SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第119話 反逆の子供(ルルーシュ・チルドレン)

 西暦2025年1月22日 アルン高原内陸。

 

 平凡な人生で、当たり障りのない生活で、会社にも家庭にも敵はいなかったとしよう。しかし、ATMから現金を10万単位で引き出せば普段の帰り道でも結構ドキドキしてしまう。心理的には今のそれが近いだろう。

 俺達は《2種族の領主》という、誰の手にも余る爆弾を抱えているわけで、さすがに遮蔽物の少ない高原と快晴の空のもとで近況報告するわけにもいかず、まずは人目につかないエリアの隅まで徒歩で移動した。

 もちろん、口だけはせわしなく動いている。

 

「でもまさか、ヒスイちゃんの言ったことが本当に起きるなんて……ここに誘ったのはミカだけど、未だに信じられないよ……」

「こんな偶然があるんだな。ミカドの行動がなければ、今ごろ我々はサラマンダーの集団に焼かれていただろう……」

 

 そんななか、例のシルフ隊の女がそうこぼし、領主サクヤが続くようにつぶやいた。

 現在の生き残りは9人。

 俺とアルゴ、ケットシーの領主であるアリシャ・ルー。シルフの領主であるサクヤ、および直属親衛隊の男性1名。また発言者のミカドとギルドメンバーのヒスイ。スプリガンとなったキリトと、その彼が2日前に知り合って昼夜を問わず旅を共にするリーファ――失礼ながら、たわわな胸にしか目がいかない――のみとなっている。

 ミカドという名の……『ヒスイの姉』を名乗る女性にとっても、今回の戦いで相当な痛手を被ったはずだが、暗い表情で語る大半の理由は部隊の壊滅的な被害からではないようだ。

 そして事のあらましもまた、思いのほか複雑だった。というのも、今回の100人規模の大騒動は、サクヤが述べたように、偶然の重なりによって勃発していたからだ。

 キリトやヒスイも互いのアバターを見たことがないだけでなく、今まで他のSAO攻略組がALOにログインしていることすら知らなかったらしい。

 

「(どーりで参戦のタイミングがバラバラだったわけだ……)」

 

 心中で納得する。ちなみに俺とアルゴのノイズがかった言葉は、キリトの胸ポケットから飛び出たユイが滔々(とうとう)と翻訳してくれた。

 そうして判明した事実は以下の通りである。

 1つ、ヒスイは9日も前から――つまり、俺の小細工をトブチに持ちかけた次の日から《アルヴヘイム・オンライン》にログインしていた。

 理由は、彼女自身が未帰還者を独自に調査していた経緯もあるが、決定打となったのは姉である。メタルアーマーなのに溢れ出るエロさ……もといセクシーなシルフ。10人ギルドの隊長を務めるこのミカドさんとやらが、アスガンダル戦のことを妹のヒスイに話したことらしい。

 よりによってクロムのおっさんに手をかけた憎き小隊が、俺とヒスイを繋いでくれたわけである。少々気まずかったものの、そのくだりの遡及(そきゅう)は本題から外れるため俺やアルゴも口を閉ざしていた。

 彼女のギルドメンバー――ギルド名は《アズール・ドルフィンズ》とのこと――にも、自分らがモノホンの姉妹と教えていなかったらしいが、今だけは運命がもたらした気まぐれな奇跡に、わずかに感謝してやるのもやぶさかではない。

 2つ、領主2名も戦闘はまったく予期していなかったようで、シルフの重役による裏切りが同盟調印場の露呈(ろてい)を招いたらしい。

 ほんの数分で『シグルド』なる男性が()り出され、遠間対話魔法によって領土追放を命じられた。

 その処遇によほど納得できなかったのか、大人びた風貌をかなぐり捨てて駄々をこねたが、俺だけはこのシチュエーションを作ってくれたことに感謝していたので、心の中でこっそりエールを送っておいた。せいぜいめげずに頑張って欲しいものである。

 そして3つ。キリト達のことだ。

 いきさつを聞いて最も驚いた人物がリーファ少女(たぶん)だったことは意外だったが、現実世界でこのゲームタイトルを知り、あまつさえ再びVRゲームに手を出した理由は、ネットに出回った軟禁プリンセスであるアスナ嬢のスクリーンショットを見たかららしい。

 すなわちこれは、俺がトブチに託した逆転の芽が掉尾(とうび)を飾ったことの証左だった。

 俺達が成した抵抗は無駄ではなかったのだ。

 話しのすべてが繋がると、急に肩から力が抜けた。

 

