SAOエクストラストーリー   作:ZHE

154 / 159
時系列は、前章最終話の続きとなります。そして後半は前話の続きとなります。読みにくくてすみません。


第116話 話せばわかる

 西暦2025年1月12日 《幽覧城塞・アスガンダル》ボスエリア。

 

 浮遊する要塞の最奥で、俺は諸悪の権化たる研究員によって鉄の檻に鹵獲されていた。天井に吊るされた鉄格子は2つ。首を振ると、シリカも不安を表情に出している。

 それは、プレイヤー同士を強制的に1対1で戦わせる、《王座前室の剣闘》なる決闘スタイルのイベントだった。

 攻略を楽しむプレイヤーと、敵側に(くみ)して妨害するプレイヤーとでは目的が異なるとは言え、一方が日和(ひよ)って逃げてばかりでは陣営を隔てる意味もなくなってしまう。ゆえにシステムの力でスピーディな展開を用意したのだろう。

 そしてシナリオライターとして、開発にも協賛したと自称する非人道的なこの研究員の男は、そうしたカラクリを利用した。

 勝ち誇った、神装のメガネ男。

 

「こっちはヒスイに会うまで死ねねェンだッ! 早くしろリンドォッ!!」

「もう黙れよクソ野郎っ!!!!」

 

 命乞い。怒号。シリカを生贄に出せと吐き捨てた俺に対し、リンドは激しい怒りでもって応えた。

 そして、隊長は俺を捨てた。そう仕向けたのは俺だが、まさかあの合理主義者が利害度外視でこうもあっさり決断できるとは。

 

「(これでよかったんだ……シリカを差し出すことはねぇ……)」

 

 心の中だけで仮初の言い訳をする。

 唐突な別れに、心残りがないと言えば嘘になるからだ。

 不可逆的な失態を前に、小隊長であるリンドはわざと俺の挑発に乗って、シリカではなく《ジェイド》を決闘の参加者に選んだ。それにより、アバターごと内包する鳥カゴを模した1人用鉄格子は、作動した仕掛けに逆らわず長いチェーンを垂らして死地へと運んでいる。イモータルオブジェクトであるこの扉も、きっと下の床に降ろされるなりひとりでに開くことだろう。

 そして戦場は狭い袋小路。いかなる抵抗も無意味。俺はやがて、奴との戦いに惨敗する。

 それを踏まえ、あえて俺はこのゲームオーバーを受け入れた。

 この結果に満足していた。

 ボス戦回避用の通路から、リンドの撤退指示に従って逃げる5人の背を最期に見届けると、俺はわずかに口角を上げながら振り返る。

 ここから先に妥協はない。笑みを消し、左手でメイン・メニューを繰ると、お得意の《クイックチェンジ》で虎の子の結晶大剣《エッケザックス》をオブジェクト化。ポーチに忍ばせた消耗品の量を確認し、左手のガントレットの緩みを正しながら静かに敵を睥睨(へいげい)する。

 するとなんとも間抜けたことに、正体の知れない日系顔の男は細い目を見開き、俺のとった行動に今さら狼狽(うろた)えていた。

 

「き、きみはまさか……そんなっ!? ……じ、自分を戦わせるために、わざとあんなことをッ……!?」

「…………」

 

 カシャン、と無機質な檻が地に着くと、格子の扉が勝手に開錠。数歩だけ踏み出して再びシニカルに笑った俺は、抜刀してからようやく答えてやった。

 

「まあ、あのキザ野郎は真っ先に気づきやがったけどな。ったく……気づかいガイのねェ奴さ……」

「バカな、ことを……!? 翅も逃げ場もない……勝てるはずが、ないのに! きみは……怖くないのか? 実験体にされ、記憶を消されるのだぞ!?」

「らしいな」

「こ、この2ヵ月の記憶をっ……実験のことだけでなく、なにもかも! そうなってはきみに人権なんてない!!」

「じゃあシリカは渡せねぇよ」

「なッ、ん……!?」

 

 俺の発言が信じられないように……あるいは、信じたくない一心で男は声を荒らげて否定する。

 『死』へのダイレクトな恐怖。

 これを2年もかけて植え付けられたはずの一介の子供が、他人を守るために心臓を差し出すようなマネをするだろうか。それとも、すでにリスクに見合う十分なリターンが用意されていて、自分がこの偽善者気取りの真の思惑を見抜けていないだけなのか。

 そんな、スケールの小さい懐疑思考を抱いた矮小(わいしょう)な顔だった。

 

「クいちゃいねェぜ。俺は好きなことわざがあるんだ。弱いオオカミはよく鳴く。強いオオカミは黙って噛みつく、ってな。……()るんだろう? 来いよ、あいつらが逃げる時間ぐらいはかせいでやる」

「……なん……なんだ、きみは……」

 

 しかし、次に彼のとった行動に対し、俺は誇張ではなく驚いていた。

 名も知らぬ研究員の男は、掲げた武器を力なく垂れたのだ。

 

「どうしてだ……きみ達はもっと、殺伐とした世界で生きたはず。……知れば知るほど、奪うことが辛くなる。……初めは自業自得の、なんの取柄もないゲーマーとしか思っていなかった。……なのに、きみ達の方がよっぽどッ……私なんかより……!!」

 

 至極口惜しそうに唇を噛み、積もり積もらせた鬱憤(うっぷん)と罪悪感に抵抗するように。

 思うに、仮初の世界で子供相手にいくら威張っていても、現実ではこうも非情ではないのだろう。彼も人の親だと言っていた。SAOサバイバーの実態に長く触れてしまった無垢な男の葛藤は、まさに積年の齟齬(そご)が限界を迎えた証左だったのかもしれない。

 自分の信念に曇りはないか、と。

 確信を持ちたかった。それゆえ、ブレない人間にぶつけてきた。

 

「これだけの仕打ちに……なんだその潔さは! 自分のために、他人を蹴落とせよ! ……でないと、私のしていることが……惨めになってくる……」

 

 会話にもなっていない、一方的な糾弾。しかし彼は根本的に気づいていない。他人と比較して優劣が付けば、その心疚(こころやま)しい行動を正当化できるわけではないことに。

 まるで2年前の自分を見ているかのようだった。その姿があまりに哀れで、俺は逆効果と知りつつ正論で返した。

 

「……一言だけ。人と比べるのはヤメた方がいーぜ。特に自分(テメェ)のモラルを決めようってンなら、なおさら」

 

 あまりに素っ気ないセリフを前に、とうとう男は爆発した。

 

「仕方ないじゃないか!! 妻には大きな負債があった……なのにっ、背負う立場になって会社が潰れた! 路頭に迷ったところを、採ってくれたのが須郷さんだった!」

「(すごう……?)」

「彼がッ……私と、家族の恩人が! 5年越しに、頭を下げた。……長期プロジェクトへの参加……そう、この実験のことさ! そして計ったように1 万人もの被検体が生まれた(・・・・)。それを利用しようなんて……怖かったさ!! しかし、きみなら断れたか!? 成功すれば子供に初めて贅沢を……いいや聞くまい! 家庭を持たないきみに! この決断を理解することは絶対にできないッ!!」

 

 興奮して荒い呼吸を繰り返す彼から察するに、よほど勉強一筋で生きてきたのだろう。世の中には俺の100倍頭がいい連中でも、正しい選択をしない出来損ない人がいるらしい。

 この男は典型的な例だった。

 そして俺の出す答えは、相手の事情を加味した上で変わることもない。

 

「俺なら断ってたぜ。家族がいるなら、いっそう強く……」

「ッ……!! だからっ、言っているだろう! 子供には理解できないのだ! 1人2人女を作ったぐらいで、知った風な口をきくなぁあっ!!」

 

 男が魔法触媒を吹き被るのと同時にゴゥウッッ!! と雷鳴が轟き、俺の立っていたポイントは雷の渦状紋によって(まばゆ)いエフェクトに引き裂かれた。

 しかし大剣を払うと、晴れた白煙の中心では《エッケザックス》の力によって俺が無傷のまま棒立ち。

 エクストラスキル《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》。発動には大きく耐久値を消耗するが、数日前にフィールドNPCに魔法の研磨具で磨いてもらっていたので、耐久値はMAXだったのだ。

 その結果に逆上した彼は、いま一度杖を振り上げた。

 しかし、攻撃は来ない。どれだけ待っても。

 そうして彼は何かを認めたのかもしれない。動じない俺に、とっくに理解していた矛盾に、ただ八つ当たりをしていただけだったことを。

 目じりに涙まで浮かべ、男はとうとう(うつむ)いた。

 

「くっ……どうして……うまく行かないんだ……」

「…………」

「努力してきたつもりだった。この2ヵ月は……しまいには気が病むほど悩んだ……しかし私が、今までやってきたことは……全部、間違いだったのか……」

「……アンタの子供に、自信もって言えるのか」

「っ……!?」

「言えないだろ。親の不正なんて聞きたくもないさ。……『いい暮らし』だァ? ザケんな。努力もわかってもらえないんじゃ、アンタがバカを見るだけだぜ!!」

 

 だいの大人が、すがるような視線で。

 

「じゃあ……私はいったい、どうすれば……?」

 

