西暦2023年1月7日、浮遊城第5層。
あれだけ怖かったというのに。
「変わったなぁ」
つい口に出てしまったけれど、やはりこれも自分の成してきた成果が気になるからだろう。ソロでの活動が長いと、つい本音を晒したくもなるのだ。
『ヒスイ』という第2の名前を持って、今日で2ヶ月がたった。
あたしは今、ちょうど1ヶ月ほど前に初めて出会い、あたしをこの世界で初めて罵倒して、初めて反論して……そして、初めてボス戦で共闘した男の人のことを思いだしていた。
しかし、あたしが声をかけた男の人の中でも、少し見ないうちに劇的に変化したのはやはり彼だけだ。
「(誰かに説教された……じゃないよね……)」
あたしが2層で説教した時は、まったく意見を変えようとしなかった。彼のようなタイプは人からの強制で変わるものではない。きっと自発的に、彼自身が思い直すきっかけを見つけたのだろう。
別に悪いことではないので深追いする義理はない。ただ、知らないままではストレスがたまる。のちの活動のためにも、機会があればぜひその理由を知っておきたい。
今のあたしにできる、単純な攻略以外の人助けのために。
「(それにしても、ジェイド……か)」
新年初日。あたしが「ヒスイ」と名乗ったにも関わらず、一向に自己紹介をしようとしない彼に名前を問いただしたところ、返ってきた答えがこの名前だ。
とても印象的な名前だった。不覚にも運命的な何かを感じ、素っ頓狂な声をあげてしまったほどに。
ただ最も大きな理由は、彼はあたしに初めて怒鳴ってきた男性でもあるからだろう。ガラの悪そうな人相に、射貫くようなキツい三白眼。≪圏内≫でなければ今にも人を襲いそうな攻撃的な性格。口を開けば次々と飛び交う、威圧的ではしたない言葉。
どれをとっても、できればお近づきになりたくないタイプの人間だった。
当時は気丈に振る舞ったものの、正直彼に対するあたしの圧倒的な第一印象は『怖い』である。よって、結果的に彼の存在はあたしの記憶に深く刻まれてしまったというわけだ。
あれから6日。もう1週間もたつというのに、悔しいことにたまに脳裏を横切る。
なぜだろう、という疑問は堂々巡りだ。記憶に留めるような男性は今まで『彼』しかいなかったのに。と、少しだけ昔のことを思い出してしまう。
◇ ◇ ◇
あたしが《βテスター》としてこの世界に初めて来た時から、この世界には驚かされることばかりだった。VRとは思えない広さと精密さ。モンスターや、装備する剣や防具の
家族そろってβテストへ応募しただけのことはあった。最先端のゲーム開発会社の次長を務める父が太鼓判を押した名作に、自分の券だけが抽選で選ばれた時の優越感は、今でも鮮明に思い出せる。お姉ちゃんの悔しがる顔なんて
あの時、このゲームがロールプレイングの道を外さなければ、部活も勉強も投げ捨てて、一生ここで過ごしてもいいとさえ思ってしまった仮想世界。
でも、それでも変わってしまった。
「最初の1週間でさ、ちょっと競争しない?」
あたしの言う『彼』。同じ学年の
地域で有名人ですらあった隣のクラスの男の子が、そんなことを言っていたのである。
「ベータ出身のあたしに勝てると思ってるのぉ?」
しかし、あたしも大概負けず嫌いだったからか、持ちかけられた勝負を断れず、その人とは1週間情報のやり取りを遮断して『お互いに強くなってからデュエルしよう』と約束をした。
あたしはその日を楽しみにしながら、早速自分の強化を始めたものだ。
そして。
その2時間後、このゲームの創始者「茅場晶彦」が世界のルールを大きく変えてしまった。
あれが夢であれば、とは数えられないほど思い、願った。それでも、あたしは全プレイヤーから見たらかなり早い段階でこのルールに適応していたのだと思う。
そしてあたしは、βテストの経験則から、自身が生き残るには何が最善かを考えてしまった。
出た答えが『ソロ』の道。ある程度落ち着いてきてから、どこかしらの《ギルド》に入れてもらおう。という、誰の目にも明らかなずるい道だった。
この時から、《圏内》を出てレベルアップをする事を視野に入れていたのだろう。
ある意味、冷静だった。
気が動転した人、あるいはその先の『自殺で脱出』なんて結論に至った人を、どこか唾棄するような自覚があった。