「ハ、ハハっ……確かに全部偶然さ。けど、勝ったぞアルゴ! なあ、俺達の勝ちだろこりゃあ!?」

「と、唐突だナ……」

「もっとよろこべよ! ヒスイ達がこうしてALOに来てくれたんだ。少なくともキリトは『あのスクショ』経由だぜ!? 次にトブチに会った時にこのことを言えば、俺らは助かるんだよ!!」

「むう……そうだと、いいんだケド……」

 

 小さなユイが懸命に俺のセリフを翻訳する横で、俺はアルゴの歯切れの悪さが気になっていた。

 そしてそれは、ユイから伝言されたことで俺やアルゴがどういう立場で、なぜゲームからログアウトできないのかを理解したはずの生存者の面々も同じだった。

 

「ジェイドさん……だったか。我々をサラマンダーから守ってくれたことは重ねて感謝するが、きみらの状況を客観的に見るに……残念だが、どうも相手が約束通りに行動してくれるとは思えない」

「はぁ!? じゃあどうしろってんだよ!」

「…………ふむ。悪いヒトはウソもつく、それだけさ。……もちろん我々はきみに協力したい。ただ、証拠でもあればいいのだが。……そうだ、データはないのか? なんでもいい。きみらが本当に世界樹のてっぺんにいたというなら、背景のわかるデータがあれば」

「そうだヨ! 実験を録画とか、会話を録音とか、方法はあったはずだロ? それさえあれば、こっちからもしかるべき機関に通報できるわけだしサ!」

『う~ん……』

 

 いろいろとアルゴとキャラが被っている、アリシャなるケットシーがそう聞いてきたが、俺とアルゴは手持ちのカードの少なさに(うな)ってしまった。

 とにかく出せるものはすべて出したし、打てる手はすべて打ってきたつもりだ。これ以上何もないから諦めていたわけで、いま目の前にいる数人がそのまま証人になってくれなければ今度こそお終いである。

 しかし確かに、キリトらにこのままログインして残ってもらったとしても、メンテ直前には強制退出させられてしまうのだ。

 そうなれば証言者は不在のまま。まさか胸の前で『私はSAOサバイバーです』なんてプレートを持ったまま、姿の異なるプレイヤーをばっちりスクショしたところで、彼らが納得するとは思えない。

 「アスナの写真によって影響が出たら勝ち」という勝利条件は、いささかあいまいかつ無謀すぎたようだ。これでは解釈によっていくらでも誤魔化せてしまう。

 いいあぐねた俺達を見て、今度はキリトが口を開いた。

 

「そういう意味じゃ、俺も証拠を掴むために世界樹を目指していたんだ。あと数日……いや、中央都《アルン》に着きさえすれば、その日のうちに絶対グランド・クエストをクリアしてみせる」

「クリアっておい……」

 

 だが、相変らず無謀なアイデア具合でマウントを取ってくる男に俺は手を広げて反発した。

 

「簡単に言うけど、1年もそれができなかったから苦労してるんだぜ? それよりこうしよう。……いいか、俺とアルゴの姿はまんま(・・・)だ。だから逆に俺らの写真を持ったままリアルで家族なりに掛け合ってくれよ。この顔見て確信できたら、ケーサツだって家族の言い分をムシできないだろう?」

「それは、そうだろうけど……」

 

 もちろんこの時の俺は警察、並びに検察が被害届を受理して令状が発布されるまで行動に移せない。なんてプロセスを理解しているわけもなく、ましてや刑事事件と認められて強制捜索目的でALO運営会社を訪問するに至るにはどうしても時間がかかることも知らなかった。

 ランダム生成のアバターとは言え、多少の化粧やカスタマイズができてしまうのもいただけない。

 しかし、だとしても一介のゲーマーが現状に対処するにあたり、これほど堅実な手段もないだろう。奴らが世界の理を牛耳っている限り、仮想世界からのアプローチはほとんど意味を成さない。

 やはり抜本的には、この世界を維持できなくなるまで現実世界で追い込む必要があるのだ。

 ……という思考を先読みしたように、またもキリトが反論した。

 

「待ってくれ! ……げ、限度はあってもキャラクリはできる。証拠にならないんじゃないか? だからこれは……俺のわがままなんだけど、せめて今日だけでいいんだ! 俺にクエストに挑むチャンスをくれないか!?」

