SAOエクストラストーリー   作:ZHE

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第4話 刹那の主役

 西暦2022年12月2日、浮遊城第1層。

 

 攻略会議の日の夜、攻略メンバーは開戦前夜を思い思い楽しんでいた。しかし俺達3人のパーティは集団から離れている。元々陰気なのかもしれない。

 それぞれのメンバーが飲んで騒いでをしているというのに、俺達一行だけはぶられているかのようだ。

 

「ジェイドは座らないのか? ……飯は?」

「ああ……メシもいい」

 

 俺が呆けて眺めていると、『キリト』と『アスナ』は会話を続ける。

 あれからしばらく話したが、アスナはともかく、バーチャル界にどっぷりと浸かるキリトの方とは何とか会話を続けることができた。

 ゲーマーの(さが)かもしれないが、オンラインゲームで共にボスに挑む身としてキリトにはかなり友情心の様なものが築かれている。そう思っているのは俺だけかもしれないが。

 気怠(けだる)さに任せ、「ふへぇ……」と白い息を吐く。

 ふと思い出すのは、俺のこの世界の名前『ジェイド』だ。

 初めてキリトにそう呼ばれた時からどうしようもない違和感を覚えていたが、考えてみれば当然で、何せ人とのコミュニケーションを絶っていた俺はこの世界に来てその名で呼ばれたことがない。俺すら半分忘れていたほどである。

 しかもスペルは《Jade》で、キリトもよく読めたものだ。俺が初めて発音する場合は間違いなく「ジャデ」と読んでいただろう。アルファベット恐怖症は伊達ではない。

 

「例え怪物に負けてもこの世界、このゲームには負けたくない」

「……パーティメンバーに死なれたくないんだ。せめて明日はやめてくれよ」

 

 疲れ切った顔のまま、長いこと続いていたアスナとキリトの会話がここで途切れる。

 しかしいくら情が沸いていたとは言え、意外なことに俺の喉はこの空白に震えた。

 

「あのさ……あんたら。今だから言うけどさ。俺にとって2人は……その、ただのパーティメンバーじゃない。……俺にとっては……数少ない話し相手なんだよ」

 

 ここで一旦言葉を切り、次の言葉を探す。沈黙のレベリング期間が長すぎたせいで、驚いたことに声の出し方を忘れていたのだ。落ち着いてこんなに喋ったのはいつ以来だろうか。

 

「あァつまり……貴重な奴だ。死な、ないでくれよ……」

 

 結局こんな言葉しか出てこなかった。

 2人が(いぶか)しむように俺を眺めるのも頷ける。初パーティで死なないでと来たものだ。普通、「言われなくてもそりゃな」と思うだろう。しかもコレ、先ほどキリトが言った言葉とほぼ同じではないか。ああ恥ずかしい。

 だが助かったことに真面目に受け取られたようで、キリトは「ああ、頑張ろうぜ」と言ってくれた。

 

「(くわ~このガキの方が余裕そうじゃねぇかちくしょうこんちくしょう)」

 

 なにか沽券(こけん)に関わる部分でいろいろと負けたような気がしてきて「ん、んじゃ明日な」とだけ言ってその日は別れた。

 正確には半分逃げた。どもるところまでテンプレである。

 俺は英気を養うためだと心に言い訳をしながら足を早めた。悶々としながら宿に着くと、扉を少し強めに閉めて武器と防具をはずし、その日もさっさと寝てしまった。

 

 

 

 翌日、現在10時35分。ようやく日が高い位置に昇り始めてきた快晴の空模様。

 第1層の迷宮区に来ている俺達は、森の中心にある道なき道を歩きながら3人でボス戦について話をしていた。

 

「先に俺が出るから、そこですかさず《スイッチ》して……」

「……スイッチ?」

 

 ざっと立ち回りの予習中、キリトの《スイッチ》という言葉に首を傾げるアスナだったが、その反応に俺とキリトは逆に驚愕する。

 というのも、《システム外スキル》の中で《スイッチ》は最もメジャーなものだからだ。他にもいくつかあるが、俺に至ってはレベル上げと同等か、それ以上の重要性を見出し日々訓練していた。

