SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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アナザーロード3 忘れたい一生の思い出(後編)

 西暦2023年1月19日、浮遊城第5層(最前線8層)。

 

 コンコン。

 

「(ん……何のおとぉ……)」

 

 コン、コンコン。

 

「……あぁ、ノックね……」

 

 ベッドの上で寝返りを打つ。

 寝ぼけ(まなこ)で扉の方を見ると、そこには『人の気配』というものがあるように感じられる。これも女性の成せる業だろうか。

 ところで、宿に泊まってドアを閉めるとこの世界では内外の音を完全に遮断する設定になっているわけだが、その例から漏れる音が3つ程ある。

 1つ目は叫び声(シャウト)。話し声や物音はシャットアウトするのに、こういうのはなぜか聞こえてくる。

 2つ目はノック音で、3つ目は戦闘におけるサウンドエフェクト。

 つまり条件に当てはまる先ほどのノックはあたしのところまで聞こえてきたというわけだ。ちなみにノック後30秒間であれば普通の話し声も聞こえてくる。

 ――でも、こんな時間に誰だろう?

 

「(ここだと夜更かしが肌荒れに繋がらないだけマシかな……)……はぁい」

 

 返事をしながら扉を開けると、そこにはヴィルヘルムが立っていた。

 それにしても、彼は何日か悩んでいたみたいに目元は憔悴(しょうすい)して少しだけ顔も赤い。大丈夫だろうか。

 

「ど、どうしたの……?」

「遅くにごめん。少し……付き合って欲しいんだ。……じ、実は、新しいソードスキルを練習しててね。だいぶサマになってきたから、明日にでもみんなに披露したくて」

「へぇ〜、そうだったの。なんてスキル? ……あ、でも、サプライズなら何であたしに?」

「ほ、ほらっ、前線にいた人の意見が聞きたいんだよ。スタイルもだいぶ変わっちゃうから……も、もしかしたら浮かれてたのは自分だけで、実用性ないのかもしれないし」

「なるほど。……そういうことならいいけど、室内じゃダメなの?」

「剣を振り回すんだ。……できれば、宿の外で……」

「…………」

 

 そのたどたどしい申し出に少し警戒心を強めたけれど、「じゃあ着替えるね」とだけ言って了承の旨を伝えた。

 ただし、武装だけは整えて。

 

「(疑ってるわけじゃないけど……)」

 

 この世界では自分の身は自分で守らなければならない。現実世界で交通事故に注意するのとは比べものにならないほど、この世界には危険が満ちているからである。

 万が一すらあってはいけないのだ。こればかりは彼も承知してくれるはず。

 それに、何かと理由をつけててあたしだけを呼びだしたのだとしたら、ギルドに入らずに延々とついて回っているだけのこの状況を彼はよく思ってないのかもしれない。それは本当に有り得そうで少し怖い。

 

「お待たせ……リーダーにも見せないの?」

「……うん。てか、ロキヤを1番驚かせたい……」

「あはは。張り合ってるねぇ」

 

 またしても、声の片鱗によからぬものが混ざっているように感じてしまうけど、なんとか自意識過剰だと心に強く言いつける。

 それに突っ立っていても話は進まないから、しばらく一緒に行動して15分程で頃合いを見て「もう寝たい」と言えばいい。

 そうしてあたし達は宿の外まで歩いて、そのままなけなしの遊具がある一見公園のような、人気が皆無な広場にまでやってくる。

 ただし、ほとんど無言で。たった5分の進みが気の遠くなりそうな長さだ。

 

「(本当にどうしたんだろう……)」

 

 あたしは今年の冬が明ければ春から高校2年生になるけれど、目の前の男の人は二十歳を越えているように見える。背丈はあたしとそう変わりないが、大学生ぐらいの人だろうか。

 そんな人と深夜に公園で2人きりで。

 なんだかこれは……、

 

「ヒスイさんってさ……」

「えっ……は、はい」

 