「さっきから、キー坊はどうしてそこまで正攻法にこだわるんダ? 運営が立ちゆかなくなれバ、それで済む話じゃないのカ?」

「……向こうで聞いたんだ。アスナだけが特別扱いされている。この世界樹に彼女がいるのだとしたら、なんとなくその理由に察しがつく……」

 

 その証言には、俺やアルゴだけでなく他のメンバーもザワついた。

 そういえば、こんな事態を引き起こしてしまった囚われの姫について、俺やリンドも理由の追及を棚上げしたままだった。変態共が見目麗しい肉体を(もてあそ)ぶため、という説も現実味がないという結論で終わっている。

 しかしキリトはそれを知っているという。まさか口からでまかせを言う雰囲気でもなかったので、俺はかたずを呑んで口つぐんだ

 

「……簡単に言えば政略結婚が近い。彼女の父親が大手企業の権力者だから、籍を置くことで後継人としての立場が欲しいんだろう。アスナの意識がないのは都合がいいってわけさ……」

「そ、そんなドラマみたいなこと……」

「奴にはそれができるのだけの下積みと実績がある。男の名前は須郷伸之。かつてのSAOサーバの維持を委託された、運営部主任の腹黒い男だ……!!」

「それ……聞いた苗字だ。トブチが言ってた。スゴウ……ノブユキ……ラスボスってわけか。でもなおさら確定じゃねーか!? 名前知れてんなら、とりあえずテジョーかけときゃいいんだよ!」

「顔と名前が一致したとして! 証拠を元に助かるのはお前達2人や、実験の被験者だけだ!! …………すまない、怒鳴って。……でも、アスナだけが特殊なのは間違いない。現実で追い込めばなにをされるか……もしくは、他の場所で軟禁が続くかもしれない! 他の300人が助かっても……アスナが危険なままだと、俺は……っ!!」

 

 300人の安全よりも、1人の女性を取り戻したい。あるいは、その確率を上げるためだけに行動したい。そんな風に、俺には聞こえた。

 そしてそれは的を射ているだろう。

 何とも皮肉な話である。ネット上に転がっているアスナのスクショを見ただけで、再びバカげたヘッドギアを被り、仮想世界に飛び込めるほど盲目的なサバイバーと言えば真っ先にこの男が思い浮かぶ。だが、逆説的にキリトがあらゆる事象を前にアスナの安否を優先する姿もまた、少し考えれば想像に難くないはずだったのだ。

 なにせ、それゆえ彼はここにいるのだから。

 ただしそれを聞いてなおヒスイは即答した。

 

「悪いけど、あたしはリアルに戻るなり手を打つつもりよ」

「ヒスイ……?」

「キリト君がアスナを想うように、あたしはジェイドを助けたい。……遅くとも今日中にはこの状況を正してもらう。だから……恨まないでね。どうしてもと言うなら、それまで(・・・・)にできることをして」

「……ああ、わかった。この世界でアスナに会って……なにができるかはわからない。……それまでずっと、きみに邪魔をするなとは言えないさ……」

 

 キリトはうつむいたまま小さく答えた。その顔からは、群雄割拠のSAOを貫いた戦士の面影なんてとうに失せている。

 それは、恋と理不尽な現実に挟まれる、1人の迷い人そのものだった。

 

 

 

 

 

 重い空気のままメンバーは解散したが、キリトにとってはあれが落としどころだっただろう。

 彼はきっと《世界樹》の攻略に挑むに違いない。

 それに無謀な賭けというわけでもなくなった。というのも、俺やキリトが貯めに貯めたユルド硬貨をすべてオブジェクト化して、彼女ら領主組に献上したからだ。

 元よりサラマンダーを出し抜いて世界樹を攻めるための2種族間同盟だったらしく、『ちょっとした戦争』くらい起こせる規模の軍資金が舞い込んだことで、すぐにでも参加者の武具グレードを実戦レベルまで引き上げられるそうだ。

 そうなれば功績者の1人であるキリトが、2種族の戦隊に参加できるのも道理となる。

 

「終わったな……全部。ヒスイは俺の家族と面識あるらしいし、スクショ持っていきゃあ……姉ちゃんぐらいは通報してくれるさ」

「お前サンの行動は、聞いた瞬間は無謀と感じるのに、やってみると成果が出るんだから不思議なもんだヨ」

 