 かつての俺に。今の俺から、軽いアドバイスでもしてやるように。

 

「……遅くないさ。このクサった実験を、俺と終わらせよう」

 

 諭すように左手を差し伸べると、放心状態だった男は、光に導かれるように武器を捨てるのだった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 これから先は彼が自発的に語った経緯だ。

 彼の名は土渕 総悟(とぶち そうご)。すでに30代も後半に差し掛かっているらしい。

 貧しい家庭で育った彼は、10にも満たないうちに不治の病で父を失い、母子家庭を優先して置いてくれる団地に住まざるを得なかった。

 そういったワケあり家庭を抱え込む地域はヤクザや暴走族の温床であり、それに伴って治安は最悪で、高校を卒業するまでに3つの死体を見てしまうほどだったらしい。しかも1人は同級生の自殺で、土渕本人も薬物中毒者の運転する交通事故に巻き込まれ左足に一生傷を負ったとのことだ。

 無論、ここまで劣悪だと進学できる人間も一握りで、モノを学ぶにも国公立への道しか残されていなかった。

 しかし、生まれを慷慨(こうがい)しても現実は好転しない。

 そう割り切って歯を食いしばったことが後に糧となり、土渕は志望した大学に補欠合格で編入。上京するまま猛勉強し、大学院を修了すると共に優秀な研究成果を収めたようだ。

 ゆえに、このプロジェクトへの参加資格を得てしまった。それは首の真綿が締まるような、生活を蝕む毒の巡りだった。

 あとは先ほど感情的になった彼が(まく)し立てた通りである。

 2ヵ月前の午後。アインクラッドの開放日。どこか対岸の火事だと思っていた彼にとって、急遽(きゅうきょ)大きく道を分かつ選択の時がやってきてしまう。

 動物実験をスルー。厚生省や治験事務局への申請も当然スルー。あるいは、出版バイアスにより巧みにやり過ごし、倫理もクソもない臨床試験の準備は唐突に始まった。「海外赴任という形でほとぼりが冷めるまで隠遁生活を続ければ、再び元の生活に戻れる」。そう断言してくれたそうだが、もちろん今となってはその言葉にすら信憑性はない。

 だが、幼少期の極貧生活と、それに伴うコンプレックスが邪魔をした。

 『ゲームをしている』というだけで、法的にも金銭的にも守られる形となった俺達に対し、彼の下した決定は悪魔の違法行為への加担だった。

 わずか数ヵ月の研究実績があれば大過(たいか)なく一生を過ごせる。強い願望と欲求が、有能だった彼から随所にあったはずのほころびを見落とさせたのかもしれない。そうなれば命を下す人物はおろか、他社の利害関係者(ステークホルダー)でさえ死なばもろともの共同体だ。

 しかし、いつまでも無関係な仕事仲間に黙っていなければならない生活に、摩擦が起きないはずもなかった。

 やがて金を生むことにのみ執着しだした恩人……須郷伸之なる人間の方向性に嫌悪感すら持った土渕は、自分のしでかした大罪と何度も向き合ってきたらしい。

 少なくとも、おそらく誰にもできなかっただろう相談を、実際に会ったこともない人間に打ち明けてしまう程度には。

 

「こんなことをきみに話したところで、どう変わるわけでもないんだけどね……」

 

 土渕は座ったまま、やつれきった顔でそう言った。

 

「……でも、だいぶ楽になったよ。《ラボラトリー》ですべてを狂わされた人に……しかもまさか、こんなガラの悪い少年に話してしまうとは。……だいぶ弱っていたようだ」

「『ガラの悪い』が余計だ。だいたい、アンタのクラスメイトのほうがよっぽどだぜ」

「ハハ、まったくだな……」

「……まあでも、引けない立場ってのはよくわかったよ。家族のため、恩人のため、ってな。アンタが決められないなら……じゃあどうだ、俺と1つ賭けでもしようぜ」

「賭け……?」

 

 エリアボスだったはずの《廃国の覇王》もとっくに彼のチート能力で排除され、決闘イベントそっちのけで仲良く壁にもたれ座っていた俺は、両手の反動で立ち上がってから彼の正面を陣取った。

 ノリ自体は軽いが、これは両者にとっても重要な提案だからだ。

 俺は相手の正面で向き合った。

 

「そう、ギャンブルだ。俺には1枚のスクショがある。これをアンタに渡すから、向こうにログアウトしたらネットの掲示板にでも貼ってほしんだよ」

「はあ……しかし、それがどう賭けになるというんだ?」

「なるんだなァ、これが。ほら、さっき言ってたろう。俺らは5人の肩車で世界樹の頂上付近まで飛んだんだぜ? だからこれには、ちょっとばかしレアな絵が写ってる。撮った方法とかも書いて現実味出しといてくれ」

 

 土渕は俺の言わんとする、つまり画像を添付するだけでどう賭けに繋がるのかを模索したが、ものの数秒で暗い顔に戻った。

 

「……なるほどね。だとしても、たぶん無駄だよ。他のプレイヤーに《世界樹》の上へ向かわせようというのだろ? しかし我々のスタッフならすぐにそんなバグは修正できてしまう。適当な高度で不可侵エリア設定を追加するだけだ。そして私が流布して間もなく、彼らは写真(それ)に気づいてしまうだろう」

「いいんだよそれで。アンタは、そうだな……せめて3日後のメンテで殺しに来ないでくれ。もう2ヵ月だ。理由つけて1回サボるぐらいはできるだろう? 新型コロナにかかったとか言っとけ」

「ハハッ、だとしたら最低1週間は出社禁止さ。……理由はともかく、可能かもな。しかし……」

「しかしもカカシもない。乗るか乗らないかだ」

 

 俺はまくしたてるように続けた。

 

「俺らが全滅するか、しかるべき時間だけ見守ってナニも変化なきゃもう抵抗しねーよ。……ただし、状況が変われば……リアルの連中がアンタらの悪事に気づけば賭けは俺の勝ち。いさぎよく受け入れてくれ。アンタのしでかしたこと……そして、そのスゴウとかいう男のことも、全部かくさず話すんだ」

「悪事に気づくって……まさか通報されるとでも? そして警察から電話か? 『おたくの会社で人体実験が行われていますか?』なんて。ハハハハッ、とても現実的とは思えないな……」

 

 俺が自信アリ気に話すと、彼は理解できないといった風に肩をすぼめた。

 公共のPCを仲介すれば、履歴は残らないしIPアドレスも辿れない。その手に精通する彼なら、足がつかないように画像を1枚バラまくぐらい造作もないだろう。

 しかし、事実をすべて的中させた陰謀を長文にしてネットに流しても、それが証拠にならないなら国は動かないのだ。ましてや、たかがゲームのゴール地点を先取り(フラゲ)されただけで、前代未聞の大犯罪が暴かれ、(おぞ)ましき臨床試験が白昼に晒されるとは思えない。そういった表情だった。

 そしてその常識的なプロセスはおそらく正しい。

 だからこそ、これは真に『賭け』なのだ。なにせ俺にも何1つ確証がない。

 言った本人に確証がないのだから、あとは信念しかない。

 

「時間がないんだ、俺が失敗したらアンタは一生シラを切ればいい。いい加減、恩人の顔ぐらい立たせただろう」

「……わかったよ、スクリーンショットは預かろう。私はとんだ臆病者だが……これぐらいのことなら、力になれそうだ」

 

 そう言って立ち上がった土渕に向けて少しだけ笑みをこぼすと、俺は自分のフォトギャラリーから1枚の画像データを送信した。

 だがしばらくしてそれを受け取った彼は、目をしばたかせて驚愕していた。

 

「こ、この写真に載っているのは『彼女』か!? きみはまさか、須郷さんのことを知っていて……っ!?」

「はぁ? アスナの知り合いなのか? でも言っとくけどそいつ、俺に限らずソードアートにいた大半の奴が知ってるぜ。俺より剣の使い方がうまい、超がつくほどの有名人だ」

「そ……う、だったのか。は……はははっ……きみよりうまく剣を扱える人がいるなんて……」

「ケッ、向こうじゃケッコーいたよ」

「……不思議な感覚だ。確かにこれなら『賭け』だろう。もう何度も驚かされてきたが、きみという人は本当に……大瀬崎 煉(おおせざき れん)君、だったか」

「え、なんで本名知ってんの。こわ」

「…………研究に終止符を打つかはわからないけど、少し期待してしまうよ。これが私を解放してくれることに。……じゃあそろそろ戻る。これ以上は不審に思われるからね。……ところで、ほとんど同時にきみの仲間はアスガンダルから脱出してしまうだろう。追うアテはあるのかい?」

「ないな。ま、足でかせぐさ。運がよけりゃまた会えるって」

「ふっふふ、まったく……」

 

 呆れたように笑うと、今度こそ彼は簡素な光のシリンダーに包まれて消えていった。

 これでエリアには俺1人。きっとこの時点でエリアごとの移動を制限する(よど)んだ壁も取り除かれたことだろう。

 久方ぶりの静寂が戻る。無人の部屋を見渡すと、その空々しさに気温とは関係なく身震いする。しかし俺は、(きびす)を返すなり全力でエリアの外周へ向かった。とるべき行動は単純だからだ。

