西暦2023年4月16日、浮遊城第2層(最前線19層)。
「じゃあ今言ったことを頭に浮かべながらもう1回やってみて。大丈夫よ、痛みは感じないから」
「は、はい!」
きびきびレクチャーをするヒスイ達は今、アインクラッド第2層にいる。同行する少女シリカを連れて、アドバイスを元に岩石割りクエストの実践中というわけだ。
「痛くない」というのは、何もパワハラをしているわけではなく、ゲームシステムの話である。
ロールプレイング系統の登場こそSAOが初とは言え、今までもフルダイブVRというジャンルは存在していた。そして、それらのソフトに必ず搭載されている機能の1つ、
名前通り、ゲームにおける『痛み』の感覚野を変更するのもので、この設定数字が大きければ痛みが和らぎ、ゼロになれば痛みがダイレクトに伝わることを意味する。
ちなみに、この世界では痛みがなく、伝わる感覚は『違和感』として不快な麻痺を起こす程度である。実際に痛みを感じさせてショック死などされたら、そもそもゲームとして成り立たないからだ。だとしても斬られると悲鳴は出るが。
そんなことを考えていると……、
「や、やった! 割れましたよ!」
というわんぱくな声が返ってきた。見ると、先ほどまでピクリともしなかった大きな岩石が見事に砕けている。『岩を手で叩くと痛い』という、人がごく当たり前に感じる条件反射を取り除いて挑戦させると、岩はあっという間に割れたのだ。
そして道着を着た初老によって頬からペイントが取り除かれると、イベントは無事終了。シリカは元気一杯にヒスイの元へ駆け寄った。
「ヒスイお姉さんが来てくれたおかげです!」
「ふふっ、それは良かったわ。クエスト成功おめでとう」
呼び方ついて、頑なに「お姉さん」を付けるシリカ。年下ながらに遠慮しているのかもしれない。
そして、《体術》スキル獲得までに1時間以上かけたことから、ここからヒスイの立てた自身の予定を
「あ、あの」
「ん……どうしたの?」
「手伝ってくれてありがとうございます。でも、あたし……」
両手を胸の前でもじもじと動かしながら、顔を下げて申し訳無さそうにシリカが言う。
こういう子供は、人から褒められる生活が続けば、得てしてもっと明るい一面を見せるはずだ。しかし情緒が未熟な少女が早い段階で持て
「遠慮しなくてもいいよ」
「あたし、女の人に話しかけられるの初めてで。すごく嬉しかったんです! 迷惑じゃなければ……あたしと一緒にパーティを組んでくれませんか? ……5層ぐらいのモンスターは倒せるようになったんです。だから……」
ヒスイが助け船を出すと、シリカはようやく顔を上げて言った。しかしそれを聞いたヒスイは
だがヒスイは、自分の立場を踏まえ、すぐに返答できなかった。
レベル制RPGではその数値に差が付くと文字通り住む世界が違ってくるからである。おそらく5層程度の下級モンスターなら、適当な一振りでも一撃で倒せてしまうだろう。
総合的に見て、今すぐヒスイが彼女と行動するのは困難と言わざるを得なかった。
そして、ヒスイが今なおソロを貫くトラウマ的理由によっても。
「う~ん、ごめんねシリカちゃん。あたし《攻略組》なの。今は19層で戦ってる、最前線プレイヤーなのよ」
「え……ええっ!?」
シリカは驚き半分落胆半分といった声をあげた。
彼女の主戦場から遠い……どころか、アスナのメッセージ通り今日中にボス攻略が完了すれば、最前線は20層へ移ることになる。やはりレベル差は誤魔化しきれない。ここで気を使っても、相方を探している彼女に失礼である。
それでも、次にシリカに向けた目には
「そうだったんですか。でも、すごいです……女の人で攻略組だなんて。初めて見ました」
「うん、まあ少ないよね。でも、前線にはあたし以外にもいるわ。皆ここから出るために頑張ってるの。シリカちゃんも攻略してるんだし、どこかで頑張ろうって決めたんでしょう?」
