SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第28話 生と死の海峡

 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 《ナミング・インパクト》の同時発動は、それに伴って5人を一気に《麻痺(パラライズ)》にさせ、戦線を瓦解させた。

 本当に存在したのだ。物好きなプレイヤーが勝手に唱えているだけの眉唾(まゆつば)と思っていたが、あの現象は単純なバクではなく、実践可能な技であった。

 都市伝説として失念していた自分の頭に、俺は久し振りに嫌気がさした。

 

「(くっ……けど、今は対処をッ!!)」

 

 本層の双頭巨人型ボスは左右の攻撃スタンスが違う。《スタン》、《麻痺》、《毒》などデバフアタックを中心としたボスの左側に対し、右側は大剣と《炎》ブレスの高火力構成のようだった。

 さらに高く振りかぶられた右手が、横たわるレイド2の《軍》メンバーに向けられていた。

 

「ヤベェぞ、ヒスイ!」

「わかってるわよ!!」

 

 俺が叫ぶとコンマ数秒も空けずにヒスイが応えた。

 俺が《武器防御(パリィ)》スキルを、ヒスイは《反射(リフレクション)》スキルを発動して、振り下ろされた大剣を2人同時に受けることでぎりぎり防ぎきった。

 しかし真横から迫るハンマーは……、

 

「く……ッ!」

 

 ――避けきれない!

 そう悟り、俺は我慢しきれずに目をつぶる。

 ドガアアアッ!! という脳を揺らすほどの衝撃音はしかし、自身から1メートル以上離れた場所で響いた。

 

「よく耐えてくれた。感謝する」

「ヒースクリフ!?」

 

 シールドを掲げて端的に言うメチャクチャ格好良い紅白のおっさんタンカーは、なんと大手ギルド《血盟騎士団》の団長だった。

 E隊の代わりに前に出たレイド1のF隊、つまりKoB隊の小隊長である。周りに散開する団員にはアスナの姿もあった。

 

「ヒスイ達! 姿勢そのまま!!」

 

 1つの弾丸と化したアスナがボスの懐に飛び込むと、そのまま奴の膝を『足場』にして上空へ一気に飛翔。さらに彼女は尋常ではない《正確さ(アキュラシー)》で三連撃のソードスキルを目玉に全段直撃させていた。

 

『『ゴガアアァアアアアアッ!?』』

 

 その『閃光』のようなラッシュにたまらずボスは《フレイムブレス》を中断。さらに行動遅延(ディレイ)状態に陥った奴の大剣から力も抜けた。

 

「ッ……今よ!」

「やれる! 全員、フルアタックっ!!」

 

 ヒスイと俺の声で、追撃可能なプレイヤーは手に持つ剣に出せる最高攻撃力を咆哮も乗せて叩き出した。

 これによりボスのHPゲージ1本目は《注意域(イエロー)》へ突入。さらに《パラライズ》を起こした味方の復帰までの時間も稼いだ。

  実力至上主義のKoB。そんなF隊の参戦は、やはり攻略組にとって途轍(とてつ)もない心の支えになっていた。

 例えばスポーツ、テーブルゲーム、その他の駆け引き的な戦いで重要となるのがこの流れだ。多くの人にとって勝負とは力の差だけではなく、いかにして『実力を出し切れるか』、『自分の流れを作れるか』にかかっている。その具合によっては、多少の実力の差など埋まってしまうのだ。

 相性的な問題もさることながら、スポーツ界において世界ランクの順位通りの勝敗がつかないことがままあるのは、SAOというゲームにおける『筋力値』や『敏捷値』という数値だけが戦いの行方を決定づけるものではないことを証明している。

 

「しゃあッ、取り戻した! 血盟騎士団に続け!」

「軍の連中も取り巻き倒しかけてる! 持ち堪えろ!」

 

