SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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アナザーロード12 復活の反射剣

西暦2025年1月12日 《ゴルコッサム蒼宮殿》、公式トーナメント会場。

 

 相手の安い挑発とほとんど時を同じくして、審判から試合開始の号令もかかる。しかし構えはしたものの、対戦相手の男性は言葉以上に積極的ではなかった。

 

「しっかし女性相手はやり辛い。これでも多くの人に映されてるんだ、悲鳴とかは勘弁してくれな」

「あら、あいにくあたしも優勝狙いよ。あんまり上ばかり見て、自分が足元掬われないようにね」

「……そういえばキミ、装備はいいな。他の種族で長くやってたスパイか、パトロンでもいるの?」

「ここでは2時間未満。……友達が1人よ」

「あっそう。聞くだけ無駄だったね」

 

 ここでようやく刀使いの男が踏み込んできた。

 その速度はあたしが想像するよりもずっと速く、その剣先がわずかに銀髪を撫でた。

 ザッ、ザッ、と慌ててバックステップで距離を取るも、足場の後ろはもう場外ゾーン。このトーナメントでは場外でも即終了だ。一切の回復手段も封じているあたり、イベントの進行速度を気にしているのだろう。

 確かにダラダラと膠着(こうちゃく)した試合を映しても視聴者がなえてしまう。なにせ試合総数は15もあるのだ。

 

「(ヤバかった~……)……やっぱり鈍ってるかな。それにここ狭いッ!!」

「く……ッ!?」

 

 反転攻勢に出たあたしは、とりあえず《ヴァル剣》こと《ヴァルキリー騎士の剣》ことをブンブン振り回してみたが、そのスピードは相手にとっても想定外だったようだ。

 切っ先に感じる微かな手ごたえ。盾で受け損ねた一撃が、(もも)の辺りに赤い斬痕を残す。

 先手を取った。それでもなお攻撃の手は緩めなかった。

 短く空気を吐くと、左から水平に下段攻めを繰り返す。

 されど相手も口だけの小物ではなく、難なく速度域で並ぶとむしろ盾を使った波状攻撃を繰り出してくる。

 やがて剣戟は拮抗し、スパートがかかっていく。火花を飛ばすほどの打ち合いに発展すると、弾かれた反動からお互いが飛びずさった。

 すると観客のボルテージはいよいよ最高潮となる。決着が一瞬だという見識(けんしき)だった外野からは、驚嘆と拍手の音が広がっていた。速攻で畳みかける計画が結構いい勝負をしてしまっているものの、冷やかしで来るなと罵声を飛ばしたり、今度は裏返った声で応援したりと忙しい人達だ。

 

「ハァ……こ、これはスゴイ。本気で振っても当たんないや……ハァ……ハハッ、見事にだまされたよ。ALO経験者だよね、キミ!」

「だから2時間だって!」

「ゼッタイ嘘だ!!」

 

 再び踏み込む。

 今度はより鋭く、甲冑ごと抉るように。

 

「くっ、こいつ!?」

 

 ほとんど打撃に近い連撃を前に相手は初めてたじろいだ。剣と盾でどうにかいなし続けるも、すぐにフィールドの後がなくなってしまう。

 場外までほんの少し……、

 しかし『場外へ押し出して勝利しよう』なんて、そのわずかな集中切れが悪かった。

 

「ナメんな、このっ!!」

「ぐ、ぅッ!?」

 

 もはやプライドも捨てたような相手の飛び膝蹴りに素の叫び声をあげてしまい、男はまんまと外周沿いにヨタヨタと走り逃げた。

 男性に激しいブーイングが送られるも、これで仕切り直し。

 おまけに初めからショップで買い込んでおいたのか、インベントリから山吹色の麻袋をオブジェクト化していたのだ。

 「爆弾だよ、それ!!」という姉の声を聞くよりも早く、あたしは追撃を中止して急速反転して距離を取る。

 直後、宮殿の端まで届くほどけたたましい音が連続して鳴り響いた。

 体が宙を浮くほどの衝撃と、ついでに発火光と煙で視界まで遮られる。確かに禁止されているのは飛行と回復行為のみではあるが、いくらなんでもこれは(こす)いだろう。剣と剣のぶつかり合いをご所望の視聴者は多いはずだし、第一これでは戦場が見えなくなる。