 《システム外スキル》。何もチート技だとかそういうモノではなく、ようは小技である。

 例えば銃撃戦がメインのオンライン対戦ゲームがあったとする。当たり判定(ヒットボックス)をごまかす戦闘服を着たり、銃の反動やリロードを武器チェンジすることでキャンセルしたり、緊急回避モーションを別の動作で上書きして隙を最小限にしたり、死んでなおチャットで「敵を発見、北に移動中」など味方チームを援護したり。つまりはこういう話で、もちろんそれが可能なゲームとそうでないゲームもある。

 ソードアートではその内の1つに《ミスリード》というものがある。モンスターが戦闘中にこちらの動きを学習することを利用して動きを誘導し、急変化した行動で敵のAIに負荷を与える技だ。これらは個々人で慣れていくしかない。まさに知識と経験の力であり、中でも《スイッチ》とはつまり、《ミスリード》を2人以上で行うものである。

 2人以上で行うメリットは複数ある。

 まずは圧倒的な時間短縮。武器だけでなく個性のある戦闘スタイルが急に切り替わるのだ。モンスターでなくても混乱時間をゼロにすることは不可能なはず。

 次にアタック中のプレイヤー以外は回復ができるということ。片方が《ミスリード》を行っている内は時間ができるので、回復なり武器への効果付与(エンチャント)なりしようというものだ。

 最後に技による硬直がデメリットになり得ないというもの。

 硬直時間を交代時間へ。よってファーストアタッカーは極論、敵の攻撃を防ぐ、弾くなどで役目を果たしているとさえ言える。

 カタログスペックには記載されないが、様々な利便性を秘めた技術である。過去に挑戦してうまく行かなかったならともかく、こんな初歩的なことを『知らない』とのたまうアスナさんとやらは、もっての他の戦力外だ。

 もっとも、俺とて《スイッチ》を実践したことはないが。

 

「(いや、でも俺できるしっ! やったことないけどできるし!)」

 

 見えない誰かに一頻(ひとしき)り叫んだ後は、キリトと2人でアスナに戦い方の基礎をレクチャーしながら歩く。

 そこで気づいたことは、彼女がガチで初心者過ぎて使いものにならないということだった。

 対するキリトはよく調べてあり、むしろ感触的には彼も俺と同種の人間……すなわち、βテスターなのだろう雰囲気がある。

 

「(実質2人……けどまァ、なるようになるだろ)」

 

 楽観こそ俺の美徳。

 そうこうしていると俺達攻略パーティはボス部屋の前に到着した。

 

「ここまで来たら俺から言うことはただ1つ。……勝とうぜ」

 

 暗い迷宮区で振り向いたディアベルが言うと全員が頷く。アスナのことはもう考えるだけ無駄だ。

 いよいよである。

 キギィ……と軋むように開きつつある扉の向こうにアイツがいる。アインクラッド第1層迷宮区フロアボス。4ヶ月以上も前だが、あの巨体は初のフロアボスだけあって、多くのβテスターの頭に焼き付いているはずだ。

 扉が開ききるとディアベルが歩き出し、それに続いて全員が歩き出す。それらの歩調に浮き足立った音を感じると、俺自身口の中が乾ききり、心臓が早鐘のようにバクバクしていることに気付いた。

 4ヶ月前と違うのは、命を懸けているかどうか。

 そして、俺達がテリトリーに侵入した途端。

 ドガァァアアアッ! と、その巨体に見合わない高さまで跳んだ『何か』が、着地時の爆音をフロア内に響かせる。

 ボス、《イルファング・ザ・コボルドロード》。

 頭はワニを彷彿とさせつつ口元はまさに狼で、肥え太っているように見える胴体見くびってはいけない。あれはぜい肉ではなく筋肉質だ。巨大な体躯(たいく)と、さらに2足歩行で戦斧(バトルアックス)円盾(バックラー)を構える姿からは、真っ赤にたぎるその肌も相俟(あいま)って鈍重さが微塵も感じられない。

 次に現れたのは《ルイン・コボルドセンチネル》。ボスに比べ一周りほど小さいこの3体だが、これでも立派な先鋭隊である。二足歩行でスピードも並外れていて、迷宮区に出現するどのモンスターよりも強い。

 

「戦闘開始!」

『うォォおおおおおぉぉおおッ!!』

 

