SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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アナザーロード11 再起動期間(リブーテッド・セッション)

 西暦2025年1月12日 東京都。

 

 休日、と言っても毎日が休日のあたしに境目は曖昧(あいまい)だけれど、自室での勉強がひと段落ついたところでリビングへ水分補給しに行く途中、玄関の方から両親の声が聞こえていた。

 暖房の効いていない廊下を進み、スーツ姿の父が見えると、その正面にはパジャマのまま着替える気のないシズまでが(そろ)っている。

 

「じゃあ父さん、呼ばれてた品評会に行ってくるから。玲奈のことは任せたよ母さん」

「はい行ってらっしゃい。帰りは遅いの?」

「一応立食会があるらしいんだけど、どうだろうなぁ。……たぶんしっかり食べられる時間はないだろうから、夕飯は軽く残しといてくれたら嬉しいかも」

「ん、りょーかい。あらレイまで」

 

 そんな会話が聞き取れる頃には母もあたしに気づいたようだ。料理の途中だったのか「もうすぐお昼できるから待ってね」と続ける。

 ともあれ、父が休出とは珍しい。御門女(みかどめ)家はゲーム好きの集まりゆえ、遠出の旅行すら稀なのである。ましてや『休日は2日しっかり休む!』と母がうるさいことで、新作の納期(マスターアップ)前を除き父は家にいることが多い。

 あたしも髪をかき分けると会話に加わった。

 

「ありがと母さん。……なに、父さん出かけるんだっけ? スーツ着てるってことは会社の人に会いに行くの?」

「あーまあ、友人に会いに行く感じだな。ゲーム関連のイベントみたいなもので、新作トレーラーもいっぱい並ぶんだよ。むしろ友人とサシで飲みに行くより有意義かも」

 

 そう言う父をよく見ると、地味な外套の下にはアーガイル柄のネクタイが。本当にカジュアルな集まりなのだろう。

 ともあれ、相変わらず楽しそうにする父を家族全員で見送ると、3人はリビングに移動。協力して昼食、つまり昨晩の海鮮鍋の残りにサラダを追加しただけのノン炭水化物飯を済ませ、休日の午後をまったりすることにした。

 否、若干1名慌ただしい者がいる。

 もちろんシズである。彼女の張り切りようはわかりやすく、最速で食べ終わって3人分の食器をチャカチャカ洗うと、浮足立ったまま自室に舞い戻ってしまった。食事中に何度かスマホの着信バイブが震えていたし、去り際に「領土に敵が攻めてきたの! 助けないといけないの!」なんて(わめ)いていたので、おおかたシズがハマっているVRゲーム、《アルヴヘイム・オンライン》のことだろう。

 このゲームもかの有名な電子メーカーの子会社《レクト・プログレス》が運営に携わっているらしい。少し過剰反応のきらいもあるが、昨日の今日でその名を聞くとあたしも気になってくる。実はタイミングを見計らって母に話すつもりでいたのだ。

 

「ね、ねえ母さん知ってる? シズがやってるゲームってさ……飛べるらしいんだよね」

「ん~……?」

 

 だから、あたしは2人となった部屋で冬用のファッション雑誌に目を通しつつ、母の淹れたコーヒーを味わいながらそんなことを口走っていた。ほうっ、と芯から温まる心地いい感触とは裏腹に、姉とゲームのことを考えていたせいで意識はここにあらず。

 しかし開口一番で意外な返答が来る。

 

「知ってるもなにも、私はアミュスフィアかぶって実際に飛んだよ。これでも真上に飛ぶだけならコントローラなしでもいけるんだから!」

「えっ、意外! それって《随意飛行》ってワザじゃん!? シズがメチャクチャ難しいって。慣れない人は半年やってもコントローラで戦ってるらしいし」

「さすがに母さんも、ナシで剣を振るのはどだい無理よ。やってみたのは、敵に襲われない領土でゆっくり飛んだことだけ」

「剣を握って、空を飛ぶ……それは難しそうね」

「ああでも、シズはできるんだったかな。少なくとも母さんが一緒にログインした時は、コントローラなしでビュンビュン飛んでたよ。あの子、ああいうところは要領いいから」

「そっか。やっぱり、飛ぶのと飛んで戦うのとじゃ結構違うんだ。……あれ? ちょっと待って。今『一緒にログインした』って……2つもとったの?」

「あら、シズは言わなかったの? アミュスフィアを含めてウチにはALOのライセンスが2つあるよ。1つは父さんがツテで手に入れたもので、もう1つは海賊版。つまりどっちもタダ」

 

 ――いや、それをタダとは言わないぞ!

 

「さ、さすが母さん……あ、でもそれならあたしもシズと一緒にそこで遊べるんだね」

「ダメよ~レイは。新しい学校に行く前に課題たくさんあるんでしょう? これでも、見せたがってるシズを説き伏せるのに苦労したんだから」

「ちぇ~……ケチんぼ! ケチケチ母さん! 自分だってやってるクセに!」

「洗濯物についてたカメムシあんたの部屋に放り込むよー?」

「あっ、ごめん! ゴメンって冗談だってば!」

 

 そんなこんなで激臭地獄を免れたあたしは、ブツクサ言いつつも約束を守って自主勉強を続けることにした。

 自室に篭ると再び机にかじりつく。しかし、そうはいってもリハビリとは別に1日8時間ペース。これほど真面目に課題をこなす学生サバイバーは少ない、というより想定されていなかったらしく、もう1週間ほどで課題を終えるメドが立ってしまっている。

 この日の午後も同じく、紙の上に黙々とペンを走らせること4時間。自前で用意したToDo表の目標よりさらに進んでしまった。そして人間とは不思議なもので、それを自覚すると途端(とたん)にやる気がなくなってしまう。

 休憩を挟みつつやってみたものの、PM5時前の時点で集中力が切れてしまったのだ。こうなると没頭し直すのは難しい。1度甘いものを補給しに行こう。

 だが部屋を出た瞬間だった。

 