 しかしあたしはゴホゴホと咳をしながら一瞬でそこまで考えると、次いで自分の愚かさを恥じた。

 これは浮かれていたことへの洗礼である。

 この世界にもやはり、手段や形式を問わず勝利こそ是とするプレイヤーはたくさんいる。その常識に2年間浸かってきたのが『ヒスイ』であり、SAOを生き抜いた自分ではなかったのか。そしてその人物は、相手の戦術にいちいちケチをつける小さい人間だったのか。

 

「(何してるんだか、あたしは……)」

 

 残りのHPすら視界に入らないまま、ドス黒い戦意が頭をもたげてくる。

 当然、答えは否だ。

 《反射(リフレクション)》スキルが使えないから、なんて言い訳をしている場合ではない。

 先ほどまではどこかで『御門女 玲奈(みかどめ れいな)』が、ゲームの延長として騎士のコスプレでもしていたのだろう。

 肉親がすぐそばにいるからと、一種の冷酷な女戦士を隠そうとしていた。新しいアバターだから弱くて当たり前だと、かつてのヒスイと切り離して予防線ありきの低い視線で認識していたのだ。

 伏せていた顔を上げ、あたしはまたしても体裁を捨てた。

 か弱い少女ではない。守られる弱者でもない。あの男に釣り合えるよう、心を磨き、神経を研ぎ澄ました戦士へと。

 あたしは即座に体の向きを変えると、《スモールレザー・シールド》を腰だめに低く構え、軽く息を吐いてブンッ!! と真横に一気に振り抜いた。

 眼前には、策がキマってハイになった敵影。

 

「っしゃ、もらいィ!!」

 

 同時にガッヂィィンッ!! と甲高い金属音が反響。

 直後には、奇声を放つ男の手から刀だけが吹っ飛んでいた。

 一切の言葉を発することなく、ほとんど反射的に自分の得物をカウンター気味にゾブン!! と胴へ差し込む。

 刀の(つば)を盾の中心で捉えて逆ベクトルに弾き返す武器防御の応用術、《弾きパリィ》がこの上なく綺麗に決まった瞬間だった。

 煙に紛れた奇襲を完全に見切られただけでなく、相手は腹部を貫通する直剣を後追いでしか確認できていない。どころか、急減するHPや逃げることも忘れ、「えっ……?」と放心状態で立ちつくしていた。

 無論これで終わりではない。かける言葉もない。

 トドメを刺すべく、あたしは気合と共に剣を引き抜いた。

 男の絶叫すら無視し、逃げようとする敵のひざ裏を蹴って地に倒すと、側頭部を連続で蹴り飛ばして完全に這いつくばらせる。

 

「ガ、ァ……そんっな……ッ!?」

「セアァアアアっ!!」

 

 閃光もかくやといった軌跡が図体を幾度となく斬り刻み、やがて連撃のさなかに決着がついた。

 ブザー音が鳴るころには、大差をつけて敗北した男の刀と残り火(リメインライト)だけが捨て置かれる。

 一拍遅れ、会場には今日1番の拍手が巻き起こった。

 深く息を吐き、納刀。肩で呼吸をする自分が思っていた以上に疲弊(ひへい)していることを自覚すると、久方ぶりに味わった実戦を反芻(はんすう)し、反省しながら無言でその場を去った。

 客席――と言っても上層階の渡りなどから各々勝手に観戦しているが――よりほど近い待ち合い場では、シズが嬉しそうに出迎える。

 

「やったじゃん、まずは勝ち星! 最後スゴかったね!」

「爆発はカンだよ。似たようなのがSAOにもあったから」

「んーん、そっちじゃなくて。弾きパリィもタイミングがドンピシャなら剣がすっぽ抜けるって言われてたけど、生でソレ見るのは本当に久しぶりだったよ」

「むむ~……あれも半分カンだったんだけど。……これじゃあダメだよね、全然……もっと……もっと強くならなきゃ……」

「ヒスイちゃん……?」

 