 しかし2.5メートルを超える敵を前にしても攻略隊は臆さなかった。

 リーダーのかけ声。たったそれだけをトリガーに全員が咆哮を上げ、勇敢にも走り出す。

 

「おぉおぉぁああああッ!」

 

 俺もこの時ばかりは皆の叫びに背中を押された。

 自らも集約する声の渦に力を与え、全力で地を蹴り一直線にフィールドを駆ける。視界に映る全員の武器が光ると、多くの人間が1つの目的を成し遂げようという意思、それに伴う一体感が荒波の様に押し寄せる。

 負けない。負ける気がしない。(いさか)いもいがみ合いも踏み越え、男達の激情が物理的な攻撃力を伴って重なる。

 

『らァあああッ!!』

 

 力の壁がセンチネル全匹を押し戻すと、さらに続いて迫るコボルドロードの体にプレイヤー達の剣が次々と突き刺さった。

 

『グォオオオオオオオッ!!』

 

 しかしボスは絶叫を上げると、右手に持つ斧を人間3人を宙に浮かせる程の力で振り回す。

 被弾者多数。さらにプレイヤー側と比べるとあまりにも大きい武器が、各隊に追加で命中し2人、3人、と攻略メンバーの身体が地面を離れた。

 

「クッソ……っ!!」

壁戦士(タンク)を前へ! バーが注意域(イエロー)までいった奴は回復に専念しろ! A、C隊スイッチ準備! E、F、G隊は先鋭隊(センチネル)を近づけるな!』

『了解っ!!』

 

 大隊長ディアベルはマシンガンのように命令を飛ばしていく。すると、それに呼応してメンバーが命令通りの動きを見せる。

 俺達G隊はセンチネルの援護妨害。

 

「(負けてられっか! やってやる……)……やってやらァ!」

 

 震える体を叱咤(しった)してセンチネルの長柄斧(ポールアックス)を両手剣の武器防御(パリィ)スキルで受け止める。

 そこをキリトがソードスキルで斬り上げ、跳ね上がった両腕の中に今度はアスナが滑り込む様に敵の懐に入る。そのまま彼女がレイピアによる追撃のソードスキルを容赦なく喉元へ叩き込んだ。

 ……瞬間だった。

 

『グギャアアアアッ!?』

 

 視界を埋めたのは刹那の煌きだった。

 まさか突き攻撃を瞬時に行っただけなのだろうか。目を疑うような、散弾銃じみた光の筋がゴウゥッ!! とセンチネルに命中する。

 人外の断末魔を上げる敵がその姿を無数の光片に姿を変えると、同時にその姿を眺める俺の口があんぐりと開けられた。

 

「(は……えぇ。ってか、見えねェ……ッ!?)」

 

 レイピアの売りは剣速、なんて初心者用ガイドブックに載っているような長所の次元ではない。腕の引き、腰の捻り、足の踏み込み、それら全てが織りなす女性とは思えない『剣技』。

 戦力外なんてとんでもない。この女はわずかなレクチャーで、レイピアの利点を理解し、理屈についてこられる程イメージトレーニングを重ねたということになる。

 

「(へ、へえ……す、少しは記憶力いいみたいだな……)」

 

 心の中で女を小さく賞賛しつつしばらく戦闘を続けていると、プレイヤーの奥で野太い咆哮が上がった。

 何事かと見据えると、どうやらコボルトロードのHPバー最終段が赤く染まったようだ。さらに両手の武器まで投げ捨てている。これらの状況から、βテストの記憶通りならボスは《曲刀》カテゴリの湾刀(タルワール)に武器を変えるはずだ。

 だがここで、ディアベルが「俺が行く」などと言って突っ込んでいくのが見えた。

 

「(1人で……っ!?)」

 

 これはおかしい。彼がテスターでないと仮定すると、攻撃パターンを変えた敵に自由度を与えてはならないし、そんなことは奴も理解しているはずだ。

 なぜプレイヤー全員で囲わない? なぜ《循環スイッチ》というスタイルを変える? 作戦に問題があるなら改善すればいい。だが、いきなり単騎で?

