SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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エディターズロード4 最後の抵抗

 西暦2025年1月19日 《蝶の谷》、北の最果て。

 

 重役出勤の朝日がようやく昇る頃。巻き込まれる形で始まった小競り合いを終え、やっとこさ一息。オイラは同じようにうなだれるシリカちゃんと背中を預け合っていた。

 リンド隊長と、DDAから続く部下のテグハ。かつての小ギルドの生き残り、フリデリック。中層で日銭を食いつないだというシリカちゃん。そして、主には情報屋でしかなかったオイラ。

 総勢5人。これが現パーティの総力である。

 本来はこうした遭遇戦も、あの大剣使いがいればもう少し楽に捌けたのだろう。

 1週間前、オイラ達は戦友を置き去りに《幽覧城塞・アスガンダル》から逃げおおせると、プーカ領、ノーム領に挟まれる中立域に降り立った。

 そこから緩やかに南に下ること数日。戦力と気力の衰弱は(はなは)だしく、生活の多くをプレイヤーから隠れることに費やしていたとはいえ、一行の戦線は完全に停滞していた。

 しかし、それでも対戦推奨ゲームともなれば連日連戦である。

 

「(こんな調子であと何日持つのヤラ……)」

 

 唯一の希望と思われていた、世界樹越しのアーちゃんのスクリーンショット。それさえも部隊のメインアタッカーであるかの鉄砲玉と共に消え失せた。

 あれからもう1週間とたつのに、ジェイドの抜けた穴は想像以上に大きかったわけだ。たったいま行われた戦闘結果がそれを物語っている。

 現時刻は午後の6時過ぎ。そろそろ腹の虫も鳴く頃合いだろう。

 

「ハァ……しかし、追い返すだけでこの消耗ダ。……そろそろモノがなくなってきたんじゃないカ……?」

「……物資はまだ持つさ。なぜか4日前の定期メンテでは、奴らが攻め込んでこなかったからな。それに今の相手は強敵だった。運がなかっただけだ」

 

 彼はわざと目を合わせず、ストレージの戦利品を整理しながらそう答えた。

 無論、予期しない戦いを避けるにはオイラ達ケットシーの索敵能力が頼りである。そういう意味では、自分らのミスを棚に上げて文句を言える立場ではないのかもしれない。

 ジェイドとシリカちゃんでの3人という少数旅は、まさにそうして生き延びたのだから。

 少しやつれたように言ってしまったからか、ここで長い袖をまくりながらフリデっちのフォローが入った。

 

「しかし消耗戦を繰り返していても結果は同じです。ただでさえ各自の睡眠時間がかなり減ってきていますし。テグハさんなんて、昨日はシリカさんやアルゴさんの分まで見張りをしていたらしいじゃないですか」

 

 青い装束金髪のイケメンに褒められても、血色の悪い面相はピクリとも動かさない。代わりに鉄衣をガチャリと鳴らした彼は、「オレは大丈夫。そんなことより……」と続けた。

 

「隊長、ここには長く居座りすぎました。特定の位置に留まりすぎると領主に目をつけられるし、発見される頻度も上がってしまう……でしたよね? そろそろご決断を」

「いい加減、落ち着いたそばから引っ越しというのも対策したいものだな。どこかに過疎地でもあればいいが。……リック、マーカー引いといたマップとALOのイベント年表を頼む。なるべく人が群がる場所は避けよう」

 

 また移動が始まるのだろう。結局は生存優先の選択肢しかないのだから仕方がない。

 フリデっちが指定されたものを広げると、男性3人はあーでもない、こーでもないと意見を出し合い今後のルートを決めていた。

 ただし、オイラはそれに参加する気になれなかった。

 オイラにとっての旅はもう、終わっているのだから。

 

「(また意味のない延命カ……たぶん1ヵ月モ、持たないだろうナ……)」

 

 燃えるようだった戦意はすでにない。必死に耐えようとする彼らを前にしても、これほど冷静でいられてしまうとは。世の中は皮肉に満ちている。

 もっとも、発動できる魔法の種類自体は増えてきているのだ。死なない限り戦闘によって消耗するはずの回復ポーションや各デバフ復帰アイテムは、魔法で代替できることがほとんど。対人戦闘をオールスルーしたとして、現時点で物資の払底(ふってい)は限界まで先延ばしにすることができるのである。

 他に懸念することがあるとすれば……、

 なんて考えていると、ルートに関する意見交換を終えたテグハっちがまったく同じ通患(つうかん)をつぶやいた。

 

「問題は食糧ですね。あと2日ほどしかありません。ここはいったん谷を内側まで抜けて、王都(アルン)の近くで大量に確保するのはどうでしょう」

「いや、だめだ。あそこはリスクが高すぎる。質は落ちるが、南の森にも何とか食えるものはあっただろう。とにかく姿を見せないように……」

「……リンド隊長、僕やあなたは耐えますよ。でも……彼女達はもう限界です。ただでさえ切り詰めた生活で糊口(ここう)をしのんでいるんです。これ以上ストレスを溜めたら、戦闘どころでは……」

「……ったく。……わかった、まあいいさ。それも一理あるしな。ただしアルン近郊での狩りは1時間だけだ。それで採取できたものだけを持って即座に撤退する。いいな?」

「了解です。……いいですよね、アルゴさん?」

「……アア、オレっちならどっちでモ……」

 

 つい投げやりに返してしまったが、シリカちゃんへの質問はなし。堅実思考であるリンド隊長への食い下がりは見せたものの、いよいよ全員に余裕がない。当のシリカちゃんも疲れだけでなく、この先を(うれ)う絶望で憔悴(しょうすい)しきっている。

 無意識のうちに、不安そうに《メア・ヒドラ》のピナと抱き合うシリカちゃんに歩み寄ると、気休めだがうなだれるその頭を撫でてやった。

 まだ生存していることが奇跡という事実に疑いはないが、オイラ達はまだなにも報われていない。せめてあの男が守ろうとした少女ぐらい守ってやらねば、きっと悲しむだろう。

 あれだけ身を(てい)したのだ。死ねば大切な記憶と、そして敵意さえも奪われてしまうとわかっていて、なお。

 思い出すだけでやり切れなくなる。奴らの手にかかり、倒れたのだろう意中の男は、すでにオイラと積み上げたかけがえのない経験と思い出を共有することさえ……、

 

「(……う、うぅ……)」

 

 細ったシリカちゃんの姿が揺らいだと思ったら、慰めようとしオイラの方が泣いてしまっていることに気づいた。

 そしてその深い悲しみは、何度まぶたを下ろしても消えることはないのだった。

 

 

 

  ◇   ◇  ◇

 

 

 

 突然の涙をシリカちゃん以外に隠しつつ、半日ほどの移動で残雪の目立つ山のふもとまで前進。そこから続く長い洞窟を抜けると、丘と草原の広がる大地の先に、大きな岩々と、のしのし歩くノンアクティブの四足モンスターが目に入った。あれこそプレイヤーが口にできる食糧源で、残り少なくなった備蓄を潤す生命線である。