 対戦相手に対し「相手を見ていない」なんて言っておきながら、実のところ自分も同じ穴の(むじな)だったわけだ。

 正直、どうせ楽に片が付くとタカをくくっていた。

 2年の激戦に耐え、そこで獲得した剣技に裏打ちされた揺るぎなき勝算。1度として死なず、数えきれないほどの大型ボスを屠ってきたという絶対的な経験量。これだけ()が揃えば、どこの馬の骨とも知らないあんな男なんて、よそ事を考えながら手を抜いても勝てるだろう、と。

 しかしこれは(おご)りだと痛感させられた。2ヵ月のブランクを甘く見ていた。

 リアル、VRを問わず今のあたしは多分に漏れず無力だ。

 ジェイドがこの世界に囚われているかもしれないと直感した時、即座にルガトリオ、ならぬ井上君に連絡をしてみたものの、彼の家族はVRゲームを金輪際やらせない方針を取っているらしい。

 警察でさえ、遠回しに「子供の推測では動けない」と回答した。そしてそれらの辛辣な対応に対し、あたしはどうにもできなかったのだから。

 

「(有頂天になって、なにを勘違いしていたんだろう……一から学び直さないと。必要なのは経験と知識……初心に返って……)」

 

 少なくとも、このソフトは1年前にリリースしている。ゲーム業界の目線で言えば、はるか過去のタイトルである。

 あたしが経験したのはあくまで別ゲー。ナンバリングタイトルですらない。FPSでも種類が変わればプロでも差が出るし、すべての対人要素はプレイヤーの経験値がものをいう。

 高レベルや強武器も、概念ごとすでに存在しないのだ。根本的に思考を変えて、あたしは対人のイロハを姉に聞き直した。

 死ねば『死ぬ』ゲームでなくとも、かつての《反射剣》ほどの力強さがなくても、絶対に勝つ。勝って仮説を証明する。引き裂かれたままだった彼との現状を変えるために。

 

「……何から何までありがとね、シズ」

「これぐらいお安い御用だよ。……2年も前からこうしたかったんだから」

「ふふっ……代わりと言ってはなんだけど、次も勝つよ。だってこの世界にはあいつがいるんだもん。絶対に……だから、ね……」

 

 伝える決心が付いた。

 あえて聞かないようにしてくれていた姉に、あたしはここに来てようやく事実を伝えた。運営公認イベントとやらの時期に重なる不審なプレイヤーの登場と、今までに繋がった断片的なピースを、すべて。

 それは、真の意味でこの世界で戦う意思が根付いた瞬間だった。

 

 

 

  ◇    ◇   ◇

 

 

 

 ふと自会場の外に視線を寄越すと、そう言えばALOの時間の進みは16時間周期と聞いていたのに今は現実と同じ夜間だな、なんて考えてしまう。

 しばらく話し込んでから次戦での作戦まで決めると、あたしは《スターター・エディション》トーナメント2回戦を目前にしていた。

 対戦相手の名は『ボゥレーゼ_RTA』。こちらも男性で、姉曰く知り合いの中規模ギルド長が他のVRゲームから引っ張ってきたフレンドさんらしいのだが、ゆえに武器も防具も他の参加者とは一線を画し、この大会に挑む意気込みの強さを体現していた。

 もとは高難易度ゲーのRTA、すなわち時間を測った最速攻略を生業(なりわい)にする大手の動画投稿者さんで、数知れず記録を打ち立てたベテランの中でも金字塔たる人物らしい。効率厨(・・・)が誉め言葉になる彼も、1日12時間以上におよぶ連続ダイブによってこの3日間でかなり鍛え上げられたとのことだ。先ほどMCの方が声高らかに宣言し、観客を失笑と共に湧かせていたところである。

 しかし2回戦でいきなり優勝候補と当たるとは運がない。

 初戦の相手も十分にVR慣れはしていたようだが、こうも潤沢なバックアップ体制は築いていなかったはずだ。

 そうこうしていると、壇上に上がった彼が話しかけてきた。

 

「1回戦目、見ましたよ。見事なパリィでした」

「……どうも」

「ゲームがボタン式だった頃は2D格ゲー、アクションゲーに限らず割とポピュラーな戦術だったんですよ。けど最近じゃあメッタに見られません。なにせ剣を習った人なんてそうはいませんし、失敗したら自分にカウンター判定のダメージですからね。よほど経験差がある人の魅せプレイと化しています」