「はい。……でも、あたしあんまり戦いとか上手じゃなくて、ぜんぜん追い付けないんです。いつも次の層が解放されるたびに、なにもしてない自分がイヤで……」
前線に追いつく。という言葉の重みとその苦難の道は、きっとソードアートの世界にログインしたプレイヤーにしか理解できないだろう。凶悪なモンスターを次々と
頭でそれを理解しても、このプレッシャーとストレスに打ち勝つのは並大抵の覚悟ではない。
それを、毎日。
ヒスイですら、友人を死に追いやった負い目を感じていなければ、ここまで献身的に攻略に協力することもなかった。
そこまで考えたところで、ヒスイは立ち上がり、改めて彼女の前に立つとゆっくりと話し出した。
「シリカちゃん、それは恥ずかしいことじゃない。むしろ誇らしいことよ」
「え……?」
「この世界で本当に大事なのはね、戦闘センスとか、お金の稼ぎ方とかじゃないの。大事なのはもっと芯の部分よ」
「シン……?」
「ええ。頑張ろうとか生き残ろうって思う気持ちかな。シリカちゃんはそれを持っているでしょう?」
「はい……それは、あります!」
「ふふっ、なら大丈夫。これでシリカちゃんも立派な《攻略組》よ」
今度ははっきりと返事をする。
自分自身、揺らぐことはある。しかし今は彼女の前で弱音は吐かない。
そして話すうちに確信した。シリカも
「(むしろ許せないのは、クリアを妨害する人達ね……)」
最近、攻略に励むプレイヤーを攻撃する輩が後を絶たない。
ヒスイを含む家族全員は、父がゲーム会社のシステムデザイン部に所属していることも関係し、もっぱらゲーム好きの集団だ。ゆえに一様に
しかし同時に、ヒスイ達はネットがもたらす恐怖を知っている。オンラインゲームでプレイヤー同士が攻撃するシーンを何度も目にしてきた。仕事の憂さ晴らしか、仲間内でふざけあっているのか、どの国のどの年齢層においても、他のプレイヤーを攻撃する人は出てくる。そこは理解しているし、
しかしこの世界は、プレイヤーと一蓮托生のデスゲーム。だからヒスイは彼らが許せなかった。
もちろん相手をキルしても、責められるべきはゲーム開発責任者の茅場晶彦であって、プレイヤーではない。この世界にはそれを制限し、罰する法律もないため、キル行為のハードルを下げていると理解もしている。
しかし極限化だからこそ、人はモラルが試される。間違ってもPKがモチベーションであってはならないのだ。
だとすれば、自制の利かない幼稚なプレイヤー達に比べ、シリカの思想がどれほど誇らしいかは、わざわざ口に出すまでもないだろう。
「別にね、強くなくていいの。自分に足りないことは誰かを頼ればいい。あたしだってそうしてるし。……一緒にはいられないけど、シリカちゃんが頼れる友達を見つけて、一緒に頑張っていきましょう」
「そう、ですよね……わたしまた色んな人に声をかけて、いっぱい友達作って頑張ります!」
「ふふっ、ホントにいい子ね」
この会話を境にヒスイ達は手を繋いで歩き出す。
時刻は18時半。少し遅くなったため、ヒスイは彼女を送ることにした。
「シリカちゃんはこれから……」
「お、いたいた。こんなところにいたよ」
ここで、セリフを遮るように男の人が声をかけてきた。
サッ、と緊張が走る。
「いやぁKoBの連中が20層を開けたっていうのに、こんなところで油を売っていたのか」
振り向いた先にいる長身の男性に……正確には、彼を取り巻く数人の男性にも、ヒスイは少なからず見覚えがあった。
目立たせるために髪をシルバー色にカスタマイズし、その左半分は手で
目つきは鋭く鼻は高い。装備は盾持ちの片手用直剣を含め、どれも高級で剣の腕も立つ。まるでおとぎ話の世界に登場する、中世の甲冑騎士のイメージ像をそのままインストールしたような人物で、かの有名なギルド《ドラゴンナイツ》のトップであるリンドの右腕。