 しかし早速調達作業にかかろうとする直前で、オイラ達の頭上の岩壁からカラッ、カラッ、と石粒が転がってきた。

 その意味を悟るのと同時に、それはあまりにも唐突な強襲だった。

 ドウッ!!!! という、魔法が吹き(すさ)ぶ音。

 隊長による命令も待たず、部隊は真っ先に展開して応戦の構えを見せる。そしてその対応を前に、敵側の余裕は崩れることがなかった。

 

「ラッキー5人だ!! しかもっ、いつぞやのドロボウ猫!!」

「ハッハァ、一気に行くぞ! 挟み込めぇ!!」

「しまった、アンブッシュ!?」

「散開しろっ! 各個に時間稼ぎを!!」

 

 もう十分すぎるほど味わった開戦の合図。

 命令が遅れて届き、追撃魔法と投下された火炎壺の着弾によって至るところが火の海に変わる中、オイラも翅を広げてこちらをターゲットにするインプの男に対峙した。

 耳は澄ませていたはずだが、裏をかかれたか。

 戦闘回数が多すぎてオイラは覚えていないが、口ぶりから察するに彼らと会うのは初ではないらしい。

 見たところ相手は6人。遭遇戦は本日5度目だ。

 いくらイン率の高い日曜の午後とは言え、普通にダンジョン攻略に励むプレイヤーもいるわけで、接触を控えているオイラ達にとってこの回数はやや多い。それに相手に補足されてから戦闘になるのもこれで2度目。《静寂性(クワイエット)》などの補助魔法を使っていたとしても、5人全員の集中力が低下している証拠である。

 おまけにこちらはトンネルのようなダンジョンを抜けたばかり……すなわち太陽と月の光を遮断したまま行進していたわけで、これまでに消耗した翅の鱗粉は一切回復していない。

 もっとも、相手はそれこそが狙いなのだろうが。

 

「(ちくしょウ! こいつらも結構強いじゃないカ!!)」

 

 戦域を見渡せるよう大回りで回避していると、劣勢を前に知らず怨声を吐きそうになった。

 嘆いていても仕方がない。どうにか隊長やフリデっちのサポートに入らないと。

 だが焦る思いが余計に空回りし、しかも相手のパーティメンバーもただの木偶(デク)ではなかった。妖精にまったく統一感がないくせに、《パーティ部屋》を作って集まった自信家集団か、あるいはこの連携練度から察するにリアルで知り合うコアなレネゲイドなのだろう。

 

「(冷静こいてる場合じゃなイッ……)……翅がないんダ! ここは退こウ!!」

「くっ……それしかないな! 全員洞窟に戻れ! 食糧は諦める!!」

「くそっ、ここまで来てッ!」

 

 テグハっちも双鷲が描画された黒鉄(くろがね)のタワーシールドを構え、そのまま殿(しんがり)を務めて一行は踏破したばかりの道を逆走した。

 やはり制空権を取られると分が悪い。しかも敵に交じるサラマンダーが1人だけズバ抜けて強力で、先ほどまで隊長リンドの戦力がほとんど1人にねじ伏せられていたのだ。

 かつて実力至上のDDAをまとめ、攻略情勢を席巻した最大ギルドの長にも引けを取らないなんて、彼もよほどこの世界に魅入られていると見た。

 しかも後退が成功したと実感した矢先に、さらなるアクシデントまで起きていた。

 

「マズいですみなさん! 奥から足音が聞こえます、数は2人っ!!」

「挟まれた!? 《擬態術(ミミックリィ)》でも使っていたのか!?」

 

 自身の姿を周囲に配置される無機物オブジェクトに違和感なく擬態させる幻属性魔法だ。

 通路を塞ぐような巨大な壁を作っているあたり、本命は変わらず後ろの連中で、この2人組は足止めが役割のようである。

 

「おっしゃあ出番だッ! いつもレネゲイドが狩られる側だと思うなよ!」

「うわっ!? また弱体化(ウィーケン)かけられたぞ!? 声も聞けないし、こいつらってもしかして……!?」

「なんだっていいから早く解呪してくれよ! 壁の維持でマナがないんだ!!」

 

 やはりオンゲーガチ勢にとって、抹殺する敵プレイヤーのリアル私情ほどどうでもいいことはないらしい。

 彼らのそんな会話が聞こえると、我らが隊長は逃走ルートを変更する命令を下していた。

 待ち伏せ場所といい、挟むタイミングといい、敵は数多のプレイヤーを狩り慣れた連中だろう。

 ここで未開のダンジョンに道を変えてしまうと、エリアで待機する強力なMobを釣って(・・・)しまうことは予想できたが、彼らに挟み撃ちにされたままよりはマシと判断したようである。

 まごついている間に徘徊するモンスターも参戦。オイラ達は激しい魔法の応酬と、3メートルほども背丈のある土妖精(ノーム)以上の筋肉ゴーレムの猛攻を首の皮一枚でしのぎ切った。

 すかさずフリデっちが範囲系の大回復魔法を発動。おかげで事なきを得たが、微かな期待すら打ち砕くように敵影はしっかり追随(ついずい)してくる。

 今日1番のピンチだ。戦線維持だけでは先にこちらのマナが底をつく。

 だがだからこそ、走りながらもオイラの内心は穏やかではなかった。

 

「(……フン、もういいサ。ここで生きる意味なんテ!! ……)……オレっちがモンスターのタゲを貰ってダンジョンを逆走すル! みんなはそのスキに、このまま外まで逃げてクレっ!!」

「そ、そんなっ!? アルゴさんはどうするんですか!?」

「オレっちなら平気ダ! 後で必ず合流するカラ!」

「それはダメだッ!!!!」

「ナ、っ……!?」

 

 オイラに片想いするあまり狼狽(ろうばい)するテグハっちに代わり、プレイヤー2人相手に見事キルを成功させたリンドが一気に迫ってきて怒鳴った。

 その怒声は狭い通路内で強く反響する。

 しかし、ダメも何も、こちらには5人しかいないのだ。加えて相手は全員が手練れ。誰かを囮にしない限り、これでは……、

 そしてやはり、リンドの代案も結局は一緒だった。

 

「……アルゴさんとシリカさんはルートの確保を! 3人いれば5分はここで持たせる! 耐えたら一斉に引いて敵をまくから、2人は走って奥まで!!」

「っ、それじゃあ一緒だろウ!! またオレっちに生き残れというのカ!? 誰かに守ってもらって、今度もマタッ!!」

「これは命令だ!! 早く行けッ!!」

「クッ……!!」

 