 いきなり振り返ってきた彼に少しだけおずおずとしてしまったけれど、邪推を振り切って何とか返事をした。

 

「何でうちのギルドと一緒に行動したいと思ったの?」

「えぇと、理由は話した通りかな。……あたしはベータ上がり。でも、毛嫌いせずに歓迎してくれて。それに、しばらくはギルドとしてじゃなくともいいとも言われたし……」

「それだけ? 本当にそれだけ? ……このギルド……いや、メンバー全員にそれ以外に感情はないの?」

「…………」

 

 珍しく口数の多いヴィルヘルムに戸惑ってしまう。こんな感情的な彼は初めて見た。

 

「それは、まあ……」

「ヒスイさん、俺……俺!」

「え? ……やっ、ちょっとッ!?」

 

 接近され、全身に緊張が走った。つられて声のトーンも上がる。

 しかし、あたしにとって、こういう行為は恐怖でしかない。なぜこんなことを言うのか、周りに人がいないところまで来て話すことはこんな事なのか。

 いや、違う。彼は間違いなくあたしに惚れている。こんな場所だからこそ言ってくるのだ。

 

「ヒスイさん、シルフラの皆には悪いと思う。でも……ど、どうしても! どうしても好きなんだ……ダメならそれでも……いや、やっぱり誰の元にも行ってほしくない! 俺と、俺と一緒にッ!」

「い、いやっ!」

 

 目に見えないシールドが自動で彼の絡みつくような手をふりほどくと、あたしは真後ろに駆け出した。

 それでも恐怖で足がもつれると、その場に倒れ込んでしまった。

 

「そ、そうよハラスメントコード……」

 

 視界の左上にはアイコンが赤く点滅している。後はこれを押すだけで彼は……ヴィルヘルムは牢獄に……、

 

「(これで、彼を牢獄に飛ばして……?)」

 

 それで。

 それで、どうするの。

 彼を消してそれでお終い、なのだろうか? 残ったメンバーだけで明日から狩りをこなしていくとでも?

 それはあり得ない。牢獄へ転送したら、シルフラのメンバーもあたしのことを捨ててしまう。彼らを失ってしまう。それに、自分を受け入れてくれた人達に嫌われたくなかったあたしは、ギルドの人達に必要以上に優しく接し、そして自分を『魅せ』つけてきた。

 恵まれた容姿すら武器にし、ちやほやされる環境に心地よさを感じていた。

 これはもはや本能だ。結果、あたしは誰からも嫌われず、彼らは何日も何日もあたしがしたいがままに行動させてくれた。正式メンバーでないのに必需品も潤沢にいただいた。

 彼らとの生活は楽しかったのに、それが無くなるなんて、それだけは嫌だ。

 

「(あ……れ……?)」

 

 ――でも、それは意味がないことじゃないの?

 ――更生活動とやらはどうしたの?

 途中でそんなことも投げ出して『生活』の楽しさに甘んじていたあたしは、堂々とそんなことが言えるのだろうか。

 アルゴには「ソロに縛られるのは辛くない」なんて強気に言いつつ、あたしは一月(ひとつき)も誰とも話さずに過ごしてきたことに恐ろしいほど孤独感を感じていた。

 格好良くなんてない。惨めな言い訳で外面を隠しているだけで、あたしはやはり、隣に誰もいなかったことが怖くて怖くて仕方がなかったのだ。

 朝起きて挨拶もない。朝食ができても家族はいない。制服に着替えることもない。学校に登校することも、友達に会うことも、勉強することも、バスケ部に行くことも、塾に行くことも、一日が終わっても「おやすみ」すら言えない。

 友達に会いたい。塾仲間に会いたい。父さんに、母さんに、そしてシズに会いたい。何で誰もいないの? あたしのことなんてどうでもよくなっちゃったの? 誰か答えてよ。誰でもいいからそばに……、

 