もしかしたら、それは現実逃避にも似た生存本能だったのかもしれない。
「(でも、あたしは閉じこもって、何もしないのは嫌……)」
自分の場合は、ビギナーが無知なまま勇者気取りでレベリングするのとは違う。圧倒的な知識量に
そこまで考えたあたしの行動は早かった。
「(ホルンカに行かなきゃ……)」
《ホルンカの村》には片手直剣使いには嬉しい、汎用性の高い武器を頂戴できるクエストがある。《森の秘薬》という名のクエストで、レア個体の植物型モンスターからドロップ品を集めるだけ。
それを運良く30分ほどでクリアしてしまうと、あたしは報酬の《アニールブレード》を手にした。きっとあたしより早く手に入れた人なんて、片手で数えられる程度だっただろう。
そのまま、すぐにもレベリングに
「で、でも、すぐに出られるよね……」
大半のプレイヤーに先駆けての自己研鑽は『念のため』だと心に言い訳をし、もし後で会って独断行動の理由を問いただされたら「あんなの信じてなかった。連絡はしないのが約束でしょう?」と言えばいい。
だから、彼からのインスタントメッセージ……件名だけで送られてきた「俺は向こうの世界に帰る」という言葉を、あたしは無情にも無視してしまった。
そして……、
「あ、あぁ……あぁぁああ……ッ!!」
フレンド登録をしていた彼のキャラクターネームがあたしの《メインメニュー・ウィンドウ》の中で灰色に染まる瞬間を見てしまう。
彼は初日で死んだ。少なくとも、ゲームオーバーになった。
この世界で最初に『死がログアウトへの近道』という考えに達し、それを実行したプレイヤー。それが彼。
『浮遊城』の名を持つアインクラッドの最南端の壁から彼は飛び降りた。そしてゲームオーバーになったプレイヤーが復帰するための、《蘇生者の間》に新たに設置されていた《生命の碑》には、彼の名前の上に横線が2本。さらにその下には、死因が『高所落下』とだけ記されていた。
そうと知ったあたしは、自分の行動を血が出るほど唇を噛んで悔やみ、枯れるほどの涙を流した。
――あたしが……止めなかったから。
彼の死因は自分にある。今にして思うと、あの時の涙は自身のあまりに醜い感情への嫌悪だったのかもしれない。
なぜなら。
なぜなら、あたしはメッセージが送られてきた時から、彼がいかな行動をするのかを正確に理解していて、そして彼が無事にログアウトできるかどうかを確認しようとしたのだ。あたしがその後を追うか決定するのは彼の結果を見てからでも遅くない、と。……無意識に、そう判断していた。
「(あたしが彼を殺したんだ……)」
覆い被さる自責の念。それでも、1ヶ月間生き延びることだけを主眼に置いた生活をしながら、第1層が攻略されたと聞かされた時。その時のあたしは……情報を
またしても、自分の行動を恥じた。
だから、なのかは今でもよくわからない。あたしは第2層がアクティベートしたその日から考え方を変えて、ソロプレイヤーから協調性を促す行動を繰り返すことになる。
偽善も
そして、その活動を始めてわずか3回目の呼び掛けで、あたしは彼に出会ったのだ。
◇ ◇ ◇
正直その途方もない長き道のりを前に無意味さを悟りそうにもなっていた。孤独に押し潰されそうなあたしが、君は1人ではないよ、と。みんなと力を合わせて頑張ろう、と。そう言って聞かせようとしているのだから。
しかし年初めの『あのボス戦』であたしの行動には意味があったと、少なくとも成果の
『彼』のことを忘れたわけではないけれど、あたしは心の中で次のステップに進もうとしている。
「彼に会わなければ、今のあたしは……」
「彼……カ」
「ひゃあああっ!?」
いつの間に這い寄られたのか、真後ろにフードを深く被った背の低いプレイヤーが立っていた。
まったく、独り言とは
「もう! 驚かせないでよ!」
「ナハハ悪いことしたナ。で、彼ってのは誰サ?」
セリフに反しまったく悪いと思っていなさそうなこの女性は、ネズミのフェイトペイントをあしらった名の知れた情報屋、俗称《鼠のアルゴ》。ちなみになぜこんなフェイスペイントをしているのかを最近になって知ることができた。
通例通り10万コルを支払ったのではない。とある《エクストラスキル》の存在を突き止めたプレイヤーがいたからだ。