 あれだけ自分の『生』にこだわった不死の現実主義者が、いったいどこのバカに感化されればこれほどの自己犠牲精神が根付くのやら。

 彼の言う通り、危険ながらもわずかに『全員生存』の希望は残る。けれど後ろから集まるモンスター群まで引き連れてはいけないのだ。

 リンド達3人にかかる負担は、並みのプレイヤーでは1分と持つまい。

 それに……、

 

「イース、よく持ちこたえてくれた! 2人は蘇生しといたから、イースも一回引いて回復してくれ!」

「相手がバラけたぞっ! 次で一気に決めようぜ!!」

「勝ち戦なんですから、見失うのは損です! どうせ『保険枠だけ死守』作戦でしょう!! 隊長は逃げたケットシー2人を追ってください!」

 

 相手は1本道で叫んでいるので作戦が筒抜けだった。そしてそれこそが、決定的な死亡宣告に近いのだ。

 なぜなら、彼らには作戦を聞かれてなお、それを実現するだけの自信があるというわけなのだから。

 しかも1人抜けてオイラとシリカちゃんを追ってきたところで、差し引いても敵の総数は7人。リンド達では倍以上の戦力差である。

 それでも、オイラ達は戦域を走り去るしかなかった。

 この限りなく終点のない旅の目的は、ひとえに現実世界の人とのコンタクト――ないし、研究者達の目論見を拡散することにある。もしもこのメンバーが全滅しようものなら、たった1パーセントの可能性すら(つい)えてしまうからだ。

 レネゲイド、会話不可、強制先制攻撃。これらの条件を()い潜り、オイラ達の姿や顔を見ただけでおおよその状況を把握してくれる人物との接触が、いかに運任せであるかは理解しているつもりだ。

 しかし、おかげで2ヵ月以上も無事に生き長らえた。待ちの姿勢を徹底することで、間違いなくオイラ達の生存率は上がっているはずなのである。

 だとしたら、

 

「ああモウっ!! シリカちゃん、絶対生き延びるゾ!! オレっち達は誰が最後に残ってモ、1人でも生きなきゃいけないんダ!!」

「はいっ! きっとジェイドさんならそう言います!! ……あっ、風のもれる音が! こっちですアルゴさん!」

 

 共に息を切らせながら、オークの隠れ家と、他より広く設けられたスペースをロングレンジ魔法対策でジグザグに疾走し、ひたすら足を動かした。無警戒に疾走することで周辺のモンスターにタゲられ続けていたが、かつての攻略組3人をパスして後を追う敵の隊長、シルフの男性にとってもそれは脅威となるはずだ。

 

「(大丈夫……言いきかせロ! ずっとそうしてきただろウ!)」

 

 これまで幾度も勝算の低い敵集団を見送ってきたのだ。逆に言えば、強制的に戦闘になったら旅はそれまでとなる。

 いずれ努力うんぬんでは覆らない戦闘が起こりうることを、隊長リンドとて覚悟していただろう。そしてその瞬間、誰が戦線の矢面に立ち、誰の生存を優先するべきなのかをあらかじめ決めていたはずだ。

 もちろんなればこそ。普通に考えれば、生き残らせるべきは単純戦闘力の高い人選になるはずだった。今オイラ達が戦線離脱していること自体が、DDA時代では考えられない決断である。

 そして、戦力として乏しいオイラとシリカちゃんを逃がそうとしたということは、きっとそれは()の影響に違いない。

 

「(ハァ……ハァ……また守られるのカ。男って奴ハ……!!)」

「ハァ……ゼィ……見えました、光です! 敵はムシして抜けましょう!」

「任せろ! ゼィ……せめて気は逸らすサ!!」

 

 わずかに遅れだしたシリカちゃんにペースを合わせつつ、オイラは無理やり捕縛の光魔法《光の籠(バスケット・レイ)》を発動した。

 発光する非実態の金網により虫カゴ(・・・)のような檻に敵を閉じ込める初級魔法で、実は強烈な物理攻撃を受けると一発で破壊されてしまうものである。

 一見すると束縛魔法でも、主にバフ系が(そろ)うはずの光魔法にカテゴライズされたのは、これが魔の力から対象者を守る『加護』でもあるからだ、とフレーバーテキストに記載されている。

 

「(頼む、当たレ!!)」

 

 種族に与えられる優れた動体視力で、オイラは離れていた距離をカバーできた。

 ガチンッ! と、出口を塞ぐ4本腕の手長ザルもどき2体に技がヒット。敵は自前で岩を精製して投げつけてくるタイプだが、見た目に反してそれは魔法攻撃なのでしばらくは動けまい。

 後はこちらが脱出するだけ。

 

「(ハァ……ハァ……間に合エ……間に合エっ!!)」

 

 一段と強く泥土を踏むと、オイラ達は光の先へ飛び出した。

 直後に後方で竜巻でも発生したような轟音が。おそらく敵のシルフ隊長が、モンスターともどもオイラを葬り去ろうとしたのだろう。

 

「せ、セーフ! やりましたッ、アルゴさん! トンネル抜けましたよ!!」

「っとと、いきなり崖カ!? でも下に集落があるゾ! あそこで隠れよウ!」

 

 ごく微量だけ残る翅の力を駆使し、最後のフライトで距離を稼ぐ。

 まだ気は抜けない。相手が後ろで放ったものは視界を塞ぐほどの大技だったので、オイラ達を見失うリスクを考えると愚策とも感じたが、そんな初心者じみたミスはしないはずだからだ。

 

「(1人で追ってきた以上、オイラ達に勝てる打算があってのことだろウ……) 」

 

 翅の残量は言わずもがなで、大技のせいで視界を失ってもなお追い切れる確信があるからかもしれない。

 それにオイラもようやく思い出してきた。

 相手側がこちらを知った風に(しゃべ)っていたが、追加された待ち伏せ2人は実力的にも新顔らしいものの、最初の6人は間違いなく以前にも会って刃を交えている。

 あれはこの世界(ALO)に転送されて1週間が過ぎた時だ。

 早とちりしたジェイドが不意打ち気味に6人パーティのリーダーを暗殺してしまい、残る5人から逃げ回ったことがある。そして彼らの種族構成が当時の小パーティとまったく同じなのだ。レアな槍とコンパクトな弓を使う珍しいレプラコーン、常に後方を陣取る曲刀使いのウンディーネ、大きな斧と不気味な鋼鉄の人面盾を持つ巨漢のノーム、直剣と中盾を携えるスタンダードなインプ、そしてひと(きわ)戦い慣れした、当時ハルバード使いだった盾無しサラマンダー。

 この世界で初めて死の間際まで追い詰められた、全員男性の少数精鋭ベテランチームである。

 ジェイド曰く、「副隊長のサラマンダーの方が強い」とのことだが、このシルフ隊長が伊達でリーダーを務めていないことは明白だ。バカ正直に相手をしてタダで済むとは思えない。

