SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第22話 強者足り得る条件

 西暦2023年4月30日、浮遊城第21層。

 

 温存されたプレイヤー側の回復アイテムと、やはり復活後も相当に低いボスの体力により、応戦自体は可能である。

 復活した《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》に与えられた体力は、他のボスと比べてもかなり見劣りするのだ。攻略隊にとってこれは僥倖(ぎょうこう)だった。

 

「やれないことはないさ。次は俺達だな」

「ああ、やってやるぜ」

 

 エギルが声に応えると、不思議と気合いが増していった。

 隣に背中を預けられる仲間がいる。この事実が、ゲームが始まった時には皆無だった仲間が、俺をもっと強くする。

 鍛え上げたステータス、買い占めた高額な武器や防具、あるいは視覚化されていない内在パラメータ。それももちろん重要だろう。しかし、自己の強化にのみ精力を尽くしていた当時の俺には、決して得られるべくもない安心感と一体感がこれだ。

 とそこへ、戦闘中の隊から「まずい! ボスがそっち行ったぞ!」という勧告が聞こえ、俺は改めて意識をボスに集中させた。

 ただ、不覚だった。

 ボスは俺達の目の前にまで迫っていた。

 

「は……っ!?」

 

 ――目の前。

 

「うをあぁあああッ!?」

 

 凄まじい勢いで距離を詰めてきた敵とその激しい攻撃を、俺は危ういところで回避する。

 風切りが耳元で鳴る。紙一重だった。

 だとしても、なぜだ。タンク隊は間違いなく、先ほどまで眼前に陣取り……、

 

「ヤバい! ボスが包囲網を!」

「ダメだ! 速すぎてこっちじゃ追いつけない!」

 

 しかし俺の疑問には当のタンク役達が答えていた。つまり、ボスを一旦取り逃がしてしまったら、プレイヤーがその速度についていけないからだ。

 足がブレードの様になっていて、地面との摩擦を極限まで抑えている。人間の移動方とは根本的に異なる構造のアーキテクチャ。一旦自由を得た奴は、広いフィールドを際限なく駆け巡るのだ。

 敵の移動域を制限させるため、必然的にボスに当たる隊の数は増やさざるを得ないだろう。

 

「F隊、そのまま参戦してくれ! C隊は左から囲んでボスの足止めを!」

「D隊はボスの先回りだ! 各隊を援護しろ!」

 

 限界以上に足を動かす。ヒースクリフのA隊とアスナのB隊がせっかく削ったゲージだ。その戦果を活かせなければ、朗報を待つ待機組に合わせる顔がない。

 作戦は捕鯨時のそれに近かった。指揮も行き渡り、ヒースクリフの予測通りに推移すると、ボスはジリジリと壁際まで追い込まれていった。

 

「いっけぇえええ!!」

「うおォおおおおおらァッ!!」

『ギキッギキキキキキ!?』

 

 全プレイヤーの一斉攻撃とその怒号。大技が同時多発的に決まった。そして間違いなく効いている。

 あまりの猛攻を前に、自慢の《四刀流》すら迎撃に間に合っていない。

 

「加速をさせるな! 動く前に抑えつけろ!」

 

 再び速度を得ようと奴は幕の薄い部分を突き抜けようとするが、させじとプレイヤーが押し込む。奴は回避をしないのではない。回避ができないのだ。

 ボスの自慢は『速度』ではなく『加速』。決定的に地面との接地面積が少ない奴は摩擦を生めず、初速はたいした速度を出せない。つまり、始動を(つぶ)せば十分ボスの特徴の一部を殺すことができるのだ。

 調子のいい連携に、思わずこぶしを握り締める。ゲージの2段目を飛ばした討伐隊は、それゆえに攻撃の手を止めたりはしない。このまま押し潰すように波状攻撃をかければ、あるいは最終ゲージまで。

 しかしそのような甘い考えは、微かに見えた薄紫の光にまったく通用しないものだと痛感させられた。

 

「がああぁぁあッ!?」

「やべェ! デバフアタックだこれ!」

「こ、こいつ……ッ!?」

 

 体力を半減させたボスが放つ薄紫のライトエフェクトは、やはりソードスキル発動の合図だった。

 両手を地面に突き刺して両足で斜めの十字斬り、着地ざまに両手を引き抜いてそのまま斜めの十字斬りというスカルファントムの新技《四刀流》専用ソードスキル、十時袈裟懸け二段攻撃《クロスモール》。

