SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第24話 陽気な午後(後編)

 西暦2023年5月3日、浮遊城第22層(最前線23層)。

 

 彼女とお食事中、なんて日記に記せたらどれほど幸せだっただろうか。それとも彼氏とお食事中、なんてことにならないだけマシと思うべきか。

 しかしそんな俺が、確かに今、女性と手作り弁当の消費に励むというシチュエーションにいるのだ。正直、体がえらくホットなことになっている。経験が乏しすぎて、誰が作ってくれた弁当であれ、相手が異性なら無条件でドキドキしていそうだが。

 

「(にしても、俺に弁当ねぇ……)」

 

 上面では会話を進めながら、つい頭をよぎってしまう。

 例えば《耐久値》。アイテムや武器に関してはもういいと思うが、この数値は味覚エンジンが搭載されたこの『食べ物』に対しても設定されている。考えるだけ無粋だが、ゲームには相応の仕様がある。

 本気で食べ物に興味がない俺は、なま物がどうとか、食材によって日持ちがどうとは知らない。が、基本的にこれらの耐久値は低めに設定されていること、また朝に作ったら遅くともその日の晩には食べ終わらなければ『腐って』しまうことは心得ていた。例外は『飲み物』ぐらいだろう。さすがに俺も水ぐらいは飲む。

 何が言いたいかというと、彼女が弁当を持ってきた以上、これを作ったのは今日ということになるのだ。

 

「(……うむ。腐ってないし、今日だ……)」

 

 お口をモグモグさせながら、死ぬほど失礼なことを考えてみる。

 されど、こういうシチュにはメシがマズイ方の鉄板展開も存在するので注意である。

 そこで。

 相当なドジっこさんだとしたら、まだ『2つ作っちゃった』程度のことはあるかもしれない。あるある(?)だ。しかし、その日に運良く、しかもたまたま通りかかったら知り合いがいて、一緒にお昼ご飯を取ろうという気になる確率はいったいいかほどのものか。だいたい、タッパーではなく弁当箱ではないか。どう考えても作ってくれたようにしか見えない。

 だが妄想世界では脈ありで、現実世界では自意識過剰なんて話はよくあることだ。外国では初対面の人間に挨拶がわりに頬にキスをする、なんて話も聞く。ここは日本だが。

 ヒスイがこちらを見てそわそわしていることも問題である。

 

「(く、食い辛ぇ……)」

 

 咀嚼(そしゃく)でごまかし、感想を遅延。

 前にも同じようなこともあった気がする。依然として食に興味を持っていなかった俺が、安物の堅パンをかじろうとしていた時だったか。当時は昼食を放棄したが今回はそうもいかない。残さず食べなければ永遠に不幸になる、と。神が耳打ちするのだ。

 もっとも、本当に美味しいのだが。食べ盛りが残すはずもない。でも意地悪はしたい。

 

「んん〜〜〜」

「ね、ねぇもったいぶらないでよ! 感想待ってるんだから!」

「アハハ、ジョーダンだよ。すっげぇウマいじゃんこれ。練習してたん?」

「ふぅ~、良かったぁ」

 

 よっぽど緊張してたのか、ヒスイは自分の分の箸が進んでいないようだった。

 しかし、なぜこんな旨いのだろうか。ゲームの仕様上、普通に作っても一般人にはこんな味は出せないはずだ。

 まさか……、

 

「まさか……ヒスイって! んぐ!? ゲホッゲホッ……あ~、ヒスイって《料理》スキル取ってたっけ?」

「食べながら話さないでよ。取ってるわよ」

「えっ、マジ? 意外!」

「意外ってそんな、こっちも女子ですぅ……」

 

 ふくれるヒスイに対し、俺はと言うと「貴重なスキルスロットがもったいな!!」と言うところだった。危ない危ない。貴重な食料にありつきけなくなる。もう少しだけ追加で誉めちぎっておこうか。

 作ってくれた以上そんなことは有り得ないだろうが、お互いが美味しく食べるために称賛の言葉を送ってもバチはあたるまい。

 とは言え、ただでさえカツカツのソロプレイヤーが《料理》スキルに手を出していることについては、パフォーマンスではなく本当に驚いている。そして浮かぶ疑問は「なぜ俺なんかのために?」というものだ。無論、嬉しいサプライズだったが、恩を売るようなことをした記憶はない。

 

「にしてもどうした? コレ、作ってくれたんだろ」

「うぐ、さすがにそりゃバレるわよね。……ええそうよ。19層の時のお礼に」

「ああ、なるほど」

 