 そう話す俺とアルゴは、相変わらずフィールドの隅をコソコソと移動していた。

 無論、大きな収穫には喜んでいるつもりだ。資源も気力も底を尽きかけたラスト数時間で、俺達の実情が伝えられたのはまさに望外の結果。気の持ちようは歴然である。

 すでに深夜2時を回っているので家族は寝ているだろうが、リアルに戻ったヒスイは明日の朝には行動してくれるだろう。そして俺の生存を確認した家族の誰かがひとたび被害届を出せば、事件は一気に解決へ傾く……はずだ。

 残った俺達の仕事は、せいぜい救助されるまで意識と記憶を保つことぐらいだろうか。

 

「しかシ……」

「んん?」

「眠ろうと思った矢先に激しい運動をしたウエ、完徹を覚悟するというのもなかなかシンドイものだナ」

「ハハッ、そー言うなって。俺も眠いんだ。けど、それも今日で最後だと思うとさみしいもんだろ? ……俺なんて、お迎えに来るトブチに早くネタバレしたいぐらいだぜ。『俺らの勝ちだ、ザマーミロ』ってさ!」

「さっきも言ったが、素直に負けを認めてくれればいいケド……」

「ヘッ、認めねェッつうなら腹をくくるまでよ。何時間でも粘り続けてこんなこと(・・・・・)してる場合じゃなくしてやる。奴らはキューカク有効だったろ? ついでにクセェ《悪臭玉》でも顔面に投げてやる!」

 

 俺とアルゴは人気のない高台を見つけると、揃って腰を下ろして時を待った。

 いくらビッグタイトルのゲームとは言え、メンテ前ともなると静かなものである。強制ログアウト時にフィールドにいると意図しない街、あるいは中立域の村から再開することになるため、よほど急ぎの用でもなければプレイヤーはホームタウンに帰っているころだ。

 といった俺達の経験則予想は正しく、乾いた寒草の上で並び身を寄せ合うと、両名はメンテナンスを前に目をつぶって少しでも英気を養おうとした。

 不思議なもので、現実の体ではないのに、まぶたを閉じるだけでずいぶん疲れが和らぐ。

 まさか11時間もあるメンテの時間いっぱいまで敵の相手をするとは思っていないし、過去にもしたことはないが、迎え撃つ気があるなら休める時に休んでおくことが戦士のツトメである。

 だから俺は、隣に座るアルゴのことを、ひいては最後の戦いを終えた後のことを考えないようにしていた。

 しかし……、

 

「『最後だと思うと寂しい』、カ……」

「…………」

「ジェイド、まだ起きてるんダロ……?」

「……寝とけよ。マジでラストバケーションだから」

「プフッ……なぁ、気を遣わせちまったナ。……キスして悪かっタ。さっきの見て……お前サンは彼女といる方が自然だと感じたヨ。……悔しいケド、オレっちの居場所はここじゃなかっタ……」

「あ、アルゴっ……そんなことは……ッ」

「ないとは言わせないゾ? ……不可抗力の旅だったことは、誰にも否定できなイ。でもだからこそ、色々とフッ切れたヨ。お前サンへの『好き』はこれできっぱりお終い。リアルに戻ったら別の男を捕まえてやるサ。それも、とびっきりのイケメンをナ!」

「……は、ハハ……そうだな。ああ、これで終いだ。アルゴなら入れ食いだろうぜきっと。俺も向こうに行ったら……今度こそヒスイと暮らす。んで、もう誰にもジャマはさせない」

 

 ようやく片目を開けたアルゴが少しだけ口角を上げると、それっきり何も言わずに座り続けた。

 時おり涙を拭いたり鼻をすするような音がしても、俺はもう慰めない。

 すべきことをする。成すべきことを成す。その気持ちを切り替えるためにあえて話をブリ返したのだろう。本人にとって傷を抉る回答であれ、彼女は俺の口から拒絶しないと前に進もうとしなくなる。だから俺が考えるべきことは、すでに両者の折り合いをつける折衷案(せっちゅうあん)ではないのだ。

 

「(言えたクチじゃないけど、頑張れアルゴ。……トブチも、どうか信じてくれ。勝負はついたんだ。朝になったらヒスイが俺の家族に会って、サツかどっかに一報が届く。もうクソみたいな親玉にヘコヘコすることはねェんだよ……)」

 

 願うように目を閉じた。

 今さら「そういえば、さっきはヒスイの名を聞くチャンスだったな」、なんてことに気づきながらも、それすら遠く他人事(ひとごと)のように思える。

 虎の子の《エッケザックス》を失い、汎用アイテムもほとんど底を尽きた俺とアルゴは、さしたる作戦も立てられないまま静かなまどろみの中を漂うのだった。

 