「へぇーそうなんですか。マグレだったので……」

「いや、違いますよね。そうそう騙されませんよ」

 

 適当に答えて流すつもりだったが、まさか否定されるとは思っていなかったので今一度彼を見返してしまった。

 さすがに自信ありきのプレイ動画をアップするだけあって堂々としている。しかも、彼もある程度課金したのか、いいビジュアルでいい肉体をしていた。やや身長は低めだが、戦冑には凝った金のギルドエンブレム意匠があしらわれ、エメラルドグリーンの装備が全体的に似合っていた。ピンパーマ調の乱れセミロングにもよく映えている。

 積み重ねてきたものの絶対量を示す、それらから発せられるのは、確たる自負。

 高そうなブーツのつま先でコンコンと地を叩き、彼は続ける。

 

「あれはマグレじゃありません。どこかでモノ凄い練習をしたような……そう、美しさがありました。口説いてるんじゃないですよ? あの逆転と追い討ちには、肝を抜かされたんです。……でもだからこそ、あなたとは本気でやりたい」

「(やっかいな相手ね、ホント……)」

 

 人との競争をするうえで、金と時間さえ投げれば勝手に勝利が舞い込んでこないことをこの男は知っている。勝つべくして勝つ理屈を知っている。頂上を見据えながらも、あたしを倒すために手を抜くことはないだろう。

 

「じゃあせめて、出し惜しみはナシで行くわ」

「ありがとう。その方がこっちも気兼ねないですよ」

 

 そこまで話すと、審判が手を振り下ろし開始の合図がかかった。

 お互いに口をつぐんで抜刀。ジリッ、と間合いを取り合う。

 あたしがサウスポーだからこその警戒か、あるいは。

 相手の得物はまた日本刀だ。しかし今度の相手が得物に選んだそれは、標準的な太刀よりやや細長い。改めて全身の甲冑を見ると、戦国の武士のような装束(しょうぞく)に見え、これが彼の考える手を抜かないスタイルなのだろう。武士よろしく、左手にあるシールドも少し大きな籠手にしか見えない。

 先手はこちらだった。

 短く息を吐くと、深く肉薄し同時に左手を外から振り抜く。

 そのスピードにわずかに驚いた表情を見せるも、彼も自信を裏付ける努力は怠らなかったらしい。

 剣の芯でしっかりと受け止められ、直剣によるダメージは入らなかった。

 

「やるねっ、やっぱ!!」

「くッ……!?」

 

 今度は速力を殺されたあたしがラッシュをかけられた。反撃しようにもアタックレンジに劣るこちらは搦め手なしではギャンブルになりかねない。

  HPに余裕があればダメージレース、広いスペースがあれば間合いで圧をかけたいところだが、しかしHPを回復する行為や翅による飛行はルールで禁じられているのだ。

 そして武器のプライオリティに(たの)むこともできない。高級な中盾を潤沢な(コル)で強化しまくっていたSAOと今とでは、ここでも勝手が違ってくる。

 先ほど付け焼刃でスペルを暗記した《スラッシャー》の魔法を無理やり取り入れるか、もしくは……、

 

「(どっちにしても、もう受けきれない!!)」

 

 けれど、あたしにも策はあった。場慣れした敵にどれだけ有効かは定かではないが。

 

「(一か八か……)……スー・フィッラ・ヘイル・アウス……ッ!!」

「お、おいそれは!?」

 

 この瞬間、作戦はキマった。

 しかも敵どころか審判まで狼狽(うろた)えている。あと一句、いやあと二語でも唱えて回復魔法を完成させれば、あたしは呆気なく反則負けとなっただろう。

 慈悲は無用。鋭さを失った敵の剣筋を見切り、右の盾を力の限り叩きつけた。

 根元の辺りをガヂンッ!! と弾いた直後は、自分の直剣を敵の心臓部へ食い込ませる。生々しい音と感触が続くと、そのダメージはカウンター判定によって倍増した。

 くさっても最高級甲冑。一撃死とは至らなかったが、激しい絶叫をこだまさせる彼に連続して足払いまでかけると、転倒(タンブル)を誘発して畳みかけようとする。

 しかし寸でのところで回避されると、場外スレスレで武器を構え直されてしまった。

 たったそれだけで迂闊(うかつ)に動けなくなるから驚きである。

 