 とにかく、生き延びる。

 リンド達との再合流は頭の片隅程度で考えつつ、なるべく長く生存する。世界樹に囚われたアスナの写真という、いわば最後の希望だった保険カードは、嬉しい誤算によってこれから巷間(こうかん)に流れるのだ。それが芽吹くにせよ(つい)えるにせよ、最後まで見届ける者が消えては何の意味もない。

 それにしても……、

 

「(おーう……つか俺、これで独りか。なっつかしいな……)」

 

 アスガンダルを抜けるため誰もいないフィールドを疾走するうちに、一切口を開くことのない……仲間との見栄や強がりも張れない虚脱感に襲われた。ヒスイとは度々言い争いぐらいはしたものの、思えば1年半前の夏以来、これだけ孤独な夜をフィールドで過ごしたことはついぞなかったのに。

 俺はそれだけ恵まれていたというわけだ。

 明らかに性格破綻者だった愚か者が、土壇場で慌てだしただけで努力家などと呼ばれ。そうして生み出されたゲイン効果が分不相応な誤解を招き、面白いぐらい俺の外堀を埋めてしまった。

 だとしたら、それらに報えるようここで踏ん張るぐらいはしなければ。

 

「コドク上等っ!! 1週間だァ!? 永遠に生きたるわ、クソッタレがッ!!」

 

 独りだからこそ、あえて大声で叫んだ。

 霜柱だけが薄く張る荒野を踏み抜き、やがて浮かぶ揺籃(ようらん)の外周へ到着。誰からのサポートもなく、互いの種族で略奪を繰り返す世界を、たった1人で生き抜くために。

 助走のままに腕を広げ、翅を広げ、大空へ飛び立つ。

 寂寞(せきばく)の旅が始まるのだった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 1日が経過した。

 あのままノーム領の真ん中に降り立った俺は、極力戦闘を避けるべく、そしていざ遭遇戦になった時に翅を使って空路で逃げられるよう、徒歩での移動を余儀なくされた。

 単純に考えれば6人より1人の方が敵からは見つからない。おかげで命を脅かすほど危険な目に遭うことはなかったが、代わりに1日の移動距離は極端に制限される。その上ソロプレイになった時点で最も無防備となるのは睡眠中である。

 よって俺は、初日は可能な限り寝る時間を削って対処した。

 

 3日経過。

 戦闘回数はだんだんと増えてきた。やはり広域を探知できた(アルゴ)(シリカ)を失った代償は大きく、接敵前に相手を探知する術に乏しいのだ。

 SAO時代では、こうなることを予測してソロ前提のビルドを早期に確立していたが、種族的にも時期的にもスタイルの変更は難しい。おまけにインプの特性を生かした夜間行動をしようにも、ALOでのズレた時間周期がそれを許してくれない。

 中和の追いつかない疲労が着実に溜まっていった。

 

 5日経過。

 南下するうちに、3度ほど死にかけた。フラットな床を歩くだけで酷く跛行(はこう)し、集中力も断続的に切れ、現時点での生存は実力だけでなく運で成り立っている。もっとも、翅を残す逃げの作戦がうまく行っただけで、相手が最長飛行を得意とするシルフ、およびライドできる《使い魔》付きのケットシーのエリート集団であれば間違いなく狩られていただろう。

 そして問題は戦闘だけではない。

 転生初日から生活に苦労した原因でもあるが、SAOとはコンセプトから異なるせいか、『この世界にログインしたまま暮らせる』ようになっていないのだ。

 加えて俺は街にも入れない。まともな補充がないまま騙し騙しやってきたが、やがて切り崩し続けた数日分の備蓄――と言っても当然、俺に与えられていたのはその1/6人分――も底をつきた。

 

 そして、1週間。

 眠らず、食わず、戦い続ける日々。そこに、とうとう限界が訪れていた。

 リンド達との合流も多少気にしては見たものの、距離が空きすぎて《パーティ登録》が外れてしまった以上、彼らと連絡を取り合う手段はない。アスガンダルに半日もいたせいで今までの巡回スケジュールもズレ、そもそも俺とリンド達とではスタート地点も合っていない。合流は不可能という予想は、残念ながら間違っていなかった。

 気づけば俺は、おぼろげな意識のまま暗い(うろ)の片隅でただうなだれ、ぐったりと座り込んでいた。

 意識があるのかも怪しい。少し寝ていたのか。

 情けなく泥と(すす)(まみ)れ、すでに残された物資もない。心身ともにボロボロの状態で、とうに立ち上がる気力さえ削がれ、堂々巡りしていた疑問が晴れると事実を悟った。

 その疑問とは、たった1枚のスクリーンショットのことだ。

 最後のカードがいかなる逆転にも繋がらなかったという、厳然たる結果を。

 

「(あ、ぁ……クッソ……ぼうっとする。……おわり、か……? ずいぶん長い……たびだった……気が……する……)」

 

 意識的ではなく、ほとんど生存本能のようにぶ厚い大剣を握りしめ、焦点も合わないままそんなことを考えていた。

 ひんやりとした感触を壁伝いに感じると、こめかみに居座る激痛すら押しのけて、逃れようのない睡魔に再び襲われる。そして同時に、辛いだけの旅路ならこのまま終わってもいいとさえ感じていた。

 

「(つぎで……さいごに、しよう……)」

 

 率直にそう思った。モンスターであれ、プレイヤーであれ。誰に攻撃されようときっと俺はもう動けない。(おり)しも俺のストレージから汎用的な回復アイテムさえ尽きていたが、それに気づいたわけでもない。

 そうしてすべてを諦め、意識の手綱(たづな)すら手放そうとした瞬間。

 1つの、切羽詰まった声が響いた。

 

「シリカちゃん、絶対に生き延びるゾ!!」

 

 どこか聞き覚えのある、懐かしい声が耳朶(じだ)を打った。

 幻聴のように暖かい音色だ。三人称視点の自分が本体を眺めながら聞いているような……そうだ、これは夢を見ている時に近い。いつもそばで俺を包んでくれた、この声は確か……いや、そんなはずは……、

 声が続く。

 

「はいっ! きっとジェイドさんならそう言います!!」

 

 まぶたが嘘のように軽くなった。

 今度は耳当たりの良いソプラノのかかった高い声調。俺の名を呼んでいた。彼女達が、ここにいる!?

 

「アルゴっ……? シリカ……!?」

 

 いてもたってもいられなかった。

 仮眠に移る前の、わずかに痺れだしていた四肢を無理やり叩き起こそうとするが、あまりの不調に(うめ)き声まで上がる。

 どうにかして剣を突き、俺は薄眼のまま辺りを見渡した。声はもう聞こえないが、先ほどのは間違いない。あとは場所だ。

 

「(動けよ……根性ナシが……ッ!!)」

 

 俺は大雑把に方角だけ絞ると必死に足を動かした。

 しかし、ほぼ意識のないまま洞を進んでいたことが災いした。

 自分の現在位置やダンジョンの構造を理解していないのだ。いわんや知見のある地だとして、今は頭もはたらかない。

 フラフラしているとすぐにモンスターと会敵。イラだっていた俺は思考を止めて重厚な鉄塊を振り抜き、進路上にポップした多腕型サルどもを続けざまに(ほふ)った。

 30秒も進むと、通路はやがて分岐路に差し掛かる。左右ともに出口はあったはずだが、流れ込んでくる風の音からおそらく外が近いのは左だ。

 直感に頼るべきか、それとも。

 

「(いや、待て。風の音じゃない! 右からか!?)」

 

 耳を凝らすと攻撃系魔法のSEが輻輳(ふくそう)している。確定だ。

 

「待ってろ、いま行く……ッ!!」

 

 音源はどんどん近くなる。整備されていない岩のトンネルがどんどん後ろへ流されていくと、俺は洞窟にしては開放的な空間へ飛び出した。

 石柱や段差は多いが、ゆうに体育館4つ分以上はある。ここはかねてよりオークが集団で暮らしていたという設定の一種の集落で、こうしたフィクション上の生物の隠れ家は点々と配置されている。

 そして視界の遠くに、やっと見つけた。

 待ち焦がれた仲間達の姿を。

 だが彼らは劣勢に立たされているうえに、どうも人数が合わなかった。3人しかいないのだろうか。

 

「隊長! 生き延びて!! オレ達のことをッ、絶対に伝えてください!!」

「バカ野郎、テグハ!! 引けェ!!」

 

 発見して早々。視界の中で1人が燃えた(・・・)

 目つきが悪く性格にも難があり、互いに不器用ゆえに俺と何度も衝突したが、どこか気さくでやると決めたらとことん貫くまっしぐらな男。シルバーの重金に双鷲を意匠にした黒鉄(くろがね)のタワーシールドと共に、1人の戦友がこの世を去る。

 悲しむ暇すらなかった。

 この時点で事態を察し、全速力で疾駆(しっく)する。

 

「テグハ! クソ、テグハぁ!!」

「リンドさんダメです、1回下がって!! ……ガァ!?」

 