そのエクストラスキルとは《体術》スキル。
このスキルがあれば、剣を持たずして体一つでソードスキルを発動することができる。さらに
話は戻って、なぜこれがアルゴの『ヒゲ』の理由を低価格で知るきっかけになったのか。
そのワケは《体術》スキル獲得クエストを『受注するだけ』で知ることができる。
クエストを受注すると、まず顔にアルゴと同じ『ヒゲ』が描かれるからで、しかも洗っても消えない。
あたしが記憶する限りではβテストの時もアルゴは『ヒゲ』をしていたので、きっとこのクエストを受けたのだと思う。
岩を素手で割ればクリアの単純な内容だが、岩が割れずに諦めた。であれば、それがβの時代に《鼠》と名付けられ、今さらそのペイントを止めるに止められなくなってしまった理由だと推測できる。
ちなみにあたしは筋力値が相当上がっていたから半日とたたず割れたけれども、最初期に挑戦した人達は2泊3日のフルコースだったらしい。
けれど、誰かがそのクエストについての情報を売り出した。『秘密にしてもどの道バレる』と悟ったアルゴは、急いでエクストラスキル《体術》の獲得条件を売りまくったというわけである。そこで『ヒゲの理由』も低価格で別売りしたというわけだ。
――アルゴったらあくどい。
そんな彼女が、間違いなく
「な、何でもないわよ! それに、今度やったら本当に許さないから!」
「もう怖い顔すんなっテ。次からはしないからサ」
本当かどうかは怪しいけれど、アルゴは謝りながらあたしの肩に頭をスリスリしてくる。
「も~、お調子者なんだから。……あと依頼の件はどう?」
「調査したギルドについては何も言うことはないゾ。平和で仲のいい普通の5人ギルドだったヨ。オレンジ歴も皆無ダ」
「そっか……ならあたし、彼らとしばらく狩りしてみる!」
「ほウ……」
行動を共にするという、そのギルド。
まるで犯罪者を想定した身元調査にはなったが、プレイヤーだろうとNPCだろうと、誰かと過ごすのは『彼』を殺してしまってからは初めての経験だ。少し警戒してしまうのも大目に見てもらうしかない。
「まぁ、どこに入ろうともヒスイの自由だガ、昔のアレは振りきったのカ?」
おそらくこれは、アルゴにだけ話しているあたしの『ソロの理由』についてのこと。
聞かれるとは思わなかったので、少し言い淀んだ。
「……んーん、全然。でもあたしこのままじゃいけない気がするの。単純にソロ、ってだけなら苦しくない。でも、あたしの言う理想の状況ってプレイヤー同士の協調でしょう? だからこのままじゃ矛盾するって思わない?」
「……まぁナ」
「彼らは『ギルドに加盟しなくてもいい』って言ってくれた。一緒に行動するだけでいい、って。なら少しでいいからそれに甘えるわ。それで、あたしの心が自分を許したら、その時は改めて一緒に戦うことを誓おうと思う」
そこまで言うと、アルゴが目をきらきら輝かせていることに気づいた。
「か、格好いいなナ! オネーサンびっくりしたヨ。あのヒスイっちがこんなに成長して……」
「もう何言ってるのよ。あと『ヒスイっち』はやめて、違和感だらけだから。……さ、アルゴはアルゴの仕事があるのでしょう、行かなきゃ」
「そうだナ。それじゃあ、オレっちはこの辺でドロンとするカ」
そう言いつつ、アルゴはまだこっちをちらちら見ながら未練たらしく去っていった。
「アルゴ……貴女は貴女の戦いを……」
小さく誰にも聞こえないように呟くと、その30分後にはあたしは件のギルドと面会していた。
男性5人の小ギルド。
「こんにちは、改めてヒスイです。メッセージで知らせた通り、しばらくは共に行動するだけですけど、よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく。あとその気になったらいつでも教えてくれよ。その時はこちらも改めて君をギルドに歓迎するから」
小さく頷くと、あたしを誘ってくれた5人全員が微笑み合う。
あたしはこの中層プレイヤーの人達と証明していくのだ。『元テスターとビギナーの共存』の道を。
「じゃあまだ暫定だけど。ようこそ、ギルド《シルバーフラグス》へ」
――待っててね祐介君。あなたの行動を無駄にはしないから。
そう固く誓い、新しい生き方を模索するのだった。