「(ん? 音がしたような……)……シズ、起きてるの?」

「うん起きてるよ~。さっきログアウトした」

「うわ、4時間で出てくるなんて珍しいね。確か『やる日はトコトンやる』んじゃなかったの?」

「んーちょっと色々あってね。今日は向こうでレアな人に会っちゃったんよ」

 

 ドアを開けた先では、ベッドに寝ころびながらグループ間で連絡先を交換したスマホとあたしに同時に返事をする器用な姉がいた。もう日も沈んでしまったのに結局まだパジャマである。

 あたしは姉の部屋の可愛らしい調度品をしばし堪能しながら質問を続けた。

 

「ゲームは中断したのに、またゲームのことで話してるの? ホントにハマってるんだね」

「ん~……ああ、これね。そうだよ、ちょい前に一瞬だけやってたイベントがあって。ここの運営チームのことは昨日言ったよね? その一部の人がね、匿名で選出したプレイヤーを自社の特別なアカウントで試験的にログインさせたんだよ」

「へぇ、じゃあプレイヤーって言っても、なかには運営側の人もいるんだ。PK推奨なら一般ユーザと戦ったりして」

 

 冗談で言ったつもりが、どうやら的を射ていたらしい。

 

「ぴったり正解。しかもそれだけじゃなくてね。その特別なプレイヤーは逃げたり反撃したりしてくるんだけど、そーぐーした人曰く、みんな凄い強いってウワサなの。不意打ちみたいなこともしてくるとか。……当時はね、運営も自信があったのか、もし誰か1人でも倒したら、入手困難なレア武器をランダムに配ってくれたんだって。今はもうイベント終わってるけど」

「なるほどね。じゃあもう会えないんだ?」

「んーん。ログインだけはまだ続いていたらしくて、たぶん……今日はその人達に会えたんだよ」

「へぇ! ラッキーじゃん。スクショとか撮った?」

「そんな余裕なったよぉ。それに、『たぶん』だから。一応『会話できない』や『一定距離に近づいたら弱体化の強制デバフ魔法』、あと『分類上は脱領者(レネゲイド)』とか、もろもろ特徴は合ったんだよ。けど報酬が気前良すぎたせいか、先月は他の人が悪フザケでなりすましばかりだったし。……それに、どうも今日倒したのは普通のオジサンっぽかったんだ」

「あ~それはドンマイ。イベントについてはよくわからないけど、人気タイトルって変な人多いからね」

 

 数分雑談をできただけでもいい気分転換になったので、あたしはそれを最後にシズの部屋から退室しようとする。

 しかし当の姉は、スマホから目を離すとあたしを呼び止めた。

 

「ああそれとね、倒したのがオジサンだっただけじゃなくて、なんか全体的にヘンだったんだよ。みんな不自然だったの」

「全体的に?」

「そう。まず萌えカワな女の子が2人もいたんだけど、1パーティでこの比率はおかしくない? 年齢層もメチャクチャに見えたし」

「1パーティとやらが何人かは知らないけどね。……だいたい、逆ハー気分で姫やってる人が何をおっしゃる。そういう()なんでしょう? 性別は偽りようがないわけだし、世の中には仮想世界の女の子でもいいって人がごまんといるの」

「えー違うって~、オーラが違ったもん!」

「ていうか、それがイベントだったとして、『会社が匿名で選んだ』プレイヤーなんだよね? 正式な社員じゃないなら、大御所の動画実況者とかでランダムに選んだのかも。もしくは、ランク高い人をログイン率で上から順とか?」

「うう~ん……あたしも詳しくレイちゃんに伝えるのが難しいんだけど……」

 

 そこまで言ってもシズは煮詰まらない感じに首をひねっていた。

 偽りの体でコミュニケーションを取るラフさがいい、なんて言っていた割にはどっぷりゲームに浸かっている様子である。

 けれどあたしは、ALOの運営会社を気にかけている時点でもっと真剣に聞くべきだったのかもしれない。このあと、姉に一生感謝をすることになるのだから。

 

「なんかね、7人とも(・・・・)生きるのに凄く必死だった感じがしたの」

 

 そのセリフを聞き、誇張ではなく軽く息が詰まり心臓が大きく跳ねた。もちろん生き残るのに必死……というだけでは、大半のプレイヤーとて変わらないはず。

 しかし、嫌でも病院での話を思い出す。背には汗が滲み、胸騒ぎは誤魔化しきれなかった。

 姉をじっと見つめ、続きを乞う。

 

「他の人とバトってた直後に見つけたんだけど、直前までズルい不意打ちをしようか迷っちゃったほどでね。……サラマンダー達と戦ってるのは遠目でしか見てないんだけど……ある意味、怖かったかな。短気とか、プロ意識とかとも違う……生き残ることへの、執着や執念のような……」

 

 それはまさにパズルのピースだった。今まで聞いた情報が糸のように結びつき、1つの意味を成していくように。

 まさか、そんなことがあるのだろうか。姉がハマったオンラインゲームの中に、ずっと探し続けている想い人がいるなんてことが。

 パーティは7人だった。

 そして、女の子が2人。

 彼らは統一感のない、強力なプレイヤー達で……、

 

「ねっねえシズ! 何か言ってなかった!? その人達は、シズにSAOのことを話したりとか!?」

「ど、どうしたのさ急に? さっきも言ったけど、シズとあの人達は会話できない設定らしいんだよ。ガサガサーって酷いノイズが走って」

「じゃあ格好は!? どんな顔だったかだけでもっ!!」

「う~ん……集中してれば見えたかもしれないけど、あっちも夜だったし、パーティ戦で高速で飛び回ってたからね。武装や戦闘スタイルばっかり気にして、顔まではちょっと……」

「そ……うだよね。ゴメン、ちょっと熱くなっちゃって……」

 

 思うままに質問してしまったが、考えるまでもない。想像すれば予想できる回答だった。常識的な判断力さえ抜けていたらしい。

 しかし、ここで思いがけない幸運が舞い降りた。

 