 しかし近づく前に戦局が動いた。

 今度はフリデリックの奴だ。隊長リンドを守るために、やたらと大きいエストックの刺突攻撃に自分からぶつかりに行ったのだ。

 それが彼の心臓を貫くと同時に、自らも右手のショートスピアで同じウンディーネの姿をした敵の腹を刺し貫いた。

 『死が確定』してもHPゲージが全損するまでに残るわずかな判定を利用した、道連れによる相打ち。敵はジャストキル。リックはオーバーキルによってリメインライトへ。そして彼のそれだけが、テグハ同様『奴ら』によって2、3秒ほどで回収された。

 これで2人。

 あまりにも早い仲間の死に、その現象に、頭の方が追い付かない。仲間が目の前で消えてしまったことに対し、リンドですらどうにか小さく疑問符を口にできただけだった。

 

「リック!? クソッ……2人も……お前らァ!!」

 

 しかしリンドが激昂(げっこう)する数瞬前に俺が戦場の中央へ乱入。横振りの一閃で連中を後退させる。

 ドガッ、と荒いジャリの上に降り立つと、その場へ割り込んだ。

 

「リンド! おい今のは!? なんで3人しかいなかった!!」

「なッ!? ジェイドか!?」

 

 幽霊でも見たような反応だったが、説明している時間はない。

 たった1人だけ生き残った仲間――もっとも、彼とてHP残量は半分もないが――の隣で、相手の6人集団を(にら)み付けた。

 敵集団は終盤での援軍に動揺を見せつつも、各々勝手に「あいつ、確か《スワロゥ・パーム》盗られた時の!」、「まーた弱体化デバフか。イース、解呪頼む」、「こっちも蘇生系は品切れだ。もう死んだらアウトだぞ!」だの言っていた。

 だが、俺はどれもまともに聞いていない。

 リンドは並び立ったまま口を開いた。

 

「お前、どうして……!?」

「理由は後だ。先にこいつらを殺るぞ!」

 

 戦力差3倍の趨勢(すうせい)だが、先の会話から相手も俺達と同じ土俵に立っている、すなわち『死んだら終わり』という状態なのだろう。

 まだ覆しようがあるとはいえ、先に殺られたリックやテグハはきっとそうした蘇生ローテーションの前に敗れたのだ。

 作戦でもあるのか、敵側6人のうち緑色の髪をしたカマくさい曲刀使いが後退する。

 

「(プーカが下がった……そりゃそうか。けど、ケットシーの奴と同じだ。対人に慣れてないのか……?)」

 

 パッと見では全員手練れ集団だが、少なくとも2名は結果の見え透いたリンチに罪悪感でもあるのか機敏性に欠けるし、テイムしているらしい幼竜もじゃじゃ馬っぷりを見せている。《なつき度》が足りていないか、いずれにせよ数を減らすなら先に彼らだろう。

 殺す順番に半ば確信を持ってチラリと横を覗くと、リンドが円盾の下でハンドジェスチャーをしていた。

 やはり狙いは同じ、『未熟者の排除』から。普段と違いリック達の援護がないのは不安だが、先制したのは俺達だった。

 

「シッ!!」

 

 先に間合いを詰めて自慢の大剣を振るうも、ゴガンッ!! という鈍い音と共に、気の抜ける優しい顔をしたノームが持つ、不気味な人面大盾で受け止められた。対人用のシステム外スキル《ゼロスタート》を駆使したつもりだが、やはり単調技1本で勝敗は揺れない。

 しかしこれはブラフ。

 ほとんど()でるように刀身を滑らせると、移動のエネルギーを活かせるように体全体を前へスライド。

 文字通り横槍を入れてきた優男風レプラコーンの顔面に、カウンターで回転蹴りによる靴底の一撃をプレゼントしてやった。

 加速を殺さず、3人目へ一気に接近。

 

「なっ、なにィッ!?」

 

 その男へ、特大剣が真下から炸裂した。

 前衛2人をパスされ、もたついていた小柄なケットシー野郎を、その腐れイチモツから脳天まで切り裂く強烈なアッパーカットで数メートルほど突き上げる。

 性器粉砕。「あっぴゃああァァああああああっ!?!?」という、新種の生命体然とした悲鳴。そのケットシーの首も、刹那の脚力で加速したリンドが高級曲刀で両断した。

 爆散エフェクトすら無視。彼はそのまま苔むした岩石の壁を蹴り、後方でのんびりスペルを唱えていたプーカへ襲いかかった。

 またも首に直撃。アイテムによって炎エンチャントされた彼の凶刃(きょうじん)によって、敵チームのインプの加勢むなしくカマくさいプーカもまた呆気なく散っていった。

 2名の排除。

 これで、あと4人。

 最も実力者らしいグレイブのサラマンダー。

 前髪が陰キャくさい片手直剣のインプ。

 顔面偏差値の高い盾持ち槍使いのレプラコーン。

 マッチョの大盾持ち斧使いなノーム。

 

「ぐ、クソが! こいつらやっぱガチ強ぇ!!」

「アホっ! 2人の動きが悪かっただけだ! ビビんな!」

「イースさん止めてくださいよ!! 1人はオレらで殺るから!!」

「エー!? ならインプがいいよ! あの時のインプだよ!」

 

 会話が成り立たないと同時に、連中の1人にイントネーションのおかしい奴が混じっていたが、俺としてはわずかに反撃を受けたリンドのことの方が気がかりだった。

 そして、目線を仲間に逸らした瞬間を狙われた。

 

「(どうにかして回復するスキを作りたい……)……がァあアア!?」

 

 ほんの狭間のような時間に食い込ませるかのごとく、ズガンッ!! と、猛烈な一撃に見舞われたのだ。

 甘く見ていた。強襲者はサラマンダーの大男。寸でのところで大剣によるガードが間に合ったものの、クセのない型通りの攻撃は意外にも俺を数歩たじろがせた。

 このまま引き剥がされればリンドが孤立する。

 俺は鍔競り合いをしたまま仕返しとばかりにフル筋力で押し返し、弾くのと同時に脇を通り抜けようとした。

 しかしまたも失敗。

 真っ赤な男は恐るべき反応速度で再び壁となり、通せんぼ(ブロック)してきたのだ。そのくせ相手には笑みすら浮かび、余裕のほどが(うかが)える。こうしている間にもリンドが3人に囲まれているというのに。

 

「ハハッ! やっぱり!!」

「(クッソうぜェ。なんだよコイツ、さっきから……!!)」

 

 質感のあるグレイブを()る、体格に恵まれた初老の軽甲冑戦士。言動からは無邪気さまで感じるが、彼の態度(それ)はまるで旧友との再会を喜んでいるようにも見える。

 しかし火急(かきゅう)の問題はこの男がどこの馬の骨か、ではない。

 邪魔をするなら、斬り捨てるまで。

 俺は大剣を右に引いて下段で構えた。

 

「どけオラァァアアアアッ!!」

「ウゥっグ……ワォ!? ハハハァッ!!」

 

 渾身の一撃を()で受けても引かず、あまつさえ威力の減衰と反撃にまで転じてきた。

 マズイ、マズイ、マズイ……。

 このままでは本当に!!

 

「リンド! ッつ、うぜェよクソがァ!!」

 

 わざと大振りにした上段払いを躱させた俺は、その捻転力を利用して回転しながら横に一閃。サラマンダーの分厚い胸に初めてまともなフェイント攻撃をくれてやった。

 与ダメージも確認せず、3人に囲まれた瀕死(ひんし)の仲間の名を呼んだ。

 されど、声が返ってくることはなかった。

 まぶたが痙攣(けいれん)した。奥には火に炙られるプレイヤーの姿が。

 

「うっしゃあ! 俺がラスト決めたぜ~!」

「うはーサンキュー! 最後アブなかった。もーこれ以上死にたくねぇわ」

「これであいつがラスイチだなぁ」

 

 寄って(たか)ってニアデス男を串刺しにした連中は、まるで一仕事終えた時のような軽々しさで漂うリメインライトを見下していた。

 リンドの死を認めてなお、俺は奥歯でギリッ、と音を立てた。戦うことに意義を無くしたとはいえ、このクソ外道どもを戦友である俺が見逃しておく道理はない。

 アドレナリンに(たの)んだ意志の爆発。

 加速は一瞬だった。

 

「クソッッタレがァアアアアアアアアッ!!!!」

 

 ゴッパァアアアッ!! と、中心にいたノームを大剣のフルスイングでブッ飛ばした。

 しかしさすが場慣れしている。きっちりガードはされていたし、両脇にいた男達の反応も的確だった。

 インプの男は片手剣と中盾。レプラコーンの男はメインの弓を収納し、サブに仕込んでいた長柄槍。その彼らが2人とも攻撃を受けたノームを守らず(・・・)に挟み撃ちの体制を取ってきたのだ。

 仲間がダメージを受けようが関係ない。それぞれが役割をきちんと認識している。

 数に劣る俺にとって、散開して死角に回られることが1番厄介だからである。

 

「集中! 集中だよココ1本! 4人いたら絶対勝てる!」

「ドドマル! ちっと頼む、ポーション飲むわ!」

 

 声が重なるなか、視界の端で一時的にレプラコーンが下がった。

 絶え間なく剣戟を交えたまま、それを見た俺と敵インプの詠唱はほぼ同時だった。

 

