西暦2023年4月20日、浮遊城第20層。
サクラの月が始まってはや3週間。とうとうSAOも2割地点まで到達したことになるが、俺は少し困っていた。
発端は俺のいるメインフィールド、《ひだまりの森》。このエリア、広い上に虫が多いのである。迷宮区へは一本道となっている。
もっとも、迷宮区のマッピングはすでに始まっており、テンポも極めて順調。明日か明後日にもボス攻略が始まるだろう。ではなぜ、最前線の手前で進みあぐねているかと言うと、このステージには蜂型のMoBが出現するからだ。
俺は幼少期に蜂の集団に刺されて死にかけたことがある。そのトラウマもあって、ほぼすべての虫を愛でられる俺にも苦手な種がいくつか存在する。その1つが『蜂』というわけだ。あとはGなど。
なんてことを考えながらフィールドの序盤で首をひねっていると、付近を通過しかけた集団の1人が駆け寄って声をかけてきた。
「おいおい、どうしたジェイド。しょぼくれちゃってさ」
「あん……? お、クラインじゃねぇか! おっひさー!」
《索敵》スキル全開でプレイヤー集団が近くにいたことはわかっていた。
ただ、まさか話しかけられると思っておらず、気の知れた人物、および彼が統括する小規模ギルド《風林火山》のメンバーの登場にテンションが上がる。
「久しぶりだな! イベント戦で重なった時以来か?」
「だよな。ってか、もう最前線に合流か!? いいペースじゃん」
「いやぁまだまださ。これでも迷宮区モンスターはちょいと危険だからな」
「やっぱすげぇよクラインは。んで、俺にはなんか用か?」
「用ってわけじゃないけどよ、なんか調子悪いのかと思ってさ。……さっきの見てたぜ? 毒しか取り柄のない《エストック・ビースパイク》なんて、今さらビビる相手じゃねぇだろう。解毒ポーション持ってき忘れたとか?」
「いや、ここでそんなミスはしねーけど……」
「じゃあどうした? 似たようなの、2層辺りにもいたじゃねぇか」
「《ウインドワスプ》か、いたな〜。あいつも極力避けてたんだよ。ハチ系苦手でさ」
他愛もない会話。そのまま8人揃って狩りを続けると、やがて彼らのギルドの平均レベルについて話題が移った。
やたら信頼されているのか、武器や防具、所有スキルをいくつか教えてもらったが、その内容は
「……ってな感じだ。どうよ?」
「どうよって、十分すぎるぞ。迷宮区でも全然通用する」
呆れるほど平均ステータスが高かったからだ。それに、集団戦特有の
勇み足が過ぎると確かに危険を招くが、遠慮も過ぎると臆病に見えるものだ。
「過剰だったか~。でも、7人だからだと思うぜ? 個人じゃやっぱキツい時が……」
そう言うクラインから自嘲は感じない。きっと、万が一にも大事がないように考えているのだろう。
4層で彼らと会った時は、その
しかしそれはただの虚勢だった。強烈な劣等感から、彼らに嫉妬と羨望を抱いたのだ。
振り返ったら視線が交わせる、踏み外したら道を正す、怖じ気づいたら励まし合う、そんなことができる仲間が俺は欲しかった。だからこそ、4層であの3人に話しかけたのではなかったのか。
そして、最近までずっとギルドへの参加を避けていた1人の男を思い出す。
「(キリト……あんたも今はこういう奴らと旅をしてるんだろ……?)」
似た
アスナとヒスイを深夜に救助してからこの4日間、俺はずっと考えていた。たとえ格段にレベルの低い足手まといなプレイヤーであれ、仲間として守っていくことにメリットがあるのか。自分の負担が大きすぎやしないか、と。
しかし、それはとんだ勘違いだった。
もはやメリデメの話ではない。人が人足る根本からの衝動と本能だ。
俺の取捨選択が、今のソロ生活に帰着させている。後悔は死ぬほどしたが、しかし失敗から学んだことはたくさんある。
「なあジェイドよ、今日だけでも一緒に狩りしねぇか?」
ふとクラインがそんなことを言い出した。
友人の申し出だ、断るはずがない。しかし彼のメンバーに武器の自慢をしつつ、らしくもない感傷に浸っていると……、
「うわぁああア!!」
と、ちょうどエリアの区切りとなる場所から女の叫び声が聞こえてきた。
目を凝らすと、彼女の顔がヒゲペイントをあしらったものと、群青色の馴染みのフードを被っている、つまり情報屋アルゴということに気づいた。
