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西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。
人の集中力の限界はどのあたりだろうか。極限まで鍛え抜かれたスポーツ選手・アスリートなら、競技や練習に何時間も集中できるかもしれない。
しかし凡人には難しい。ストレス、プレッシャー、恐怖など加われば、人の体力をごっそりと削る。
しかもあろうことか、俺たちは命のやり取りをしている。
それは実際に筋肉を動かすわけではないこの電脳世界においても例外ではなかった。緊張が続けば集中力は落ちるし、疲労も感じる。要因が重なるほど早く訪れる。その最たるボス攻略において、『1時間以上の戦闘』など視野に入れるべきではない。そうならないことを前提にした安全マージンの獲得が必要なのだ。
そして今。
攻略開始から既に1時間と15分がたち、人として戦闘時間の上限に迫っていた。
1層攻略から数えて、この討伐時間は過去最長だろう。なにせこれほど時間がかかるなら、今までは撤退していたからだ。
されど、今だけはそれができない。あまりにも多すぎる死者を出したこの25層戦では、下手に引けばまた1層の時のように長い潜伏を余儀なくされる。人々の記憶から惨劇の闇が消え去るのは、相当な時間がかかるだろう。
だからこそ、ヒースクリフは無理を押して共闘者を集った。
「……隊までは後方待機。C隊は私の合図で高速スイッチを。我々A隊は初めに切り込むが、その後は逐一諸君らの動きの把握に努める。しばらくは判断を各隊に任せる可能性が高い。十分に留意してくれ給え」
それだけ一気に
しかし奴へ視線を向けても、周囲を覆う黒い
対するヒースクリフも
まさに、神業に近い天才的な記憶力と判断力。プレイヤーのプライベート情報を隅々まで把握するかのごとく
「(バカと天才は紙一重っつーけど……このおっさんは、いったどんな脳ミソ持ってやがんだ……)」
そんな失礼なことを
俺も元がE隊だったことを考慮され、できるだけ混乱を避けるためか今回もE隊。E隊からの逃走者は2人だったので都合もいい。
「団長、ボスが来ます……!!」
「全員手はず通りの配置に! まずは我々が切り込む! E隊はスイッチの準備を!」
『了解っ!!』
統率された動きを見せ、声を掛け合う。心臓の音と速度が高まったのは、ただボスが怖いからだけではなく、ここに命を任せられる仲間がいるからだ。
拳を作るように指に力を入れると、俺の相棒ファントムバスターも少しだけ光って俺に応えたように感じた。
「再攻略開始! D、F隊は側面に回り込めッ!」
「おォおおおッ!!」
「仇は取る!」
「ぶっ殺す! ぶっ殺してやる! こいつだけは必ず殺すッ!!」
「しゃあァッ、やってやらぁ!」
感情は激流となり、狩人に限界以上の行動力を与え、石畳を蹴るプレイヤーの力強さはむしろ攻略が始まってから数えて最も高いものだった。
死なばもろともの戦意は凶暴なほど膨れ上がっている。そして再編された攻略メンバーの中で最前線、つまりA隊が『黒い塊』と重なった時、金属が破裂するような激しい音が数回鳴り響いた。
「すっげ……」
衝突した瞬間、暴力的な音響が場を支配した。そのサウンドエフェクトの大きさと鋭さもさることながら、
しかし間合いを掴めない巨人を相手に、先行したÅ隊はただ玉砕するわけではなかった。
なんと、ペアギルティが武器を振りかぶった瞬間の、わずかに靄の範囲外に出た体の一部から、攻撃モーションを特定して対応して見せたのだ。
確かに、黒い
それに一口に不利といっても、少人数なりの利点はある。
まず、今までのように『剣を振れば誰かに命中する』といった人口密度はなくなった。
