感謝しかありません。自分が作った文章を誰かが読んでくれているなんて今でも信じられません(汗
西暦2023年6月27日、浮遊城第30層。
ギルドメンバーが
静かすぎるがゆえに、痛々しい。その場にはしばらく、沈黙のみが居座った。
「は……え? いやだって、さっきまで……」
しかし認識は遅れてやってくる。
納得はできなくても、理解だけは脳内が勝手に進めたのだろう。それが抑えられていた感情を爆発させた。
「そんな……ことって……う、嘘だッ! ふざけているんだろ!? いや、こんなおふざけ僕は許さないぞっ!! キリト! 皆はどこかって聞いてるんだよッ!!」
大股でキリトに近づき、その胸ぐらを掴みながら大声で怒鳴る。俺はその無意味さを察しながらも、動くどころか声すら発することはできなかった。
そう、キリトは「ギルドメンバーは全員死んだ」と、こう言っているのだ。その短い一言だけが事実である。
「ごめん……」
「謝るな! そんなのいらないんだよッ! 僕が言っているのは……ぼくがいっているのは……あ、ぁ……っ」
ウィンドウを開いてギルドメンバーの状態をスキャンしたのだろう。ケイタの声にはノイズが走り、涙声となっていった。最後の方は消え入ってしまい、なんと言ったのかもわからない。
俺は情報屋ミンストレルから、彼らについての度の過ぎた情報……つまり、彼らが現実の世界でも同じ仲間であることを知らされていた。
そう、リアル情報を知っていたのだ。
彼は親しみ深い友人4人を同時に失ったことになる。慰めの言葉も浮かばなかった。
「嫌だ! ウソだって言ってくれよ、キリトぉ! なんでっ……そうだよ、じゃあ何でキリトは生きてるんだ!? みんな死んだのに! きみだけ生きてるなんておかしい! ……そうだ、だから皆生きてるんだ……っ!!」
過酷な現実から目をそらすようにその場で膝をつくと、彼は独り言を漏らし続ける。
だが俺はそうなって初めて、そのあまりに惨めな背中に声をかけざるを得ないのだと悟った。
「ケイタ……たぶん、キリトの言ってることは……」
「うるっせぇえッ!!」
振り向きざまに叫ぶケイタ。しかし、遮るように舞い降りた心の叫びは、さっきまでとは似ても似つかない声調となって彼の喉を通った。
「なんで、死ななきゃいけないんだ!? なぁッ!! 僕らが何したって言うんだ! 答えろよ、答えてくれよぉッ!!」
あらん限りの悪罵を吐き捨てるように、そして焦点の定まらない目で彼は俺とキリトを罵倒し続けた。
通行人も何人か反応し、そして事態を理解し去ってゆく。
ケイタ自身、こんな時誰にどんな反応をすればいいのかわからないのだろう。人目もはばからずひとしきり叫んだあと、終いには泣き出してうずくまると、彼は悔しい思いだけを吐露し続けた。
ようやく彼は顔を上げると、石畳の壁に手を突きながらよろよろと立ち上がった。さらに目に光を灯さないまま、次の言葉を口にする。
「なぁキリト、どうなったのか……せめて、どうしてそうなったのかを、教えてくれ……」
「……ああ……」
こうして、ようやくキリトがその経緯をあらまし語った。
そしてそれらは至ってよくある、情報力の足りていない中層プレイヤーでは珍しくもない死に方だった。
原因はアラートトラップを踏んでしまったというものだ。
15層の迷宮区でカズ達が落ちていた落とし穴もその
俺やキリトのような攻略組は、27層の迷宮区がトラップ多発地帯であることを留意して行動している。アルゴやリズ達と一時的に行動した時にも、《
しかし遭遇する可能性が低いとはいえ、いわんやキリトがモンスターを倒しきれなかったとして、よもや用心深い彼が何らかの対抗手段を用意させていないはずがないのだ。だから俺は彼が話す途中でも、ついそのことを聞いてしまった。
「キリト、逃げられなかったのか? 何か脱出するための……それこそ転移結晶の1つでも持たせておけばこんな」
「持たせたさ……ッ」
しかし返ってきた言葉は信じられないほどしわがれた声だった。
「結晶アイテム無効化エリア。……その部屋の特徴だよ。みんなパニックに陥ったんだ。もうあの時は、俺にもどうしようも……」
「…………」
もはや八方塞がりだった。これ以上言及しようのない、わかりやすく明解な最期。
俺は未だにその無効化エリアとやらに足を踏み入れたことはないが、最近になってそんな仕掛けが施された部屋が存在することは記憶していた。