しかし問題は、その後ろにどでかい蜂、《ビースパイク》を大量に引き連れてこちらへ走ってきていることだ。その数、20匹はくだらない。
俺の苦手属性(つまり蜂)などアルゴの知る由もないはずだが、モンスターの大群が物理的に脅威である以前に、精神的に助けたくない。
――て言うか、
「きんめェええええ!? うわっ、こっち来んなって!!」
「なんだあの数っ!? どうしたらあんな釣れんだ!?」
「ぎゃあぁあああッ! に、逃げろぉおおお!」
俺と一緒に《風林火山》のメンバーも絶叫しながらアルゴ……もとい、蜂軍団から逃げ出す。
このメンバーが本気でかかれば勝てるだろうが、クライン達まで木々を
そして知人の援護がもらえると踏んだであろうアルゴは、走りながら助けを求めた。
「薄情ナ! 助けてくれヨ!」
「多すぎんだよッ! ……あと怖え!!」
とはいえ、ハチのスピードは人のそれを上回る。生息エリア外まで逃げるのも手だがここからだとかなり距離がある。
俺と同じ考えに至ったのか、逃げるクラインは意を決して急制動。振り向きざまに
「ラチがあかねぇ! お前ら、片付けるぞッ!」
ギルドメンバーも文句を言いつつも渋々攻撃態勢に移る。そして剣を握る頃にはおふざけ時のノリを消し、流れるような連携で敵を
「(うおっ、すげぇ。人数そろえた連携技見んのって、ボス戦以外じゃあんまねぇからかな……)」
だがその変わり様に感心するのも束の間で、アルゴが「あウッ」と言いながら肩を押さえるのが見えた。
どうやら敵の攻撃を受けたら確率で発生する毒、《ポイズン》状態になってしまったようだ。
このSAOの世界には10種類のバッドステータスが存在する。『毒』もその1つで、種類により減少具合や継続時間に差はあるが、例外なく数秒ごとに体力をどんどん削っていく。
すでに被弾していたアルゴのHPがイエローゾーンへ。解毒しないということは、手持ちの解毒ポーションが切れたのだろうか。
「くっ……おいッ、アルゴ!」
ゾクッ、と嫌な予感がして、一瞬だけ恐怖を忘れてポーチを探りながらアルゴの元へ走る。そのまま俺は緑色の固形物を取り出すと投げつけて叫んだ。
「それ使え!」
「わ、悪イ……リカバリー!」
それをアルゴは空中で掴むと、発動キーを発声してアイテムを使用した。パリンッ、と。片手サイズの結晶が割れる。すると、たちまちアルゴから毒が抜け、正常な状態に戻った。これで数分は毒系の
そして危機が去ってからさらに数分。
「ふう、ようやく片づいたか」
「みてぇだな……」
クラインに若干以上に疲れた返事をする。俺の《索敵》に引っかからないことも含め、おそらくこれで全滅だろう。数の暴力とはいえ、これでもフィールドのモンスター相手に手こずった方だ。
「おいアルゴ、何がどうしてああなった。悪質な
「い、いヤ~」
問いつめるとバツが悪そうに人差し指をクネクネと合わせつつ、照れ笑いを浮かべてアルゴは答えた。
「実は《クイーンビーの卵》が採取目的のクエを受けてナ。ついでだカラ、近くにあった巣から《コバルトの蜂蜜》に手を出したんだヨ。食べてヨシ、売ってヨシ、一部の敵には釣り餌として機能……そそるだろウ? そしたらネ……」
「ゴタクはいい。つまり欲張ったんだな」
言い訳を聞く気がなかった俺は、人差し指をちょんちょんするアルゴの言葉を遮って原因を断定した。
きっとアルゴは相手を見くびったのだろう。蜂は怒ると黒色に反応し、逃げる獲物を攻撃すると聞く。しかも最高速はおよそ30キロ毎時。毒を持つ非常に危ない昆虫だ。過去にウィキで調べた。
この世界での再現がいかほどかは知らないが、今回俺は散々恐怖を与えられたうえに現段階では滅茶苦茶貴重な《
罰が必要だ。
直ちにアルゴを説教して……、
「まあまあ、許してやれよ。クリスタル分のコルを受けとりゃ済む話だろ?」
「…………」
なんて。この世界に来て2番目のフレンド登録者からそう言われると、自然と許せる気分になるのだから不思議だ。
「しゃあねぇ、今回だけは金で不問にしてやる」
「ニャハハハ。……お、オレっち今月装備をフルスペックにしててナ。素材は時間なくて買い揃えたシ、ボーナスアクセサリも最新の高額商品デ……その……金欠なんだヨ、とっても。……ニャハ」