 よってやり過ごすことこそ最善と判断し、オイラとシリカちゃんは洞窟を抜けて真っ先に視界に入り込んだ廃村の、とある施設を隠れ(みの)にしていた。

 

「ハァ……ハァ……すごい、キレイな場所……っ」

「ハァ……見とれていないで隠れよウ。なるべく奥ニ……」

 

 確かに天井が冗談のように高い。ここは礼拝堂だろうか。壁高くには2メートル四方ほどの巨大な画伯(がはく)も立てかけられている。

 しかし、調度品の量に期待して増築されたような(くら)伝いに進入してみたものの、すでに人の営みが途絶えて久しいのか、ボロボロの室内はがらんどうに近かった。あるのは整然と並ぶ簡素なイスの他に原始的な狩空穂(かりうつぼ)や、備品に乱雑にかかっているだけの羊毛織物(サクソニー)。そして作業の途中だったのか、隅の方には粘り気のある白い蝋の原料(パラフィン)と数種類の顔料が静かな像と一緒に棄てられている。

 潜伏場所が少ない。けれど今さら隠れ家を変更する時間はなく、オイラ達は息を殺すようにして石像の後ろに身を隠した。

 耳のいいシリカちゃんが口元に指を当て、続いてオイラにも翅の振動音が届く。

 しかもそれは近づいていた。距離的には視界から完全に外れたはずだが、まさか追跡獣(トレーサー)でもつけていたのだろうか。

 

「(イヤ……そんなはずはナイ。何度も確認したんダ……)」

 

 あとは確率である。この小さな集落のどこから捜索に入るか。もし遠くまで行ってくれれば、この状況から安全に脱出できる可能性も残るのだ。

 という(はかな)い希望を、細工が美しいステンドガラスを下品に割り破って侵入してきた男が即刻ブチ壊した。

 舌を巻くほどキレイにランディングすると、彼は翅を閉じて大きな声で話し始める。

 

「ふぅ~……どうせいるんだろう!? 有名人だか知らないが、レア物パクってトンずらしたツケは払ってもらうぞ! オラ出てこい2人とも!! 中身まで子供じゃないことはわかってるんだ!!」

 

 ――見たまんまの年齢だヨ!!

 と言い返してやりたい気分だったが、どうやら口論をしている余裕はないらしい。

 こうして発見していないプレイヤーに話しかけている時点で、彼はもう半ば以上にここに身を隠していることを確信しているのだろう。MoBの利用法や処理が手際よかったので、おそらくここら一帯までが彼らの『狩り場』だと推測できる。

 あとは簡単である。洞窟から出た時の見晴らしの良さから、逃走相手が隠れられる場所は限られているので、狩りの反復によって潜伏先をある程度確定させられる。

 そして獲物が逃げ込む先として最も比率の高かったポイントに目星をつけ、ごく単純な罠でも仕掛けておけばいいのだ。今のオイラはそれを知覚していないが、何らかのアイテムかトラップが彼に逃走先を伝えたに違いない。

 これはもう、()るしかない。

 

「(相手の得物は……ダガーだったのカ。長身なのに珍しイ……デモ、だとすればあいつの得意とする戦法ハ……)」

 

 同じダガー使いのシリカちゃんは、テイムしたモンスターと共に前衛を援護する立ち位置なので、あの隊長のようにダメージソース足り得ない。このことからも、単騎で突っ込んできた彼の本領は、魔法戦でこそ発揮されるものと推測できる。きっと見せびらかすようにしているあれはフェイクであり、サブウェポンだ。

 高確率で《純魔》タイプ。なれば、特攻あるのみ。

 オイラは物言わぬまま、相棒である《ヘレシーズ・オルター》を左腕に装着。ポーチから最後の《閃光弾》を取り出し、タンスのような家具を斬り刻んでバラバラにするシルフを横目に、応戦の意志を固めたシリカちゃんと(うなず)き合う。

 そして、閃光。

 

「ぬうっ!? そっちか!!」

「今だシリカちゃん!!」

 

 オイラとシリカちゃんが同時に女神の石像から飛び出す。さすがの対応力でファーストアタックこそ空振りしたが、代わりに時間差攻撃役のシリカちゃんは、自身の愛刀である《マリンエッジ・ダガー》のエクストラスキル、《纏う聖結晶(クリスタル・カウル)》を発動していた。

 これは短剣にある星型の(ガード)に当たるパーツを、90度回転させることで発動できる。単位時間でマナポイントを消費し続ける代償に、重量なき結晶で造られた刀身を()の根元から1メートルも生やすという、見た目の武器カテゴリすら変えてしまう珍しいものだ。

 これにより、軽装の利点を維持したままちょっと長めの直剣並みのリーチを得て、短剣特有のクリティカル、およびカウンター時ボーナスダメージを獲得することができる。いわば時間制限付きカウンター戦士へのクラスチェンジである。

 

「シリカちゃん、回り込んデ!!」

「はいっ!!」

 

 多対一という状況を活用するため、そして瞬間火力を得たシリカちゃんをサポートするため、ピナとオイラが体を張って盾になる。

 当然、敵も得意の魔法を放てるように距離を取ろうとした。

 ここまでは予想通り。

 オイラは腰に下げるサブウェポンの鞭(フォー・ハウジング・バーブス)で、中距離からでもイニチアチブを取る準備をした。

 

「(読めてるヨッ!!)」

「ぐ、がぁっ!? こいつムチまで!?」

 

 ダメージはないが狙いは牽制。

 そこへシリカちゃんやピナの可愛らしい気合いまで交わり、猛烈なラッシュを前に男はごく単調な回避と後退しかできなくなっていた。

 少女だからと見くびっていたのだろう。とうとう伸びる刀身による斬撃が深く命中。通常ヒットゆえに期待していたほどのダメージこそ出なかったものの、圧倒的優勢を信じていた敵シルフは初めて焦りの表情を見せた。

 口元への執拗(しつよう)四つ鉤の戦爪(ヘレシーズ・オルタ―)の攻撃や《バーブス》による妨害も続き、詠唱途中だったスペルが失敗(ファンブル)

 サポーター2人だからと油断するからこうなるのだ。

 

「一気に行きます! ピナ! アルゴさん!!」

「こっちもそのつもりサ! 常に後ろを取っテ!」

「ええい、ちょこまかとっ!!」

 

 しかし、あまりにも順調すぎた。

 誘われたのはこちらの方だったのだ。

 コンスタントに壁際へ追いやった矢先だった。挟撃(きょうげき)体制が途絶えたことで、彼がくねった大型の短剣を横払いに振った途端、ゴウゥウウッ!! と室内に異常な突風が生まれた。

 その予期しない不可視の一撃により、横殴りに飛ばされる3つの個体。

 逆に端に乱雑に置かれたオブジェクトまで吹き飛ばされたオイラは、強制的に肺から空気を吐きだされる。ダメージこそ認められなかったが、これが奴の持つ短剣のエクストラスキルだったのかもしれない。