 その初段か次段、どちらか一方でも剣や盾で『防いで』しまったプレイヤーは軒並み動揺していた。

 

「くっ……ボス戦でこんなこと!?」

 

 阻害効果攻撃(デバフアタック)

 その内の1つ、《カラウド》の状態にするのがこのボスの新たな力だった。カラウドとはつまり《腐食》状態のことだが、こうなるとまず武器が危険に晒される。

 武器や防具、その他のアイテムには必ず《耐久値(デュラビリティ)》と言うものが設定されている。放置(リープ)状態や、武器による攻撃でも、装備はその数値を減らしていくのだ。

 数字が完全にゼロになると消滅してしまうが、それらは街や村で《メンテナンス》を行えば回復することはできる。言うまでもなく、鍛冶屋が在中しないボスフロアで回復などといったことはできない。

 《カラウド》にされると厄介と言われる理由は、回復ができない類のダメージだからだと言える。

 今のところ現地での耐久値の即時回復法はない。一応、1層主街区《はじまりの街》などに設置された――他の層にも点在する――協会から、剣に神聖属性を付与すれば腐食を遅らせられる。

 カラウド状態でボスクラスの重撃を受け止めればどうなるか。

 名実共に愛刀となり相棒なった、言わばユニークソードが危険に晒されるというのは、すなわち半身を危険に晒されると言っているに等しいのだ。

 だが……、

 

「(バッカ野郎、怖じ気づいてんじゃねェよッ!)」

 

 と、攻撃を受けたD隊に対し、内心ではつい侮蔑してしまう。

 俺の剣がまだ安全なのを良いことにそう思えるだけかもしれないが、その裏付けとしてボスは隙をつくように反撃にでてしまったのだ。このままだと、せっかくの包囲網を突破されてしまう。

 しかも、今度は奴の四肢が真っ白なライトエフェクトを(まと)っていた。

 

「う、うわぁああ!」

「スピード勝負だ!! 突撃するぞォっ!」

 

 誰が、とは言わない。

 それこそデバフ状態にされた連中全員が、愛刀を失いたくないがために「早く倒さなければ」と言う脅迫概念の元、カウンター攻撃をされる可能性を無視して全力で攻撃する。セオリーに沿わない滅茶苦茶な特攻だ。

 ガギンッ! ガギンッ! と、眩しいぐらいの光の爆発が暗めのフィールドを瞬間的に、そして断続的に照らしていくのが見えた。

 しかし俺に判断できたのは、スカルファントムが発動したソードスキルが、全周囲回転八連撃《イッチエム・パルフェ》というさらなる上位連撃であるということだけだった。

 直後、ゴバァアアアアアッ!! という破砕音と演出用のエフェクトと共に、重装備に身を固めたはずのタンカー達が冗談のように宙を舞った。

 

「お、おいどうなってる!?」

「やべぇぞ! フォワードが壊滅する!」

 

 乱戦による嵐の後はエギルが戦局を把握しようと声を上げる。がしかし、当の本人達は答えている余裕がない。彼らを後方から俯瞰(ふかん)すると、全員がかなりのダメージを蓄積していた。

 (うめ)き、よろめく彼らは、大幅なダメージをボスに与えつつも、やはり相応の攻撃をくらっていたのだ。

 

「アスナ君、行けるな! 数十秒でいい、我々で抑える!」

「はい団長!」

 

 すぐ隣でそんなやりとりが聞こえた。直後に最強のA、B隊がすかさず援護に走り、呆然としているD隊を辛うじて救った。

 何度見ても驚かされるが、銀髪ロングのヒースクリフと美人フェンサーアスナは誇張ではなく本気で強い。

 

「(さすがだ……でもッ)」

 

 襲われていたD隊の1人が明らかに怯えていた。回復アイテムが尽きたのか、ゲージを黄色く染めてなおウィンドウを開こうとしていない。

 ……いや、それどころか、その男は信じられない行動に出た。

 

「おい、アンタ!?」

 

 俺の呼び掛けにも反応せず男は止まらなかった。

 必死の形相で、誰にも何も言わずに出口へ走るそいつは、おそらく敗北の恐怖に負けたのだろう。そして自身の愛刀と、たった1つの心臓を失わない最後の選択肢を実行してしまう。