我は、(エック)祈る(フレィスタ)! ああ神よ(エーゴズ)……!!」

我は、(エック)進む(リィダ)! かくなる上は(グラック・リィ)!」

 

 両雄闇属性の、《内なる狂性(ロードブハイド)》と《高揚剤(スティムレイト)》。

 単騎で独走できる俺のドーピングに対し、彼のそれは被ダメが増加してしまう代わりにスーパーアーマー能力を得られるもの。味方との総攻撃で《怯み値》を継続して稼ぎ、連続ヒットボーナスを目的に使われることが多い。『食らってでも押し通す』のに有効である。

 すなわち、互いに狙いはゴリ押し(・・・・)だ。

 ほぼ同時に詠み終え、双方獣のような雄叫びを上げながらさらに前進。

 しかし俺だけは大剣を振りかぶると同時にベクトルを上へ。屈伸直後に足から伝わる反動が体を跳ね上げた。

 軸を傾けたままコマのように回転。ガッシュン!! と、剣先がインプの肩口を抉るも、俺は無視して後ろに控える本来の標的に向かっていった。

 

「しまっ!?」

「おっせェええよォッ!!」

 

 移動エネルギーをすべて攻撃へ。ノームとレプラコーンの反応はわずかに遅れ、直後に轟音と粉塵が拡散した。

 

「がァあああ!? くそ、メチャクチャだこいつ!!」

「ゴッソリ取られたぞ!! ちくしょうブーストしてやがる!!」

「殺れ! 誰でもいい、トドメ行けェ!!」

 

 回復したそばから体力を失ったからだろう。ほとんど無意味に叫んでいる間に、俺も咆哮をあげたまま連撃を続ける。

 (ほころ)びを見抜き、今度もまた全力振り。

 瞬間的な横向きのカ重圧に耐えられなかったレプラコーンのポールランスが半ばからへし折れると、ショックを受けるツラを尻目に続けさまにその胸ぐらを掴み、片手背負い投げの要領で壁際の備蓄用木箱へダストシュート。オークの主食であるトカゲのようなモンスターの燻製(くんせい)と、水分が飛ぶまで干した果物が地面に汚らしく散乱した。

 ここでようやくサラマンダーの男がノロノロと参戦。

 しかしやる気のない振り下ろしを横に弾くと、顔を地面に擦らせるような姿勢のまま、斜め上に伸びた上段キックが彼の腹にクリーンヒットした。

 あっさり蹴り飛ばしたが、彼がこれほど不用意なわけがない。

 そして、そう感じたのは俺だけではなかった。

 

「ちょっと、どーしたのさイース! マジメにやってよ!!」

「エーヤダ。1人でやりたい! 1人デ!」

「ハァっ!? ……もうっ、ンだよそれぇ!」

 

 穴を埋めるように、インプの男が納得できないまま攻撃してくる。

 だが集中力を欠いていたようだ。俺は地に突き刺した大剣で相手の両刃直剣を受け止めると、その左腕を蹴り上げシールドを剥がした。

 剣に慣れたゲーマーでも、意外と体術との併用までアバターに馴染んでいる者は少ない。

 隙を前に息を吐き、筋肉が膨張する感覚。そして左脇からの大剣の重撃。

 

「ぐがァアっ!? く……クソボケが!!」

 

 直剣による防御が間に合わなかった彼は、豪華な防具に守られているはずなのにたった1発で半分以上死に近づいた。これがドーピング闇魔法《スティムレイト》の反作用だ。

 しかし、効果のおかげで大剣による入魂の一振りに怯みもしない。

 俺は垂直ジャンプで四方からの反撃を躱すと、さらなる返しで落下の刺突攻撃を。これを間一髪のローリングで避けられてすぐ、立て直した2人の敵が邪魔をしてきた。

 

「ちええやァアアアア!!」

 

 さすが鍛冶妖精(レプラコーン)といったところか。先ほど折ったばかりだというのに再装備した新品の槍でしつこく突いてきて、ただでさえスリップダメージを受けている俺は、直撃を避けるために回避に移らざるを得ない。

 しかも、彼の後ろには本命の脳筋野郎が……、

 

「(クッソが、避けらんねェ!!)」

 

 ノームの一撃。

 《スイッチ》の応用で大斧使いに追い込まれる。踏ん張りを利かせる暇もなく、手先が麻痺するほどの振動と、それに伴う凄まじい衝撃が、ガードしたはずの俺を大剣ごと吹っ飛ばした。

 意識が飛びかける。

 これが満場一致の脳筋種族か。

 壁面に激突すると視界が暗転しかかり、冗談なしに呼吸が止まった。

 

「かっ、ァ……ンなろっ……死ね、カスがァ!!」

 

 それでも、前へ。

 物理的に壁となる2人を斬り崩すべく、俺は猛然と肉薄した。

 ブーツの(びょう)が岩石を抉り、全身エンチャの速力も乗せて方向転換。ほとんど相手の反応速度を超えたスピードで3次元的なスクランブル軌道を取る。

 一段強く蹴って死角にもぐると、まずは一撃。

 際どい所で反射的にガードされたが、再び回転で奥まで直進し、槍使いの優男を追い越した先の巨漢にも大上段から礼をしてやった。

 

「オッルアアアアアッ!」

「ぐうぅうっ!?」

「クッソ、当たんねェ! ラグいラグい!!」

 

 負け惜しみのように叫ぶがラグではない。実力だ。

 甲高い音が響き、ガゴンッ、と一拍遅れて彼の人面大盾がエリアの端に落ちた。

 その顔面を上段回し蹴りで愉快な形にしてやると同時に、しかし気は緩めない。手を止めていたインプの男が追加魔法を唱え切る寸前だったのだ。

 おそらくそれは闇魔法の《猛毒帯域(ポイゾネスベルト)》。《猛毒》のデバフを与えて俺のスリップダメージを最大まで引き上げ、あとは守りを固めて時間経過で勝とうという算段だろう。

 

「(しゃらくせェっ!!)」

 

 レプラコーンの長槍による薙ぎ払いに弾かれるまま、体を捻って転がりながら、側宙でもするようにいきなりインプへ接近。

 俺は大胆に足を開いて自身のナニをその鼻っ面に押し付けると、股の方からガバッ、と覆いかぶさってやった。

 

「むごごぉ!? むっぐゥゥぅううう!?」

 

 クソッタレの口が動くだけで、股間から絶望的に不快な感触が去来する。が、あと一句というところで『野郎の汚物押し付け作戦』でチャンファさせられたインプが咄嗟(とっさ)に対応。嫌そうにしながらも顔面に乗っかってきた俺の腰を掴み、そのまま仲間の方へ叩きつけようとしたのだ。

 タイミングを合わせるように、ノームの男が斧を横にフルスイング。

 なんちゃって肩車状態の愉快な2人と、黄土色のムキムキフィニッシャー。その全員の叫喚が重なった。

 

『ふぬがァアアアアアアアアアアアッ!!!!』

 

 しかし俺が4枚翅を広げると、ビッタァ!! と空中で制止。鈍器に近しい鉄の塊は、背中の表面をなぞるように盛大に空振りした。

 直後に片翼にのみ力を込める。

 頭に覆いかぶさったまま体を捻ってベクトル変化をアシスト。首から上だけを重機で摘ままれたようなインプが宙に浮き、彼を下半身で投げ飛ばすと同時に、右手だけで大剣を振り抜きノームの左足首を(すく)い上げた。

 

「オッルァアアアアアっ!!」

 

 気合いだけで成した変則同時攻撃により、2人共々きりもみ状に飛ばされ、情けない悲鳴と一緒に木造家具へ追突。すでに廃材に近かったそれらは、若干2名のダイブによってけたたましい音と共にバラバラになった。

 しかもインプ男は片手剣までロストしている。

 

「(まだだ! まだ気ィ抜くな!!)」

 

 ふっ飛ばしただけで大きなダメージが与えられたわけではない。

 三度(みたび)パンプアップ。エクストラスキル《突進兵(チャージャー)》のエフェクトを纏ったレプラコーンが直角方向から攻撃してくる。

 ガード値を削りつつ盾の上からでも刺突ダメージを入れられる技だが、今はコケ脅しに使用しているだけ。難なくジャンプで回避すると、突進中の彼の額にかかとの底で強烈キックをお見舞いしてやった。

 

「フんゴァアアアアっ!?」

 

 鈍い打撃音。靴底キックにより優男の顔は見事に崩れ、キレイに縦回転すると脳天を強打。追い越した敵にグルンッ、と振り向いて着地すると、両腕の全筋力を《タイタン・キラー》へ。

 凄まじい速度で大剣が弧を描きながら振り下ろされた、次の瞬間。

 ゴンッ!!!! と、一瞬だけ寝そべったレプラコーンの体が高圧電流を浴びたように跳ね、その男はツラが縦に分断されるというなんともエグイ方法で絶命した。

 ボウッ、と燃ゆる哀れなプレイヤー。

 ようやく1人だ。

 すぐに2人へ構え直すと、直線状にいた遠くのインプが崩れた廃材から這い出て吠えていた。

 