「……あ! でもそのうちの黒い装備のインプが、戦闘中なのに静のプレイヤーネームを聞くや否や、怒鳴ってアイテムを投げつけてきたの。これもまさしく不自然な行動だよね? しかもね、静はシルフっていう妖精を使ってるんだけど、その人が投げ渡したのは、よりによってシルフ領の特産アイテムだったのさ。もー意味わかんないよ」

「特産、アイテム……?」

「うん。《翡翠(ひすい)の魅了石》って言ってね。別にレアなものじゃなくて、ただ消費して飛ぶとアイテム発見力が……レイちゃん?」

 

 シズが話している最中、あたしは思わず口を手で覆いうつむいてしまっていた。

 目頭がじんわりと熱を持ってくる。

 ほとんど決定的ではないか。つじつまも合う。むしろただの他人が奇怪な行動を起こすより、ずっと可能性は高い。

 ()だ。たったそれだけで確信できた。過程はわからない。けれど、きっと休まず戦ってきたのだろう。茅場晶彦だか後継者だかは知らないが、わずかに抵抗する仲間を(つど)い、まったく新しい世界でしぶとく生き抜いているのだろう。

 おそらくは、あたしに会うために。

 そう思ってしまってからまぶたを(しばた)かせると、頬を濡らすものがしとど溢れた。投げつけたアイテムが1つのメッセージだとしたら……、

 

「シ……シズ……」

「どど、どうしたのレイちゃん!? なっ、泣かないでっ。静なにか悪いこと言った……!?」

「ううん……違うの……ねえ、聞いていい、シズ。……その人は……アイテムを投げた人は、大剣を使っていた……?」

「ええっ!? どうしてわかったの? 確かに大剣使いだったよ、バカでかいやつ。ガチガチの脳筋に見えたのに、魔法は使うわ、サポートもするわでメチャ厄介な人だったんだよ!」

「シ、ズのっ……向こうで……ぅ……向こうで使ってる、名前……っ」

「わ、わ……えっと、な、名前? えっとね、『ミカド』だよ! 苗字モジっただけのやつ! ほら落ち着いてレイちゃん……」

 

 感極まり、もう話すこともできないほど嗚咽(おえつ)が上ってきてしまった。

 カルテが示すバイタルグラフも、そこから立てた仮説も、間違っていなかった。シズもあたし同様に左利きで、『ミカド』というプレイヤーネームを聞いて、彼はわらにも(すが)る思いだったのだろう。アルヴヘイム・オンラインの世界にジェイドがいる。大瀬崎 (れん)が、なお再会のために戦い続けている証拠だ。

 一向に目覚めないなか、かつて医師に直談判した際、「これ以上意識が戻らないと、危険な状態になるかもしれない。最悪、もう彼は……」と断定されたことがある。はっきりとは言わなかったが、彼の肉体の容態を見るに、言わんとする意味は理解できた。

 けれど、冷酷に過ぎる時間に迫られ、どれだけ世界が残酷なのかを知っているはずなのに、どうしてもプロが下したその通告に現実味を得られなかったのだ。

 しかし今なら理由がわかる。彼はそんな簡単にすべてを諦めない男だからだ。だとすれば、彼のパートナーとして背を預け合ったあたしが、何の行動も起こさずに諦められるはずがない。

 あたしは無理にでも泣き止むと、姉に再び訪ねた。

 

「……水曜の午前4時」

「えっ……?」

「何か心当たりない? 水曜日の朝、そのゲームでイベントがあるとか……」

「あーえっと、水曜4時なら定期メンテが11時間あるね。特に大きな調整がなくても必ずあるよ。そのおかげで逆に今日みたいな不定期メンテの方が珍しいかな。それがどうしたの?」

それ最高(・・・・)ってこと。ねえシズ、アミュスフィアのキャリブレーションって今すぐできる? あたしのアカウントも作って欲しいの」

「ぬえぇ!? あれだけ渋ってたのに一緒にやってくれるの!? でもレイちゃんは色々辛いだろうし、お母さんもやらせないようにって……」

「それはあたしがどうとでも言っておくから! できるの? できないのっ!?」

「ひぃぃ、できます! できますとも!」

 

 それを皮切りに、あたしはすでにALOデータがインストールされたアミュスフィアをリビングから失敬(しっけい)、そのまま頭に装着してセットアップの準備を進めた。

 母への説明は後でする。ジェイドらしき人物に遭遇したシズはログアウトしたばかりだし、うまく行けばすぐに会えるかもしれないのだ。

 しかし横たわるあたしに、姉はなおも心配そうに詰問した。

 

「でもマッチングは結構時間かかるよ? それに今は臨時のメンテ中だからALOにログインできないし」

「……そう言ってたね……わかった、じゃあ準備だけ。母さんに説明してメンテが終わったらすぐに入るから」

「うん……」

 

 詳しく説明し辛いのがもどかしいが、この焦る気持ちは『メンテナンス中が安全とは限らない』ことを知っているからである。

 カルテがなければ、ALOのメンテでは時間が止まるなり意識が切断されるなり考えたろうが、あの波形を見る限り彼らはこの時間も何かと争っている痕跡(こんせき)があったのだ。じっとしてなどいられない。

 しかしそれからは大変だった。

 30分と少しでキャリブレーションを終えたあたしは、ことの事情を母に申告したわけだが、まだ推測の域を出ないという理由でVRへのログインを禁止してきたのだ。

 

「……いいわけないでしょう。あなた、立場はわかってるの? 国の援助で学校に行けるの。その間、体の調子を整えるのがレイの仕事よ」

「確信があるの。ALOに、いつも言ってる『彼』がいる!」

「希望を確信って言うのやめなさい。シズの体験が事実だとしても、意識の戻らない人がゲームをしてるなんて、非現実的すぎる」

 

 冷たい声。簡潔な拒絶。

 稽査(けいさ)不足なんて建前上の理由を深掘りするまでもなく、人の親なら当然の反応である。失った2年という月日が、どれほど人生の足枷になるかを考えれば。

 勉強の妨げとなる行為は、総じて社会復帰への遅延を包含(ほうがん)する。いくらこれまでの1日の平均勉強時間が必要十分だったとして、今のあたしは相対的な18歳の学生にしてはあまりに乏しい学力なのである。ここでまたゲームを認めてしまえば、早期更生計画は元の木阿弥だろう。