 思わず口元が緩んでしまうほど、血盟騎士団の参戦が流れを変えた。

 タイミングの良すぎる登場にヒースクリフとアスナには惜しみ無い称賛を送っておく。

 

「(やるなあいつら……)……しばらくは任せよう。あとヒスイ、パラレルオープンについて聞いたことあるか」

「新手の小技だよね? 裏付けもしてなかったし、まるで信じてなかったけど、一応」

「どう考えてもさっきのは……」

「ええ、見間違い……なはずないわよね。今の内にE隊の人に伝えておきましょう」

 

 俺達E隊も下がって体力回復に専念しているため、この時間ばかりは口を開く余裕はある。ボスから目を離すような愚行はおかさないが、情報交換をするならまさに今だ。

 

「そう言えばさ、よく《反射》がボス戦で使えたな。筋力値負けすると、こっちが弾かれるんじゃなかったっけか」

 

 パーティメンバーに一通り説明したあと俺はふと疑問に思ったことを聞いてみる。すると彼女は意外とすんなり答えてくれた。

 

派生能力(モディファイ)よ。初めに選べたのは『性能向上』、『受付時間延長』、『反動比重低減』とかだったけど、しばらくして選択肢に出たのが『衝撃吸収』なの。それで、あたしは優先的にこのモディファイを選んだってわけ」

「う……盾使う頻度凄いことになってるな」

「でも『冷却時間短縮』は取れてないわ。ボス戦のために無理矢理熟練度を上げたようなものだし、付け焼き刃なのは違いないはずよ。あまり今後に期待しないでね」

「よく言うぜ、俺が頼られる側だっつーの!」

 

 まあ、ボス戦では仲間に頼るし、頼られるものだ。しかし正面切って「助けて」と言うもシャクであり、格好がつかないのでそう答えておいた。

 それにしても一瞬見えたヒスイの技名は、俺のよく知る《リペルバリア》ではなく《リフレクション》専用ソードスキル、衝撃相殺吸収技《アブソート・エレメント》なる初見の技だった。これまたヒスイさんはずんずんと有名になっていくに違いない。

 

『『グルオォオオオオオオオオオッッ!!』』

 

 聖龍連合と軍が加勢に来て物量攻撃に晒されたボスは、たまらず1歩身を引きながら何かに憤慨(ふんがい)するように両の口から叫んだ。弱点部位に設定されている胸の仮面への波状攻撃も効いているのだろう。

 

『いっけえぇえええッ!』

「ぶった斬れッ! 流石だぜ聖龍連合!」

「軍も負けてねぇ! いいぞやっちまえ!」

 

 最も多くのプレイヤーに愛される《片手剣(ワンハンドソード)》が、直立する巨大な《直槍(ランス)》が、鋭利に光る《短剣(ダガー)》が、パワーを誇示する《両手用大剣(ツーハンドソード)》が、破壊を象徴する《戦鎚(ハンマー)》が、痛撃を彷彿させる《棍棒(スタッフ)》が、曲線を描く《湾刀(タルワール)》が、刺突攻撃用の《刺突剣(エストック)》が。ありとあらゆる武器が集約されて迫り、また交代しては脅威を与え続ける。

 そしてとうとうボスはその体力ゲージを……、

 

「よし、ようやく1段目を削った!」

「こっからだぞ、まだ気ぃ抜くな!」

 

 5本ある内の1本。ようやくここまで押し返したのだ。初めはボスが暴れるだけで翻弄(ほんろう)されていた戦場は、取り巻きを倒した強ギルド達の援護によって支えられた。

 やはり100人近いメンバーでの安定感は桁違いだ。

 

「取り巻きがリポップしました!」

「わかっている。DDAの者、聞こえたな! 取り巻きの相手に戻るぞ!」

「了解ッ!」

「がってんでさぁ!」

 

 ゲージを削ったことでボス戦における取り巻き、今回では《ラディカルガーディアン》が復活していた。これと共に軍も、聖龍連合も、次の1本を飛ばすまでは基本的には取り巻きを倒しに行かねばならない。