 そして、これが致命的なミスとなった。

 時間を稼いだことで相手はすかさず詠唱を再開。その行動に対し、気が動転したオイラはクローだけで特攻を仕掛けてしまったのだ。

 詠唱を強制遮断するため、逆に見え透いていた口元への攻撃はあっけなく失敗に終わることになる。

 今度は彼が左手に持つ、1メートル以上もある木製のレア魔法触媒、《追い手を払う杖(リフューザル・ワンド)》のエクストラスキルだ。これは過去にも愛用者と戦ったことがある。このスリムな木製杖には一部ボタンのように押下(おうか)できる仕掛けがなされていて、それをトリガーに5分に1度だけノータイムノーリスクで光魔法の《拒絶反応(リジェクション)》を放つことができるのだ。

 知っていたはずなのに。

 接近者を無害な斥力で弾くだけの低級魔法だが、軽装のアキュラシー特化キャラには大抵有効にはたらくのである。

 凄まじい斥力により、またも体ごと吹っ飛ばされる。

 

「(ガ、ぅ……マズいッ!?)」

「もっらいぃぃイっ!!」

 

 これが彼の戦術なのだろう。盾すら持たない脆弱な防御力を、スキルを駆使してカウンターで補おうというのだ。完全に対人専用スタイルである。

 トリッキーなチェイン連撃のせいで、何らかのエネルギーを最大までチャージした風圧の球体塊を、全身が痺れたように動けないオイラは避けることができなかった。

 ただし、放出されたそれが自分に命中することはなかった。

 直前に割り込んだ、小さな人影によって。

 

「アルゴさんっ!!!!」

「ば、バカ!?」

 

 刹那、ドッガアァアアアアアアッ!! と、またも爆音が教会内に轟いた。

 いくつか並べられていたアンティークなイスも全て弾き飛び、辛うじてバランスを保っていた崩壊寸前の家具や装飾品も、全方位に炸裂した風の斬波によって舞う葉のように木端微塵となる。

 もっと後方までゴロゴロと飛ばされてしまったが、しかし自分だけはほとんどその斬撃ダメージから免れた。

 こんな自暴自棄になった女のために、身を(てい)したシリカちゃんによって。

 そのせいで彼女の肉体は満身創痍。彼女自身はどうにか踏ん張ったものの、痛々しい切傷痕が各所に刻まれている。

 小さなラウンドシールドは無残にも(ちり)と果て、マナが尽きたのか蒼晶の短剣(マリンエッジ・ダガー)も結晶直剣モードが終了している。そしてピナはスタン状態で、HPまでレッドゾーンだ。

 逆転の術なし。

 そう判断したシルフの追撃は迅速だった。

 ニアデスのプレイヤー相手にいちいち魔法を唱え直すようなことはせず、ギラついた大味の短剣を構えて前進。

 オイラもようやくスタンから解放されて身を起こすものの、すでに間に合う距離ではなかった。

 受け入れがたい現実が、一瞬を永遠のように引き延ばした。

 同じ短剣カテゴリでも純粋な刀身でリーチに劣り、かつシリカちゃんのアバターは小学生当時のまま成長が止まっているのだ。(かす)れば消し飛ぶあの状態で、接近戦などしたら……、

 

「シリカちゃんッ!!」

 

 反射的に叫んだ直後だった。

 ビュンッ!! と、凶器は空を薙いだ。

 なんと彼女は、小柄であることを活かして横払いの初撃をしゃがんで回避した。しかも今度は、それを反動に大きく飛び上がり、両手で逆手に持ったダガーを大上段で構えたのだ。

 そして、そこに最後の抵抗を見た。

 生々しい音と共に両者の武器が、一方は首を、一方は胴を(えぐ)るように同時に貫いたのだ。本来ならシリカちゃんの方がワンテンポ遅かったはずなのに。

 理由は明白だった。

 パキキキキィッ!! と独特の演出を生み出し、蒼き光剣がその刀身を伸ばし結晶の魔力刀を形成していたのだ。

 

「ガ、アァ……っ!? バカな!?」

 

 尽きたはずの魔力。それでも、予想外のカウンターを受けた男はディレイを起こしていた。

 しかし……、

 

「アルゴさん……ごめん、なさいっ……!!」

「うァアアああああああああっ!!」

 

 ボウッ!!!! と、エンドフレイムによって火の奥に消えた彼女の残滓(ざんし)をかき分け、オイラは絶叫したまま左の《ヘレシーズ・オルター》を迷いなく男の胴体へ突き刺した。

 ズズゥッ!! という確かな反動が左手に伝わる。4枚の片刃のナイフを並列に並べたこの爪は、耐久性も低く特殊なスキルもないが、その鋭利な刃は軽量級のなかで破格の攻撃力を秘めている。

 深紅のエフェクトに濡れたそれを力の限り全力で引き抜き、短剣をかざして微かに足掻こうとするそれを腕ごと払い退()け、返しの刃で何度も何度も刻み込む。

 いつしか武器から手応えがなくなった。炎の先に敵がいない。相手はカテゴリ補正の乗った致命の一撃によるノックバックで動けないまま、いかなる反撃も許されずに彼女の後を追ったのだ。

 けれど、炎に没した男のリメインライトが漂う頃には、シリカちゃんのそれはすでに消滅していた。研究員が言っていたように、オイラ達は1度でも『プレイヤー』でなくなったら、ナーヴギアのコントロール下から外されるのだ。

 ある意味では高次元セキュリティから解放されてしまう。それは、実験用モルモットの仲間入りになることと同義である。

 あとに(のこ)るのは、静寂と無気力感だけだった。

 

「あ、ァ……ァァ……ッ」

 

 また、独りだけとり残されたという現実。

 音と暴力が飛び交った空間が嘘のように静まり返る。

 痛みを感じるほど拳を強く握りしめ、シリカちゃんがいなくなった戦場跡でただ力なく崩れ落ちた。やがて武装を捨てて口を押え、膝をついたまま、ひたすら重くのしかかる喪失感に打ちひしがれる。

 まるで自分のものではないような、狂ったように放つ声の裏返った咆哮(ほうこう)が、施設内で虚しく反響した。

 これが……こんな救いのない現実が、結末だというのだろうか。

 必死に足掻(あが)いたつもりだった。だのに、また仲間の1人も守れなかった。これまでまったく不慣れだったはずの対人や、過酷な攻略を眼前に、懸命に(すが)り付いてきた小さな勇者を。

 それに、ずっと見守っていくつもりだったのに、彼女はもうオイラをも超える頭角を見せつつあったのだ。

 最後の攻防で『マナが切れたように見せかける』フェイントは見事だった。補正が上乗せされたあのカウンター刺突撃こそが、この戦いを決定づけたことに疑いはない。オイラがしたことなんて、シリカちゃんの四散エフェクトに紛れて、崖際に立たされた死に損ないの背をわずかに彼岸へ押しただけだ。