 すなわち、集団戦闘ではあってはならない敵前逃亡を。

 だがそれをボスは見逃さなかった。

 先ほど発動していた《四刀流》広範囲攻撃である《ツイスター・ラウンドトリップ》を再び発動し強引に道をあけると、フィールドの長い距離を1人で駆け抜けようとするプレイヤーの背中を追い始める。しかも先述の通り、速度の乗ったボスに追いつく手段は今のプレイヤーにはない。

 

「ひっ……」

 

 途中で自分がターゲットにされていると気付いた男の表情は、おそらく一生忘れることはないだろう。

 恐怖、ただそれだけを表現したその男は泣きそうな声で訴える。

 

「あぁああああ嫌だッイヤだよ、死にたくないッ! ……誰か! 誰かぁあああッ!!」

 

 しかし全てが遅かった。

 助けを求めるのも、俺達の出せる最高速度も、全てにおいてあのプレイヤーを助けられる材料がない。

 ボスが迫る。プレイヤーが駆け寄るよりも早く。

 もう距離はわずかだ。間に合わない。死ぬしか、ない。

 

「いやだああぁぁあああッ!!」

 

 最後まで男の振り回す剣はボスには当たらず、それを断末魔として男は『四刀』に斬り刻まれた。

 破片も残らないだろう小さな光片が残照としてその場に舞う。

 

「ハァ……ハァ……そんな……こんなこと……」

 

 鼓動がバクバクとうるさかった。

 ここにきて。ここにきてプレイヤーが先に殺された。何としても誰かが死ぬ前にあいつを倒さなければならなかったのに。

 しかもそれだけではない。スカルファントムは『逃亡するプレイヤー』を優先的に襲ったのだ。

 亡霊(ファントム)という名が与えられたモンスターの執拗な猛襲。今となっては撤退戦すらかなり難しい。ただでさえ厳しいはずのボスの討伐は、『全員が生き残る』のに最も有効な手段に成り下がっているということである。

 これ以上メンバーを減らさないためには……、

 

「(やるしかない……!!)」

 

 腐っても攻略組。メンバーは死者を前に恐慌状態に陥って次から次へと勝手な遁走(とんそう)、とまではならず、戦慄しながらもまだ武器を手に持っている。

 そうだ、いつまでも弱者ではいられない。ここにいる限り強者であらねばならないのだ。

 俺は強者の哲学的結論など答えられない。死者を出さない者なのか、それとも死者を踏み越えられる者なのか。しかしそれが何であれ、ここで立ち止まる者ではないことだけは確かだ。

 まだやれる。いや、死にたくなければやるしかない。

 

「やるしかねェんだよ! いちいちビビんなァッ!!」

 

 考える前に叫んでいた。

 全員が俺を振り向く。その視線を肌で直に感じながらも、失いたくないと、俺はそう思えるようになったことに誇りを持っていた。

 だからだろうか。

 自分にも向けられていたかもしれない声。普段の俺からは絶対に考えられないようなボリュームで喉からはじき出された声は、それこそ考えられないほど他者を叱咤し、励ます見えない力となってフィールドに響きわたった。

 

「彼の言う通りだ! 弔うには! 我々は必ず!! このボスを討伐しなければならない!!」

 

 ヒースクリフが後に続くと、そのカリスマ性からか戦いへの熱意が復活する高揚を感じた。俺だけではない、ここにいる誰からも。

 認めよう、このボスは強い。

 変えようのない事実だ。

 プレイヤーの平均レベルが低かったわけではない。意表を突く技と奇抜な行動で、俺達攻略隊から体力を奪っていったスカルファントムは間違いなくボスとして強力で、そして極めて賢い部類に入るだろう。連戦連勝の輝かしい戦歴を持つ血盟騎士団の顔に泥を塗ったこいつは、今後もプレイヤーの中でしばらく記憶から消えないモンスターとして語られるはずだ。

 ボスを挟んで遠くに見える『出口』を目指して走り出すようなプレイヤーはもういない。

 死にたくなければ殺すしかない。アインクラッド第21層真のフロアボス、《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》を。

 

「E、F隊は左右に回り込んで挟み撃ち! なるべく我々A、B隊の下へおびき寄せてくれ! 指示のない部隊は後方で待機! A、B隊は楔型陣形!」

「了解っ!!」

 

 それを経てなお戦意は十分。

 奴が今後プレイヤー間で語られるのは『討伐されたモンスター』としてだ。そのためにもF隊は手足、頭をフル回転させて戦士としてボスに肉薄する。

 

