヤーに斬り殺される――すなわち
2つ。覇王の配下と化した敵対妖精を全滅させる。(あくまでユーザ同士の
3つ。とは言え、ストーリー上はラスボス討伐で決着となる。ならばサッカー場ほども広い《覇王の皇室》で誰かがボスに
もっとも、前者2つは達成不可能。
3つ目の選択肢もノーリスクではない。1人をボスに向かわせて残りが逃げるとしても、それは事実上、誰かを犠牲にすることに等しい。
それを知るリンドの指示には迷いが見て取れた。
「……外に出るのは諦めて、館の中で迎え撃とう。2班に分ける。A隊は俺とフリデリックとシリカさん、B隊は他3名。隊長はジェイドに任せる。散開してなるべく長く稼ぐぞ!!」
『了解っ!!』
「2人とも急ごう」という命令と共に、アルゴ達は3人ずつに分かれた。
人口密度は減ったものの、これで1隊につき索敵員は1人。つまりケットシーを拝命したアルゴが先に研究員の男を見つけなければ、この3人から犠牲者を出す可能性が飛躍的に高まる。
責任は重大。
魔改造された
そして1分も走ってからだろうか。どこからともなく暴力的な攻撃音と地響きが聞こえてきた。
このエリアのどこかで誰かが戦闘している音だ。
そしてそれは当然、リンド達A隊ということになる。これには絶対忠誠を誓うテグハが反応した。
「あっちが狙われているぞ、ジェイド! ……なぁオイ、ジェイド!」
「……俺らはやるべきことをやるまでだ。ここいらのトラップは、モノによっちゃあ単発の撃ちきり。アイツがA隊にかまけているうちに発動させまくって、こっちの逃げ道をなるべく確保しとくぞ。多少くらっても今ならまだ回復する時間が……」
「バカを言えっ!! 隊長がやられたらどうする!? オレ達は何度も彼の判断に救われてきた。そうだろう!?」
隊長を妄信するテグハ。このセリフはきっと、意図せずして勝手に口をついたのだろう。
しかし口に出すと、逆に感情が引っ張られるともいう。
結果、その発言で本人にとってよくない感情が渦巻いた。
「引き返すべきだ。いま彼を失えば……っ」
「だからこそ任務を果たすんだッ! ……いいかテグハ、小隊長は俺だ。命令に従え。それにハナから勝ち目の薄い戦いで、まだ2分もたってない。これで死ぬようじゃリンドもその程度ってわけさ。……うオっと、さっそく罠じゃん。ベタに大鎌のペンデュラムか……おい2人とも! さっさと体を動かせ!!」
ジェイドは命令するが、テグハも引き下がらない。
「……本気で言っているのか。自分が助かりたいだけだろう!?」
「ハァ!? ちげーよ、考えりゃワカんだろッ!!」
「ウソをつけ!! オレはお前とは違うぞ! 隊長のためなら、オレはどんなことも怖れない!!」
「冷静になれって! 俺はビビってねェし、だいたいこの別行動もリンドの命令じゃねェかッ!!」
「ケンカしている場合じゃないぞ2人とモ!! ……テグハっちもここは折れてくレ。コイツは言い方が悪いケド、その判断は正しイ!」
「っ、く……そ、そうやって……またジェイドの肩を持って。アルゴさんはいつもそうだ……ッ!!」
「ちっ、チガうヨ!
