西暦2023年6月27日、浮遊城第30層。
それは晴天の昼下がり、たまたま防具の新調のために30層の主街区を歩いていると、6人のプレイヤーと鉢合わせした。うち1人は俺のフレンド登録リストに名を連ねている。
その人物とはキリトである。そして彼の存在により、あの6人集団が《月夜の黒猫団》なる中堅ギルドであることが推測できた。
「(ん? ……てかここ、最前線の主街区だぞ?)」
ふと思い出す。確かキリトは、平均レベルの低い中層の集団に混ざっていたはずだ。
まさかもう最前線入りを果たしたのだろうか。真偽は定かではないが、現に町の大通りを歩いている。
なんにせよめでたいことだったので、俺は遠くに見えたキリトに片手を上げて軽い挨拶をした。
しかし、彼は目を離して『これ以上構わないでくれ』オーラを全開にしていたのだ。
――過去の俺じゃあるまいし。
「(どうしたってんだ? 無愛想なヤツだな。今さら俺のことさけてんのか……)」
だとしても、悲しみよりもまず疑問が浮かぶ。キリトとの遭遇率が下がったのはお互い別々の事情であり、特段ケンカ別れをしたわけではないからだ。
約2週間前に会ったあの日も、どこか余所余所しい印象を受けた。彼にどんな心境の変化があったのだろうか。
そこまで考え、ある事実がリマインドされる。
「(あ、思い出した。そういや自分のレベル隠してるんだっけ)」
ずいぶん前に情報屋のミンストレルから聞いた覚えがある。だとすれば攻略組に知り合いがいるのも矛盾する話で、構って欲しくないのならこれ以上の手出しは無用。
しかし目線だけ寄せると、ある人物に目がいった。
彼らのギルドでは紅一点の黒髪女だ。なにも綺麗な黒髪がストライクゾーンに命中して一目惚れをしたのではない。タイプな女であることは認めるのにやぶさかではないと言い切れなくもなかったが、ひとまずそれは置いておき、彼女はギルドメンバーが騒ぎあっているなか、ひと際目立つように暗い表情を浮かべていたのだ。
お節介だし、不干渉を望むキリトに嫌われてしまうだろうが、なんとなく原因を問いただしたくなってくる。なぜ周囲の連中と温度差があるのか。現状のなにが不満なのか。贅沢な女だ。恵まれているじゃないか、と。
しかし、俺1人が多人数のワイワイ集団に話しかけるなどという芸当はできるはずもなく、結局は彼らを遠くから見送るだけになってしまった。
「(また今度ヒマでも見つけて、キリトにメッセージ飛ばしてみようかな……)」
インスタント・メッセージと違ってフレンド登録を済ました仲だと、迷宮区にでもいない限り、現実のメールと対して変わらない言葉のやりとりができる。
たまには近況報告も兼ねて、軽口を言い合うぐらいの時間ぐらい設けてくれるだろう。
「(今日は疲れたからマッピングはいいか……)」
そんなこんなで、その日は珍しく近場のフィールドでレベルアップに専念し、マップ更新への手助けをパスするのだった。
翌日、これまた珍しく起床アラームなしで、あくまで俺にとって朝早く目を覚ますと、顔を洗って久々の朝日を拝みながら空気をたっぷり肺に吸い込む。想像以上に美味しい一杯だったため、これからは早起きも悪くないと思ったほどだ。アインクラッド外周ギリギリからの眺めもいい。
浮遊城アインクラッドは、その名の通り空に浮かんでいるわけだが、「落ちたら本当に死ぬ」と言われると、こうして柵のギリギリに近づくことも避けた方がいいのかもしれない。ただ、目の前に広がる
それに、この高さなら落ちたら死ぬのは現実でも同じことであり、石段に登るなりわざと飛び越えなければ、転んだって落ちることはない。
「さ……て、とっとと買い物すませるかね」
完全に独り言になってしまったが、幸い周りに人は存在せず、声を出す練習だったと割り切ることにした。
そうして俺は意気揚々と武器販売店を転々し、そろそろ換え時となってきたメインアームの代替物を探し、昼飯として最安価のパンを買い、ついでに待ちに待った『明日』のために、新しい服を買って一息つく。