 様々な疑問が浮かぶもしかし、周りのプレイヤーは信頼を置いていたからこそ行動を止められない。

 それがまずかった。

 なぜなら、俺達G隊の位置からは見えたのだ。持ち替えた武器がβテストの時と違い、野太刀(ノダチ)に変更されている光景が。

 

「おい、ヤバいぞ……武器がっ!!」

「ダメだッ、引け! 全力で後ろに跳ぶんだッ!」

 

 キリトの叫びも空しくディアベルが斬り込む。しかしボスは身の丈倍以上のジャンプ力でもって床と天井縦横無尽に跳ね回り、とうとう真上からディアベルに襲いかかった。

 しかも人間は眼球の構造上、上下からの攻撃に弱い。結果、ボスの剣は彼の盾をすり抜けてその体を斬り裂いた。

 

「がァあああアアアっ!?」

「ディ、ディアベルはん!」

 

 隊長の被弾にトゲ頭のキバオウが呼びかけるが、ディアベルは反動で宙を舞っているためどうするともできない。

 そして遂にコボルドロードが左の腰溜めに剣を白く光らせる。

 二足歩行ユニットがその手に武器を持つと例外なく発動できる技、《ソードスキル》だ。

 アレが直撃したら……、

 

「おい、おいッ……やべぇってッ!」

 

 俺は叫ぶが動けない。どうしようもないからだ。助ける方法が無い。両者の間にこの身を投げ出すか……いや有り得ない、俺が死んでしまう。それを解決方法とは言わない。

 ディアベルは、もう……、

 

「ぐァああああああッ!?」

 

 最後にはザンッ、という残酷な、それでいて淡々とした音が鳴り響いた。

 今度こそ決定的なクリティカルを受けたディアベルが力なく床を転がる。

 

「ウソだろ……おい……」

「ディアベル!」

 

 (さえぎ)るようにキリトが叫ぶと、そのまま彼の元へ走り出す。

 そんな彼らを俺は呆然と彼らを見続ける。しばらくすると、キリトの腕の中でディアベルが『割れる』のが見えた。

 

「あ、あぁあ……ああああっ……!!」

 

 人が割れた。死んだ……死んだっ。リーダーが、あのディアベルが。

 

『グォォアアアアアッ!!』

 

 怪物が吼えると、攻略隊の動きも目に見えて鈍くなっていた。原因は情報に無かった行動パターンと、おそらくはテスター以外にとっては初だろう《カタナ》専用ソードスキル。

 そして何より、頭領亡き『残党兵』として。

 

「うわっ、うわぁぁあっ!?」

「くっ……リーダーがいなくなっちまったら……ッ!!」

「ディアベルッ、そんな……ディアベル!」

 

 元より勝ち戦だったのだ。今さら、こんな終盤で、初見モーション相手にリスクを背負いたがる者もいないだろう。

 『誰かが生贄になってくれる』と。押し付けが始まる。

 しかしそう諦めかけたのもつかの間、信じられないことに暴れ出す怪物に挑む影が2つあった。そして俺はそれを見て「バカッ、アイツらっ!!」とつい吐き捨ててしまう。

 2人のプレイヤーはキリトとアスナだった。

 士気の瓦解という波に飲まれず、あまつさえ立て直そうとする彼らには素直に感心する。されど、これは目先の対応に追われた無茶だ。俺のプレイヤーレベルはレイド平均よりも高く14も確保されているが、あいつらは俺よりもいくばかレベルが低い。ボス単体との戦力差はいかんともし難いだろう。

 たった2人が楯突(たてつ)いたところで……、

 

「ハァアアアッ!」

 

 ガギィィ!! と、耳をつんざくような金属音。奇跡的に逸らさなかった目には、キリトの持つ剣がコボルドロードの持つ《ノダチ》の芯を捉える瞬間が映った。

 そして彼らは俺の期待を良い意味で裏切ってくれた。

 

「ぐっ……スイッチ!」

「セヤァァアアアッ!!」

 

 キリトに変わり、華奢なアスナが前に出ると、今度こそザシュウッ!! という斬撃音が聞こえる。技が確実にヒットした証拠だ。

 直後に『グオオオォォオオオ!!』と、ボスが大きくわなないた。

 キリトの剣が胴ほどもある野太刀を弾き、アスナの剣が膨れる腹を抉る。あれだけ威勢が良かったコボルドロードがたまらず怯む。

 凄まじい……凄まじいほど完璧な《スイッチ》だった。

 