「俺がやる! アシスト頼んだぞ!」

「オッケー!」

「任せろ! 行けっ!!」

 

 エギルが言うと俺とアギンが応えた。

 俺とアギンはさらに左右に分かれると、ボスの左側に攻め込んで互いのメインアーム、片刃大剣《ブリリアント・ベイダナ》と賊式佩剣《タルワール・アイグライド》をそれぞれ光らせた。

 役割はボスの左手左足の抑え。

 《曲刀》系専用ソードスキル、中級垂直二連撃《レスポンスアグロ》と《両手用大剣》専用ソードスキル、初級垂直三連撃《ガントレット・ナイル》が動きの妨害と共にボスにダメージを与えると、そこへエギルの中級上段旋回連撃《ワールバリアンス》が背中から二段とも直撃して、たまらずボスは前進を強要された。

 アギンの相棒のフリデリックを始め、他のF隊も攻撃によるダメージより軌道誘導を優先して側面にソードスキルを発動し、遂にボスは作戦通りA、B隊の元へ滑るように走っていく。

 

「主力隊、行ったぞ!」

 

 ボスのルート上で、12人のプレイヤーは待ち構えていた。

 多人数ではじき出す大音響の協奏。迎撃の波は集中され、進化して、研ぎ澄まされた力となってボスの体に突き刺さる。

 

『ギキキッキギキキ……』

 

 無論、ボスも《カラウド》属性のソードスキルを連発してはその4本の刃でプレイヤーのアバターと剣を壊そうとしてくる。

 これは血戦だ。

 死ぬ前に、殺しきる。回復アイテムが許す限りの体力をもって、次から次へとスイッチしては回復と消耗を繰り返す。しかしその永遠ともとれる攻防の先には限界が存在した。

 

「もう無理だ! これ以上はこっちが死んじまうッ!!」

「まだだ! 最終ゲージ行ってんだよ、踏ん張れ!」

 

 そしてボスにも、プレイヤーにも、それは近づきつつあった。

 俺も最後のポーションをつい先ほど飲み干し、少しずつ回復していくゲージを待たずに再度攻撃をしていく。

 ボスもギリギリのはずだ。まるで死ぬことを怖がるように、必死に手足を動かしている。

 死への恐怖。これが敵のAIにも組み込まれているかは謎だが、その人工知能とやらが得た学習データはフロアボスが消滅した瞬間に運命を共にする。そこで発生したいかなる利害や収益も、やはり次のモンスターには蓄積されず、どころかなんら影響を与えない。フィードバックされないのだ。

 そういう意味では俺達とボス何も変わらない。殺し、殺されを繰り返す人間とは違うたった1つの生命の形だ。

 

「(でも、てめェが死なねぇと……)」

 

 俺達が生きられないのだ。

 俺達が帰られないのだ。

 例外はない。今後迫り来る全てのボスモンスターを狩り尽くさなければならない。こんなところで手を(こまね)いている時間はない。

 しかし、またしてもボスの《四刀流》ソードスキル、全方位回転八連撃《イッチエム・パルフェ》が、囲んで速度を殺していた全てのプレイヤーを襲った。何度目かもわからない包囲網の穴が生じる。

 

「ヤバいッ、包囲が崩れた! ボスが動くぞ!」

「ヒースクリフ団長!」

 

 B隊メンバーがヒースクリフに助けを請う。

 未だにHPゲージを安全圏(グリーン)以上で保っているヒースクリフはいよいよもってその実力が計り知れなくなっているが、やはり彼とて万能ではない。

 なぜなら、プレイヤーには出せる速度と出せない速度があるからだ。その限界を超えて奴に追いつくほど高速で動くには、このゲームのパラメータ管理そのものに介入するしかない。つまり、ここまで敵に高速で移動されると、もう追いつけるような人間はこの世界に存在しないのだ。

 この場合、再三の『加速』を得たスカルファントムを相手にするとしたら、奴が定めるプレイヤーとの接触ポイントこそ次の戦闘場所となる。コントロールしきれない。

 

「き、来たぁあッ! こっちに来っ……ぐあぁああッ!?」

 

 そして接触ポイントにいたプレイヤーが、言葉を発しきれずに暴力的な力で吹き飛ばされていた。

 加速によってダメージ量は上下する。リアル界に限りなく近づけたこの世界ではら斬撃に『速度』が加わるとその威力を増すということだ。

 その結果、正面に構えられ衝撃を殺して主を守った彼の両手剣はその半ばから完全にへし折られていた。つまり耐久値消滅(デュラビリティアウト)を起こしたのだ。《カラウド》の影響を最初に目に見える形で具現化してしまったらしい。