 ふと視線を寄越すと、《マリンエッジ・ダガー》が足元にドロップしていた。中央に楕円のラピスラズリが埋め込まれる名刀を拾うと、その十字架を模した形見を胸の前で慈しむように包む。

 すると、同じように主人に先立たれた《メア・ヒドラ》のピナが、消えた遺恨の近くで悲しそうにキュルキュルと鳴いた。電子の世界で生まれた彼女にも、別れを悲しめる程度には感情が生まれるのだろう。

 しかし、しばらくしてもピナは(いなな)くことを止めなかった。

 胸騒ぎがする。まるで何かに立ち向かっているように、その威嚇(いかく)のような行動は激しさを増していった。

 いったいどうしたというのだろうか。主亡き今、すでに戦闘命令は誰にも下されないはずで……、

 

「(イヤ……待テ!? リザルトがなイっ!?)」

 

 オイラが勢いよく振り向くと、揺れる残り火のエフェクトが大きくなっていった。

 その(おぞ)ましい炎は大きく揺らめくとやがて人の大きさほどにもなり、信じられないことに本当にプレイヤーが歩いて姿を現した。

 単独で2人を同時に追い詰めたあのシルフの男が、まったく無傷の状態で。

 

「どう、しテ……ッ!?」

「いや~《犠牲の木像》まで使わされるとは。まいった、まいった」

「くっ!!」

 

 戦爪を拾うとオイラは反射的に距離を取り、回復ポーションを飲みながら状況を整理していた。

 《犠牲の木像》。聞き覚えのあるアイテムだ。確か個人用のインベントリに1つしか格納できず、所有者のゲームオーバーと共に自動で発動する、死を身代わりに引き受けるソロご用達の消費アイテム。入手が極めて面倒で、これを取りに行く間に1回は死ぬ、なんて揶揄(やゆ)もされていたレア物である。

 オイラ達は自身に有効なのか確かめようがないので、そもそも入手を視野に入れたことすらなかった。

 だがかつての事故死から、彼は狩りの前に万全を期すことにしたのだろう。確信はないが一向に回復のそぶりを見せないことから、ガッツリ消費したはずのマナポイントすら復活と同時に全快しているのかもしれない。

 しかし、理解してなおチェックメイトに近かった。

 こちらのステータスビルドは人を支援するよう特化されているからだ。2on2か、あるいはそれ以上の集団戦でなら十全に機能するが、サシで密閉空間となると後は運任せのようなもの。

 

「(イヤ、ネガティブになるナ……!!)」

 

 心中で改まる。誓ったのだ。例え独りで異世界に取り残されようと、どんな強敵に追い込まれようと、生きようとする意志だけはもう曲げないと。

 ムチをくるんで佩帯(はいたい)すると、代わりにいくつかのピックを引き抜く。

 事実上の敗北通告を前に、オイラはなおも歯を食いしばった。

 

「こんなことで、諦めるカっ!!」

「……ウッソ、これでもやる気? どうしてそこまで……ま、まあムダさ。念のために外でノロシも上げておいたんだ。仲間が来れば君なんてハチの巣同然、もう何分もたってるんだから……」

我は(エック)問う(フリグナ)! 眷属として(スキューダリズ)印を(コペル)献ずる(ギィファ)!」

「チッ、ああそうかよっ!!」

 

 そう吐き捨てると、相手も攻撃系のスペルを唱えながら突っ込んできた。

 改めて敵は右手に短剣、左手に巨大な魔法杖を装備する変則的な魔法剣士スタイルだ。スラスラ詠唱しているものも暗記すら難しい長句のもので、この暗誦音読状態で元気よく得物を振れるというのだから驚きある。

 いずれにせよ、それを放出させてはならない。際どいところで初撃をクローで防ぐと、わずかな超過ダメージを無視して大きく飛びずさり、仕返しに針を投擲してやった。

 だが体力に余裕のある彼は動じない。いかに投擲を名人の域まで極めたとしても、ピックやムチでは趨勢(すうせい)を動かすには力不足である。

 どうにか激しい剣戟をいなし、オイラは祈るようにスペルを結んだ。

 

さすれば(ヴィティウル)(ドゥー)我に(ミック)血を捧げんと(レイズ・ブロゥズ)誓うか(アイズール)!!」

 

 相手の詠唱より、こちらのそれが早く完了した。

 ボフッ、と鱗粉が噴霧される。特例で熟練度まで用意されたケットシー専用光魔法、《飼い慣らしの鱗粉(テイミング・スケイレ)》。広範囲に使役効果判定のある粉をばらまき、それを浴びたモンスターが低確率で従者となるシステムである。

 そしてオイラは、このスキルをまったく強化してこなかった。シリカちゃんの戦闘スタイルと被ってアイデンティティがかすれてしまう、という手前勝手な顕示欲によって。

 ピナは……いや、誰の所有物でもなくなったこの1匹の《メア・ヒドラ》は、データ上ではどこの誰とも知れないプレイヤーから、餌付けもすっ飛ばして突然隷属の命を下されたのだ。オイラのことはさぞかし傲慢(ごうまん)な者に感じただろう。《メア・ヒドラ》がこれを反発なく受け入れる確率は、きっと目を覆いたくなるほど低かったに違いない。

 敵の《火炎大壺》による追撃を、泥と(すす)にまみれ地を転がりながら(かわ)しつつも。

 それでも、オイラは賭けた。

 自然に還された獣を前に、ある種の挑発的な視線を向けたまま、主と長きに醸成(じょうせい)した愛と絆の深さを問うた。

 

「無ッ駄ァーっ!!」

 

 しかし、快哉(かいさい)を叫ぶ男が杖でエイムした瞬間だった。

 

『クルっギャァアアッ!!』

 

 大きく(たけ)った深緑のピナが側面から男の腕に噛みついたのだ。

 魔法自体は発動した。システムが感知した始点より放出される青い魔法の奔流(ほんりゅう)は、散乱する木材を跡形もなく砕き、踏み固められた地面をも抉り、凄まじい爆撃音と共に教会の壁を破壊してなおその暴力的な破壊を止めなかった。

 以前にも見たことがある。単体で撃つには強力すぎるため、発動後しばらく魔法が放てなくなるデメリット付きの大魔法だ。

 もっとも、その破壊痕の線上にオイラはいなかった。

 発動間際に現れた1匹の介入者に、狙いがわずかに逸らされたことによって。

 

「(テイム成功!? でも……これ、ピナちゃんが……!?)」

 

 ただし、オイラはまだ何も命令していない。

 だというのに主の(かたき)に牙を剥く彼女は、オイラの眷属になった直後には共闘の姿勢を示していた。まるで《テイミング・スケイレ》によるシステム的リンクを待ち望んでいたかのように。

 その理解を超えた現象に、だからこそベテランのシルフは酷く取り乱した。

 