「あらエルバートさん、こんな下層で偶然ね。あたしに何か用かしら?」
白々しく聞いたが、「いた」と言うからには探したのだろう。
ヒスイは肩をすくめた。こうも居場所を特定されるなら、ヒスイたち女性プレイヤーの位置を常にマークしいている情報屋でもいるのではないかと勘ぐってしまう。
なんの自慢かと問われるかもしれないが、少なくともアスナには追っかけが存在した。ヒスイにも少なからずいると考えるべきあり、そんな者達のせいで不愉快な2つ名が付いたともいえる。
それと、まだ《血盟騎士団》というギルドが誕生して間もない頃は、その団員がアスナについてのプライベート情報、生活習慣などを逐一情報屋に売りつけてお金を稼いでいたプレイヤーが実際にいた。当然、すぐにバレてしょっぴかれたらしい。
今の状況は、そう言ったあくどい情報屋がヒスイの場所を進んで知らせているとしか思えない。
「(だってここ2層よ……?)」
「あのさ、前の件だけどやっぱ考え直してくれないかな? ぶっちゃけアンタの……失礼、ヒスイさんの名声は高い。戦力としても、士気向上としても破格だ。強制してるわけじゃないんだけど、きみがうちのギルドに入ることは双方の利益だと思うんだ」
「高い評価をどうも。でも他を当たってください」
「まあ聞けって。メンバーが増えて、晴れてギルドネームも変えようって話していたところさ。きみの加入が決まれば祝賀会でも開こう。ベストタイミングだろ?」
エルバートの独善的な要求を、ヒスイはほとんど聞いてはいなかった。気がかりなのは、ここまでの会話でシリカがかなり怯えてしまっていること。おそらく前線レベルの装備をした成人男性に囲まれ、ギルドに勧誘されるなんて経験はなかったはずだ。
ひとえに
しかも正面の数人が時間稼ぎをしたせいで、反対の道も人で埋められてしまっている。ここを通るには彼らを退けなければいけないし、それをするには当然彼らに触れる必要がある。
しかし、《ハラスメント・コード》は触れた側ではなく触れられた側にしか発生しない。このことから、この『通せん坊』――ゲーム用語で《ブロック》――は、ヒスイが彼らをどける方法では破れない。相手側もそれが狙いだろう。
「いい大人がはしたない。……アスナもね、あたしを何度もKoBに誘ってくれたわ。でも、断ってもこんな方法は取らなかった! 子供もいるのに」
「……ハァ〜、こっちもおつかいじゃないんだ。手ぶらじゃ帰れん。損得勘定もできないのか」
「何度も言わせないで。ギルドには入らない。どいてくれる? あたし達通れないんだけど」
「あんたも強情だな。今さら目をそらすなよ? 1人がいいなんて、そんなわがままは上層じゃ通用しなくなる。……だったら、早いうちに対策するのが真の《攻略組》ってものだと思うがね。こっちも最高の待遇にすると言っている。あんまりさ、無駄な面倒かけさせないでくれよ」
オーバーな演出で誘う彼らは、やはり退く気など毛頭無いようで、少し苛立たしげに用件を済ませようとしている。
もう飽きるほどこの手の人達には出会ってきたが、毎度こうなる度に目付きの悪いあのおバカな両手剣使いが、できた人間に思えてしまうから不思議だ。
「(はぁ……必死なのは察するけど……)」
ヒスイにとって認めるのは
彼らは最前線で罪無き囚人の解放のため、身を粉にして攻略行為に勤しんでいる。その行動は尊敬に値するし、彼らを見習うべき『誰かがやるだろう』精神が染みついた人任せ主義のプレイヤーはたくさんいる。《はじまりの街》で一向に動こうとしない彼らを強く責める気はないが、エルバート達の方が前向きに事実を捉えていることに違いはないのだ。
そして、そんな衝動ともいえる行為には、やはり自尊心を満たす何かが根底にあると理解している。
あらゆるプレイヤーの頂点。トップギルドの座。ヒスイが彼らの《ドラゴンナイツ》に参加すれば、その輝かしい席を奪い返せる。ないし、奪い返すのに有効的な一手になるだろう。《血盟騎士団》に踏みにじられた自尊心を取り返すために。