「ス……ゲェ……」

 

 キリトが、アスナが、コボルトロードの剣を防ぎ、いなし、避け、そして斬る。

 心が震え上がる。攻略隊のメンバーからも『闘争心』が頭をもたげているのを感じる。

 さらにアスナの着用するフードのスレスレをコボルドロードの剣が通っていくと、裂けた布の隙間から目を疑うほどの美貌(びぼう)が姿を現すのが見えた。

 

「マジ……かよっ!?」

 

 一帯の野郎どもが全員同じ反応を見せた。

 初めは身バレ対策で導入されたのか、武装に付随する一部のフードには顔を認識されないよう隠す機能があるのだ。だからそれを覆う彼女の、つまり現実世界と同じであるはずのゲーマーもどきの彼女の素顔に対し、俺はいかなる期待もしていなかった。

 しかし実際はどうだろうか。

 その姿は眩しいほどの美少女だったのだ。

 彼女の着ている戦闘服だけ光り輝いて見えるほどの、そして姫騎士としてこの世に降臨した天使の使いのような儚さ。栗色の髪を腰まで伸ばし、整った鼻梁(びりょう)を持つ端整な顔は凛々しく、敵を見据えた眼球は悪魔をも射殺す真珠のようだ。こんな奴が攻略メンバーに、いやSAOの世界にいたとは。

 信じられない光景ではあったが、しかし見惚れている場合ではない。

 たった今、油断したキリトが吹っ飛ばされて、その身をアスナに激突させていたからだ。そこにコボルドロードが使い込まれた《ノダチ》を構える。

 ディアベルの時のように。

 

「キリト……や、やべぇぞっ!!」

 

 俺はいつも言うだけだ。叫ぶだけだ。ネットの世界では口だけ大きく、いざ現実では1歩も動こうとしない。傍観者効果に呑まれたモブの端くれ。

 こんな時になっても動けない足を、これほど憎んだことはないだろう。

 すると、付近に展開していたの4人が動いた。その巨漢は確かキバオウが揉め事を起こしそうになった時に割って入った『エギル』というプレイヤーで、その他の4人も一致団結したパーティとしてコボルドロードを押し返す。

 すぐには実感しなかったが攻略隊に士気が戻っている。

 あの2人が取り戻したのだ。

 しかしいかんせん、彼らは本当にテスターですらなったのだろう。即座に対応したコボルドロードによる下段斬り払い全周攻撃が、戦略的にボスを囲っていたメンバー全員を転倒(タンブル)させた。

 直後、コボルドロードは真上に何メートルも飛び上がりつつ《ノダチ》を振りかぶり、そのまま奴の剣が深い青のライトエフェクトを纏った。

 決まれば死人が追加されると、直感で理解した。

 

「(は……?)」

 

 その瞬間、俺は時が止まったような錯覚を覚え、間抜けにも気の飛んだ声を上げそうになっていた。

 背に《ノダチ》を構えるコボルドロードが何をするか、どう動くのか。単純な答えでは、当然斬るのだろう。右手を振り抜いて、《ノダチ》に死者の魂を閉じこめるのだろう。シンプルでわかりやすい結論である。

 だが俺にははっきりと『見えた』のだ。信じられないことに、コボルドロードの攻撃が明確な映像として視界に映っていた。

 足の震えが止まる。

 

「くっ……そ!!」

 

 ダンッ!! と、俺は気がつくとフロアを疾駆(しっく)していた。

 ゲームシステムの生み出すグラビティ・エンジンが今日の経験からボスをどう地面に導くのか、巨大な《ノダチ》を振る筋力こと《STR》がどれほどのものか、反らされた背筋が元に戻るときの捻転力がいかほどで、肩から腕の先までの力のモーメントと遠心力の計算、AIの定める行動のプライオリティとその反応範囲、速度。

 具体的な数字ではない。例えるなら磨き職人が肉眼で確認できないはずのバリを感覚だけで見つけだし、綺麗に磨きあげるがごとく。現場のプロが1キロ近い物体を両手に持ち、グラム単位でどちらが重いかを当てられるように。