「ハマっちゃんマジか!? クソ、おいドドマル!!」

「わかってるッ!!」

 

 言いつつ、ノームの男が足元にロストしていた味方の片手剣を上へ放り投げる。

 その行為が立体軌道連携の暗示だと理解した瞬間に反応。腕の筋肉が限界まで膨らむと、その交点に向けて俺も大剣をブン投げていた。

 助走付きでジャンプした矢先に胴を貫かれたインプは、「フンギャアッ!?」と鳴いて逆再生するように後方へ。

 それを見届けるよりも速く、ガッ!! と地を削るほど加速する。

 味方の悲鳴で振り向くノームの頭上で敵の投げた片手剣を逆さにキャッチすると、そのまま容赦なく大男に乗りかかり、巨躯の首元に突き刺してやった。

 ゴッキュッ!! と、右手から確かな手ごたえ。

 

「シィィねェええええええええええッ!!」

「ぬぐぅオオオオっ!?」

 

 左足で大斧を踏み、兜の隙間に左の指を突っ込み、クソ太い剛腕が刀身を握って引き抜こうとするのもいとわず。さらに、切っ先を深く。

 膨大に確保されていたはずのノームの体力は、すでに2割以下(レッドゾーン)にまで落ちていた。

 だがパワー種族に大暴れされると、直剣を弾かれつつあえなく振りほどかれた。

 反動で兜が飛んだが気にした様子はない。それでも、逆に追い詰められつつある彼は、奇声を上げながら両手で斧を振り回した。

 いかなる戦いもヤケになったら(しま)いだ。

 

「れあああァァアアアアッ!!」

 

 投手を思わせるダイナミックな動きでパンチが鼻面にメリ込むと、柔和な大男はまたも壁に押し戻される。

 しかも視界の端で、珍プレイに感化させられた敵インプが、「どりゃあぁあああ!!」なんて間抜けた声と共に、俺の大剣を同じように投げ返してきたのだ。

 願ってもいない行動である。

 バシンッ! とその回転体のグリップをジャストで握って受け止めた俺は、直後に勝利を確信した。

 上段、突きの構え。

 ファッキンノーム野郎が立て直すよりも素早く、その距離を詰めきった。

 

「死ねボケェェッ!!」

「ゴッ、ガァァアアアっ!?」

 

 ズンッ!! と、シルバーグレーの特大剣がグリーヴごと腹を貫通する。そしてそれが致命傷となり、男の体は淡い茶色の炎に包まれた。

 ……しかし、終わりではなかった。

 『死が確定』してからもわずかに残る、プレイヤーの存在判定。壁に()われてなお、自身を貫く鋼鉄をがっしりと掴んだノームの男は、視線を上げて不敵な笑みすらも浮かべる。

 

「いまだ、殺れぇえええええ!!!!」

 

 剣はピクリとも動かない。

 そして言いようのない怖気を感じると、気づけば左の真横に直剣を携えた黒ずくめの剣士が。

 そこからはもう、ただの反射だった。

 裏返った気合いと共に放たれた、斬り上げ攻撃。それを、『グリップから両手を離す』ことで紙一重で躱し、その喉仏に左の裏拳を見舞いつつ、ノームの血を吸い尽くした大剣を再び右手だけで握り直す。

 飢えた獣のような咆哮をあげ、片手で抜刀。ゴッガァアアアアッ!! と壁からブチ抜いた反動でインプの胴と両腕を真っ二つに引き裂いた。

 男達の叫び声が重なる。生々しい上半身の肉片がボトリと落ち、その男もまた不可避の紫炎によって炮烙(ほうらく)した。

 

「っしゃオラァ!! 1人で3人抜きィ(スリィブスクリィーーン)ッ!!!!」

 

 荒く息を吸い、全力咆哮。際どいところだった。倒してからわかったことだが、最後のインプの彼も、《クイックチェンジ》を使用してサブ武器を取り出していたというわけだ。ロストしたものを拾いに行くだろう、という俺の判断は早計だった。

 ともあれ《リメインライト》に変わった――すなわち《犠牲の木像》を始めとする特殊アイテムを所持していない――ことを改めて確認すると、急ぎ「ディスペル!」と唱えて《ロードブハイド》による自傷ダメージを停止させた。

 しかしHP残量は5パーセント未満。

 絶望的に分が悪いまま最後の敵に振り返るも、意外にもサラマンダーの男は追撃するそぶりを見せず、あまつさえアイテムを放り投げてきた。

 

「(うおっと……?)」

 

 とっさにキャッチしたそれは、HPを高速で全快させる秘薬ポーションだった。単純な回復系では最高峰のものだ。

 理解しかねた俺が首をかしげると、屈強な男はパチ、パチ、パチ、と簡素な拍手をして続ける。

 

「スゴイ! スゴイよ、やっぱり。アノ時の人だよ」

「(は……ンだコイツ……っ!?)」

 

 だがシカトして通り過ぎようとする前に思い至った。

 もうずいぶんと前に、同じように意識が朦朧(もうろう)としていた日の深夜。俺はこの男と一騎打ちでしのぎを削ったことがある。装具とグレイブの種類が少々変わっているが、この独特なマイペースっぷりは間違いない。

 それに今、アヤシイ日本語を聞き取れたとしたら「あの時の」と言っていた。俺も当時に比べ数々の強化をして様変わりしたが、ついぞ顔までは変えられなかったので覚えていたのだろう。

 かの強敵が自分から名乗ったそれを、今度は俺が口にする。

 

「イーサン……ステイン……」

 

 短い呟き。ノイズはあったはずだが、その端的なフレーズぐらいはなんと言ったか察せられたらしい。

 気をよくした真紅の妖精はニッ、と笑うと、自分の後方にあるエリアの出口を指さして発音した。

 

「ケットシーが2人、にげたよ。出口、ライ。アバゥ……チャポ! カチュリック、チャポ! イチばん、ビッグ!」

 

 ところどころ何を言っているかわからなかったが、ケットシーと言うからにはどうやら俺にアルゴ達の居場所を教えようとしているらしい。これだけで2人の無事が確かめられたのでこちらとしては収穫である。

 しかし、彼の示す方向は俺の通ってきた道でもあるはず。

 ということは先ほど分岐路に差し掛かった際、右ではなく左へ進んでいればアルゴ達を追えたのだろう。

 ともあれ事実を教えてもらえれば十分だ。俺は一気に《秘薬ポーション》の中身を嚥下(えんげ)すると、片手を上げて「サンクス」とだけ言い残し立ち去ろうとした。

 ……が、正面の男は長柄の得物で行く手を遮った。

 まったく理解できないが、今度は通せんぼのつもりらしい。

 

「あァ……?」

「ケットウしようよ! ブシドゥ! ゼンテキなやつ、そのために待ってたよ。ブシドゥしようよ!」

 

 『武士道』、『禅的』だろうか。きょうび日本人ですら使わないセリフ回しに思わず吹き出しそうになるが、地域によっては日本人より『あちらさん』の方がよく使うと聞いたことがある。

 何にせよ、この男が味方の手助けもせず突っ立っていた理由がこれで判明した。

 まったく男と言う奴は、歴史上でも創作物上でも剣を握らせるとすぐに力比べをしたがる、まこと愚かな生物だ。しかも嘆かわしいことに、吹っ掛けられた相手側も大概それに応じてしまうのである。

 だから、とても単純だ。

 つくづく男に生まれてよかったと思う。おかげで女のために本気でチャンバラができるのだから。

 

「……急いでるんだ、さっさと戦ろうぜ」

 

 かつて彼に投げかけたセリフもこんな感じだっただろうか。

 どうせ逃がしてはくれまいし、雰囲気だけで伝わったのか、お互いに数歩下がると独特なフォームで愛刀を構えた。

 この男が先にアルゴ達の場所を知らせてくれたのは簡単だ。プレイヤーは残り火(リメインライト)になってからでは会話できないからである。勝者への報酬がリザルト画面越しに用意できないから、あらかじめ話しておく必要があっただけ。

 ゆえに、この男に勝負を譲る気はない。

 両者が激突したのは一瞬だった。

 

『オッルァアアアアアッ!!』

 

 ガヂヂヂッ!! と溶鉄工場で出すような量の火花が飛び散り、均衡した力が弾かれると砂利を踏み慣らしながら詠唱を開始。

 

「エック、フレィスタ! エーゴズ……!!」

我は、(エック)燃ゆる(スベイザ)! 天つ駆けよ、(セウフジール)聖なる翼(サントゥアーザ)!!」

 

 俺のブーストはすでにお馴染みだが、敵側のそれは炎魔法の《潜熱(レイテンター)》だと思われる。大量のマナポイントを消費し、自分で設定しておいた炎属性の弱魔法を一定時間ノータイムで撃ちまくれるものだ。

 どちらも長期戦は考えていない。

 疑似的なマルチリンガルを強要されている彼には気の毒だが、唱える速度は俺に分が上がった。

 体が軽くなる感覚とほぼ同時、俺は粉塵に紛れようとする男へ猪突する。

 

「ぐッウぅっ!?」

 