 よって後半は奴ら3強大ギルドの内2強ギルドがゲージの初めからボスの相手を取ることになっている。おそらく彼らはボスへのラストアタックを決めたいのだろう。

 そして軍とDDA、《ディバイン・ドラゴンズ・アライアンス》とも呼ばれる聖龍連合の各レイドA、B隊やその他のC隊が本来の敵に向かっていくのが見えると、またボスのタゲを取るために俺達が前に出た。

 

「パラレルオープンには気をつけろ! アレは噂じゃない!」

「マジかよ、オイ聞こえたか!? 同時発動はまだ来るかもしれない!」

「警戒を怠るな!」

 

 せわしない怒号が連綿(れんめん)と続いた。

 持ち直したとはいえ、戦いが終わったわけではない。むしろ争いはまだ始まったばかりだった。

 斬撃をかいくぐり懐へ深く食い込むと、俺の気合いと同時にザシュンッ! という斬撃音と、あまり愉快ではない肉切りの感覚が伝わってきた。ペアギルティの右腕を、俺の両手剣が通過したエフェクトとノックバックだ。

 なにせ頭を2つと8メートルに迫る図体を持つボスである。胸の弱点部位はともかく、大技をヒットさせることだってそう難しくはない。

 しかし命中した技は単発でも高威力のはずだったが、やはり奴が相手だと体力の絶対量が多過ぎて、ダメージが入っているのかさえ視覚から確認できなかった。

 

「ジェイド気づいてる? さっきより各隊の消耗ペースが速い」

「ああ、なるべく俺らで持たせるぞ。オイあんた! ペース抑えようぜ、このままじゃすぐにバテちまう!」

 

 俺がE隊隊長にそう進言すると、意を固めたのか時間稼ぎを優先させるよう隊員に告げていた。

 まだボス攻略が始まって18分。流れが傾いているからと、コトを()いては逆に足元を掬われる。もっとも、通常のボスならとっくに攻略の3分の1を終えていてもおかしくないペースだ。手練れの攻略組ではない新米が多く混在する、彼ら小隊の焦る気持ちは十分理解できた。

 しかしここで、ペアギルティが空間を震わすほどの大声をあげた。叫び声で動きを止める技である《バインドボイス》という単語が頭をよぎったほどだ。

 ペアギルティの『両腕の武器』が輝くのが見える。

 この現象から導き出される答えは。

 

平行発動(パラレルオープン)だ! ナミングと遠距離攻撃来るぞッ!」

 

 共に単発技であるはずのあれらは、武器を垂直に振り下ろすだけで互いの動きが干渉し合わない。まず間違いないだろう。

 しかしリーダーの叫び声と同時に各々はとっくに回避に移っていたのだが、慣れていないのか1人逃げ道を間違えた奴がいた。

 

「バッカ野郎、そっちじゃない!」

 

 俺は振り向き様に教えるがもう遅い。そいつは《両手剣》専用ソードスキル、長距離用単発斬撃、《マグノリア・ライン》を右肩に受けてしまった。

 ズッパアァアアア!! という衝撃波の後に遅れて宙を舞うプレイヤーの右腕。

 

「ぐぁああアアアアアアアアアアッ!?」

「はッ、マジかよ!?」

「うそ……っ!?」

 

 俺とヒスイだけでなく、討伐隊一同が同時に驚愕していた。

 俺達が目にしたのは《部位欠損》だった。行動遅延(ディレイ)部位欠損(レギオンディレクト)はデバフアタックによるバッドステータスとしては認識されない。なぜなら、これらの状況は例え敵がどんな装備の、どんな技であれ起こり得る現象だからだ。特殊効果のない剣でも再現でききてしまうのである。

 実際、俺自身ボスのハンマーやら大剣やらを受け止める度に、手が麻痺のような感覚に襲われながら一瞬身動きがとれなくなったりもしている。敵にさえ起こりうる一瞬の硬直、それがディレイだ。