 頬を人差指でかきながら、ちょっと照れてるヒスイに見とれてしまった。それにようやく気づいたのだが、普段の彼女はヘアピンを前髪の右側に1つ止めていて、その部分以外に手を加えないはずだ。しかし、今日は左サイドの髪一房を三編みにしていたり、先ほど確認した通り珍しくテンプレ装備を解いて私服に近い格好で来ていた。

 多少なりとも、俺を異性と意識してくれている現れなのだろうか。

 という(よこしま)な感情と期待を一旦脇に置いておいて、アスナからも礼をされたことを思い出していた。ちなみに、彼女からはダブった指輪アイテムを貰っている。アイテム名は《膂力の欠片》で、内容は『筋力値+5』というレアと言えばレア物のアイテムだ。

 比べて本日のイベントは長い。アスナの時なんて「はいコレ前のお礼ね、それじゃ」で終わりだったというのに。

 

「なんか悪いな。恩着せのつもりじゃなかったけど、スロット1個取らせちまって」

「な~に自惚れてるのよ。あたしもアスナも、料理スキルはとっくに持ってるわ。あたしのできる範囲でお礼をしたっていうだけ」

「へぇ、アスナも取ってんのか。あの攻略組の鬼がね~」

「それ本人の前で言ってみたら? たぶん斬られちゃうだろうけど」

「そんな恐ろしいことできるかっての。ま、ギャップがあって野郎連中にはかえって可愛くに見えるんじゃねぇの? アスナもなんか作ってくれりゃいい思い出になったんだけどなぁ」

「…………」

 

 なぜかヒスイの表情が固まってしまった。地雷を踏んだのだろうか。

 もっとも、そのスキルのチョイスが自分のためだというのなら、セルフケアという意味でまだ理解できないこともない。しかし、誰かのために料理を学んでいるとしたらそれは大変だ。なにせ天下のアスナである。対象者はきっと嫉妬という嵐に呑み込まれて社会的に殺されるだろう。

 かくいう俺もかなり危険な状態にあるので、念のために《索敵》スキルを発動させておくとしよう。ゲーマーの嫉妬は世界で1番闇が深いのだ。

 

「戦闘以外で、それも攻略に何ら関係ないスキルでスロットを埋めるとか物好きなもんだよな。どうせなら《鍛冶》スキルとかだろ」

「いえ、むしろあなたの方がいびつよ? せっかくお金に困ってないのに、食事を疎かにするなんて。……ほら、この世界での娯楽を捨ててるようなものじゃない」

「い、いいんだよ。俺ァその分将来のために貯めてっから。メシつったって、唯一の娯楽ってわけじゃねぇだろ? 店のモンも当たり外れだって両極端だし」

「まあそうだけど。でも、貯めてるコル回してもう少しまともなご飯食べなさいな。経済が回らないよ~」

 

 母上のようなことを言ってくる。

 そんなに貯めてどうするのか。この世界ではデフレやインフレ、またアイテムが季節によって騰貴(とうき)することもないのだから、貯めてもあんまり意味ないだろう。というお節介な助言がどこからともかく聞こえてきそうだったが、貯金すると落ち着くのは人間の性のようなものだろう。

 日本人には特にそう考える人が多いらしいし、だからいいのだ。金の使い方だけは放っておいてほしい。

 

「ま、とにかくサンキューな。でも何で最初よそよそしかったんだ」

「ほら、ジェイドにお礼って何か気が引けるじゃない?」

 

 ――なんでっ!?

 

「それに、食事をお粗末にしてるジェイドには、ん〜……ご褒美が過ぎるかなぁって」

「……あのさ、ヒドいこと言ってる自覚ある?」

「ふふっ冗談よ。でも一生懸命作ったのは本当だから。……その、味わって食べてね……」

「ん……わかった」

 

 これであらかたの疑問は解消されたというわけだ。つまり、ヒスイにとって(女性にとってかもしれないが)本気で作った弁当というのは、相手が誰であれ渡す行為そのものが緊張ものなのだろう。

 いや、それにしてもよかった。もう少しで変な期待を寄せてしまうところだった。俺は傷ついていない。心へのダメージも皆無だ。皆無ったら皆無だ。

 言い訳じみてきたのはなぜだろうか。

 

「(しっかしなぁ〜……)

 

 俺達の初めての会話が最悪極まりないものだったというだけに、正直あれからもう一言たりとも口を利くことはないだろうと思っていた。リカバリーにも限界というものがある。それが何の因果か、今では2人で昼を共にしているではないか。

 数奇な世の中、何が起こるかわかったものではない。

 そこへ、ヒスイが俺の思考をトレースしているかのような話題を切り出した。

 