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 そして、6時間後。2025年1月22日午前8時。

 全ユーザへのログアウト警告がフィールドに鳴り響いてから実に4時間以上も経過したころで、静まり返った場にプレイヤーの接近を示す音が1つ。

 メンテナンスが完了するまでにログインできる人間は限られる。

 昨日の深夜にヒスイに会ってから、俺はどこかで賭けていた。このまま何も起こらず現実に復帰できるという、一縷(いちる)の希望に。

 しかしどうやら、奴らはまだ俺達に会いに来られるだけの余裕があるらしい。さすがに日をまたいでから伝えても遅かったか。

 とは言え、こちらとしても可能な限り争いに持ち込みたくはない。

 

「(さ、て、と。……どう説明したモンか……)」

 

 だがそう思案に暮れていると、目の前までゆっくり歩いてきた人物に眉をひそめてしまった。

 武装していないその金髪ロングヘアの男を……まるで、異界の王が儀礼服を着せられたような姿の長身優男を、俺達は知らなかった(・・・・・・)のだ。

 もっとも、今までのアバターとてトブチ本人を象ったものではなかったのかもしれない。誰がログインしても問題ないようアバターは使い回しているだろうし、そもそもいくつかのバリエーションは用意していることだろう。

 問題は、今なぜそれを変える必要があるのかという点だ。今までのそれが何らかの原因で使えなくなっただけならまだいい。さもなくば、目の前にいる男はまさか……、

 

「やあ。こんな姿ですまないね。ジェイド君、アルゴさん……」

 

 敵意を感じさせないように、男がゆっくりと歩きながら口を開いた。

 それは紛らわしい姿をしていることへの謝罪だろうか。あるいは、中身まで入れ替わっているがゆえの嫌味めいた謝罪か。

 

「…………どうしたよトブチ。せっかく前は呼び捨てで呼び合ったのに、今日はやけにテーネーだな」

「……そ、そうだったかな。10日ぶりだから、ついね」

「バーカ、引っかかりやがって。……トブチじゃねェな。誰だアンタ」

「…………」

 

 歩を止めると、男の頬がわずかにひきつった。ガキに小バカにされた大人は大抵同じ顔をするものらしい。

 されど切り替えは早いようだ。奇襲の失敗を鼻で笑い飛ばすと、さして惜しがることもなく手を広げて応えた。

 

「おおっと、ナメていたよ。せめて彼愛用のアバターで来るべきだったかな? ……まあいい。口ぶりから察するに、やはり土渕(とぶち)の奴はきみらを捕まえようとしていなかったようだ。なら十分な収穫さ。あのサル芝居男には、後でしかるべき灸をすえる必要がありそうだが」

 

 やはりトブチではない。

 どころか、俺と無用な取引をしたこと、ひいては意識の略奪に消極的になりつつあった彼を『粛正(しゅくせい)する』とほのめかしたことから、おそらくこの男は組織の中でも相応の位にあるのだろう。

 俺とアルゴは土壇場で最悪のケースに陥ったことを確認し合うと、新たに表れた男から距離を取るようにジリジリと後ずさった。

 

「言葉はわかンだろ。誰だって聞いてんだよ」

「……やれやれ。きみたちの人物像は聞いていたが、会ってみるまでわからないものだな。……さて、これから私が直々にきみたちをゲームオーバーにするわけだが、念のため……『抵抗を止める』気はあるかい? 私もできれば子供をイジめたくはない」

「ジェイド、取り合うなヨ。非道な人ダ。メンテナンスが終わるまで……何時間でも戦い抜ク。そう決めたはずダ」

「わかってるさ。けど一応、ユサぶりぐらいはかけたいだろ?」

 

 相手から目を離さずに強がってみる。元より、今さら何を言われても挑発に乗るつもりはない。

 しかしこちらは10日も前から死にもの狂いでギャンブルをしてきたのだ。勝ったリワードの一環として、満を持した新キャラに一発ホラを吹くのも悪くないだろう。

 

「あんたがトブチ連中の親玉だったとしても、もう研究者全員オシマイだぜ」

「ほう……?」

「SAOにいた人間と会ったんだ。どうにか会話もしたし、この姿を撮らせた。今ごろ誰かがサツに話をつけてるころだろうさ。ザマァみやがれクソ野郎」

「……フ、フ……フックック。キャラクリできるその姿を? クック……しかしなるほど、デタラメではなさそうだ。我々の方が網にかかっていたとはね。タカをくくって行動の余地を与えたことは失敗だったかな」