 《部位欠損(レギオンディレクト)》も然り。このゲームでは敵味方を問わず特定部位に攻撃が重なると、そこが『切断』された状態になる。

 人間の首や胴に当たる部分でこれが起こることは『死ぬ場合』を除いて起こり得ない。しかし手首、肘、肩、大腿部、膝、足首、モンスターで言うなら耳、翼、尻尾などは《レギオンディレクト・ステータス》になりうる。そしてそうなったとしたら、8分20秒間はそこが『無い』状態で戦わなければならないのだ。

 ソードスキルによっては、発動したくてもプレモーションの条件を満たせない場合も出てくるだろう。ではどうすればいいのか。

 答えはシンプルだ。単純にそのソードスキルは発動できない、ということになる。失った部分を使わないソードスキルか、初めからシステムに頼らず何とかするしかない。

 そもそもこのゲームでは『欠損』はポーションや結晶系アイテムでは治らないため、切断そのものがされ辛い設定になっている。それこそ《部位欠損》を帳消しにするには特殊なレアアイテムか、《圏内》に戻って専用施設内で回復処置を施すしかないからだ。

 しかし、俺とヒスイが驚いたのは、何も現象そのものにではない。あまりにも『欠損』が早すぎるからだ。

 

「(まだ1段しか減ってねぇんだぞッ!?)」

 

 ボス戦、対人戦なら稀に見ることもあるが、それにしても早すぎる。

 右の『肩』から先を失ったレイド2の《軍》の奴は、今から500秒間ほぼ何もできない。なにせ飛ばされた腕の先に剣が握られていた以上、あれはその男の『利き手』だったはずだからだ。

 

「(ナミングを受けた奴はいない、でもっ……)……こっちだ!! 引け! 俺らの後ろにッづぅ!?」

 

 しかし、不自然に言葉が途切れる。

 走っていた俺をボスが蹴り飛ばし、横殴りの衝撃が肺から空気を全て追い出してしまったからだ。

 

「がァああああッ!?」

「ジェイド!」

 

 それを見ていたクラインと、今回攻略に参加している彼のギルドメンバー3人の顔が一瞬だけ視界に映った。俺を心配してくれているのだろうが、減ったHP自体は大したことは無かった。しかし、確かに俺が受けた衝撃はリアルなら首ぐらいもげそうなものだった。

 ――くそったれが……ッ。

 と、つい悪態をつきながら上体を起こすと、そこで目を見開いた。

 その時の俺には、ボスが片手鉄槌を赤褐色に染めていることだけが脳裏に焼き付いた。

 

「は……うそっ、だろッ!?」

 

 どこか「自分だけは助かる」という、何の根拠も確証もない楽観論に(すが)っていた俺は、ここに来てそのツケを払うことになる。

 標的は俺。立ち上がった直後だった。

 

『『グルオオオオオオッッ!』』

 

 ボゴォオオオッ!! と、(かわ)しきれなかった俺の腹を真下から鉄槌が殴ったのだ。

 自分の絶叫すら聞こえなかった。俺はそのまま空中に放り出されると、ゆっくりと回転する世界の中で今度は敵の大剣が焦げ茶色に染まっているのが辛うじて見えた。

 つまり……、

 

「(ハンマーは……スキルコンボか!?)」

 

 案の定、スキルコンボ初動叩き上げ技により、大剣の追撃を許すことになる。

 しかも地上から6メートルは飛ばされている俺は、ボスの正面にいながらまったく抵抗ができない。大剣の四連撃は間違いなく俺を斬り裂くのだ。

 「ひ、ッ……」という、短い悲鳴だけが俺の喉を通った。

 そして《両手用大剣》専用ソードスキル、超大型中級四連撃《トリエム・パルミエ》の発動を、最も敵に近い位置で見届けることになる。

 