その頃には午後を回っていて、午前中のレベリング予定もすっ飛ばしてしまったが、朝兼昼メシとなった小さいパンを取り出して柵の手前から朝の風景をもう1度楽しんだ。
しばらく風景を眺めながらパンをかじっていると、何の気なしに後ろを振り向く。すると、昨日初めて顔を覚えた《月夜の黒猫団》の1人、先頭を
「……あっ!」
「えっ?」
とっさに声を出してしまい、その人物が俺の方に向き直り、改めて「なにか用です?」と聞いてきてしまった。
「(しまった。しゃあねぇ……)……え、えっと。あ、そうそう昨日この辺歩いてたろ? 俺攻略組なんだけど、あんま見ない顔だったから」
「ああ、そういうことか」
そう言ってニカッと笑う彼は、名を『ケイタ』と言うらしい。
見た目からもっと軽々しい人間と勝手に想像していたが、そこはきちんとしたギルドリーダーだったようで、非常に話しやすく気さくな奴だった。
そしてなし崩し的に2人で歩きながら会話していると、判明してきたことがいくつかあった。
まず彼が1人行動しているのは、現在ギルド用のホームを
次はギルドメンバーもキリトや例の女性――名前はサチと言うらしい――の様子がおかしいことには、気付き始めているということ。
最後はどうでもいいが、購入しようとしているらしいギルドホームとやらが滅茶苦茶高額だということだ。クライン達もギルドホームを購入するとハシャいでいた当初は死活問題になるレベルで所持金をはたいたらしいので、どこの物件もそんなものなのだろう。
「前線にホームを持つわけだからな。すっげぇじゃん」
「あ~、ははは……。でも実は、僕達そんなに実力付けているわけじゃないんだ……」
かなりテンションの下がった声で彼は言う。自嘲で言っているわけではなさそうである。
「実際はさ、僕達はもっと下層ゾーンで狩りをしていたんだけど、将来を見越してギルドホームだけは最前線に作ろうってさ。アハハ……見栄張ってるのはわかってるつもりだけどね」
「恥ずいってか? 気にすんな、見栄なんて張ってなんぼだろ。それに景気いいほうが周りの気も晴れるってもんだ」
「あはは、そうかな……。メンバーには笑われちゃったけど」
「イーことだよそりゃあ。失敗談とかどこで話してもだいたいウケるし。……ただし! 笑って済めばの話だけどな!」
ここで互いにクスクス笑ってしまった。身も蓋もないが、地に足がついている。
たとえば、『プレイヤー解放に向け、あくまで紳士的な攻略スタイル』を掲げる血盟騎士団と、『最強の称号を得るためにはどんな手段も取る』と主張する聖龍連合。加入に当たり、どちらが信用に足る組織かと聞かれたら、俺は間違いなく「聖龍連合だ」と回答するだろう。
この世界だからこそ、綺麗事は通用しない。むしろ、泥臭く這い
確かに血盟騎士団、特にそこの団長様は紳士に攻略をこなしている。あの尋常ならざる統率力はもはや天才の域に達している。天下の美人フェンサーが全幅の信頼を置くだけはある。だが、俺はどうしても欲望に忠実な聖龍連合に肩入れをしてしまう。
ある意味、連合がストレス発散しているのに対し、血盟騎士団は自分らを律し戒めているのだ。ストレスなんて常に最高ボルテージだろう。
「まーでも、今の段階で最前線で狩りとかすんなよ? バンユーは死に急ぎって昔から決まってるからな。……その、キリトとやらがいくら強くても」
攻略組であることを隠しているキリトについて、俺は人物像を知らない前提で話していたが、「キリトが団員の中で1番強い」というのはすでに会話で出ている。ここまでは問題ないだろう。
「もちろん、そんなことはしないさ。やっぱり安全が第一だからね。それにしても、初めはそこまで期待してなかったけど、ホントに彼は強いよ」
確信まで至らずとも、ケイタはほとんど気づいていた。
キリトはレベルを詐称して中層ゾーンの連中と行動を共にしている。だが、それはいつかバレる行いだ。これだけ長い日数を共に過ごしていれば、いくら弱い装備でダメージ量を誤魔化しても、戦闘の節々でボロが出る。