 

「くっ……まずいッ! 彼を守るんだ!」

「お前ら人の陰に隠れるな! 前に出ろ!!」

 

 飛び交う怒号。俺の剣も腐食属性を受けている。下手をするとあと数回も剣を交えることなく、こいつは俺の手から消えるかもしれない。

 しかし……、

 

「(これ以上は誰もやらせないッ!!)」

 

 そうと決めた俺の行動は早かった。

 F隊にも俺の作戦をある程度伝えて協力を要請する。と言うのも、見ようによっては自殺行為に映るからだ。だがだからこそ、時間がないことを理由に全てを伝えず「俺に策がある。おびき寄せろ」とだけ伝え戦闘準備を整えた。

 

「あと少しだ!」

「それはさっきも聞いたッ! いつ終わるんだよ!」

「知るか! やるしかねぇんだよ……っ」

「待て! あそこだッ。あいつにボスを引き寄せろ!」

 

 言い合いになりかけていたプレイヤーをなだめ、F隊メンバーが俺の要求通りの働きをしてくれた。

 現状、ボスは死にかけている。しかし討伐隊も相討ちを恐れて『命の危険』からラストの大技を放てない状況だ。

 それでも。ここまで来たら、誰かが一気に決めるしかない!

 

「来い……こっちに……!!」

 

 ――俺が、それをやってやる。

 全身を恐怖と緊張で震わせながら誰にも聞こえないように呟き、出口方面から迫り来るボスに向けて両手剣を中段で構えた。

 失敗すればここで終わる。生きると誓った俺の口だけの威勢は、こんなアインクラッドの5分の1地点で潰えてしまうのかもしれない。

 誰かが「死ぬ気か……?」と怯えた声で問うたが、その気は毛頭ない。ないがしかし、確かに心臓はうるさいほど跳ねているし、足は今にも崩れ落ちそうだ。

 

「(でも、でも! 誰かが死ぬのはもう……っ)」

 

 心が必死に叫んでいた。

 戦意がボスに向かうと、それ以外の情報が完全にカットされ、時間は一瞬から何十秒と引き延ばされた。

 その中で俺はつい考えてしまう。

 どこのどいつが死んでも、それは俺が『見殺した』のではなく茅場が殺したのだと言い聞かせていたことを。例えこの世界の誰を人質に取られても、リスクが伴うなら切り捨てると決めたことを。

 淡泊だった当時の俺にとって、この仮想世界では『費用対効果』が判断基準だった。自分の命は天秤にかけることすらしてこなかった。

 しかし、それだけが世の中の全てではない。それだけでは勝ち抜けない。じゃあ何が必要かはまだわからない。だからこそ、わからないまま知る努力をしないのは嫌だと思えるようになったのだ。

 

「だからっ!」

 

 救おう。救える奴は全て。

 ボスが迫る。俺は逃げるのではなく前へ、前へ。初めて重なる心の声と。

 命を天秤にかけて、《四刀流》の先をいく。

 絶叫とも、咆哮ともとれる声が吐き出された。

 ガギィインッ!! と、鋭い斬撃音が耳朶を叩く。

 右下から斬り上げられたボスの左足の攻撃ではない。真横から迫る右手の刃でもない。天井から押し寄せる左手の振り下ろしでもない。

 読めていた。そんなものは俺に掠りもしていない。

 この音は俺の命の一撃だ。

 

『ギギギッ!?』

 

 動きの全てを先読みされて、空中回転斬り《レヴォルト・パクト》を脳天に受けたボスはしかし、一瞬だけ怯むがゲージはまだ残る。

 つまりボスの真後ろで着地をした俺は、技後動作(ポストモーション)中に攻撃を受けそのまま……、

 

「(いや、まだだ!!)」

 

 全力跳躍で頭上を飛び越えられたボスは、俺を見失うことなく振り向きざまに再びその腕刀を振る。

 俺はそれを《ブリリアント・ベイダナ》で受け止め、さらに武器を手放し『捨てる』ことで衝撃のほとんどを逃がしながら何とかぎりぎりのところで耐えた。

 しかし大剣が遠くへ飛んでいってしまい、これではほとんどのプレイヤーにとって『アームロスト』の状況を自ら招いただけに見えるだろう。

 だが、ここで終わりではない。

 衝撃に逆らわず、腹から発する気合と同時に転がるように立ち上がった俺は、そのまま直線上に浮かび上がった出口に向けて全力で走り出す。他に表現のしようがない、いわゆる『敵前逃走』だ。