「くっ、そがあァああああッ!!」

 

 スキルコンボは初見だったが、四連撃の《トリエム・パルミエ》はこの戦いの中でほかのプレイヤーへの攻撃の際に1度見ている。

 記憶が走馬灯のように巡った。俺は空中という不安定な中で、何とか行動できる範囲で大剣の場所を予測し、そこに自分の大剣を構えることができた。

 その結果。

 

「ぐあぁあああっ……かは……ッ」

 

 ガンッ!! ガンッ!! と甲高い音が4回響くと、10メートルはぶっ飛ばされたのだろう俺は、地面を転がりながらも体力をレッドゾーンで(とど)めることができた。

 しかし、生きた心地はしなかった。

 デスゲームが始まって以来初の危険域(レッドゾーン)。もう少しで、本当にもう少しで『ゲームオーバー』を迎えるところだったのだ。視界もレッドアウトしていて、『死にかけ』という臨場感をこれほど近くに感じたことはない。

 人が赤い。敵が赤い。景色が赤い。通念的にもシステム的にも、危険信号がバンバン放たれる。

 そして全段を直撃という形で受けていたら、俺は間違いなくこのアバターをデータの破片にして跡形もなく散らしていただろう。

 

「ゼィ……ゼィ……死ぬ……マジで死ぬ……おい、オイマジだって……!!」

 

 極度の緊張で喉が干上がり張り付きそうだったし、体は四つん()いになっているのに四肢の全てが痙攣(けいれん)していて、まともに立つことも話すこともできなかった。

 そんな俺は4足で走るようにして戦線を離脱すると、プレイヤーの壁に隠れてからようやくポーションを(あお)った。

 

「ハァ……死ぬ……死ぬ……かと……マジっで……」

 

 誇張表現ではなく1歩間違えれば俺は本当に死んでいた。死の輪郭を間近で捉えた俺からは、震えも一向に収まらない。未だに右手が遺骨大剣《ファントム・バスター》を握っていることが不思議なぐらいだった。

 だがそこへヒスイが走ってくると、怯えて縮こまる俺に激励を飛ばす。

 

「しっかりしてよジェイド! 回復は済んでるでしょう!? 隠れていたって変わらない!」

「ハァ……ゼィ……くっ……そ……」

 

 しかし、だからといって二つ返事で「わかったじゃあ頑張ろう」などと返せようはずもなかった。

 ヒスイは……この女は、レッドゾーンに落ちたことが最低2回はあるはずなのだ。少なくとも俺は目撃している。ということは、こんな状況に2度も陥っておきながら、未だに最前線に残留しているというわけだ。

 何とも思っていないのだろうか。何も感じなかったのだろうか。もしそうなら、この女は俺が思う以上にクレイジーだということだ。

 

「し、死ねるかよこんなとこで……あ、あいつは強すぎる。もう撤退しよう!」

「なに言ってるの。撤退戦は有り得ないって言ってたじゃない! やれることやるしかないのよ!」

 

 今度はヒスイの声に苛立ちの色が混ざりながら、怒鳴る応酬で時間のみが過ぎていく。

 

「やりたい奴にやらせればいい。そうだ、軍にやらせよう。これは危険すぎるんだ……!!」

「……ふん、やる気がないならそこで見てなさい。あたしはみんなを助けてくるわ」

 

 時間の無駄という視線を送り、それだけを言って彼女は俺に背を向けてプレイヤー集団に埋もれていった。

 その時になって俺は郷愁(きょうしゅう)にも似た、そしてそれとはまったく違う胸の奥を疼かせる不快な感覚に襲われた。目の前の女の行動原理が理解できなくて立ち竦み、その背中を静かに見送ることが、干渉しないことが最前の手だと思っていたあの頃の感覚だ。

 2023年、つまり今年の元旦に怒鳴り合った時の心の葛藤(かっとう)を。

 