「……ニャハじゃないが……」
つまり払えないと。だから色々欲張ったと。
「許す!」と、響いた潔い免罪宣言は俺ではなくクラインのものだ。
そしてクラインよ、たった今すこぶる重い刑罰を考えていたところなので、余計なことを言わないでほしい。女なら誰でもいいのか、このスケベ男は。
俺は無表情になっていくのを自覚しながら、ため息混じりに口を開いた。
「ハァ~……ま、ねぇもんはねぇしな。んじゃ、この層のボス情報やマッピング具合と、アルゴが受けたっつーそのクエストとやらを教えてくれよ。俺は絶対避けたいから」
半ばやけくそになってそう嘆いた。この程度では全然割に合っていないが、それはもう言うまい。
そんなこんなで、結局9人で行動することになり、そのまま夕飯までパーティ状態で済ますことになった。
今はその宴会の途中で、俺達はクライン達がギルドの蓄えをはたいて買ったらしいギルドホームの大広間にいる。
「ジェイドのコレ、見て見ろよ! すんげー重さ!」
「なになに《ファントム・バスター》? 聞いたことねぇな……まだ《ブリリアント・ベイダナ》を使ってるのは、やっぱ要求筋力値足りてないからか?」
骨組みの片刃大剣、《ファントム・バスター》。どんな食生活をしたらこれほどの骨密度になるのか、俺は未だにその剣が重すぎるせいで装備できない状況だが、その性能について風林火山のメンバーが口々に評価した。
「じ、ジェイド! 俺もメインは両手剣なんだ。この剣の入手方法教えてくれよぉ!」
「なにを隠そウ! このクエストの発見者はオレっちなのであル!」
1人が耐えかねたように入手方法を聞いてきたが、それには代わりにアルゴが答えた。ただし、情報の対価として
もっとも、確かにクエストの発見者はアルゴであり、自分の足で稼いだ貴重な情報が金にならないのであれば彼女の生活がままならない。
俺は黙ってそのやり取りを聞いていたが……、
「って、ええ~!? ランダム報酬かよ~」
彼女の説明の最後で落胆している姿を見てしまうと、結果を知っていた俺には同情を禁じ得ない。
「ハハッ、平和なもんだ。……にしてもソロは大変だな、アルゴ」
その微笑ましくも暖かい
「オレっちは足の早さと柔軟性がウリだからナ」
「のワリにはピンチだったくせに」
「ニャハハ。ケド、変わりたきゃほんの少しのきっかけで変わるもんだゾ? 今のキー坊がそうだっタ。あの時のヒスイもナ」
「…………」
彼女は暗に、ギルドに入れと言っているのだろう。いくらレベルに余裕を持たせても、ソロで限界に近いレベリングをしたら集中力が途切れることはある。さらに言えば、油断しなかったとしても、運のないエンカウントを連続で発生させ、脱出が困難なほど集団に囲まれることもある。
その対策として最も効果的なのは、仲間と行動することである。
クラインが今日、狩りの帰り道で「うちのギルドに来い」と誘ってくれたことはすごく嬉しかった。しかし、それでも誘いを断ったのには理由があり、それを知らないアルゴは俺がまだ過去の罪から自分を許せないだと思っているはずだ。
――アルゴ、読みが外れたな。
「へへん、予約済みだよ……」
「んン……?」
意味がわからないといった風に首を傾げるアルゴ。
なにせ俺はソロをやっている理由をアルゴに話していないのだ。さしものネズミも、プレイヤー全員の人間事情を把握するのは不可能だし、金にならないのなら知ろうともしないはずである。
「ま、見てなって。その内俺も仲間引き連れてくるからさ」
決意と確信の言葉。
俺が表情を緩めて流し目を送ると、しばらくして意味を理解したのかアルゴは自分のことのように喜んで、そして微笑んでくれた。
「飯代はいらねぇぞ! もっと食え!」
「……おう! 食ったるぜぇ!」
と、クラインのノリに俺も合わせる。
今の俺には仲間が、友がいる。この半年で育んだ頑丈な絆だ。優勢になると調子づく悪いクセではあるが、どこかでモニターしているだろう茅場晃彦に堂々見せてやりたい気分である。
この、クソッタレ野郎が。俺達はまだ、諦めてなんかいないんだぜ、と。
そして2日後のフロアボス戦には、クライン達《風林火山》も参戦するのだった。