 

 顔に指をあてておどけたように首を振っているが、この状況でよく言う。まだ優位性が揺るがないかのように見せているものの、奴らなりに手を尽くした結果この事態を招いたことは事実だ。

 だが、ALOのどの種族にも似つかわしくない煌びやかな装束に身を包む男は、それを聞いてなお確かな自信を崩さなかった。

 

「だとすれば、なおさら間に合ってよかった」

 

 サディスティックな目をさらに細めると、今度はこちらに緊張が走った。

 

「……『間に合う』、だと……?」

「手短に行こうか。3日前にあずかった(・・・・・)きみたちの仲間4人は、全員記憶はあるし意識もはっきりしている。つまり、被検体になっていない」

「な、に……ッ!?」

「まさか……もう記憶操作のシステムは、完成しテ……!?」

「ハッハッハ、察しがいいな。いかにも。記憶を消したらすでに用済みというわけさ。もっとも、こうなる前にきみら全員が手中にある算段だったがね。……まあいい。考えてみたまえ。せっかく捕まえたのに、すぐに記憶を消すと思うか? 無駄に消費することはあるまい。だから『彼らなりの価値』を見出した。この映像を見れば、きみたちだって私の指示に従いたくなるだろう」

 

 そう言って下卑(げび)た笑みを見せる男は、左手を軽く振って通常より大型のウィンドウを出現させ、1つの動画をそれに表示させた。

 そして俺達は共に戦慄する。

 奴の新魔法や伏兵に注意しなければならないはずが、そんなことも忘れて呆然と男の出した大型ウィンドウを眺めるしかなかった。

 映像には汚れた灰色の壁面からなる、獄中の独房のように薄暗い空間が映される。天井の端に監視カメラでも設置したような画角である。その中に男が1人。両手を拷問用の桎梏(しっこく)で固定されたまま、足首には鎖まで巻かれ壁に繋がれている。

 これは静止画ではない。うなだれた赤い服の男が小さく(うめ)いたと思えば、突如監視カメラの画面外から先端がオレンジ色に発光する焼きゴテのような鉄杖(てつじょう)が伸び、鎖骨の辺りに押し付けられたのだ。

 

『ぐあああああああああああっ!!』

 

 肉を焼く音と、ノドを潰したような悲鳴。男は初めて顔を上げたが、そのやつれた顔を見るまで、この野太い咆哮をあげたのがリンド(・・・)だとは思えないほどだった。

 別画面では同時にフリデリックとテグハも映し出される。そこでも槍のようなもので刺され、鎖に電撃を流され、水を使ってしつこく呼吸を封じられていた。多岐にわたる拷問を見せつけると、男はフリーズした俺達に再び満足げに語りかけた。

 

「これらは過去の映像だが、無論《ペイン・アブソーバ》は少々イジってある。今後も段階的に痛みを強くしていくつもりだ」

「……クソが。ののしって欲しいか、ウジ虫ヤロウ……ッ!!」

「アハハ、まさか。これは警告だよ。もはや彼らの活用法はこれぐらいしか思い浮かばなかったが、土渕がやけに難を示したおかげで異変に気づけたし、こうしてきみらの企みを暴くことができた。…………さあ、止めたくばこちらへ来い。今すぐ意識を差し出せば忘れるだけで済むぞ? ……おいおい、信じてくれよ。我々にとっても1分1秒がリスクなのだ。今ごろ活用法、なんて言っている場合じゃないのさ。これ以上の報復はないと誓って約束する」

「…………」

 

 わざとらしい哄笑(こうしょう)もさることながら、信じる、約束、なんてセリフをここまでうさん臭く吐けるのは一種の才能である。

 しかし相手の所作に芝居がかかっているのは、ひとえに圧倒的なアドバンテージがあるからだ。

 これはリンド達を『痛めつける』も『記憶を消す』もこの男の決定次第ということ。交渉ではなく警告と断じた以上は、どんな条件を出しても解放に応じる気はないのだろう。この場で俺の取れる行動は、抵抗して仲間にさらなる苦痛の地獄をさ迷わせるか、素直に首を差し出してわずかな安らぎの可能性に賭けることだけ。もちろん、抵抗したところで生き延びなければもっと悪い未来が待っている。

 そして男は黙りこくった反応を見て、特徴的な笑い声で『切り札』を出した。

 