払拭しきれない違和感は、どこかで疑念を生む種となる。腹を割って話すことも場合によっては必要なのだと、キリトに忠告した方がいいだろうか。それこそお節介だと
いずれにしても、彼らから頼られるこの現状をどう受け取っているかによる。
「(……あ、そういうことか)」
思い当たる節。
その答えは単純で、彼がこの現状に満足し、満たされているからである。おそらく彼は頼られ、認められることで承認欲求が満たされた。
しかしそれは破局を喚びかねない。
今まで人を欺いてきたのなら誠意を込めて謝ればいい。「ビーターと一緒に行動できない」なんて言葉を浴びせられるのが怖いのだとしても、現実逃避は負債の積み重ね。
もしここで1歩を踏み出さなければ、結局いつかは彼らの前に虚偽を晒されるだろう。
「ええっと、ジェイド? あんま深く考えないでくれよ、僕達は別にキリトを疑っているわけじゃない。あいつはいい奴だよ、センスいいのにさ。ぶっちゃけ僕らを捨てた方が絶対早く成長してたはずなのに、今になっても一緒に戦ってくれているんだ」
「あ、ああ。そうだな……」
だからこそ。その信用がキリトを、ひいては彼らを追い込んでいる。
しかし俺は面と向かって事実を言えなかった。
見て見ぬ振りである。なにも自ら汚れ役を買って、進んでキリトに嫌われるようなことをしなくてもいい。それこそ誰もが望まない最悪の選択肢ではないか。
「あ、ちょっとあそこのメシ屋行ってみないか。上層なんて来ないから、あんな食いもん初めて見たよ~。ジェイドは昼食べた?」
「ああ……い、いや……俺は高いのは食わねぇんだよ……」
ゆえに。内心、話す機を
気持ちを切り替え、俺達はテイクアウトで安いものを注文すると、食べ歩きながら別の会話をした。
「僕らギルドホームの購入初めてでね。不動産仲介プレイヤーとの会話が、まさかこんな簡単に済むとは思っていなくて、待ち合わせの時間までまだあるんだよ。このゲームは事務的な手続きとか料理については簡略化しすぎだと思うね」
「それは同感だな。《結婚》とか知ってるか? プロポーズメッセージ送ってOKされれば終わりだってさ。アレはマジで拍子抜けするよ」
「へぇ、今度調べてみるよ。あ、よかったら30層の主街区を見て回らないか? この辺まだみんなと歩いてなくてね。攻略組ならいいトコ知ってるんじゃない?」
「おいおい、ハードル上げるなよな〜」
結局、これだ。ギルドを持つ人間の暖かさ。これに触れてしまうと、俺は途端にそこから脱せなくなる。吸い込まれるように、抗い難い願望が生まれてしまうのだ。
もっと聞きたい、俺もその温度を共有したい、ギルドとして行動することの魅力を余すことなく教えて欲しい、俺が半年以上味わってこなかった気持ちを共感したい、と。
「(もう少しだけ……)」
だから俺達は、しばらく主街区を歩きながら共に普段の生活のことを打ち明けあった。
当然、自分が元βテスターであることまでは悟られないように注意していたが、そもそも今となっては虚しい称号である。すでにメリットなんてほとんどないのに、未だに目の敵にされることがあるからだ。
ソロで活躍しても疑われることはなくなったがゆえ、自ら打ち明けない限り過剰な詮索はない。
よってレベルやスキル、人数での判明が難しく、かつ過去の話題を切り出し辛い現在において、β上がり
さらにそんなことなど眼中にないほど、ケイタは楽しい日々のことを俺に語ってくれた。途中からはキリトが黒猫団に嘘をついているとか、そんな暗い話は頭の中から完全にすっぽ抜けていたほどだ。
彼の目に浮かぶ光景は輝かしく、そして希望に満ち溢れるものに違いない。
「それでさ、落とし穴にかかったテツオがズボーッ! ってなってな」
「ブハハハッ、見てみたかったわ~それ! 楽しそうだなぁここのギルドは」
「お、そうだ! ジェイドもうちに来ないか? 他のメンバーにも聞いてみないアレだけど、きっといい仲間になれるよ!」
クラインにも提示されたこともある、俺にとってはこれも1つの道なのだろう。しかし俺の中で答えはもう決まっていた。