「うっ……くぅ……ッ」
言いよどんだのはテグハの方だった。
やはり理解している。それゆえに、標的となったリンド達を助けるための言い訳を並べた。
この狭い空間で敵の猛攻を凌ぎきるのは至難。加えて敵の自信――それがこの2ヵ月同様バカバカしい皮算用だったとして――を見るところ、隠れてやり過ごせるほど甘くない。
そして1つだけ確かなことがある。
非情な決断をしたジェイドだって、今すぐシリカを助けに行きたくて暴れたい思いだということだ。それを押して任務を遂行している。
「……わかってるよ!! ちくしょうっ!! せめて、任務を果たすべきだ……くそ!!」
「(テグハっち……)」
現状を再認識した彼は、そう吐き捨てながらもトラップの起動作業を始めた。
アルゴもようやく肩の力を抜く。
ずっと慕ってきた、かの連合隊長の援護に向かえないもどかしさ。その気持ちは推し量って余りある。だがここで
奴ら研究者の奥の手は、オンライン実装前の特大魔法攻撃などではない。
ここで戦い
「よしっ、ここらのトラップはだいたい終わったな! モンスターも仕掛けありきの動きが多い。奴がこっちに来てもみんな冷静に対処しろよ!」
「了解ダ。しかし音が続いてるナ……もしかしテ、室内戦は彼自身もあまり経験がないんじゃないカ?」
「ハッ、だァから言っただろ。DDAの頃は殺しても死なないしぶとさだった。あのリンドがそう簡単にくたばるタマかよ! なァそうだろう、テグハ!」
「……ふん。オレだって信じていたさ」
「ハハッ、冗談を言うようになったなァ!」
彼は肩をバンバンと叩いてテグハを、そして自分をも
緊張の糸は切れない。リンド達A隊が始末に負えなくなった場合、あるいは本当に倒されてしまった場合でもこの隊へ標的を移すからだ。
そして3人が受けた微量のダメージ分を全体魔法で回復し、アルゴも消費した魔力をポーションで補った瞬間、
「ッ、……!? 来たぞ! 構えろォ!!」
ドッガァアアアアアッ!! と、遠くで薄く
その
しかし敵の眉間には未だ深いシワが刻まれたままだった。
右側の唇を強く噛み、男は口を開いた。
「なぜ……なんだ。なぜ、死なない。……きみ達は」
「おーう、こりゃいい! そのツラからして、またしくじってンなァ、クソゲス野郎! コリねぇバカだよアンタ!」
またジェイドが挑発するも、相手はすぐには乗らなかった。
しかしギリッ、と歯を食いしばり、一層強く
「……バカだと? 私がどんな決意でここへ……ああ、そうだ……元はお前が元凶じゃないか。ラボで妨害されなければ、7人も逃すことはなかった! お前がいなければすぐ片付いた!! おかげで私は腫れモノ扱いさ! たった数人のガキを始末できないのかと、日がな1日責め句を浴びてっ!!」
「…………いや、自業自得じゃね?」
「うるさい! なにも知らない子供がッ……こっちは生活を削っている! いい加減にしてくれよ!! 《ナーヴギア》の殺人機能が停止した以上、死なないことは保証された! 粘ってもしょうがないだろう!? ……ちくしょう。……こんなの、理不尽だ。……なぜきみのような……ガサツな男が頼られて、私の努力が報われない!? こんな仕打ちを毎日受けなくちゃ……ああぁあアアアアアアアッッ!!!!」
「うわ、なんかブッ壊れたぞコイツ」
「さっさと死んでくれよ、お前らさァアアアッ!!」
『システムコマンドぉ!!』という初句と共に、もはや作戦といった作戦もなく男は突進した。一帯の罠がすべて発動済みなのは一目瞭然のため、きっと戦場を変えようという腹積もりだろう。
現にアルゴ達は紫電のエネルギー塊に押されて、ほとんど選択の余地なく大きく後退させられた。
しかしこれはいい傾向である。攻撃が大雑把になればなるほど読みやすくなるからだ。
初見時特有の判断ミスを誘発させ、動きが鈍くなったところでブーストされた大技による一発ノックアウトを狙う。敵ながら単調な作戦である。
今度こそ逆転を確信していたらしい彼は、轟音が収まると『被弾者なし』という事実にさらに顔を曇らせた。
「この2ヵ月で人生メチャクチャだ!! きみらのせいでぇっ!!」