 先に驚愕に目を見開いたのは奴だった。

 まずは先制。右手からはっきりとした手応えを感じると、俺は後退する相手になおも食い下がった。

 というのも、《レイテンター》は高速で立体軌道、すなわち翅の使用を心掛けながら追い込むのが有効とされるフィニッシュ技で、もちろんレンジは中距離を想定されている。

 対してこの場は天井まで5メートルほどしかなく、地面の総面積も広くはない。あまりいい選択ではなさそうだ。

 俺のとるべき戦術は決まっていた。

 

「(はりつけ! もっと深くっ! ここで決めきる!!)」

 

 せっかくの《レイテンター》だがこれも勝負。不発を誘うも作戦というやつだ。

 俺はあらん限りの筋力を大剣のエネルギーへ回した。

 しかしここで気付く。相手がさらなる追加詠唱をしていたのだ。俺の猛攻をグレイブで巧みにいなしながら、無制限炎魔法による逆転の隙を(うかが)いつつ、そこからさらに1歩集中力を増してきている。

 背筋に怖気が走るのと同時だった。

 

「がァアッ!?」

 

 完全に反応外。

 腹を蹴り飛ばされた俺は、大剣をロストしながらエリアの端に激突した。

 まるで先制を許したことすら計算内だったように。

 材質の関係かこの壁だけ衝突音が他と違っていたが、俺はほとんど気にも留めずすぐに危機を察すると、《合成魔法(シンターゼ)》の詠唱を急いで再開する。

 追い打ちをかけるようにサラマンダーから雨あられの炎の散弾が飛んできたが、左腕を突き出して直前に展開した対魔法盾《スワロゥ・パーム》がそれらを軒並みカット。そしてこれらがただの目隠しであることに気づいていた俺は、すぐさま横に飛びずさった。

 ドッパァアア!! と、けたたましい轟音に続き、直後に俺のいた空間が熱の海に没する。

 

「(っぶねぇ!?)」

 

 汗が伝う。

 《レイテンター》による無制限乱射状態。それを上書きしてでも発動されたその大技は、《溶解熱(ウェルダー・ヒート)》。炎と言うよりはマグマに近い、粘り気のある高温の液体を浴びせる炎魔法だ。盾だけでは防ぎきれない。

 しかし読み勝ったことでヒットは免れた。

 しかも、左手に発生した直径30センチ程度の風船状の魔法、《シンターゼ》が敵の魔法に触れた(・・・)のだ。これで奴の魔法情報がメモリーされたことになる。

 単騎でディレイ・チャントを交えた連続発動は見事だったが、そのコンボが有名な手札だったことがこの結果を招いた。

 

「(距離をッ、あけンなっ!!)」

 

 無手の恐怖を退け、自分を鼓舞(こぶ)し、こぶしを握り締めたまま前進。

 

「なななァ!?」

 

 そして右のストレートが正確に射貫くと、驚くそのツラにゴッ!! と打撃音が響く。魔法カット盾(スワロゥ・パーム)により炎の散弾が決定打にならないことを知っていたイーサンとて、まさか追撃のマグマまで凌がれたとは思わなかったのだろう。

 しかも剣を拾いに行こうともせず、あまつさえパンチ攻撃を繰り出すなんて。

 しかし、奇策に頼った時点で追い詰められているのはこちら側。狼狽が続くはずもなく、グレイブの薙ぎ払いによって今度こそ距離が開くと、イーサン・ステインは優勢を確信した微笑を浮かべた。

 だが同時に、俺の魔法も発動が間に合っていた。

 

「ッけェェアっ!!」

 

 華々しいエフェクトと共に空中に粘液の塊が出来上がると、それが一気に拡散して男を襲った。

 チャージ式報復魔法《離脱反応(リアーゼ)》。《シンターゼ》によって記憶した魔法を威力2倍、射程補正のおまけつきで相手に返すカウンター排撃魔法である。

 

「ぐうううっ!?」

 

 奴もさすがに対処できない。翅なしでこの距離だ。

 加えて俺のノイズだらけの声は一般人に届かない。俺のスペルを唱える声を聞いただけでは、『自分がいったい何の攻撃を受けるのか』すら、発動直前まで判別できないのだ。

 

「(ひるんだ!? 今っ!!)」

 

 さしもの大男も不意打ちからの逆連撃に大きく後退していたので、その隙をついてメイン・メニューから巨人の宝剣《エッケザックス》を物体化。エクストラスキル《ソーサリィ・マグバニッシュ》によって透明なドーム状のガラスが展開されると、彼の放つ最後の炎魔法すら凌ぎきってみせた。

 最後というのも、《レイテンター》や《ウェルダー・ヒート》は燃費こそいいが必殺級の魔法。魔力(MAG)補正値Cのサラマンダーではよほど純魔クラスに特化していない限り、マナ切れとなっているはずだからである。

 そして何度か剣を交えると、相手の傾向というのも見えてくる。

 

「アメイジン! 《キャンセラー》! ホントーだヨ!! マジックズ、ナンセン!! やっぱりコッチ(・・・)だヨ!」

 

 そう言って楽しそうにグレイブを構えるイーサン・ステイン。

 想像以上に純然たる力比べをご所望のようで、彼は本当の意味でプレイヤーと高め合うことを楽しんでいる。魔法という手数が減ったことで焦ってもいいだろうに。まったく、これだからこの男を憎み切れないのだ。

 共に剣を正中線で置いたまま間合いを計り合うと、初めて俺も笑みを浮かべた。

 

「(ふぅ……思い出してきたな、2ヵ月前。クソみてェなコンディション含めて、エリアもまんまあン時の再現じゃねーか……)」

 

 結果的に彼を忘れていたが、まじめな話、しばらく気になっていたのも事実である。

 最終強化済みのレア大剣を渡されて、2年の歳月によって裏打ちされた俺の剣術は、まさか1週間とたたず1on1のプレイヤー戦で敗れる程度のものだったのか、と。

 文字通り『死ねない』のだ。

 気分が悪かった、なんて言い訳にもならない。メンテナンスという奇跡的な救済に命を繋ぎ止められたとあっては、SAOから生還した人間には恥ずかしくて言えないレベルである。

 過ぎたことは仕方ないが、中断された決着がここでつけられるというなら願ってもいない。しかも勝利した先にはアルゴとシリカがいるというではないか。

 ますます負けられない。邪魔をするなら押し通すまで。

 

「どけオラァアアっ!!」

「ハアァあああアアアッ!!」

 

 ガリィンッ!! と、金属音が反響する。両者の鋭いブレードが激突するたびに火花が散った。

 そこからはもう、頭で考える戦いからは逸脱した。

 受け、いなし、躱し、返し、そして競り合う。翅で避け、天井に張り付き、壁も走り、縦横無尽に駆け抜けたあとは、一拍遅れて戦場そのものが破壊にのみ込まれ蹂躙(じゅうりん)される。

 たった2人の戦士が奏でる、世界に1つの協奏曲。

 まったく気にも止めていなかったが、長いリーチによって斬撃が重なったのか、ドーピングのエフェクト以外でさらに俺の視界に赤みがかかる。HP残量が2割を下回ったのだ。

 イーサンはバックステップで一息に10メートル以上も距離を作ると、アイテムにより武器に高熱の砂を振りまき、炎属性のエンチャントをかけていた。

 すぐに刀身が熱を帯びるように灼熱の色を見せる。これにより、剣でしっかり受け止めても超過ダメージが発生してしまう。

 されど俺にも手はあった。

 左の籠手に手をかざすと、ゲームのセンサーがそれを認証。両手にわずかに朱色の光る紋様が浮かび、俺は『レッドゾーンでいる限り』攻撃力と防御力ボーナスが得られるバフを手にした。

 俺のスタイルは特攻。回復、索敵などは仲間に任せっきりだったのだ。実にバランスが悪い。

 

「(ま、今さら言っても始まらねェ……)」

 

 地を駆けたのは同時だった。

 

『れああああァァアアアアアアアアッ!!』

 

 ゴッバァアアアアアアアッ!!!! と。その衝撃は、ほとんど爆発に近いものだった。

 掬い上げの角度がうまく決まったのか、今度は相手のグレイブが弾かれる。

 だがエンチャントされた大業物が燃えたまま地に突き刺さるより先に、なんとイーサンが大剣のグリップを掴んできたのだ。

 ここからはドロ沼である。

 1本だけ残された凶器を巡り、子供のケンカのような戦いが始まる。

 髪を引っ張り、腕に噛み付き、急所を膝蹴りしてでも引かない。引けないのだ。絶対に、『生きて』戻らねば。記憶を維持したまま現実世界へ復帰しなければ意味がない。

 しかし一瞬の隙を突かれ懐に入り込まれると、相手はスゴイ形相のまま本格的に武器を奪いにきた。

 盗られた時点で俺は負ける。

 そう判断すると同時に俺はあえて指の力を緩め、そのまま右足で自分の大剣を蹴り飛ばした。

 そして流れるように格闘戦へ。

 

「(引けない!! 絶対にッ!!)」

 

 スウェーバックでフックを回避後、まずはストレートを一撃。愛刀を手放す潔さに面食らったようだ。

 もちろんアドは1回。

 そこからはシステムがダメージを感知してくれるよう、スピードを載せたグーパンがお互いの顔面を殴打した。だが、その最中(さなか)に足を払われて背中から倒されてしまう。