29層から新たな種類の結晶系レアアイテムがドロップするということ事が判明する中、しかし結晶系アイテムが万能ではないという茅場からの通告なのだろう。これにより、中層プレイヤーですらそのほとんどが買えるようになったテレポートクリスタルでさえ、絶対的な命綱足り得ないことになった。
これまでも、これからも。結局はこの世界で生き残ることにおいて最も重要なのは、戦闘センスでも強力なソードスキルでもない。必要充分な情報量だということである。
それを持っているから俺は上層での死を免れ、ハイレベルをキープできている。
「でも……何でキリトは、お前は切り抜けられたんだ……」
「それは……」
質問に対して今度ばかりはキリトもすぐには答えられない。そして答えを知っている俺も同じ立場に立ったとしたら、彼と同様の反応をするだろう。
だが、やがて観念したようにキリトは声を紡ぐ。
「それは……俺が元ベータテスターで、攻略組で……ケイタ達とはレベルも場数も全然違うからだ……」
今になって。
今になってようやくキリトは騙していたこと全てを、余すことなくケイタに伝えた。偽ってきた本来あるべき本当の姿を。
あまりに遅く、あまりに皮肉な告白は、再三に渡りケイタの頭の中をリセットしていった。
意味を理解していくにつれ、やがてケイタは呂律が回らなくなっていき、だんだん言葉も意味をなさないものに変化していく。しかしそれでもケイタは、残りの理性を総動員した。
そしてその成果を口に出して言う。
「じゃあ……キリトは、僕らに嘘をついていたんだ。……信じられない……僕らが一生懸命、体を張って……命を張って! それでギルドとして頑張ってきたのに……ッ。ナメやがって……フザっけんなよッ、お前ぇえ!! 何が僕たちと場数が違うだッ! じゃあ何でサチを! 仲間達を助けなかったんだよらこのクソやろうッ!! ……ハァ……ハァ……なんっで……ッ!!」
だんだんと怒気をはらんできた言葉をそこで区切ると、ケイタは俺の隣で荒い呼吸を繰り返しながらも、何かに思い至ったように目を見開く。
「そうだ……初めて会った時、キリトは黒い装備だった。……黒い装備の盾無し……昔どこかで聞いたことがある。いや、そうか……お前が『ビーター』だったのか!?」
「ッ……!?」
驚きの顔と喉を通らない声。
その沈黙は、答えているのと同義だった。
「は、ハハハ……じゃあ何だ。僕らは同情で君につき合わされていたのか? ままごとみたいに、お情けかけて! それで、優越感に浸っていたわけだ。ハハ……僕達みたいな弱い奴に助けを求められて、さぞご満悦だったんだろうッ!? ウワサ通りだな、性懲りもなく好き勝手やってるみたいじゃないか!?」
「ち、違う。それは」
「どこが違うんだよッ、この……!!」
「おいケイタ、少し落ち着けって。こいつは……」
「ビーターがなんナンだよッ! ああァ!?」
声は裏返り、憤怒の形相で今度は俺にも牙を向ける。その挙動からは今にも剣の柄に手をやり、誰彼構わず斬りかかってきそうなほどだった。
そしてそのまま彼は大空を背景に、目元を赤くしたまま再び絶望に苛まれる。
「キリト、お前がいたから皆が死んだ。お前が役立たずだから……強い力を持っているのに、助けなかったから死んだ!! この人殺し野郎がッ! ……ビーターのお前が僕らに関わる資格なんて無かったんだ!!」
重い、決定的な一言。
また、決別の通告。
そして彼は絶対に越えることのない、越えてはいけない一線に足をかける。
それは本来人をこの世界から落下させないための壁。浮遊上最南端に位置するこの主街区での、最後のボーダーライン。
意図しなければ決してその柵を乗り越えることはない。しかし、このデスゲームが始まると同時に、あり得ないほど多くの人間に使われた自殺方。
「ばっか――」
後になって思い起こしても、この時俺の体が意志に
「――やろぉぉおおおおッ!!」
呼吸すら忘れて全力で駆け、ケイタに一息に接近するのと、彼の足が柵から離れるのはほぼ同時だった。
右手を限界一杯まで伸ばすと、手先に彼の足の感覚を掴む。見渡す限り眼下に広がる、底の見えない大空に改めて恐怖すると、そのまま育て上げた筋力値にものを言わせ、全体重を乗せて引っ張り上げた。