「知るかよ、クソッ……アルゴは影にいろよ!!」
「ヒールはしてル! 魔法の対処は2人に任せたヨ!!」
「《リストリクション》かけた! しばらくはオレだけで持たせられるぞッ!! 前はいいから、アルゴさんは進路を指示して!!」
怒号に近い意志疎通をしながらも、3人小隊は目暗ましと心理戦を駆使して緩やかに後退した。
テグハが自身にかけた土属性魔法は《
『飛翔力残量の半分を失う』という大きなデメリット付きではあるが、翼力を使い切って地上戦を余儀なくされた場合、または飛行できる標高を超えた――すなわち、ここアスガンダルのような《高度限界》以上の戦域ではシナジーが高い。
加えて彼が装備する背丈ほども大きい黒鉄のタワーシールドは、その優れた筋力値でさえ取り回しできる限界スレスレ、包括的に見ても最大級の大盾だ。それに伴う防護性能も保証されている。
そこに、アルゴが小隊に発動した光魔法《
これは旧アインクラッドにおける《
そして追い打ちのようにジェイドが持つ高レア度の収納盾、《スワロゥ・パーム》まで待ち構えていた。
彼だけでなく、これまで幾度となく脱走者7人を
敵が攻防一帯の魔法媒体を振り下ろすたびに、ゴッパァアアアッ!! と派手なエフェクトが舞うが、煙が晴れた先では獲物がピンピン活動している。時間の限られた相手にとっては気が気でないだろう。
なにせ相手には、魔法ブッパ以外に戦法がないのだから。
「ここで無理ならもう処分なんてできない!! きみらの自然死を待っている時間はないのだ!!」
「ハッ、自然死だァ!? こっちは2年耐えたんだ。何年先になるかなァ!!」
「とり合うなジェイド! 守ることに集中しろ!」
「
通路の角を曲がった瞬間、速度を維持したままアルゴ達は同時に一定の区画を避けるようにジャンプした。
その奇怪な行動は、死角になって目視されなかっただろう。
何も知らない敵が90度曲がると、続いて後を追ってくる。
そして、予想違わずそのアバターが脆い足場を踏むとドドドッ!! と崩れ、そのまま大きな穴にハマった。
特定の地面に深い
アルゴ達は慢心せず時間の許す限り対策しておいた。トラップがすべて自分のために作用してくれる、そう思い込んだ相手の油断がこの隙を生んだ。
文字通りあらゆる制限のない彼なら翅で飛べばいいものを、ここでも『落とし穴にかかった』という常人的な判断が思考を鈍らせている。
彼が手足を使って罠の壁をよじ登るころには、彼我の直線距離は相当開いていた。
「待っ……ま、て! ゼィ……この……ッ!!」
すでに見栄を張るのも忘れ、足をもつれさせながら
と同時に、放たれた雷魔法はまたもあらぬ方向へ飛んでいった。
登場時に見せていた自信は、クロムオーラが
無敵というだけで、彼のプレイヤースキルは決して高くない。
「(なんにせよ持久戦ダ。同じ場所をぐるぐる回るだけでも厄介なハズ。あとはモンスターが来るタイミングだろうナ。同時に会敵した時が1番ヤバイ……っ!!)」
初見ダンジョンのため、こればかりは神頼みである。
しかし幸いなことに、彼の戦意は失われつつあった。
死んでも諦めるつもりがない3人は、これでもかと館を駆け回り、横倒しになるモンスターの死体のせいで絨毯爆撃でも受けた後のようになった
安全なルーチンを見つけ、それを繰り返すことでひたすら時間を稼ぐ。無敵のチーターが攻めてきた場合の
そんなことをしている内にどれだけたっただろうか。やがて彼の姿が見えなくなるほど引き離すと、アルゴはモンスターのいない廊下を全力で走りつつ後続の2人に話しかけた。
「ニャルホドなァ。……ハァ……向こうは《
「ゼィ……あれって確か……無差別で範囲広いけど……ゼィ……フツーなら、発動まで時間かかるやつだよな。ゼィ……相変わらずセコすぎだろ……!!」
「なにを今さらっ……ゼィ……道を変えてみるか!? 例えば1階の広い道とか……ゼィ……おっ、おいジェイド!!」
まさに話題に出た下の階のエリアを眺めた直後に、テグハは声を荒らげた。
つられてアルゴとジェイドも視線を寄越す。
「下の階見えるか!? リンド隊長達が走っている!!」