「不思議よね、こんな風にのんびり会話ができる日が来るなんて。あたし達の出会い方から考えると余計に」

「それはどーかん。むしろ、よく4層で俺に声かけたよなヒスイ。キモかっただろうに……」

「そんなことないわ。率先して前線にいるのは立派なことなんだし、もっと自分に自信持ちなさい。自信を持て、って。それこそ4層で忠告したはずよ」

「ま、まぁそりゃそうだけどよ」

「それにほら、戦闘中は細かい欠点とか輪郭ボケるし」

「それ毎度フォローになってねーからなちなみに」

 

 とは言っても、自分の評価を上げるという行為は、何か劇的な変化がなければ俺には無理だ。21層のボス戦ではめまぐるしい戦果をあげたが、あれはただの奇跡というやつである。強さのデフォと思われるのはやや後ろめたい。

 さて、ボリューム満点だった弁当の中身もようやく余すことなく平らげた。

 そして互いに動かしていた右手を休めながらしばらく他愛のない会話を続けていると、ふとヒスイが殊勝な表情のまま「ジェイドはあれから変われた?」なんてことを言いだした。

 そこにどういった心境の変化があったかは知らないが、ずいぶんと声のトーンを下げている。

 彼女の言う『あれから』、というのが正確にはいつからかは予測するしかないが、しかし俺は何となくその問いには答えられる気がした。そしてこの答えはきっと間違っていないのだろう。

 

「ああ、そりゃ変わったさ。前の昼飯ん時は友達捨てたって言ったろう? でもさ、あれから許して貰ったんだよ。今度こそ一緒に頑張ろう、ってな。へへっ……俺としたとこがそん時はケッコー嬉しかったよ。ガキみたいにはしゃいでさ」

「そう……なんだ……」

 

 ヒスイの返事にはあまり元気がなく、嬉しそうにはしなかった。

 彼女が過去に「見捨てた」と言っていたプレイヤーは、まだ過去の仕打ちに耐えかね彼女を許していないのだろうか。美人を放るとはみみっちい男である。

 

「ヒスイはさ、まだそいつとうまくいってねぇの? ちゃんと謝ったのか?」

「…………」

 

 辛抱強く待っていると、今にも消え入りそうな音量でヒスイが声を(つむ)ぐ。

 

「あたしのね……その、見捨てたって人はね……もういないの……」

 

 それを聞いて、俺は絶句してしまった。全身に嫌な汗が浮かぶ。

 ヒスイは「もういない」と言った。ソードアートオンラインの世界から退場しているということはつまり、死んでいるということに他ならない。

 俺の友達が運良く生き延びたことを、当たり前の幸運と勘違いしていた大馬鹿野郎の不用意な一言が、知らず彼女を傷つけていたのだと痛感した。

 

「そ、うだったのか……悪い。余計なことを……」

「ううん。悪いのはジェイドじゃない。謝って欲しくてこのことを話したんじゃないの。……ねぇジェイド。あたしは、やっぱり……その人のことは忘れられない。あなたは生きることが罪滅ぼしって言ってくれた。……でもね、あたしおかしくなりそうなの。……これを一生背負ってなんて、生きられない……」

「ヒスイ……」

 

 言いつつ、ある種の妖艶さを(にじ)ませながらうつむいた。

 俺もよく考える。あるいは、(つぐな)う方法なんてないのだろうか。その重圧から逃れる方法など。少なくとも、俺はその解を持ち合わせてはいない。

 それでも彼女が俺に打ち明けたということは、哲学的な理屈や気の利いた正論が欲しいからではないのかもしれない。

 きっと、彼女はもう限界なのだ。だから……、

 

「全部を忘れろとは言わない。でもさヒスイ、俺は9層で『ケリを付けなきゃ』って言ったろ? あれだけはウソじゃない。……あんたにも、いつかそんな日が来る……」

「……うん」

 

 ここで言葉を止めるわけにはいかない。いま重要なのは、ヒスイが罪悪感の波に(さら)われていくのを防ぐことだ。

 彼女はこのゲームが始まって以来独りで生きてきた。幾度かパーティに参加はしただろうが、自らが背負うシンボルを意識して孤独に攻略してきた。性差別かもしれないが、こいつは女のくせに1人で背負い込みすぎている。

 頭が悪くてもそれぐらいはわかる。

 理由は単純で、俺がまだ誰とも一緒に行動していないからだ。

 独りで迎える夜が凍えるほど寂しいことを知っている。たまに人と会って話すという他愛のないことが、死ぬほど暖かいと感じてしまう環境を知っている。

 