「(でも、あの時とは違う……)」

 

 あの時は逃げるという選択肢、すなわちリスクを背負をない敵前逃亡ができた。

 雪の積もる夜の広場に集まったプレイヤーは、作戦を打ち合わせたわけでもない烏合の衆だったのだ。だからこそ、誰のせいにもされなかったし、誰のせいにもしなかった。

 されど、今はその前提がない。

 集団が逃げない道を取るならば、人数差を生かして実力の出し惜しみをしたって罰は当たらないはずだ。そもそも《軍》や《聖龍連合》の連中は、危険を承知で俺達をボスにあてている。

 まともにやっていられるか。

 しかしそう思った時……、

 

「嫌だ、イヤだあぁあああッ!!」

 

 右腕を失った軍の男の絶叫が、頭に届いてしまった。

 俺はこれを知っている。嫌でもビクリと反応してしまう。

 この声を3週間前にも聞いた。恐怖を体現したような顔は、深く刻み込まれた傷跡のように残っていた。

 《四刀流》によって死界へ(いざな)われた男の顔。

 しかし、当時の俺はどうしていたか。21層のボスと戦っていた時は、女に説教をくらってまで情けなく地面を這い回るような奴だったのか。そんな俺とは、もう去年の俺と共に消え去ったのではないのか。

 

「(くそ、情けねぇぞ……クソ野郎ッ!!)」

 

 人が死んでも攻略は続いた。1層のディアベルや、9層の名前も知らなかった2人組、戦いを実際に見たわけではないが15層でも1人、そして21層のあの男。

 皆があの世で見ていやがる。自分たちの死に意味はあったのかと。

 ここで新たな死者を出すわけにはいかない。ならば、どうするか。

 

「ちっくしょうがァッ!!」

 

 本日最大級の悪態をつきながら、俺は今度こそ前へ進むことができた。さらに、ぎりぎりのところで斬られそうだったF隊のメンバーへの凶器を俺のソードスキルで弾き返すと、今度こそヒスイと目が合う。

 その目は悟っているようで少しだけ悔しかった。

 ただし、もう目は逸らさない。

 

「しゃあッ!! 来いやデカブツ野郎ォ!!」

 

 無理矢理、自分への叱咤をかます。

 光と剣の世界で、その背景として溶け込んだ俺は、両隣りにいる攻略メンバーと呼吸をぴったり合わせて斬りかかることができた。示し合わせたわけでもないのに、驚くほどタイミングが合う。

 獲物を求めるように両腕が唸った。全身の筋肉が意思に反応して正しく駆動する。

 「今だ、スイッチ!!」と叫ぶと、彼らは即座に反応した。そしてレイド2のメンバーと俺達の隊が同時に後続とスイッチをすると、ボスの体力ゲージ2段目をイエローに。

 しかしボスも指をくわえて見ているわけではない。ここで激しい反撃がきた。

 

「ストンプのナミングだ! 真下から離れろ!」

「回避距離を間違えるなよ!」

 

 命令は的確だった。直後にゴバァアアアアアッ!! と爆音が響くが、事前に行動していた味方のパーティは敵のアグロレンジから脱出できているはずだった。

 しかし信じられないことに、一旦攻撃を止めてバックステップで距離を空けたほぼ全員のプレイヤーがナミング技を避けられないでいたのだ。

 動揺の波紋が広がる。

 

「があああぁぁあッ!?」

「やべぇ! くそ、やっべェぞくらっちまった!」

「オイどうなってんだ!? さっきと範囲が違うぞっ!」

 

 困惑の波に呑まれる。

 ゲージ1段を消費したボスの新技はスキルコンボだけではなかったのだ。その技、《ハイパーナミング・インパクト》は有効範囲とスタンタイムを1.5倍に広げたような凄まじい衝撃波を足下から広げ、多くのプレイヤーを縛り付けた。

 さらに左の頭が顎を天井へ向けて突き出している。大きく息を吸い込んでいる証拠だ。

 