「クッソ……追われてんのか!? しかもこのエリアで1番メンドーなデカブツじゃねェか!」
きっかり格子状の金網から見えたのは、隊長リンドを含むA隊の姿だった。
豪奢な装飾が
そこまで考えた刹那、案の上研究員の男の判断は的確だった。
標的が移り変わる。四方から集中狙いを受けたA隊は、瞬く間に消耗し後がなくなった。
並走するテグハがすぐに叫ぶ。
「ジェイド! 隊長はモブの相手をしている! 割り込まれたら今度こそ……ここまで来ても助けないつもりかっ……!?」
エリアの
そう判断したジェイドの行動は早かった。
「わァってるよ!! 奥に1階へ続く大階段があったろう!? 俺らも下に行って援護する! ほら、マナポーションだ。アルゴはバフかけながら走れ!」
「了解ダ!」
アルゴはくるくると投げ渡されたビンを危うくキャッチすると、何度目とも知れない《リジェネレート》をかける。そして息を整えながらポーションの中身を飲み切るころには、一行は追い詰められたA隊に加勢できた。
緩衝被膜合金の混じる黒革ベストを装備したジェイドが、視界から消えるほどの速度で疾駆した直後、ゴッガァアアアアッ!! と、いつかに見た破城槌じみた落雷攻撃が炸裂する。
しかし着弾点にいた少女は無事だった。
脳筋インプが際どいところで《
その数秒後、ようやく強敵を退けた隊長が駆け寄る。
「ジェイドか! どうしてここに……っ!?」
「いいから早く! さっさと下がれッ!!」
「隊長、援護します!!」
発火性の高い爆弾、《火炎壺》を敵の顔面に投げつけながら、テグハも強化された黒鉄の大盾を構えて果敢に前に出る。
猛烈な連続攻撃が襲ってきた。しかし期せずして良いタイミングでフリデリックの水属性集団回復魔法の詠唱が完了し、それがパーティ全体に適用。なんと一団はすっかり持ち直してしまった。
そしてとくに捨て台詞もなく、地雷原を走破したような爆発音を切り裂いて、6人
相手の方をチラリと見ると、「今ので死なないのか……」と顔に書いてあるようだった。
逃げるアルゴ達の背を、無敵の男はもはや茫然と眺めるだけだ。
しかし……、
「ハァ……ジェイドさん助かりました! ハァ……いつもっ……ハァ……ありがとうございます!」
「いいって……ことよ! 死なれたらッ、ヒスイに合わせる……ハァ……顔がなくなっちまう!」
「ハッハッハ! ハァ……これじゃあ……ハァ……二手に分かれた! 意味がないなぁ、おいジェイド!! ハァ……気が回るじゃないかっ!!」
「るっせ! ハァ……たまたま見かけたんだよ!!」
全力で足を動かしながら、ジェイドとA隊の面々が気を緩めて目を合わせた瞬間。
ほんの数秒が運命を分けた。
「手持ちのポーションは足りてるな? 一撃がでかいんだ。ヤバいと思ったらすぐに飲んで……ッ、危ないシリカっ!!」
「きゃあああっ!?」
未発動だったトラップが駆動する音が耳
ただのオブジェだと思っていたデーモンの銅像が怪しく光り、魔法の紐で編まれたケージでシリカを閉じ込めてしまったのである。一定以上近づくと自動で捕縛するタイプだ。
魔法の光で編まれた、グリッド感のある唐草模様の緑格子。それにジェイドが大胆にも大剣で攻撃するが、激しい音を生んだだけで効果なし。
しかし彼は大きな悪態とわずかな
直後に視界を埋めるほどの発光の演出。
再び目を開けた先に、彼らはいなかった。強制転移の罠だろうか。
「そんナっ!? ジェイド!? シリカちゃんモ!!」
「同時にどこかへ飛ばされたのか!?」
「ダメだアルゴさん! 2人はきっと別のルートで逃げる!」
「来てますよ、敵!! 彼らはあとで探しましょう! こっちのマナももうないんですから!!」
フリデリックの警告で我に返ると、アルゴは脳内に残留する不安を振り切り、どうにか
しかし、たった数秒で2人がはぐれた。これがもし逃げ場のない場所への転送だとしたら……、
そしての危惧は、次の彼の言葉で事実と判明してしまった。
「やっ、やった!? ハッハァ、やったぞ! 決闘イベント……1人は確定だ!」
敵の
そんな、まさか。
1人……といったか。ジェイドとシリカの、どちらか1人を確定死させるとでも?