しかし、志の高さはそれと同じぐらい身勝手な行動を生む。それがこの勧誘活動だ。
泣き出す寸前のシリカをこのまま放置できないため、ヒスイは意を決して言葉を放った。
「じゃあこうしましょう。あと1分間あたしと会話をしてくれたら、あなた達のギルドに入ってあげる」
「は……なんだそれ?」
唐突さに頭が付いてきていない。
――じゃあその隙に乗じて……、
「ゴメンねシリカちゃん」
「ふぇ? て……へぇええ!?」
本日2度目の謝罪と共に、かがみながら右腕でシリカの腰を捕まえて肩まで引き上げると、そのまま荷物を背負うように肩で抱える。と同時に、ヒスイは自分に出しうる限界の速度で走りだした。
そしてそのまま左手で
ゴンッ!! と、男達をかき分ける気持ちいい音がした。システムの加速が心地いい。
「ぐわぁあッ!?」
「ひ、人を抱えたままっ、無茶苦茶な女だッ! おい、逃がすな!」
今となっては『後方』となった場所でエルバートやその他の声が聞こえる。面白がっている場合ではないが、揺れているシリカの「あうあうあう」という声もエコーがかかって、疾走感溢れる追いかけっこに少しだけ胸が踊った。
この1コマだけ見ると相当なノーマナー行為だが、先にけしかけてきたのはエルバート側である。加えて《圏内戦闘》とも名称されるこの行為は、実は日常的に行われていたりする。
ダメージが発生しないことをいいことに、ノックバックや命中時のライトエフェクトで判定を行う、いわば超安全な戦闘訓練としてかなり有効な手段だからだ。
プレイヤーとてモンスターと戦う際には準備がいる。必要なものは多々あるが、剣技やバトルスタイル、体の運び方や重心いった細かい点より、最も重要なのは
そう、人は敵と戦う恐怖に打ち勝たなければならない。19層でのヒスイ/アスナコンビによるゾンビ戦が良い例だが、そもそもこれをクリアしなければ戦闘どころではない。
なんて考えているうちに、追っ手の姿は見えなくなっていた。
「ハァ……ハァ……ふぅ……まいたかな……?」
「きゅ~」
シリカは目を回していたが、何とか逃げ切れたようだ。視界から消えた時点で彼らは間違いなく先回りして《転移門》を押さえに行ったはず。ゆえに、あえて《転移門》には向かわず適当な宿を借りて部屋に籠もっている。
ようやく肩から力を抜いたヒスイは、シリカを床に降ろしてあげた。
「大丈夫だった? ……重ねて謝らせて。ごめんね、あんな思いさせちゃって」
「うぅ……い、いえ。でも良かったんですか?」
「あ~アレ? いいのいいの。あいつらも慣れてるだろうし、むしろいつも通りの風景で安心しちゃうわ」
そう言いながらもいささか疲労が溜まったのか、ヒスイは我慢しきれずにベッドに座り込む。
「怖かったですけど、それと同じぐらいヒスイお姉さんが格好良かったです」
「ふふっ、ありがと」
そう言い交わすと、ヒスイ達はしばらくこれまでの経験語りや、これからの攻略について話し合いながら時間を潰した。
そして一緒に食事を取り、そのまま2人でお風呂に入り、さらにはヒスイが本日中に片付けようと考えていたタスクを終えた頃……、
「スゥ……スゥ……」
と、隣で静かな寝息が聞こえてきた。
そして、今。
◇ ◇ ◇
「(たまにはこういう日があっても良いかもね)」
そんなことを思いながら、ヒスイはシリカの隣で横になる。
明日には離れ離れになってしまうが、今日の出来事は決して無駄にはならないだろう。
たった1日行動を共にした小さな勇者は、年相応かそれ以上に甘えてきた。一目見ただけでは
「(辛いよね。でも一緒に頑張ろう……)」
――それに、たった半日だけの時間だったけど、とっても楽しかったよ。
頭を
この日の夜はとても気持ちよく眠れたことを、2人はいつまでも忘れないのだった。