 漠然とした体感の世界。だのに、それら全てが精密に加味された未来の動き。それが『見えた』。

 こういう時、動けないのが俺だった。

 本番になると、逆境に立たされると、いざとなると動けない。小さな注目すら畏れた俺が、チャンスを他の誰か……そう、『主人公』やそれに準ずるリア充共に譲ることをよしとした生き様。脇役としてその生涯を終えると諦めかけた主賓(しゅひん)の座だ。

 VRMMOがそのアバターをあまりにリアルな感覚で動かした《ソードアートオンライン・クローズド・βテスト》を体験するまでは、俺が何か生産的なことをする器の大きな人物になれるなど考えもしなかった。……いや、ゲームへの感情移入など悲しく虚しいだけだと、考えることすら拒否していた。

 それなのに俺は今、猛然と走っている。走ってこの手の剣を振り、リスクを省みず、人を助け称賛されようと。

 

「らァああアアアッ!!」

 

 時間にして数秒だった。ついに俺の足がフィールドを蹴った。

 溶解するほど染み付いた『費用対効果』の観念を捨て、脇役に徹するとした誓いを捨て、見えたビジョンから『必中』を確信した一撃を乗せ、俺の剣が赤く光る。

 人はチープだと、幼稚だと、厨二病だと笑うだろう。

 こんな感情は継続しないはずで、信念を曲げない創作世界のキャラクターとは違う。

 なれど、それでいい。

 一瞬もあれば十分だ。

 この時だけでも、俺は『主人公』でありたい!

 

「あァあアアアっ!!」

 

 すれ違いざま、空中でズバァァアッ!! と残響を生み、コボルドロードが錐揉むようにあらぬ方向へ派手に落下する。

 《両手剣》専用ソードスキル、空中回転斬り《レヴォルド・パクト》が巨体の腹を抉ったのだ。

 縦に回転するこの技を決めた俺は、斬ったと時の姿勢とほとんど変わらぬ姿勢のまま両足を地面に強く叩きつけて止まる。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……ハァ……」

 

 たった一撃で息が乱れ、膝が震えてもう立てそうにない。極度の緊張とストレスが神経を焼ききったのだろう。空中でソードスキルを命中させる難度は意外に高く、ヒット時のダメージ計算にボーナス判定が付くなんてメリットすら頭から飛んでいた。

 荒技に周りの奴らが少し驚いた様にこちら見ているが、今はそれが心地いい。だが俺の時間はもう終わりだ。

 キリトが勢いを殺すまいと続く。

 

「アスナ、ラストアタックだ! 頼むっ!!」

「ええ!」

 

 夢のような体験は終わった。

 あとはやってやれ……キリト、アスナ!

 

『ハァアアアアッ!!』

 

 シンクロする声の中、2人は立ち上がるコボルドロードに向けて疾走する。

 キリトの剣をボスは鈍い動きで防ぐが、たちまち弾かれて大きな……そして死と直結する隙を作る。

 

「セヤァアッ!」

 

 すかさず《スイッチ》で距離を詰めたアスナが腰下に刃を入れ、斬り傷を与える。

 連続交替(チェインスイッチ)

 今度はキリトがアスナの斬撃の上をなぞるように斬り捨てた。

 

『グォオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 叫ぶコボルドロードのHPバーラインが減っていき……しかし、あとほんの数ドットの位置で止まる。

 それでも往生際悪く反れた上体を起こそうとするボスの腹に今度こそキリトの剣がくい込んだ。

 さらに気合一閃。ザガァアアアア!! と、そのまま剣を持ち上げ、キリトはとうとうボスの顔を両断するように腕を振り抜く。

 

『ヴォカァ……ァァ……』

 

 ジジ……と掠れた音がすると、ボスはバリィィン、とガラスを割ったような音と共にその巨体を今度こそ散らした。

 しばらくの静寂。

 ついに全員がこれ以上のアクションがないことを確認すると、フロア内に割れんばかりの歓声が鳴り響いた。

 

「終わった……な……」

 

 張り付いたように右手から離れない両手剣を愛おしく感じた。

 

 

 この日、西暦2022年12月3日13時9分。

 アインクラッド第1層が完全制覇を果たされるのだった。

 


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