 そもそも、あたしは肉体の加療(かりょう)すら十分でないし、母は大瀬崎家について何も知らないのだから。

 さりとて、あたしにも引く気はなかった。

 

「それでもっ!! 行かなきゃ一生後悔する!!」

「…………ハァ。聞かない子ね、あなたも……」

「母さん……信じて。……信じてくれなきゃ死んでも行く」

「まったく、今のなんてスゴくお父さんみたいな言い方。……やれやれ、どこで育て方を間違えたのやら」

「でも御門女家の家訓でしょ? 『ダメでもいい。チャレンジしろ』」

「こら、揚げ足取らないの」

 

 あたしだけではなく、彼を待つ多くの人のためにも、なんとしても手掛かりを掴みたい。

 粘りに粘ったあたしは、最終的にALOソフトを持つ男友達――そんな人はいないが――の家に泊まり込んででもログインしてやる、などと脅し、とうとう母はその決意に折れてくれた。

 去り際に「いつかそんな日が来るとは思ってたけど……」なんて言っていたが、まったくそれなら早く認めて欲しいものである。

 そうこう受難(じゅなん)もありつつ、夕食をとり終えた夜6時50分。

 

「(ふぅ……やっとだ。ちょっと落ち着いてきた……)」

 

 冷静さも戻った。いつの間にかメンテも終わっていたようで、あたしとシズは三度(みたび)ベッドに横たわる。どうやら『やっておきたいこと』があるらしく、密着するほどの距離には寝間着姿のシズが。この年齢になってシングルベッドでの添い寝in姉妹は少々……いやさ、大いに恥ずかしかったが、しぶしぶ許しを出すとスターティングワードを口にした。

 かつて1万人を囚人たらしめた、とうに捨てたはずの魔法の言葉を。

 

『リンクスタート!』

 

 刹那、懐かしい浮遊感が襲ってきた。

 まぶたの血管から透き通る赤黒い照明が遠ざかり、次いで背中にかかる圧力が消え、不快な輻輳音(ふくそうおん)と共にとうとう色鮮やかな光の渦が視界一杯に広がる。

 ALOのタイトルロゴ、そして感覚接続完了のメッセージ。

 接続料は姉のアミュスフィアで一括払いしているはずだが、当の姉がなぜかあたしの()に課金したいらしく、電子マネーの支払方法は選択済みである。そしてパスワード付きのプレイヤーIDまで作成済みだったあたしは、基準調整ステップをスキップし、一気に名前の設定欄が眼前のパネルに浮かんだ。

 と同時にファーストガイドシークエンスに入ったらしく、『《アルヴヘイム・オンライン》の世界にようこそ!』という、ありきたりな文句から始まる世界観説明も開始された。

 ここでしばし悩む。この後に選択を迫られる《種族選択》では姉と同じ《風妖精(シルフ)》を選ぶつもりでいたのだが、その領土にある主街区というのが《翡翠の都》スイルベーンなる名称らしく、長らく使用した自分の名がすでに誰かに使われているだろうと考えたからだ。

 しかしそれは杞憂(きゆう)だった。

 オンライン上での設定名の重複は問題ないらしく、識別はすべてプレイヤーIDでのみなされているらしい。

 そしてカーソル横に表示されるそのIDもデフォルトでは不可視モードで、設定を変えない限り『自分の口で名乗った名前』がそのまま通念的な名前になるようである。ここだけ切り取れば、SAOの仕様に比べさらに強くプライバシーを保護していると言える。

 

「(まあ、それなら『ヒスイ』っと。……へぇ~、アバターはランダム生成なんだ。まいっか、どうせ別人ならどんな人でも。性別女、種族は~……これか、シルフって。9種もあるとか多いよ。あとは……)」

 

 やんやかんやと聞いてくる初期設定をひとしきり終えると、待ちに待った《アルヴヘイム・オンライン》が始まった。

 胸の前で展開されていたパネルが消失すると、『それでは夢と希望に満ちた空の旅をお楽しみください。幸運を!』という締めのお言葉。真っ黒な空間がサッと晴れていき、足裏にもしっかりとした重力を感じる。

 そして待つこと数秒、とうとう仮想世界に降り立った。

 

「(わ……すっご。グラとかあそこ(・・・)と同レべじゃん!)」

 

 いったいどれだけの画素数とデータ量で再現しているのか。まるで現実と遜色(そんしょく)のない質感と臨場感。

 続いて、ドットのキメが細かい、白く塗装された建物が同時にいくつも目に入る。ログインや死に戻りが珍しくないのか視線こそ感じなかったが、もちろん多様な姿をした多くのユーザが闊歩する。

 しかも疑似人体を操作している違和感がほとんどない。かの浮遊城で感動した感覚フィードバックとグラフィックは、限りなく近い形でこの世界に継承されているらしい。

 

「んー……」

 

 改めてグルッと見渡すと、あたしが立っているのは(みどり)が綺麗な小塔と、植樹されたような人工緑化の小路(こみち)が散見される街の一角だった。

 SAOにあったどんな街とも違う。これだけでワクワクしてしまう。

 少し奥には、屋根から落下すれば即死しそうなマンション並みの建造物がいくつも見え、どこからともなく芳醇(ほうじゅん)な香辛料の香りと撫でるようなハープの音が漂う。食事を大体的に娯楽として提供している以上、少なくとも街で口にできる食事に与えられた味覚エンジンは、向こう――すなわちSAOよりも豊富かつ高水準に違いない。

 そしてニュービー用なのか、全身がくまなく反射される大きな黒い窓が、横長の長方形になっている区画を発見した。幅は20メートル近くある。

 

「(ほほう、これでアバターを確認しろと……)」

 