「(神様……もう嫌だよ……ッ)」

「ヒスイさん、君のことを第一に考えるから。約束するよ! 絶対不幸にしないし……みんなには後で俺から言っておく、だからっ……!」

 

 座り込んだまま、涙で彼の顔はもう見えない。

 彼は狂乱めいた表情で抵抗しなくなったあたしの装備に手をかけているが、それすらもう遠い世界のことに感じる。だが、心底どうでもいいと思えた。

 あたしが我慢するだけで、またいつも通りに戻るなら。きっとヴィルヘルムも衝動で動いているだけ。彼だって、あたしがいなくなることを望んでなどいないはずである。あたしは今やギルドでの最高戦力なのだから。

 なら今夜だけ。今夜だけ、我慢すればまた……、

 

「ッ……!?」

 

 しかしそこで、ガンッ! という衝撃音が、広場に鈍く響いた。

 ヴィルヘルムが前のめりに倒れる。

 

「(な、に……?)」

「ってぇな! 誰だよ……ッ!?」

「テメェこそ何やってんだよッ!」

 

 再びヴィルヘルムが一方的に殴られる音が、深夜の公園に鳴り響た。

 

「ガッ!? ……ろ、ロキヤ!? ……な、なんでリーダーが……っ」

 

 声の先に目を向けると、そこにはシルバーフラグスのリーダーの姿があった。ヴィルヘルムを殴り飛ばしたのは、紛れもなく彼だったのだ。

 そして彼は、ヴィルヘルムに馬乗りになったまま言葉を繋ぐ。

 

「バッカ野郎! ……ヴィル! お前のせいで……お前のせいでッ!!」

 

 それでもヴィルヘルムは、ハッとしたようにロキヤを蹴り飛ばして立ち上がりながら言い返す。

 

「う、うっせぇよッ! ……リーダーだってヒスイさんのこと好きだったろ!? じゃなきゃこんな事しねぇ!」

「はァ!? 開き直んなバカ!!」

「ギルドには入ってない! でもアイテムクソほどあげてさぁ!! ……てか、俺のことつけてたんだ! ……あんたこそ最初からこうしたかったんだろうッ!」

「てんめェ……!!」

 

 普段から温厚だったはずの彼らは、見たことのない形相で掴みかかると再三に渡ってまた殴り合った。

 あたしも男性同士の本気の喧嘩にまったく動けなかった。

 

「……ハァ……ゼィ……ヴィル……ヒスイちゃんが、いなくなるのは……お前のせいだぞ……!!」

「……違う……ゼィ……ロキヤが……悪いんだ……ハァ……ハァ……」

「2人共……もうやめて……」

 

 あたしの声で彼らは殴り合うのを止める。それでも、あたしはすでに我慢ができなくなっていた。

 だから言ってしまう。あたしがその瞬間を迎えさせる。

 

「あたし……明日からもう、シルフラには……」

 

 その先からは、喉を通らなかった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 シルフラメンバーの3人にはまともに挨拶すらできず、結局あたしは逃げ出してしまった。

 フェスカも、アドルフも、エドも、きっとひどく落ち込んでいると思う。あたしもそう。それでも、また彼らの前に姿を現そうとは思えなかった。今ではせめて、彼らの仲が悪くならないでほしいと願うだけ。

 たった12日間だけの幻想だったのだ。

 そしてあたしは、またソロプレイヤーとして深夜まで狩りをする。

 

「(罪の鎖……か……)」

 

 自分ルールに縛られているだけなのかもしれない。しかし、思っても割り切れない。

 今にして思えば、全てが報いなのではないのかと感じてしまう。

 彼らと別れてから9日がたった。もしかしたら、シルフラがこの層まで来ているのかもしれないと、期待と不安をないまぜに辺りを見渡すこともあった。

 けれどここは7層の迷宮区。すでに8層が最前線となった今、そうなる前に比べてプレイヤーがここを通過する確率は相当低くなっている。

 ましてや彼らと再開する可能性は……、

 