 しかしかつての敗戦と違い、これは意図的なフェイントだった。

 相手が馬乗りしてくるより早く両膝を折りたたみ、相手の腕を引きながらその土手っ腹にクツ底の泥ごと強烈な一撃をお見舞いしてやった。

 巨躯が垂直に跳ね、天井に衝突するとあえなく落下。そのタイミングに合わせ、もう1度足の筋肉を折りたたみ、最大速の屈伸解放によって今度は水平にブッ飛ぶイーサン。

 例の材質が違う板に叩きつけられて呼吸困難に陥った彼に向け、キップアップで立ち上がった俺は雄たけびを上げ、低い姿勢のままそのみぞおちへタックルを食らわせてやった。

 

「がァあああああっ!?」

 

 激突直後に轟音。とうとうその壁面が砕け割れたのだ。コンクリーションされていない柔らかい堆積岩でできた地層。どうやらオーガが逃走用に掘り進めた、という設定の地下トンネルらしい。

 勢い余った俺達は組み合ったままゴロゴロと転がり落ちた。以前の戦いでも隠しルートに突入していたことを考えると、笑ってしまうほどデジャヴを感じる戦いになったものだ。

 しかし笑い事ではなかった俺は、回転の途中で遠心力を利用し、相手の顔面を豪快に殴り飛ばした。

 

『ぐはあっ!!』

 

 やがて坂が終わり、2人共々汚らしい水溜りにベチャッ、と墜落する。

 身をよじる両者。

 各所に揺らめく蝋燭(ろうそく)の火が照らす先には、腐り落ちた木箱と腐肉の匂いが漂う不気味な空間が広がっていた。

 しかし移動したエリアの壁際へ視線だけをわずかにズラすと、ちょうど中間地点に骨格標本に海賊衣装をコスプレさせたような遺体オブジェクトと、その腹部を貫通する鋭利なパイレーツシミターが目に入る。

 おそらく、ALOのコンセプト的にはただの隠し武器。俺と奴はメインアームに選択しておらず、熟練度の低いプレイヤーが装備してもカテゴリボーナスの得られない、いわば売却直行アイテムだ。

 されど殺し合いに励む両者にとって、それはまさしく必殺の一振りだった。

 

「(負けっ、らンねェッ!!)」

 

 反射的にダウンから復帰すると、それがそのままアドバンテージとなった。ほぼ同時に奴も駆けつけたが、俺が先のそのグリップを握る。

 また相手がゼロレンジまで密着しようとするも、しかし俺はその行動を読んでいた。

 左頬をゲンコツでブチ抜いて怯ませると、背面まで引き締めたシミターが腰溜めに放たれ、サラマンダーの真紅の甲冑を中央から裂く。さらに返しの刃で逆袈裟に刀身が横断すると、とうとうそのアバターは床を離れて吹っ飛んでいった。

 そのまま5メートルも奥に着弾。水溜りの泥が派手に散った。

 

「ゴっ……ア、ァ……?」

 

 初めて訪れた静寂。

 飛ばされた先で、やがて紫薪(さいしん)のような炎に包まれる戦士。いつの間にかけていたのか、炎属性の防御魔法《表皮硬化(スキン・エフェクト)》の効果も同時に終了する。

 一拍遅れ、イーサンは敗北したことを悟った。

 全力を尽くして、なお届かないことがある。そんな当たり前なことを久しぶりに思い出したように。

 

「ワオ……アメイジン。……ワズファン……」

 

 少しだけ悔しそうにつぶやいてから、彼の体は完全に焼尽(しょうじん)した。

 激戦を制した達成感も得ぬまま、止めていた息を吐く。続いて荒い呼吸を繰り返しフラフラとよろめいた。

 それでも用済みのシミターを投げ捨てると、すぐさま意識を切り替えた。

 まだ(・・)だ。俺の戦いは継続している。

 転がり落ちてきた傾斜を一息に駆けあがると、途中でロストした大剣を2本とも回収。息が整う間もなく、イーサンが示した通路をひた走った。

 やがて視界の先に確かな光の筋が見えた。

 出口直前に手長の多腕ザルが数匹リポップしてきたが、所詮その攻撃方は同骨格にモデリングされたポピュラーなモンスターの使い回しモーション。俺は連中の攻撃を難なく躱すと、エリアにある採掘ポイントなどには目もくれず一気に走破した。

 

「(足止めくらった……無事でいろよ、2人とも……!!)」

 

 開けた空間に出ると同時に、翅を使って眼下のマップを俯瞰(ふかん)する。

 そして10時の方角に古びた廃村を見つけた。イーサンは確かビッグナントカ……と言っていた。他の単語はぶっちゃけよくわからなかったが、とりあえず大きい協会らしき建造物も見え、付近では緑色の狼煙まで上がっている。

 祈るような気持ちで翅の推力を向ける。あっという間に近づくと人の気配がした。教会のあちこちが砕け散っている破壊痕からも、室内で何者かが争っているのは間違いない。

 考える間もなく翅を震わせ、俺は《エッケザックス》を担いだまま、割れていた2階のステンドガラスを潜り抜けた。

 そして……、

 

「(アルゴッ!? いたっ!!)」

 

 光の魔法網によって編まれた虫カゴ、《バスケット・レイ》によって捕らわれた彼女の姿が。

 見えたのは、彼女ともう1人。見覚えのない男性が空に浮いたまま確殺級の大型直射魔法を放った。

 思考すらスキップして大剣のポメルを捻る。

 攻撃の直線状へ。

 次いで衝撃。しかし投擲された特殊投げナイフ《ククリ》を含め、俺の得物はアルゴへの脅威をすべて排除した。

 轟音とエフェクトが収まり、相手の男は初めて俺の存在を認識していた。しかしアクシデントには慣れているのだろう。予想外の結果に驚きつつも、シルフは短剣を向けたまま追撃用に体力と魔力を同時回復する高価な《ミクスチャー・ポーション》を飲んでいた。

 引く気はないらしい。となれば、再会を喜ぶ前にやることがある。

 

「……アルゴ。あいつを殺るぞ」

「っ!? ァ……ア、ア……っ!!」

 

 返答したというよりは、音が絞り出ただけのような声。

 だがまだ生きている。守れなかったあの3人のように、彼女達まで失うわけにはいかない。

 俺は重なる連続使用とスキルによる副作用でボロボロになった《エッケザックス》を地面に突き立て、メニューのショートカットを利用して《タイタン・キラー》を呼び出して一閃。エクストラスキル以外ではほぼ上位互換された大剣の一撃により、捕獲の檻《バスケット・レイ》は一発で木端微塵となる。

 それを確かめると、仲間が来ればどうのこうの、とゴチャゴチャとうるさく喚くシルフに初めて焦点を合わせた。

 

「うるッせェよっ!!」

 

 奴とて独り。足と翅の推進力がコンマ数秒の世界で重なり、10メートルの距離を瞬きの間に詰め切る。

 反応できなかった敵を見るに、意識が増援頼りにシフトした時点で集中力を欠いてしまったようだ。

 おかげで、たった1回。すべての力を込めて真上から斬撃をくれてやった。

 シルフ男は反射的に杖をかざすも、膂力の乏しい妖精が片手で受けていい重撃ではない。レア杖が半ばから両断された後は、彼自身もその余波によって吹っ飛び高度を下げた。

 そして、立て直す間もなくアルゴの短剣による(・・・・・)ラッシュ攻撃でHPをゼロへ。俺の参戦から20秒足らずでダルグリーン戦衣の男が戦場から消滅した。

 後の残るのは……俺と、死線を共にした1人の女性だけだった。

 もう1人(・・・・)の姿がない。

 そんなことを考えた折だった。

 

「ハァ……ハァ……勝ったよ、シリカちゃん……」

 

 アルゴは誰に向けるでもなくそうつぶやいた。彼女が装備する蒼玉を持つ短剣、その本来の持ち主の名を。

 シリカの手持ちには、神物の霊剣である《マリンエッジ・ダガー》と代替できるランクの武器はないはず。必然、いかなる状況であれそれを譲渡する理由はない。

 そうして1つの結論に辿りつきつつも、俺は事実を認めたくないばかりに口に出して質問した。

 

「なんで、その短剣……シリカ、は……」

「……し、シリカちゃんは……オレっちを守ったせいデ。……今のシルフに、倒されテ……」

 

 (すす)で汚れた戦闘服。各所のダメージ痕。必死に戦ったのだろう彼女の姿もまた、ひどく弱々しかった。

 そしていくら予想できても、聞いて初めてのしかかる重圧は存在した。家庭や学校でどんなミスを犯しても感じることのなかった、喉までせり上がるような、もだえるような後悔が。

 しかし叫ぶより先に口をついたのは、彼女へのねぎらいだった。

 

「……そう、か。でも……アルゴだけでも、無事でよかった……」

 

 確かそんなようなことを言った気がする。体力と、気力と、ありとあらゆる限界が肉体の我慢を超過した。

 俺の意識は、ここで完全に途切れるのだった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。