 歩きづらい名称不明の靴でコツコツ石段を歩いて渡ると、あたしはシズのことも忘れ黒窓に反射する全身をチェックした。

 やたら金髪やら碧髪やらが多いとは思っていたが、どうもそれは仕様らしく、自分も金に染まる前髪は随分と長い。手つかず(ノーメイク)よりはオシャレなはずなのにモサッとした印象が強く、(ほお)の辺りもややふっくらしているようである。耳が長くなければ及第点なのだが、何にしても昔日(せきじつ)の面影はない。

 まあ、なんにせよランダム生成のアバターに文句を言っても仕方がない。問題は彼に会った際、あたしに気づいてくれるかという点だろう。こちらも彼の現在の姿を知らないので、それらしい姿をした人を見つけ次第声をかけていくしかあるまい。

 シズは最終セーブポイントの宿から来ると言っていたし……、

 

「(むむぅ、あっちがフィールドかな?)」

「こらこらそこのキミ、ミカを置いてどこへ行く」

「うわっ、上から……え、ミカってことはミカド!? わあ、飛ぶとこんなに速いんだね。ていうか、それがアバターなの!?」

「むっふっふ、まーね。どう、カワイイでしょう?」

「うっ……確かに。聞いた時の印象以上かも」

 

 ALOでの絶景シーンの写真はいくつか見たがアバターは初見である。アダルト雑誌の表紙でも飾ろうかという煽情的なポーズには頭痛を禁じえなかったが、まさかのサマになっている姿を見るに口をつぐむ他なかった。

 控えめに言って、超可愛い。

 スリーサイズは現実のそれと変わらないように見える。つまり出るところは出ている。しかし顔の輪郭が別人もいいところで、アゴのとがり方なんて完全にアニメの世界である。

 ざっくりと乱れるミディアムヘアもやり手のアマゾネス然としていて、大胆にも前髪はザク切りのパンクアップ。モンスターを狩りに行くのか異性を狩りに行くのか判別しにくいビキニアーマーだったが、それがまた程よい筋肉を引き立てている。これがイマドキ流行(はや)りのJDスタイルなのだろうか。

 戦場に出る際は性別バレさせないよう、バイザー付きヘルメットと軽めの鎧を着こむようだが、いずれにしてもあたしのアバターに性的魅力で敵いそうな点は見つかりそうにない。装備のレアリティから考えて実力も遠く及ばないだろうが。

 しかしアバターの話もほどほどに、飛行の練習でもしようかと提案する矢先だった。

 

「なんかカワイくない……」

 

 なんて言い出したのである。アリーシャが駄々をこねだす前兆に似て、非常にメンドーな予感である。

 

「……え、誰が」

「そーりゃもうレイちゃんに決まってるでしょう! なにそのモサい人! ミカとパーティ組む人がそれはないよぉ~」

「そうはいってもシ……ミカド、これ選べないから。あとこっちではちゃんとヒスイって呼んでね」

「じゃあこっちでは『ミカちゃん』って呼んで。じゃないとレクチャーしないから」

「ぐっ……」

「ちな『ミカりん』、『ミカっち』でも可」

 

 その後も姉をなだめるように言ったつもりだったが、本人にとってそれこそ気分を害する行為だったらしく、「こんなこともあろうかと準備したんだもん! ほらサクッとアバター変えるよ!」などと言って、左手で開いたメインメニューにある『アバターショップ』なる欄からゲームへの課金まで迫ってきた。

 開始早々課金とは。

 どうもお金をつぎ込めばつぎ込むほどバリエーションのある疑似肉体が手に入るようで、これは仮想通貨、ここでいう《ユルド》硬貨では代用できないらしい。

 昔から思っていたが、このいわゆるガチャ制度は人の射幸心を意図的に刺激するギャンブルの新しい形なのだろう。「自分だけは特別豪運!」なんてのたまう姉のようなタイプは特にハマりやすい。ゆえに最近ではソーシャルゲームも含め、これらの集金法を禁止する制度が立てられつつあるとか、ないとか。少なくとも現時点で公正な確立表記はされているようだ。

 まあ、姉もこれを見越して課金態勢を整えてくれたのである。せっかくなので試してみるとしよう。

 

「え~と、○○○、×××……と。これで振り込めたのかな? ……あ、選択肢出た。じゃちょっと変えてくるね」

「うん。ミカはここで待ってるから」

 

 そう言ってボタンを押すとあたしの体はまた光に包まれて、スターティングエリアに戻された。ここでまるっと体ごとチェンジしてから、またオンラインにログインし直すというシステムなのか。しかし広場に戻ったあたしはまたしても、「あ、チェンジで」の一言でダメ出しをくらってしまった。

 ――デリヘルじゃないんだから……。

 今回は幽霊でよく見る『貞子(さだこ)』の髪を金に染めて目を大きくプリティにした感じだったが、確かに先ほどのものと比べても一長一短である。好みは人によるだろう。

 どうやら姉の合格ハードルは思っていたよりも高いらしい。その次も、次の次も、首を縦には振らなかったからだ。

 しかし課金額は5千円で、最レアアバターガチャ、つまり今あたしが引いているそれは1回につき500円相当。あっという間にチャンスは残り1回となってしまった。

 だが時間もないことだし、これでだめなら諦めてもらおうと考えた直後、思いがけないことが起きた。

 

「うっ、うおぉぉおおおおお!? うっそぉ!? ぎぎ、銀髪アバターじゃん!! 今やってるイベント中にしか手に入らないやつ!!」

「す、すごいの……?」

「すごいどころか、超すごいよ!! 激レアだよッ!!」

 

 なんて言うものだから、気になってしまうのは人間のサガ。半分以上まんざらでもない気持ちで窓型の姿見(すがたみ)に駆け寄ってしまった。

 果たして目に飛び込んできたのは、今までの没個性とは似ても似つかない濃いキャラクターだった。

 とにかく眩しいぐらいの銀髪がきめ細かく、非常に長い。腰下ぐらいはあるだろうか。毛先は妙にクセっ毛も強く、重量および当たり判定が設定されていないのか頭皮を引っ張られる感覚こそないものの、その節々にはペールグリ-ンのメッシュが入り、左側だけはサイドポニーになっているようだ。光沢のあるユレーライトのピアスが相乗し、よりパンクな仕上がりになっている。