「(いや、低いとかじゃなくて……たぶん、まだ来てないかな。あたしですらサボってた分、まだここが限界だし)」

 

 半ばリハビリのようにモンスターを狩りまくっているけれど、やはりシルフラのメンバーがここまで上ってこられるほど強くなっているとは到底思えない。彼らの成長速度にはまだまだ改善の余地もあった。リーダーの甘さもある。

 だが、例えここで会えても、昔のように笑い合える日は来ないだろう。

 

「また1人になっちゃった……」

 

 1人に戻ったことで、また性懲りもなくストーカーのようなことをするプレイヤーも現れた。嫌がるあたしを眺めるだけで興奮するらしく、どうやっても防ぎようがない。頭のおかしい人種だ。

 心労の重なったあたしはもう攻略を止めてしまおうかとも思ったけれど、それこそ自分が自分ではなくなってしまう。あたしが殺したも同然の『彼』との約束だって破ってしまう。だから前へ進むことだけは絶対に止めてはいけない。

 

「(それにしても、珍しく夜遅くまで狩りを続けちゃったな……)」

 

 攻略難度の高さからペースをコントロールできず、本日はこの安全地帯で夜を明かさなくてはならなくなってしまった。

 宿に戻ってから休まなければならないのに、抗いがたい睡魔が断続的に忍び寄ってくる。これではジェイドのことを強く言えないではないか。

 

「ん……ぅん……」

 

 体操座りをしたまま、体が言うことを聞かなくなってしまった。明日はもう8層に行けるだろうか。5層や6層のボス戦で会ったキリトやアスナと、そうしたらまた最前線組として、そしてβテスターとしてプレイヤー解放のためにこの身をやつして。

 それから……、

 

「オイ、マジでいるぜ」

「チャンスですってタイゾウさん、」

 

 ふと、そんな声が聞こえた。空耳ではない。

 ――あ、れ……人? なんで……こんなところに……?

 

「すげっ……」

「1人だな、周りに人いねぇか?」

 

 ――何で? ……ここ……それに……、

 突如、寝ぼけた頭が冷水を浴びたように覚醒した。

 

「えっ? ……な、ちょっと!?」

「うるせェよ、静かにしてろ」

 

 意識が覚醒すると、3人の男の人だけが見えた。両手足にも圧力を感じる。内2人が、寝ていたあたしの手足を無理矢理羽交い締めにしていているのだ。

 動けない。恐怖が一気に駆け巡る。

 状況は理解できてきたけれど、逃げなくてはという思考とは裏腹に、怖くて手足がうまく動かなかった。

 

「ちょっ……や、やめッ……」

「おい口押さえろ」

 

 ギラついた目に不健康な肌、肩にかかりそうなほどの長髪。『タイゾウ』と呼ばれていたリーダー格の男性が、脇に控えていた2人に命令していた。

 今度こそ目の前の男達を牢獄送りにしてやりたいと強く思った。

 結局はこれなのだ。ちょっと有名になったからと有頂天になっていたらこの有様である。男性だらけのこの世界において、ソロで活動する女性プレイヤーなんて、ケダモノ達から見れば都合のいい獲物なのだろう。

 もう嫌だ。もうたくさんだ。こんな理不尽には付き合いきれない。

 しかし、皮肉なことに決意を固めた時に限って、固縛された手が思うように動かなかった。

 

「(でも……これが罰だと言うなら……)」

 

 ふと考えてしまう。それを甘んじることが祐介君への罪滅ぼしになるというのなら、あたしは抵抗するべきではない。

 人殺しのあたしがひどい目に遭って、いったい誰が悲しむというのか。そんな人間はこの世界には……、

 

「アンタら何やってる!」

 

 捨てかけた意識が辛うじて現状へ向く。その声が響いた事実だけが、あたしを現実に引き留めた。

 それにあたしはこの声を知っている。けれど、なぜ彼なのだろう。曲がりなりにもトッププレイヤーの一員のはずで、迷宮区で泊まるにしても、レベリングが長引いて夜営するにしても、そこは最前線であるはずだ。