さらに密度が減ったことで移動の制限も緩和され、こちらが元から持つ『小さい攻撃対象』というアドバンテージを遺憾なく発揮できる。
いくらペアギルティの
肝要なのは攻守のメリハリ。深追いせず攻撃のターン制を守ること。これが、残りの攻略隊が出せる最善の戦闘スタイル。
ヒースクリフは勝つための論理的な筋を示した。それはまさに、モチベーションに直結する説得力となった。
「次は俺らだ! E隊前進!」
攻略の前半戦からの小隊長が大声で伝えると、俺やヒスイ達がA隊とスイッチ。左に回り込んだタンカー/D隊の援護を受けながら、感覚を頼りに動き回って突撃をかます。
間合いが読めなければタンクもヘッタクレもないが、地獄に残る猛者だけはある。かすかに見える体の一部を頼りに大技を見極め、凶器を防いでくれる。
そして壁役の有無でダメージ効率は大きく変わる。
「(厳しい、でもっ……!!)」
逃げない。そう決めたはずだ。
体力は満タンだったが、俺は手持ちの回復ポーションは飲み干しているし、おそらくここにいる半分以上のプレイヤーは十分な回復もままならないだろう。
地を駆けるなか、経験と第六感が警鐘を鳴らす。
「くるッ!!」と、確信に変わると同時に行動した。
爆走中にほとんど運任せで斜め左方向に転がると、真上を敵の片手剣がすれすれで通過。回避成功を辛うじて感じ取れた。
冷や汗ものだったが『流れ弾』の要領で右にいた奴の左足首を
重力もリアル界と同じ様に設定されているSAOで、足の『切断』をされるということは、戦力外通告とさして変わらない意味を持つ。その男も戦闘不能の現実を認め、悔しそうに後退した。
嘆いても戻らない。俺は彼のことを振り切って咆哮を上げた。
「消えろォおおおおッ!」
ほとんど黒い靄の中心地に向けて歩を進めると、発動可能なソードスキルを連続で使用し、いくつかに手応えを感じる。ダメージが通った。効いているはずだ。
ここでボスの反撃。闇の中で奴の武器が発光した。
「(ソードスキルッ!?)」
俺は頭で考えるより早く大剣を盾のように構えた。
直後に2回に渡る重い衝撃。体全体を打つ感覚を味わうと、俺は見えない壁に押し出されるように吹き飛ばされた。
発動されたのは《片手剣》専用ソードスキル、初級谷状二連撃《バーチカル・アーク》だろう。だがこれは俺達が待ちに待った《ソードスキル》の発動だった。
「今だぁああッ!!」
俺が全力でペアギルティから距離を取りながら大声で合図を送ると、ヒースクリフが即座に反応した。
「C隊、突撃ぃ!」
『うおぉおおおおおおお!!』
その命令でC隊が黒塊の中央へ同時にダッシュした。
彼らは現時点のレイドでは最速、かつ最高火力のソードスキルを温存させてある。ディレイを利用した短期接近、連続攻撃、高速退避を可能にした隊をあらかじめ作成しておいたのだ。
さらに、それらの武器が爆発的な色彩に輝き出すと、まるでブラックホールに吸い込まれているように一点に収束された。
そうして聞こえる
『『ガゴアァァアアァアアアアッ!!』』
それは一際大きく、そして強烈な苦痛の叫びだった。
レッドゾーンとはいえ、莫大な体力を内包する1ゲージの内の2割だ。削りきるのは簡単ではなかったが、それでも最も攻撃が『抜けた』はず。
作戦が功を成し、今ではペアギルティを怯ませている。
「よし、これで……!」
しかし、ボスは両の口に轟音を
回復手段がないなら、この時点で彼らの戦いは終わりだ。
案の定、神に見放された俺達の最高のアタッカー隊が「これ以上の突撃はできない!」とレイドリーダーに伝えている。せめてあと1回でも今の攻撃を繰り返せられれば、討伐は成したも同然だった。
俺もすでに残りの体力は半分程度。まともに戦えるのは何人残っているだろうか。