 顔のメイクアップはある程度自由だそうだが、それが不要なほど整った鼻梁(びりょう)と口もと。目つきだけは気持ち険しい気もしたが、意外にも長耳にはぴったりである。ここもノーチェンでいいだろう。虹彩(こうさい)がエスニックなセルリアンブルーというのもポイントが高い。惜しむらくは初期装備という味気無さだが、これも姉の財力があとで解決してくれる。

 身長も申し分なく、バランスの良い等身も男心を掴めるよう入念に調査された努力が(うかが)える。姉のそれが同じであるように、レア物は大抵モデル体型なのか。

 ただし女性にとって重要なアピールポイントだけは現実以上の絶壁。まな板。もはや首から下だけ痩せた男性。

 わざわざ仮想界で劣等感を突きつけなくてもいいだろうに。

 しかし、何となく長身痩躯なアバターが手に入ったことだしシズもさぞかし満悦だろう……という期待は、すぐ裏切られることになる。

 

「いいなぁーそれ! 樋口さんたった1枚で出るとかいいなぁー!!」

「たった1枚て……ソフトもう1本買えるじゃないこれ」

 

 さすがバイト代をほぼ全額貯金に回せている人間の言うことは違う。うまい生き方だ。

 もっとも、彼女曰く「働けないレイちゃんのために貯めたの! これはレイちゃんの分だよ!」らしいので、悪い気はしないが。

 

「そういう問題じゃないの! ああもうダメ、やっぱ交換しよレイちゃん! 静の方が大事に長く使うから!!」

「ちょっとちょっと名前ヤバいって! それにステータスまでは変えられないんだから諦めなってば、もう……」

 

 そうこうしてどちらが年上かわからない聞き分けのない姉をなだめると、今度こそあたし達は新天地を探索し始めた。

 もっとも付近にジェイドらしき人物の姿はなく、そもそも彼の容姿がどうなのかも判明していない。加えて遭遇場所が隣の領土との境目という、言わば競争の最前線だと聞いたあたしは、まずは下準備をすることにした。

 これからフィールドに出て彼に会おうにも、出動するたびにデスルーラしていたらいつまでも近づけないだろうと考えたわけだ。幸い今回は心強い……まあ、ちょっとは頼りになるアドバイザーもいる。

 という経緯から、ヘタにネットを漁るより知識を蓄えたシズのアドバイスのもと、あたしは彼女の言うがまま軽金と布とを織り重ねたハイブリッドな鉄衣(てつい)を買い揃え、メインアームも味気ない《ロングソード》から、シルフの街を守る伝統騎士に贈答(ぞうとう)された――というゲームにおける設定の――上質な一振りを(こしら)えてもらった。

 おニューの体にしては重量がオーバー気味だったので盾は小さいものだったが、これでSAOに限りなく近い武装を整えることができたわけだ。ここでも(ユルド)は姉持ちである。

 さすがに全タダにはしてもらえなかったが、ワガママに何度か付き合えば帳消しにしてくれるのだとか。

 

「さて、だいぶ様になってきたね。いろいろありがと」

「か……カッコよすぎる。ヒスイちゃん、これミスコン上位も狙えるやつだよ! もうちょい露出高くして……興味ある!? ミスコン!!」

「これ以上露出て……ないない。ほらいい加減飛ぶ練習するよ! もう30分もたっちゃったんだから」

 

 それからようやく訓練場やら初級ダンジョンやらを訪れたあたし達は、1時間かけて新しい世界の法則を学び始めた。それは空戦、魔法を含めた新戦術の学習だけでなく、長らく戦いを離れていたブランクを取り戻す作業でもあった。

 しかも、これがまた難しいのだ。

 聞き覚えのない言語ゆえにスペルの高速詠唱はもとより諦めていたが、狙っていた《随意飛行》は聞かされていた通りの難易度だった。

 10分ほどの練習で飛ぶコツは掴めてきたものの、空戦となると最低でも3日は練習期間が欲しい。

 

「(やっぱり思い通りにはいかないなぁ。あたし左利きなのに、スティックもメニュー・ウィンドウも左で展開とか辛すぎるんですけど……!!)」

 

 やはり必須テクというだけあって避けては通れまい。幸い近接戦の救済措置としてダメージ量は確保されているので、SAOでそれなりに身につけた剣術が生かせる間合いを作れるかがキモだろう。

 しかし飛行を含め、この世界で上位に食い込むプレイヤーの秀でた点はキャラクターレベルではない。

 あくまで知識と経験、そして武器を繰り出す個人の純粋な身体能力である。

 雌雄を分ける要因として、圧倒的にウェイトを占めた武装プライオリティや、例えば20もレベル差が開けばほとんど結果がひっくり返らなかったSAOとはここが決定的に違う。

 武器や防具も『どれそれが1番』という話ではなく、リーチ、重量、コスパ、ガード値やカテゴリ別の特徴を包括的に吟味し、本人に最もしっくり来たものこそが最良の愛刀となりうるのだ。言うまでもなく、戦場や狩るモンスターの種類によってさえ変動するだろう。

 そう言う意味では、あたしがショップで選んだ《ヴァルキリー騎士の剣》なるシンプルな直剣も、幾重にも使い続け、やがて体の一部のように馴染ませれば、最古参のプレイヤーとも十分以上に立ち回れるらしい。

 

「(服が重いから、盾は安価な《スモールレザー・シールド》になっちゃったけど。まあ盾受けを避けていなすように使えば、重量系もガー不可じゃないみたいだし……)」

 

 モヤモヤと考えつつ、初心者のスタートダッシュとしては上々らしい。

 姉も異性の部下から(みつ)がれすぎてユルドは余り気味だったらしいので、こういう時には本当に助けになる。しかし余り気味というのであれば、ほとぼりが冷めたら今日の貸しはなかったことにしてもらおう。おいしい汁は芯まで吸うのがあたし達姉妹の信条である。