「ゼィ……クッソ、今のは……ゼィ……ズルいぞ!」

「ハァ……ずるい? ハァ……そんなの辞書にないから!」

 

 疾走直後に肉薄すると、めまぐるしい勢いでまた武器をぶつけあった。

 お互いに軽い牽制なら完全にダメージを遮断できる盾がある。その一点を突破できるか、そして守り切れるかの戦い。

 だが刹那の判断ミスで優勢は覆された。

 強烈な垂直斬りで相手の手から刀が滑り落ちる……つまり、剣をロストさせたものだと騙されたあたしは、相手の空いた右手に捕まれ、慣性の力を利用して払い腰の要領で投げ飛ばされてしまったのである。

 甲冑がかしましい音を立てるが、あたしはお構いなしにゴロゴロと転がり、脳天にヒット寸前だった刀の袈裟斬りは、体を(ひね)ることで胴を過ぎ、どうにか回避した。

 今のはギリギリだ。バストが少しでも大きければ……、

 「出た! 貧乳回避だ!!」なんて、失礼極まるジョークで会場を沸かせた野次馬は可能なら後でシメる(・・・)として、すでにアバターの各所には刀身の長さによって計り損ねた間合いから、ヒットを示す斬痕が赤く揺らめいている。

 それからも防戦一方だった。斬っては防がれ、斬られては防ぐ。パリィによる爆発的な攻撃力を警戒してか、相手も大振りは避けているようだ。

 

「(なんでよっ……こんなんじゃいつまでたっても!!)」

 

 知らず知らずのうちに歯ぎしりしていた。

 これ以上接戦をしてどうする。完膚なきまでの力量差で、手も足も出さないまま圧殺するという誓いはどうした。

 こんな……ところで……!!

 

「負けられるかァっ!!」

「な、あぁッ!?」

 

 もろもろの怒りゆえか。その瞬間、脳に電流のような衝撃が走った。

 あらゆる速度域がスローになって作り物の水晶体に映し出される。

 これまでに想像したことのない最高速すら超え、自らの肉体が地を駆け相手を完全に翻弄する明瞭なイメージが、弧を描く自分の機動とぴったり重なる。

 わずかな力で敵の体を通り越すと、一拍遅れた敵攻撃はまったくの無人空間を裂いていた。

 縮地法に近い移動で、すでに彼我の差は4メートル。

 ここからさらに反転して再加速。

 連続高速移動により、あたしはほとんど男の視界から消えるほどの速度で後ろを取った。

 

「セアァアアアア!!」

「ぐがぁあああああああああ!?」

 

 筋肉が軋むほど本気で直剣を振り抜く。

 ザグンッ!! と、クリティカルこそ避けられたが、首に攻撃受けたと理解した直後に相手は後退。振り向きざまに態勢を整えようとした。

 その顔面に向けて、あたしは盾をブン投げる。

 脳天に命中。

 高く跳ねるシールドを見てどよめく群衆を置き去りに、あたしはさらなるラッシュで敵の姿勢を崩した。

 尻もちをついて肩で息をする優勝候補の対戦相手に、ALOで今日初めて対人戦闘をした素人の女が首元に剣を突き付ける構図。

 数秒、会場は静寂が支配した。

 

「悪いわね。負けられないの……」

 

 空気を割るような爆音とともに、トドメの一撃によって勝負は決した。

 これで2勝。僅差ではあったものの、ギルド単位でサポートを受けていた男が、無名の少女を前に剣の戦いで敗れたのだ。彼の心中は察するに忍びない。

 番狂わせに場内がざわめく中、公式アカウントの無限復活魔法によって蘇生された男は、ブツブツと反省と小言を繰り返しながら退場していった。せっかく同じ種族なので、今の戦いで関係が悪くならなければいいが。

 とそこへ、自分のことのようにはしゃぐ姉が寄ってきた。

 