 そしてここは最前線層ではない。

 こんな所で出会うはずが、ない。

 それでもあたしが聞いたそれは幻聴ではなかった。

 

「お、おいおいマジかよ」

「あっ、いや……でもさ、ほらお前……仲間に入りてぇんだろ?」

「そうだよ、じゃなきゃこんな時間にここにいるはずねぇからな。……で、どうするよ? 混ざる?」

 

 あたしの幻聴に他の人が反応することなんてできるはずがない。つまり彼は、ジェイドはここにいる。

 しかし3人の言葉を聞いて、あたしは彼がここにいる理由を理解した。あたしが1人で行動していることをどこからか聞きつけた彼も、結局あたしをそういう(・・・・)目で見ていたというわけだ。

 なぜなら、今は深夜の3時。それに彼は、あたしの知る限り常に最前線でモンスター狩りに夢中になる狩り中毒者(ハントアディクト)であり、都合良くピンチに現れるはずがない。

 

「(ああ……やっぱり彼も……)」

 

 更正などできていなかったのだ。まるっきり、これっぽっちも。人の考えなんて、そう簡単には変えられるものではない。だのにあたしは舞い上がっていた。

 あたしのしたことに意味があった? 少しだけ自分を好きになれた?

 冗談ではない。単にあたしは盲目だった。人の負の部分を見て見ぬ振りをして……彼に何度も忠告されたはずである。これでは《はじまりの街》にいるプレイヤーと……『現実を見ない』プレイヤー達と、何も変わらない。

 

「(もう……いい……)」

 

 そう思った瞬間だった。

 

「ふざッけんな!」

 

 ジェイドの叫び声だけが狭い通路に反響した。声は震えているのに、それでも3人を睨んでいる。

 ジェイドも必死だったのだ。彼自身、自分の行動がリスクだらけであることを承知で戦慄(せんりつ)していた。

 1つだけわかったことがある。ジェイドが他の誰でもない、あたしのために来てくれていたとうこと。醜い欲望が充満するこの暗い洞窟(どうくつ)で、あたしのために声を張り上げてくれているのだということ。

 運よく最前線にいなかったのだろうか。しかし、あたしにとってそれは運ではなく、運命そのものだった。

 

「あァッ!? えっ、何……マジで正義気取りかコイツ?」

「あのさぁ……時代錯誤なことしてねーで、状況ワカってんなら面倒なことせずにこっち来いよ」

「うるせェ……!!」

 

 シャラン、と剣が抜かれる音が聞こえる。ジェイドが抜刀したことで流石に3人も身構えていた。

 そして感じる、手足の束縛の緩み。

 

「(拘束が緩んだ……っ!!)」

 

 腹筋と両足に有らん限りの力を入れる。四肢を弛緩させていた状況からいきなり力を入れられたからか、筋力値で勝るはずの相手は即座に対応できないでいた。

 両足の底で男達の顔面を蹴り飛ばす。反動を利用し、あたしは一気に立ち上がって逃げ切ると、隅に置かれていた剣と盾を握り直した。

 その変貌に3人は驚愕しているけれども、今はもう迷っていない。ジェイドを疑ったことを心の中で死ぬほど謝りつつ、あたしはもう2度と弱気にならないことを自分に誓って『敵』を見据えた。

 

「(あたしは何をやっていた!? ……こんな……こんな奴らにッ!!)」

 

 先ほどまでの、彼らに屈しかけた惨めな自分を殺してやりたい気分だった。

 そしてあたしの目を見て覚悟を決めたのか、敵のリーダーらしき男も剣を抜く。

 

「た、タイゾウさん、どうしますっ!?」

「くそっ……くっ、口封じだ! お前らもやるぞッ!」

 