あり得ない。あんな初見殺しのトラップに捕まっただけで、パーティメンバーが死ぬなんて。これがもし一般プレイヤーの立場なら、ただのオブジェに近づいただけで最終セーブポイントに飛ばされることになる。その理不尽なフィールド設定に思う存分批判を浴びせていただろう。
現実を受け入れられない。
こんな別れ方など、あってはならないのだ。
「あいつ……『1人は確定』っテ……ッ!!」
「ハァ……どうせハッタリさ! 今まで何度もあったろう! ……あのバカが、こんな簡単に……ハァ……やられるてたまるかっ!!」
「隊長のッ……ハァ……言う通りです! とりあえず、道なりに逃げましょう! ……追ってこないなら……好都合です!」
とうとう4人にまで減った集団が未開の地に踏み込むと、異様に大きな扉が待ち構えていた。
嫌な空気を感じる。しかし熟考している時間はない。急かされるように4人でそれを押してこじ開けた。
「(やっぱり広イ! ボス部屋カ……!?)」
扉の先には、現エリア最大級規模の広い空間が用意されていた。
よく見ると、立っているのは2階の通路だった。吹き抜けになった1階を見下ろすと、
手すりはあるが、その落下防止柵は一律して子供でも飛び越えられる高さ。館への『侵入者側』の誰かが下に降り、着地した時点で戦闘が開始されるのだろう。
アスガンダルでは翅が使えない。つまり、降りた時点で退路はなくなる。
随時ボスエリアから脱出し、補給をしながら戦えるとなるとヌルゲーになり、さりとて部屋の扉を開けた途端に有無を言わさずインスタンス・マップへ空間ごと転送、そのままボス戦とするのはいささか興が削がれる。集団であればボス戦前には準備が必要だ。
そうしたニーズから『ボス前の安置』というのは、オンラインゲームに限らず割とコンスタントに用意されている。
それに、奥に佇む黒い影はどう見ても《廃国の覇王》なる館の
「(まだ戦闘は始まってない扱いカ……?)」
部屋の内部では流れるメロディこそ変わったが、経験則から考えてこれは通常ルートではない。おそらく何らかのミッションタスクが適用されたものと予想される。
かつてジェイドがイベントボスを単身で撃破した際、追加報酬として手に入れた
そして4人がボス部屋に侵入してからしばらくすると、天井から声が聞こえた。
「おい、リンド達か!? 上だ! クソッ、捕まっちまった!」
「ジェイドか!? シリカさんも!」
「出られそうにないですか!?」
「た、たぶん出られないです! ものスゴくかたくて……!!」
2人が吊るされているのは部屋中央の真上あたりだった。ちょうどアスナを閉じ込めていた鳥籠を
檻の内部は剣を振れるほど大きくもなく、きっとあれらは破壊不能設定。
しかしこれはどういったイベントなのか。
あれではアルゴ達がボス戦を開始した際に、その戦闘を観覧させる場を設けただけになってしまう。
だがそうした懸念は、なぜか彼のいた方角とは逆方向に当たる、戦場の奥からゆっくりと歩いてきた例の男によって解消された。
「手こずらせてくれたね、きみ達。けど年貢の納め時だよ」
瞬間移動でもしたのだろうか。男は落ち着きを取り戻し、それが口調や態度に表れている。
「まァたそれかッ。まだ終わってねェぞコラ!!」
「フン、檻の中でも騒がしい。……まあいい! これは《王座前室の剣闘》イベントだ! フラグは取り消せない。侵入者であるきみ達は、囚われたどちらか一方のプレイヤーを、《覇王の眷属》である私との決闘に差し出さなければならない!!」
「くっ……プレイヤー同士の、強制戦闘系か……」
1つの回答に辿り着き、隊長が低く唸る。
ストーリーの詳細などは自分からNPCに話しかけるなり、配置・ドロップしたアイテムのフレーバーテキストを読んで築き上げていくものなのだろう。臨場感を味わえるようにした、ALO開発スタッフの貫くポリシーだ。
だが、それらを軒並み素通りしたアルゴ達は、状況から逆算するしかなかった。
しかし、「みなさん、これを……」というフリデリックの指摘で首を振って見ると、安置通路の先には、左右に倒せるアンティークな金属レバーが取り付けられていた。