そこまで考えると、キバオウが意を決したように前に出た。
「わいらが隙を作る! 騎士団はあんじょうラスト決めやぁッ!!」
そう言った直後、レアアイテムの出し惜しみをしていたキバオウ達B隊は、見たことのない壺型のアイテムを地面に置いた。
色彩の強い塗装がされ、細部にこだわった動物たちの
アイテム名、《生命の泉》。おそらく今までのボスドロップで手に入れたと思われるそれはフィールド改変型のアイテムで、壺の口からとめどなく
円形に広がるバフエフェクト。
さらにB隊はエリア内で左右に展開。それぞれ敵の片手剣と短槍を受け止める構えだ。
残り僅かな底力を絞り出して、とうとうB隊がペアギルティとぶつかった。
衝撃。舞い上がる
「ぐああぁあああッ!」
「ダメージが大きすぎます!!」
「キバオウさんッ! 持ちませんよ!」
「これっきりや! 根性見せェッ!」
「軍が抑えている! 私に続けぇ!!」
『うおぉおおおッ!』
A、B隊とボスによる互いの体を引き裂く痛み分けに近い斬り合い。
しかし消耗戦では分が悪い。徐々に討伐隊が押され始めた。
プレイヤーによっては盾を放り捨てて玉砕覚悟での短期決着を目論む者もいたが、やはりペアギルティのゲージを飛ばしきるには遠い。
「くっ、A隊一時後退! E隊とC隊のグリーンゾーンの者は前面へ! なるべく時間を稼いでくれ!」
「アスナさん、今の内です! 残りのポーションは!?」
「無いわ! 残念だけどわたし達にできることは……」
「そ、そんな……!?」
「E隊もキツい! これで下がるぞッ!」
「いい加減ヤバいぞ! ……これ以上は、こっちが死んじまうよ!」
俺達はほとんど瓦解寸前だった。
彼らB隊も回復しきる前にペアギルティに踏みにじられている。
十分に距離を取っていたはずだが、8メートル弱の巨体を持つボスにとって、そんな距離は無いも等しいのだ。魔法攻撃では最速を誇る《サンダーブレス》で、回復量を帳消しにするダメージとそれに伴うデバフを与えていた。
「ちっくしょう! ……俺が行くッ!!」
「だめだクライン! 回復するまで耐えろ!」
俺の忠告を無視してクラインはパーティを、逃げなかった《風林火山》のメンバーを守るため単騎で前に出た。
無謀なことは彼も理解しているはずだ。
死ぬ覚悟だろうか。
言い様のない寒気がした。
衝動に逆らわずに叫ぶ。今すぐ止まるよう、その背中に全力で。
彼は振り向かない。その背には決意以外を捨てて極限状態に晒された人間の姿があった。
そして思い出してしまう。今年の初め、雪も降りそうな極寒の夜に初めて俺に話しかけてきた彼の顔と、降りかかった安堵と温もり。あの日彼に声をかけられなかったら、ヒスイに手を貸さなかったら、《ヘイズラビット》を倒してみんなで楽しい夜を迎えなかったら、今の俺はいない。
それだけではない。俺はずっと彼から教わってきた。仲間と支え、痛みを分かち合うことを。果てしない苦悩と努力があったことも。
知ったからこそ、数ヶ月で見違えるほど変われたのだ。
だから、仲間意識というものを持ってしまった。
「クライィイインッ!!」
俺は壺の近くに立ち、ボスと距離をとっていた。今さら慌てて間に合う距離ではない。それでも俺は走らずにはいられなかった。
あの凶器が俺の大切な者を奪おうというのなら、そうさせないために全霊を注ぐしかない。俺にはそれしかないのだ。
なのに、だというのに、なぜこんなにも遅い。
もっと速く動かなければ彼を助けられない。もっと速く。もっと速く。
『『ゴアアァアアアアッ!!』』
「ぐ……ッ」
だがこの世界では『敏捷値』という名の制限がそれを阻む。
俺の目の前でクラインは、ほとんど剣先しか見えない敵の攻撃を受けて命を削られていくのが見えた。ポーションによる回復を遙かに越す勢いで。
そして彼は……。