「なんッでだ!? クソッ、なんだよコイツっ!?」

「く……ぅ、ああああッ!!」

 

 魔法の余波によってダメージを受けていたことも忘れ、オイラは鉤爪(オルター)ムチ(バーブス)を握ったまま全力で足を動かした。

 左腕から離れようとしないピナにもたつく敵へ、まずはクローの一閃が首を貫く。

 

「ぬがァああああっ!?」

 

 攻撃判定はクリティカル。

 生々しい紅いエフェクトが血飛沫(ちしぶき)のように飛び散る。近接戦を想定した最低限の装備をしていたはずが、フルゲージだった相手のHPが端からゴッソリ減少する。

 しかしはっきりと(うめ)き声を上げるも、相手はほとんど自動的に右手の短剣を背面まで引いていた。

 オイラは反射的にクローを引き抜くと、その真横からの迎撃を強引に塞き止める。

 耳元に甲高い金属音と、何かに亀裂(クラック)が入るような不吉な軋轢音(あつれきおん)が響いたが、それすらも無視すると姿勢を低くしたままおろそかになった脇をくぐり、自慢の《バーブス》をその腕にグルンッ、と巻きつけてやった。

 同時に取手のトリガーを引くと、芯間を通じるワイヤーから連動して先端の仕掛けが作動。ムチの紐が逆立った棘に絡まると、固縛できたことの確認も飛ばしてグリップ部分を上へ放り投げた。

 

「ピナァアッ!!」

「な、にィーっ!?」

 

 以心伝心のごとく連携で、ガブッ!! と奥歯でムチを(くわ)えたピナは可能な限りの推力を上空へ向けた。

 今度は引きちぎれそうなほどの力が、ムチという媒体を通してダガーを握る相手の右腕にかかる。プレイヤーのひざ下ほどしかない全長の《メア・ヒドラ》が、シルフを体ごと持ち上げんと飛翔する。

 すべきことを理解している戦士の決意。死闘に勝つべく、成すべきことを成さんとする目だった。

 片腕は潰した。あとは、意志に応えるだけである。

 

「フっ……ウゥッ!!」

 

 連撃を前に、男は杖を盾代わりにするしかない。ガンッ!! ガンッ!! と戦爪が食い込みズタズタになった敵の《リフューザル・ワンド》を、それでも無残に斬り刻み続けた。

 祈りが通じたのか、それともデュラビリティの限界を危惧したのか、鋭い斬撃を浴びた彼はたまらずレア杖を手放す。

 しかし相手はそれすらも利用し、固く握っていた右手をあっさり開くと、スルリと(こぼ)れ落ちる歪んだ短刀を左手で器用に空中キャッチ。そのまま力の限り振り抜き、またしても体が宙に浮くほどの突風が吹き荒れた。

 やられた、と直感した。名称不明のエクストラスキル。まさかもうインターバルを過ぎていたとは。

 しかし後悔する間もなく胴体が何度もバウンドする。

 息が止まりそうになる衝撃にも受け身を取って耐えたが、彼はその隙に4枚羽を展開して空中への回避を……、

 いや、あれは違う!

 

「ピナちゃん、逃げテっ!!」

「シアアアアラァァアアアッ!!」

 

 ザックンッ、と。叫ぶのと同時に男の錆びかかった凶器が、小さな翼竜を腹から背中の鱗まで貫通した。

 彼女もすでに瀕死だったのだ。

 たったそれだけの攻撃で、ピナは鳴き声1つ上げずにポリゴン片と散った。

 シリカちゃんと同じ結末を、1人のシルフによって辿ってしまう。

 しかもそれだけ留まらなかった。なんと彼は、先の大技によるデメリット状態にあるにもかかわらず、さらなる捕獲魔法の詠唱を始めたのだ。

 今の彼は武器が備えるエクストラスキルを除き、通常魔法が使えない状態のはず。いくら彼が優れた魔法剣士だからとはいえ……いや、魔法に精通しているからこそこれは単純なミスではない。あまり聞かないが、きっとそれらの状態異常から即時復帰する希少アイテムなりが存在するのだろう。

 案の定、彼は《クイックチェンジ》を利用して、部屋の端まで飛んでいた《リフューザル・ワンド》をその左手に回収していた。

 

「(クッ……なんてリッチな戦い方を……ピナちゃんマデっ!!)」

 

 ダッシュと同時に心中で吐き捨てるが、彼とてこうした事態を想定して、確実な勝利のために事前に金と時間をかけたのだ。それを指弾するなんて、オイラの方こそゲーマーにあるまじき見苦しさである。

 そんな感情を消し去るように自身の翅を広げ、違和感の残るクローをはめた腕を振り続けた。

 

「ヤァアアアッ!!」

「くっ……このスピード!! ホントにサポーターかよ!!」

 

 しかしゼロ距離での斬り合いのさなか、この時のオイラは2つ重大なことを忘れていた。

 杖の効果を聞きかじったことがあるがゆえに、そのエクストラスキルが「5分に1度しか使えない」という先入観を持ってしまっていたのだ。つまり、エクストラスキル《リジェクション》の制約が、《所有者が1度死んで蘇生される過程でリセットされる》という、広く知れ渡った事実を失念していた。

 そして信じられない不運も重なった。

 相手の怒声と共に放たれた強撃とこちらの武器が激突した瞬間、バリィイイインッ!! と、左手から馴染んだ感触が消えたのだ。

 たった数度の接触で、相次ぐ連戦により酷使された《ヘレシーズ・オルター》が粉々に砕け散った音だった。

 

「(な、ン……!?)」

 

 目の前の現象をしばらく認識できなかった。受け入れられなかった。なぜ、今なのか。あと1分でも、いや30秒でも持ちこたえてくれれば。

 しかしこれが現実だ。

 その《残骸》を持って修理屋に頼み込めば……逆説的に、相応のユルドを支払って《修復》しなければ、これはもう武器として機能しなくなった。

 そして、戦闘中に得物を鍛え直すだけの時間はない。こんな局面で限界が来る予想まではしていなかったが、クローの耐久性の低さを念頭に入れていなかったのもまた事実。

 

「こいつァ、ラッキーィイっ!!」

 

 掲げた杖のスキルにより、ガゴンッ!! と《リジェクション》の斥力によって弾かれ、オイラはあえなく地表に落とされて沈黙した。

 衝撃で今度こそ呼吸が詰まる。舞う煙に紛れて木くずや廃材が被さるが、すでにオイラからはそれを払い退ける気力も失せていた。

 四肢に力が入らないのだ。

 思えば今回の敗因はいくつも列挙できるが、もっとも影響したのはおそらくこの『執念』が消えたことだろう。口では何と言おうと、心のどこかでは諦めがついていて、遂げられなかった想いの辛さから希望を見失っていたのだ。