近づくと『どちらのプレイヤーを決闘させますか?』なるメッセージ小ウィンドウと、左右を指す矢印のアイコン、そして減少し続ける3ケタの数字が空中で点滅した。
これだけである程度は予想がつく。
見上げた先ではシリカが左側に、ジェイドは右側に吊るされていたからだ。
ボス戦前の小休止。サブタイトルを与えられたミッション。
イベントが開始され、これに見事勝利した覇王討伐側or覇王眷属側のプレイヤーには、タスクをクリアした何らかの特殊リザルトが贈られることだろう。あるいはこちらがそれを手に入れられるのは、奥に控えるラスボスまで討伐しきった時だろうか。
いずれにせよ……この戦いに勝利はない。
ここから下の階に飛び降りて、戦いの火ぶたを切った仲間の援護に向かうことすら無意味である。逃げ場をなくせば、今度こそ全滅なのだから。
アルゴ達にできることは、1人をオトリにもう一方を回収し、速やかにこの戦域を離脱することだけ。
当然ダンジョン制覇も放棄。敵の眷属プレイヤーが強制召集されているということは、きっと今なら屋外への脱出もできるだろう。
「(ア……ァァ……そん、ナ……)」
アルゴは目の前が真っ暗になりそうだった。
ジェイドか、シリカか。『死んでもらう』人間を選択する。
どうしようもないと理解しているからこそ、メンバーも
アルゴには到底選べなかった。また日常が侵害される。
すでにクロムオーラが毒牙にかかり、2ヵ月積み上げた記憶すら消されようとしているのに。
「さあ、選ぶんだ。当然、選ばれた者の記憶は消させてもらう!」
記憶を消す。本当に可能かはわからない。しかしコミュニケータを通じて実験内容を漏洩させてなお、彼らは意固地になって脱走者の殺害に
だとしたら、この言葉をハッタリで済ますのは楽観的すぎる。
そう感じると自然と喉が震えていた。
「もういいだろウッ!! アンタの勝ちだヨ。……だから、これ以上奪わないデ。オレっち達は実験のことモ! アンタのことだって誰にも言わなイ!」
「あ、アルゴさん……」
「文句ないダロ! 約束すル! ……もう、放っておいてくれヨォっ!!」
「……約束、か。駄目だね。これがきみらの選んだ結果だ」
彼はそう吐き捨てた。わかりきっていた回答に、声も上げられず、その場で力なく座り込んでしまう。
究極の選択とは言え、現実的かつ総合的に考えればシリカを切り捨てるべきである。世界樹を脱してから、ジェイドが彼女を保護し続けたのは、ただの利害関係が重なるパターナリズムがそれを是としただけ。庇護欲の延長である。
しかしシリカはまだ子供。倫理の問題だ。彼女を実験体への
ここで見捨てられた方は、アルゴ達との思い出さえ失う。
しかしそれでも、部隊長はレバーの前に立つと任務に突き動かされた。
「たっ、隊長!? 選ぶんですか……ッ!?」
「く……仕方ないだろう! 俺の責任だ! 選ばなきゃ……2人とも……ッ!!」
「ハッハッ。存分に悩め! だが自分らが助かったと思うな。どちらを選ぶにせよ、この狭さなら1分と持つまいっ! そうなれば、残るはきみたちだ!!」
彼のヒステリックな悪声を聞き、アルゴの中で荒れ狂うような
それを口に出してしまいたい。
アスガンダルを生還した後、どれだけ蔑まれ
しかしアルゴが我慢できずに顔を上げた瞬間、天井高く閉じ込められていた男が鉄格子を殴り、「ゴチャゴチャうるせェ!!」と怒気を強めて割って入った。
彼はうつむいていた顔を上げ、憤怒の視線が真紅のプレイヤーを射貫く。
「腹くくれよ、リンド! てめェも隊長ならスジ通せ!!」
「な、なにを……俺にどうしろと!」
「決まったことを。……
『ッ……!?』
予想だにしない言葉を聞いた5人は一様に凍り付いた。
決めあぐねた隊長に対し、
一緒に捕まったシリカも驚いて彼の方を見やる。実力も発言力もないことを自覚するがゆえ、あえて物言わなかった彼女でさえ、彼に対する強い怒りと恐怖の眼差しを向けた。
今まで共闘してきた仲間から、はっきりと裏切られるような感覚。
まさに望み通りの展開を見たようにあの男も嬌声を上げた。
「ハぁーハッハァ! なんだ! 偉そうに言っておいて! きみも自分の命が惜しいだけじゃないかァ!!」
最も恐れていた流れだった。敵の言う通りになってしまう。ここで立場と価値の優位性を誇示してはいけない。いかに事実であれ、そんな言い方をしてしまっては……、