 とそこで、いい汗を流した後に2人で談笑していると、色白の陽気な男性が話しかけてきた。しかも片眼鏡をかけたピンパーマで、陣羽織(じんばおり)一丁というラフさである。

 街の中はだいぶ緩和されているらしいが、それでもさすがに寒いだろうに。シズ同様、オプション変更で《体感温度精度》を最低にしているのだろうか。

 

「やあやあキミ達、こんばんは。ALOは初めてかな?」

「え、はいそうですけど。ああ、ミカドは……」

「ふむむ!」

「……ミカちゃんは結構長いです。1年ぐらい?」

「あーじゃあそっちの『ミカちゃん』はエントリーできないね~。ナッハハっ。というのもね、午後8時半に開催する、運営公認の《初心者応援エキシビション》っていう、プレイヤー同士の決闘式トーナメントがあるんだよ~。舞台もアプデで用意されたし、デスペナなしで全種族に戦い慣れしてもらおうっていう企画でね! この領土でもやってて、その枠が1人分空いてるのさ」

「対人トーナメント、ですか……?」

「あーあれね。ミカが始めたころはなかったやつだ」

「ま、隔週でやってるイベントみたいなモンです。どうです? スターターサービスで参加は無料! しかもノーリスクで実戦を経験できちゃうイベっすよぉ? 枠はあと1ぉつ! ナッハハハハ!」

 

 時間が惜しいあたしは決めあぐねたが、シズは2つ返事で了承してしまう。

 というのも、本当に怪しい勧誘の類ではなく、挑戦して損のない実質的なプレゼント企画らしいのだ。姉のハンコ付きなら安心である。

 

「よーしこれで16人だ。一応アカウント作成時から72時間超えで権利なくなっちゃうから、プレイログをチラ見させてくれないかな? レアモノのオネーサンは、装備はともかく話してる限り大丈夫そうだけど」

「それはどーも」

 

 暗に不慣れを見透かされたようで悔しかったけれど、これは事実なので仕方がない。

 あげく総プレイ時間を見るや否や、「わお、100分未満か! キミにはちょっと厳しかったかも、ゴメンね! ナハハハ!」なんて言われてしまったが、こちとらSAOサバイバーだ。本番では目にモノを見せてくれる。

 

「じゃあ会場はあそこに見える大きな宮殿の中なんで、時間迫ってるから待機の方お願いしますね」

「わかりました、すぐ行きます」

 

 食い気味であれこれ質問された後は、彼も急ぐように会場の裏側の方へ戻っていってしまった。ちなみに彼が指さした施設の名は《ゴルコッサム蒼宮殿》というらしい。

 それを見届け、歩きながらシズがグチをこぼす。

 

「やーしっかし多いね相変らず。なんぼトップ2勢力と言ってもリリースから1年のゲームだよぉ? 新規の人はイベントに合わせてるのかな? ヒスイちゃんも気をつけなよ。もしかしたらすぐ負けちゃうかも」

「そんなことないから! だいたいさっき聞いたところだと、初心者に配慮して飛行禁止らしいじゃない? 最長で3日プレイしてる人も、まさか今のあたしぐらい強い装備は着てないでしょう」

「わからんよ~、しかも武器がさ……《ヴァル剣》は《片手直剣》スキルの熟練度が高くなってから真価が発揮されるタイプだからね。ぶっちゃけ初期装備よりはマシ程度だし、盾の《スモールレザー》に至っては……ああそれと、ここらは簡単なクエストしか受注できない初級のメイン通りだけど、見える限りでも無難な装備の人多いよ。たぶんバックにハイランカーついてるのはヒスイちゃんだけじゃないのかも」

「ま、まあ大丈夫だって! 何とかなるから!」

「あと《アミュスフィア》複数台持ちの、『新アカ作って他種族楽しみたい勢』とかね。バック以前に、元から本人が超強い可能性もあるよ?」

「……だ、だ~いじょーぶだってぇ……」

 

 《ヴァルキリー騎士の剣》が最序盤のショップで手に入るくせにトップ勢と張り合える、というロジックを密かに納得しつつも、確かに少し不安になってきた。

 もちろん姉を恨んでいるのではない。強化後前提の性能を聞き、試し振りをして、最終的に相棒となる剣を決めたのは間違いなくあたしである。

 問題は別のところ。

 なにせ、あたしはこの世界の魔法について致命的なほど疎い。強力な風魔法でなければ、《風属性魔法》スキルの熟練度が初期値のまま覚えられるシルフにとって、このイベント狙いだった意識高めの参加者が魔法を習得していないはずがないだろう。

 対して、あたしがALOへ参加したのはわずか100分前。

 

「(さっきシズと練習してる時は、初めから使える魔法を試してみたけど……なによ『古代ノルド語』って! あんなの戦闘中に唱えられるわけないじゃない……っ!!)」

 

 一応今のあたしでも、《斬波(スラッシャー)》と呼ばれる剣戟の軌跡をなぞった衝撃波を乗せる技と、《銀の遮蔽(シルバーヴェール)》と呼ばれる四方4メートルぐらいの風の障壁を展開する技、また光属性の《体力回復(ヒールバイタル)》なら使うことができる。

 しかし難解な単語がネックで、燃費を考慮したマナポイント管理もできないのだ。

 加えてシルフの魔力(MGI)、および智力(INT)の成長補正はB、すなわち純粋な魔力量とスロットにセットできる《魔導書》のレパートリーは他種族に比べ非凡の才を持つ。対人トーナメントの報酬目当てのガチ勢は、3日分のアドバンテージがあるので、これは無視できないだろう。

 

「(どうせなら、魔法全部禁止にしてくれれば良いのに……)」

 

 そうこう考えているうちに宮殿へ到着。

 名も知れぬ鋼材が白く光を反射し、エンタシスに象られた石柱がきっちり並んで屋根を支える、装飾豊かな立派な瓊台(けいだい)である。

 下部の隙間は木片を削って埋めているようで、ここがデザイナーのこだわりだったのだろう。掲揚旗(けいようき)を上から下まで伸ばしたような暖簾(のれん)をくぐると、それをエリアの区切りとしているのか暖房の効いた空気が充満していた。