かくして無限の虚空に身を踊らせたケイタは再び地面にその身を投じ、今度は尻餅をつきながら俺を見る。
「ぐ……何で……助けたんだよ! もうほっといてくれよ。僕はこの先……え?」
俺はケイタの言葉を無視して彼に近寄ると、その頭を力一杯掴み、思いっきり頬をぶん殴った。
ガンッという、とても人の拳が発したものとは思えない音を周りに響かせながら、彼は3メートル以上吹き飛ばされた。
「ぐぁっ……なん……!?」
「ふざけたこと……抜かしてんじゃねぇぞッ!!」
相手の目は俺に、自分のしたことに、この世界そのものに怯えきっている。
しかしそれでも、顔がぶつかりそうなほど肉薄し、自分の中にある感情を抑えようともせずに伝えた。
「いいかオイ、あんたの辛さはわからない! まだ理解できない。俺の友達は、まだ生きてるからな……だけど! 自分から死ぬんじゃねェ!! ……頼むから……生きて、くれ……」
目の前にいるケイタの姿が薄くぼやけていく。俺はその時になってようやく、自分の涙に視界を遮られていることに気づいた。
ケイタの叫びと、それが我が身に降りかからなかった安心感。そしてこの世界そのものへの怒りを凝縮させた感情が、心の壁を決壊させて零れ落ちたのだ。
「く……何がわかるんだよ……今日知り合ったばかりのジェイドに、何が……」
「わかんねぇっつの。……でも、あんたに死なれることだけはダメだ。絶対……」
そこまで聞いた彼は悟ったかのように目を見開き、そして悔しがるように
その場にいた3人の涙は、しばらく地面を濡らし続けるのだった。
それから優に1時間を経て、俺達3人は宿屋の一角で席に腰を下ろしていた。
少しだけ落ち着いた顔をして横並びに座っているが、やはりというべきかケイタはキリトのことを全部許しているわけではなかった。
「キリトは……またソロに戻るのか?」
「……ケイタが」
「やめてくれ」
「ケイタが許してくれるのなら」と、そう言おうとしたのだろう。しかし発言し切る前に彼はキリトを黙らせる。そして引き返す気はないとばかりに
「もうキリトと行動を共にする気はないよ。僕もソロでやっていく。……《月夜の黒猫団》というギルドは、僕1人で受け継いでいくんだ……」
その決心には揺るぎない強さが秘められ、同時に他者を寄せ付けない排他的な意思を感じた。
しかしSAOの《ギルド》とは、複数人いなければシステム的に認証されない。彼が1人で黒猫団だと言い張っても、それは個人がうそぶく戯れ言に過ぎない。これではもう、ギルドの存続をしないと言っているようなもの。
だが考えようによっては、組織壊滅の原因を作った張本人と今後も旅を続けるというのもおかしな話だ。詰まるところ、この結果は全てが暴露された時点でどうしようもなかったのかもしれない。
「……わかった。ケイタ、今までありがとう。……あと……すまなかった……」
そんな言葉だけを残して、キリトは今度こそ店を出ていった。会計は済ませていないが、出入り口を出た時点でストレージからコルが天引きされるシステムである。
問題はケイタだ。
喪失感と、際限のない罪悪感の中で、今後の攻略に望むことになる。彼はもしかしたら、死に場所を求める亡者のように自暴自棄なことをしでかすかもしれない。
「……なあ、ケイタ」
「…………」
横並びで会話をしているのに、いくら待っても返事はない。
しかし、いつかのヒスイと同じだ。俺はここで会話を打ち切ってはならない。何度も繰り返し話しかけ、呼びかけなければ、彼はすぐにでも黄泉の世界へ誘われるだろう。
「俺らさ、今日知り合ったばっかだけど、あんたらの仲間は……その、すっげぇ暖かいと思ったんだよ。ぶっちゃけシットした。……ケイタがメッチャうらやましかった」
「…………」
「けど、ずっと続かない人もいる。……前に似た奴に会ったよ。近しい人間が死んだ、って。……俺はその死んだ人間に直接会ってない。感情移入もできない。けど……今のケイタ達と同じだ」
「…………」
「でもそいつは、ある日から前向きになれた。1人でも多く助けるために……今も、折れたプレイヤーを見つけちゃ声をかけてるらしい。『わたしも頑張る。頑張って乗り越える。だから、わたしと一緒にこの世界を出よう』ってな」
話だけは聞いてくれているのだろう。ケイタは話の途中で先程の夕暮れ時を思い出したのか、感極まってまた目に涙を浮かべている。きっと朝まではいつもと同じように言葉を交わした親友達と、もう2度と会えないなんて、未だに信じることができないのだろう。