案の定、リンドはさらに苦い顔をして奥歯をかみしめる。
アルゴの心配をよそに、ジェイドは
「うぜェフリはたくさんだ!! ……はっきり言うがなッ、誰がこれまで助けてやった!? 生き残るには俺が必要だろ!! シリカじゃ足手まといにしかならねェ!!」
「そ、そんな言い方……ひどい、ですよ……わたしも……っ!! ずっと戦ってきたのに! わたしだって、しにたくないっ!!」
すでに涙声となり、裏返った怒声で反論するシリカ。同情の視線は、すでに彼女の方へ向けられていた。
そして彼は、決定的な言葉を
「シリカは黙ってろ!! ……おいっ、今さら善人ヅラか!? 『弱い奴から切り捨てる』!! テメェの合理主義はドコに行ったよ、ああァッ!? こっちはヒスイに会うまで死ねねェンだッ! 早くしろリンドォッ!!」
「もう黙れよクソ野郎っ!!!!」
ヒートアップしたジェイドを、リンドは上書きするように一喝で黙らせた。
肩で息をし、わずかな
そして、メンバーの命を預かった隊長は、
「余計に……やりづらくなったろうが……ッ!!」
言うと同時に、彼はレバーを
力の限り、叩きつけるように。
怒りのすべてを投げ捨てるように。
なんとも間抜けたことに、そうなってから初めて、アルゴはあの男の
困惑するメンバーとは関係なく、エリアのギミックは正常に反応する。彼を吊るすチェーン状の鎖は、それらが
しかし仲間に介抱される彼女を見たアルゴは限界だった。
「イヤだっ!! ジェイドっ、お前が残るなら!!」
「ダメだよアルゴさん! この数分で少しでも距離を稼ぐんだ!!」
「そうだッ……ジェイド君は、もう……っ」
「クソッたれ……振り向くなッ、屋外へ出たらアスガンダルの外周へ向かう! 制限が消え次第、全員で飛ぶぞ!! 遅れるなよ!!」
柵を超える寸でのところで腕を引っ張られ、半ば放心状態のままアルゴは部隊に先導された。
すでにモンスターの全滅した
野外への脱出。それでも、絶え間なく足を動かす。
たった5人にまで減った小隊が、ほんのわずかな生存率を積むために。
だが
移り行く世界に色がない。遠く見えた未開の地も、闇の深い謎多き森林も、この心を高揚させるものは1つもなかった。
彼の存在の大きさが突き刺さる。
アルゴにとって生きることとは、《アルヴヘイム・オンライン》なる異世界で意味もなく延命することではなかった。『彼と一緒に』いられることが、戦いの生活を耐え抜くうえで
「(ジェイド……そんな、ジェイド……っ……)」
その喪失感で胸が張り裂けそうだった。
最後に見えたのは、鉄籠の中で大剣を背負う彼の背中だけ。これで永遠に別れてしまうというなら、もう生きる価値すらない。
いっそのこと狭い密室で一方的な戦いを終えた敵が、早々にここへ追いついてくれることさえ願った。自分も一緒に彼のことを忘れてしまえば、これ以上苦しむこともないからだ。
いつまでも手を引かれ、とうとう岩の
しかし不思議なことが起こった。
ここまででもう10分以上はたっているはずなのに、期待とは裏腹に敵の姿は一向に現れなかったのである。いくらジェイドが剣士として強力な部類に入ると言っても、無敵のチーターを相手に狭い密室でこれだけ長く戦えるはずがない。
「(敵が来ないゾ……まさカ、ジェイドは……!?)」
また悪いクセのように期待する。どれだけ絶望的な状況でも、彼なら何とかしてしまうのではないか、と。あの研究員を相手にあらゆる策を講じ、誰も思いつけないような奇抜な作戦で不可能を可能にしてしまうのではないか、と。
されど、期待ははかなく散った。5人がいつでも外周から飛べるよう待機している間に、
短いメンテナンスが静かに終了する。エリアを囲う
ジェイドの名は、パーティ名簿からすでに除名されていた。
「念のため、ここを出るぞ」
リンドの冷たい命令。
その彼と共に最高戦力の双璧を成した男の死。
もう後戻りはできない。リンドは最後に少しだけ館に向けた悲しげな眼を細め、それからは迷いなくアスガンダルからの脱出を促した。
ここに5人もの生還者を残した彼の功績は偉大で、かつ勇敢な行為である。
しかしアルゴ達は、その奇跡に感謝を捧げられないまま、見殺しにした