 ただし、メインメニュー・ウィンドウを開きながら。

 

『ギキキキィッ!!』

 

 逃亡者の優先順位。ボスはその特徴から、他のプレイヤーへの攻撃を断念して改めて出口を目指す俺を標的に定めた。

 だがこれでいい。スカルファントム、ここが墓場だ。

 俺が……、

 

「(殺すッ!)」

 

 右手が信じられないほどの高速でタイプされた。

 アムファン、メインメニュー。モディファイから《クイックチェンジ》をブートアップ、オブジェクタイズ、メインアーム《ファントム・バスター》、オン。

 

「こいッ! クソ野郎!!」

 

 両足を踏みしめて振り向くのと同時に、新たな相棒を両手に握っていた。

 重く、全身にのし掛かる骨材外装の遺骨大剣。

 凶器がその本懐を果たすために、刃渡りが敵を向く。

 

「うおあァあああああああッ!!」

 

 新たな武器、《ファントム・バスター》が紫を帯びた。ほぼ同時にスカルファントムの四肢も紫色に輝いている。

 奴にとって最期にする、すれ違いざまの攻防。

 《両手剣》専用ソードスキル、初級二連斬り上げ《ダブルラード》と《四刀流》ソードスキル、十時袈裟懸け二段攻撃《クロスモール》がソードスキルとして互いに紫の色を放ちながら一瞬だけ交わり、また離れる。

 爆音は数瞬遅れて轟いた。

 あとに残るのは背を向けあう俺とボスだけ。

 

「ハァ……ハァ……」

『ギキ……キィ……』

 

 それが俺に聞こえた終幕の声だった。

 バリィン、と。ガラスが割れるような音の発生。

 ボスが、その姿を今度こそ余すことなく消滅させた時の破裂音だ。

 

「……かっ……た……」

 

 次の瞬間には今度こそプレイヤー全員の祝福を浴びた。

 神業をやってのけた俺に、知っている奴からも知らない奴からも、次々と野次と称賛を浴びせられる。俺はその時になってようやく自分が戦いに勝ったのだと自覚し始めてきた。

 そして……、

 「……はふぅ……」と、もの凄くやる気の失せるような溜息だけが口から出てきた。

 実感だけは遅れてやってくる。

 

「(勝ったんだ……)」

「コングラチュレーション、見事だったぞジェイド! この勝利はアンタのものだ!」

「すげぇじゃねぇかオイ! 最後のどうやって全部避けたんだよ!?」

「あ、いや……ありゃたまたまで……」

 

 エギルやアギンがべた褒めしてくるが、そういった扱いに慣れていない俺はつい萎縮してまともに喋ることもできなくなっていた。

 ――エギル発音いいな。

 

「ば、馬鹿! 死ぬかと思ったんだから!」

 

 アスナもそう言ってくれるが、むしろ周りに野次馬がいるのにそれ言われる方が恥ずかしい。

 

「でも1人だけ……助けられなかった……」

「君がその責任を負う必要はない。むしろ、それは指揮者たる私にあるだろう」

 

 俺の呟きには、意外にも悠然(ゆうぜん)と振る舞うKoB団長、ヒースクリフが答えてくれた。

 

「皆がやれるすべてをやった。今は勝利を分かち合おう」

「あんた……」

 

 なぜだかその言葉に俺は救われた。

 俺のやったことに『全力だった』と言い訳を付け足すようで、この気遣いに納得したわけではないが、やはり重圧は和らいだ。現金な人間だと自分でも思うが。

 

「ヒースクリフ、であってんだよな? ……責任つっても、1発で勝てたのはアンタの統率のおかげさ。スゴかったよ」

 

 アルファベット表記だといちいち読み方が不安になるが、当然読みは正しかった。

 そしてそれを境に、あとのことは声の渦に飲み込まれて覚えていない。それでも感慨(かんがい)はやってきた。いま俺は1つの大きな仕事をやり遂げた気持ちだ。

 その2時間後、4月30日17時11分。22層の転移門はその束縛から解放され、全てのプレイヤーを包み込む。

 新たな主街区、《コラルの村》での旅立ちの日を迎えたのだった。

 

 

 


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