「くひっ、くひっ……いい顔だ。これ、なんだと思う?」

 

 手元のウィンドウから初めて女性の叫び声(・・・・・・)が響いたのだ。

 それは相当に若く、幼い声だった。聞き間違えるはずがない……、

 

「シリ、カ……ッ……!!」

 

 徹底的だった。

 半裸で吊るされ、鞭打たれ、火に炙られる少女の姿が映し出される。

 それは聞いたことのない悲鳴だった。開き切った口と充血した眼にはかつての面影もない。

 鳴き声は時おり裏返り、微かに震える体もぐったりとしている。かと思えば、誰かの影が近づくといきなり跳ねて、次の痛みから逃れようとしていた。

 いたいけな子供を責め苛むインターバルでは、弱々しく仲間の名前を口にしたり、誰もいないはずの虚空をうつろに見つめてひたすら謝ったり、もはや自我を保っているのかも怪しい。そして終わらない暴力の中で、絶叫が何度も檻の壁に反響する。

 手段が悪魔のそれだった。

 俺はてっきり、この2ヵ月間の記憶を失うだけとばかり思っていた。

 だが、これはもう尋問ですらない。

 

「人間の……所業じゃないナ。……オレっちも……初めて人に、殺意が湧いたヨ……」

「嬉々としてやってはいないさ。きみたちを手早く、確実に回収するための最終手段だ。…………答えは決まったかね? 特にこのシリカという女は、年齢ゆえか壊れ方が予想より早い。最近じゃまともに返事もくれなくなったが、実際に声を聞けばわかるだろう。きっとすぐにでも助けたくなるさ。くひっ、ひ……」

 

 最終手段などとのたまうなら、その仮面みたいな薄ら笑いをやめてからにすべきだろう。

 しかし男は意に介することもない。右耳に手をやると、「D室と繋げ」とだけ小さく呟いた。

 俺とアルゴの目の前で録画映像が切り替わる。拡大されたウィンドウには、先ほどの監視カメラで暴虐の限りを尽くされたシリカが、無機質な地面に力なく座らされていた。

 両手を頭の上で縛られ、金具の先にはやはり鎖が。

 そして外の光が入ってきたからだろうか。一瞬ビクリと肩を震わせ、映像の中の彼女が恐る恐る顔だけを持ち上げる。

 俺と目が合った。

 そして……、

 

「ジェイド……さん…………アルゴ、さん……」

 

 掠れた声だった。幻覚でも、見ているかのような。

 装備の耐久値も全損しかかっている。あるいはその数値のまま固定しているのか、無残な姿だった。

 しかし俺が小さく呼びかけると初めて彼女は反応した。

 

「シリカ……俺がわかるか……?」

「……ジェイド、さん……」

「そこには、なにが見える……」

「……手じょうと、おり……くらい、ろうか……」

「武器とか……アイテムは、なにか……」

「……あり、ません。……なにも……」

 

 声は消えかけている。人形のように生気が感じられない。だが、明らかに俺の質問に応答している。ということはつまり、いま俺が話しているシリカはどこかに幽閉されているリアルタイムの彼女というわけだ。あの映像も、残虐な行為も、すべてハッタリではなかった。

 励ましてやりたい。しかし、それすらもできない。

 いったい誰が言えるだろうか。気を確かに持て、あと少し頑張ってくれ、なんてことを。

 アルゴは涙を浮かべ、俺はもう一言も発することができなかった。

 

「(ダメだ……シリカに、これ以上耐えさせるのは……っ)」

 

 後がなくなったことで、改めて状況が脳裏をよぎる。

 ALOの運営と未覚醒のプレイヤーが関係していることは、すでにヒスイらに伝えてある。俺やアルゴが記憶を失うかどうかはともかく、生きて脱出できることはほぼ約束されたとみていいだろう。問題の『2ヵ月の経緯を説明できる証人がいなくなる』点についても、時間さえかければおのずと解答は見えてくるはずだ。日本の警察機関だって優秀だろうし、連中を裏切った土渕総悟が本当にすべてを告発する可能性だってゼロではない。

 とすれば、大局的に見た俺とアルゴの生存は、数時間前ほど重要ではなくなっているとは言えないだろうか。

 記憶がなければ仕返しできない。

 確かにそうだ。しかしそれは、傷ついたシリカを前に言わせれば些細な復讐心である。

 

「(俺の負けだ。敵の本性を見抜けなかった、俺の……)」

 