「すごい! てか怖いよヒスイちゃん! しかし『回復するフリ』とは考えたね~。思わずミカも叫んじゃったよ!」

「……奇策に頼った時点でしてやられた気分だわ。ま、もう同じ手は通用しないだろうけどね。……でも大丈夫。やっと思い出してきたよ、自分が1人の戦士だったってことを。戦ってくれたあの2人には感謝しないと」

 

 準決勝まで勝ち上がったあたしは、その後の戦闘でも盾受けカウンターを主軸に、時には突撃してインファイトで殴り勝つ戦いまで見せていた。

 結果は優勝。決勝戦に至っては瞬殺だった。

 実質的にはあの2回戦目が決勝だったのだろう。とは言え、残る2人が弱かったというより、あたしが本来の戦闘力を取り戻したことで相対的に差が開いたニュアンスだ。加速度的に強くなる姿に違和感を持つ者もいただろう。経験から得る成長とは明らかに違う、すでに持っている勝利への構図を思い出しているかのような成長速度。

 そういう側面では、あたしがこのトーナメントに出場することこそまさに反則だったわけか。

 なんにせよ表彰、リワード贈呈、閉会式がつつがなく終了すると、あたしは大量に得たスキルポイントをミカのアドバイス通りに振り分け、次なる戦場への準備を進めていた。

 しかしその様子を前に、ミカが心配そうに改まる。

 

「改めて優勝おめでとう。……なんていうか、ホント初ログインとは思えない適応力だね。これから行こうとしているダンジョンのボスだって、一応プレイヤーからは初心者の区切りみたいな扱いをされててさ。普通なら、最低でも1週間はみっちり慣らして挑むものなのに……10倍ぐらいの成長速度だよ」

「悠長な時間はないの。移動も全部《随意飛行》の練習に充てるよ。リワードで貰った風魔法の《魔導書》も早く使えるようにならないといけないし、他の魔法だって発音しながら頭に叩き込まないといけないんだから。ほら早く行こう!」

「ねえ、待ってヒスイちゃん」

 

 急かそうとするあたしに対し、シズはどこか懐疑的だった。

 彼女は申し訳なさそうに、それでいてはっきりとした疑問をぶつける。

 

「……これも『彼』のためなの? 言いたくなかったけど……やっぱり、どこかで仮想世界の生活に囚われてるだけじゃない? ……ずっと寝てる彼があの日(・・・)に何かしらあって、そしてこのアルヴヘイムから抜け出せないなんて……本当にそう思ってるの?」

「……思ってるよ。ここで探していればいつか絶対会える。でも、その前にやれることはみんなやっておかないと。言うでしょう? あらゆる奇跡は努力の必然だって」

「そりゃ、そうだけど……」

「じゃあやらなきゃ。やらない後悔は何の結果にも繋がらないから」

 

 都合のいい奇跡でも起こさなければ、彼には巡り合えない。とても低い確率だということは理解している。

 それでも、あたしに歩みを止める気はなかった。

 諦めなかったこそ、ログイン初日でもこうして飛躍的に強くなれたのだ。智の宝庫だって隣にいる。この調子なら数日後には大抵のプレイヤーと渡り合えるようになるだろう。元より機動力さえ確保していれば、あとは手数を補ういくつかの牽制魔法とフェイント術を交えた心理戦で、得意の近接に持ち込めばいいだけだった。こちらには2年間鍛えた剣術があるのだから。

 それに汎用性の高い防御系と索敵については味方を頼ればいい。魔法なきSAOと違って、まさか全員が剣や盾を装備しているはずもなく、このゲームではチーム戦、ギルド戦における役割分担がはっきりしているらしいのだ。

 ただし、あたしの早とちりはシズによって遮られた。

 

「あー待って、ちょっと待ってヒスイちゃん。気持ちはわかったから。……そこまで言うならミカも全力で応援するよ。今ね、インできそうなギルメンをスイルベーンに呼んでるところだから。一応このギルドはそれなりに強い人しか入れない規則だから、ミカの一存では決められないんだけど……」

「えっ、あたし入るつもりなかったよ? そこまで迷惑かけられないし、野良の人と組んで転々としようかなと……」

「プフッ、それこそ遅いって。ちょうどALOも正月イベ終わって、アバターガチャ関連だけだったからヒマしてたんだよ。毎日サラマンダーとやるのも疲れちゃうしね。新人の育成なら新鮮だし、みんな快く手伝ってくれると思うよ? ぶっちゃけその容姿だし」