「ヤバいッ、《ポイズンブレス》だ!」

「逃げて! なるべく遠くへ逃げて!」

 

 しかしそれができるのなら全員やっている。

 俺とヒスイの願望叶わず、ペアギルティは真下に向けて黒い塊を吐き出すように撒き散らす。それは何かの生き物のようにプレイヤーへ追いすがると、あますことなく彼らを呑み込んでいった。

 

「あがァあああああああッ!?」

「うわっ、うわああああッ!! ヤバいッて! 毒が!?」

「落ち着け! 全員落ち着け! 焦らずに解毒ポーションで回復するんだ!」

 

 いや、それでは遅い。

 

「ダメだ!! まずはその場を離れろッ!」

 

 混乱する命令系統の中で各々が勝手な対処を取る中、俺は目視してしまう。あの焦げ茶色に輝くソードスキルは、俺をニアデスに追い込んだ《トリエム・パルミエ》だ。

 ゾクリ、と背筋を冷たいものが這い上がってくる。

 俺を殺しかけたあの大剣の四連撃が、解毒ポーションを飲もうとする1人の男を確実に捕らえた。

 

「逃げろバッカやろォオオッ!!」

『『グオオオオオオオッ!!』』 

 

 しかしすべてが遅かった。

 ザンッ! ザンッ! ザンッ! と、赤いヒットライトが眩しく光る。その血色とは『クリティカルヒット』を意味するのだ。

 

「う、あ……ああァああああっ!!」

 

 隣で男の知り合いらしき男が生々しい声を上げる。

 斬り刻まれた方の男からは声は聞こえない。返事をしないのか、できないのか。戦闘中はみんな声を張り上げているのに。

 

「オイあんた!!」

 

 しかし、そこまでだった。その男が人型を保っていられたのは。装備の色、髪の色、肌の色。全ての、人である証明が打ち砕かれたのだ。

 破砕音は何秒も後になってフロアに響いた。

 

「ぁあああ……あぁあああッっ!?」

 

 目の前の光景を信じられない。いや、信じようとしない男は、右手の剣を滑らせるように地面に落としながら、『友だった』光の残照を両手で(すく)おうとしている。

 だが無慈悲にも、ゴンッ!! と、その男は真上からハンマーによって叩き潰された。

 鉄塊の中央部から突き出る槍のような刃に体を貫かれ、追い討ち状態で地面に縫いつけられる。「カッ……は……」と、武器の先端にぶら下がったまま、ほとんど声にもならない男の声がかすかに聞こえた。

 あまりに重い喪失感からか、あるいはそれを認めた上での戦闘放棄だったのか。本人の(うつ)ろな瞳は腹を貫かれた状態でなお、鉄槌に押し潰されていることすら認識できていなかった。

 

「嫌っ……いやよ……」

 

 となりで、かすかにそんな声が聞こえた。

 しかし、止まる事はない。ボスは突き刺した男をブォン、と空中に放り投げると、右側の口をガバッと開けて伸びる牙が上下からその男の体を貫通した。

 重力設定のプログラムミスのように、一種の現実離れした放物線を描いたすぐあと。バリィイインッ!! と、2度目の破砕音が耳に届いた。

 

「か……お、い……っ」

 

 何かを口にしようとして、乾いた空気だけがわずかにこぼれた。《攻略組》として、前線に生きた人間として、あまりにあっけない最期。唐突に訪れた2つの死。現実味はなくとも、最前線でそれを目にしたことのない奴はいないはずだ。

 つまり彼らは……、

 

「(死ん……だ……?)」

 

 間違いなく。

 疑いようもなく。

 

『『グルルル……ッ!!』』

 

 睨まれる俺達は()われたように怯え、震えて動くことすらできなかった。

 しかし、残酷な絶望は容赦なく獲物を逃がさんと確実に迫り来る。

 

 


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