 しかし相手の要求に折れかかる寸前、俺達は……そして敵の親玉である須郷と思しき絶対神までもが、大きな過ちに気付かされた。

 なんと、数回だけ交わした会話の中で、『話している相手が本物、かつリアルタイムかどうか』を確認したのは俺だけではなかったのだ。

 ……そう、吊るされたはずのシリカもまた、必死の思いで観察していた。

 そして俺をそう(・・)と判断したのだろう。

 まったく信じられないことに、少女の眼には失われた光が戻り、痛々しかった表情まで鳴りを潜める。自分の両腕がチェーンに繋がれたことを忘れていたかのように勢いよく跳ねると、突然凄まじい剣幕で、ボロボロの少女が声を荒らげたのだ。

 

「ジェイドさんッ!! 気をしっかり持って!!」

「な、あ……っ!?」

 

 その声に最も驚いていたのは、むしろロン毛野郎だった。

 俺とアルゴもその豹変(ひょうへん)に目を見張る。

 

「こんなの、へでも(・・・)ありません!! 生きて! 最後まで戦ってくださいっ!!!!」

 

 セリフを言い放った直後、ブツンッ、と大型ウィンドウが閉じられた。

 予想外の、長い静寂。肩で息をしながら狼狽から立ち直った男が、『これ以上聞かせるのはマズい』と判断したのだろう。

 見事に遅い対応である。

 おかげで、彼女の渾身のメッセージを受け取ることができた。

 

「な、なぜあの小娘が……どうなっているッ!?」

「(シリカ……まさか、それを俺に言うために……!?)」

 

 その勇敢な行為に気づくと、処世術を学ばせたはずの俺の方が絶句していた。

 これは会った時からの感想である。彼女は年齢に見合わず利発な子だった。《使い魔》ピナを亡くしたショックで涙を流す優しさを持ちながら、どんな恐怖からも目を逸らさない勇気を持っていた。

 彼女はずっと考えていたのだろう。

 

『なぜ戦いに敗れた自分の記憶を、いつまでも消さないのだろうか』

 

 と。

 研究が終盤なら、なおさら放置するのはリスクでしかない。だのに、自分を痛めつける男達は、生き残りメンバーの情報を聞き出すでもなく、素性を問うでもなく――それが無意味であることは相手も承知しているだろうが――、なお時代錯誤なことを繰り返した。

 考え抜いた結果、一連の作業がどこで、誰に、いかようにして利用されるのかを想像し、そして見抜いた。

 こんな姿を(さら)せば、生存者の決意を揺るがしてしまうかもしれない。戦意を喪失させてしまうかもしれない。

 ならばすべきことは1つ。数多の激痛に打ち負かされ、肉体も精神も完全に壊れたように見せかけ(・・・・・・・)、敵が捕らわれの自分を利用しようとした瞬間、すべてをブチまけて台無しにする。

 それを思いついたところで、行動に移すには想像を絶する胆力が必要だったはずだ。痛覚有効なら、演技をするうえで本当に折れかけたこともあっただろう。

 しかしシリカは耐え抜いた。

 ――気を確かに持てだと? 俺が言われてんじゃねェか!!

 

「なあ、アルゴ!!」

 

 並び立つ戦友に呼びかけながら、卑怯な大人に屈しなかった少女を想うと、つい口角が上がってしまう。

 背の大剣を抜刀。勢い余って足元の地面を盛大に抉ったが、俺は笑顔で叫んでいた。

 

「アイツはいつの間に! こんな成長してたんだァ!!」

「知らなかったのかぁ、ジェイド!!」

 

 腰からかつてのシリカの得物だった《マリンエッジ・ダガー》を引き抜き、エクストラスキル《クリスタル・カウル》によって蒼い氷のような直剣を構える。

 やはり彼女も、昂る感情に任せるように大声で応えた。

 

ずっと前(・・・・)からだヨッ!!」

 

 敵意をはっきり向けたまま、俺達にもう迷いはなかった。

 奴らに屈しないという意思表示。子供まで使って卑劣な手段を断行する悪魔に、そして金と見栄に目の眩んだバカに報いを受けさせるために。

 自信満々で現れた惨めな大人は、ここでもまた交渉に失敗したことを悟って面白い面相をしていた。

 

「くっ……この、忌々しいネズミ共が……!!」

 

 負け犬の遠吠えが開戦の合図となった。

 ALOで行われる、俺達の最後の戦いが始まる。

 

 

 

 

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