 このゲームにはレベルがない。1番楽にアドバンテージを稼ぐ方法がない。

 だとすれば、実力の拮抗する達人同士が最後に雌雄を決する原因があるとすれば、それはまさしくメンタルである。限界一杯まで実力を出し切った空っぽの気力タンクから、それでも踏みとどまって戦況を見極め、機転を利かせて新しい切り札を創り出し、あと一滴だけ勝利へのエネルギーを絞り出せるか。

 ジェイドやリンドはそれを成した。女子供を斬り捨てれば、彼らはもっと安定した生存戦略を敷いていただろうに。

 

「(オイラも、ここまで……カ……)」

 

 あらゆる抵抗を放棄すると、そこにダメ押しの追撃が迫る。敵のシルフが舌を巻くほどの遅延詠唱(ディレイ・チャント)でタイミングを計らい、アイテムによって『魔法発動不可』の副作用を解消した瞬間に光魔法《バスケット・レイ》を発動したのだ。

 ガシャンッ!! と。実体のない光の檻がアバターごと閉じ込めた。オイラがサル型の多腕モンスターに対しても使用したもので、これで物理攻撃なしに即効性のある脱出はできなくなったわけだ。

 生き残りを懸けて戦場を共にしたあらゆる戦友を失って。

 その疑似格子に力なく手をかけるも、すでに結果を覆す手段は失われている。

 

「(せめてちゃんと……告白しておけばよかったなァ……)」

 

 かのシルフに手を抜く気はなく、殺傷性を加えた《ククリ》なる特殊投げナイフを構えた――自分で発動した《バスケット・レイ》の破壊準備だろう――上で、空中に制止したまま最後の大技魔法の発動準備にかかっていた。

 もう避ける気はない。光の集積物に対し、涙の混じる視界をそっと閉じた。長く続いた、果てなき旅路の決着を見つけたように。

 しかも窓の外からはプレイヤーの翅の音まで聞こえてきた。リンドらが驚異的な形勢逆転をしていなければ、それは狼煙を見て駆けつけた敵チームの援軍だろう。

 時間切れ。作戦失敗。すべての生存策が途絶えた瞬間だった。

 音源の数(・・・・)が判明するまでは。

 

「(アレ? ……翅の音、1つだけ……?)」

 

 不思議に感じて目を開き直した刹那、ズガァアアアアアアアアアッ!!!! と、敵の直射型特大魔法が目の前で真っ二つに遮られたのだ。

 茫然とするなか、魔法の放流は水のように横へ流れていく。隕石のように飛来した男と、その蒼き(つるぎ)によって。

 想像だにしない人物の援軍に、オイラは目を見開いた。

 随所に裂傷が目立つ黒い装束。片側にだけただれた短いマントがはためき、右肩のショルダーガードが妖しい鈍色を放つ。対して男が前面に構える大剣は曙光(しょこう)(かす)むほど青白く輝き、魔力で組まれた敵の高濃度粒子魔法はその流麗なブレードに触れることさえ叶わず四散した。

 見紛うはずもない、巨人の宝剣(エッケザックス)とそのエクストラスキル、《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》。

 オイラの知る限りその所有者の名は……、

 そして、光芒と音が止んだ。

 

「……アルゴ。あいつを殺るぞ」

「っ!? ァ……ア、ア……っ!!」

「バカなっ!? どうやって……く、しかもその剣!? お前はあの時のッ!!」

 

 説明のつかないタイミングでの援軍に動揺するシルフを無視し、彼は背を向けたままひび割れた《エッケザックス》を床に突き刺す。《クイックチェンジ》で素早く巨神殺し(タイタン・キラー)を物体化すると、縦に長い光の檻の上部を振り向きざまに一閃。光子で編まれた檻をたった一撃で破壊してみせた。

 今度ははっきりと顔が見える。

 表情に少し暗い影を落としているが、それはまさにジェイドその人だった。そしてそのパワー装備のまま、闇を象徴する鋭利な黒翅を広げる。

 いかなる説明も後回しということだろう。

 

「クソ……でも、勝った気か!? 仲間が来れば……」

「うるっせェよッ!!」

 

 ダンッ!! とパンプアップした瞬間には、敵の高度に肉薄していた。

 凄まじい加速力だ。目の前にいたはずが、一瞬見失ってしまった。

 そこからもシンプルだった。大剣のフルスイングに遅れて反応した男を杖ごと叩き割り、その重い斬撃によってシルフはたまらず急下降。ジェイドの加勢に入ろう走り出したオイラの眼前で無防備な姿を晒していたのだ。

 ほとんど反射的に、先ほど手に入れていたシリカちゃんの形見を抜刀。

 左手でガードを回転。エクストラスキル《クリスタル・カウル》によって光剣が姿を見せると、床との激突寸前で姿勢制御に3秒も費やした男にサーベルを振りかざした。

 

「終わっれェエエエエッ!!」

「ぬ、がアアアァァアアアアアアっ!?」

 

 肩から袈裟懸けに斬り捨てると同時に腰元へ引く。次に彼の心臓へ深々と穿通(せんつう)させると、男はしわがれた絶叫の末に真の意味で敗北した。

 一見万能な《犠牲の木像》も、1つまでしか携帯できないのだ。

 

「ハァ……ハァ……勝ったよ、シリカちゃん……」

 

 オイラは荒い息を繰り返しながら地面に降り立つと、すぐにジェイドも……すでに絶命したはずの想い人も、ゆっくりと着地して突き刺した《エッケザックス》を回収、インベントリへと収納した。

 嫌な予感はしていたが、その際にも彼はわずかによろめく。

 しっかり対峙するまで確信できなかった――そもそもダメージなどの被弾エフェクトは時間経過で消えてしまう――が、明らかに今の彼は異常に消耗している。《タイタン・キラー》を支えに直立してはいるが、手で軽く押しただけでも砕けてしまいそうにさえ見える。

 そして呆れたことに、そうまでなっても他に敵影がいないか目だけで確認していた。システマチックな動きが余計に痛々しい。

 そして安全を確保した途端、ゆっくりと振り向いた。その無残な姿を前に、色々と混乱を極めたオイラは小さな声で「ジェイド、どうしテ……?」と問いかけるも、彼が返すように発した言葉は短かった。

 

「なんで、その短剣……シリカ、は……」

 

 聞かれて初めて心臓が脈打ったのを感じた。

 隠しても意味はない。オイラは数秒ためらったが、やがてかすれたような声で答えた。

 

「……し、シリカちゃんは……オレっちを守ったせいデ。……今のシルフに、倒されテ……」

「……そう、か。でも……アルゴだけでも、無事でよかった……」

「だ、だけ(・・)……? ちょっと、ジェイド!?」

 

 すでに限界だったのだろう。

 ずっと張り詰めていただろう緊張が解かれる。彼は虚空を睨んだままぷっつりと意識を失い、その場で崩れ落ちるのだった。

 

 

 

 


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