「入れたら、でしょ? ん~……おけ、わかった。でもただの新人じゃ入れないんでしょ。何をすれば加入できるの?」

「んん~そうだネ~」

 

 10人構成の小ギルド《アズール・ドルフィンズ》。その紅一点にして女隊長でもある姉は、指に手を当てながら上空を見上げた。

 あたしもつられてそれに(なら)う。すると、フィールドに向かう途中だったあたし達めがけて、《水仙館》なる施設の方角からゆっくりと接近するプレイヤーが3人。いずれも軽装で、1人は金属武器を携帯すらしていなかった。

 彼女のギルドメンバーだろう。

 

「とりま、あの3人と戦ってもらおっかな?」

「もらおっかなって……今日トーナメントで戦った誰よりも強いんでしょう?」

「比べるのも失礼なぐらいね。だからこそだよん」

「なるほどねえ」

 

 面白い。入隊試験というわけか。

 見込んだ相手にはスパルタになれる、とは本人談だったが、どうやらそれは事実らしい。部下の彼らも大変だ。

 そろそろ半年近くパーティを更新していない――いたずらに拡大せずローカルに楽しみたい――らしいので、あまりショボい負け方をすると、きっとギルドへの参加に対し難色を示すプレイヤーも出てきてしまうだろう。

 しかしリターンは大きい。もしここで彼らの仲間になれれば、少なくとも部隊の平均武装に近づけるよう配慮ぐらいはしてくれるはずである。そうなればフィールドで自由に戦える範囲は広がるし、必然的に『彼ら』に遭える確率も上がる。

 そして、なり上がるには結果を出すしかないのだ。

 大きく深呼吸をすると、目の前にランディングした3人へ毅然(きぜん)と声をかけた。

 

「こんにちは、《アズドル》の皆さん。3人が入隊試験の相手ってことでいいのかしら?」

「ち、ちわっす。ミカドさんから聞いてます。キャラネームはシンっす」

「うあー、カッワイイ! ミカさん知り合いっすか? オレはサリバーン、よろです! 試験とかナシでよくないっすか!?」

 

 初めにあいさつした方は内気そうな、見た目も声も30手前ぐらいと思われる男性。スタンダードな直剣と盾スタイルで、あたしと装備が似ている。

 もう1人はずいぶんとフレンドリーである。得物は逆手に持つ小ぶりの忍者刀。シズいわく部隊最年少は17歳の男性なので、きっと彼のことだろう。さすがにこのタイミングで受験勉強をしていないということは高校2年生と思われる。ギルメン歴が浅いせいでよく命令される立場にあるらしいが、いやな顔1つせずに部隊に貢献する好少年らしい。彼の()るアバターも気持ちフレッシュな感じはする。

 まあ、疑似人体を前に憶測ばかりで話しても詮無いことだが、しかし3人目の長身メガネの細目さんは眉間にシワを寄せていた。

 

「でも新人起用って珍しいですね。なんだか装備も見た目重視っていうか、肌が見えるっていうか……失礼ですけどミカさん、この子戦えるんですか?」

「むふふん、さっき例のサービスイベントで優勝してきたところだよん。まだ魔法と随意飛行は無理だけど、本人はやる気満々だから!」

「ハア、それはおめでとうございます。でも大丈夫なんですかね? 隊長指名なら従いますけど、一応サラマンダーとモメゴト多い時期なんでホント注意してくださいよ。デスペナばっかりじゃせっかくのALOを嫌いになっちゃうかも……」

「いいじゃないっすかケイさん! 女性が増えるタイミングなんて、ミカさんが推薦する以外ありえないコトっすよ!? ダメもとでテストしてみましょうよ。最初は魔法ナシとかで……」

「(ダメもとて……)……いえ、待ってください。魔法はアリでお願いします。翅もガンガン使ってもらって結構です。その状態じゃないとテストにならないでしょう?」

 

 提言した途端、場がわずかに凍り付いた。

 誰も口に出しはしなかったが、わずか数時間前にログインしたての非力で経験浅き女性が、何ヵ月間も最前線でトップ勢と争っている自分らに何を意見しているのか。そんな感情が渦巻いているようだった。