「やーあの、ほら。今はその、攻略組にはキリトやアスナだっているだろう? それに、さ……お、俺も……な? だからさ、時間かけてもいいんだよヒスイ。ほらっ、その……死んじまった彼もよ、泣いてるヒスイ見て償いだなんて言うか? 暗く生きてくれなんて思う奴か?」

「……ううん……」

「ハハ、ほらな。だから前向けって。……いいことだけ考えよう。ここを生きて出る、とかさ……」

「うん……そう、だよね……」

「よし、それだよ。この世界じゃ生きてることは死者への最大の敬意だ。だろう? それだけは間違いない。その男もきっとそう思ってるだろうぜ」

「ジェイド……」

 

 らしくないことをたくさん喋った。それでも俺は、嘘から出た真ではないが、自分の言ったことを脳内で繰り返していた。

 そして、自信が持てた。

 ここだけの話ではなく、現実世界でも同じことが言える。

 人が過ちから更正する時、過去の罪を永劫背負い続けることはない。そうあるべきだが、事実上は無理だ。もちろん、ここで理屈をつらつらと並べる気はないが、俺の言いたいことはつまりはそういうこと。一介(いっかい)の子供は、こんな世界に飛ばされたからと言って、課せられた罪をそのまま背負うことなんてできやしないのだ。

 だからこそ、ヒスイも時には背負うのをやめればいい。時には考えることを休めばいい。

 

「辛くなったらさ、俺んとこ来てそれ言えよ。あ、いや俺じゃなくてもいいけど、やっぱそういうことぶちまけるのはいいことだと思うぜ。言える奴がいるってこと含めてな」

「うん、それはホントに」

「へへっ、ほら俺なんてチャランポランだけどよ……んでも、だからこそ話しやすいってもんだろ。だからさ、俺も頼るかもしんねェけど、そんときゃお互い様っつうワケよ」

「……うん……」

 

 そろそろ苦しくなってきた。ボキャブラリーがない。

 だが、どうやらヒスイも立ち直ってくれたようだ。やっといつもの笑顔が戻ってきていた。

 

「そうね、ありがとう。……月並みのことしか言えないけど、あたしもほんの少し心が軽くなった気がするわ。相談って大事ね。お礼のつもりだったけど、今日あなたに会えてよかった」

 

 それが無理矢理であっても十分だ。とは言え、俺を頼れと言った手前、可能な範囲で俺もサポートしていかねばならない。恩返しすべきことだ。

 一応はこれで一段落。

 

「どうしたんだろうね。今ではあたしの方が……こんなこと言ってもらってるなんて」

「たぶん俺の方が年上だけどな。寝ても覚めても失礼なやっちゃ」

「あの時、2層であなたに話しかけたあたしに感謝しなくちゃ」

「何でだよ、俺に感謝しろよ! ……ったく」

 

 そう突っ込むと、今度こそヒスイがクスクス笑いだした。そして一泊だけ置くとこんなことを言う。

 

「今にして思えばすべてが運命的ね」

「あん? ……そりゃどういう意味だ」

 

 とりあえず女という生き物は運命という言葉が好きなのだろうか。オンラインチャットで喧嘩したことがきっかけで、のちに酒を飲み合う仲になるなんて話は巷に(あふ)れている。

 その真偽は定かではないが、ヒスイは構わず続けた。

 

「あたし神様の悪戯かなって思っちゃったもん。ジェイドの名前を初めて聞いた時」

「だから何でだよ、まったく意味がわからんぞ?」

「う~ん、ジェイドは自分の名前のスペルってわかる?」

「わかるわ。バカにしすぎだ、こんちくしょう」

 

 とりあえず即答で突っ込みを入れつつも、間違えると恥ずかしいので念のために左端のネーム欄をチラチラ見ながらアルファベットを口に出していく。

 

「……J、a、d、eだよ。それがどうした?」

「ふふっ、翡翠さん……」

「……はぁ?」

「これ以上は教えてあ~げない!」

 

 そういうヒスイは、食い下がる俺を無視して実に楽しそうに笑っていた。

 それから、なんと。なし崩し的にフレンド登録をしてくれたおかげで、この日は俺のフレンド登録者リストに初の女性プレイヤーの名が追加された日になったわけだから、この件については大目に見ておこう。

 

「(はてさてアルゴに意味を聞いたらいくら取られるんだろうか。いや、誰でもいいから誰か答えわかる奴……)」

 

 そんな平和なことを思いながら、また仮想現実の1日は過ぎていくのだった。

 

 


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