夢であって欲しいと願ったはずだ。しかし神はいつ、どこでも、どこまでも無慈悲だった。
「俺さ……最初はこんなこと言う人間じゃなかったんだよ。誰が死んだって、消えたって、何とも思わねぇ。……どころか、人を蹴落としたこともあるクズ野郎だった。……でも、この世界で色んな奴に会って、色んな奴と会話して、戦って……それで気づいたんだ。
「……ぐ……ヒック……グス……フッ……」
聞こえてくる嗚咽は増々大きくなる。
「人が死ぬのを見るのは今じゃトラウマさ。だからってわけじゃないけど、どんなに苦しくても、生きなきゃダメだ。だってそうだろ? 俺らが死んだら誰かが悲しむ。黒猫団がなくなったからこそ……生きることは、あいつらへの最大の敬意だ。違うとは言わせないぞ」
ここまでですでにケイタは号泣していた。俺自身、喉元までせり上がってきた悲しみは、会話に影響を与える一歩手前まで来ている。
もうケイタは話せるような状況でもなかったし、俺はそれを強制しようとは思わなかったが、次に彼が口を開くのにはたっぷり10分の時間を要した。
「あり……がとうな。こんなに言ってくれるなんて。……ジェイドに会わなかったら、僕も今ごろ死んでたよ……」
自殺志願者特有の悲観はもう感じられない。
「そうだよな、僕が死んだってあいつらは喜ばない。……むしろこっぴどく叱られそうだ。……なにを知っているんだと聞いておきながら……ハハ、これじゃあ僕よりジェイドの方が詳しいみたいだ」
「そんなことないさ。ケイタは黒猫団のことを1番よく知っている。……だからさ、その意志を今後に残すために、やるべきことは他にたくさんあるだろ?」
「ああ……ああ、そうだよ! 生きなきゃなんない。これからもずっと生きなきゃ。……そして僕はこれから立派な攻略組になる。この世界をぶっ壊すんだ。それから、みんなと現実世界で会ってくる」
「おう、その意気だぜ!」
無論、生きた彼らとはもう会えない。だがこの世界が解放されれば、きっとケイタは本当の意味で黒猫団のメンバーと再会を果たせる。それだけは確かだ。
「ソロはやめだ。攻略組の一員になれる最短のルートを探るよ。……ところでジェイド。確か君の古い友達が明日攻略組になれるレベルに達すると言っていたよね? アレはもう余裕で、ってことなのかな?」
「いや、かなり無理してると思うぜ。俺から言うのは恥ずかしいけど、たぶん一刻も早く俺に会いたいんだと思う」
「じ、じゃあさ! そこに僕を入れてもらうっていうのはできないかな!? 何とか付いていけるように僕も頑張るから!」
身を乗り出してまで強く
「わかった。俺1人じゃ決められないけど、なるべくそこのリーダーに掛け合ってみるよ。もし承諾されたら……これから一緒に頑張ろうぜ」
「……ああ、もちろんだ」
確定ではない。ではないがしかし、俺はリーダーであるロムライルが首を縦に振るまで交渉をやめる気はなかった。
だから俺達は、その後もこれからの攻略活動について2人で長いこと話し合った。
しかし俺も遊んでばかりではいられない。
「19時半か。夏至に近いつってもさすがに暗くなったな。……俺はこれからちょっとだけレベリングに行くんだけど、その前にフレンド登録だけしとくか?」
「ああ、そうだな。……これでよしっと。これからもよろしく頼むよジェイド」
「おう! んじゃこれでいつでも連絡できるな。何かあったらエンリョせずに言ってくれよ」
「うん。それじゃあまた明日」
手短に登録を済ませると、店を出た俺は最前線フィールドに向けて歩を進める。道を分かれる際にチラッとだけ視線を送ってみたが、一時はなりふり構わない気持ちが先行していたケイタも、その足取りに迷いはないようだった。
こうして多くの死者を前に、生存者は前を向いていくのだろう。
「(あんたにとっちゃ仕切り直しなのかもしれねぇけど、明日は俺にとっても再スタートの日だ。一緒に乗り切ろうぜケイタ……)」
俺はもう振り向かなかった。明日から紡がれる新しい生活が、互いにとってかけがえのないものになると信じていたからだ。
しかしこの時、緊張を解いていた俺の注意は散漫になっていた。俺達のことをずっと尾行していた輩に、欠片も気づくことはなかったのだから。