 容姿を一目見て鼻の下を伸ばしていた大人しそうな男性も、こればかりはあごヒゲに手を当てて唸っている。

 

「おおっ、凄いヤル気っすね。オレはいいっすけど……ちょっとテストになるかどうか。ミカさん的にもさすがにないっすよね……?」

「んーん。ヒスイちゃんが言わなきゃミカが言ってやらせるつもりだったよん。相手が誰でも関係ない、メニューはサリバーンの時と同じで」

 

 「うえっ、オレ1ヵ月鍛えてから入団したんすけど……」というサリバーン君の感想は無視されつつも、しかし一様にして納得のいかない風だ。どうもミカの買いかぶりすぎだとでも思われているらしい。

 ただし、続く「あ、ちなみにヒスイちゃんに負けたら『オシオキ』だから」というセリフだけで、みなして気を引き締めだしたのだから驚きだ。

 本当に性別と容姿を駆使してカースト上位に君臨しているのだろう。このワガママに付き合い続けるところを見るに、気の毒にも姉に惚れている部下も何人かいるようである。

 

「じ、じゃあオレから……本当に魔法使いますよ?」

「ええ、ぜひお願いします」

 

 されど、こちらも姉のワンマン具合に18年も付き合ってきた身だ。セリフが挑発気味だったのも、今さら怖気づく道理はないからである。

 すでに一行は最も踏破が簡単なフィールドの一角に足を踏み入れていた。ここからは例え同種族の彼らでさえ、攻撃を命中させればヒットポイントを削れてしまう。

 不敵に笑い、武器を正中線に。

 いよいよだ。あたしの目標はここでの停滞ではない。それはもっと先、ずっと先にいる最愛の男に追いつくこと。そして2人で協力し、あたし達を裂くあらゆる障害を取り除くことにある。

 彼がSAO開放日から戦っているのだとしたら、今日はまさにスタートのテープを切っただけ。きっとこれから壮絶な特訓が待っていることだろう。

 その第1歩がサリバーン君との、この模擬戦。

 

「じゃあ1人目、始め!」

「負けるとエグいんで……行きますよ、ヒスイさん!」

「こっちも本気で行くわ、サリバン君っ!!」

「サリバーンっす、よっ!!」

 

 ガキィン!! と、相手のスタートダッシュからの横斬り払い斬撃を防ぐ。……ぐらいのことは予測されていたのだろうが、しかしその表情はすぐに強張った。

 剣戟が軽かったので軽くいなすと、今度はこちらからの反撃。凄まじい瞬間加速と重心移動で視界からも外れ、数瞬で後ろを取ったあたしはその首を刎ねる最速にして最適な一撃を見舞っていた。

 またも鋭い金属音。トーナメント本線ではこれで決着まで持っていったが、いかに不意打ちとは言え彼まで瞬殺とはいかなかったか。

 けれど、防がれたのは半分以上マグレのはずである。その証拠に、こちらの挙動を目で追えていない。

 

「っぶなッ!? はえェ!?」

「うっそ! どんなスピードだ!? ミカさんあの子経験者!?」

「だぁから違うって。ログインは数時間前」

「そ……そんなバカな……」

 

 外野の声がわずかに聞こえた。『オシオキ』の危機と悟ったのか、サリバーン君もすぐに空中戦へ移行。その表情からは先ほどまで張り付いていた余裕が消えていた。

 しかし、さすがはALOのプロ。空中戦となると一気にこちらが不利になった。地上で行った超加速はどうにも再現できそうにない。

 それでもあたしは心のどこかで笑っていた。どうしようもなく、バーチャルワールドに魅了された1人のゲーマーとして。

 

「悪いけど、オシオキとやらを受けちゃってね!!」

「は、ハハッ……いいっすよ、そーいうのッ!!」

 

 両手(・・)に武器を装備したまま背に生える翅を操作し、その揚力によって冷たい大気を切り裂く。すると再び剣が混じり合い、そしてまた離れていった。

 楽しい。やっぱり、この高揚は代え難い。

 空を駆けるあたしは、どこまでも飛べそうな万能感に包まれていくのだった。

 

 

 

 


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