「いや、悪いな。もう予約入ってるんだ。聞いてくれよ、ついに明日! 俺のダチが前線の仲間入りができるらしくてさ。く~、待ちきれないぜ」
「へえ、そうだったのか! 良かったじゃないか。前線か〜、僕らもいつかはそこが目標だからね」
2人で時間も忘れて談笑していたが、ふと時計が俺の目に留まった。どうやら待ち合わせの時間を少しばかり超えていたのだ。
「ん……そういや話変わるけどみんな遅いな。そろそろ集合時間なんじゃなかったっけ?」
「あ、ホントだ。っかしいなぁ、時間は厳守って言っといたのに……」
文句を言いつつ自分自身時間を忘れていたこともあるせいか、そこまで本気で怒っているようには見えない。
そしてその後、ほんの5分ほどで俺はキリトがこちらに向かって歩いていることに気づいた。
「おいあれ、キリトじゃないか?」
「あ、やっと来たみたいだね。おーい! キリトー!」
「(ブッチョウヅラしてんなぁ。まあ初めて会った時もあんなんだった、か……)……ん?」
しかし、どこか様子がおかしかった。ケイタが手を振っているのにキリトは返事をするどころか、頭を上げようとすらしていないのだ。
いや、集合時間を大きくオーバーしているのにも関わらず、向かってきている黒猫団メンバーがキリト1人というのも不可解である。
「ああ……その、キリト? やっほ〜? 部外者がここにいること怒ってんなら……」
キリトが近づいてきて、普通の音量でも十分に会話ができる距離になってから俺は話しかけたが、そこでゾクッ、と言いようのない悪寒に襲われて言葉が途切れた。
彼の表情は不景気とか青ざめているとか、そういった類の表現方法では表せない。絶望に塗り固められた、空っぽの人形のようになっていたのだ。
事実、彼は俺の声を聞いて初めて存在を確認していた。まるで外界の情報をすべて遮断していたかのような反応だった。
「こいつはそんなこと気にしないよ。なあ、キリト……この人ことはまた紹介するけど、その前に皆がどこに行ったか知らないか? まったく薄情な奴らだよ、僕はしっかり任務を果たしたってのにさ。……キリト……?」
「…………」
ようやくキリトの顔に生気が帯びるのを感じた。
しかし、欠片も温度を感じさせない、冷たく悲しいものだった。
「ごめ……ん、ケイタ。……みんな、みんなはもう……」
声は震えて繋げることさえできていない。
苦痛の
「え、さっきからどうしたの? テツオやサチ達はどこ行ったんだ?」
「みんな……」
「(そん……な。そういうことなのか!? そんな、まさか……ッ)」
キリトのような目を知っている。同じような目を見てきた。
俺だけではない、攻略組なら誰だって嫌というほど体験してきたはずだ。この取り返しのつかない、守りたかった者を守れなかった眼差しを。
それこそ、25層のボスフロアで嫌というほど見たはずだ。
「ウソだろキリト……」
「ん? なぁジェイドはキリトのことを知ってるのか? さっきからやたら……」
しかしケイタも、ことの重大さの片鱗に触れ、押し黙った。
「ごめんよケイタ……俺、守れなかった……」
「さ、さっきからなに言ってんだよ。暗い顔なんかしちゃってさ。あははっ……ほら、みんなの所に行こうぜ? どこで待っているんだ?」
空しくこだまするケイタの声。俺の中でも疑惑は確信へと変貌し、心臓をかき
4人もいたはずだ。まさか全員? あってはならない。こんな、悲劇は……、
俺は自然と手で口を押さえていた。1層で茅場がゲームのルールを変更したとき、そして誰もいない主街区を走っていたとき、込み上がった吐き気が何倍にもなって降りかかったからだ。
そしてとうとう、キリトは決定的なことを口にする。
「みんな……死んだ。……死んだんだよ……俺が、守れなかったから……ごめん……っ」
時間の進みが停止したかのような感覚。
最後に発せられた言葉の、儚さ。
そして日常は音を立てて瓦解した。容赦のない爪は、今なお浮遊城に閉じ込められたら魂に深い、修復できないほど深い傷跡を残していった。