 最前線プレイヤー同士の複数戦。

 おそらくは初だっただろうこの戦いは2分ほど続き、決着は付かずに幕を閉じた。

 自慢できたことではないのだけれど、少しだけ最前線から遠のいていたあたしは敵の《両手用大剣》の直撃を受けて、いち早く体力ゲージを赤く染め上げてしまったからだ。

 それでも幸か不幸か、相手はそれを見て動揺してくれた。

 「本当に人殺しになってしまう」。おそらくは、そう危惧(きぐ)してしまった彼らの動きが一瞬硬直し、そこへ動揺を感じ取ったジェイドが範囲ソードスキルを発動して3人全員にヒットさせると、形勢は一気に逆転。

 最後にはむしろ、部下と思しき2人がリスクありきの行為をしくじったリーダーに対して悪罵を浴びせながら、なりふり構わずにその場から逃げ出してしまった。

 

「……ハァ……ハァ……ハァ……」

「……ゼィ……消え……たか……ゲス共が……」

 

 後にはあたし達2人だけが深夜の『安全地帯』に残った。

 今となっては究極的な皮肉を秘めたその場所に。

 

「くっそ……疲れた……」

 

 その場にドカッ、と座りこんだジェイドはあたしと顔を合わせようとしなかったけれど、それでもあたしは、彼の横顔を見て抑えきれない無力感と安心感がお腹の底からせり上がってくるのを感じた。

 だからあたしは、張り積めていた緊張の糸を切らしてしまう。

 

「グ……グス……ヒック……」

 

 感覚が麻痺するほどの苦痛を味わい、言葉にしがたいほどの安堵の先で、気付くとあたしは滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。

 息がつまる。こんなに嗚咽したのは久しい。

 ジェイドはそれを見ておろおろしているけれど、相手のことを思いやる余裕はなかった。

 

「……ひぅ……ジェ、イド……ヒック……ありが……と……」

 

 それでも時間をかけてお礼を言うことだけはできた。

 彼は死にかけているあたしに回復ポーションを無理矢理飲ませ、あたしはボロボロと泣きながらそれを飲み干した。

 その後、彼は無言で隣にいてくれた。9日前に「公共スペースで寝ないように」と忠告していたので、まさか彼もここで泊まろうとまでは思っていなかったはずだが、きっと他にすることもわからなかったのだろう。

 

「…………」

「…………」

 

 何か声をかけてくれたわけではなかったけれど、振り返るとそこにあたしを守ってくれる人がいるということの大事さを嫌というほど噛みしめた。

 今にして思えば、あたしが女性であるにも関わらず態度を変えずに接してくれたのは、彼が最初で最後だったのかもしれない。

 

「(ジェイド……)」

 

 それから3時間以上がたった。

 彼は朝までそうしていてくれて、本当にあたしを守ってくれるナイト様みたいに見えてしまった。

 

「(ふふっ、それにしてはちょっと線が細すぎるかな……)」

 

 少しだけ出てきた心の余裕の中で、ついそんなことを思ってしまう。

 でも、いつまでも甘えてはいられない。泣きやんだのなら前を向いて歩かなくてはならない。でないと、この巨大な牢獄からは出られないのだから。

 あたしを想う向こうの皆と会いたければ、この足を、この手を、この剣を、何もかも止めてはいけないのだ。

 だからあたしは立ち上がる。何度でも。

 

「お、おいヒスイ……」

「もういいわ、ありがとう」

 

 なるべく笑いながら優しく言うと、ジェイドもそれ以上は呼び止めようとしてこなかった。

 度重なるあくびと重そうなまぶたから、相当長い間寝てないように見える。だからきっと、彼はあの場で少しだけ仮眠をとりたかったのだろう。

 ――悪いことしちゃったかな。

 

「(でも感謝してるよ。……もう、いつものあたしだから)」

 

 心の中でもう1回だけ感謝を告げると、あたしも今度こそ歩き出す。

 この『夜明け』に2つ目の意味を乗せるために、今日も前を向いて生きようと決意した。

 


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