 会場は相当な広さだ。直径1メートルはある支柱が身廊の間(クワイヤ)まで無数に続き、天井には頑丈そうな(はり)がシンメトリカルにアートを(えが)いている。

 こうした施設に常備される特徴的な鐘楼こそないが、姉の情報によると内装のモデルはプラハにある聖ヴィート大聖堂だとか。いったい何神を信仰しているのかはわからないが、奥には拝殿所も設けられていた。はて、日本に敬虔(けいけん)な信者はあまりいないと思われるが……。

 吹き抜けのショッピングモールより壮大で、外国の文化遺産に迷い込んだかのような全景に圧倒されつつも、薄い黒大理石に擬態するトーナメント表掲示用の巨大な電子盤へ歩を進めた。

 珍しく女性2人組、しかも揃ってレアアバターの登場で少々視線を集めてしまったが、あたし達とて場内の熱気に驚いているところである。

 

「お、さっそく順番出てるみたいだよ。ヒスイちゃんドコかな」

「ん~……後ろの方だね。でもエントリー順じゃないみたい、ほら」

「あホントだ。あれは『ボゥレーゼ_RTA』さんだよね? 最終組の人。ギルドマスターをやってる知り合いのギルドが、おとといリアル友達を入れたって言ってたけど、もしかしたらその人かも」

「うあっ、そういうのヤだな。組織が勝たそうとしてるんじゃあ……」

「まー普通に優勝候補だろうね~」

 

 1回戦目を勝ち上がった時点で強敵と当たるという事実にややげんなりしつつ、最終組1歩手前だったことはまさしく棚ぼただった。これなら最低6回は人の戦いを観戦できる。

 それに本大会の優勝賞品は、自由にビルドへ割り振れるスキルポイントがヤケクソのように多く、おまけにレアな《魔導書》付きときている。意地でも取りに行かねば。

 

「結構盛り上がってるね。今この施設にいる人は、半分ぐらいこれ狙いなのかも」

「魔法とかちゃんとイメトレしときなよー。ノルド語もさ、ようは反復がモノを言うから。相手の不意をつけたりできるし、戦術の幅も広がるよ?」

「んん~……魔法ね~……ま、考えとく」

 

 なんて話しているうちに規定の時間へ。用意された舞台ではさっそく1on1による決闘が始まろうとしていた。客席とは別の部屋から1メートルはある段差で区切られた、四方20メートルほどの白いフィールドに2名のプレイヤーが歩み寄る。

 MCによる紹介が終わると早くも戦いは開始された。

 疑似的な体を操る術に長けていない様子を見るに、どうやら1回戦目はお互い本当に初心者らしい。剣術どころか至る所で動作に違和感が残り、さらに戦士になり切ることを恥ずかしがっているようにも見える。

 しかし、時間切れのHP残量差で決まった初戦と違い、2戦目は打って変わってハイレベルだった。

 ごく簡単なものだけだったが、スペルを唱え合う正真正銘の魔法戦。システム外スキルとも言えない暗誦(レジテーション)――つまりスペルを空で覚えること――は当然で、《遅延詠唱(ディレイ・チャント)》と呼ばれる時間差攻撃の高等テクまで駆使した読み合いは見事と称する他なく、対人の奥行きが一気に深まった感じだ。

 まだこの目で見たわけではないが、これが空戦、集団戦ともなればさらに指揮官の価値も高まるのだろう。まさにシズがその立場で、実力と容姿に加えてちゃっかり領袖(りょうしゅう)の気質まで備えているのだから侮れない。

 そして、そんな人達に今から追いつこうとしているのだ。しかもただ追いつくのではなく、ごく短い期間で。

 だからこそ、あたしは1試合ずつを入念に焼き付けた。

 

「(最大HPが少ないから、試合自体はすぐ終わっちゃうんだ。……じゃあ、確かに気は抜けないかな。油断すると一瞬で……)」

 

 6試合目が終了し、とうとうあたしの番が来た。

 今さらながら想像を絶するほどの緊張感に襲われ、ブルッと体が震える。ライブビューイングでもしているのか、古い型のカメラに向かって実況者がプレイヤーネームを呼ぶなか、あたしは石段を進んでポストも金網もない闘技場へ進入する。

 珍しい容姿に反応したのか、同時におおっ!! という歓声も聞こえてきたが、緊張ゆえに優越感に浸る余裕さえない。

 練習と同じように、隙があれば魔法も視野に、といった姉による大声のアドバイスが嫌に耳に残った。

 

「(見てる人相当多いな。ライブ中継とかも聞いてなかったし……)」

「ねぇキミ、ヒスイちゃんっていうの? よろしくね」

「……よろしくお願いします」

 

 意外にも対峙する相手に話しかけられた。

 しかし後に続く言葉で、それが友好を示すものではないことを悟った。

 

「かわいーねそのカッコウ。ミスコンと会場間違えたの? ……でも、冷やかしは困るんだよね。手加減はするつもりだけど、痛かったらごめんよ。こっちは商品狙いなんだ」

「…………」

 

 女性と見るや弱者と断定するのは世の常なのだろうか。もっとも相手を見くびる理由としては、彼の持つ得物のレア度と、戦いによって残ったままの盾の傷が物語っている。

 きっと彼はあたしを見ていない。意識はとっくに次の試合、すなわち例の優勝候補さんとの戦いに向いているのだろう。

 そう確信すると、心のどこかに残留する強張りが一気に抜け落ちた。

 相手がその気なら容赦はしない。

 

「ご配慮どーも。じゃあ、こっちも本気で行くから」

 

 余裕が生まれ、むしろ笑顔になって剣を構えると、司会者席では場違いな撞木(しゅもく)によって鐘が鳴らされる。

 記念すべき、ALO初の対人戦が幕を開けるのだった。

 

 

 

 


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